【再】#837. 18世紀の英語の文法変化 --- 秋元実治先生との対談
2026-11-04 32:28

【再】#837. 18世紀の英語の文法変化 --- 秋元実治先生との対談

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サマリー

秋元実治先生との対談で、18世紀の英語を後期近代英語の重要な転換期として位置づけます。ARCHERコーパスを用い、句動詞、仮定法、動詞の補文形式を中心に、語法が一挙ではなく徐々に変化した様子を確認します。否定のdoや「methinks」も取り上げ、頻度の高い動詞や意味の違いが古い形の残存と揺れに関係すると説明します。後半では、18世紀の規範文法・辞書・標準化が自然な言語変化とどう関わるかを、社会的圧力や「見えざる手」の考え方と結びつけて考えます。

18世紀英語の位置づけと資料
英語の語源が身につくラジオ heldio 英語史をお茶の間におもっとに英語の歴史の面白さを伝え、裾野を広げるべく毎朝6時に配信しています。本日は9月15日金曜日です。いかがお過ごしでしょうか?
本日は対談会です。18世紀の英語の文法変化 秋元実治先生との対談です。
秋元先生とは対談させていただくのは3度目ということになります。
1回目は769回近代英語における文法的・公文的変化 秋元実治先生との対談。そして2回目は774回イギリス哲学者の英語 秋元先生との対談ということで、秋元先生の編著書をそれぞれご紹介するという会でした。
とりわけ、第1回で扱いました近代英語における文法的・公文的変化、こちら開拓者より6月に発売されたばかりなんですけれども、こちらにつきましては、
執筆された先生方にお一人お一人ですね、対談に参加していただきまして、このheldioでもお届けしてきました。
今回の対談もその流れでですね、道長、近代英語における文法的・公文的変化、こちらの18世紀における状況についてはまだカバーしておりませんでしたので、秋元先生にお話聞かせていただくということで、今日の対談
会を設けました。
関連する配信であるとか、その他のリソースにつきましては、各チャプターにリンクを貼っております。そちらを覗いてみていただければと思います。
それでは秋元先生に18世紀の英文法について伺いましょう。
みなさんこんにちは。今日は秋元美之先生との対談ということで、数週間ぶりということになりますが、秋元先生にお越しいただきまして、お話をいろいろと伺いたいと思います。
話題としましては、近代英語における文法的・公文的変化、開拓者より6月に出たものなんですけれども、これにつきましては何回かのシリーズということでですね、著者の先生方にこちらにおいでいただきまして、各章ご
とに、筆筆された章ごとに、ということは世紀ごとにということなんですが、お話を伺いました。
一連のシリーズは終わったといえば終わったんですが、実は一つですね、カバーしておきたいという世紀章がありまして、第4章、18世紀の文法的・公文的変化と題する、18世紀の非常に英語史上、近代英語史上も
重要な世紀なんですけれども、こちらを書きになった山本志穂子さんですね。
通行なんですが、ご請求されたと、ご出版前にですね、という事情がございまして、今日はですね、編集全体を統括されました秋元先生に、この18世紀についてお話をですね、伺いたいと思います。
秋元先生、今日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
この第4章、18世紀という世紀なんですけれども、近代英語の中では、全体としてどういう位置づけなんでしょうか、世紀としては。
これはですね、歴史的には、後期、近代英語というか、そういう風によく言われまして、ちょうど中間的なんですね、つまり近代、あるいは現代英語に至るまでの前段階というか、そういうとこで、イギリスがある意味
では最も栄えたというか、あるいは元気な時の時代というか、世紀なんですね。
ですから、15世紀から始まっているわけですけれども、それから15、16、17ときって、だんだんイギリスがですね、力を得て、だんだんですね、英語というものがですね、だんだん広められていくようなですね、
