スピーカー 2
剣術の用語は大抵和語である。例えば、かまえ、あしさばき、すぶり、はらいわざ、かつぎわざ、かえしわざ、すりあげわざ、しない、つき、なんて調子だ。
もちろん中には、めんとかどうとか漢語もあるけれど、これは至って少ない。ところが、野球用語は圧倒的に漢語、字音語が多い。
なんや、がいや、とうしゅ、だしゃ、さんしん、しきゅう、あんだ、とうるい、そうるいぼうがい、ぼうとうという調子で、まいきょうにいとまがない。
和語の野球用語は、せいぜい、すべりこみ、からぶり、おしだし、さよならがちくらいのものではないか。
という非常に面白い指摘を、日本の漢字、これは中央討論社館の中で、中田岩尾さんがしている、これは今まで知らなかったこと、気づかなかったことがたくさん書いてあるなかなかの名著なのですが、
この剣術用語と野球用語の比較のところは、とりわけ興味津々で、私はすっかり感心したものだった。
言うまでもなく中田さんは、この対比によって漢語の多用は、実は明治期以降の現象で、明治維新以前は和語で用を済ませていたことを、実にわかりやすく示してくれたのである。
こういうふうに上手に例を引くのは、いわば学者の芸ですね。
水着は立つ、鮮やかさである。しかし私は感心のあまり、これ以外に和語の野球用語はないかしらと探してみた。すると当然のことながら、まだいくつかありますね。
たちまちのうちに、打ち込み、横手投げ、下手投げ、決め玉、振り逃げ、隠し玉などと心に浮かんだ。
このうち前の4つはともかく、振り逃げと隠し玉は、なかなか意味深調です。
どちらもあまりパッとしない、見てくれの良くないものだから、漢語で言うとぴったりしないのである。
漢語に言い換えようとしても、どうもうまくいかない。三心失慮や隠急では漢字が出ない。
あの狡猾な愛嬌のある趣が出ない。
そういえば中田さんの挙げた中の空振りや押し出しにしても、空心や応出ではなんとなく変でしょう。
そのなんとなくそぐわない漢字を分析すれば、マイナスイメージのものには和語が合う。
その手のものに対しては次音語による造語は無理というふうになるのではないか、という本なんですよ。
今日持ってきたのは。
漢語というのは漢字ね、大陸から入ってきた漢字を交えた、だから内野外野とかね。
和語というのはもともと大和言葉と言われている日本語、古来の日本語。
これが構え、足さばき。
野球の用語は漢語が多くてね。
でもなんかかっこ悪い振り逃げとか隠し玉みたいなちょっと陰失なやつは、なんか未だに和語が使われている。
ここには漢語が合わないんですっていう考察をしているんですね。
これが前半なんですが、ここからちょっと後半もね、面白くなるので後で読みますね。
これはですね、大和言葉美しい日本語を極めるというね、最近買った河井出書房新社というところの文庫本なんですが、
これはもう絶版になっていてね、ちょっと内容的に難しい感じはあるんですよ。
なるべく今日は簡単なやつを持ってきたんだけど、ただ僕がね、
執筆教室の書き上げ塾で皆さんにお伝えしていることが、
実はこの漢語よりも大和言葉を大事にしようということだったということに最近気づきましてね。
自分ではそんな意識は全くなかったんですが、それでちょっとこういう本を最近読み始めているということで持ってきました。
ありがとうございます。
スピーカー 3
人はそんなに割れてない。
スピーカー 2
ほっこりするつながりを思い出そう。
スピーカー 3
人間関係、知恵と、その、と、成功。
それでは今日のお話、始まります。
知恵と、その。
だってこれアニメみたいな声があるんだもん。
スピーカー 1
アニメみたいな声が聞こえましたけど。
スピーカー 2
アニメみたいな声ね。
可愛らしい声だ。
どんだけ猫被った声で。
アニメみたいな可愛らしい声が。
スピーカー 3
忘れないでください。
スピーカー 1
クラソンさんが怒られた。
スピーカー 3
面白い二人のやり方。
ということで最初はクラソンさんの朗読から始まりました。
