日常のライバル意識
スピーカー 2
ライバルって敵ですか、味方ですか?
スピーカー 1
うん。あれ、ライバルの話ってさ、前にも一回したことあるよね。
スピーカー 2
あ、ほんまですか。
スピーカー 1
覚えてない。ライバルって、うん、確かした気がする。
スピーカー 2
なんかこう、ちょっとでは改めてまたライバルのお話を聞いてきたらと思います。
スピーカー 1
敵か味方かってこと?ライバルは。
スピーカー 2
そうですね、敵か味方か、もしくは予想ですけれども、自分次第だよね、みたいなことをみんな思ってると思うんですよ、おそらくですけど。
でも、どうしてもこう、うとい存在、嫌な存在に見えてしまうみたいな、味方にできないもんかね、って思ってる方に向けたお話ができればな、なんて思いました。
スピーカー 1
確かにね、わかりやすいスポーツの世界とかさ、競技の世界、もしくは会社で出世争いをしてるとか、そういうわかりやすいケースだけじゃなくて、日常のいろんなところにライバル意識ってのは潜んでいそうだよね。
そうですね。
もうなんか、たとえば4人で、男女2人ずつでご飯食べてるとかっていう、その空間の中にも、ちょっとしたライバル意識っていうのは芽生えそうじゃん。
スピーカー 2
ご飯を早く食べるとか、そういうことですか?
スピーカー 1
違うと思うよ。
スピーカー 2
どういうライバル意識か。
スピーカー 1
男女2人ずつで対面でご飯を食べているとしたら、別にカップルじゃないんですよ。全然違う、知らない。そしたら、お互いに相手から自分が気に入られる。2人ずついるわけだから。
そうですね。
っていう感じのライバル意識も持ちそうじゃない。そういう飲み会とかさ、食事とかで。
スピーカー 2
そうですね。人気が集まると、集まらなかった側に立たされたとき、すごく切ないですね。
スピーカー 1
そうそうそうそう。あと、大人数で会合をして、会食とかしているときに、誰かが1人で話題を重なって、ものすごいウケてると。なんか場を仕切ってるみたいなときに、俺もやろうと今はできるんだけどな、みたいなちょっとした、どっかで話題を。
ライバル意識。
ちょっと今日は、小さい方の話しようか。前回は確か、大きい方のスポーツとか競技とかね、そっちの話に多分寄ってたと思うんで、今日は日常の軽い方のね、ちょっとしたライバル意識みたいなのも面白いかもしれない。
スピーカー 2
はい、わかりました。
人はそんなに悪くない。
スピーカー 1
ほっこりするつながりを思い出そう。
スピーカー 2
人間関係、知恵と。
スピーカー 1
その。
スピーカー 2
それでは、今日のお話、始まります。
スピーカー 1
知恵と。
スピーカー 3
その。
勝ち負けのイリュージョン
スピーカー 2
ということで、日常の小さなライバル意識について。
スピーカー 1
その前に、ちえすさんは、この話題はどういう興味で出てきたんですか。
スピーカー 2
これどうだったかな。
ちょっとあの、当時のことはっきり覚えてないんですけど、これ思いついた時の。
今だと、そうですね。
スピーカー 3
なんかこう。
スピーカー 2
一つ思うのは、ライバルについて。
その。
ライバルを良き切磋琢磨する相手というふうに見るのではなく。
スピーカー 3
この人に負けたくないって言って、わーっとこう。
スピーカー 2
意欲というか、やる気というか、そういうのが出てくる時があったりしますけれども。
それってやっぱり全然続かへんなみたいな印象があって。
で、だからといってですと、もし私が30代のガチガチの営業をやってた頃だったら、
もうそんな見方とか言ってたらあかんよね、みたいな感じだったんですよ。
スピーカー 1
もう適当見なさないとダメだよっていう感じ。
スピーカー 2
そんな生ぬるい、ちゃんちゃらおかしいわ、みたいな、そういう通常の会社だったので、本当に。
なので、場面場面ですごい変わるような気がしました。
だからこれを思いついた時の経緯っていうのは、ちょっと覚えてないです。
でもそういう印象を持ってます。
スピーカー 1
なんかね、2つあるかな、この話はね。
まずは、つまりその若い営業の知恵さんは、勝つか負けるかしかないなって思ってたわけだよね。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
それはどういうことかというと、相手がたくさん何かを得たら、自分の取り分は少なくなるっていう感覚じゃない?
