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私は、戦略的仮面夫婦
仮面夫婦ですが何が?
戦略的仮面夫婦株の人生解放チャンネル。
このチャンネルは、仮面夫婦として過ごして今は別居中、
仕事はポジティブライスワークなわまもの株が、
戦略的に仮面夫婦として生活をしながら、
幸せに生きるために心を解き放して自由に配信をするチャンネルです。
モラハラ、仮面夫婦、仕事、子育てなど、
同じ悩みを持つ誰かに許そう配信をしたいです。
お疲れ様です。ハブです。
今日は、モラハラのような子育てのようなお話をしたいと思います。
クソ夫はモラハラだし、けちだし、自己中だし、
存在が外役で、明日死んでくれって思ってましたけれども、
実は振り返ってみると、子育てで役に立っていた面が、
いくつかあったかもなぁと思ったんです。
何人か対面で会ったことある方はご存知かもしれないんですが、
我が家の娘たちですね、小6の娘1と小2の娘2は、
本当によくできた子なんですよ。
親ばかなんですが、受け答えもそうだし、
結構気も利くし、動きがすごいんですよね、大人ばりで。
それが何でかなと思うと、
自分で言いますけど子育てが良かったのかなという点もありながら、
あとは本人たちのポテンシャルですね、潜在能力もありながらなんですが、
案外クソ夫が役に立ってたかもしれないなと思って、
そんなお話をしたいと思います。
今わけあって、モラハラだったり、クソ夫だったり、
クソ妻とかね、クソ岐阜みたいな人と同居とかやり取りをする方いると思うんですけれども、
そういった方々に、もし良かったらこういう風に考え方を変えて、
あ、こいつらも案外子育てに役に立っているかもなという視点を持っていただくことで、
心が軽くなるかもしれないなと思ったので、
そんなお話をしたいと思います。
それでは本編に入ります。
まず一つ目役に立ったことですが、
これが一番大きいんですが、反面教師にするということです。
これは皆さんもやられているかと思うんですが、
まさに私がクソ夫の機構とか言動を受けた時に、
それを子供に反面教師にしてもらうということですね。
当時同居自体を振り返ると、土日の過ごし方ですね。
私たちは家にいて、クソ夫は自分の趣味で気分で出かけていると、
その日は実家に何か用事があって、
午後に実家にみんなで行かなきゃいけないということがありました。
クソ夫が帰ってくるのを待っていたんですけれども、
一向に帰ってこない、約束の時間になってもですね。
連絡もしてこない。
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なので私たちはどうしようかなと思って、
当時LINEをして、
先に行っているから、実家に現地集合をしてね、みたいなことを送って、
出ようとしていた矢先に帰ってきたんですよね、駐車場かな。
そこで、なんで時間を守らないで連絡もしてくれなかったのなんて小事を言おうものなら、
じゃあ俺に行くなということかと逆切れをしてきたりとかですとか、
家族みんなで実家に行くって約束をしたのに、その一見で拗ねてしまって、
俺は行かないとかいうことですね。
クソ夫のせいで待たされたり、予定が来るまで遅れるとか迷惑をかけられたのに、
クソ夫は謝る、どころか逆切れしだして、挙げく人格の否定ですね。
お前が決めた予定が悪いとか、めちゃくちゃなんですよ。
そういった事態が子供の前で起こったとします。
その時の私の心中としては、待っていた労力、
例えば仕事とかで遅れちゃったとかならしょうがないと思うんですけど、
クソ夫は趣味ですよ。
しかも実家に行くって遊びじゃないじゃないですか、家族行事みたいなものなので、
それに行くっていうことなのにクソ夫は遊びに行って振り回されるっていうこともすごく嫌でしたし、
しかも遅れることに対して連絡もなし、連絡もなしに帰ってきたと思ったら詫びもなし、
そして挙げく逆切れっていうサイクル最悪ですよね。
だから私の心もすごく疲弊しました。
そんな姿を見せて、子供たちはそれだけだと雰囲気も悪くなるってことだし、
だけど私はその起点というか想像を変えて、
それを反面教師にするように日頃心がけていました。
子供たち待たしてしまってごめんねと。
