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おはようございます。英語の歴史の研究者、ヘログ英語史ブログの管理者、英語のなぜに答える初めての英語史、英語語源ハンドブック、言語学ですっきり解決英語のなぜの著者の堀田隆一です。
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ります。
英語の語源がミニツクラジオヘルディオ、英語史をお茶の間におもっとうに英語の歴史の面白さを伝え、裾野を広げるべく毎朝6時に配信しています。本日は2026年10月25日日曜日。皆さんいかがお過ごしでしょう
か。
本日は旅減るスコットランドをお届けしたいと思います。
8月にスコットランドのパースという町に滞在しておりました。
静かな町なんですけれどもね、非常に良い博物館がありまして、パースミュージアムに訪れてきたんですけれども、そこに何があるかと言いますと、スコットランドの宝というよりもスコットランドの象徴ですね。
運命の石と呼ばれているものが安置されているんですね。
こちらはですね、私も本物、実物に対面することができまして、鳥肌が立ちました。
今でも覚えておりますが、強烈な印象でしたね。
何でもない石なんですよ。ただの石と言えばそうなんですけれども、歴史的背景が詰まっているということでですね、価値があるんですね。
今日はこの運命の石なるものを皆さんにお届けしたいと思います。
スコットランドの象徴、運命の石、パース博物館よりです。どうぞよろしくお願いいたします。
この夏、8月にスコットランドのパースという町に滞在していたんですけれども、その時に訪れた博物館とそこで見た運命の石についてのお話をしたいと思います。
旅ヘルシリーズスコットランド編ということになります。
パースミュージアムという博物館があるんですね。
こちら、2024年にオープンしたばかりの新しい博物館なんですね。
展示全体としても大変素晴らしかったんですが、何と言ってもですね、目玉はある一つの石なんです。
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名前がついておりまして、The Stone of Destiny、つまり運命の石と呼ばれています。
別名というか、こちらでもよく知られているんですが、The Stone of Scoon、スクーンの石とも呼ばれております。
このスクーンというのはですね、パース郊外にある地名ですね。
S-C-O-N-E、つまりスコーンのように書いて、これ地名としては、こういう名としてはスクーンというふうに町募員で発音されますので注意してください。
小文字でS-C-O-N-Eと書くと、これもちろんですね、スコーン、お菓子の焼き菓子のスコーンということになりますね。
これですね、お菓子としてはもちろん二重母音でスコーンであるとか、あるいは田んぼ音の発音もあるようなんですね。
調べてみたらスカーン、スカーンという形ですが、これいずれとも異なります。
今回の地名は改めて町募員のスクーンということですね。
博物館の中に展示室が置かれていまして、その入り口の写真をですね、今回は貼っておきます。
というのは中の運命の石そのものはですね、撮影禁止ということだったので、
これはですね、リンクを貼りました博物館のホームページから公式に撮影されたものがですね、見られますので、
そちらからぜひ訪れていただければと思うんですけれども、
この石は何なのかということですね。
まず見た目から紹介しますとね、淡い黄色の砂岩でできた直方体と言っていいんですかね、の石です。
公式の数字は66センチ×41センチ×28センチで、重さは152キロあります。
ほぼ間違いなくスコットランド産の石だということになっています。
ただの石でですね、装飾らしい装飾といえばラテン十字が一つ刻まれているだけということなんですね。
なのでこれ見た目はですね、正直なところ何の変哲もない石の塊なんですね。
ところがこの地味な石なんですけれども、これに付いている、付随している伝説、これがですね、壮大なものなんですよ。
ケルトの伝承によりますと、旧約聖書の族長ヤコブがベテルで天使の幻を見たときに、
枕にしていた石がまさにこれだったということなんですね。
つまりヤコブの枕という伝説があるわけです。
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その石が聖地からエジプトへ、そしてシチリア、スペインを経て、紀元前700年頃にアイルランドにたどり着いたと。
アイルランドですよ。
そして歴代のアイルランド王が退官したタラの丘。
