1. 人間関係ちえぞの
  2. 神経過敏の正体。想いは運転手..

怒りの正体であり、神経過敏の正体。それは、想い→思考→からだの順を知ることで紐解けてきます。 【ざっくり目次】 01:14 思考の役割 05:50 想いと思考の違い 09:00 想いは外にある 12:19 思考の役割は、想いの翻訳 15:08 想いは運転手、身体は車 17:05 神経過敏の正体 ●番組へのお便りは「ちえぞの公式サイト」よりお送りいただけます。

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サマリー

思いと思考の違いが明らかになり、思考は過去の記憶から情報を分析する役割を持ち、思いは体の外に存在し、新しいアイデアや感覚を表現する役割を果たしていることがわかりました。思いというのは運転手のような存在で、この体という道具を上手に操作しているといったイメージでしょうか。普段は私たちはこの道具である体に例えるならば、運転手は思いであり、車は体です。

目次

思いと思考の違い
スピーカー 2
神経過敏の正体とは?
スピーカー 1
神経過敏?
はい。
それは何?歯に水がしみるとかそういうやつじゃなくて。
スピーカー 2
視覚過敏ではありません。
視覚過敏ではない。
神経過敏です。
前回ですね、思考の話っていうのを結構長くしていたと思うんですけれども、
ちょうどですね、すごく偶然タイムリーなんですけど、
スピーカー 1
思考の役割について倉園さんとお話ししてみたいなっていうふうに思ってたんですね。
スピーカー 2
なんでこんなに人は物を考えるんやろうっていうふうに思ってたんですよ。
そことちょうどリンクしたのが、
考えすぎている時ってやっぱりすごく神経過敏というか、
気にしすぎやで、みたいな人がいると。
第三者から見るとすごい気にしすぎやろ、みたいな。
もうちょっと肩の力抜きや、みたいな感じになってる。
なーってすごく自分自身の体験を思い出してもすごく思っててです。
なので、思考するっていうのと、その役割みたいなお話だったりとか、
しすぎた時に神経過敏になっていくっていうんですか、
そういう感じの正体というか根っこというか、
何でそうなるのかみたいなお話できたら面白いかなと思いました。
わかりました。
人はそんなに悪くない。
スピーカー 1
ほっこりするつながりを思い出そう。
人間関係知恵とゾノ。
スピーカー 2
それでは今日のお話始まります。
スピーカー 1
知恵とゾノ。
スピーカー 2
はい、ということで、視覚過敏のお話を。
スピーカー 1
視覚過敏じゃない方ね。
スピーカー 2
そうですね、神経過敏、なんだっけ。
スピーカー 1
神経が過敏になる。
スピーカー 2
そうです、それです。
スピーカー 1
考えるの、考えの役割かな。
何については、すごく僕はシンプルに答えがあってね。
僕らの主体というのかね、主人ね。
運転手でもいいんだけど、これは思いなんですよ、心なんですよ。
意識でもいいんだけど。
だから、今、知恵さんと話してるじゃない。
そこには話がしたいという思いが必要ですよね。
知恵さんがもし、今日一言も話したくないわと思ってたら、
この番組多分収録できないと思うんで。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
だから、今2人で作ってる番組は、
知恵とゾノ、人間関係知恵ゾノという番組なので、
これをいいものにしたいなとかって思いもあるでしょ。
そうですね。
楽しくしたいね。
これが僕らにとっての主体だと。
僕は思ってるんですね。
でも、それは心の中で思うだけだから、
思いの役割と体の表現
スピーカー 1
外に出てこないじゃん。
いい番組作りたいなって2人で思ってても、
黙ってたら何も進まないじゃないですか。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
お互いいいの作りたいとは思ってるよねって思いながら、
黙ってては番組ができないよね。
そこで、体という道具を使うんですよ。
ここで声を使って、喉を使って、
喋るということをやれば、
さっきの最初の思いね、
2人でいい話をして、いい番組を作りたいという思いが、
