00:13
はい、では最後の二人に行きます。82代、後鳥羽天皇です。
はい。
そうですね、こちらも大田から行きましょうか。
はい。
人も惜し、人も恨めし、味気なく、
世を思うゆえに、物思うみは。
人間が愛おしくも、また恨めしくも思われる。
つまらない世の中だと思うために、悩んでしまうこの私には。
直訳ではそんな感じですね。
難しいこと言ってますね。
そうですね。世の中のことを思い煩って悩んでいる私には、人間というものが愛おしくも、また恨めしくもあるんだ。という感じですかね。
私が見てるこのサイトの、言ってることは全然変わらないんですけど、語順の違いとかでちょっと面白かったですが、
人間が愛おしくも、また人間が恨めしくも思われる。
つまらない世の中だと思うために、悩んでしまうこの私には。
語順通りってことだと思うんですけど、後半が面白いですよね。
つまらない世の中だと思うために悩んでしまうこの私。
思うゆえに。
思うゆえに。
なるほど。
なるほどね。それだとちょっとニュアンス変わるな。
そうですね。思うためにだとちょっと、ん?ってなっちゃいます。
なりますね。
つまらない世の中だと思っているから悩んでしまう。
語法としてはわからなくはないですけど、それでもちょっと変わった感覚の人だなっていう気がしますね。
そうですね。
つまらない世の中だって思うのは仕方ないと思うんですけど、そこと悩むがつながってくるのはちょっと独特な気はしますね。感覚的には。
そうですね。
この言葉院の時代もあったかもしれません。
なるほど。
中世屈指の過人とも言われますが、武士と戦った天皇でもあります。
はい。
時代としては、先代が安徳天皇です。
はい。
三種の仁義とともに兵士と西へ西へと逃げてしまった安徳天皇。むしろさらわれたと言った方がいいかもしれませんね。
そうですね。
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まだ幼い7、8歳の子でした。
その後、京都に都に天皇がいなくなってしまったので、じゃあどうしようということで、安徳の尉母帝の言葉天皇が即位しています。
なるほど。
安徳と一緒に三種の仁義を持ち逃げしてしまったので兵器が。
三種の仁義なしでの即位、異例でした。
それがずっとコンプレックスだったそうです。
なるほどね。
だから余計に自分の権威を示したいというものがあったかもしれません。
ちょっと前から平野清盛が実家を握っているような時代から崩れてはいるけれども、それよりも数十年とか百年ぐらい前までは、実家を握っているのは藤原しかもしれないけれども、少なくとも皇族、貴族というところの話だったのが、
武士と武士との戦いで兄である人が死んでしまうとか、それ故に自分が天皇になるとかいうのは、おそらくこのぐらいの頃までの天皇にとって武士って結構階級低い感じ、今の我々が感じるより多分相当下の身分のものってイメージだっただろうと思うので、
そう思うと、じくじた思いがあるだろうなとは思いますね。
もともと武士というのが天皇を守るための立場だったものですから、北面の武士とか西面の武士っていう名前があったものから生まれているので、それは天皇にとっては過信なはずなのに、という感じでしょうね。
なるほどね。
それはこういうひねくれた発想にもなるよなっていう。
人が好きで嫌いで世の中つまんなくて悩んじゃうって言ってるんですもんね。
簡単なざっくりした言い方をすると。
歌としては、すごく大事な全てを包むようなことを言ってるようにも聞こえるし、何も言ってないようにも聞こえるみたいな歌ですね。
はい、そうですね。
極めて抽象的ってところもあるし。
でもその背景を感じると、言いたいことはこういうことかなみたいな感じはつかみやすいですね。
天皇という立場だからっていうこともあるかもしれないですけど、ここまでの皆さんは割とそういう印象を受けますね。
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こういう立場だったからこういう歌なのかって思うような傾向は。
