2026-01-02 54:40

【再】#531. 学生たちと飲みながら方言について語りました

#heldio #英語史 #英語教育 #英語学習 #hel活 #英語史をお茶の間に #方言 #khelf
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サマリー

学生たちと飲みながら、方言について語ります。その中で、日本の京王大学の英米文学専攻の研究や、ディズニー映画における方言の役割について意見が交わされます。また、方言差別や言葉の印象について深く考える機会となります。このエピソードでは、方言の魅力や意義、特に日本と英語の方言の扱いの違いについて語られています。出演者たちは自身の出身地の方言を比較し、文化的視点から方言が作品に与える影響について考察します。エピソードでは、学生たちと共に方言のランキングに関する議論が繰り広げられ、埼玉県と千葉県の方言の違いや共通点について話されます。また、方言の存在意義や標準語との関係についても深く掘り下げられています。方言についての議論が展開され、方言の社会的な影響や位置づけについて考察されています。方言が持つ親密性や地域性についても取り上げられ、方言の存在意義が問い直されています。学生たちと飲みながら、方言や言葉の独自性について語り、方言が存在し続ける理由やその意義が再確認されます。

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おはようございます。英語の歴史の研究者、ヘログ英語史ブログの管理者、 そして英語のなぜに答える初めての英語史の著者の堀田隆一です。
英語史の面白さを伝え、裾野を広げるべく日々配信しています。 本日は11月13日日曜日です。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。 英語の語源が身につくラジオheldio。
飲み会の始まりと研究発表
本日は、学生たちと飲みながら方言について語りました。 と題して、
昨日、いきなり生放送を始めまして、40分ほど、 学生たちと飲みながら方言について語ったと。
その放送をアーカイブとしてお届けするということで、 一貫していませんし、ただ飲みながら話しているということで言えば、そういうことなんですけれども、
これをですね、ダラダラと配信してしまおうという回となります。 その点ではダラダラとしていて、本当に申し訳ありませんということを先に申し上げておく次第なんですけれども、
状況としましては、昨日ですね、なぜ学生たちと飲んでいたのかということなんですけれどもね。
まずですね、先ほどの話をした通り、 日本の文学部の中で、京王大学の文学部、その中の英米文学専攻、いわゆる英文科なんですけれども、
英文科という研究会というものがあります。 専攻レベルで、いわゆる学内でということなんですけれども、英文学、米文学、英語学ということで、それぞれの7つあるんですけどね、それぞれのゼミの代表者がこの冬にかけて卒業論文を書いているわけなんですが、
その中間発表ですね、この11月の段階での、もうだいたい結論が見えているという段階なんですが、この段階で2年生、3年生という下級生に対して、こんな感じで卒業論文の研究が進んでいます。
これをですね、示すという会があります。これ、ちゃんとした会でして、その発表者は清掃でですね、臨むということで、司会とタイムキーパーの学生もついてですね、かなり本格的にやるっていう会なんです。で、先生もみんな出てということですね。
昨今のこの状況で、あんまり人が集まりすぎるのも良くないということで、3、4年生はZoomで参加ということなんですけれども、かなりの人々が集う公式の会ということで土曜日なんですけれども、研究会として開催しているということなんですね。42回ということです。
それでですね、この午後に行われるんですけれども、私のゼミからもですね、Wさんという1人ゼミ内での民主的な投票によって選ばれた代表が、今日話しました。テーマは、ディズニー映画に見る役割語としての英語方言とその変化ということでですね。
現代の話です。ディズニー映画ですから当然なんですけれども、それでもですね、1940年、50年あたりから現在までの、いわゆる7、80年ですかね。その時系列を見ているということで、十分に英語式的な私のゼミらしい話題ということになるんですが、これをですね、見事に研究発表を終えまして。
そしてその後に終わった後に、他の応援するゼミ生と飲み会を開くということをですね、もともと企画していまして、そしてその飲み会でですね、英語方言についてちょっと語ってみようということで、思い切ってですね、ボイシーの生放送を始めたという次第です。
そしてそこでですね、もうすでに出来上がっていた面々なんですけれども、数人のゼミの応援団ですね、のみんなと一緒に改めて方言について語ってみたという、本当に思いつきのというかノリノリの回ということで申し訳ないんですけれども、
日曜日の戯れということで聞いていただければと思います。
方言の問題についての議論