人に伝わる形にできるじゃん。
この間に思考というのがあるんですよ。
スピーカー 2
思いと行動の間。
スピーカー 1
行動の間にある。
思いというのは、
多分、すごく漠然としているイメージのようなもんなんだよね。
話したいと思っていることが、
もう頭の中で作文されてババババって出てくるなんてことはなくて、
今日もさっき知恵さんが出だしに、
神経が花瓶っていうキーワードを出したじゃん。
その中には多分、もっともっといろんな話がイメージとして入っているんだけど、
まず最初に浮かぶイメージは、
花瓶だったり神経だったりって言葉なわけね。
これだけだとまだ表現できないんで、
これを頭で翻訳していくわけですよ。
そのイメージというのはどういうものなんだっていうね。
スピーカー 2
ちっちゃい聖子さんがいるんですね、頭の中に。
別に聖子ちゃんじゃなくてもいいんだけど。
スピーカー 1
翻訳ってあれが出たんでね。
そうそう、翻訳家としてのね、
聖子ちゃんが知恵さんの頭の中にいて。
頭の中におるんや。笑ってまうなんて。
スピーカー 2
それが知恵さんがふってイメージ出したら言葉に変えてくれる。
スピーカー 1
笑ってまうなんて。
これはコンピューターに似てるでしょ。
パソコンと一緒だよね。
イメージがあって、それをなんとなくパソコンの中に読み込んでいくと、
それがだんだん絵になったりテキストになったりしていくっていう。
だから計算したり処理したりしているわけね。
これが多分僕らの思考、考えの一番大きな役割じゃない。
だから3段階になってね。
思い、思考、そして体の表現っていうふうに、
この3つがきれいに流れていくと、いろんなことが多分生むことができるようになる。
これは多分スポーツもパフォーマンスも音楽も、
それからこういう喋りも、それから文章を書いたりすることも、
もしくはExcelの表を計算するとかね、
データを分析するとか、そういうことも全部多分同じで、
思い、思考、体の表現っていうこの3段階になってるわけね。
スピーカー 2
面白いです。ちょっとここで一つ質問していいですか。
思いと思考の違いが聞いてみたいです。
スピーカー 1
そうね。思考というのはさ、考えるっていうのはパソコンと一緒で、
過去の記憶から何かを分析するとかね、
多分そういう働きになるんだよ。
ハードディスク、メモリーがあって、そこに蓄えてる情報を使って計算をしたりっていう。
つまり、じゃあ2人でこれから新しい話をしようって言った時に、
そこにはないんだよ、まだデータが、情報が。
スピーカー 2
それが思考の方ですか。
スピーカー 1
ないっていうのはパソコンのデータと同じだから、
そこにはないってこと。思考の中にはないってこと。
だから、きらめかなきゃいけない。新しいことは。それが思い。
スピーカー 2
パソコンで言うと、
スピーカー 1
人ですよ。人が。パソコン、つまりパソコンだけでは何も作れないじゃん。
スピーカー 2
あ、パソコンが思考みたいな。
そうそうそう。
スピーカー 1
あーなるほど。
うん。だから考えて出てくることって、過去の記憶でしょ、まず。
そして過去の記憶を混ぜ合わせたりコラージュしながら、
次はこうなっていくだろうって予想するっていうぐらいしかできないじゃない。
でも、しーえさんがいろんなコンテンツを作ったことがあるでしょ。
例えばホームページでもそうだけど、文章でもそうだけど。
見たことがないやつを作るでしょ、自分で。
スピーカー 2
そうですね。自分では見たことないやつを作ろうとしますね。
スピーカー 1
そうなんですよ。それが新しいもの。
そのひらめきを司っているのが思いですよ。
そうでないと、発明とかそういうものは生まれてこない。きっと人からね。
だからアートも生まれてこない。
同じことの繰り返し並べ替えぐらいじゃないとできないんだけど、
そうじゃないものを思いついたりする。それが思いひらめきなんだよね。
ここは考えるんじゃないんですよ。
降ってきたり降りてきたり感じたり突然湧いてきたりする。そういうもの。
だからつまりそこが大事なので、いくら考えても出てこない。そういうものは。
ここを間違えてることが多いのね。考えれば浮かぶんじゃないかって思いつくんじゃないか。
