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2023-03-05 26:41

令和五年弥生の回「朔人一首4」1

ガチャを回して出てきたお題について語る「文ガチャ」
今月のお題は「朔人一首」です。 

今月ご紹介する百人一首のテーマは『鎌倉殿と、あと七人』としてみました。
鎌倉殿の周辺を彩った百人一首の作者さんと歌をご紹介します。

お時間の合うときに、ゆっくりお聴きくださいね。

朔夜の収録時の機材トラブルなのか、ちょこちょこと音が途切れている部分があります。
お聞き苦しい点があるかと思いますが、ご了承ください。

00:13
文ガチャは、ガチャを回して出てきた番組についてのんびりおしゃべりするポッドキャストです。
文ガチャ弥生の回、椿雷道です。
咲夜です。
よろしくお願いしまーす。
よろしくお願いしまーす。
はい。前回までの木更木の回が、大河北だったので、ガチャを回してなくて、実際にガチャを回したのは、その1個前の月の六月の回の最後のガチャという形になっていて、
僕の個人的な感覚としては、この文ガチャのシリーズの中でも比較的人気の出目じゃないかなと思っている朔人一首が今回のテーマというかタイトルになります。
じゃあここからは、咲夜先生の朔人一首ですね。
はい。考えてたんですけれども、いつも大体8人で進めていますね。1週間に2人ずつということで。
今回も1週間に2人ずつやろうかなと思って、前回が大河の話、鎌倉殿の話をしてましたから、その周辺かなと思ったんですけど、
上級の乱絡みの後鳥羽院と潤徳院は、もうすでに天皇の会でやってしまっていたので、
それ以外でちょっと絡む人を探したら、なんとか8人おりましたので、今回のサブテーマがですね、鎌倉殿とあと7人でやりたいと思います。
なるほど、鎌倉殿もいるからってことか。
はい、鎌倉殿おります。遠いところからだんだん中核へと入っていくように話していきたいかなと思っています。
今回1週目は、女性お二人のご紹介です。
はい。
まず、このお二人でとっても耳なじみのない方々だと思うんですね。
1人目は、二畳院さんぬきという方です。
女性の36課生の一人でもある有名な課人ではあります。
宮中勤めをずっとしていた方で、とても優秀だったようで、宮中を引いた後は、九条金実というお家の女房をしていました。
この九条金実さんが鎌倉殿に出ています。
あ、そうなんだ。
田中直樹さん、ココリコのが演じておられました。
03:00
あー、出てますね。
奥さんってこと?奥さんってのはちょっと違うのかな?
最初は、お家の中を占める、今で言うメイドさんだったんですけど、
金実の同居妻説もあるくらい仲の良さだったようですね。
田中直樹さんが演じてらした九条金実は、宮中のドロドロの中心になっていた人でもあったんですけれども、
そんな方がご主人、旦那様だったかもしれないお家のご主人ですね。
さぬきのお父さんは、源頼政といって、源氏としての初の苦業を務めた方です。
清森にもとっても信頼されていて、取り立てられていたんですけれども、
持人王の乱に加担してまして、全国の源氏に領事を出すという係をしていたという人がお父さんです。
結構いい家というか、重要なポジションですね。
そうなんですよ。とても良いお家の出だし、良いお家で勤めていて、九条にも入っていたという方ですね。
旦那様もけまりが得意だったようで、実は源頼家、二代将軍の頼家のけまりの会の審判に名前が載っかっています。
それから鶴ヶ丘八幡宮に三根友が参刑したときにも随行していた方。
ドラマには出ていなかったんですけれども、重要人物のご家族ですね。
この人は、例えば源氏物語とか枕草子みたいな大きな本を残したりしていれば、
普通に紫色部とか青少納言と並んで、もっと知名度高く名前が残っていても、おかしくないぐらいの地位というかね。
そうですね。
ポジションにいたような感じがしますね。
代理の歌会、歌合わせにはかなりベテランとして何回も出ていたような方で歌も得意です。
この方のお歌が92話になります。
わが袖は潮井に見えぬ沖の石の、人こそ知らね、渇く間もなし。
意味としてはですね、私の袖は引き潮の時でさえ海中に隠れて見えない沖の石のようだ。
他人は知らないだろうが涙に濡れて渇く間もない。というお歌ですね。恋の歌ですね。
06:02
潮井に見えぬ、潮が干潮になっても見えない沖の方の底にある、海底にある石のようだと。
