\土曜日のお昼にお届けするVivienneとGeorgeの親子トーク/
トークテーマは『学校で教えて欲しかったこと』
メッセージはXの「@ChaChaPod」からお願いします。
サマリー
このエピソードでは、学校教育における学びや人間関係の重要性についての考えが共有されています。特にLGBTやマイノリティに関する教育の不足が取り上げられ、学校での人との向き合い方やコミュニケーション能力の必要性が論じられています。また、カミングアウトの経験を通じて、他者との理解やコミュニティの大切さが強調されています。個々の経験を共有することによって、より安全な居場所の必要性が訴えられています。
学校教育の欠如
Cha Cha with Vivienne and George
学校?学校でこういうことを教えてくれてたら、もっと楽しかったんだろうな、もっと役に立ってたんだろうなっていう。
夏休みだからこういうことについて考えてるんだろうな。
確かにね、もちろん私とパパは学校に行っていません。
行っていません。そのくらい若く聞こえてると思いますが。
でも、私の弟を見ると、夏休みに入ったばかり。
で、学校でどういうのを学んでるの?
なんか数学とか、国語、英語とかいろいろあるじゃん。
でも、これを学べばよかったなっていうのを最近私結構考えていて。
私はもちろんLGBTのメンバーでレズビアンだけど、それって学校で全くまだまだなかったの。
全くないね。
LGBTの人のこととか。
で、結構クリスチャンな環境にいたから、周りの人たちが私にホモフォビックなことを言ったりとかは、
あったんだよね。私の経験の上ね。
でも、もし学校でそういう教えがあったら、LGBTの人は、トピックについてあったら、
もう少し子供たちもトピックLGBTに関して視野が広がっていったかもしれない。
だってさ、学校で学ぶことって世間に持っていくことだから。
だから、その時にもう少し視野を広く、こういう人もいるんだよとか、いろいろLGBTに関してちょっとでも学べたらよかったかなって思う。
俺もそう思うね。
自分の経験の上?
やっぱりマイノリティについての、歴史では勉強するんじゃない?
そうだね。
でもその実際の、例えば現代社会でのそのマイノリティについての、そういう教育ももっとあればよかったなって僕も思うね。
だって実際、学校ってすごい小さいコミュニティじゃないですか。
そうだね。いろんなバックグラウンドから来ている人たちが一つの場所で集まっているから、
なんかもちろん、ベーシックなことは学ぶよ。
その道徳とか、サイコロジーみたいな、いろいろあるじゃん。
こういう気持ち、人の気持ちはこういうものとか、人権の話とかいろいろあるけど、
けど、それは私の場合、1年に数回しかなかった。
そういう、みんなで集まってそういう話をしたりとか、そういう人の気持ちとか人権についての話とかね。
もう少しそれを増えてもよかったかもしれない。
多少あったんだよね。
多少あった。
俺もね、高校3年生の時そういう授業があった。
人間関係の重要性
もし、私が先生だったら、生徒たちにこういういろんな人たちがいるんだよっていう教え方をしたり、
世の中に入ったら、数学の今学んでいるXYなんとかなんとかは、
わかる?私数学全然できないんですけど。
だけど、大人になってね、私、いつ、そのtheory ofなんとかなんとか、いつ使った?って思うの。
その数学で学んだことを、いつ使うの?って。
使うのは人間関係のものじゃないですか。
それが一番使うと思う。もちろん読み書き、数学、引き算、もちろんそれは役に立ってるんだけど、
でも一番使うのって人間関係じゃないですか。
人間関係。
自分と例えば違う意見を持っている人、自分と違う生き方をしている人と会った時に、
どう接するのか、受け入れるのか、理解しようとするのか、それから理解する前に否定するのか。
どう向き合うのか。
それをね、学校でもっと教えてくれたら嬉しかったなって。
それすごい大事なことじゃないですか。
すっごい大事。
私はパパとジェネレーションが違う。
たぶん私の学校時代の方が、もっと人との向き合い方とかは、もっと教えてると思う。
パパのジェネレーションに比べるとね。
でも、それでも私はもう少し、自分の経験で言った上、LGBTに関してとか、いじめに関して、
もう少し話してもよかったんじゃないかって、
1年に数回の学校集まり会で動画を見させてとかじゃなくて、
社会に出てもさ、いじめってめっちゃあるじゃん。
会社でもあったりとか、
いじめってさ、学校で見るようないじめじゃなくても、
誰かのことを侮辱したり、自分より下に見下ろしたりとかさ、
自分と違う人。
で、それって学校で学んで何もわからないから、そのまま世界に入って、
上司にこう言われた、同期っていうか、同じコーワーカーなのに、
こう言われてる、でもどうしたらいいかわからないなとかさ、
結構ため込んじゃう人って多いと思う。
家庭の役割
だって私もそうだったから、昔。
でも、もし私が先生とか、パワーある人だったら、
こうされたら、こうしたらいいんだよとか、
そういう、もう少し視野を広くするために、その課題について話すかもしれない。
それを、もっと世間に送りたいかな、私だったら。
相手の意見に賛成しなくてもいいと思う。
例えば、わかる?いろんな意見があるから。
でも、相手の話を聞く体制、相手の立場についてちょっと考える。
もっと、自分が正しくて、相手が間違ってるんじゃなくて、
自分はこうだけど、相手の意見を聞きたいとか、
そういうような環境を、もっと学校で聞き上手な環境をもっと作ってほしかったかなって思うところありますね。
でもそれね、学校として難しいものなんだよ。
学校はね、一方的に教えるんじゃない?