だけどもしこういうふうに自分が待ち合わせの約束を守れないんだったら、
まず遅れるって分かった時点で連絡をしようねと。
そして遅れてしまった時は色々言い訳したいことはあるかもしれないけど、
相手の気持ちを考えたら開口一番はごめんなさいと、またしてごめんねと言おうねと。
そしてクソ夫の逆切れ、お前が入れた予定が悪いに立ち返るんですけれども、
そもそもその予定に不満があるんだったら、
相手が誘われた時にそのまま予定が嫌だとか言うんではなくて、
何か理由の優しい嘘ってやつですかね。
ちょっとその日はとか言って断るとか、相手を気を遣いなさいみたいな、
そういう話をするように心がけていました。
あとおかしいですね。
クソ夫は時々自分が気が向いた時に皿を洗ったりとかするんですけれども、
いつ話したっけな、皿洗いは水難事項なんですよね。
お皿洗いをするお腹とシンクの隙間ってちょっとあると思うんです。
そこがもう水が滴るぐらい水浸しになってるんです。
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味噌汁とかのお椀は汁が入るところを上向きに置いちゃうから水が溜まるわけですよ。
なんでこうなるのかなっていう感じなんですけれども、
そういうところを指摘してもクソ夫はじゃあ洗うなということかとか、
水浸しになっていても俺はそうは思わないとか言ってくるわけですよね。
そういうところも子どもたちに見られてしまったら、
あえてクソ夫がそこで早めに寝るんで、
寝た後に子どもたちをちょいちょいってかけて見せるわけですよね。
子どもたちこのお皿洗いちょっと見てくれると、
こういうふうに水浸しになっていると、
次に来た人がお腹が濡れちゃうよねと、
あとは何か知らずに物を置いたら濡れてしまうよねと、
あと水が滴って床が滑ると危ないからと。
例えばお皿洗いをした時は布巾とかで拭いて、
水浸しになっちゃうのはしょうがないけどちゃんと拭くようにしようとかそういう感じです。
あとお椀の様子も見せて、こういうふうに洗うと乾く効率が悪いから裏返しですね。
お椀の水分が溜まるところは下とか横にするといいよとかそういったふうにしていました。
こういうふうにクソッとの変な言動や仕打ちは悲しいものではあるんですが、
それを子どもたちに対してもうなんでこんなクソッと私は嫌だみたいなしくしくするのではなくて、
こういうことをすると相手は困るんだなと。
じゃあ逆に困らせないというか、
そういう状況を生み出されないためには私はどういうふうにすればいいんだろうということをですね、
常し日頃子どもに理論的にというのかな、感情的になっちゃうとママがかわいそうってなっちゃうんで理論的に説明をしていたということで、
結構反面教師っていうのは我が家の神の子を育てるのに役に立っていると思います。
事実は子どもたちはパパみたいにすると傷つく人がいるとか周りに迷惑をかけること自体が悪いんじゃないんですけど、
意図的に迷惑をかけるのは良くないと思うんで、
そのことになってしまうっていうのは気づいているし、
パパみたいにやっちゃダメだよねみたいにポロって言ったりとかするんで結構浸透してきているのかなと思います。
次に社会問題について議論するきっかけをクソッとに与えてもらったなと思っています。
壮大なスケールで言うと、まさにうちは友働きなんですが昭和の価値観で家事、育児とか地域のことは全部女の私がやっていました。
これは何回かSOSを出したりしていたんですが、
そんなに辛いなら仕事を辞めればいいだけど生活費は上げないけどなですとか、
地域の行事も嫌だったら辞めればいいとか、
あと家事、育児は女の仕事だ、時短勤務をしているんだということは、
それをやるとあなたが選択したんだから俺は手伝わないとかそういうことを言われたりしてたんですけど、
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そんなわけで私は全部やってたわけです。
それを見た娘イッチは言うわけですよね。
なんでママも働いているのにお家のことはママしかやらないの?というところを言ってくるわけです。
ここが社会問題について議論をするチャンスです。
感情的になってしまうとパパが手伝ってくれないの?
