【再】#803. 中山匡美先生にとって英語とは何ですか? --- 「英語は○○で
2026-10-01 21:27

【再】#803. 中山匡美先生にとって英語とは何ですか? --- 「英語は○○で

#heldio #英語史 #英語教育 #英語学習 #hel活 #英語史をお茶の間に #対談
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おはようございます。英語の歴史の研究者、ヘログ英語史ブログの管理者、そして英語のなぜに答える初めての英語史の著者の堀田隆一です。
英語の語源が身につくラジオheldio。英語史をお茶の間におもっとに英語の歴史の面白さを伝え、裾野を広げるべく毎朝6時に配信しています。
本日は8月12日土曜日です。いかがお過ごしでしょうか。
今日は対談会となります。
中山正美先生にとって英語とは何ですか。
英語は○○です企画の関連対談会ということになります。
神奈川大学ほかで英語史を教えておられます。中山正美先生との対談です。
中山先生とは昨年ですね一度対談しております。このヘルディオで323回ですね。
中山正美先生との対談シンギュラー勢は19世紀でも普通に使われていたという回でした。
昨年の4月19日ですのでしばらく時間が経ちましたが、今回2回目の対談にお越しいただきました。
中山先生は様々なご研究をされて業績もお持ちですけれども、最も重要なところで言いますと2018年に羊書房より英語で書かれた本なんですが
19世紀の英語の漢字のグラマティカルバリエーションという専門書を書いておられます。
博士学位取得論文をベースにした本研究書ということになりますが、タイトルからもですね
19世紀の英語の小説このあたりを中心的な関心とされていまして、今日の対談の中でも関連するお話がたくさん出てまいります。
今日のお題は僭越ながら私から振らせていただいてですね、ちょうど明日生放送でお届けする予定なんですが、英語は○○です。
この○○に入るところを埋めてくださいというふうにリスナーさんに振ってですね、コメントという形で寄せていただいています。たくさん集めています。
ぜひヘルディオの800回英語は私にとって○○ですを募集します。
日曜日の生放送に向けたリスナー参加型企画と題しまして800回のコメント欄にて皆様からの英語は私にとって○○ですとこの○○に入るところを提出していただいています。
800回に戻ってですね皆さん是非多くのコメントを寄せていただければと思います。
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そんな企画を今実施している最中ということでですね中山先生にも是非お聞きしたい中山先生にとって英語とは何ですかということで事実上中山先生に英語との付き合い方と言いますかキャリアですね。
英語と共に歩んできたキャリアについてお伺いするというようなそんな対談会となりました。
対談後ですね中山先生も話しているうちに英語は○○ですという○○の部分がなんとなく埋まってきたというそんな対談会となりましたのでじっくりお聞きいただければと思います。
それではどうぞおはようございますおはようございますはい本日はゲスト対談ということでですね中山政美先生においでいただいています。
本日はよろしくお願いいたしますよろしくお願いします中山先生と言いますと実は2回目のご出演ということでですね調べましたら昨年の4月でしたかねそうですね4月19日の配信会で323回中山政美先生との対談シンギュラー勢は19世紀でも普通に使われていたという回でお世話になります。
くださいましてはいあのセンギュラー勢この話題終わりとねえいっとあの公表というかよく知られているで最近話題になりやすい話題ということでねで実は19世紀にもあったことだったんですがはいあの今日はですねちょうど今このボイシーヘルディオである企画をあの実施しておりましてリスナーの みなさんから
英語とは〇〇である。英語とは私にとって〇〇ですみたいな、英語との付き合い方とか、英語感ですよね、一人一人の。そういったものをお伺いしているというところなので、
これぜひですね、中山先生にもお伺いしたいと思いまして、ズバッと英語は私にとって〇〇であるっていうのは結構難しいですかね。
難しいですね。
私も皆さん寄せてくださいと言いながら、自分が出してないんですよ。難しいから。
一言でっていうのは難しいですね、確かにね。
そうですよね。
じゃあ、そもそもどういう付き合いっていうか、英語との付き合い方ということなのかということをお聞かせ願いたいんですけれども、
そもそも英語に触れたのは義務教育?
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そうですね、中学1年生からですね。
その時から英語は好きでした?