あの聞いていただければわかると思うんですけれども、特にあの後半ですね、私はこの方言の話題、方言とは何か、そして方言差別であるとか、
どの言葉を話すことによってどういう印象を抱かれるかっていうステレオタイプっていうのは非常に根深い問題だと思っていまして、ある意味では人間のサスペクトカテゴリーというんですけれども、
差別意識の中で最も深いところにあるのがこの言葉ではないかと。肌の色でもなく、宗教でもなく、民族でもなく、階級でもなく、最後の最後は言葉になるのではないかというふうに私は本気で思っているんですね。
それぐらい言葉というものは根が深いものではないかというふうに考えています。そのあたりがですね、この飲み会の後半にも私なんかもですね、飲みながらちらっといろいろと出てしまったところはありますけれども、この若い感性の持ち主、今の学生とこの方言の問題について飲みながら語れる。
これは本当に幸せなことだなと思いつつ、昨日はですね、しゃべりすぎてしまいました。これをお送りいたします。多少だれている回かとは思いますけれども、ぜひお聞きいただければ幸いです。
それでは、きのうの40数分の生放送。その場で聞いていただいた方、本当にありがとうございました。そうでない方の方がほとんどかと思いますので、このまま配信いたしたいと思います。それではお聞きください。
この後のチャプターで生放送したもののアーカイブをお届けするんですが、今聞いてみたらですね、音としてはかなり悪い状態です。マイクも使わずにスマホだけで撮ったので、なかなか聞き取りづらいこともあるかなと思いつつ、雰囲気だけをお楽しみいただくということでもいいのかなということで、
そのままアーカイブに載せていただきます。非常に音は悪いですけれども、ご了承いただければと思います。それではどうぞお聞きください。
皆さん、こんばんは。
今日はですね、今どういう状況かといいますと、7時14分なんですけど、今日はですね、京大学文学部の英米文学専攻が主催している研究発表会というのがありまして、これですね、4年生の各ゼミの代表者が発表するという、わりとちゃんとした研究会なんですよ。
清掃するし、ついつい来てくるしということで、今それが無事に終わって、大成功ですね、我がゼミは。
Wさんと呼んでおきますが、ゼミ代表として選ばれたWさんが卒論ですね、もう数ヶ月後には書き上げなきゃいけないという卒論の中間発表というかね、あと2ヶ月という発表を行いまして、その打ち上げという形でやっています。
そんな状況で、ほとんど飲みながら、そこそこ出来上がった状態で今スタートしているので、こんな感じで。
愛の手を入れているのは、Yってやつなんですけど、インシュラルトークで言いたいと思いますが、今日の研究発表会聞いたという連中がここに集まってやってるんですけれども、Wさんね、今日発表してくれてすごく良かったと。
本当に。
先週とかね、先々週のゼミで練習したということも、実は裏ではあったりするんですけど、テーマ、いきなり聞き始めて誰?何?という感じなので、どういうテーマなのか。
いわゆる英語詞ゼミという、ホッタゼミという中でなんですけれども、どういうテーマなんですか?
ご紹介にあざかりました、発表者のWです。
私が研究しているのは、ディズニー映画に見る英語方言の仕様とその傾向というところについてなんですけれども、
例えばキャプション作品で標準語を喋っているキャラクターの中に一人だけ大阪弁とか喋っているキャラクターがいたら、日本語の場合なんですけど、
そしたらその人って結構狂気な人なのかなとか、こういうイメージを抱くことがあると思うんですね。
大阪方言じゃなくて、例えば京都弁だったらまた違う印象があったりとか、東北弁でもまた別の印象があると思うんですよ。
それが、同様に英語方言にもそういうステレオタイプとかイメージというものがあって、
それがどういう風に方言という形で英語の作品の中では活かされているのかということについて研究しています。以上です。
扱っている話題がディズニーなんですよね。ディズニー限定ということで、
だるりゅうさんディズニーオタクで、これだから卒論にまで持っていったということですね、趣味を。
そうですね。
これは素晴らしいと思うんですけど、ディズニーの経年的変化、1940年代、50年代だっけ、
第1黄金期から、第2黄金期が80年代前後、これから2000年に入ってからのということで、
いわゆる3段階に分けて経年的に通時的に比べられるんですよね、ディズニー映画における英語方言のあり方みたいな。
そうですね。
今まだ中間段階ですけど、いわゆる方言仕様、悪いキャラクターに、例えばアメリカ南部方言というものをしゃべらせたり、
みたいなものが、今はステレオタイプですけど、それが伝統的だったのが、最近だいぶなくなってきていると、
いろいろな配慮から、ということを立証的に研究しようということですよね。
はい、そうです。
これ、わりとセンシティックな話だと思うんですよ。
そうですね。
でね、今この飲み会、いつ始まったんだっけ?
5時半。
5時半スタートで、だから結構ね、出来上がってるんだと思うんですよ。
まあそうですね。
この中で、あれ、といえば、ラブリューさんってどこ出身だったんだっけって聞いたら、
宮城千代?