よく知られていますね。タラの丘に据えられていたということなんですね。
その後アイルランドからスコットランドへと渡ったケルト系のスコット人がこの石をスコットランドの地に持ち込むと。
そして840年頃、ケネスマカルピンという王がスクーンの村へ運んだという、
なかなか長い旅路を経てですね、この石がスクーンの村に収まったという長い伝承があるわけですよね。
もちろんどこまで本当かということはわからないわけですが、伝承としてはそうなっているということですね。
その後、史実として確かなことは何かと言いますと、
このスクーンで問題の石が退官用の椅子の座る部分に組み込まれて、スコットランド王の足位に使われていたということ。
これは史実なんですね。
王がこの石の上に座って退官する、つまり王位の象徴、仁義なんですよね。
歴代のスコットランド王がこの石の上で退官してきたわけなんですが、
最後にこの石の上で退官したスコットランド王というのは、1292年のジョン・ドゥ・ベイリオルでした。
というのはですね、なぜここで最後になってしまったかというと、
その直後の1296年にイングランド王エドワード1世がスコットランドに攻め込み、
他の仁義と一緒にこの石をもうロンドンに持ち去ってしまったということなんですよ。
よその国の王位の象徴をたるもの、仁義を自分の国に王宮に持ち帰ってしまったということなんですよね。
とんでもない盗みということになります。
その後、1307年にはロンドンのウェストミンスターアビーに退官用の椅子が作られます。
コロネーションチェアと呼ばれるものなんですけれども、
そしてこの椅子はですね、ちょうどこの運命の石が収まるような大きさに設計されていたと。
最初から狙ってですね、そこにはめ込む勢いでイングランド王が退官の際に座るべき椅子にはめ込むようにデザインしておいたということなんですね。
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これでイングランド王はそのまま王座に座っただけでですね、スコットランド王を兼ねているという政治的メッセージになるわけですよね。
イングランドにとってはスコットランド支配の象徴ということになりますし、スコットランドにとってはこれ屈辱の印ということになりますね。
さてここからが面白いんですけれども、この位置には昔から予言を刻んだ金属片がついていたという言い伝えがあります。
これ言い伝えなんですね。
今は何も装飾がですね、ほとんどついていないということで、この金属になるものも全くないわけなんですが、
そこにはどんな予言が書かれていたかということなんですけれどもね。
これはかのサー・ウォルター・スコットが現代英語に訳して紹介しているんですよね。
内容を日本語で述べますけれども、
運命が誤っておらず、予言者の声が虚しいものでないならば、この聖なる石がどこにあろうとも、そこではスコットランドの民族が治めることになるだろうという意味なんですね。
さあこの予言、その後どうなったと思いますか。
1603年、イングランドのエリザベス女王1世が後継ぎないままに亡くなりました。
そこでイングランドの王位を継ぐことになったのがご存知、スコットランド王のジェームズ6世です。
スコットランド王としてはジェームズ6世、そしてイングランド王になりましたので、イングランド王としてはジェームズ1世を名乗ることになります。
そしてまさにウェストミンスターアビーで、この石の上で体感したということになるわけですね。
つまりスコットランド出身の王が、スコットランド王が、場所はロンドン、ウェストミンスターアビーだったんですけれども、
ついにスコットランドの支配の象徴である運命の石の上で体感した。
これほどふさわしいことはないというふうに、スコットランド民族主義者は大喜びしたというふうに述べているわけですね。
つまり予言が成就したという言い方になります。
そして現代にもこの石の物語は続くんですね。
1950年のクリスマスの朝のことなんですが、
なんとこの石がウェストミンスターアビーから盗み出されるという事件が起こるんですね。
盗んだのは誰かというとスコットランドの民族主義者たち。
しかもどうもグラスゴー大学の学生たちでしたということなんですね。
私の中心大学なんですが、そこの先輩たちが盗んだといっても、
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イングランドに盗まれたものを取り返したという見方もできるわけなんですけどね。
このあたりは民族主義者というのを犯罪者と見るかどうかということなんですけれども、