そうですね、好きでしたね。面白かったですね。文法なども好きですし、それから読み物も結構教科書にありましたよね。
不思議のアリスが高校の教科書にあったんですけど、そのシェシャネコの描写、クスクス笑いだけが残って消えてしまう。
そこをまだ覚えている。その時間、それを習った時間をね、今でもね、思い浮かべることができるくらい心に残っています。
じゃあもうその時から片鱗ありますね。
現在、中山先生のご専門という中心的なところはどこかと、まずこれを伺ってよろしいでしょうか。
そうですね、私は19世紀の小説をコーパスにして、修論も博論もそれをコーパスにして、
19世紀が前の世紀とそれから現代英語とどういうふうに違うかということを、
いろんな角度から社会言語学的な視点とか、語用論的な視点とか、いろいろな観点から分析していくというのを専門にしています。
一貫して、研究者としての中山先生のキャリアを見ると、一貫して後期、近代、19世紀中心という感じですよね、基本は。
そこはじゃあもう最初からある意味、方向性というか種がまかれていたみたいな感じなんでしょうね。
そうですね、さっき言いましたように、小説を読むっていうのが好きだったので、
私実はそのまま直接学部から大学院には行っていませんで、
趣味としてずっと英語の文学作品、それはたまたま18世紀、19世紀、20世紀とかそういうものがあって、
それを読んでいて面白いなと。そしてその中で出会った使い方が、
学校で習っていないものが出てきて、例えば二重否定とかエイントゥとかですよね。
これ一体何だろう。でもよく二重を見ても教えてくれない。教えてくれる人もいない。
ということでね、大学院というものに入ったら、もしかしてそういうものを学べるんじゃないかなというのがきっかけで、
それを知りたくて大学院に入ったので、小説を使うっていう、それで何かを知りたいというものはもともとあったんですね。
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最初に小説が好きという19世紀を中心としたというのがあって、そこでいろいろ上がってきた謎というのを理解したいということで、
改めて社会人から大学院に入られた。それで修士課程に入られて、博士課程にも入られて、博士を取ってしまったと。
そしてまさに19世紀の小説を中心として語法であるとか、社会言語学的、語彙論的研究ですよね。
成し遂げられたということで、一貫していると言っていいですよね。
そうですね。本を読むってなかなか大変ですよね。英語の現象を、特にヴィクトリア帳などは300ページから多いものは900ページにも渡るので、
確かに作家例など900ページにもあるものは大学に入って一生懸命読んだんですけど、それまでの読みっていうのはなかなか一人ではできないので、
みんなを誘い込んで、英語の好きな人を誘い込んで、読書会というものを作りまして、そこでじっくり一緒に読んでいくというようなね、
そういうアクティビティを始めたことで、ゆっくりなんですけども着実に一冊一冊丁寧に読むということをしてきたというのが一つ大きかったかなと思います。
これはまだ今でもやっていることなんですけど。
よく中村先生から読書会の話は伺ってたんですが、これ定期的に行って、いつ始められたんですか?
これは今私が新しく住み始めて、もう20年ぐらい住んでるんですけど、そこで市民に開かれている講座をやりませんか?
講師は誰でも何も別に免許なんか持ってなくてもいいですよというような企画がありまして、
私はちょうどその時、修士と博士課程の間で1年時間があったので、じゃあやりますという感じで、その時短期で3ヶ月くらいですかね。
それを始めて、そしてそこからサークルになって。
それ20年、そんなにやってるんですか?
やってる時間は16、17年ですかね。
続いてるんですね。その時の最初のメンバーも3人くらい残っていまして、半分くらいはもう10年以上続いてます。
私なんか前から話を聞いていて、数年ぐらいの話かなと思っていたら、数年どころじゃないですね。
最初は9人で始めて、今私入れて19人ですかね。
熱心なんですよ皆さん、本当に。
12:03
じゃあ精読っていう感じですか?
もう全く精読ですね。本当に最初から丁寧に、ゆっくり、そして訳して、日本語にして解釈はよくわからないからって思うと、
本当にね、同じ英語を読んで同じ日本語になってるのに、なんでこんなに解釈が違うのかっていう、ここがまた面白いとこですね。
中山先生の研究を見ていると、やっぱり読みの精緻さっていうか、コーパスも使われたりはするんですけれども、
結局のところ、その文脈に戻って、精緻にこの代名詞は誰を指してどういう使い方でっていう風にやられてるじゃないですか。
あれはやっぱり超一石二鳥って言いますか、コーパスで表面的になぞるだけでは出てこないような手法っていうか読み方を身につけていられるからこそ、
コーパスみたいので拾ってきたものも活かせるっていうような形になってるのかなっていうのは、論文を読んだり研究聞いたりするたびにこれ思うんですよね。
こんなにやってたんですね。
今はね、やはり長さを考えて月に3回やってるんですけど、やっぱり200ページを超えるとちょっと長くなるので、
19世紀のなかなか読めない、最近ちょっとオスカーワイルドの劇曲をちょっと読んだりはしたんですけど、
やはり20世紀のが多いですかね、石黒和夫さんとか、それからヤン・マキュアンとかそういうものは読んでるんですけど、読み方としては同じですね。
どうして作者がこう言わせているかというようなことを考えますと、やはり自然と登場人物の気持ちなどを想像しなくちゃいけないですね。
そういうことで、想像力っていうんですかね、というのをすごく刺激されるという点があると思います。