そうです。
そういうことかっていう発見もちょっとあったよね。
で今、方言の話題、それぞれ何か出店いるんですけど、聞いてみたところ、
ちょっと一人ずつ、私は誰々です。
で、ノコトコ出身です。
人体として、京王大学って関東圏がすごい強いんですよね。
ということは前提としてなんですけど、ここにいる何人かに、
今はそうかね、毎日。
そうですね。
ではご紹介に、お疲れさまでした。
先ほど、Yさんっていう名前でね、ご紹介いただきました。
はい、Yなんですけども、
なんか祖母、祖父が九州生まれで、
九州の方言を結構日常的に浴びている人間でして、
っていう一方で、普段は標準語を喋ってるっていう人間なんですけども、
研究の内容としては、方言はちょっとかじってはいないんですけど、
そっち方面の関心は結構多いにあるということで、よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。
30秒以内です。
20秒以内です。
テイスです。
僕もほったずみなんですけど、
僕、鈴木孝夫先生がすごい好きで、
いろいろ本を読ませていただいてるんですけども、
方言を使ってる人って標準語に合わせなきゃいけないとか、
結構思ってる人がいると思うんですけど、
僕はそんなこと全然ないなと思っていて、
鈴木孝夫先生はそれぞれの文化とか、
それぞれの各国の伝統みたいなものを重んじてるのに、
すごい僕は同調していて、
なんか標準語が偉いわけじゃないんだよっていうことに、
僕はすごい共感したので、
鈴木一平先生の、
鈴木一平先生の、
井上一平先生の先生である鈴木孝夫先生の本を、
ぜひ読んでくださいっていうことを、
僕は言いたいです。
お願いします。
鈴木孝夫先生ね。
平和大学の名誉教授。
先年亡くなりましたけども。
じゃあ、えいちくん。
方言の回っていうことなので、
バッチリ方言でしゃべらせてもらいますけど、
ここでいる8人の中で、
たぶん高校まで地方にいたっていうのがおらんと、
おらんということで、
私一応名古屋出身だもんで、
方言の魅力について
わざとらしくは、
もちろん、
ある程度しょうがないということで、
ちょっとでも方言の魅力というものについて、
語れたらええなということで、
よろしく、
やってちょうよということです。
けいです。
私は全然、
埼玉県出身なので、
方言とかそういったものは全然ないんですけども、
いやいやと、
鈴木教授がおっしゃってますけど、
方言、難しいところですけど、
なんて言えばいいんでしょう。
ポッペタっていう言葉は、
埼玉の方言らしいっていうのを、
インターネットで見たことがあります。
それぐらいしかないですね。
ということで、
みなさんいろいろ研究なぎようとか、
おっしゃってますけども、
特に方言ないなというところで、
僕の地域はせんべいぐらいしかなぎまないので、
ありがとうございます。
すいません。
見終わってたのか。
神奈川と千葉の方言
そうですね。
そうかなんですけど、
見終わってました。
失礼します。
W2
はい、W2です。
私は神奈川県出身で、
ずっと神奈川県に住んでいるので、
神奈川こそ、
埼玉よりも方言はないんじゃないかと。
本当にマウント飛びです。
Aレベルか。
いやいやいやいやいや。
田舎じゃねえだろ。
全然田舎じゃないです。
横浜はもう、
横浜はもう方言はないと思ってます。
誰かあれ?
あります。
ダメ、ダメ、ダメ。
ダメは、
ダメはどうなんですかね。
全然ダメ。
使うことはない。
一人しかおらんでか。
まあまあわかりましょう。
これ結構ね、
面白い話題なんです。
どこから来たのかとかね、
どれが上かっていうのは、
これランキングがあって、
客観的ランキングと、
視観的ランキングが違うんです。
違いますね。
違います。
これ全然関係とると思うんです。
今日の話題にも。
はい、ありがとうございました。
けいさん。
けいさん。
え、けいさん?
けいです。
私は千葉県出身で、
神奈川には負けると思うんですけど、
埼玉には勝ってるから。
ディズニーやるんで。
千葉の方言は、
あおなじみっていうのは、
方言だって聞いてびっくりしました。
ちっちゃいときから使ってるの。
あおたん?
あおたんでいいの?
