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2025-02-26 20:09

#18 芭蕉の言葉が心にブッ刺さった

最近、芭蕉や彼の俳諧(俳句ではありません)について学んでまして、大変面白くも学びになっています。今回はその中で特に印象に残る、「芭蕉ってスゲぇ」と思った言葉などについて話します。

※補足※

今回のエピソードで芭蕉の言として紹介している「予が俳諧は〜」は、原典(柴門ノ辞)では「予が風雅は〜」となっております。ただ、芭蕉は風雅を俳諧の意味で使っていたこと、風雅だとリスナーの方々はますますピンと来ないだろうとのことで、「予が俳諧は〜」として紹介しております。悪しからずご了承ください。

サマリー

このエピソードでは、松尾芭蕉の言葉に触発され、彼の作品と影響を再評価しています。芭蕉の考え方や彼の言葉が現代にどうつながるのかを深く掘り下げています。また、「予が俳諧は、夏炉冬扇のことし」という芭蕉の言葉について、その深い意味を探求しています。さらに、茶の湯の精神的意義や芭蕉への敬意とシンパシーについても触れています。

松尾芭蕉の紹介
本日は2月の26日ですね。 また朝になりますが、
いつもとはちょっと違う散歩道から、この録音をお届けしております。 さて、今回もですね、ちょっとあの最近
ありがちと言いますか、我ながらちょっとパターン化してきてるなというところで、ちょっと前後半と言いますか、
本日ちょっと準備段階的なお話をさせていただいてから、もうちょっと突っ込んだ話の後編へというような構成でお届けしようかなと思います。
今日のですね、前段というか準備段階で何を話したいかと言いますと、これはこれで非常に話したいことではあるんですが、
芭蕉がすごいなというのを改めてちょっと最近思っています。
これは、いわゆる松尾芭蕉ですね。 江戸の元禄の頃ですね。だいたい1600年代の末頃に活躍された、
いわゆる今で言うとこの俳句の
達人と言いますか、奥の細道とかですね、書いてあちこち旅をしながら俳句を読んで、例えば有名なのは古池や川津飛び込む水の音、
みたいなものだったりしますね。ということで非常に日本人であれば結構ポピュラーな、学校とか行ったら絶対習いますよね、
みたいな方なんですけども、逆に言うと僕も松尾芭蕉というと、学校で習うことにちょっと毛の生えた程度の知識しかなかったので、
ここは後編につながる話なんですけど、あるきっかけがあって、芭蕉とか関係者の俳句をですね、ちょっと一回ちゃんと勉強してみようかなと思って、
実は今何冊か本読んで勉強してるんです。それをちょっとまだまだ途中なんですけども、それを経てやっぱり松尾芭蕉すごいなと思ったことがいくつもあります。
芭蕉の言葉の深さ
まずですね、これは僕が学んでいるお茶にもすごいつながるなと思ったのが、芭蕉が残している言葉の中でですね、とてもすごいのがありまして、
これは芭蕉というのは先ほど言ったように江戸の元禄の頃の方なので、それより前にですね、和歌ですとか、いろんなジャンルのいわゆる達人と呼ばれる方がもちろん当時もいたわけですけども、
そういったいろんな人たちを引き合いに出しながらですね、芭蕉が語っていることがありまして、
それはまずその文だけ読みますね。
採行の和歌における、葬儀の蓮華における、摂集の絵における、利休が茶における、その貫通するものは一なり、という言葉を書かれているんです。
正確に言うと芭蕉自身が書いたというよりは、弟子が、師匠がこのようにおっしゃってましたというような形で書き留めている感じではあるんですけども。
まず冒頭に出た採行とか葬儀という方は和歌でとても有名な方ですね。
採行はお坊さんなんですけども、全国を巡りながら非常に和々び感あふれると言いますか、歌を書かれていまして、
実は採行の歌を書かれたものが茶室にかけられたりとかいうことも実は結構あります。
そして摂集というのは、いわゆる水墨画の対価ですね。
これもすごい味わいのある、言ったら白と黒しか使ってないんですけど、本当に動き出して、例えば動物が描いていればそれが動いているような。
でも実際には止まっているわけですけど、その佇まいだけでもすごそうな、そういう水墨画を描かれている方ですね。
そして離宮の茶。これに貫通するものは一つであると。
