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2025-11-01 35:09

令和七年秋の章「だいたいの日本史3」2

ガチャを回して出てきたお題について語る「文ガチャ」 『春』『夏』『秋』『冬』の四季ごとに一つのテーマを、月一回・一日の夜にお届けいたします。

令和七年『秋』の章は「だいたいの日本史」です。
今回は江戸時代の文化についてをテーマにしています。

霜月の回は、江戸時代の文化の流れについて、いろんな作品を紹介しながらご紹介しております。

急に寒くなって、秋はどこに行った…という感じの日々です。短い秋の夜長にゆっくりとお聴きください。

参考資料:タイトル『ビジュアル版江戸文化入門』、著者・深光富士男、河出書房新社

サマリー

江戸時代の文化の構造について、寛永文化から元禄文化、そして宝暦天明文化にかけての変遷が語られています。特に、庶民文化の発展や著名な文化人に焦点を当て、多様なジャンルにわたる芸術が形成された時代を振り返っています。このエピソードでは、火星文化やその文学、芸術作品、さらに幕末の文化について論じられています。特に、浮世絵の著名な作品や作家、また落語の歴史的背景と影響について詳しく触れられています。また、落語とその周辺文化の発展に関する歴史的な視点が提供され、特に三聖亭佳楽とその作品に焦点が当てられています。時代ごとの落語の重要な人物も取り上げられ、彼らの影響がどのように落語界に残っているかが語られています。

江戸時代の文化の始まり
はい、ということで、文ガチャ令和七年秋の章の、今回が下月の回となりますね。
で、文化の、江戸時代の文化の話をしていこうと思うんですけれども。
僕が前回にもね、参考にした本があってっていう話をしてるんですけれども、
そちらの文化の区分けで言うと、ざっくり5つに分かれてまして、
結構多いんですよね、分け方としては。
そうですね。
これについて触れていこうと思っております。
で、フルージョン・カリタン文化の名前をね、挙げていくと、
寛永文化。
で、次が玄禄文化。
で、その次が宝暦天明文化。
で、火星文化。
で、最後はその本は幕末の文化っていう、なんちゃら文化っていう名前のない時期を
一つの文化機関として立てていました。
それぞれがどんなものか、古い順に見ていこうと思うんですけれども。
ちょうどね、結果的に5つに分けた場合、宝暦天明って今回のベラボーの時期が
真ん中に挟まって、それ以前それ以後とも取れるなと思っていて。
まずは前半の方の、そこに至る前の時代の話。
まず最初、寛永文化。
期間としては1596年から1673年となっておりまして、
1596年ですから江戸時代より前から始まってますね。
1773年までなので、江戸時代の最初の70年間も含まれているということですから。
要するに江戸時代の初期と言っていいでしょうね。
この時代は文化といってもこれまでの時代、平安時代から始まって戦国ぐらいまでって、
文化史って庶民の文化の話じゃないんですよね。
公家、貴族、もしくは時代下って武家の文化っていうのが語られるようになっていくだけで、
庶民の文化じゃないんですよね。
この当時もかなり庶民の文化っていうテイストは少なめで、
武家っていうよりはやっぱり公家から、それが庶民に降りてくるみたいな時代だったようです。
絵師としては華能単位。
何て読むんだこれ。節中、売畜、長寿でいいのかな。全部読めばいいのかな。
雪が積もっていって、梅と竹があって鳥がいるよってやつですね。
あとは、これは有名。たわらや壮達、風神雷神、屏風図。
これも屏風なんで、金の金箔に風神と雷神がいてね。
コンタックのCMかなんかでも使われてる感じになっちゃうんですけど。
これがやっぱり屏風とかっていう感じなので、
屏風を立てられるような空間がない人にはあってもしょうがないようなものなので、やっぱり大きいものとしてね。
っていうのが絵画の話。
主に絵画文芸と芸能と学問みたいな感じで話していきますけど、ないところもあるんですけどね。
文芸の方が、ジャンル的に言うと金造詩っていうのが出てきた時代で、