人にはわかってもらえないだろうけど、渇くこともないよと。
水の中にずっといるよってことですよね、石のようだと。
そんな袖、つまり常に涙で濡れていると。
人はそれを知らないだろうというようなことですかね。
そういうことですね。
濡れた袖っていうのはよく使われる表現ではありますよね。
止めどなく流れていく涙を袖で拭うので、袖が濡れるとか、袖が乾かないっていう言い方をしています。
潮が引いても、さらにまだ海の中に入っている石のように、切ない恋の涙でずっと濡れていますよ、人は知らないでしょうけどね、という感じの。
つまり、人が知らない密かな恋心の歌となります。
人越しが知らないっていうところもそういうことなんですね。
秘めた恋であるところにかかってくるわけですね。
たまたま他の現代的なものを読んでたのの影響で、人柄に関係するのかなって最初受け取ったんですよ。
泣いたりするところを見せないような凛とした人みたいなことで。
だから、人はそんな泣いてる、私みたいなタイプの人間は泣いてるなんて思わないでしょうけど、みたいなことなのかなって思ったけど、
そこはそういうことではなくて、泣いてるところを見せられないような忍ぶ恋だということですね。
今、さっきも説明してくれたような家庭環境というか、人間関係の中に関係してくるということですか。
そうかもしれません。この歌、お題がありまして、石に寄する恋という題の歌だったようです。
石をテーマにして恋の歌を。
すごいですね。
当時の人からしたらどうかわかんないけど、現代人の感覚でいうと無茶振りですよね。
ほんとそうですよね。
この歌がパッと出てくるのってすごいなと思っていたらですね、実はこの歌、本家取りという技法を使っていまして、
以前に他の人が読んだ歌を使って、歌を作るという手法を使ったものです。
これ、元は泉式部さんという方が。
ずいぶん有名な人が出てきましたね。
そうなんですよ。
という方が、「我が袖は水の下なる石なれや、人に知られで渇くまもなし。」という歌を作っていて、その本家取りとして作っている。
09:03
なんて言えばいいのかな。カバーでもないし、今の音楽でもそういうことってありますよね。
リスペクトありきでアレンジというか、そういうことすることもあるので、そういうのと近い感覚なんですね。
そんな感じです。
泉式部さんは水の下なるっていう、ずっと例えば池の下に沈んでいるとか、そういうイメージで歌にしたんですが、
それを潮が引いてすら見えない石で表現をしたのが斬新で評価されました。
なんかわかる気はしますね。
石がテーマで、お題に入っていて、恋の歌ってなって、本家取りもしていて、
ベタなフレーズである袖が濡れるっていう表現が出てくるってなると、
逆に言うと潮の道引きみたいなことがないと、比較的つまらない歌になると思うんですよ。
本家取りがあったりするから余計にね。オリジナリティがどこにもないように見えちゃうから。
石入れて恋で、袖が濡れて、泉式部も歌ってるよねってなったら、ただのパクリみたいになっちゃうところが、
より何があっても結局渇く間がないぐらいすごいみたいな表現が、
池とかそういうものに比べて雄大な海になってるし、その道引きがあってなお渇かないっていうので、
その深さというかね、巨大さみたいなものは出る、大きく表現したなっていう感じがしますね。
そのためこのサヌキさん、あだ名がつきまして、沖の石のサヌキと呼ばれたそうです。
歌の通りと言えば歌の通りだから、しょうがないっちゃしょうがないけど。
歌がいい歌だからその中のフレーズを取ってると言えばいいと思えるけど、
沖の石って誰にも見えないよねって言ってるわけだから、沖の石のサヌキって言われちゃうとちょっと嫌ですね。
最初に言ったように優秀な女房さんでいらっしゃったので、もしかしたら鉄の女じゃないですが、
もしかしたらそんなイメージもあったのかもしれません。
では次は89番の食事内進脳ということです。
食事?
卒業式とかの式に子供と書いて食し、または食しと読むそうです。
なるほど、食しなら全然普通に読めるけど、食しって読むんですね。
12:01
この方は御白河法王の第三公女です。
娘ということですね。
娘ですね。鎌倉殿では西田さんが演じておられました御白河法王。
はいはいはい。
寄りともに乗っかってビンタをしていたあの方ですね。
の娘ってことですね。
娘です。
しかも女性として娘として三人目ということか、第三公女。
はい、そうです。
兄弟には先ほども出てきた反乱を起こした餅人王が同房兄弟かな。