たぶん、六花繊とかに比べても全然そういう意味では印象が違う気がしますね。
そうですね。
そんなゴタゴタの中、結局上位されて即位されはしたんですけれども、やはり実験を持っていたのは当時の上皇である、おしら川。
この辺は本当に今タイガーとリンクするから面白い。そこを見るとイメージ湧きやすいってとこありそうですよね。
1992年にようやく、おしら川が枯れたにとってはようやくでしょうね。
そうでしょうね。
亡くなって、やっと自分の番だ。
1198年には上位をして、打城天皇として院政を敷くようになりました。
打城天皇って言うんだ。
打城天皇。院政いいんですね、結局は。
面白いですね。1992年、我々世代にとっては鎌倉幕府の成立年で、何か意味合いが思うところがある年ですけど。
次の土神門天皇に譲って、自分が院政をやっとできるようになったということで、まずやったことが天上人を整理しました。
当時の力を持っていた土神門さんのお家をかなり整理整頓してしまったようです。やめさせたりとか。
これは自分が仕切るんだという強い思いが見えてきます。
もうこの年、昔の言い方でも鎌倉幕府成立を過ぎているような年なので、
よりとも強く打ち出してますよね。
外のことは我々がやるから、あんた方は内側のことだけやってればいいよ、みたいなのを強烈に押し付けてきたはずだから。
逆に言うと、外のことが何も自分が手出しできないからこそ、中を整理しようと思ったのかもしれないですけど。
興味深いところですね。
そして、そのよりともが亡くなるのが1199年です。
もうそうなったら強気ですね。幕府に対しても強行路線を走っていきます。
完全に高派ですね、彼の幕府は。
そうなんでしょうね。
でも、そういうことがあったからこそ、鎌倉幕府が結果的に骨抜きになっていくような感じになっていくのも。
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その時の天皇が誰なのかっていうのも大きかっただろうと思いますよね、そう思うと。
サネトモの後継ぎがいないんじゃないかという話から、言葉条項の王子をそこに養子に出そうという話もあったようなんです。
その頃は少し幕府とも仲良くなってたんですが、そのサネトモが暗殺されてしまったので、話が白紙に戻ってしまい、さらに仲が悪くなってしまいます。
北条さんとはもう大喧嘩ですね。
今、大河ドラマを見ていると、院に対して大喧嘩ができるほど強くなるのか、この家がって思うところもありますけどね。大河だとまだまだですからね。
面白いですね。
そして、ついに1221年、その今の大河の主人公、北条義時、追悼の宣言を出します。
もう追っ払っちまえと。
それが上級の乱。
やったはいいものの即時完敗です。
そりゃそうだと。
完敗して沖の島に流されてしまいました。
その後、乗っかったその次の順徳天皇は佐渡に流され、在位3ヶ月でまだ4歳の忠孝天皇も廃されました。
そのまま後鳥羽上皇は沖の島で亡くなっています。
なるほど。
歴史のことを言うと、この後出てくる名前って五代後まではそんなに大きい名前出てこないですもんね。
そうですね。
まあ知ってる人はね、歴史詳しいのはこの人もいるだろうけど、誰でも知ってるみたいな知名度の高い天皇っていうのはこの後はそんなにいないですよね。
そうですね。
やっぱり目立たない存在になってしまいますね。
ということなんでしょうね。
亡くなった当初のおくり名、さっきの四号が、県徳院、徳号を表す県備教の県ですね。
と呼ばれていましたが、ちょっと後で後鳥羽上皇、後鳥羽院と四号されました。
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なるほどね。
やっぱりその四号自体が全然ニュアンスが違うから、こっちの僕が見てるサイトでは表記がないんですね。
その和風のやつだけが表記されていたので。
そうなんですね。
みたいですね。
ちょうどそこが境目だった、さっきのね。ちょっと話を遡りますけど、自統天皇が境目ってことでしょうね。
法名みたいなものになっていくってことでしょ、その後。