スピーカー 1
次はどなた行きましょうか。
スピーカー 3
どちらか。
スピーカー 2
私行きましょうか、じゃあ。
スピーカー 3
はいはい、どうぞどうぞ。
私はちょっと今日先に題名を見せる。
いつもと違うパターンで。
木の威力という、東平光一さんという、
合気道の中の、いろいろある合気道の中の、
スピーカー 2
心身統一合気道というのを創立された方。
合気道の実用書みたいなやつですね。
スピーカー 3
はい、行きます。
合気道の木とは何か。
木というのは、気候の木ではなく、木の中が米になってるやつです。
はい、木とは何か。
私は合気道の重大意を持っている。
合気道では私のような小さな人間でも、
力を入れずにスモートリのような大男を投げ飛ばすことができる。
スピーカー 1
これは相手の心を導いて、抵抗する気を起こさせないからである。
スピーカー 3
心が体を動かしているのだから、
相手の心を動かせばいかなる大男でも、
心を導かれた方に体がついていくのである。
スピーカー 3
木を応用して痛くない注射をする。
子供に限らず大人も嫌がるのが歯医者である。
歯が痛いけど我慢します。
歯医者へ行くともっと痛い治療をされるので、
などという人がたくさんいる。
歯の治療は痛いという先入観があるのだ。
痛くさせてやろうという歯医者さんはいないと思うが、
こう思われているのも事実である。
しかし、心の使い方によってはこのイメージも変えることができる。
九州小倉に松本司さんという歯医者さんがいる。
この方は長年合気道の稽古をしていたが、
たまたま私が九州で行った講演を聞いて、
すっかり木に夢中になり、合気道を修行し直し、
自宅の裏に道場まで作ってしまった。
そして道場に九神館という名前を付け、
仕事の合間に人々に木の指導をするようになった。
この歯医者さんは治療中、私が先の坂本氏を教えたように、
患者さんの心の中で成果の一点を唱えさせる。
すると不思議に痛くないし、歯を抜いた後もあまり痛まず、
回復が非常に早いと患者さんの評判がいいそうである。
中を飛ばしますね。
今回読んでいるところに出てこない言葉が出てきた。
何を読みたかったかというと、
私が講習会を開いた時に、あるお医者さんから質問を受けた。
私は患者さんから注射が痛いと言われて、評判が悪いのですが、
どこがいけないのでしょうか。
そこで私は逆に聞いた。
あなたはどういうふうに注射しますか。
患者さんが注射をする場所を見ていると、
余計に痛く感じるといけないので、
よそを向かせてから注射をします。
よくそうやって注射をしている医者がたくさんいるし、
私たちもその方がいいと思っている。
だが本当にそうだろうか。
あなたの注射の仕方は一見理屈にあっているようですが、
実際にはあっていません。
人間は誰しも見るなと言われると、
余計に見たくなるものです。
顔だけよそを向かせても、
心が腕に残っているので、
注射も余計に痛く感じてしまいます。
これからは次のようにやってごらんなさい。
まず、注射をする箇所をじっと見させる。
次に、1、2、3と数え、
3の声と同時にそっぽを向かせる。
それから注射するのです。
この方法だと、
全神経がそっぽを向いた方に行ってしまいますから、
注射が少しも痛くありません。
以来、そのお医者さんの注射は痛くないということで有名になった。
以上です。
スピーカー 2
面白いね。
スピーカー 3
すごい面白い。
合気道を道場まで行かずとも、
気軽に試したい方向けの実践だったり、
イラストなんかを交えて書かれている本なんですけど、
木という目に見えないものを扱っている方の話がすごく面白くて、
それでちょっとご紹介します。
意識が全神経がそっぽを向いたら体の痛みが感じなくなる。
まさにその心で思っていることが違う方に集中していると、
時と場合にもよるんでしょうけど、
でも注射の痛みが感じなくなるのはすごい面白いなと思います。
スピーカー 2
そうですね。
私も2人の先生に習っていたことがあります。
