文ガチャは、ガチャを回さなくても、その時々のお題についてのんびりお話をするポッドキャストです。
令和八年冬の章、椿大道です。
咲夜です。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
新年明けましておめでとうございます。
はい、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
今年もよろしくお願いします。
ということで、この体制に変わってから、このシリーズが終わると丸一年ということですよね。
そうですね。早いですね。
早いですね。そして満を持して、朔人一首と。
久しぶり。
ということで、よろしいですかね。久しぶりですよね。
じゃあ、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
前回までは1ヶ月に4本分掘っていて、1回につきだいたい4人ずつ説明していたんですけれども、
今回から3回に分けるっていうことになって、どうしようって思ったんですけど、
1回につき4人をお話しして、4人の3回で12人を今回の商品でお話ししていければと思っています。
はい、よろしくお願いします。
はい。では、むつきの貝なんですけれども、百人一首の中から自然の景色に心を重ねた4種というのをご紹介したいと思います。
はい。
もみじとか桜、秋の月、それから雪が今回のテーマなんですけど、和歌っていうのは夏がとても読みにくい季節で、百人一首もやっぱり夏の歌がすごく少ないんですね。
情景とか気持ちを読む歌なので、やっぱり厚苦しいとかマイナスな気持ちにっていうのは読みにくいみたいなんです。
そうですね、確かにね。
というわけで今回は夏を除いた4種。もう皆さん夏も飽き飽きしてらっしゃるでしょうからね。
まあね、はい。
という言い訳で。
はい。
はい。
では、一首目です。
はい。
ていしんこう、藤原忠平の歌です。
はい。
小倉山、峰のもみじば、心あらば、今ひとたびの三行またなん。
小倉山、峰のもみじば、心あらば、今ひとたびの三行またなん。
うん。
現代語訳をすると、小倉山の峰のもみじよ、お前に人間の情がわかるという心があるならば、もう一度天皇がおいでになるまで知らずに待っていてくれないかとなります。
ほう。なるほど。
三行またなんの三行っていうのは、天皇が旅行に行くこと、行行のことなんですね。
はいはいはい。
で、京都の北西の方にある佐賀の方ですかね。
小倉山、百人一首のもともここなんですけれども。
そうですね。小倉百人一首ですもんね。
はい、そうですね。もみじの美しい名所でもあります。
嵐山と向かい合う山で、さっきも話が出ましたけど、麓に藤原の帝家の別荘、小倉山荘があったところですね。
なるほど。
そこのもみじが綺麗だから、もう一回天皇がおいでになるまで美しいままいておくれっていう、ついつい感動した。もみじの美しさに感動したっていうことと、あと当時は宇田天皇なんですが、
宇田天皇が、宇田上皇ですね当時はね、上皇がもみじを見て、息子の醍醐天皇にも見せたいとつぶやいたということなんですね。
へー。
だから、それを即座にその場で歌にしてもみじに呼びかけるっていう形で上皇の気持ちを代弁している歌なんです。
なるほど。そういうことね。その場でなんだ。
のようですね。
上皇が言ったことに対してみたいなニュアンス、即座にとか直接とかじゃないにしても、それを聞いて即座にみたいな意味がいいんですよね。
そうですね。
へー。それができるすごさっていうのがまずあるし。
はい。この方、藤原忠平さんなんですけれども、菅原道真を左遷させた藤原時平の弟なんです。
おー。
はい。で、お兄ちゃん時平は割と早く亡くなってしまったんですけど、その後を次いで、この忠平が随分と大学間白の職に就いて、すごくバランスよく政治を取っていたという方で。
へー。
資料深さが有名だったそうです。
なんか面白いですね。お兄さんの方は菅原道真との関係性から言っても悪く言われることもあるかもしれないけど。
そうなんですね。鎌倉時代とかかなり悪者にされちゃって。
よくありそうなパターンですよね。
そうなんですよ。道真に呪い殺されたなんて言われてしまうんですけど。
で、そういう悪人にされる人の次の代の人っていうのはよく言われがちっていうのもよくある話で。
実際よかったんでしょうけど、才能もあったんでしょうな。
はい、そうみたいです。
でも時代、その経緯、道真のことも含めての時代的な経緯も含めて、上皇の言葉を受けての天皇を思いやるような歌っていうのも、背景知ってるとなるほどなって思いやすい感じですね。
もみちに関しては、どうすごいかっていうよりも天皇に見せたいっていうことの色合いの方が強くて、風景描写としてそんなにこの言葉を尽くしてるっていうよりかは、すごさを心理的に表現してるっていう感じですかね。
