1. Beside the Seaside
  2. Ep. 26: ITAMIの認知
2024-04-03 22:14

Ep. 26: ITAMIの認知

失敗して傷ついた後の認知とその後の思考に違いがあって、おもしろい!の回。


(参照)

なぜあなたは悩むのか? 気にしない練習(プレジデント2024年3/1号)

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%88-2024%E5%B9%B4-31-%E5%8F%B7-%E9%9B%91%E8%AA%8C/dp/B00I2V6J8G


【無料公開版】 大愚元勝 特集「実践! 気にしない練習」

【プレジデント誌連動企画】なぜ人間関係は、死ぬほど苦しいのか?

https://www.youtube.com/watch?v=318hD-Aagn4

6分半過ぎあたりから「妄想」の話がチラッと

傷の認知の差
MAYO
Beside the Seaside プロデューサー兼 家業アトツギの永野真代です。
MISAKI
アートディレクター兼デザイナーの 髙橋 美沙紀です。
MAYO
東京と茨城の海沿いの街との 未拠点生活をしている私たちが、
人生のA面、B面、C面について、 あれこれと語る言語化雑談番組です。
MISAKI
今回は、ちょっと私からテーマを提示したくてですね。
ITAMIの認知っていう話なんですけど、
なんかね、ここまでやっぱ真代さんと話してきて、
あと、私が前回話した免許取得の失敗談だよね、
失敗談みたいな話を通して感じたことなんだけど、
どうやら2人の間には、失敗した時に、
その痛みの認知の差があるぞっていうのを、
ちょっと実感したのよ。
もうちょっとわかりやすく言うと、
例えばその失敗を傷だとすると、
傷だと例えると、
ほんとちょっとした切り傷、
切り傷を真代さんはちゃんと切り傷として、
そのレベルで認識できると、
いうふうに私は感じてて。
MAYO
感じるんだね。
MISAKI
そう。で、かたや、私は切り傷なんだけど、
うわ、これ内臓までいっちゃってんなっていう、
すごい、それを内臓も刺されてるような痛みに感じる、
感じがちっていうのがあって、
その差ってなんだろうってすごく思ったんだよね。
その傷つきすぎちゃうというか、
その傷に対して自分がね。
MAYO
切り傷だっていう認識はあるんだ。
MISAKI
ないの。
傷つき方の違い
MAYO
いつ気づくの?
MISAKI
結果時間が経って、
死ななかったなっていうことで気づくの。
MAYO
じゃあその傷は切り傷じゃなかった可能性もあるよね。
MISAKI
考えたことなかったけど。
そんな発想はなかった。
死んでないっていうことは、
たぶんそんな重傷な傷じゃなかったんだろう。
今だったら笑い話にもできるから、
軽傷であったんだろうっていうね、やっぱり。
MAYO
そうなんだ。
確かにそれは重傷だったかもしれないね。
重傷だったが致命傷じゃなかったんで、生きてただけ。
MISAKI
なるほどね。
MAYO
いや、わかんない。
MISAKI
実際内臓まで行っちゃってた可能性もあるか。
MAYO
それがだんだん時間かけて治癒してきたけどみたいな。
だからそういう表現に至るには何かがあったのかなと思って。
その切り傷なのに致命傷って思っちゃう私っていう認知をしたのは何でなんだろうと思って。
MISAKI
確かに何でなんだろう。
すごい全然何も出てこない。
MAYO
誰かに言われたのかな。
そんなことくらいで傷つくなんて大げさだなみたいな。
MISAKI
覚えがありすぎるね。
でも確かにそれで、そういう認識をしちゃったのかな。
でもそしたらさ、じゃあ私が考える傷なんて傷じゃないんだって認識しても良かったよね。
他人が言うように本当に大した傷じゃないんだなって認識できれば良くない?
MAYO
他人から言われたことは、理はあるかもしれないが、深く傷ついた自分をわかってほしい。
いつもそういう認知なイメージがあるので。
お洋服の時とかも、それがドレスコードとして、世の中では正しいのかもしれないが、そうじゃない自分もわかってほしいみたいな。
アートディレクターとしての気持ちの方をわかってほしいっていう認知の仕方をするような癖があるような気がしていて。
今回もそれなのかな。
MISAKI
かもしれない。
でも。
MAYO
切り傷っていう風に軽く見てるのは、他人から見た認知であって、本当は致命傷の方?
なんだよ。
じゃあそれの致命傷の方をどうしてくれるんだい?切り傷って言ってくれるみんな!っていうことなのかな。