だからすべて同じものが、言ったらベースにあるというか、通定しているということでいいかと思うんですけど、
僕、今あがった人たち全部好きなんですね。
これを馬匠が言ってる。
だから言ってみたら、馬匠も結局この人たちが好きなわけですね。
ということは結局馬匠がやってるものも、今あげたような人たちと一緒のことをやってますよ、っていうような言葉ですね。
これはちょっと、あげられた人物全部好きぜ、お茶やってる身としては、ちゃんと馬匠のことを学ばなきゃなっていうふうに、
これで思いましたというのが一つですね。
で、ちょっとタイトルにもした、馬匠の言葉が心にぶっ刺さったと。
めちゃくちゃこう、きたー、すげーっていうのがあったんですけど、
これはですね、これの話をする前にちょっと一個話しておかないと、前提として話しておかないなと思うことがありまして、
先ほど、僕はちょっとわかりやすさ重視で、馬匠というのは俳句の大化ですと、俳句で有名な方ですというふうに言いましたけれども、
これ僕も最近まで知らなかったんですが、実は俳句っていうのは馬匠の頃にはなかったんですね。
どういうことかというと、俳句と呼ばれる現代の5・7・5で書かれるあのスタイルというのは、
もう明治期になって、正岡子規という方がですね、生み出した文学なんです、新しく。
だからつまり歴史がまだ150年ぐらいしかないんですよ。
だからもちろん江戸の盛りの頃に生きてた馬匠が、俳句と言われても全然ピンとこない。
そんなものまだなかったっていうところなんですね。
じゃあ、でも馬匠も5・7・5の句とか書いてるやんっていう話ですよね。
さっきの古池屋のやつとか、静けさや岩に染みる蝉の声とか、
まあ結構誰でも知ってるぐらいのものがありますけども、あれも5・7・5じゃんってなるんですけど、
あれはですね、具体的に言うと、実はあの後に続きがあるんですよ。
というのはどういうことかというとですね、
まずですね、俳句の前に、いわゆる短歌、和歌と呼ばれるものがあって、
5・7・5・7・7の31文字ですね、俳句よりもちょっと長いものがありますが、
この5・7・5の部分がよく神の句、7・7の部分が霜の句って短歌では言われたりして、
例えば百人酒のカルタとかは、5・7・5の神の句を読んで、7・7が吹かれた札を取るというような遊びになってますが、
結構この神の句、霜の句っていうのが、それぞれの区切りやすいグループなわけですね。
実は先ほど、西洋の和歌、葬儀の連歌っていう言葉が出ましたけども、
この葬儀のところで書いてる連歌っていうのが連続する歌と書くんですが、
これがですね、実は5・7・5・7・7の歌に続いて、
また5・7・5をくっつけて、さらに7・7をくっつけるみたいな、
グループで神の句、霜の句を交互に読み合って、全体として一つのストーリーを作るみたいなのが連歌っていう、
言ったら遊びですね、イベントなわけですね。
これは結局ストーリーで続きものなので、前の人が読んだものにいい感じにくっつけて自分のパートを読んでっていうのを続けていかなきゃいけないんで、
芭蕉の文学への影響
かなりスピードと教養が要求されるみたいなところなんですけども、
この連歌というのがまずどちらかというとみやびな感じの遊びとしてありましたと。
ただやっぱりここで単歌で使われる、もちろん連歌ってことですけど、
使われる言葉っていうのはどっちかというと、画語と呼ばれたりするんですが、いわゆるみやびな、
言ったらちょっとお上品な感じの、美しい感じの、上流階級の人が使いそうなものが基本だったんですね。
それだけじゃちょっと面白くないよね、みたいな感じだと思うんですけど、
別に普段使ってる日常生活である言葉、これを俗語と言ったりするんですけども、
言ったら普通にありふれた、時にはちょっと乱暴だったりするような言葉を使って、
別に連歌やってもいいんじゃないっていうムーブメントが生まれてきまして、それが徘徊の連歌と呼ばれたんですね。
ここでいう徘徊っていうのはどういう意味かというと、滑稽っていう意味なんです。
つまり美しい画語ですね、みやびな言葉を使ったきらびやかな連歌ではなくて、
ちょっと日常生活とか普段使いので、面白みとか滑稽さを混ぜた、ちょっと砕けた感じの連歌。
面白くないっていうことで、徘徊の連歌というのを始められた一派があったと。
実は馬賞は徘徊と言ってるんですね、自分がやってること。