あおはない出血の、
なじみ。
あおなじみっていうので、
埼玉には勝ってます。
ぜひ明日からあおなじみ使ってください。
こんなメンツで今やってるんですけど、
今日の発表のWさんのあれなんですけど、
要するに、
悪役に、
アメリカ南部方言、
いわゆるコテコテの方言だと、
すぐわかる、英語話者にはわかるような方言を、
悪役に使ってるとか、
あるいは、
インテリっぽいけどもずる賢いような役割のキャラに、
いわゆるRPっていうね、
イギリスのポッシュな上流会議の使わせたりすることで、
キャラ設定にすごく役立つじゃないですか、方言って。
ただ、それがあまりにステレオタイプ化しちゃうと、
なんて言うんでしょうね、
お互いにわかりやすい、作り手も視聴者側もね、
わかりやすい舞台設定がその場でできる、
っていう便利さもあるけれども、
方言ってやっぱり、
ちょっとした空たいとか、
強く言うと差別っていうところにつながりやすいのを、
ステレオタイプにしてしまうことの意義っていうのは、
どういうことなの?みたいな問題点ってあるよね。
それが今日のWさんの発表だと、
最近それは控えるようになってきてる、リズムにも。
意識が高くなって、
もちろん視聴者の意識っていうか、
評価っていうのがあって、
これで、
ジェンダーもそうだし、
全体的に確立化されてるっていうか、
あんまり危ないものはやめとこうっていう感じになってくるじゃないですか。
それと、
個性出しのための方言っていうのって、
こういう関係なんですかね。
あんまり確立化しちゃうとつまらないっていう問題もあるし、
だけど、
社会の要請で、
危ないと言いますが、
誰かを傷つける可能性があるものは避けようみたいな。
だけど、
クリエーションって結構そのせめぎ合いみたいな、
微妙なところを作るっていうところもあったりするんだけど、
それどう思いますか。
なんでしょうね。
最近の映画だと、
実際の地域だと国を舞台にしたものが結構あって、
例えばRemember Meって4年くらい前の映画ですけど、
それだとメキシコが舞台の映画なんですね。
なので、
チャスト人が全員ラテン系のルーツの
ボーイズアクターさんを使ってるんですね。
最近の映画の傾向は割とそうなんですけど、
白人のチャストをあんまり声優に起用しないんですよ。
なので、
そういうところでやっぱり、
英語の方言もそうですけど、
チャスティングにまずそもそも影響してるっていうのが一つと、
あとは、
メキシコが舞台だから、
メキシコ舞台だからスペイン語を喋るのは当たり前なんですけど、
そこで、
メキシコ人だからみんな標準英語になるのかなと思ったら、
みんなスペイン語の周りの英語を喋るって、
逆にみんな方言喋るみたいな方向に
持って行ったりすることもあるんだなと思って、
結構面白いところではありました。
これね、ちょっと今日の議論を聞いてて、
日本語と英語の方言の違い
面白いなと思ってるんだけど、
英語の内輪でのアメリカ方言とか、
イギリス方言とか、
アメリカの南部とか、
というところの話になくなってきて、
だいぶ世界化してきて、
英語自体もね、
あるいはジズニーもそこを狙ってきていて、
英語の方言で別にいじらないでもいいんじゃないかっていうような
ところになってきてるかなっていう気がするんですよね。
日本語と英語で、
方言の使い方って言ったらあれですけど、
このクリエーションの現場で、
どう違いってありますかね?
そうですね、
日本語は例えば役割語っていうようなことを考えるんですけど、
役割語っていうのはまず、
例えば特定の方言を使って、
特定の方言を使って、
例えば特定の方言を聞いたら、
聞いたらある特定の人物像が思い浮かぶとか、
逆である人物像を思い浮かべると、
その人がいかにも喋りそうな言葉が思いついたときに、
それが役割語っていうふうに呼ばれるんですけど、
日本語と英語だと、
役割語の出し方っていうのも結構違ってきて、
日本語の場合は一人称とか文末語尾とかが豊富なので、
比較的作りやすいんですけど、
英語の場合はありしかないので、
しかも結構文末とかもそこまでないので、
必然的に位置ずりとか発音の違いとかで、
違う出ししかなくなってくるんですね。
なので、そこで結構役割語の出し方っていうのに制限を受けるので、
そこで方言が英語の場合は使われやすいっていうのと、
日本語はあんまり頻突して出るわけじゃないじゃないですか。
どのドラマにも必ず方言喋る人がいるかというと、
そうではないんですけど、
英語の場合は結構顕著に出てるなっていう、
例えば誰かと言う国字英語を喋ってるとか、
何文何文喋ってるとかってありがちかなって思うので、
その結構役割語としての使い方、
言語の特性みたいなところに違いがあるのかなっていうふうに思います。
あと流通度っていうか、
英語は世界的になっちゃってるんで、
日本語みたいな狭い世界での何方言っていうのは、
日本語できる人しかわからないわけじゃない。
英語の場合、聞く人が多くなって、
しかも別にアメリカとイギリスの細かい方言順を知らないよっていう人も、
普通に世界語だから見るよね。
しかもディズニーとかだとね。
そうすると、ちょっと違いがあって、
アプローチが必要になってくるのかなっていうことで、
スペイン語とのコードスイッチングとかも明らかに分かりやすいということもあるしね。
そういうのはあるかなと思うんですけどね。
方言事情って、日本も結構面白くて狭いのに、
すごい方言分かれてると思う。
日本語って。
だから、メキシコの方言って、
狭いです。
日本語って。
だからネタになるんですよ。
何方言喋るの?男と出身みたいな。