一方的というか、教えるから。
私たちが知って、あなたたちはこれを聞きなさい。
意見も聞きますけど、でもこっちが。
でも、俺たちが言おうとしてるのは、聞き上手?
聞き上手。
聞き上手の、相手の気持ち、思いやり?
そういう授業?
人との向き合い方?みたいな授業を欲しかったかもしれない。
それはもちろん、今の学校が悪いとかじゃなくて、
ただ、Do you know?
あれがあるんだよ。
大人になってから、22歳が大人のゼロ歳みたいな。
23歳が2歳、24歳が。
大人になってから、でもそれでもまだ若いの。
大人の世界ではまだ若い。
まだベイビー。
だから、高校卒業して社会に入って、まだ何も知らない。
それはまだ社会の中の子供。
だから、学校で学ぶことって、もちろん国語とか数学とか、
そういうベーシックな、みんなが覚える基礎はあるけど、
大人の世界に入っていくために、
必要な人間とのコミュニケーション、話し方、
自分との向き合い方とか、
バブルっていうの?
自分のサークルから、これしか知らない、この環境でしかいたことないのに、
いきなり世界に出ると、自分は一人だから、
そういう時に、学校でもしこういうのとか、
学校だけじゃない家庭でもね、
もう少しスムーズなトランジッションができるように、
私は親になったら多分、そういうの結構子供に、
いろんな話をするかもしれない。
わかる?
まさにそうだと思う。
私が若い頃、パパが結構教えてくれてたんですよ。
世界はこういう人いるよとか、
大人になったらこういうことがあって、
僕の経験ではこうだよとか、
私たちって、今のこのポッドキャストみたいな会話を常にしてるんですよ。
もし、学校でもそういう会話をできたり、
タブーじゃなくて、いろんな会話をオープンにできたら、
もっと良くなるんじゃないかなって思った。
学校では、もう絶対Bがカミングアウトして、
これは辛い思いするんだろうなと分かってた。
実際、カミングアウトするまでどうなるのか分からなくて、
結局辛かったんじゃない?
でも、学校はそうで、なかなかそれコントロールできるようなものではないじゃん。
いろんな考え方が向こうにあって、
学校が間違っていると、もっと上手な付き合い方があったんじゃないかなと思うけど、
でもその反面、コントロールできないのは、
OK、じゃあそういう環境にいたB。
でも、俺がコントロールできるのは家じゃん。
家の中での教え方とか、
カミングアウトの経験
世間的にはこういう考え方をしている人が多いけど、
でも俺はこう思うよ。だからあなたは間違ってないと思うよ。
だからそういうBの救いは、もしかしたら家があったから?
友達があったからじゃない?
これは私の個人の経験での話だけど、
LGBTの話で、
学校では、私がカミングアウトしたくてしたんじゃなくて、
カミングアウトしないといけない状況まで行っちゃったんだよね。
噂が立っていて、
結構、私の聞こえるところ、同じクラスルームで、
Vivianはこういう人と一緒にいたり、
レズビアンなんだよとか、
ヘイトな感じ、いい意味での話じゃなくて、
ヘイトな感じで、侮辱されている感じで話されてたの。
レズビアンだから、ブラブラブラみたいな。
そういう話を聞いて、
私はみんなが知っているんだったら、
自分で、I'll take it backって思ったの。
I want to reclaim the power.