そういう流れの中で、18世紀から特にですね、英語が非常に広く国際的なですね、言語認知されていたあるようなですね、方向に行くという、そういうあれですね、プロセスの前段階というか、そういう位置づけだ
と思います。
そうですね、いわゆるイギリス帝国、大英帝国の絶頂期に向かっている時代というか、もう迎えてるんですかね、終わりの方には。
はい、という時代だったかと思いますが、文人としましては、18世紀のこの章の頭に書かれておりますが、ドライデン、ポープというような詩人であるとか、あるいはジョナサン・スイフトなどもですね、前半に出て
きます。
それから半ばには、当時の大文豪、サミュアル・ジョンソン、ドクター・ジョンソンというような人物が現れて、そしてスペクテイターのような、いわゆる定期観光物ですね、これが出版されたというような世紀です。
山本さんは特にですね、アディソンとスペクテイターですね、これに関心があるんですね、別の論文ではスペクテイターのですね、いわゆる挿入詞というか、あるいはいわゆるコメントクローズのようなものをですね、や
っぱり書いてましてですね、この辺がかなり山本さんの関心地であったんですね。
今回はデータとしては特に使っているというわけではないんですけども。
句動詞の増加と変化詞の交替
今回このセクションで使っているコーパスということで言うと、アーチャーというものですかね。
後期近代英語を代表する電子コーパスということで、期間は1600年から実質1999年までということなんですが、すっぽりこの後期近代英語とその前後を含み込むと、そんなコーパスかと思いますけれども。
今回この本のですね、定点観測的に3つぐらいの観点については、どの著者も扱うということでですね、この章でも一つには句動詞の話題、それから仮定法の話題ですね、それから動詞の法文の変化という、この3つにつ
いては本章でも扱われています。
あとプラスアルファということで、いくつか興味深いステージルーの問題ですね。
まず、ざっと句動詞から見てみたいと思うんですけれども。
この時代、定点観測で句動詞ということなんですけれども、その前の時代からそして次の時代に流れていく、この全体通じ軸の中で18世紀というのは、句動詞の観点から見るとどのような世紀として見ておくのがよろ
しいんでしょうか。
そうですね、一般的な傾向としては、やはり前世紀から少しずつ増えていくという、そういうところだろうと思うんですね。
そして頻度的にも動詞だけじゃなくてその後に付く変化詞ですね、特にアップとかその種のものが増えてきているというのが一般的ではあるんですね。
ただもっともこれは動詞との結合によって関心がアップが一番多いということにはならないんですけれども、全体的に見るとそういう傾向だろうと思うんですね。
ここではそういうわけで、bring, get, put, take, turnという大体みんな共通して、バラバラになっちゃうと正確に比較できないので、この動詞についての句動詞ですね、それは山本さんが
アーチアコーバスを用いて量的な数値を示した、あと例文も示していたということですね。
これは他の正規の担当された先生方にお伺いした時にも思ったんですが、正規によって人気のある変化詞ですか、今回の場合はアップで全体としておそらく近代語彙は増えてきているんだと思うんですけれども、もう
少し遅くなると、例えばforthであるとか、流行りしたりって言うんですかね。
こんな地味な不変化詞というものにも流行りっていうのがあったりするのかなというのは非常に面白いところだと思うんですけれどもね。
そうですね。forthなんですけれども、これはこの時代だと多分ほとんど出てないと思うんですね。
ほぼ、そうですね。
forthはその前の時代で多分outか何かに取って変わられちゃうんですね。
そしてだんだん使われなくなっていくという、そういう運命なんですね。
ですから多分、前の十何世紀あたりまではまだある程度あると思うんですけれども、18世紀になるとほとんどないんじゃないですか。
ですからこれ見てもforthはほとんどゼロですよね。
そうですね。
例えばputはゼロ。その次のtakeなんかもゼロですよね。
ですからこの頃になっちゃうとforthはほとんど減らなくなっていった。
そうか、この前の時代にむしろforthは強かったのが、もう衰退してしまっているということですね、今。