そうそうそうです。
最初にも言いましたが、中世屈指の佳人でもありました歌合わせを何度も何度も行っています。
その百人首を選んだ藤原の帝下に憧れを持っていて、新古今和歌集の編参にも携わっています。
一番すごかったのが、1201年、1500番歌合わせ。
すごい数字が出てきた急に。
え?ってなりますけど、それがまたすごくて、30人の佳人にそれぞれ100首ずつ歌を作らせました。
で、その3000首を使って1500番勝負をしたと。
すごいな。
ただ、紅白歌合わせみたいなことはしなくて、それを10人の戦者に振り分け、勝敗だけ決めなさいと。
ああ、なるほどね。
その戦者の中には自分もいたそうです。
まあまあわかりますね。もちろん自分がやりたいぐらいのものだとは思うし、
大きくしたいから1500対1500みたいなことをしたいんだろうけど、1500舞舞対1500になっちゃったら全部自分で見るの嫌だから別の人もやってねみたいなことですよね。
きっとね、そうでしょうね。
まあまあまあ、そのぐらいのことは天皇という身分にいる人だったらそのぐらいのことはやるでしょうねっていう感じですけど。
でもやっぱりなんだかんだ言って皆さんね、500人首に選ばれるような天皇はやっぱり明るいですよね、こういう文化とかにね。
そうですね、そんな感じで。
まあ歌としてはとても評判が良いですが、政治家としては非難が多い方でもありました。
なるほど。
はい、これが100人首でいうと99番の歌です。
そして最後が100番の歌。
1人残ってるってことは100番の歌ってことですよね。
そうですね。
こちらはちょっと先に人をご紹介したいと思いますが、
潤徳院という名前で挙げられています、潤徳天皇です。
さっきもちらりと名前が出てきました。
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上級の乱で茶道に流されてしまった。
はい、後鳥羽上皇の息子です。
後鳥羽上皇の後に、土味門天皇が上位して、その後、割とすぐに潤徳院が継いでいます。
後鳥羽院の威光だと。
なるほど。
14歳で即位して、あちこち行行を行っていたようですね。
旅行とか視察ですよね、今でいうね。
幕府に対する権威の見せつけなのか。
その時代だからそういう意味もあるのか。
華やかなことをしていたようです。
その辺もあるし、天皇というものの権威を挙げようとしたのか、
古来の行事とか、宮中の習慣なんかを研究していて、金師章という本を作っています。
これがまたなかなかいい資料になっています。
なるほど。
そして歌としては、帝下を師匠に指示していて、俗語選集という歌集を作っていますね。
自分の歌を159詩も乗っけて、俺を見てた。
まあね、不遇な人ですからね、そのぐらいはという感じですね。
父が倒幕をするよということで、それに参画するために我が子に上位をしています。
なるほど。
上位をしておいて乱に参加しました。
自分の前の土神門邸がお兄さん、自分が弟。
恩は何と激しい気象の弟という感じであったようです。
なるほど。
お兄さんはもうそんなことはしないと、逆らわないと言って戦争には参加しなかったですね。
茶道に流されてしまいまして、そこでしばらく歌をたくさんたくさん作って過ごしていたようなのですが、
1242年、自分の子孫、自分の血を継いだ直径の王子がどうやら這いされてしまったようで、
それに怒って絶食自殺をしたのではないかと言われています。
激しいですね、やっぱり気象がね。
気象が荒くて。
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最初は茶道院、茶道で亡くなったので茶道院と始号されていたようですが、後から順徳院と送り直されています。
面白いですね、順徳院ってすごいその気象の荒さと真逆みたいな名前ですけどね。
そうなんです。そこなんですよ、実は。
お父さんも県徳院と最初始号されていました。
徳の字つきますね。
その前に須徳さんいましたね。
安徳天皇にも徳がつきますね。
徳がつく方、ろくな死に方してないです。
なるほど、そういうことか。