この餅人王も出てましたね。木村すばるさん、声優さんの木村すばるさんがいらっしゃいました。
この餅人王は兵器への反乱をして戦死なさいます。
日本史やった方は餅人王の乱といえばなんとなくイメージがつくかなと思います。
そのへんをきっかけに同じ兄弟が反乱を起こして戦死したということで出家されてしまいました。
この彼女がね。
はい、彼女が。
またしばらくかなり経ってから、今度は単語のツボネ。
えっと、どなたがやってらっしゃった?美人さん。
鈴木京子さん。
あ、そうですね。
単語のツボネを落とし目ようとする事件が実は後にありまして、それにも巻き込まれてしまってまた追放されそうになってしまうという。
あらあら。
この単語のツボネっていう人が、タイガーで見るとよくわかるようにね、
ご知らかう方のすぐそばに常にいて、一緒になって悪巧みしてるみたいな感じの人ですから、
反乱を起こしたい人もいるだろうし、失敗すると大変な目に遭うだろうっていうのも雰囲気的にはわかりますね。
そうですね。またそれも京都を追放されそうになったりして、結構不幸の人という感じのイメージがあります。
そんな彼女なんですけれども、百日酒を作った藤原の帝家と良い仲だったのではないかという噂もあります。
ただしこれは本当に噂で。
面白い。
実はですね、彼女、妻王だったんですよ。
妻王。
はい。下鎌神社や上鎌神社に奉仕する公女のことを妻王とか妻院と言います。
伊勢神宮に勤める方が有名かな。妻王とか妻院っていう言い方するんですけれども、
2年間ものみそぎをして、3年目からやっと神社に入って、不条を避けて、正常な生活をして、神に祈り続けるというお仕事の方です。
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なのでこれ必ず公女、天皇の娘たちの中から選ばれるんですけれども、もちろんみそぎ、ただのみそぎだけではなく、乙女でなくてはいけないんですね。
神に仕える身ということで必ず独身でなければいけないし、諸女でなければいけない。
ということで、誰かと隠れた恋をすることはあったかもしれないけれども、結婚をしたりということはできなかった。
妻王っていうのは妻統さんの妻、示すっていう字の方の妻に王様の王で妻王。
はい、そうです。
この妻っていう字がね、宗教的なお祭りを表す言葉ですよね。
言葉というか文字なので、ちょっと補足でした。
ありがとうございます。徹底的に清められた巫女さんだと思ってくれればいいかなと思います。
もちろん独身ですし、妻王を知りぞいてからもずっと独身を通した。
それは別にそうでなくてもよかったはずだけれども、本人の意向だったり。
そうじゃない方も時々いらっしゃいます。
でもそういう感じなんだ。どちらかというと一度神に仕えた、ましてや妻王として仕えた身であれば、そのまま独身という方が一般的だったって感じですかね、どちらかといえば。
そうですね。
でも帝家が日記などに結構記していて、内心のが病気なんですとか、しばしば記事が出てくるようで、お見舞い行ったよとかっていう日記がたくさん残っているそうです。
まあ、小田家ではないにしても親しい関係だったりしたかもしれないですね。
歌も上手な方でしたし、気にかけていた方かもしれません。
たまのおよ、たえねばたえね、ながらえば、しのぶることのよわりもぞする。
よくわかんない。
わがいのちよ、たえてしまうのならたえてしまえ。
このまま生きながらえていると、たえしのぶ心が弱ってしまうと困るから。
おお、そういうこと。
これも強烈な恋の歌ですね。
なるほど。たまのおっていうのが命みたいな意味なんですか?
もともとは首飾りなどに使われる、玉を貫いた紐のことですね。
一書の書とか、へそのおのおですね。
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ですけれども、ここでは魂を体につないでおくおという意味で使われています。
言葉としては宝玉の玉と魂の玉とも掛かっているような感じになっていて、
おが玉のおっていう、玉に穴を開けて紐を通す、おを通す、で首飾りみたいになるっていうのの紐でもあるし、
さっきのへそのおのおたとえじゃないけれども、肉体と魂を結ぶへそのお的なものっていう意味とも、
そこもダブルミーニング的な言葉的な感じになっていると。
で、たまのおよ。
たえなば、たえね。
もう耐えてしまうのなら耐えてしまえ!というぐらいの語気の強い言葉になります。