つまり徘徊というのは、実際は徘徊の連歌なんですね。
なので馬賞実はまず575を読んだ後に、その後77を続けて、また575を続けてっていうふうに繋げていくっていうことを、
むしろメインにやってたんですね。これを連句と言います。
つまり連歌が歌を繋げていくことですけど、句を繋げていくっていうことで連句と言うんですけど、
実際は連歌とスタイルは一緒だけど中身がもっと砕けてる。
だからこれが徘徊である、つまり滑稽であるというようなことですね。
なので馬賞がやってるのは実は徘徊なんですよ。
だから馬賞自身も世が徘徊、つまり自分の徘徊はみたいなことを頻繁に使っているので、
つまり自分がやってることは非常に面白おかしいとか面白みがあることとか、
滑稽なことは俗っぽいことなんだよっていうスタンスがまずある。
だから別に気取ってるような方ではないというのがまず一つあります。
で、じゃあなんでそういう続きものの句をメインで馬賞はやってたのに、
いわゆる古い家みたいに、いわゆる5・7・5のとこだけが今有名なんだというのは、
このいわゆる連句ですね、続いてるものの最初に来るやっぱり5・7・5っていうのはスタートになるので、
これめちゃくちゃ重要なわけですよ。
要するにそれがポンと出された後に、その後にずっとストーリーを繋げていかないといけないわけですね、
グループでやるときに。
で、ストーリーが広がりとかある程度の懐深いものじゃないと繋げようがないじゃないですか。
本当に5・7・5がその中で本当に完結してて、
ああまあまあそうですよねみたいな風になっちゃうと、
えっとこれどう続けたらいいのみたいになっちゃうので、
このホックって言うんですけど、初ですね、発車の初、
つまり始まりの句のことをホックと言うんですけど、
このホックというのがめちゃくちゃ大事だと。
で、このホックには例えば記号が入っていなきゃいけない、
季節感を感じなきゃいけない。
そうするとその季節に沿わせて続きを作るみたいなことができますし、
あるいは意味合い的にもパツって分かりすぎて切れちゃうような感じじゃなくて、
余韻があるというか解釈の違いがあるというか、
いうようなものでないとこれまた後が続かない。
そういうようなやっぱりホックというならではの特徴とか条件みたいなものがありまして、
ここの部分はやっぱりすごい大事だねっていう風に馬匠の時でも言われてました。
で、このホックの部分だけを切り出して一つの文学にしたのがさっきのマサオカ式であり、
それを俳句と言うんですね。
これが今の俳句へのつながりです。
つまり馬匠が言ってた頃はまだこれは徘徊であったというのがまず一つあります。
これを前提にしてこの後のお話を聞いてほしいんですけども、
馬匠が自分の徘徊とはどういうものかっていう風に語ってるところがありまして、
その言葉というのが僕がすごい心に刺さったってことなんですけど、
どういうものかというと、
芭蕉の言葉の解釈
まずその言葉だけ読むと、「世が徘徊は、かろ風船の如し。」っていう言葉なんですね。
正直今、言葉だけ聞いても浮かんでこないと思うんですね、字面が。
世が徘徊っていうのは要するに、私の徘徊、つまり馬匠が作ってるいわゆる徘徊というものは、
かろ風船の如しっていうのがどういう字を書くかというと、
かろっていうのは夏の炉ですね。
飛遍にとどかく、要するにいろいろとかですね。
つまりかろというのは夏の炉ってことです。
つまり暑い盛りに使う暖房器具ってことですね。
そして風船というのは冬は冬ですね。
で、船は扇です。
つまり扇、要はパタパタ扇、要は冷房器具ですね。
つまり馬匠自身が私が作ってる徘徊というのは、
夏に使う暖房器具とか冬に使う冷房器具みたいなもんだっていうふうに言ってるんですね。
これどういうことかというと、要するに役に立たんもんだってことです。
暑い時に暖房器具とか役に立たないし、なんで使うんみたいなものですよね。
冬の場合も冬の冷房器具もしっかりです。
まあその程度の、言ったら役に立たんもんですわ、みたいなことを言ってるわけです。
しかもこれ弟子に対する鼻向けみたいな言葉で言ってるんですね。
え、それどういうことって思うんですけど、
馬匠ってそんな自分のやってることを軽く見せたのっていうふうにこれだけ見ると思うんですけど、
でも言ったら馬匠はこれに命かけてるわけですよ。