ですから15世紀あたりから少々forthは増えていって、それが17世紀あたりまでで、その後だんだん衰退して、18世紀ではあまり使われていないという、そういう不変化心もあるということですね。
upについてはこのデータからも明らかに増えているといいますか、数が他に比べて多いですし、
現代の直感としてもupはやはりよく出るというイメージですよね。
そうですね。
コーパスで出せばはっきりすると思うんですが。
はい、思います。
はい、ありがとうございます。
仮定法の衰退と残存する環境
次に18世紀の過程方法なんですけれども、この時期になりますともうだいぶ現代に近づいているということで、ある程度衰退してきているのかなとは疑われるんですが、
実際のところはいかがなんでしょうか。
そうですね、普通の語尾がだんだんなくなって、いわゆるこの無限的というか、いわゆる種というかですね、その種のもので、いわゆる助動詞の発達というか、そういうことになります。
それがまあ、過程法の役割を担うというふうになっていくんですね。
それともう一つは、それと同時にある公文というんですかね、いわゆる過程法の環境というか、そういうようなこともあって、そこでいまだに過程法がある程度使われるという、
そういう、いわゆる多少こう、イデオマティックに固まったというか、そういう場合ですね。
例えばそこにある、in case とかですね、on condition that とかですね、こういう場合その、that がない場合もあるんですけど、その後が、subjunctive という言い方
は、この場合まだ残っているんですね。
ですから、そういうある程度こう、何ですかね、イデオム的な文脈では、過程法はまあ残っているという、そういう例が、ここに表録とか、あるいは、on condition に関しては、何があったかなんか出て
います。
ほとんどない、例もないというぐらいですかね。
そうです、ないんですよね。
それから、take care に、that 説が続くという環境でも調べられていて、これも18世紀中を通じて減ってきていると、過程法が減ってきているということですよね。
前の時は、比較的 take care の場合、that の場合、subjunctive が多かったんですね。
それがだんだん、過程法から直接法のほうにですね、移っているという、ただこの時はまだ生きているんでしょうかね、過程法の使い方はね、ある程度。
ですから氷八なんかでは、subjunctive のほうがまだ多いんですかね。
そうですね、18世紀前半だと特に、9対1ということで、意外と使われているんですね。
その後になっちゃって、ごぼごぼになっちゃって、ですからその後さらに直接法のほうに移行していくという。
ですからもう全体的に、過程法は直接法にとって変わられていくという。
そういうあれですね、佐伯さんが先ほど言いましたように、例えば春寿のような女同士が、過程法、例えば3日に餌をつけないようなものの代わりに春寿をつけるとかね。
そういうようなことが進んできていますね。
全体として近代語記中に完全に衰退しきってしまうというようなことかと思うんですが、やっぱり世紀別見ていると徐々になんですよね。
あるところで急にというよりは、だんだんと衰えていくという様が本当によく見えて、環境も制限されていく。
オンコンディションの時だけとか、テイクケアの時だけとかいうことで、一般的ではなくて統合環境が狭まれて、いわば追い詰められていく感じで徐々になくなっていくというところかと思いますよね。
動詞の補文形式の揺れ
そして3点目の定点観測ポイントなんですが、これが大きい話題ですが、
動詞の補分変化、動詞の後にどのような目的語であれ形態が続くかということですね。
動名詞であるとか不定詞あるいは雑読説ということなんですが、このあたりも個別の動詞について調べられているんですが、何かまとまったことを言えるとしたらありますかね。
個別なんですね。
例えばなボイズなんですね。これは前から時々議論で出てきているんですけど、今はイング形しか取らないわけですが、かつてはトゥー不定詞も取っていたという例ですが、この時代になると多分トゥー不定詞はなくなって
いるんだと思うんですね。
ですからほとんどイング形しか取らないんだろうと思うんですね。
そうですね。アーチャーでも今回の調査だとゼロということですかね、不定詞は。