全くね、コピペして貼っちゃってるから何て読むのか分かんないっていうのがいっぱいあるんですけど。
何て読むんだこの人。たぶんお坊さんだと思うんですけど、この人。
ジョライシですね。
読み、漢字としては何々の語徳の語徳ですね。
ジョ、ライが、これ何の字だっけな。
人弁に、人弁があって作りの方が、
田んぼの他の字を品とか森みたいに3つ並べるやつ、トドロキとかみたいに。
に子供の子と書きますね。
ジョライシとも読むのかな。
ジョライシが性格みたいですね。
そうですね。この方は歌唱記という本を書いていて、これが金造詩ね。
歌唱記。
笑うべき印。
おかしいでしょっていう本ってことですね。
笑い話みたいな意味ですね。かなり初期のものみたいです。
この中でもね。金造詩の中でも。
あと鈴木肖像の二人ビクニというのも、当時の文芸として、
庶民向けというかね、
教養とか知識とかっていうことじゃなくて、
楽しむためのエンターテイメントみたいな意味なのかなと思うんですけど、
二人ビクニは金造詩の作品の一つですと。
成立したのが関栄十年で1633年なので、
秀田だから家光ぐらいの頃ですかね。
二人ビクニ。
二人ビクニって読みますね。当時の文化はそうでしょうな。
余談ですけど、落語界とかも二人界とか言わないと二人界って言うんですよ。
家康秀田の二代に使い関ヶ原の戦いは、大阪の陣に出て武功を挙げた三河節だったそうです。
っていうような人が書いてる本なんですけれども、
こういうものも庶民に手まで届いたのかな。
というような本がありました。
芸能本はまだ歌舞伎とかが出てくる前なので、そんなにパッとはしないんですね。
学問の方では林羅山という人が出てきまして、
儒学なんですけれども、より具体的に言うと朱子学というところに入っている感じですかね。
それから、
ちょっとこれサイエンスに近い方の話になるんですけれども、
サイエンスっていうか天文っていうのかな。
読み方がちょっと自信ないです。
城郷暦っていう小読みですね。
城郷暦。
が作られたような時期で。
昭和晴美の。
そうですね。
wikipediaの冒頭で書かれているところによりますと、
江戸時代前期の天文学者であり異語博士でもありましたとなってますね。
そういう人なんですね。
こういう文化もこの時代にありました。
だからやっぱり、上のほうなんですね。
身分制度的な中で、上のほうの人にとって影響があるようなものが多い。
ただ一方で金造詩みたいなものが出てきて、庶民にも降りてきている。
という時代。
元禄文化の栄光
ちなみに官営通報の官営ですね。
次が江戸時代の文化のクライマックスと言ってもいいぐらいの元禄文化ですね。
1688年から1704年となっておりまして、
官営文化から隔てること15年。
次の法力天明文化までの間に47年空いていると。
全国の跡が非常に長いですね。
あんまり時代が良くなかったりするからとか、そういうこともあるんだと思うんですけど。
絵画のほうでは林場ですね。
尾形幸林。
これもめちゃめちゃ有名。
紅白梅図屏風。
白と赤の梅が金屏風にあるよっていう絵ですね。
綺麗ですね。
やっぱりまだまだ屏風絵の話なんで。
庶民のものって感じは絵のほうではなかなかしてこないですよね。
先に学問の話をすると、和算で有名な関隆。
たぶん和算っていうね、日本式の数学のトップの人と言っていいんじゃないですかね。
たぶん映画とかにもなってましたよね、この人ね。
そうなんですね。
確か、違ったかな。何かの映画の脇で出てくるのかな。
先ほどの渋川春美さんのことを描いていた天地名冊っていうお話の中には関さん出てますね。
そっかそっか、それでかな。
はい。
それの影響かもしれないですね。
時代はあれってちょっと思ったんですけど。
そっかそっか。
そうですね、確かに。お生まれが関栄14年または19年ってなってますね。
だからそうですよね、時代的に微妙な感じがすると。
そうですね、はい。
そんな人もいたりしますよと。
やっぱりこの時代は、まず浮世雑誌の方では、金雑誌から浮世雑誌に変わってますね。
伊原細角というとんでもない傑物が現れまして。
高職一代男とか日本英体倶楽とか世間村残余とかいう大きいタイトルがいくつもありますよね。