MISAKI
確かに、切り傷として受け取れない気持ちもわかってくれっていうのはあるかもしれない。
言われてみて初めて気づいたから、今すごい衝撃の方が強すぎて、何の言葉にもなってないかもしれないけど。
MAYO
でも今回の傷に関しては、ドレスコードとは訳が違って、自分を大切にしていいような気がするんだよね。
だって、痛みの認知ってそれこそ自分のものじゃないですか。
誰かに迷惑をかけるものでもない。
ドレスコードってもしかしたら、他人との調和とか、ビジネス上のなめらかなコミュニケーションに影響があるかもしれないけど、
これくらい気がつきましたの深さの度合いは自分で決めてもいいから、勝手に切り傷なんて言わないでくれよ、ベイビー。
な気がするけれど。
MISAKI
そっか。
じゃあちょっと続けてもいい?
MAYO
お願いします。
MISAKI
でも確かに、傷つきすぎちゃうから、そうだね、傷つきすぎちゃうんだよ。
で、前回言った通りさ、傷に慣れておく。軽い傷を何度も何度も経験して、大丈夫じゃんって学んでいくっていうのも一つの手ではあると思うんだけど、
それだと心が先に潰れるか、痛みの認知をできるか。
痛みの認知を正確にできる前に心が潰れてしまいそうって思ったんだよね。
MAYO
もちろんその可能性はあると思うから、絶対加減は自分で判断すべきなんだけど、
どうして本当に切り傷レベルだとしたら、死んじゃうくらい傷ついちゃったらどうしようと思うの?
面白いね、それも。だって今まで死ななかったじゃない?
MISAKI
受け止め方は変わらないから、どんな傷であれ、ちょっとした傷であれ、ちょっと深めに入っちゃったっていう風な認識は変わらないから、
慣れることはできても、感じ方は変わらないなって思ったんだよね。
MAYO
でも慣れることはできるんだね、じゃあ。
自己評価と傷つき
MISAKI
慣れることはできるだろうけど、感じ方に慣れる、同じこと言ってるね…。
マヨさんに聞きたかったのが、マヨさんって結構傷の深さを正しく認識してる気がしてて。
MAYO
そんなことないですよ。
MISAKI
でも失敗は失敗で、大したことないよって笑えるみたいな時もあるみたいなこと言ってなかったっけ?
MAYO
うーん、そうだね。
あんま自分に期待してないせいかもしれないけどね。
MISAKI
期待しない。
MAYO
自分にそんなに能力があると思ってないから、失敗してしかるべしと思ってるところはあるかな。
MISAKI
そう、失敗をある程度込みで考えてるってこと?
MAYO
そうだね、込み込みと言われれば込み込みだし、
失敗に傷つかないとか、他人の鋭利な言葉に傷つかないわけじゃないんだよ。
どちらかって言うと、私も結構センシティブで、すごく傷つくタイプだと思うんだけど、
もし自分がしてしまった失敗で傷ついてるんだとしたら、自分の責任だから、
じゃあ自分が次に失敗しないようにどうすればいいかっていうのを考える。
もし何もしてない、どう考えても大して私悪くないのに、他人の鋭利な刃物によって傷ついたんだとしたら、
その人にはもう近づかないとか、そういう人にはレーダー貼っとくっていう風に、
自分で何かできることあるよなと思ってやるかな。
MISAKI
すぐに自分どうしたらいいかっていう、改善っていうのかな?
改善の方向にスイッチ切り替えられる感じ?
MAYO
すぐじゃないときももちろんあるけど、コツとしては、しっかり傷つくことかな。
私、ポッドキャストであんまりしゃべってなかったかもしれないけど、
体育会系なんで、もう小さい頃からいろんなスポーツをやってきて、
中でも一番、大学は体育会まで続けてきたのが、剣道なんだけど、
たぶんナチュラルボーン体育会系の私としては、
自己鍛錬とか、すごく自分に対してマゾ的な感覚がないと強くなれない、
結果を残せないとかいうのは、染み込んでるかもしれないね。
傷ついてからが勝負みたいな。筋肉とかもそうじゃん。
徹底的に鍛えていじめつけて、筋肉の組織を壊してからが、
新しい筋肉の細胞が、筋細胞が蘇生されるから、
傷ついてからが、じゃあどうしようっていう感覚かもしれないね。
それは、あくまで自分でできる範囲で、何かできることないかなっていう、
アミノ酸を摂取するとか、もうちょっと鍛え方を変えるとか、
そういうふうに、自分に何かできることないかなっていう思考になるんだけど、
ミサキさんは、何で私のことをそんなに傷つけるの?
怖い、嫌だ、嫌だ、やめてっていう、
防御線を張って、今まで生きてきたような感覚。
MISAKI
それはそう。