もう一つの動詞としてディクラインですが、これは現代語では今あった不定詞を取るわけですけども、実は今時代はまだイング形も取っているという、それが結構多いんですね。
INGが多いと言いますか、今回のアーチャーのデータですと不定詞はむしろゼロで、INGが8で全体は少ないんですけれども、このような形で驚きですよね。
そうなんですね。そしてこれも多分20世紀になると逆転しちゃって、イング形はないはずでほとんどですね。
ですからこれはデータに偏りというか、そうあるのか、全然この例えばディクラインですね、ゼロがなくてですね、いきなりそれがイングに取っていかれるというのは唐突ですよね。
そうですね。
ですから多分もうちょっと他のデータでもっと広げると中が当然出てくると思いますけどね。
ただアーチャーで見る限りはということで山本さんの調査結果を育てていますね。
ですので現代語だけ考えると、ある動詞が特定の法文を取るということは、金貨玉錠のように語法辞典なんかでは書かれるんですが、実際にはかなり揺れ動いてきながら今に至ってきているということで、
ですので今後もどうなるかわからないというようなところもあるかと思いますよね。
他にダウトとかフィアっていうような単語、それからインテンドですね。
これもインテンド、INGなんていうのも少しあったわけですよね。
2の方が多いのは事実なんですが、一つ一つ見るとやはりなかなかまとめきれないですね、動詞の古文については。
そうですね。この頃はやっぱり20世紀に修練される手前なので、いろいろと変化が揺れている部分が動詞によってあるんですね。
その際のこの揺れの理由といいますか根拠といいますか、これも文脈を丁寧に取っていくなど必要あるかと思うんですが、
例えばどういうことが考えられるというふうに木本先生お考えでしょうか。
一つは大雑把に流れてきて、前も言いましたが、例えばジャットフェスがツーステーシンに変わっていって、
ツーステーシンがING形にっていうので、大体その方向に行くのがごく一般的な古文の変化なわけですね。
そうすると個々の動詞も当然その方向に流されていくということがある一方、それに抵抗するような動詞というんですかね。
そういうのがある。それは意味によって、例えばインテンドとか、あれこれ何か読めませんけど、例えばエクスペクトとかですね、
そういうのってやっぱり不定詞を予想するわけですよね。やっぱりこれこうこうこうであろうということに対してのミラインについてのことを言うときはですね、
大体ツーステーシンの方が多いわけですが、それがですね、いまだこの多分インテンドとかですね、
もしかしたらそういう両方を取るのは、その辺の区別はあまりないとかですね、はっきりしないというところがあるのかもしれませんね。
ですから動詞によって意味がかなりこう少しこう微妙なところがあって、その微妙な際によってあのING形がいまだにこう例えばですね、
使われているけれどもというところじゃないかと思うんですね。
一般的な動詞が辿る経路と言いますか潮流、ドリフトみたいなものをかけるそれぞれの動詞の個性、意味の個性っていうところで、
結局複雑な分布を動詞ごとに示すっていうことになりがちだっていうことですかね。
この辺りは担当された皆さん、執筆者の皆さん、やはりこう全体としてまとめるのは難しかったような印象ですね、個々のものになって。
やっぱり個々の動詞によっての振る舞い方っていうのはかなりこう影響を与えるということでしょうからね、INGを取るかドリフトを取るかという感じですね。
否定のdoとmethinksの変化
さて定点観測3つ終わったんですが、他にですね興味深い話題が扱われていまして、
否定字Doについてなんですが、これはどんな状況というかステージにあるんでしょうか。
一般的にはDoの方がだんだん増えてきてるんじゃないかと思うんですね、少しずつですね。
ただそうは言ってもDoのない否定も結構あって、それが表の16なんかでは結構あれですね。
なんかこの場合ちょっと面白いのは後の時代の方があれですね、動詞のっとのが増えてますね。
ちょっとですが増えてますね。
ちょっと意外な気がしますけども、どっちかというとDoのっとのが増えていくっていうのが普通の流れのような気がしますけど、
多分これは動詞によってだと思うんですね。