逆か、そういう亡くなり方をしているからこそ、後からこういう字が送られているケースっていうパターンもあるのか。
どうやらそのようだという説があります。
なるほどね、それは気持ちとしてはわからなくはないですね。
そうですね、不幸の死を遂げてしまったので、この人は徳のあるいい人だったんだよって称える。
そうですね。
落ち着いてもらうってことですね、魂を安定させるみたいな。
そんな人たちが百人一首には選ばれているのだなというのも、ここにも帝化の思いがちょっと浮いてきます。
こんだけ歌を作っているのに、帝化が選んだ進捗戦和歌集には一首も選ばれてないんですよ、順のみ。
でも百人一首には最後に選んでもらっているんです。
それもね、本当に最後にですね。時代の順だからっていうのももちろんあるけど。
帝化も自分の弟子がちょっとかわいそうだったのかなという気もしてきますね。
はい、じゃあ最後の歌です。
桃敷や古木の木場の忍ぶにも、なお余りある昔なりけり。
全然わかんないな。
窮中の古びた野木からぶら下がっている忍ぶ草を見ていても、忍んでも忍び尽くせないほど思い慕われてくるのは古き良き時代のことだよ。
桃敷?
桃敷っていうのは大理とか窮中の意味です。
その古びた野木場、屋根の端っこから忍ぶ草、野木忍ぶという草があるようですね。
白の一種。荒れ果てた家なんかによく見られていて、家が荒廃していく様を表すのに使われています。
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なるほど。
だから皇室の権威が衰退していっているよと。
なるほど、そこを表しているのか。
なおあまりある。なおはやはりという伏しであまりある。忍んでもあまりあるほど。
つまり忍んでも忍びきれないぐらいの昔なのだなあ。昔なりけり。
ああ、そうね。
当時の天皇が一番華やかなりし頃、例えば第五天皇であるとか村上天皇であるとかっていう縁起転略の時代を表しているようです。
ああ、なるほどね。
という天皇と歴史と和歌についてお話をしてみました。
はい。ありがとうございました。
なるほどね。第五天皇、村上天皇あたりっていうのはちょうど隙間のところに来るんだ。
そうですね。
逆に百人一首には選ばれない。歌を読んでないことはないんだろうけど、そんなに過人としては知られていないのかな?
いえいえ、過人としてものすごく知られているんです。
そうなんですね。
はい。だけど天皇が選ばなかった。
なるほど。
で、こんな不幸な人たちが選ばれているっていうのも、ちょっと何かしらの意図を感じる感じですね。
そうですね。
さあ、ということでガチャのお時間でしょうか。
そうですね。ガチャを回してみましょう。
この後、今月は日曜日5回あるので、5週目に正確な話はしていると思うので、
このガチャの目がどういう感覚、何が出るかによってはえ?ってなるかもしれませんが、とりあえず回してみましょうか。
はい。
ごめんなさい。今回は映像なしでいきますが。
はーい。
ガチャの上にあったものが落ちてきました。
大丈夫ですか?
はい、大丈夫です。
はい、出てきました。
はい。
開けてみます。
はーい。
はい、みなさんに耳なじみのない名前が出てきました。
はい。
ものの名の庭です。
おー。
これが何なのかは来週次回を聞いていただくとわかると思います。
はーい。
24:00
私が一応担当しますね。
はい。
はい。マジで一発目に出てくるとは思いませんでしたけどね。
いや、一番楽しそうなのが出てきましたね。
はい。
一応これタイトル考えてるぐらいだから、一応ちょっとは準備をしてるので何とかなるかなと思ってます。
はい、わかりました。詳しくは来週ということで。
ですね。はい。
夏も真っ盛り。
暑さに疲れ果てている頃ではないでしょうか。
涼しさを求めて冷たいものも口にしながら、
昔の人の考え方に思いを馳せてみてください。
少し元気が出るかもしれませんよ。
それでは皆様、ごきげんよう。
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