これが一種の文化になっちゃって、
イギリスなんかもそうなんですけど、
これランキングって出るじゃん。
さっき話したように、
ジバンの人は埼玉より偉いと思ってる。
少なくとも栃木より偉いとは思ってる。
茨城とかね。
茨城の対決が勝つことが多い。
例えば、これって何なんだろうっていう。
何のランキングなのっていう話があって。
かっこいい方言ランキングってありますよね。
あるある。だから、
関東で言うと、
東京って別に偉いとか一位っていうのは、
ここが標準だからっていう感じで、
話してから外れるのよ。
他に、関東って何なのっていうときに、
やっぱり神奈川ってなるよね。
横浜がかっこいいから。
ここには、かなわないもん。
千葉とか埼玉っていう一般イメージがあるじゃん。
だけど別にどういう方言喋ってるのかって言ったら、
神奈川は知らないし、別に。
でも、どういう方言あんのかなって思った。
そうですよね。
千葉の人に言わせると、
大体ね、神奈川には負けるけど、
埼玉と茨城、栃木には勝つよって言い方するんだよね。
これはね、ほとんどの千葉県民が言ってる。
ディズニーランドが一番の不安ですね。
あっち、こっちか。
成田空港とかも。
東京を使っちゃってるから、東京の名前を忘了してるっていう感じが。
めちゃめちゃ千葉お口だけど、
めちゃくちゃ暴走だよね。
そういうのってあって、
方言のランキングの比較
ここにいる人は割と関東が多いから、
西日本もあるみたいだね。
やっぱり大阪はあるし、京都はある。
一つステータスがもちろんあるし、
兵庫、神戸もある。
3位までは決まってて、
4位以下はどこかっていう話がある。
奈良、和歌山、志賀とかいうところで、
4位はどこか争い。
これ、ESAもアメリカでもあって、
ランキングって好きな人間。
これって、何なのこのランキングは。
しかも言葉っていうの。
あるわけないじゃん、本当は。
だけど、つけたいみたいなね。
埼玉県と千葉県の方言
埼玉、1位、低いって話になってるんだけど、
埼玉県民の申し込みということで、
千葉には負けるっていう。
結論を言わせていただくと、
千葉には負けてないと思います。
言語学的な話をさせていただくと、
埼玉にも高原があるんです。
千葉にもあると思うんですけど、
それはちょっとよくわからないんですけど、
例えば埼玉だったら、
冷たいのことを100個位とか、
冷たっていうのを100個っていうみたいな
方言が一応あるっちゃあるんですけど、
結構ね、共通してるところがあるんだろうとは思うんですけど、
評価対象が結構アミューズメントバーク的な、
そういう、何て言うんですかね、
若者の人たちにとっては、
行きそうな季節の数みたいな感じで
評価されちゃってると思うんですけど、
それはちょっと違うなっていうふうに。
半分パンクウチランキングみたいな感じで。
そうね。
これが機械かもね。
そうです。
これを高原に乗せていくだけで、
いろんな人たちに評価されちゃってると思うんですけど、
そういうのがあるんですね。
そういうのがあるんですね。
高原に乗せていくだけで、
いろんな人たちに評価されちゃってると思うんですけど、
こういう評価を使うと。
千葉にはディズニーランドがあるから、
うちには埼玉スーパーアリーナあるしみたいな感じで。
そうですね。
本当にそうです。
っていうやり取りがめんどくさいんで、
多分千葉と埼玉は同列なんですね。
方言的にも、
喋ってる言葉的にもね、
そういうのを持ってますね。
でも、
方言があると言っても、
基本喋ってるのが標準語なんで、
そこであんま区別はつけらんないのかなっていうのは、
千葉と埼玉間ではあるのかなっていうのが、
なんだろうね。
標準語って言うと、
大阪の人でも自分は多分標準語喋ってると思ってるんじゃないか。
自分が喋ってる言葉が標準語だとみんな思ってきてる。
そうだよね。
ここは結構重要なんです。
しかもさ、
完全に数字面ってことないじゃん。
ない。
例えばさ、青、青、何だっけ、青単じゃなくて。
これもさ、
何に揃えてて青単のことっていうね、
翻訳してくれればさ、
もう全然通じるじゃん。
だからその程度なの。
なんだけども、
じゃあね、
じゃあみんな標準語で合一すればね、
みんなコミュニケーション楽になるでしょっていう方向性があると同時に、
一方で、なんかバリエーションあると面白いじゃん。
こういう話も盛り上がるしっていうところもあるし、
なんていうのかな、
本当に何か確率化という方向と、
あとちょっと揺れとかズレがあってもいいんじゃないかみたいなので、
やっぱり人間持ってる気がするんだろうね、両方。
外しと、あと大事なところはやっぱり数字合うようにしようねとか、
っていうね、両方の方向性絶対あると思うんだよね。
だからここはね、
多分ね、
工芸は無くならないと思うんですよ。
無くならないよね。
だいたいこの確率化とか、
グローバリゼーションみたいなのが起こると、
必然的にそこからローカリゼーションみたいなことが多分起こるんですよ。
何かが盛り上がると何かが降り下がるみたいなことがあって、
逆増し借りなので、
何かこう、工芸の無くとする動きがあればあるほど多分、
工芸の守ろうとする動きもまた増えていくので、
そういうところでまだ知えるものはないかなというふうに思います。
それだね。
だけど工芸だけじゃなくて日本語と英語もそうでしょ。
英語は国際共通語でやっていこうよっていうところで、
もちろんその意義っていうか、
めちゃくちゃ便利だよ。
一つの言語でさ。
だけども、
別にさ、
じゃあ日本、
英語も強いよって感じはならないんじゃない?