動詞によってDoのっとを取るか、あるいは動詞のっと、後ろにのっとを付けるだけっていうのを取るかが変わるっていうことですか。
ここにも書いてありますが、やっぱりDoubtとか不思議なのはNoなんですね。
Noは長い間Noのっとが多いんですね。
実はこれは文法学者の間でもなぜNoだけがずっとDoのっとを取らないでですね、
Noのっとが増えてきてるのかって、ずっと使われてるのかってのがとっても疑問というか不思議なところなんですね。
Doubtとかミステイクとかそういうものっていうのはそれ自身が否定の意味があるから、
それであんまりDoのっとというのはわかるんですね。
If I mistake not toかっていうときのミステイクはそういう点ではわかるんですけど、
Noの場合は別にそういう原因はないと思うので、
それにもかかわらずの長い間、昔からですね、かなり後までNoのっとっていうのがあるんですね。
とっても面白いんですけども。
動詞の頻度ということも言われたりはしますかね。
NoとかSayとかI say notとかcome, goの類の極めて頻度の高いものが変化に取り残されてと言いますか、
古い形にこだわるっていうのはある程度は言えることはあると思うんですけどもね。
そうですね。それが一つのまとまりになってですね、そのまま使われていくという。
だからそのうちやっぱりDoのっとという形の方が普通であるというので、
その形にだんだん修練されていくっていうんですかね。
いずれにせよDoのっとに抵抗する、一番頑強に抵抗した動詞の一つがNoっていうことは間違いですよね。
それからMe thinks。
これはもうこの時代までにはもうだいぶなくなっているのかなというイメージなんですけども。
そうですね。もうこの頃になると、例えばI thinkとかですね、
It seems to meとか、そういう形が多くなって、
Me thinksはもうほとんど衰退して、もう古くなって使われてない。
だからここでもほとんど出てこない、出てくるのかな。少しは多い。
それなりに出てはいるんですかね。
I thinkがやっぱり圧倒、比率で言うと圧倒しているというのは間違いないんですが、死んではいないという感じですかね。
そうですね。でも多分20世紀になると多分使われなくなると思うんですよ、ほとんど。
ですからこの頃のほとんど古い形として残存しているようなんですね。
むしろIt seems to meが出始めっていうパーセンテージですかね。2.5%とか。
面白いですね。このぐらいから今相当な頻度で使われるというイメージだと思うんですけども、
この辺後退劇が展開していく、まさにそんなシーンを見ているような感じがしますね。
このようなMe thinksというところまでカバーされて、
規範文法・標準化と言語変化
その後は語法そのものと言いますよりも、18世紀のいわば社会言語学的には非常に注目されている規範文法であるとか、
英語の標準化みたいな話題ですね。それから辞書の話というのが続きます。
山本さんはこの辺りに最近は関心をずっと持たれて、ご研究とかご発表をされていたという感じですよね。
そうなんですね。ですからこの英語の規範文法ですね、それと英語の標準化に寄与している要素というか、
そういうものとしての規範文法とかですね、そういったものに山本さんは実は関心がだんだん移っていって、
そのことをもっと研究したかったんだろうと思うんですね。
ただこれは山本さんが最後というか、残されたものとして一生懸命たぶん変われた本当にあれだと思います。
ところだと思います。
秋元先生はこの自然な人々が話す相対としての言語、その変化ということと、
一方である程度意識的な、意図的な社会運動と言っていいのかわからないのですが、規範文法みたいな社会的な圧力、上から押し付けるみたいなものの関係というのは難しい問題ですが、
どのように先生はお考えでしょうかね。
それで思い出すのはね、例えばアダム・スミスという経済学者が言っている、いわゆるインビジブルハンデというね、
見えざる手というね、ああいう考え方があって、つまり社会的なコンテンツにおいて、
話者がですね、あれこれ言ってもその結果は関しては思い通りの変化には至ってないんですよね。
ですから、その辺はですね、例えば意識してこういう使い方をしてというようなことがあって、