そうですね。で、天皇陛下とか上皇陛下にちょっと酔いしをした感じの歌にもなるんですけど。
はい。というのが1周目。
1周目でした。
はい。
はい、では2周目です。
立たずもあらなん。
遠くにある高い山の頂にある桜も美しく咲いたことだ。
人里の近くにある山の霞みよ、どうか立たずにいてほしい。
美しい桜が霞んでしまわないように。
という訳になります。
はい。
高さ5のは高く積もった砂と書きます。
で、これで展示で高い山っていう意味なんですね。
なるほどね。
ちょっとどこの山かっていうのはわからないんですけれど。
尾の柄の桜っていうのは尾っていうのが峰の上。尾の柄を尻尾の上って書くんですけど。
この尾自体は峰のことのようで。
その上なので山頂とか頂っていうのを示しているようです。
山の言葉で尾根っていう言葉もありますけどね。
尾根は山のてっぺんがうねうね道っぽくなっている。
てっぺんの稜線のことになりますよね。確かね。
そういう印象ですね。
その尾ですね。
の上っていうことで山頂。
先にけり。けりは感動の助動詞ですね。
咲いているなーっていう感動を表しています。
富山とは外の山って書くんですけど、人里近い低い山のこと。
反対語は三山、深い山ですね。
あー、そうか。
霞は立春の頃に立つ霧のことで、春に立つのを霞。
秋に立つのを霧と呼ぶそうです。
立たずもあらなむ。
なむは願望の終助詞で、立たないでいてくれっていう願いを歌っています。
現代語訳のところで霞が掛け言葉になっているところを重複して読まれていたかなという印象でしたね。
掛け言葉になっているんだろうなというふうに感じました。
掛け言葉じゃないのか。同じ意味だもんね。
霞と霞まないようにだったら同じ意味だけど。
微妙ですね。確かにね。
本当にそうですね。今気が付きました。
霞は天候気象の状況の話ですもんね。霞って言った場合もね。
そうですね。
霞は目が霞とかでも霞って言うから。
くわっと見えなくなってしまう。
語彙がもともと一緒なんでしょうけど、ニュアンスが二つ含まれているのかなって。
そうですね。確かに。
高佐語が言ってみれば富山の反対語の三山でもあるのかなっていうふうに思うんですけど。
遠い山と近い山と比較というかね、並べて書いてるっていうことなんでしょうけど、読んでるっていうのかな。
高佐語って大相撲の高佐語部屋とかもあるし、結婚式とかで高佐語屋ってよく聞きません?
そうですね。聞きます聞きます。
よく聞くけどよくわかんないなって思ってたんですよね。
今パッと見ると高佐語、兵庫県の高佐語誌であるとか、能の曲名が出てきますね。
なんか終言、昔の結婚式に使われていた能に高佐語があるっぽい感じがしますね。
まあそれこそ落語とか聞いてるからかわかんないですけど、結婚式って言うと高佐語屋って出てくるなって。
僕も今調べながら喋ってますけど、用曲としては歌い曲という字ですね。
用曲としては高佐語がタイトル表題なんでしょうけど、歌い出しが高佐語屋で始まるので、ついつい高佐語屋って私なんか言っちゃうんですけど。
なるほど。結婚用語としては豪華な金屏風をバッグに新郎新婦が座るメインテーブルを高佐語と言うそうです。
ああ、そっかそっか。それも聞くかもな。
なるほどね。今回本来の意味というかね、この当時の意味合いとしては高い山。
高い山、高く積もった砂から来ています。
だから、盆地にお住まいの皆さんですから、近いところには低めの山があって、その奥に高い山が見えるというような環境にお住まいなんでしょうから。
そうですよね。
そう、近い。
そういう、今で言うカメラワークがすごくよくわかるような、浮かんでくるようなものですよね。
そうですね。
近景に見たいものがあって、近景、近くに邪魔するものがあるから、ちょっと今そこどいてっていう感じの。
それがね、霞がかかるとっていうところですね。
なるほど。
大江さん、大江正久さんですが、4歳から本を読んでいたという、超天才学者さんです。
はい。何だろう、学者さんっていうだけではなくて、兵法も学んでいたようで、源義家に兵法を教えた軍師としての顔を持っていたそうです。
はい。
左京の大武 秋助 藤原の秋助の歌です。
秋風に、たなびく雲の絶え間より、漏れいずる月の影のさやけさ。
秋風に吹かれて横に長く引き流れる雲の切れ目から漏れてくる月の光の、
澄み切った美しさと言ったらどうであろうか。
こちらも感動の歌になります。
言葉としては影のさやけさになっているんですけれども、
この月の影というのは当時では月の光を意味しています。
ああ、なるほど。
雲の絶え間、途切れた間から光が漏れているよっていう、