一方で松尾芭蕉の奥の細道も原力文化に代表するよと。
文学と言えないこともないんですけれども、この場合は芸能かなって思うのが地下松本細文。
はい、ジョン・オルリー。
偽作者、偽作者なので。
そうですね。
曽根崎真珠とか、黒泉や合戦とか、そういうものを描いてる人。
何人魚上手ですね。
歌舞伎の方では初代市川男十郎。
市川男十郎って、諸説ある中で薄い説に、山梨県にルーズがあるんじゃないかって説もあったりするんですよ。
市川町って今は違いますけど、名前変わっちゃう。市川なんとか町って名前になっちゃいましたけど。
そこに三階松みたいなのが関係あるんじゃないかな、確か。みたいなのもあるらしくて、そんな話があったり。
さっき人魚ジョン・オルリーって話も出てきて、そこと関連する形で偽大優っていうのもありまして、竹本偽大優って人が出てくるのもこの時代。
他の時代でこのこと触れませんが、相撲では雷伝多名門がいた時代。
この時代だったんですか。
みたいです。
落語の中ではもう一人有名な人で、谷風っていう人がいるんですね。谷風和之助っていう人がいて。
世代的にちょっと雷伝より上になるので、落語の相撲のお話では、谷風がもう親方になってて、雷伝が現役でバリバリやってるみたいな感じだったり、
雷伝が若手で谷風が、当時横綱っていうのが役職的にはないので、王席とかでいてとかみたいなような話があったような気がします。
ここでだから、わりと演劇の文化が出てきて、これがわりと庶民向けですよね。
ここまでで触れてないですけど、やっぱり武家区下が見るのって農協議員なんで。
人形譲渡りとか歌舞伎っていうのは、基本的にお忍びとかで見たことはある人もいるのかもしれないけど、
普通は武家とかが、少なくとも上位の方の人が行くようなものではなかったはずなので。
この辺でようやく庶民文化が出てきたかなっていう感じなんですけれども。
この時代もちろん江戸時代なので、幕府の政治の中心は江戸にあるんですけれども、
元禄文化は基本的には京都で発展した文化ということのようです。
この後が宝暦天明文化になりますので、さっき言った津田寿とかの話ですよね。
元禄文化の時から浮世絵も出てきてるんですけれども、
宝暦天明文化の影響
大河ドラマの感じで見てわかるように浮世絵なんかもバンバン、
その機能として変わってきてる部分もあって、宣伝的な効果が狙われたりとか、ブロマイド的な効果であったりとか。
そういうふうにもなってきますし、青本。
もともと赤本っていうのがあるんですよね。
青本っていうのが出てくるんですけど、青本っていうのが、ベラボを見てるとわかるんですけど、
ブルーじゃなくてグリーンの青なんですよね。
そうでしたね。
これが色が落ちるらしくて黄色くなるんですよ。
へー。
なので奇拍子っていうらしいです。
なるほど。
同じものを指してるみたい。
へー。
っていうようなことがあったり。
これも落語から見て知ってる話なんですけれども、歌舞伎役者で今はいないと思うんですけど、中村仲造っていう人がいて、
初代の人が落語とか講談とかで有名な存在なんですけど、
この人が出たのも宝暦天明文化の時代にあたるようです。
へー。
続きましてが、ベラボが終わる頃から始まる文化みたいな形で、火星文化。
はい。
火星文化と浮世絵
火星文化は火星っていう言語があるんじゃなくて、文化年間と文青年間なんですよね。
おー、はい。
文化文青っていう言い方もよくすると思うんですけど、文化がね、カルチャーみたいな意味の文化と同じ字なんで。
そうですね。
文化文化とか文化文青文化とかよくわかんない。バイク川崎バイクみたいになっちゃうんで。
普通は火星文化って言いますね。
はいはい。
この時代になりますと、本当に浮世絵が充実してきまして、シリーズものとか出てきますね。
葛飾北斎、富岳三十六景とか。
えー。
宇多川広重、東海道五十三継とか。
はい。
この辺がだから、富岳三十六景が1830年から34年。
はい。
東海道五十三継は1833から34。
はい。
あと宇多川邦義の相馬の古代理って読んだっけな。
はい。
これ見てほしいです。お聞きの方もちょっと検索してもらうといいかなと思うんですけど。