MAYO
そうだよね。
MISAKI
っていうのも、たぶん私失敗したときに、
失敗したっていう事実だけ受け止めることができなくって、
っていうのは、こんな失敗をする自分って、人間的におかしいっていう、
そういう発想に行きがちだから、そういう発想したくないっていうのがあるんだよね。
MAYO
そういう発想するとどうなっちゃうの?
MISAKI
どうなっちゃう?深く落ち込んじゃうんだけど。
MAYO
私も深く落ち込むよ。
うんうん。
MISAKI
何が違うんだろう?
ただただ失敗したっていう事実だけ受け止めればいいんだけど、
それができなかった自分っていうのは、
他人より劣っているとか、たぶんそっちの…
MAYO
それもね、それも私も認識するよ。
だって、劣ってるからこそ試合に勝てなかったり、
結果を残せなかったり、強くなれなかったりするので、
ああ、なんで自分ってダメなんだろうと思うよ。
MISAKI
思うんだ。
MAYO
思う思う。
MISAKI
それが原因なのかなって、私ちょっと思ってたんだけど。
MAYO
思うよ。
だからさっき言った、徹底的に自分を痛めつけるっていうのはそういうこと。
徹底的にもう奈落の底に自分を落としてからが、
もうあとは上がるしかないよねっていう感じで上がってくるかも。
MISAKI
そこなんだよな。
MAYO
パキッとすぐに転換できればそれは楽だろうけど、
私はそうじゃないかもしれない。
MISAKI
ええ、そう。
やっぱり経験が強い、経験かなっていう感じ。
MAYO
かな。
MISAKI
ああ、そうか。
なんかね、
私は勝手に事実を事実として受け止めればいいんだけど、
そこから先変な妄想が入っちゃって、
それこそ他人より劣っているとか、人間性がおかしいとか、
っていうふうな妄想が働いちゃうから。
MAYO
妄想じゃない可能性もあるよね。
MISAKI
可能性はもちろんあるんですよ。
MAYO
そうだよね。だから私もだから徹底的に、
私ってなんてダメな人間なんだろう、やっぱおかしいのかな、
ちょっと人間として適正じゃないのかなとかすごい考えて、
それは変えられるのか変えられないのかとか、
変えたいのか変えたくないのかってすごい徹底的に自分に問うかな、
傷ついても。からの、「よし」って決めて上がるって感じかな。
MISAKI
そう、面白い。
心の苦しみと認知
MISAKI
なんかね、私このテーマ取り上げるときにね、
その、事前にちょっと読んだ本があって、
それはね、今出てるのかな、雑誌のプレジデント?
「なぜあなたは悩むのか?気にしない練習」っていうのがあって、
その中の記事で、大愚 元勝(たいぐ げんしょう)住職が寄稿してて、
言葉があったんだけど、ちょっとそれ取り上げてみていいですか?
MAYO
うん。
MISAKI
それが言うには、「私たちの心の苦しみは、
実はほとんど私たちが自分で作り出したもので、
私たちはいわば苦しみを自作自演している」と。
「私たちは目、耳、鼻、口などの感覚器官を通じて、
常に何かを感じ取っている。
この五感から飛び込んでくる感覚が脳に近くされるとき、
私たちはそこに自分の判断を加えてしまう。
例えば目そのものはカメラのレンズと同じで、
レンズ自体は別に何も思わない。
ただそのものを映すだけ。
でも私たちの目が何か対象を捉えて、
脳がこれは犬だと認識すると、
犬に噛まれたことのある人は怖いという気持ちが生まれます。
なぜなら脳が過去の記憶の中から犬に関するデータを
瞬時に引き出したからです。
そのようにして私たちが物事を認知するたび、
過去の経験や親や友達の影響などを
記憶の中に蓄積されているものが加わっていきます。
本来ならありのままに見ている対象に
妄想を付加していくわけです。」というのがあって、
要はこれから何を学んだかというと、
事実は事実として受け止めて、
失敗した事実は事実として受け止めて、
そこから先の妄想は食い止めるべきだという風に
私は受け取ったんだけど、
要はさっきの話だと、
MAYO
分かる分かる。
MISAKI
分かる?
MAYO
うん。
MISAKI
という話なんだけど、どうやら違うね。
MAYO
そうだね。だって妄想してしまう自分も自分でしょ?
そこまでありのままに受け止めていいんじゃない?
MISAKI
そうか。
この本によると「チーン」なんだけどさ。
すごく解脱しそう。
MAYO
すごい、私悟り開けるかな。
MISAKI
事実は事実として受け止めて、
その先の自分を傷つけるような、
それを「矢」っていう表現をしてたんだけど、
MAYO
この続きが確かに知りたいかも。