スピーカー 2
そうですね。思いも頭の中にあるじゃないですか。思考も思いも。
スピーカー 1
頭というか体の中にあるようなイメージなので、どっちも似てるみたいな感じがすごいあるんですよ。
でも実際は違うってことですよね。
スピーカー 2
僕は思いは体の外にあると思う。
スピーカー 1
だから思考も体の一部なんだね。脳だからね。
外にある思いが体というものを使って表現をしているっていう。そんな風に捉えてるね。
スピーカー 2
外っていうのは相当ですか。
クラウドさんがよくおっしゃってる、心羅万象みたいなことですか。
スピーカー 1
そうですね。体の中にあるんではなくて、外にある思いはっていう感覚。
外。感覚的に肉体の外ってことですか。
スピーカー 2
そこはどこにあるとかいう次元の話ではないような気がしながら聞いてました。
スピーカー 1
だからどこっていう場所はその話の中ではさせないっていう感じね。
思考の役割と思いの信頼
スピーカー 2
外にあるんですね。思いが。
不思議。中にあるって思い込んでましたけど、外にあるんですね。
スピーカー 1
外にありますね。
スピーカー 2
そして見えないですよね、きっと。
スピーカー 1
目に見えない。それをこの目をつづって感じるみたいなのが前回お話ししてた瞑想座禅の世界なんですよ。
なぜかというと座禅を組むと足が痺れるじゃないですか。めっちゃ痛いんだよ、あれ。
慣れない状態で本格的な両方2本組むやつをやるとね。片方だけじゃなくて。
もう多分5分もやるとやめたくなるんですよ。
それは意識というかその思考の中で体と一体になっている自分では我慢できないのね。ほぼほぼ。
だからそこからフッと抜け出すんですよ。
この痛みとか痺れを感じているこの肉体からスッとこの意識がフッと離れたときに
大丈夫じゃんっていう感覚がそこでやってくるのよ。
これをいつも僕ら毎年合宿に行くんだけどね。
大公院さんという500年くらい歴史ある座禅のお寺で座禅を組むのよ。
そのときに座という字はいわゆる一般に使う座るという字じゃなくて
座るのタレっていうのがこれを取り除いてひとひとつ字って書く。
ひとつ字って書く字があるんですね。
これが座禅の座なんですよ。
ここに2つ人がいるでしょ。
土の上に左に人がいて右に人がいるじゃん。
この2人の人っていうのがさっき言ってた
こちらが体を持ってる自分でこっちが体を持ってない自分っていう
そういうふうに説明してくれたねその住職さんはね。
体を持ってない自分が意識なんだけどそれは体の外にいるっていうそんな感じ。
中にいるとそのしびれに我慢できないやつ。
一体になっているとね。
スピーカー 2
思考と一体になっていると。
スピーカー 1
体と一体になっているとね。
そこから離れているって離れられるということができるのであれば
それは外にいるわけだね。
ここの内外っていうのもひとつの例えにすぎなくてね。
スピーカー 2
厳密に言うとどちらでもなかったりするんだけど。
スピーカー 1
それがまあ思考の役割かな。
スピーカー 2
面白いですね。
スピーカー 1
だからこれは黙って動かしておくのが一番いいよ。
使おうとせずに。
黙って動かしておくの。
きらめくじゃん何かをさ。
そしたらそれを表現したいなと思うじゃん。
書きたいな文章にしたいな絵にして表したいなって。
その思いがもう勝手に思考を動かしてくれて。
コンピューターで言うと勝手に動き出すプログラムがザラザラザラって走り出して。
そしてそれが体に伝わって手が動き出すっていう。
自動的にもう動いてるようなそんな感じ。
ここに自分の意識でこうやって考えてこうやって組み立ててこうやってっていう風に
いろんなことを入れれば入れるほど
コンピューターとしてはちょっと余計なことしないでって言いたくなるようなそんな感じ。
ほっといてくれよっていうね。
だから信用して走らせておくっていう。
スピーカー 3
信頼して走らせておくっていうのが思考の一番いい使い方なんじゃないかなっていう感じがする。
スピーカー 2
クラノノさんが思考の役割はこれだと思っておっしゃってたじゃないですか。
それっていうのはすいませんちょっと私今若干混乱してるんですけどどれってことですか。
スピーカー 1
役割?