合気道はね。
1人は当時住んでいた久本仏という大井町線かな?の駅沿いにあった道場。
もう1つは本郷山頂目あたりでね、よくやられてた。
その時もやっぱりいろんな流派があるんですけどもね、
僕がその教えてもらったやり方の1つに、
愛で倒すっていうのがありましたね。
さっきの相手の心を、コントロールとはその人は言ってなかったんだけど、
抵抗できないようにするっていう意味で、
投げようとすると投げられないとするじゃないですか。
そこにこの愛を送るとですね、投げてって感じになる。
でもその人は、実は名前はちょっとあえて出さないんですけども、
とても有名な方でね、
文化祭に、それこそ空手の遊弾者とか、総合格闘技の人とかね、
そういう結構ごっつい人たちがいっぱいいて、
そういう人たちが僕らの相手をしてくれてね。
だから身長190くらいの、めっちゃ120キロくらいの人を
僕が倒すみたいな練習をさせられるんだけど、
本当にバーンって倒れるんですよね。
だから今の話はとても面白かったですね。
スピーカー 1
明日歯医者行くんだよね。
痛い無理だけど、歯医者死んじゃう話にしたもんね。
スピーカー 2
僕はね、歯医者本当に苦手で、歯医者恐怖症ぐらいだったんですよ。
もう子供の頃に本当に痛い目にあってね。
時代が違うから、昭和40年代なんでね。
もう今は随分と良くなったんで、もう克服しましたね。
前回行ったあたりで、その怖さは本当に取れた。
これは自分のやってるグッドバイブスのおかげなんですけどもね。
余計な幻想を抱かずにね、
いろんな自分が本に書いたり喋ったりしてることを駆使すると、
怖くなく歯医者に行けるんだけど、
明日も行きたくないなーって気持ちは消えないね。
スピーカー 3
歯医者本当に臭いですよね、私も今言ってますけど。
スピーカー 2
僕はほら、煙草吸ってるんでね。
喫煙者なんで、それをね、すごく酷く怒られる時があるんですよ。
煙草吸ってるからこんなボロボロになるんだよ、歯が。
それはすごい嫌みたいですね、僕の中ではね。
スピーカー 3
私も行ったら何個か注意されることがあるんで、いつも。
それが嫌なんだよね。
スピーカー 2
言わないでって言ってる。
何か知らんけど、歯医者さんに謝ったら、
スピーカー 3
いや、僕に謝られても、とか言われても、もっともみたいな。
すいませんって言っちゃうんだよね。
スピーカー 3
今日はですね、津杖康隆さんの幻想の未来っていう短編集の中から、
スピーカー 1
たぶん津杖作品の中で私一番好きな短編があるので、
そんな長くないんで、これはちょっと全部読みたいと思います。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
時の女神。
彼は子供のころ、一度彼女に会ったことがある。
数人の友達と一緒に、学校から戻ろうとしている彼を、
道端に立ち、にこやかに眺めていた彼女の記憶があるのだ。
彼女は若く、髪が長く、
そして白いスーツを着ていた 子供心に彼女美しいなぁと思ったそして彼は
その時彼女が自分だけを見つめているのだと信じた 彼女の美しさがただごとでなかった証拠に
彼女の微笑みはその後も彼の心に長く残った 彼女は誰だったのか
なぜ自分を眺めていたのか その記憶と疑問は彼が思春期になるまで続いた
思春期 彼には恋人ができた
学校の帰り彼はいつも彼女とあった 相手の女性はさして美しくない女子高学生だった
なが彼は熱病のように彼女を愛し続けていた こんなある日いつものように彼は恋人との待ち合わせ場所へ行こうと急ぎ足で
スピーカー 2
肛門を出た その時彼の目には眩しいほどの鮮やかでスーツの白が飛び込んできた
スピーカー 1
再び彼は彼女にあった 彼女は以前と同じ若さで長い髪を肩に垂らし彼に微笑みかけていた
瞬間彼は恋人のことを忘れた 彼女のあまりの美しさに他の何事も忘れた
思春期の彼は子供の頃にあった時よりもさらに彼女の美しさに打たれた