なんで私はこんな人と結婚してしまったのかしら?しくしくしくとなってしまうんですけれども、
ちょっと感情は置いておいて、
そうだねとパパにはお願いをしてるけど聞いてくれないというところはあるんだけど、
実は意外とこれってママのお家だけじゃないんだよって。
男女平等って働かされるような世の中にはなっているし、
実際昔と違って女の人もとっても働きやすい世の中になってきた。
家事と育児に関しては女の人にお願いをする体制がまだ抜け切れていないんだよと。
事実、子供が体調不良とかで熱を出してしまった時は休むのはママでパパは会社に行く。
それはパパが悪いところもあるけれども、
振り返るとママの会社でも男の人が急に休むって人はあんまりいないんだよねって。
そういうのって女の人が多いんだよねって。
なんでだと思う?とかそういう感じですね。
結構そういったことを我が家の愚痴っていうか地味なことって、
結構我が家以外の社会問題とつながっていることも多くて、
それを結構ああじゃない、こうじゃないって、
小学生なんでその拙い言葉で返ってくるんですけど、
結構子供の意見を聞くのも面白いんですよね。
最近あった面白いことは、例えば選挙の話とかですかね。
これはクソ夫と勉強した後ばつい最近の話なんですけど、
ママが私ですね、ちょっと職業柄政治みたいな話を少しするんですけれども、
娘イチが何気に雑談の途中で、
ねえママなんで大人は選挙に行かないのって。
国を守るというか国のことを決める人を選ぶためのものって
当たり前に行くべきなのになんで行かないのみたいなことを言い出してて、
すげえなと思ったんですけど、
でもこういうことがその雑談の中で出てくるのっていうのは、
そのクソ夫と日頃過ごしている中で、
それを私が社会問題として捉えて、
それをママはこう思うんだけどあなたはどう思うって結構議論を重ねていたっていうのは、
そのクソ夫のおかげなのかなと思っています。
家庭が円満で手伝ってくれるパパさんだったりとか、
社会問題の議論みたいなものを大人でできちゃえば、
子供を入れる必要ないんですよね。
だけどうちは残念ながらクソ夫はそんなに面白い話をできる相手も私は話したくないしね。
私は話したとしても出てくる意見はステレオタイプの、
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俺はこうだとか社会がこうだからダメなんだみたいな、
そういう全然話してるバカだってつまんないから、
だからそういうふうに夫が役に立たない。
夫がその社会問題の引き金となっている場合は、
結構その話を子供とするのも面白いのかななんて思っています。
そうすることでだいぶ娘1、2も言葉が達者だし、
自分の意見は結構ある方なのかななんて思っています。
そして3つ目が大人と話す力、というかコミュニケーション力が身につくということです。
これは何でかなのかなというと、
私が結構友達とのお出かけ、
夜例えば一緒にご飯食べようとかもそうだし、
あと土日ですね、会社のイベントとかに子供を連れて行ったということが大きいです。
何でなのかなというと、
それはやっぱりクソオットーが私が出かけるのにも子供の面倒を見てくれないこれにつきます。
だけど私はそれだからと言って、
私が子育て、子供と家にいなきゃいけないから家にいなきゃ私もですねとは思わなくて、
子供が連れて行ける範囲だったら連れて行って、
私もその場を楽しむようにしていたら、
子供が大人と話す力がついたなあなんて思っています。
私は25歳かな。
第一子娘一を産んでるんですけど、
その当時周りはまだ結婚してなかったから、
独身の女の子が多かったんですよね。
そんな中で子供を連れて行くと、
子供は娘一だけみたいな状況もあったんですけど、
そんな中で自然にポンと子供が一人でいると、
他の人は全員大人だから結構そこでその受け答えの力が身についてきました。
それを積み重ねて土日のイベントとか、
私の会社の人とかがいる中でも子供たちがいるっていうことも結構あって、
私が他の人を大人と話しているときは自ずと子供たちだけになるから、
その空き時間を他の大人と話すわけですよね。
そうすることで結構大人の人に対するコミュニケーション力が身についています。
そしてこれが人見知りをしないっていうことにも結構寄与しているなと思っていて、
初対面の人と話すのってなかなか緊張すると思うんですけど、
しかも大人ですね、そういった人と話す機会を平日の時々夜とか土日に設けることで、
子供のその人間力も高まっている気がします。
なぜこういう状況が作られてしまったかというと、
クソ夫婦が子供を見てくれないからですが、
これがもし円満な家庭だったら、
じゃあ俺が見てるから行っといてよママなんて言って、
それが一番あるべき姿というかいいと思うんですけど、
そうすることで子供はパパと楽しく過ごせる一方で、
その知らない大人と触れ合える時間はうちの子よりは少ないのかなと思っています。
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なのでクソ夫婦が子供の面倒を見てくれないということで、
これも培われた技術かなと思っています。
そして次に社会で生きる力もクソ夫婦が面倒を見てくれないおかげで身につきました。
これもちょっと先ほどの話とラップするんですが、
クソ夫婦が子供を見てくれない分、私は子供を連れて出かけるということが多かったです。
それは何気ないお出かけとか旅行とかも同じなんですけど、
結構女3人で出かけることでこの人と社会で生きる力が身についてきたように思います。