個人個人がそういう風に考えるわけですけど、それが全体の集まりとなった時に、それが至るこの結果というのは、
その個人が考えているような変化には可能性もなるわけではないわけですね。
ですからそうなると、やはりだからといってもちろん個人個人勝手にですね、勝手に話をしてということはならないと思うんですけども、
ただやっぱりこう変化というものに関しては、やっぱり言語そのまま放っておいて、
もうある程度の方向に変化が移行するという考え方もあるし、それからもうちょっと意識して各人がですね、
言語に対する抑制というか、あるいはそういった例えば、ある程度語法的なものだったらそうじゃないという風なことで抑制してですね、
ある程度言語を抑制しながら進めていく。そうすると、ある程度の方向性に行く可能性はそのまま高いかもしれませんね。
でもどっちみちこういう、例えば18世紀で言えばこういう紀安文法の人たちというのは、やはりある程度英語規制というか、そういう風にしてあるべきというような気持ちだったんだと思うんですね。
そうですよね。
かなり本当に本気で考えてますよね。ちゃんとやればちゃんとできるはずだね。雰囲気が18世紀の方はね。
そうですよね。きっとこの頃になったらですね、英語に関する目覚めというか自信というか、それもだんだんできていく。
それも手伝ってということですかね。
ですからこうあるべしというようなね、文法家の人が増えるし、またそういった人たちが辞書を書いたり文法書を書いて、こうしないと英語は間違いなんですよとか言ってませんよというような、そういう規制をですね、か
けた時代ではあるんですね。
ただこれは後々の技術文法から見ると、ちょっと批判的に見られるというのは、やはりそういう風にやっぱり言語に規制をかけてですね、こうこうすることが良くないというか、もしも良いとは言えないというような批判
からですね、
たぶん後々の例えばアメリカの構造主義とかなんかの規範文法から、技術文法からすると、批判されがちになるんでしょうかね。
一般の例えば我々、英語学習者としてみると、実はやはり18世紀に作られた、元が作られたような、規範英文法とか学校文法みたいなものを結局こう守って、今でも受験英語なり、いろいろなテストですよね。
その中にいるというのもまた事実という厄介な問題があるかと思いますが。
ですからきっと、今我々が学校で習っている英語のある部分はやっぱり18世紀にですね、ある程度こう作られた規則なり何なりのですね、影響があると思うんですよね。
そうですね。
ですからそれはもうちょっと評価していいんじゃないかと思いますけれども。
ありがとうございます。言語変化の考え方については、先ほどもインディビジブルハンドの話も出ましたが、この辺りの話もまたお伺いできれば、私も好きなところなので、またよろしくお願いできればと思います。
本日は秋本先生にお越しいただきまして、18世紀の文法・校文の変化についてお話しいただきました。秋本先生ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
エンディングです。
今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
秋本美之先生との対談という形で、18世紀の英文法についてお話しいたしました。
この章をお書きになったのは青山学院大学の山本志穂子先生だったんですけれども、本編中にもお伝えした通りご請求されました。
実はですね、昨年春に山本先生とはこのヘルディオで対談しているんですね。
こちらへリンクを貼っておきますので、ぜひお聞きいただければと思います。
ご冥福をお祈りつつ、英語史の知見を英語教育の現場に広めようと尽力されていた山本先生の気概がよく伝わってくる配信会になっていると思います。
私も英語史をどんどんお茶の間に広げていかなければなということで、日々この英語の語源がミニスクラジオヘルディオをお届けしております。
リスナーの皆さんもぜひこの活動にご理解ご協力いただければと思います。
それでは今日も皆さんにとって良い1日になりますように、ほったり打ちがお届けしました。また明日!
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