スピーカー 2
それはありましたね。限られたお客さんの中で、みたいなのがありましたね、そういうのは。
スピーカー 1
でも、限られたお客さんっていうのは、あくまで今取れてるお客さんっていうことだから、実際にはそこを広げる可能性だってゼロじゃないんじゃない?
ゼロじゃないと思います。
そうすると、どれだけ取ってもお互い両方取れるっていう道だってあるわけじゃない?
あると思います。
でもなんか僕らはそうは見ないで、もうオケの中に金魚が20匹入ってると。
スピーカー 2
ライバルが11匹取ったら、私は9匹しか取れないんだっていう、そういう感覚じゃない?
スピーカー 1
これが一番のイリュージョンなんじゃないかなって気がするんだよね。
ライバルシーの切り替え
スピーカー 1
そんな風に本当に世の中はできてるのかなって感じ。
スピーカー 2
そういうライバルシーをして、ライバルシーするのが好きな人もいるじゃないですか。
わざとそういう人を立てるみたいな、ちょっとしたノウハウみたいなのも結構たくさんありそうな気がして。
でもそれはやっぱり、例えば同じ会社にそういう人と立ててたりとか、同業者をずっとずっとそういう風に思ってたら、なんか気持ちよく働けなかったりする時あるじゃないですか。
スピーカー 1
そうだね。
スピーカー 2
なんかその切り替えがうまくいかへん人も結構おるのかなと。
すいません、ちょっと声が反響するから。
治りました。
スピーカー 1
それがたぶん二つ目で、じゃあなんで僕らは一つの席をめぐってどちらが取るかみたいな感覚を持ったのかって考えてみると、これたぶん受験勉強が最初だよね、きっと。
店員が決まってるから落ちる人と合格する人がいるっていうね。
で、ここから僕はさらにちょっと深読みしてしまうんだけど、そこでそうかと、この一つの席を、イストリゲームみたいなものをやらないと生きていけないんだってなった時に、一生懸命勉強したりするじゃない。
そうすると僕らの中にそうか、この競争心、闘争心みたいなのが努力を支えてくれるんだなって感じになるでしょ。
そうすると、いつもいつも仮想的を持っておくという一つのノウハウが身につくじゃん。
でもこれってよく考えると、そのように競わせることで僕らに頑張らせようというある種の意図がそこに働いてる感じしない?
スピーカー 2
それは大いにあると思います。昔の会社の社長なんかはわざとそうしてるって貢献してました。
スピーカー 1
そうだよね。でも僕はこれがすごく前時代な感じが今してるのよ。
一つは高い目標を立てるとみんながそれを目指すんでいい結果が出るとかね。
それから競わせて切磋琢磨させるんだみたいなやり方はずいぶんともう古いんじゃないかなって気がするんよ。
そうじゃなくてもっとピュアにいいもの作りたいとかね。
そのお客さんのために何を提供すればいいんだとかね。
あるいは自分の仕事の仕事人としての人生においてどのように働くのが充実した感じなんだとかっていうところに持っていく方が
実際には僕らはいい仕事をするんじゃないかなっていうね。
ライバルに囚われない考え方
スピーカー 1
そんな感じがちょっと今しているんですけどもね。
スピーカー 2
一人分じゃ満足できないっていうのもすごい根底にあるのかなって思いました。
手近にある、例えばお客さんっていうのが一番わかりやすいですけど
私なんかだと恋愛教材を打ってた時、同ジャンルの人と集まる会合とかすごいあったんですけど。
直々あったんですけど。
そこで買うお客さんも自分のところで買ってほしいみたいな。
かっこいいコミみたいな。
なんていうんですかね。
すごい狭い業界でしたけど。
スピーカー 3
そういう感じも、そういう気持ちがすごく強かったりしたので、余計に敵、敵、敵みたいな感じになったのかなっていうふうに思ったりもしました。
そうね。
スピーカー 1
でもまあそれでずっと勝ち続けてればいいんだけどね。
でもそんなことはあり得ないからね。
やっぱりその感じに合わない人は勝てない、勝てない、勝てないっていう中で潰れていったりもするじゃない。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
だからあんまりどちらが正しいかみたいな議論はあまり意味がなくてさ。
スピーカー 2
もちろんです。
スピーカー 1
僕はもうなんかしんないけどちょっと古い感じがするのよ。
なぜ古い感じがするかっていうと、いやもうそれそろそろみんな気づいてるんじゃないかなみたいなね。
僕らを動かす一つのノウハウでしょみたいな。
それをわかった上ででも競争するっていうこれになんか慣れない感じがしない?