例えばレストランとかで注文をする力ですね。
私は結構子供には自分の注文は自分でさせるようにしていて、
例えばこれくださいとかそういうことですね。
小さいうちだとこれとか言うことあるんですけど、
それをだんだん徐々にこれくださいでしょうとかそういったところとか教えたりとかですね。
これが円満な家庭でパパママもいると、
パパとママが協力して注文しちゃうと子供が出る場がないわけですよね。
だけどうちは大人の私が一人だからちょっとママがわたわたしている時に
あれも頼んでおいてみたいな時で注文とかをさせちゃうんですけど、
そうすることで注文力が身についたりします。
または緊急事態みたいな対応力も身につくのかなと思います。
例えば大きいショッピングモールとか広いところで
急に誰かがトイレに行きたいって言い出したりとかしたとします。
大人が二人いれば、じゃあ俺がトイレ探してくるからって
ママちょっとこの買いかけの荷物見ててなんてことができると思うんですけど、
クソッとがいないとそういうこともできません大人一人なので。
そうすると娘イチちゃんちょっとトイレ探してきてですとか
娘イチちゃんちょっとこの買い物カゴ持っといてとか
そういったことを協力したりとか
あとそういった緊急事態における体制も
そのバカ図を組むことで気が利くようになってきます。
トイレしかりですけれども
娘イチが娘イチがトイレ行きたいって言ってるから
ママちょっとトイレ探してくれとか言ってきてくれたりとか
そういうことですね。
これも大人が一人足りないことでその代わりを
補い続けたことで身についている技術なのかなと思っています。
そして子どもと私だけで出かけることで身につくことは
結構社会のルールですかね、電車の乗り方とか
スイカのチャージの仕方とか
電車の仕組みとかも結構身についたりしているので
クソッと抜きで出かけることで身につく力っていうのは
たくさんあったのかなと思います。
振り返るとモラハラ連発で
子どもの面倒は俺は見ないとか
俺は自分のお出かけが優先みたいな
あんた出かけていいけど子ども連れていくんだよねみたいな
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オーラって心底腹が立ったんですけど
振り返ると子どものためにはなっていたのかななんて思っています。
そして最後これは概念的なものなんですが
母と子、そして姉妹同士の
絆が強固になるかなと思っています。
私はクソッとのモラハラとかの
トンチンカンな行動を受けるたびに傷ついていました。
その時にママはちょっと悲しいなってことは討論しつつも
クソッと自体の悪口は子どもには言わないように
心がけてはいたんですよね。
なぜならば子どもにとっては大切なパパだからですね。
しかし今まで述べたことの積み重ねであったりとか
子ども自身も夫の行動を見続けていると
ものづとママは頑張っているなとか
ママは正しいなしかりですか
そういうふうに思ってくれるようになります。
もしかしたら円満な家庭だとパパもママも好き
みんな一緒みたいな
それが一番いいとは思うんですけれども
クソッとが本当に残念すぎるせいで
私と子どもたちの心のつながりは
本当に強硬なのかなと思っています。
事実、いつかこれからなのかもしれないんですけど
小6の娘イチは本当に反抗期みたいなものがまだなくて
まだ3人で一緒にお風呂に入りたいなんて言ってくれますし
一緒に寝るって言って
私、自分の子供の頃を思い返すと
小1人とかで一人の部屋で寝たりするんですけど
ありがたいことに好き好きと言ってくれたりしています。
娘にも同様
ママ、どうしてそんなに素晴らしい人なの?
なんて言ってくれたりします。
クソッとが今いないから
頼る大人が私しかいないっていうこともあると思うんですけど
だけどこういうふうに2人が言ってくれるっていうのは
私のすごさ、自分で言いますけど
自分のというところもあるんだけど
それ以外にもやっぱり相手が残念すぎると
私のまともさが引き立つんだなって思うところも大きいし
クソッとの気候言動を
さっきのように3人で出かけたりとか
緊急事態を乗り越える
それを続けてきたからこその
信頼というか団結力なのかなと思っています。
私はクソッとと出会ったのは
本当に失敗だし結婚したのも失敗だし
人生の汚点ではあるんですけれども
そのクソッとのおかげで
神の子が出来上がり
そして今本当に楽しい娘2人に恵まれて
なのでクソッとのおかげで
子供たちに出会えたのは本当に感謝しています。
以上がモラハラクソッとも案外子育てに
役に立っていたかもしれないなというお話です。
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円満な家庭でも少し役に立つこともあるのかなと思っていて
パパやママができることを
少し子供に任せてみるというところとかは
やってみてもらってもいいかななんて思うので
もし参考にしてみてもらえたら嬉しいですし
今そういった残念なパートナーに困っている方は
ちょっとポジティブに捉えていただいて
これも子育てに役に立つことがあるかもななんて
発想の転換をしてもらえたら嬉しいです。
それでは失礼します。
仮面夫婦のみなさん、仮面夫婦とまで行かなくても
パートナーとうまくいっていないみなさん
毎日大変ですが無理して頑張りすぎないでください。
お互い自分の体と心を一番大事にして
しなやかに楽しく乗り切りましょう。
無理しないことを頑張りましょう。
それでは失礼します。