国境において、
世界と繋がるときは英語を使いましょうね、みたいなことで、
絶対日本語を手放すっていう発想にはならないのと、
同じだよね、基本は。
ちょっと、
段階が違うだけで、
同じかなと思うんだけどね。
だから、
単一性とか多様性って、
やっぱりどっちかに触れすぎると、
絶対反動すると思うんだよね。
だから、
逆に多様すぎても、
言葉の差別とその意義
今度通じないじゃんっていう話によって、
そこって結構バランス取れてるのかな、
と思ったりするんですね。
これどう?
名古屋出身者として。
例えば、
私が東京に出てくるまで、
例えば学校で、
教室を掃除するとき、
机を置くじゃないですか。
バランスが悪いから、
机を置くときに、
机を置くじゃないですか。
前から後ろとか、
後ろとか前から。
あれのことを、
終わり地方では、
机をつるって言うんですよ。
つる。
机をつる。
だから、これを、
下げるってことは、
前にやるとき上げるって言うんですか。
戻そうかなって。
教室、
例えば、後ろにやって、
前にやって戻すみたいな感じじゃないですか。
上げる?
上げるって言わないね。
下げたら、戻すよーくらい。
みんな下げようは言うね。
例えば、この机を持ち上げることは、
机をつるって言うんですよ。
へー、なるほど。
戻すときは?
戻すときはつる。
机を持ち上げることはつる。
持ち上げ行為?
持ち上げることはつるって言うんですよ。
これって、
私の感覚からすると、
机と運ぶっていうのはちょっと変なんですよ。
机と運ぶってのは狂気しないでしょっていうのが、
あるんですよ。
この現象的な?
この現象的な?
例えば、ダンボールの箱を運ぶっていうのを言うけど、
ダンボールをつるとは絶対言わない。
あー、だから便利だね。
椅子をつるってのも言わない。
机だけつる。
それ、教員的には便利だね。
そうですよ。だから、
小学校とかで、
じゃあみんな机つってーとかっていうことを絶対言わない。
そうですよ。
これですね、
方言にも自転臭いものと
普通のものってのはやっぱりあって、
その、例えば、
コテコテの名古屋伝で、
バカのことたわけって言うんですよ。
あ、たわけ。
お前たわけ!みたいなことを。
これっていうのは、
その、宗族の時に、
田んぼを受け継ぐ時に、
その、兄弟全員に
田んぼを受け継ぐのがバカだった。
だから、長男に
受け継ぐのが、
減らさないで済むから、
嫁っていうところから
たわけっていうのが出てきた。
めちゃくちゃ勉強になった。
誰でたわけって言うんだろうと思ってた。
田んぼを分けるんじゃなくて、
一人に集中してやったほうが
家が続いていくっていうところから
たわけって言った。
でも、たわけってのは
多分もう言わないですよ。
私たちも。
言わない。
机をつるっていうのは言うんですよ。
機をつるってしか出ない。
たわけね。
でも、方言にも濃淡があるっていうのは
ご承知になったらちょっとお待ちくださいね。
はい。
方言ね、
ランキングって本当にできるんだよね。
イギリスでもあるし、
ものすごくね、
可視化されはしないけど、
どこの方言はやばいっていうのが。
これって、
方言自体の色を生むんじゃなくて、
その都市とか県とか、
その土地に関連付けられている
ある種のイメージで
ランキングができるんだよね。
多くの国でやっぱりできてる。
このね、
いい人間はね、
多分ね、
ランキングしたいんだと思う。
言葉によって。
で、
ランキングしたいんだと思う。
言葉によって。
で、
おとしめたい。
誰かを。
誰かの話すのは
偉い言葉なんだっていうこと。
で、これ、
今回の話に関係すると思うんですけど、
いろんな差別って、
ゆっくりとだけどね、
歴史の中で
撤廃されてきていると思うんですよ。
だんだんと自由になってきてる。
ゆっくりとね。
で、例えば、
今ではジェンダーっていうものもあるし、
年齢差っていうのもあるし、
あるいは、
言うこともあるんですけど、
それを文句に
言葉の差別って
最後の最後まで残るんじゃないか
っていう気がするんですよ。
多分ね、理屈は
言葉は
人生の途中でから
頑張れば変えられるでしょっていうのがあるから。
つまり、
強制できる。
我々も英語を喋れるようになるし、
勉強するようになる。
だから標準日本語も
食べれるようになるし、
ただの色は変えられない。
ジェンダーも
変えられる色が来るかもしれないけど、
一般的に言って
変えられない。
変えられないものに関しては、
これはここで
差別することはよくない。
だけど言葉って
言葉の差別なんで、
これも本当なんで、
最後まで
差別の対象っていうか
になるのかなっていう
一番最後の最後まで
っていう
方言の社会的な影響
方言差別が
セレオタイプになるので、
これ関係するなと思っていますと、
これどう思いますかね。
これは僕の主見なんですけど、
言葉が深すぎて
多分ね、最後まで
何より便利喋ってんのあんた