断絶っていう意味の耐えるですね。
そうですね。
忍耐のほうじゃなくてね、逆の意味になっちゃう。
そうですね。
この耐える、切れてしまうほうの耐えるは紐の縁語、ゆかりなる言葉です。
ながらえば、長くなれば、生きながらえてしまうのなれば、という感じですね。
このながらうも紐の縁語になります。
しのぶる、耐えしのぶという意味のしのぶることも、
弱りもぞする。
係女子のもとぞが重なって、何とかすると困るっていう意味になります。
もぞするで結果的には困るっていう意味。
そうですね。
秘めた恋を耐えしのぶ気持ちが弱くなって、ばれてしまうと困るという意味になります。
弱りもぞするで困るってこと?
弱ると困ってしまう。
あ、弱るとか。
しのぶることっていうのは歌詞の中で言うとどういうことだっけ?
耐えてしのぶ心が弱ってしまうと困るから。
耐えてしのぶ心か。
弱ると困るか、なるほどね。
この弱るも紐の係り言葉、縁語です。
弱るはどういう意味の弱?
そうですね。
その気持ちが弱く、ここでは耐えしのぶ気持ちが弱くなる。
弱くなるんですよね。
その紐との縁語で言うと、さっきのやつは割と、耐えるは立つなので切るっていう意味なので紐を切る。
長洗いるは、紐ってそもそも長いものだから、長洗いるはなるほどって感じだったんだけど。
長く使っていると擦れて弱くなってしまう。
なるほどね。
なので弱るも紐の縁語です。
なんかちょっと強引だけど、小寄りを寄るとかの寄るみたいな意味があるのかなとは思った。
21:08
それだと夜になるので弱る、弱くなるんですね。
そうですよね、なるほどなるほど。
あと弱るも、今さかやさんに説明してもらったのでちゃんと理解ができたんですけど、弱るっていう言葉自体も困るっていう意味を含むことがあるじゃないですか。
あー、そうです。弱ったなーって困ったなーって意味じゃないですか。
そこがちょっと弱るからも、そこから困るって意味なのかなって誤解しちゃったんだけど、弱ると困るっていう意味ですもんね。
そうですね。我慢できなくなっちゃうからもう死んでしまいたいというぐらいの。
そうかそうか。我慢しすぎてダメになっちゃうぐらいだったらもう断ち切れてしまえみたいなこと。
そうですね。
それほどの強い思いだぞということですね。ストレートな。
もちろん和歌の表現なんで、遠距離的な表現をしてるんだけど、主題というかあらすじ的な部分はかなりストレートなことを言ってるなーという意味ですね。
過去にやったやつだとね、悲しいにしても情景と絡めてとか、そういうこともあったりしたんですけど、これは概念的な話じゃないですか。
弾の尾が絶えなば絶えるとかっていうのは、その日何かをしてたら弾の尾が切れたとかそういうことと関係なくて、自分の思いをこの言葉で表現してるっていうことなので、そういう意味ではダイレクトに。
今一番思ってることを歌にしたのかなみたいな。風景を見て思ったとかっていうのとはちょっとまた違う感じがありますね。
この歌もお題を与えられて読んだ歌で、「しのぶ恋」というのがお題だったそうですが、そんなお題があったとはいえここまで劇場的な恋の歌を結婚できなかった人が読む。
というのを考えると、あながち帝家のお話も思ってしまいますね。
結婚に至れないという意味で言えば、全然事実に反してないけど、その人がこう書いたと思うと、何かがあったからこう書いたんだろうなって思いますよね。
より立場があるから、そういう方向に踏み切れないからこそ、耐えるなら耐えてしまえという気持ちにもなると。そういうふうに汲み取ることができますね。
今の時代ではそこまでの気持ちってわからない気もするんですけど。
24:01
そうですね。だから若気の至りでね、結婚できないんだったら死んでやるみたいなノリに近いのかもしれないですけど。
結婚できないんだったら死んでやる、ちょっと逆?
逆ですけどね。
忍ぶ恋を世間に知られたくないから、それで死んでも構わないから、という感じですね。強烈な恋の歌二種でした。
女性だからっていうと、またこのご時世ご縁があるけど、やっぱり恋の歌っていうのはある、やっぱりハマる感じもしました。
はい、では続きましょうか。
お便りお待ちしています。
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26:41

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