例えば有名な奥の細道っていう東北の方を中心に旅をしたっていうのが一番有名ですけども、
あれはかなり馬匠が晩年の頃、今でいうご老人になってからの旅、
しかも当時の旅ですからね。
1600年代も後半のところなので、だから1690年とかあたりだったかと思いますけども、
その頃だって別に電車とかがあるわけでもなく、道もそんな今のように舗装されてもいなく、
まあちょっと馬匠は持病とかも持ってて、旅の途中でちょっと体調が悪くなって休んだりっていうこともやってるんですけど、
そういう今と比べたらすごいいろいろ整ってない中で、
そんなおじいちゃんの状態でめちゃくちゃ旅をするっていうのは当時めちゃくちゃリスキーなことだったんですね。
なので馬匠も旅立ちのときの句で、この旅路で死ぬかもしれないみたいなことを言ってるわけですけども、
結局でも私が尊敬する人たちも旅に来て、旅に死してきたと。
要は私もそういうふうにやりたいという決意で出てるぐらいのすごい覚悟を決めた旅だったんですけど、
実は奥の細道の前にもいくつもあちこちに旅をして、
その内容を弟子たちが中心になって、いわゆる書物にまとめて出すみたいなことはしていたんですね。
つまり旅をいろいろしていたわけですよ。
そんなにそんだけリスキーな旅を何度もですよ。
それは要するに自分の徘徊を極めるという思いからしていたと。
だからこれだけの覚悟をやっているほど打ち込んでいるものがですね。
だから人生かけて打ち込んでいるものを、
世が徘徊は、かろう当選の如しみたいな、
いやまあまあ役に立たんもんですわみたいなことをさらって言っちゃうっていうのが、
えーみたいな、でもすごいなと。
だから逆に言うと、変な意味で自分のバイアスがかかってないわけですね。
だから言ったら、世の中の役に立つと思ってやってるわけじゃないと。
世の中の役に立つものっていうのは基本的にその商売にもなりますから、
だからそういうこととしてやっているわけでもないと。
だから世の中に全然役に立たないことであろうが、
でも自分はこれをやりたいので、人生と命をかけてやっているという、
だからこのさらりとした言葉にすごい場所の覚悟とですね、決意と、
まあ自分がこれをやるぞと、こういうパッションですよね。
情熱と言わんばかりの、静かな句ばっか書いてる方のような印象ですけど、
内側にはぐつぐつと煮えたげるような、
情熱があふれてた方なんだなっていうのを先ほどの言葉から感じまして、
僕はこの世が廃界は過路風船の如しという言葉がですね、
茶の湯への情熱
めちゃくちゃ心にぶっ刺さったなと。
言ったら僕もですね、エンジニアとしてなりわいを立てつくんですね。
言ったら茶の湯が今の何の役に立つのみたいな、
そういうふうに面と向かって言ってくる方はいらっしゃいませんがさすがに。
でも多分心の中ではそう思われてるだろうなって方もいらっしゃいます。
何で茶の湯やってるの?みたいな感じの質問してくる時点で、
多分こういうこの方はそう思ってるんだろうなみたいな、
茶の湯何の意味があんのって、
どっかで思ってらっしゃるんだろうなっていう時もあります。
でも僕はですね、このいろんなエピソードでも散々伝えているように、
僕的にはもちろん楽しいからやってるっていうのもありますが、
現代における、そしてこれからの時代における茶の湯というものにすごい意義を感じていて、
僕なりの情熱を持ってやっているというところでも、
すごいシンパシーを和尚と、
ちょっと僕ごときがちょっと僭越ですけども感じたというところでありました。
ということで、和尚の言葉がとても心にぶつかりましたというのは以上なんですけども、
じゃあ何で僕がですね、その和尚の勉強をし始めたのかというのは、
ちょっと先ほどポロッと言ったように、
まあ和尚のことをもう少し勉強しておかなきゃなとか、
まあ読んでみたら和尚がすごい採用とか離休とか、
摂取とかですね、僕の好きなものに通じたつもともやってること一緒ですよみたいなことを言ってて、
おおと思ってさらに勉強したくなったというのはあるんですが、
じゃあ何でそもそも和尚を学ぼうと思ったのかというきっかけがですね、
次のお話ということにさせていただこうかなと思います。
それでは今回もお聞きいただきありがとうございました。
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