のこともある。
逆に、例えば英語の
世の中になったとして、
なんか日本語なまりだよね。
それって
ある意味、最も
ズルい気がするわけだけど。
方言って直すって言いますよね。
そうそう。
なんで方言直さないのとか、
方言直したらとかっていう
会話とかあると思うんですけど、
そもそも直すって何なんだろう。
そもそも自分の言葉が
間違ったと言われると
そうじゃないじゃないですか。
自分が例えば大阪弁喋ってたら
大阪弁が間違って
東京の言葉に直さなきゃいけないのか
って言われると
東京方言に何の権威があるのかな
みたいなことに
思いますよね。
これどう思いますかね。
南部方言と政治的利用
だいたい関東圏、東京の話で
とりきり生まれながら
権威持っちゃってる。
持っちゃってるっていう言い方
あるんですけど、
そういう傲慢なんですよね。
これどう思いますかね。
あれ一番傲慢なの
東京行ったっけ。
東京は行くだけか。
一番傲慢なんだね。
行くのは行くんだけど
平成に地方だし
別に全然東京でも江戸っぽでもない
みたいな
あれは思うんですけど。
あんゆーじゃん。
いらないです。
いらないです。
あんゆーじゃん。
じゃあいらないってことか。
どう思いますかね。
どう思いますかね。
いらない。
別に偉い人が喋ってる。
埼玉生まれで
ずっと埼玉で
教授持って行っちゃいけですよ。
別に自分が偉い
みたいなのはないですよね。
偉いって意識は
なくて。
むしろ方言羨ましい
っていうのは
自分が
好きだから
自分は
何か日本人語に近いものを
喋っていたら
方言に対して傲慢な
タイプを取るわけです。
でも逆に
羨ましいって
今、方言が羨ましい
って言っている
方言っていうことで言うと
不思議なもので
家族とかと
いるときじゃないと
出ないんです。
例えば
今、私
いるときは
方言が出るんです。
友達といるときは出ないんです。
彼女といるときは
方言が出るんです。
例えば
名古屋弁で
何々人いてって
人りゃあ
茶はありときゃあ
そういうのって
例えば
食器洗っときゃあ
飲んどきゃあ
全然そうじゃない
全く違う
面白いことがあってね
今日発表のときに
A11学生の大串先生から
質問というコメントがありまして
南部方言って
アメリカ南部方言って
二次会に対してはネガティブな
田舎ものくさい
イメージで
キャラだてに応用されている
利用されている
趣旨だったと思うんですけど
一方で
戦略的に
南部の
大統領演説とか
政治的に
南部の人を引きつけたいがために
南部方言を利用
使って
演説というか
働きかけるというような
そういう使い方って
方言ってあるじゃないですか
そうすると
ポジティブに一気に変わりますよね
方言利用って
黒人英語とかでも
例えば
白人から黒人に言うと
悪口になる言葉も
黒人同士で使ったら
相性になるみたいな言葉があるじゃないですか
それと同じで
南部方言でもあると思ってて
南部方言の間でしか使わない
相性と
他の人たちから言われたら
別称になるみたいな言葉も
いっぱいあると思いますね
そうですね
結局
両方に使えるんですよね
方言って
地域の間では
方言っていうのは
親密性みたいなのを
表すと思ってて
方言を使うことによって
仲間意識が生まれるとか
南部方言
例えば大統領が使ってた
南部方言も
南部の人たちに
仲間意識の表れとして
使ってたっていう
背景があるんじゃないかと思います
そうですね
何て言うんだろう
方言の存在意義
ディズニーも
画一化してるっていう
ある意味
ディズニーの立ち位置とか
ビジネス的な
発想で
世界に売っていかなければいけない
っていうところで
ある種の
方言に対する立ち位置って
あると思うんですよ
ただ
方言って
やっぱり
ステレオタイプを喚起する
というような
側面もあると同時に
今やったような
使い用によっては
つながり
内部的には
むしろ受けるっていう
ようなところがあったりして
マイナスに見られることもあれば
むしろ
うまく
プラスに使うところも
あったりして
っていう
使い方の
日々みたいのがあって
誰が使うかによって
どういう時に使うかによって
使い道って
両側であると思うんですよ
簡単に
要するに
自する方向に
使うっていうのができれば
一方で
エンパワーメントっていうかね
自使うっていうのもあって
簡単には
プラスマイナスとか
言えない話で
そこが理由で
やっぱり方言って
絶対に残るだろうな
両方あるから
どの方言にも
プラスマイナスで
使えることがあると思う
完全にマイナスな言葉って
多分ないと思うんですよ
シチュエーションによって
例えば
標準語でも
バカとかアホでも
友人として使ってたら
親密度合いが増した
みたいな言葉扱いも
あると思うので
文脈とかによりますよね
方言っていうのが
生き残る理由っていうのも
多分
必ず全部が
マイナスなことが
あるわけじゃない
全部がマイナスって