思いというものがまず一つ出だしに湧いてきて。
これを体を使って表現できる形に翻訳してくれる機能。
スピーカー 2
そうか翻訳か。
そう。
翻訳だ。
スピーカー 1
漠然としたイメージがひらめきなんですよ。
これは言葉とかにしないと相手に伝えることができないのね。
言葉にするっていうだけでも言語化という翻訳がそこに必要じゃん。
文章にするっていうか。
これを思考がになっている。
スピーカー 2
それを意識的に動かそうとするとよくわからへんくなるみたいな。
なる。
スピーカー 1
この脳を使ってアイデアを閃こうとしたり問題を解決しようとしたりすると本来その役割はになっていないので怖くなったり不安になったり罪悪感を持ったりするわけ。
だからこいつはおとなしくさせておけばいい。
そうすると主体というか。
だから運転手なんでやっぱ僕らの思いというのはね。
思いと体の関係
スピーカー 1
思いというのが運転手でいてこの体という道具を乗りこなしているようなそんなイメージだろうね。
でも普段は僕らはこの道具の方、車にたとえるならば運転手と車で運転手が思いで車が体ね。
その車を本体と思っているわけよ。
体がね。
そしてその体の中にある脳というか思考。
ここが全てを問題の解決だとか悩みの解決だとかね。
いろんな答えを出すのもこの頭で考えて出すというふうに思っているから。
運転手がいない車状態っていうそんな感じになってるわけね。
本当は乗り物じゃなくて運転してる人がいないと動かせないんじゃない。
でもそこの思い意識閃きみたいな部分が不在になってるっていうかね。
というのはあんまりここをはっきりとこういうものだって説明できないからなんだよ。
だから学校とかでもひらめきを使いなさいとか言ってもどうやればいいんですかって言った時にもう謎になっちゃうね。
するよりはよく考えなさいっていう方がわかりやすいから
多分僕らはここはもうないものとしてやるしかないよねっていうそんな感じに多分なってるんだけど
確実にここがあるんですよ。
体の過敏さ
スピーカー 1
だからまあその人を好きになるとかね思いとか愛してますみたいなこの感覚も実はその体の外にある
こちらの思い側のその働き動きなんだと僕は思っていて
スピーカー 2
今日の最初のいわゆる知恵さんの神経過敏。
スピーカー 1
これは体が本体だと思っていれば思っているほどそうなるってこと。
だってほら形があるじゃない。
そして体というのは傷つきやすいものでもあるでしょ。
だからここに何かかその音であってもそうだしそれから光とかね。
あらゆるその五感を刺激するようなことに関して体が自分だと思っていれば思っているほど過敏になっていくよね。
そしてそれによって危険に晒されているっていう感覚も大きくなるでしょ。
だからそのこの小さな体傷つきやすい体がね。
危険な世界に晒されているというこの感覚で生きていれば当然だけどもビクビクしてないといけないじゃない。
もういろんなところに気使いながらもう音が鳴ったらうるさいとかさ。
体と思考の関係
スピーカー 1
なんか光がくれば眩しいとかさ。
もうどれか体を守るっていうことに神経を注ぎながら生きていくしかないわけね。
これはだからあの機関車トーマスとかに似てるんだよ。
機関車トーマスって機関車が本体になってるじゃん。
だからこの体が自分なのでここをいかに守るかここを傷つけないように防御するかということにいつもいつも神経を注いで生きているとしたら当然過敏になっていく。
でもこれは道具で運転手は形のない思いなんだ意識なんだっていう風に自分の捉え方が変わると全然そこを気にせずに生きていくことができるのよ。
スピーカー 2
いやこの機関車トーマスの話めっちゃ何回も聞いてるんですよ私。
いろんなパターンでいろんなところでいろんなコンテンツで。
スピーカー 1
しかも蔵園さんのコンテンツなんですよ全部機関車トーマス。
スピーカー 2
そこかって思いました。
まだやっぱりその思いと思考がその何やらはっきり区別せんでももうそのいいやろうけれどもでもなんかこう
なんかちょっとまだごっちゃになっててなんかでもなんかなんかわかったような気がします。なんかですけど。
スピーカー 1
蔵園の話と全く同じで足が痺れてるってのは体の問題じゃん。
だからそこと一体になっていたらもう痺れたんで無理ってことになるわけ。
ここでいやいや本体はここじゃなくてこの形のない意識だよねってなった瞬間に多分何十時間でも続けてやれるようになるっていうね。
痛みとそこが切り離されるっていうそういう感覚。
スピーカー 2