宇多川邦義。
邦義かな。
の、ごめんなさい。もう一度。
相馬の裏代理でいいと思う。読み方が悪い。
相馬の裏代理。
相馬って福島の相馬群とかあるじゃないですか。
あうに馬ですね。
あ、ええ、ええ。
で、相馬のっていう送り仮名が入って、古代理。
古いにお代理様の代理。
はい。
で、合ってると思います。言い方としては。
はい。
っていう絵が、怖い絵ですけども。
おー。
これでも有名ですよね。このでかい骸骨の。
はい。見たことありますね。
で、なんか階段とかいうとよく出てくるような絵柄として有名だと思ったんで。
ちょっとメモをとっといたっていう程度の話なんですけど。
これ見ないと面白くないかなと思ったんで。
宇多川邦義ですね、今のはね。
はい。
で、あと、ずっと宇多川広重邦義と続いてもう一人、宇多川邦貞は、どれとは挙げてないですけど、
用意としては挙げてないですけど役者絵で有名だった人ですね。
はい。
はい。
えー、というのが華西文化の絵師たち。
はーい。
ですね。
はい。
で、えー、続きましてはこの書籍の方ですね。書籍というか文学というか。
文学とその影響
えー、これがやっぱり奇妙志という言い方にこの辺からなってくるようで、まあ国系本ですね。
はい。
が中心です。
はい。
で、えー、となれば10ペンシェイクの東海道女ひざくり毛。
はい。
これだから東海道五十三義と時代が一緒なんで。
え。
その東海道中っていうものが割と行き来が増えてきてるんじゃないかなと思うんですよね。
あー、そうでしょうね。はい。
で、えーと釣谷南北の東海道、四釣谷階段も東海道ってつきますね。
あー。
確かに。
で、えーと四季帝三馬と楽帝馬賞の狂言いなかみさお。読み方合ってるかな。
狂言いなかみさお。
狂言師とか狂言使いとかの狂言ですね。
はい。
で、田舎は普通の田舎で。
はい。
えーとみさおは曹っていう、大曹の曹っていう字?
あー、はい。
あ、えーと狂言いなかあやつりだそうです。
あやつりか。
はい。
失礼しました。
はい。
で、のがあったりしますし。
はい。
えーと四季帝三馬はえーと、腹の内下作種本?
おー、知らないのが来た。
あと浮世床ね、有名な方では。
あーはい。
四季帝三馬。
言葉としてね、有名。
私は浮世風呂をずっと読んでたので。
あー、そうなんですね。
はい。
あれ浮世…浮世風呂の話しようとしたのかな。浮世床って書いちゃってるけど。
浮世風呂、たぶんあのー、言葉のことかなんかでやったことがあるかと思います。
うーん。腹の内下作種本でいいと思うんだけどなー。
腹の内。
お腹の中ってことですね。
はいはい。
腹筋の腹にのがお墓で使われるのの字で、内は外側の内で下作も下作だし。
はい。
種本は種本なんで、種子植物の種の字にブックの本。
だから、合ってると思うんだけどなー。
ですね。
ちょっと読み方わからない系問題が多めになってますけど。
そうですね。著者が北尾茂雅と式亭三葉。自転車行く小川…。
あーもうそんなのも入ってるんだ。
はい。小川よしまるかな。美しい二丸という方になってますね。
先ほどの体内と付き図なんですね。
そっかそっか。そこと連動するわけですね。
はい。
代表作、式亭三葉は他のサイトを見ると浮世風呂、浮世読行を並べて代表作と書いているものもありますね。
ここであとは、読み本として滝沢馬勤南宗さとみ八犬伝ですね。
これも火星文化の時代と。
法力天明文化から引き続きで歌舞伎や人形浄瑠璃がとても人気があったようです。
学問の面では猪田高ですかね。学問という言い方で正しいかどうかちょっと微妙ですけど。
地図を作った人っていう言い方でいいかな。
っていうのが火星文化の時代の話。
ここまでで1830年までいきますので、幕末は僕のカウントでは1853年からなので、黒船来航からなので。
20年ほど空いて幕末になるということになります。
幕末についてはもうちょっとだけ話しますけれども、
御運邸秀貞っていう人がいまして、これ海外の話ですね。
宇多川系なんですよ。宇多川貞秀とも言うらしいんですけども、
横浜絵っていうのを描いていて、幕末なんで外国文化が入ってきてるんですね。
それを絵に描き写したものみたいなイメージ。