わけじゃないからだと思う
言葉の多様性って
そこに価値を付するために
逆にあるっていう
言い方は変ですけど
プラスもマイナスも
価値を両方の側に
伏せるという選択肢が
あるっていうことが
確率化されてると
それすらないので
言葉の意味変化とかって
時代を振るうことにつれて
どんな言葉も
意味とか変わると思うんですけど
例えば
昔は褒め言葉だったのが
今は
せなす言葉になったり
とか
逆に
昔はしなす言葉だったけど
今は褒め言葉で
使われてるような言葉とかも
あると思うので
そういうところで
ずっと変わり続けて
生き残っていくのかな
とは思います
揺れとか
多様性みたいなもので
それ自体が
良い悪いではなくて
それを人間が
利用してるのかな
っていう
プラスマイナスで
両側で使いたい人が
いるから
これって便利なものとして
残っていくのかな
だから
これが
良いのかな
っていう気は
しっかりするんですけどね
いや
なかなか
良い議論を
できましたっていうか
飲みながらの
フリートークでしたけれども
これで
生放送したい
終わろうと思います
生放送で聞いていただいた方も
思いのほか
急に始めて
飲みに付き合って
くれたぐらいの
感覚だよね
ありがとうございました
みなさん
拍手
ありがとうございます
それでは
これで終わりたいと思います
みなさん
おやすみなさい
エンディングです
今日も最後まで
放送を聞いていただきまして
ありがとうございました
本当に
はちゃめちゃな
みんな
飲んだ状態での
お語りということなので
本気にしていただかないで
結構かと思うんですけれども
日曜日のタワームレに
聞いていただければ
幸いです
この後
実際には
二次会
三次会と
飲んだんですけれども
やっぱり
本当に
この職業は
素晴らしいなと思っているのは
若い人と
これからのことについて
語れる
ということなんですよね
これほど
恵まれている
ポジションというのは
ないんではないかなと
本当に思いますね
若い力
みんないろいろ
考えているわけですよね
それを聞くにつけ
こちらも本当に
エネルギーをもらえますし
今回の
方言の話にしましても
どうやって
言葉と
これから付き合っていくのか
英語と付き合っていくのか
みたいな
話題っていうのは
もう私
よだれ者で
話したくてしょうがない
議論したくてしょうがない
っていうところなんで
それに付き合って
くれるのが
学生だったりするんで
本当に
楽しいな
ということで
先ほどの
会話も
デレデレとしながら
話していた
ということが
とてもよく
わかられてしまうんではないかと
思うほどなんですけれども
本当に
楽しい時間でした
先ほどの話にも
出てきたと思いますけれども
方言というのは
もろばの剣
というところがありまして
これによって
人を貶める
ということも
方言と独自性の探求
可能であるとともに
一方で
独自性を出す
ということも
できる
このような
バリエーションって
やっぱり
あまりに便利すぎるので
つまり双方にとって
使い出があるので
やっぱりなくならないんだろう
と思います
いくら標準語が
あったとしても
この
方言であるとか
非標準的なもの
っていうのは
おそらく
標準があるからこそ
逆にその
安置としてですね
存在意義があるので
なくならない
むしろ
存在し続ける
っていうこと
なんではないかと思います
それほど
言葉っていうのは
矛盾した
存在で
通じればいい
というものではない
それは一つの
方向性なんですけれども
一方で
通じないほうがいい
という言い方
までは
強くはしませんけれども
それぞれの独自性を
出すことによって
本来の
本来のって言いますか
標準語とは
違うんだよっていう
それを示したい
気持ちっていうのも
常に
つきまとっている
言葉っていうのは
通じ合うためだけの
ものではないんだよ
っていうことを
考えさせられるような
対談と言いますかね
飲みながらの
学生との
対話
という
そういう機会に
なったと思います
学生との対話
昨日ですね
飲みながら
昨日ですね
飲み始めてから
急に
この提案したんですよ
美味しい生放送するよ
って言って
みんな
えーっとこうやって
ビビってましたけれども
蓋を開けてみれば
それぞれ言いたいことを
言い合ってですね
みんな
言葉について
語りたいことを
結構語ってた
気がしますね
なかなか
成功だったんではないか
というふうに
思っています
リスナーからのフィードバック
さて
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良い1日になりますように
ほったりうちが
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また明日
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