蔵園さんはそれはもうそういう理性で理解したのではなく感覚的に体感されたって感じなんですか。
スピーカー 1
まあそこは本当にそれこそねこれは何年もかかって得得するようなものでもあったりするしね。
まあその時間ではないんですけどもね。
不走のように感じられるときもあればやっぱりどーんとこの体側にね自分の自分のなんていうのかな。
これこちらが自分じゃないかってこの体の方に寄ってしまうときもある当然あるね。
だから体調悪くなったり病気になったりしたときはそこにいないようにするということがすごく僕は重要だと思っていて。
この体調の悪さの中にとらわれてしまうとね。
そこと一体となってしまって基本的にはすごく怖くなっていくわけね。
でもそこからすっとこうもう一つの形のない自分というのを立ち上げて、
そこからその自分のこの療養している体みたいなものをこう俯瞰でみるというのかね。
そのようにするとやっぱ少しはこの癒されるというかねどちらもね心も体もね。
なんかこうね形のない自分を思考と捉えてしまう思い込みがすごいあるのかなって思いました。
スピーカー 2
思考も体の機能の一つだから。
スピーカー 1
一つなんですね。
だから考えているのかそれともなんていうのかなこの形のない意識に委ねているのかっていうここの区別はつきにくいっちゃつきにくいんだけど、
もう大きな違いはねこの意識側の方は形がないからそれは不安がないんですよ。
何かを怖がる必要がない。
おそらくだけどもこちらの自分はその人生の終わりみたいなことも意識しないでたぶんいられるんよ。
そうすると無敵で怖くないでしょ。
ってことはこちらを働かせている間はたぶん平安でいられてるはずないの。
でもかたや体側の仲間である思考というのは体の一部なんでね。
体の機能が止まってしまえば思考も止まるっていうことになるじゃん。
無になってしまう。
だから非常に怖がってるわけよ。
だから今考えているのかそれともその形のない意識のようなものに自分が尋ねているのかっていう差はね怖いかどうかでわかる。
それすごいわかりやすい基準やなと思いました。
平安な感じで物事を見つめていられるか。
それともどうしても心配だなとかなんか人を責めたいな自分を責めたいなとかね。
そういう風になっているとしたらこれは間違いなく思考の方を使ってるってことだよね。
スピーカー 2
ちえと。
スピーカー 1
ソノ。
スピーカー 2
私今グッドバイブスの初心に戻りました。
今の回で。
私グッドバイブスに出会った頃の、出会ってすぐぐらいに蔵殿さんがワントレ受けさせていただいて、
そのときの初回に多分そういう話やったんですよ。
で、なんかほんまにホワッと理解したみたいな感じやった。
それこそ思考で理解したみたいな感じやったんですけど、
今巡りに巡って巡って今なんとなく体感でこの話に戻ってきたってなりました。
スピーカー 1
そうですね。
なるほど。
だからやっぱりその小さな体、傷つきやすい体、それが危険な世界に取り囲まれているという意識の中では、
どうしても不都合なものを変えなくてはならないって思いながら生きるでしょ。
だからなんか自分に不都合なものが現れれば、人だろうと状況だろうと傷ついたり損なわれたり困ったことになるっていう心配の中にいるので、
常に見張ってるわけよ。嫌なことはないのか不都合なことはないのか。
もっと言うと不満はないかっていうふうにね。
で、見張っていてちょっとでも気に入らないことが起こったら何とかしないといけない。
怒ったり文句を言ったり抗議したりするみたいなことを自分を守るためにやるから、
当然過敏になっていくよね。
だから過敏さというのは、自分が怒っているかどうかっていうのにも分かるんだよ。
怒っているとすればやっぱり過敏になってるってことなんだよね。
スピーカー 2
いやーこの話はちょっと終わらへんから切りますね。
スピーカー 1
はいはい。そうしましょう。
スピーカー 2
ということで、今回はこれで終わろうと思います。
このポッドキャストではあなたからのご相談ご質問、こんな風に思ったよだったり、
こんなテーマを取り上げてほしいなどなど随時募集しておりますので、
概要欄のお便りのリンクからお送りいただければと思います。
お便りいただいた方にはですね、プレゼントなども企画しておりますので、
ぜひぜひ送ってお送りください。
では今日も今夜もほっこりした夜をお過ごしください。さようなら。
スピーカー 1
さようなら。
25:14

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