彼女とすれ違ってからも彼の胸の高鳴りは止まなかった もう恋人に会いに行く気はしなくなっている
彼はそのまま家に帰り考え込んだ 子供の頃に見た彼女と今日あった彼女が同一人物であるはずがない
妹だろうか それとも娘だろうか
なぜ彼女は僕に微笑みかけたのだろう 彼女は僕を知っているのか
彼はそれきり恋人を忘れた さらに10年近く経った
スピーカー 2
彼は平凡なサラリーマン そしてまだ独身だった
スピーカー 1
白いスーツの女性のことが頭から消えない限り彼は誰とも結婚しないつもりだった そして彼女の記憶がいつか自分の心から消えるだろうとは彼には思えなかった
もう一度彼女に会いたい 彼はずっとそう思い続けていた
そしてある日見た日彼は彼女に会った 退社時間夕立雲を見て慌てて駅へ駆けつける途中
とうとう土砂降りになった 彼は片腹のビルの軒下へ飛び込んだ
そこには船客がいた それが彼女だった
白いスーツ長い髪そして相変わらずの若さだった 彼女は目を丸くした彼ににっこりと微笑みかけた
彼はおぞおぞと彼女に話しかけた
彼女は答えた 美しい声だった
そして そして
彼は彼女と結婚した 小さな家を持った
そうなってしまえば彼にはそうなったことが当然としか思えなかった 彼女と幸福な家庭を持つことには意外なほど何の障害もなかったのである
10年前にあった彼女 子供の頃にあった彼女
それが今の彼女と同一人物とは思えなかったが彼はある晩彼女に話した 僕は今まで2度君に会っている
一度は子供の頃 学校の前で
もう一度は10年前やはり学校の前で その時も君は白いスーツを着ていて肩に長い髪を垂らしていた
今と同じように若々しく微笑んで それはどちらも私よ
と妻は彼に答えた 二度ともかい
と彼は驚いて妻に尋ねた じゃあ君は年を取らないのか
もちろん年は取るわ 彼女は微笑した
ではあの時の君は そう今の私よ
私は時を自由自在に行ったり来たりできるの 過去へも未来へもよ
君は時の女神かい 妻は笑って答えなかった
君はそれじゃあ子供の頃から僕をずっと見守っていたわけかい そうよ
なぜそんなことを あなたと結婚するつもりだったから
過去だけでなく未来へも行ったことがあるのかい ええ
スピーカー 2
一度だけあるわ あなたの将来を見るために
スピーカー 1
僕の未来はどんな それは言っちゃいけないことになっているの
さらに数年 妻は女の子を産んだ
可愛い女の子だった 女の子を産んでも妻の美しさは変わらなかった
スピーカー 1
女の子が5歳になった時も妻は相変わらず若く美しかった だがその年
妻は重い病気になった 医者からも見放された
死なないでくれお願いだ 彼は泣きながら病床の妻にそう叫んだ
娘を頼むわ 妻はそう言った
その時彼はふと思いついて彼女に叫んだ そうだ君は僕の将来を見るため一度だけ未来に行ったことがあるって言ったな
それはいつだいつなんだ だが
妻は答えなかった 彼女はすでに生き耐えていた
スピーカー 3
さらに10年近い歳月が流れた 若かった彼の黒かった髪にもいつか白いものが混じり始めていた
スピーカー 1
だが彼はずっと満員の電車に揺られて毎日会社へ通った 今では娘が日1日と成長していくのを見るのが彼のただ一つの楽しみだった
ある朝駅の人混みの中に彼は妻の姿を見かけた 若く美しくそして白いスーツを着た髪の長い妻の姿を
慌てて会おうとする彼に妻遠くから遠くから振り返って微笑みかけ 首をかしげた
お幸せ 妻がそう尋ねたように思えた
彼は立ち止まり強くうなずいた 次の瞬間妻の姿は人混みに消えていた
その夜娘と2人きりの食事の時娘が彼に言った いやーねお父様どうしてそんなに私の顔をじろじろ見るの
妻そっくりに成長した娘の姿を眺め彼はため息をついた そろそろお前も年頃だなぁ
私の結婚する人はもう決まってるわ 娘はそう言った
今日もその人と会ってきたのよその人の子供時代まで時間を遡って その子が学校から帰るところを
以上です
スピーカー 2
大作やったね
スピーカー 3
長かった?