人物は掘り下げてないですけれども、東海道五重山図を描いた宇多川博之家が、幕末ぐらいの頃に、
名勝江戸百景っていうのを描いたりしています。
文芸の話のほうがちょっとこれといったものはなくて、
幕末って実際には動乱期だし、落ち着いて文化が発展っていうわけでもなくて、
ただこの時代の大きい存在なのは河原版ですね。文字の読書、文字を読むという意味合いで。
絵もやっぱり入ってたみたいですし、木版のすり物で、
さっき言った横浜絵みたいなものも河原版に反映させられたそうです。
横浜絵とか河原版っていうのはほぼ報道。
現代でいうとテレビのニュースとかネットのニュースみたいなものに近い存在で。
落語の歴史
宇多川博之家は前の時代から引き続き観光街道みたいなノリってことですね。
東海道五重山図に描いてた人が名勝江戸百景ですから。
学部のほうではいろいろいるんですけれども、幕末ですと他にもいるなというのはいっぱい思いつきますが、
代表的には大方孝安。乱学者ですね。大阪で的塾っていうのを開いてた人で、
後々偉くなる学者さんなんかも多くここで学んでたっていうこともありますので、この人を挙げざるを得ないかなっていう感じ。
他に学者でいうと佐久間翔山であるとかいますし、
あとは時代がもう少し下りますけれども福沢諭吉だって幕末を生きてきた方ですから、
慶応時代に慶応義塾大学を作るわけですから。大学じゃないですけどね、当時は。
当時はただの慶応義塾ですけど、そういう人もいたり。
学者という意味で言えば西山根とかも学者ですよね。
あとは微妙ですけど藤田東郷とかも学者って言っていいのかな。
一気には飲みますね、藤田東郷さん。
水戸の水戸学の人なんで、学問なのか思想なのかみたいな感じは多少ありますけど、
そんなような人たちがいますよというのが文化としてはそんな感じになっていて。
芸能っていう欄を作ったのには私らしい理由があって、
この時代をご分割してるっていうのも同じようなことで意味があるんですけれども、
落語の歴史と照らし合わせるとちゃんとハマるようになってました。
最初関英文化の時代ですね。
には落語家なんて仕事は存在しないんです。落語を聞ける場所なんかも存在しないんですけれども、
落語の沿木の元になったと言われる、
安楽安作伝の精髄書。笑い話集ですね。
いわゆるジョーク集みたいなもの。
出たのが関英文化の時代です。
安楽安作伝っていう人はおとぎ集みたいな人なんで、
自身も高等でもやったと思うんですけど、それこそ殿様クラスの人に話すっていう立場の人。
秀吉とかとも絡んでたような気がします。
お坊さんです、本質的に。
次が元禄文化の時代なんですけれども、
自分が今住んでるのは東京だったりするので、江戸落語の話しかしませんよ。髪型落語の方はごめんなさいっていうのを先に言っておくと、
鹿野部左衛門という人が登場して、
この人が初めて落語家として落語をした人かな、江戸では。
っていう人なんですけれども、すごいかわいそうな人で、
なんかね、当時流行った流行り病にこれが効くとかいうデマが流れたことがあったんですよ。
その鹿野部左衛門さんとは関係なく。
で、それを落語に織り込んだかなんかで同罪扱いされて島流しにあうみたいな。
とても不幸な人で、この後落語の歴史はちょっと途絶えるんですよ。
元禄文化から法六天明文化の間も開くのと同じようにここではやっぱり間が空いて、
法六天明文化の時代に右手縁場という人が出てきます。
この人は、実はね、ちらっと出てきてるんですよ、大河ドラマにも。
足立由美が主人公のスタジオと一緒に芝居を見に行くシーンがあって。
はい、ありましたありました。
で、帰りになんか団子屋みたいなところにお茶屋みたいなところに寄ってるときに、
知り合いに挨拶されるんですよ、足立由美が。
はい、されてましたね。
この人、偽作者のなんとかだよみたいなことを言ってる、その偽作者っていうのが右手縁場で、
落語の祖と言われることもあるような人なんですよ。
この人なんかちょっといろいろ逸話がある人なんですけれども、
この人がやってた落語会っていうのは、イメージとしてはクローズドなすべらない話みたいな感じ。