これなかなか152キロある石ですから、スコットランドまで運ぶのはなかなか大変だったと思うんですよね。
なかなかの行動力とも言えるわけなんですが、
ただですね、その4ヶ月後には回収されてしまいます。
ウェストミンスターアビー、ロンドンに戻ってくることになるわけなんですが、
その後1996年、英国政府はついにこの石をスコットランドへ正式に返還するということを決めます。
700年ぶりの里帰りということになります。
その後しばらくはエジンバラ城で展示されていたんですね。
私もエジンバラ城にこの運命の石ってあるんだよな、今はって思っていたところ、
つい最近このパースミュージアムに収められることになったということで、
予期しないところで実は私実物にお目にかかったという、実は次第なんですよ。
ただしですね、石がスコットランドに戻った後でも英国君主の退還式の際には、
ロンドンに一時的に運ばれて、コロネーションチェアに収められることにはなっているんですね。
なかなか微妙な契約ではありますけれども、そんなことになっているようです。
ということでこの石は今もなおですね、現役の神器であるということになりますね。
実物を前にした感想を正直申し上げますとね、
本当に何の予備知識もなくこれだけを見せられたらただの石なんですけれども、
背景があるということを知った上で見るとですね、すごいなと。
大いにの象徴をこの一観光客がですね、しかも無料なんですよ。
無料で入って博物館で見ることができる。
ガラスケースみたいなものの中に入っているので、
触れることはもちろんできないんですけれども、厳重に管理されているとはいえですね、
博物館に足を運べば誰でも実物を見られるというのは、
これはすごいことだなというふうによく考えると思いませんかね。
このパースという町はエジンバラからもグラスゴーからも1時間ほどで行ける落ち着いた町ですね。
堤川が流れていて、周りの丘のハイキングもですね、非常に快適で美しいです。
スコットランドを訪れる機会があればですね、
ぜひパースの方も足を伸ばして見ると良いと思いますね。
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ひっそりとした、本当に落ち着いた良い町です。
最後に英語史の観点から一言添えておきたいと思いますね。
スコットランドとイングランドの関係史というのは非常に複雑ですけれども、
そのまま言葉の問題にもですね、この関係史は関与してきます。
つまり、スコッツと呼ばれる英語編集と、いわゆるイングリッシュと呼ばれるイングランドの英語編集ですね。
この2つの言語の関係史と表裏一体といいますか、パラレルなんですね。
スコットランドで長らく話されてきたスコッツというのは、
いわゆるイングリッシュと同じく後英語に遡る兄弟のような言語なんですね。
しかしこのスコッツは1603年の王冠連合、それから1707年の議会合同というイングランドとの統一化を経て、
次第に南のイングリッシュの影響を強く受けるようになって、影を潜めていくという歴史的な流れがありますね。
この石をめぐる政治の歴史とスコッツという言語、あるいは英語編集をめぐる歴史の動きというのは連動しているということなんですよね。
このストーンオブデスティニー、あるいはストーンオブスクーンの伝説、歴史を入り口にして、
ぜひ皆さんもスコットランド英語、スコッツというものと、いわゆるイングランドの英語の関係についても考えてみてください。
エンディングです。
今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
スコットランドの象徴である運命の石、パース博物館で見てまいりました、というご報告の旅へるシリーズでした。
本物、実物をですね、間近で見ることができたというのは、これはなかなかの幸せだったなというふうに思いますね。
皆さんぜひパースへ足を運びください。
さあ、絶賛発売中の新刊書、なぜ三単元目撃マップ企画についてお知らせです。
全国のリアル書店で本書を見つけましたら、町と書店の名前を添えて、なぜ三単元が置いてありましたよ、とお知らせください。
私がグーグルマップ上にピンを立てていきます。
日本地図をなぜ三単元で埋めていき、英語誌をお茶の間に広めていきたい、というのが企画の趣旨です。
また、独立された方におかれましては、Amazonレビューなど各種のプラットフォームで本書のご感想をお寄せいただけますと幸いです。
それでは、今日も皆さんにとって良い一日になりますように。
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英語史研究者のほったりうちがお届けしました。
また明日!