文学っていうか、特に小説っていうのは、そういう登場人物の思い、それが言葉になってセリフで出てくるであるとか、そういう側面はありますよね。
ただ、それを母語である日本語ではなく英語でってなると、やっぱり何倍も難しいですよね。
そうですね。だから読書会で読んでも解釈がいろいろあるということになって、日本語に訳してさえ、そういうふうに考えるのかという驚きが毎回出てくるんですね。
15:04
この驚きっていうのは、相反するものもあるんですけど、これを受け入れるということですよね。
人はこれだけ考え方が違うんだ。やっぱり長く生きてきているわけですから、生きてきた経験に合わせて解釈をしているわけなので、それぞれ違って当たり前。
それはこう考えるのが常識でしょっていうふうな考えを持っていたことが、もう吹っ飛ばされてしまう。
常識っていうのは、あくまでも自分にとっての常識であったということを思い知らされるわけなんです。
なので、絶対な正解というものはなくて、こういうふうにもとれるし、こういうふうにもとれる。そういうふうにもとれる。いろんな解釈があるんだっていうのがわかるっていうのも、読書会の醍醐味っていうんですかね。
またイギリスの小説が多いと思うんですが、異文化の異なる言語を喋る人たちの人生っていうこともあるので、余計に我々とのギャップがあるみたいな。
そうですね。その時代、その場所によって、やはり日本人とは、今の私たちとは違うものがあるはずですから、それもやはり想像しなくてはいけないので、非常に深く広く読み取れることができる。
それすごくわかりますね。中村先生、今小説の19世紀小説という話をされてるんですけど、そもそも語学そのものが古いところをやるって、まず土地が違うじゃないですか。日本とイギリス。
そうですね。
時代も違うので、基本的に考えてわかりっこないぐらいのスタンスで最初から言葉に対したりしますよね。
そうですよね。
すごく客観的というか、ボコって入れ込みすぎて、本当はわかってないのにわかったような気がしたりとかあるんですけど、何にもわからないじゃないですか。
異なる時代の異なる社会の異なる言葉なので、これはもうゼロからスタートするしかないなみたいなスタンスというのは、驚きもちろん多いんですけども、一方で何が来ても、これは違うのは当たり前だしなっていう。
そうですね。もうそれが前提にある。それを前提に読むようになるっていうのはね、本の世界だけじゃなく、実世界で人と対話をする時に、相手の思うことっていうのは自分の思うこととは違うんだというようなね、それが前提になるので、
言ってみれば、読書界っていうのは本を読むことで、その登場人物との対話を通してでもいいんですけども、これはコミュニケーション力というものをね、英語を学ぶことで培ってきたんじゃないかなというふうに今ね、お話ししながら感じましたね。
18:05
英語でコミュニケーションって言うと、しゃべり、英会話みたいなのがまず第一に浮かぶと思うんですが、今回は逆転の発想ですね。ひたすら文学を読んでいくことによって。
もうそれによってその人の人となり、考えとかね、それをやっぱりこう推測するっていうのは、相手の気持ちを考えて、そしてその次にこちらでどういう発信をするかということにつながるので、もう本当にコミュニケーションそのものですよね。
そうすると、元の問いに戻りますが、中山先生にとって英語とは何ですかというと、ずばりそのフォーマットにはまるかわからないんですが、むしろそのコミュニケーションの、より良いコミュニケーションのための入り口とか、それが英語だったということになる。
はい、いろんな文化、いろんな場所、いろんな人たち、そういう人たちがいるということ、そういう人たちがどういうことを考えているか、自分とどういうふうに違うのかというのはね、そうですね、やはりその英語の読書を通して、英語の原書の読書を通して学んできたことで、そう言われてみれば、そうしながら生きてきたのかなという気がしてきました。
なるほど、これをきれいにフォーマットに落とし込めると、どうなりますかね、センテンス、またこれは考えていただいて、すぐ出ないかもしれませんが、ただ趣旨はよくわかりました。
そうですね、おすすめですね、読書会って本は自分で読めるものっていうね、それももちろん自分で読んでもできるんですけど、皆さんぜひ5人集まればできると思うのでね。
これ聞いている皆さん、ぜひ中山先生の読書会に出たいとかいう人が現れちゃうかもしれません。
地域としては神奈川県某所とぐらい。
ちょっとあんまり言うとみんなに叱られるかもしれないので。
読書会ですよね、私も昔学生の頃はやっていましたが、最近は聞かないですよね、その学生でも読書会っていうのはあんまりやっていないような感じですけどね。
大学院の時も私たち3人か4人とかでやるの、そこはやってたんですね。それもとてもいろんな読みができて、勉強にもなりますし、本当に純粋に楽しかったですね。
今は技術的にもオンライン読書会とか対面のほうがいいと思うんですが、いろんな形で集って一緒に読むってあると思うんですけどね、やりようは。
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そうですね、いろんなやり方ができるのでね、ツールを使ってもね、ぜひおすすめしたいです。
読書会のすすめみたいなことも含みの中山先生の英語とのお付き合いの仕方ということでした。大変貴重な話をありがとうございました。今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
21:27

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