その漏れてきた光を描くのことで、
月の光の美しさを表現している、引き算の美学なんて言われるんですけれど、
とてもシンプルな歌なんですね。
解説を聞いてみたら、ああ確かにっていう景色が浮かぶような、
秋の月の美しさを描ききっていて、
しかも非常に拡張の高い歌なんですよね。
印象としては、
満月のイメージですよね。
そうです。秋の月はだいたい満月のことを読んでいるんですけど。
そうですよね。秋って書いてあるからそうなんだろうなって。
はい。
そうですね。
秋の月ってわりと収集の明月なんて言うんですけれど、
秋の収穫前なんですよね、当時で。
秋の収穫前のことを、
収穫前のことを、
とりあえず収穫して、
収穫して、
収穫して、
収穫して、
収穫して、
収穫して、
収穫して、
ですよね当時で言うと あーなるほど
はい だから豊作を祈願するっていうのもあるので
一番こう 祈るっていうのと
あーそうね はい祝うっていうのと
がありまして まあ満月の方がねなんか豊作っぽいよね
三日月とかにね そうですねはい
でなんかこの月の美しさとかその光
の描写っていうのは 雲がかかってるのが取れてくる
とその明るさがより際立つとか
手前に月があるにもかかわらず月の様子が見える
月陰がわかるっていうことで明るさを表現するとかって
両方あると思うんですけど やっぱこの風が吹いてね
雲が流れてる動画のイメージが湧きますよね
こういう歌の感じだとね
秋風が吹いてるからその雲がかかって月が
雲がかかってもなお明るさを感じるけれども
雲が流れて間から月が見えた時により明るさを感じるような
その映像というか動きが見えるというかね
そうですね 流れていく雲と
パーッと出てくる月の光っていうのが確かに
あの映像というか写真よりは動画で
そうそう動きがある感じしますね
そうですね この歌なんですけど
916年1150年頃にストクイーンに捧げられた百首歌
百の歌の九腕百首っていうもので披露された歌なのだそうで
いくつかのお題に沿って読んだ歌を
百首集めたものの中に入れられていたそうです
百人一首のストクイーンの歌もこの九腕百首から取られています
なるほど面白いですね
そうですね
時期限定で選ばれた百首の中で
さらに百人一首にも選ばれたそうです
藤原の秋助さん小三味まで登り詰めている人なので
とても血管気並みの勢いもあり
直線和歌集の詩歌集の先者でもあります
あーすごいんだ
歌団のリーダーって言われるぐらいですね
そうですよね この時代の話ずっと百人一首でずっと聞いてきているんですけど
その出世があるじゃないですか 出世するじゃないですか
その回があるというか
政治力
実権争いみたいな意味の政治力もそうだし
現実的な海外的なこととか
寮民のこととかっていう意味での政治力と
一方で歌であるとか楽器が演奏できるとか
そういう文化的な意味合いでの力とか能力
3つが算数組みたいになっていて
例えばこの人が政治的にどう活躍したのかはよくわかんないけど
歌が優れているとか学者的な知識で優れているとか
っていうところで上がっていく側面もあるだろうし
でもそれだけではないんだろうしとかっていうところが
すごい絶妙に難しいというか
多分現代の感覚だと分かりづらいというか
気がしますね
そうですね
今の政治家の方でね
歌が上手いですって言ったってそれで票は取れないじゃないですか
そうですね
でもそういう意味で多分この文化的な素養とかっていうのは
多分相当重視はされてたんでしょうね
そうでしょうね
知識とか教養とかっていうものが
お金を持ってないとできないことですから
ああそうか財力の裏打ちがあるというか
そうでしょうね
そういうことかこれだけの歌が歌える背景には
その財力が背景としてあるような見えるような
はいという場合もありますよね
貧しい中でのし上がっていった人もいらっしゃいますけれど
まあまあまあまあ
それはいるけどなかなか
いるというだけでね
誰でもできるかっていうとまた違うっていうのもあるし
そうなんですよね
なるほど
やっぱり貴族とかね
上の方の遊びだったんでしょうね歌って
そうですね
その辺のイメージはそれこそね
光る君へとか大河ドラマ見てたおかげで
イメージ湧くというか
庶民はねもう全然そういうとこには関わらないし
貴族でもね地位にだいぶグラデーションがある中で
ああはい
でもやっぱり才能あったりするとそれなりにね
それこそ紫色ぐらいの家でも
才能を発揮すれば
天皇からね直接ドラマだからっていうのもあるだろうけど
天皇から直接声がかかるようなところまで
その下位として上がってるわけじゃないけど
まあいわゆるお目見えみたいな状況までは
いってるわけで
そういうのもねそういうバランスっていうのもあるんだろうなと思うんですね
そうですね
はい