どうですか知恵さん。
スピーカー 2
私はどうですかね今そのなんでしょう身近にじゃあこの人に負けたくないとかこの人すげえみたいななんて言うんですよね。
すごい身近で女例えばどこにも属してないのでそういう人がいないんですよ。
すごい身近に自分と比べる対象がいないんですよ。
なのでそのあんまりこうライバルっていう言葉が私自身はあんまりこう身近にないみたいなところがあるので正直こう
敵か味方かってこういうテーマで話すときにです。
どっちでもいいみたいな感じになりそうになるんですけど実際じゃあ自分がですどこかにポンと入りましたと。
確実に比較されてますと例えば上司から周りから無意識のうちに比較されてますっていうところに立った時やっぱりこう負けたくないとか
多分出てくるんだろうなっていうのはやっぱり勝手に思ったりするんですね。
そうなった時にそんな気持ちは持ちたくないなぁなんて思います。
その人のやってることは気にせずに自分のやるべきことを淡々と進めていけたらいいなぁなんて思ったりします。
スピーカー 1
そうなんですよ。それが僕が言いたかったことで勝ち負けたぞって言われたからといっても
別に相手を任す必要はなくて自分の最善を尽くせばいいわけじゃない。
敵対心を持たなくともよっしゃもうちょっと打ってやろうみたいなことは思えるはずなのよ。
周りにいろんな人がいたらみんなで稼ぎゃいいじゃない。
負けず嫌いの罠
スピーカー 1
別に手をつないでゴールしようとかいう意味じゃなくてそんなことすら気にせずに自分が何をするかっていうところに特化すればいいだけでね。
そんなハラハラドキドキしながら勝ってんのか負けてんのかとかって考えてるのが無駄だなっていうそんな感じがする。
スピーカー 2
ひねくれシスターズがちょっと出てきたんですけど。
スピーカー 1
ひねくれシスターズ久しぶりに登場。
スピーカー 2
久しぶりに登場です。ひねくれシスターズ。
とは言ってもっていう。
例えばです。その人と同じ舞台に立たされるたびに劣等感を感じるとか。
そういう被害妄想的なところに入ってしまったときなかなか出れないんじゃないんですかって思ったりもするんですね。
スピーカー 1
それが本当の舞台だったらそれはあり得るかもしれない。
例えばプリマドンナどちらが演じるんだって言ってね。
スピーカー 2
すごいですね。本当の一つの枠だから。
スピーカー 1
本当の舞台。
スピーカー 2
そうそう。
スピーカー 1
同じ劇団員でどの公演もどの公演もその人にプリマドンナを取られオーディションを受けるたびに私は女優になってしまうみたいな。
そういう状況であればそういう感覚を持つのはわからなくはない。
でも例えば今の営業とか仕事の場合、まずその舞台というのはどこにもないんですよ。
スピーカー 2
そうですね。自分の中の舞台。
スピーカー 1
そう。その舞台は自分が作ってるんですよ。
さっき言った本当の舞台にしたってね。もっとしっかりと何が起こっているかを見ればね。
そもそも自分が主役というものに価値を置きすぎてるんだなっていうことがわかるよね。
じゃあ劇団ってなんだよ。20人30人で演じる。
なぜその主役にそこまで価値があると思わなきゃいけないんだっていうところに気がつけば
どんな役であろうとその人が果たす役割というのはあるわけで。
そして多くの例えば映画なり舞台なり、必ずしも主役が一番脚光を浴びるとは限らないんですよ。
あのなんとか役すごいよねっていうことだってありえるわけ。
だからやっぱり自分が決めてしまった何かだよね。
主役なり競技なり舞台。舞台なんかないからどこにも。
スピーカー 2
仕事はでも特にそうですよね。
スピーカー 1
ないよ舞台なんか。
そしてその相手はもしかしたら全然そんなことを思ってない可能性もある。
私あの全然なんかチェイさんすごいなと思ってずっと思ってましたよって言ってるかもしれない。
競うことの本来の意味
スピーカー 1
その劣等感を感じてる相手がね。
僕にできないことやってるなーってずっと思ってましたよみたいなことだってありえるでしょ。
作り出さない方がいいよね。そういう変なシチュエーションというかシナリオみたいなものをね。
VS思考って本当にその日常生活には本来はない思考だなって思いました。
スピーカー 2
それはなんかキャッチーだからとか物語にすると面白いから。
自然に出来上がる時あるじゃないですかVSの対立って。