自分にパワーを戻そうっていう気持ちで、
先生がね、ちょうどその時に、
ホームルームの先生が話を聞いてて、
子供たちの愚痴をね。
あなたたちゲイの人知らないでしょ。
そういう話するの本当は良くないんだよ。
みたいに言ってくれたの。
すごいいい先生だったの。
その先生が、
言ったの。
あなたたちゲイの人知ってるか?
待ってたのね、その先生が返事を。
その時に私が手を挙げて、
はい、先生、私はゲイですって言ったの。
みんなの前で。
だってその話は、
みんな分かってて、私の話をしてたから、
伝説的に。
だから私は、
先生は私のことって分かってなかったけど、
それで私が、
Yeah, it's meって言ったの。英語で。
I'm gayって。
で、みんなシーンってするじゃん。
そしたら私が、みんな、
いろんな考え方の人はいるけど、
でも、人のことをそんな堂々と言うのって、
LGBTQの人、
レズビーだからどうなの?って言うのはさ、
どうなの?みたいな感じで返事したのね。
英語で言ったんだけど。
それって、いじめじゃない?みたいな。
そしたらみんな黙って、
数人私に、学校の後に、
ごめんねって言いに来たの。
素晴らしい。
で、その子たちには、
仲良くなったんだけど、
その後にいろいろ問題はあったよ、学校で。
それで私が、
カミングアウトしちゃったから、
100%アルビビオンはゲイって分かっちゃったから、
そこで一気に、ブワーって広がったんだよね。
でも、そこの時点で、
もし私の学校が、
もう少し、
LGBTのことに関して授業とかしてくれてたら、
もしかして、
もっと、ヘイトじゃなくて、
もっと理解が増えてたかもしれない。
それか、私と同じゲイの人たちもいたよ。
学校に。
でも、その子たちももう少し、
心がつらくない状態にいたかもしれない。
アビーがカミングアウトしたから?
その授業とかで、
LGBTのことを話してたら、
もっと安全な空間だったかもしれない。
学校が。
その理解の話で。
学校教育の必要性
私がカミングアウトしたことで、
他のレズとか、
ゲイの人たちが私に来たの。
で、ビビが言ってくれたから、
僕、私一人じゃないって分かったんだよ。
って言ってくれたりして、
私が一方的に周りから、
ヘイトを受けていても、
この子たちは、
私がいるって分かって、
一人じゃないって分かったから、
それだけで、私の頑張れる勇気になった。
それで、
コミュニティの中で、
いろんな違うバックグラウンドから
来てる人たちの中で、
私は友達を見つけられたりとか、
周りが何言っても、
私はその人たちと一緒にいる。
っていう強さがあった。
だから、もし、
学校がもう少し、
そういう人たちのために、
もっといい居場所?
居やすい居場所?
なんて言うんだろう?
いい空間?
居場所がないって感じないように?
LGBTの旗を置くとかさ、
難しいかもしれないよ。
その学校によってね。
でも、
でも、
社会に出ると、
学校の生徒のために考えると、
今はこうだけど、
あなたたちにとってショッキングかもしれないけど、
世の中に出ると、
もっとあるから。
そういう話とか、
めっちゃ大事だと思う。
そうなんだよね。
B、大変だったよ。
Bはね、今後も、
例えば、
どう思われても、
どう思われても、
何言われても、
結構大丈夫な、
性格になっちゃった。
波あると思うけど、
でも、前に進んでいく。
で、社会もね、
ついていってもらいたいな。
だから、今後、
お母さんになった日とか、
誰かが私に、
相談してきた日には、
私が学校で、
してもらいたかったことを、
その人にアドバイスしてあげたい。
人との向き合い方とか、
一番最初に話したみたいに、
コミュニケーション。
学校では学べないような話は、
私がアドバイスをあげれるもんなら、
あげたいと思う。
私は家では、パパとママと
いろいろ話とかできたけど、
それができない人もいるからね。
だから、そういう人たちのために、
もし私が何かできるんだったら、
私はそういう人になりたい。
って思う。
今週はこの辺にしますか。
OK、じゃあみんな、またね!
バイ!
15:36
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