じゃあどうすればいいのって書いてあるの?
MISAKI
それはもう妄想でしかないんだから、
事実の認識はそれとして、
そこから先を考えるのはやめましょうって
多分意味合いだったと思う。
MAYO
そうなんだ。
妄想するなって相当難しくない?
だって妄想の癖があるんでしょ?
MISAKI
ある。
だったらそれでメシ食ってるところもある。
MAYO
そうだよね。
それは商売道具を取り上げられるようなものなんじゃないですか?
ミサキさんにとっては。
MISAKI
確かに。
そうだね。
妄想との付き合い方もさ、
考えなきゃななんてちょっと思ってたんだけどさ。
MAYO
その発想はいいんじゃない?
MISAKI
そう?
MAYO
妄想するのはだめだけど、
妄想とどう付き合うかは、
別に妄想をなくせって言ってないからいいんじゃない?
MISAKI
そうね、ありがとう。
いい妄想の仕方、悪い妄想の仕方っていうのがあるかなと思って。
MAYO
いいんじゃないですか?
だから、もしさっき読んでくれた例で言うと、
犬に噛まれた経験がある人は怖いっていう気持ちが生まれる。
そこからミサキさんは、
怖い妄想が自分を襲ってくるんだっていうふうに思ってるんだとしたら、
一方で、でも怖くない犬もいたなっていう妄想を生み出してみたり、
その怖い犬も別にこう対処すれば怖くなかったなっていう経験による良い妄想を生んで、
その妄想たち同士でちょっとお話ししてみてくださいみたいな。
MISAKI
なるほど。
MAYO
そういえば、悪い妄想ばっかりじゃないなとか。
MISAKI
そうだね。
妄想力で勝負してるんだったら、そこまで込みでね、妄想しなさいよっていうことか。
確かに。
MAYO
別にするなっていうのは難しい気がするから、した上で対処を考えた方が建設的だし、ミサキさんにも向いてるような気がします。
MISAKI
確かに。それはなんか私の特性とうまくマッチして本当にいいと思います。
ありがとうございます。
妄想との付き合い方
MISAKI
でもそうなんだ。マヨさんの話、面白かった。
MAYO
私はあんまり傷を過大評価せず、さっくり直してさっくり次々っていうイメージだった?
MISAKI
さっくりとは言わないけど、どっちかというとそういうイメージであったんで、
奈落の底まで傷ついてみるとかっていうふうに思ってたっていうことは知らなかったんで。
MAYO
体育会系だよね、その辺ね。
MISAKI
そうね。
MAYO
私、精神的な体育会系と肉体的な体育会系、身体的な体育会系、
身体を動かすのが純粋に好きな人と、そういうふうに自分の精神を鍛えるのが好きだっていう、
マインド系体育会系がいるとしたら、私マインド系体育会系かもしれない。
身体を動かすのももちろん好きだけど、そういう鍛え方をするのが好きかもね。
MISAKI
やっぱりそれも経験だね、経験則だね。
MAYO
面白いね。
MISAKI
面白かった。そうやって得てきたんだね、マヨさんは。
MAYO
師匠が自分の子供を奈落に突き落とすように、自分をえいって。
這い上がってこいこいみたいな。もう一人の自分が上にいるのかもね。
MISAKI
すごいな、「傷ついてからがはじまりだ!」ってすごいなと思って。(心に)刻む刻む。
MAYO
やばい、どうしよう、体育会系の一面を見せてしまった。
MISAKI
確かにな、筋トレもそうだもんなって思っちゃった。
その発想に気づけるといいなと思って、次傷ついた時に、
「いや、傷ついてからだぞ」っていう。
MAYO
ここから私の筋細胞は再生を始めます。
MISAKI
もっと強く再生するんだみたいなね。
MAYO
やばい、体育会系の私を見せてしまった。
MISAKI
でもこれ話せなかったら分かんなかった。
私たぶん、この本読んで「ほー」って思ってさ、妄想やめようって思って、
終わってたかもしれないから。
MAYO
そしたらもっと苦しかっただろうね。
MISAKI
そうだね。妄想するのが飯の種なのに、みたいにね。
難しかったかもしれない。
よかった。
MAYO
今回はこのあたりで締めたいと思います。
番組では皆様からもお悩みやエピソード、トークテーマを募集しています。
メールアドレス、bcside2@gmail.com
です。
MISAKI
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
MAYO
それではまた次回。
22:14

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