それが人から、第三者から見ると面白い物語になったりするから。
自然ではなく人工的に作ってしまうとようわからんくなるのかなって思いました。
スピーカー 1
そうですね。
多分そういうことなんだと思いますね。
結構わりと今ね有名な将棋だとか野球だとか一流どころの人たちというのは、
逆にそういう土俵に立ってない感じがするね。
もっと自分で極めたい野球堂なり将棋堂なりここまで行きたいなっていうその境地みたいなのを持っていてね。
それは自分にとっての境地であって。
こいつに勝ったとか負けたとかっていう話とは全然関係ない。
仮に勝ったとしてもこの勝ち方は全然納得できないみたいなところでやっている感じがする。
だから多分本当に強いんだよね。
スピーカー 2
誰も真似できないってやつですね。
スピーカー 1
そして勝った相手を見下したりとか負けた相手を見下したりとか勝った自分を妙に特別な存在だと思ったりしていない。
そういう意味でやっぱり僕はずっと昭和の時代からスポーツとかそういう競技とかを見てきていて、
今すごく変わってる感じがするよ。そこの中のね。
特に野球もそうだしXゲームと言われているスケボーとか新しい自転車の競技とかあるじゃない。
ああいう人たち日々世界選手権で競い合っている仲間が10人ぐらいバーと並んだりするんだけど、
その人たちの雰囲気がもうなんか本当に街で遊んでるような感じなのよ。
イエーイすごいの決めたねーみたいなワーッとかってハグしたりとかしてね。
そういうのを見てるともうやめた方がいいんじゃないかって思う。そういう昭和のスポコンのようなね。
スピーカー 2
私の肌感覚ですけど、本当にそんなに広い世界に生きていないのであれですけど、いろんなジャンルの人たちって言うんですか。
肌感覚としてです。クラゾンさんがさっきおっしゃった、人を意識しないっていうんですか、他人の目を意識しないっていう世界に生きている感じの人たちと、
それよりもこっちの方が楽しいみたいな、本当に競うのが好きやねみたいな人たちが同じぐらいいるような気がします。
スピーカー 1
そうですね。きっとね。
別に競うのが好きというのは全く悪くなくて、それは僕も好きですよ。やっぱ勝負事とか好きだしね。
それはゲームなんでね。そこを忘れちゃいけないってことですよ。
スピーカー 2
ゲームの話最近よく出ますね。
スピーカー 1
そうですね。だからそういう一瞬一時期その中でワクワクさせてもらえるゲームなわけでね。
でも最初のライバルの話って、もう負けたら人生終わりみたいな感じになっちゃうじゃん。
ライバルの捉え方
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
自分の存在自体がもうダメだっていうね。そこの大きな違いなんじゃないかなって気がする。
スピーカー 2
さて、今回の会は皆さんいかがだったでしょうか。
ライバルについていろいろと話してきましたけれども、
ライバルっていう言葉の捉え方、そもそもというか、
VS志向ではなく敵対志をするっていうような捉え方ではなく、
ライバルの言葉の意味がどんどんきっと変わっていくんだろうなって思ったりしました。
スピーカー 1
そうですね。僕はグッドバイブスごきげんな仕事というね、僕の書いた緑の本で、
要は人の可能性ってこんなすごいんだっていうのを見せてもらえる人なんだっていうふうに捉えるのがいいと思っていて、
自分ができないと思ってたことをふわっとやってくれると、できるんだっていうふうに思えるじゃん。
その先駆者というかね、なんか僕らが怖くて飛び込めなかった世界を先に行って、
ほら、できるできるやってみみたいなことを見せてくれてる。
子供の頃ってそうやっていろんなことを覚えてきたじゃん。
そうですね。
自転車乗り方とかさ、なんかちょっと危ない遊具の遊び方とかさ、
鉄棒とかもそうだし怖いなと思ってたことをね、
同じ学年の子がさらっとやって、できるんだとかっていうね、
そんなように見るのがね、僕は一番いいんじゃないかと思います。
ポッドキャストへの相談募集
スピーカー 2
このポッドキャストでは、あなたからのご相談、お便り、こんなテーマ話してほしいなどなどです。
人間関係だったり、恋愛だったり、いろんなテーマでお話ししていますので、いろいろと募集しております。
お便りはですね、概要欄のお便りというリンクから打ってください。
はい、では今夜もほっこりした夜を過ごしください。さようなら。
さようなら。