テレビ放映されてないすべらない話みたいなやつで、
みんなが自分の持ちネタみたいなのを、体験なんでもなんでもいいんだけど、
持ち寄って、自分も話すし人のも聞くっていう場。
サークル活動みたいなものを始めたのが右手縁場という人です。
ここからわずかにしか時間は進まないんですけども、
火星文化の時代には三聖亭家楽って今でも引き継がれている名前の人が出てくるんですけど、
三聖亭佳楽の影響
この人は余生を作って落語をやるっていうのを東京で始めた人と言ってだいたい会ってます。
細かいこと言うと違うんですけど、だいたい会ってます。
っていう人が出てくるのが、ちょうど火星文化と時代が重なると。
スタジオの存在も宝暦天明から火星文化に関わるのと同じように、
右手縁場と三聖亭家楽って人もつながってるんですよ。
その右手縁場の滑らない話に三聖亭家楽もゲストで出てますみたいな状況なんですよ、言ってみれば。
そういう関係性ではあるんだけれども、それを余生小屋っていうのを作ってやるっていうことを始めてやる。
オープンにお客さんを募集するみたいなことを始めた人が三聖亭家楽という人。
最後にわざわざ幕末つけてるのにも理由があって、幕末から活躍してる人で、
三聖亭園長という人がいまして。
すごい急に知ってる名前来たみたいな反応されましたけど。
大東さんからよく聞いていて。
そうですね。有名なのは何が有名なんですかね。
死神か、一番有名なのは。
アンデルゼンですか、ヨーロッパの童話みたいな話から死神って話を起こしてるんですけど。
それとか三大話でカジカ沢っていう雪山のサスペンスみたいな話も作ってたり。
あと私が最近小説版っていうのを読んでみた神経重ねがう淵っていう怪談、モロ怪談みたいな。
恨みがすごい続く話があったりするんですけど。
怖い怖い。
怖いやつです。
そのね神経重ねがう淵に御用志賀っていう人が出てくるんですけど。
この人がまあまあ怖い人なんですけど。
この人が富本武士の師匠なんですよ。
馬面の。
そうそうそう、繋がりますよね。
ベラ坊でも富本武士って出てくるんで。
出てきました。
僕もそんなに詳しくなかったんですけど。
いろいろあるのは知ってるんですよね。
いわゆる人形浄瑠璃系のなんとか武士って。
今浪極って言葉がありますけど、浪極ってなにわ武士のことなんで。
今言うなにわ武士じゃねえんだからみたいなのはもう言葉だけが一人歩きしてるんで。
本当のなにわ武士とは関係ないんですけど。
なにわ武士っていうのがあったり、富本武士っていうのがあったり、
他にもなんとか武士とか時和とか、いろんな種類がある中の富本武士っていうのがあったんですけど。
僕は実は全然知らなかったんですよ、そういうの。
富本武士もあるんだって多分一瞬ぐらい思ったかもしれないけど。
全然離れてたのが今回のベラ坊とたまたま読んだ神経重ねが内で、
同じ富本武士が出てきたことでかなり印象に残ったなっていうことがありましたっていう話で。
当時の人にとっては人形浄瑠璃とかすごくもっと身近だったんで、現代に比べると。
そういうものも山油庭園長っていう人も織り込んで。
その人は新作をいっぱい作った人ですからね。
この人が明治期まで生きてたせいで、落語界では古典と新作って分けるときに、
明治までが古典って言われるのはこの人が明治まで生きちゃったからなんですよ。
この人、生きても当然ぐらいの年齢なんですけど。
本当だったら江戸時代のものと近代のものって分けたら綺麗なんだけど、
園長ものってよくできてて、いろんな人がやるようになっちゃったから、古典としては使われるようになっちゃってるんですよね。
なるほど。
ちょっと雑な説明ですけど、そんなようなイメージでなっております。
たまたま本当に調べてて、あれもしかしてと思って当てはめたら綺麗に、
落語界のキーマンみたいな人、安楽安作伝と鹿信沢の人と、
宇邸、縁場、三聖邸、佳楽、三友邸園長と、
五人がこの五つの時代、官営文化、元禄文化、宝暦天明文化、家政文化と幕末の文化と、
綺麗に振り分けられましたっていう話でした。
落語界のキーマン
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