スピーカー 1
そうかでもこれ途中で切れないなと思って 切れないよね
スピーカー 2
あと全編読んでいいのかっていうのがあるよね まあいいと思うけど
スピーカー 1
これはちょっと途中で切ってこれを探さずに終わる人がいたら残念だなと
本当に好きでなんでこれを好きかというと最初にタモリさんの世にも奇妙な物語でこれがドラマ化されたんですよ
それでタモリのあの番組の中でも一番この話が好きで25年くらい前多分
どのあたりが好きなんですかこの話の
それを聞く?
スピーカー 2
いやいやいや聞きたい聞きたいどういう別に詳しく説明しなくてもいいんだけど
スピーカー 1
だから未来に一度だけ行ったっていうところですね
スピーカー 2
なるほどね
スピーカー 1
それでちょっと原作を読みたいと思ってこの本を買って読んだらやっぱり文字で読む方がいいんですよね
スピーカー 3
そうなんですね
スピーカー 1
つついさんのね文字の使い方とあと認証が変わるところ彼はっていうところと僕はになるところとか
あと子供心にのね心を小平柄で書いてあったりするんですよ
そういうのとかがねとってもよかったんで全部読んでしまいました
スピーカー 2
いいんじゃないですか
スピーカー 3
私はもうセイコさんのセリフが一個だけすごいオーってなったところがある
スピーカー 2
それが一番わかる
スピーカー 3
はいでは最後倉澤さんお願いします
スピーカー 2
はいじゃあ大和言葉続きね
つまり我々は明治期以降プラスイメージのものには漢語を使い
マイナスイメージには和語を用いがちな
そういう言語風土に生きているのである
漢語はそれぐらい立派で和語はそれぐらい格が低いと
みんなが心の底で感じながら日本語を操っているわけだ
もちろん例えばさよならがちや打ち込みはマイナスの方では決してありませんが
ここでは話の都合上例外の方には目をつぶることにしましょう
こういう問題を論ずるときさじにはこだわっていられない
さらにその後西洋語が生で入ってきて一番格の高いのがカタカナの西洋語
例えばスライディングスタジアムその下が漢語
例えば前者はちょっとわからない校舎は球場一番下が和語
例えば前者は滑り込み校舎は不明という具合になり
スライディングスタジアムというなんとなく洒落ているし
ものそれ自体も立派そうな感じになりました
だから隠し玉だってカタカナでヒドンボールプレーといえば
ずっと小粋になるに違いない
ちなみに和泳辞典を引いてみるとこの隠し玉は出ていますが
振り逃げに当たる英語は出てませんね
まさか本場の野球であれがないはずはないんだが
知ったかぶりができなくて残念
この3種類の言葉による3段階の格式は
現代日本語の大問題である
いつぞや国語学の大野真さんがカタカナでアイディアといえば
いかにも内容のあることをきちんと考えたようだし
漢語で着想といえばそれに次ぐくらいの貫禄なのに
和語で思いつきというとひどくつまらないつまらぬことを
軽薄に思っただけのように聞こえると指摘していたが
まさしくその通り我々は大抵対象を軽蔑するときに
和語を使う傾向があるようだ
しかし話をそこまで広げると厄介なことになりますから
ここでは3段階の問題には立ち入らず
もっぱら漢語と和語について論じましょう
と言ってまたいろいろ続くんですけどもね