作品の背景と作家の紹介
はい、ということで、中一周を置いてですね、私としては登場しているわけなんですけれども。
お聞きいただけましたかね、前回の作家さんの朗読で小崎物江。
はい。
で、私は今回書評というスタイルで書いてみましたっていうこともあるんですけれども。
はい。
これ、作品選びの話をちょっと先にすると、これ割と作家さんおすすめだったかなっていう印象。
そうですね、はい。
だったので、作家さんがどう思ったのかなっていうのも非常に僕は興味深いところではあるんですけれども。
ひとまず私の書評を読んでいこうと思います。
はい。
なので、書評なのでタイトルもちょっといつもと違いますが、タイトルから本文を読んでいきます。
はい。
世界中の小崎物江。
有島武夫は明治大正期の小説家である。
父親は明治新期の薩摩藩士で、武夫が生まれた頃には大蔵官僚であった。
一族にも著名人が多く、妻は武夫の父と同郷の陸軍大将の次女である。
また、志賀直生や武者の孔子三根奴らと同人誌白樺で活躍した白樺派の中心人物の一人でもあり、
下院の末裔ある女、惜しみなく愛は奪う一房の武道などで知られている。
有島は母校である札幌農学校の英語講師に就任。
就任当時は東北帝国大学農家大学、後に北海道帝国大学農家大学に就任した頃、
白樺に参加し、その後結婚、長男の誕生と、30代前半は孔子ともに充実しており、
次男三男の誕生、そして自宅を新築するが、作家としては伸び悩んでいた時期がその後に来ると。
ところが妻の廃棄計画により状況は変化する。1914年に北海道を離れ、1916年に妻が亡くなる。
だが有島の代表作は妻の闘病中の2014年から妻の死の4年後の1920年までに集中している。
最も有島自身1923年に死去しているのだが。
小崎物江は作家としての有島の延熟期の半ばの作品、妻の死の2年後に書かれたものである。
また短編作品でありながら、代表作の一つとして数えられることが多い作品でもある。
小崎物江は一般に小説に区分されることが多いが、内容からすれば手紙という印象が強い。
母親の重要性と喪失の痛み
手紙は3人の子供に当てられている。
発表された1919年、子供たちは数えで8歳、7歳、6歳だったことになるが、内容が子供には難解な部分も多く、
また文中でも子供たちが本書を読む時期を子供たちの成人後、または弊社の死後を想定しているように思える箇所も多い。
そういう意味では手紙というより、遺書に近い印象さえあるのだが、一方で実際の遺書は別に存在する。
ここで一つ疑問が生まれる。
どうして子供たちに向けた遺書のような、手紙のような文章を発表したのか。
仕事として依頼を受けて書いたものかもしれないし、その場合でも内容について指定があったかなかったかも分かりませんし、
あるいは書きたい衝動があり、書き上げた上で出版社に持ち込んだのかもしれない。
発表した理由はわからないが、書くことにした理由は文章の中にある。
筆者は自身にとって母の存在から自身が幸せであったとし、ひるがえて幼くして母を失った子供たちを不幸であると書いている。
もちろん優越感を持ってのことではない。
多くの場合に普通にあるはずの幸せを与えられなかった親としての懺悔である。
また筆者がここで問題にしているのは父親ではなく両親という意味でもなく母親の重要性のことだ。
ここで生命に一番大事な養分を奪われてしまったのだと表現している。かなり強い言葉だ。
もちろんこれも単に母乳であるとか食事を与えるという意味にとどまらない、強く大きい母の愛情を受ける機会を幼くして失ってしまったということである。
これは有島自身が子供たちを不幸にしてしまった開婚の思いと考えられる。
その開婚とともに有島が伝えたかったのは自身と妻、子供たちの母の子供たちへの愛情であった。
父としての子供たちへの愛情と母の深い愛情がしっかりとそこに存在していたことを書き綴っている。
吹雪の北海道で長男の誕生については、夫として父としての心情はなるべく正確に伝えようとしているのがよくわかる。
当時の彼の心理は乱れているが、その乱れを正確に書き記すことで、その愛を伝えようとして冷静さを保とうとしているように思える。
その後、次男・三男が生まれた後、有島は作家としてのスランプからか、妻や子供たちにつらく当たったこともあるという。
このことについても正直に、それでいて過不足ない表現で書かれている。
そして、この後の不幸を神からの罰と表現しているのは、キリスト教との関係の浅からぬ有島らしい表現である。
有島の罰は妻を通して現れる。しかし、背血格を患った妻はどんな罪があるのだろうか。
母の死に直面した子供たちにどんな罪があるのだろうか。
神による罰以上の理不尽さが妻と子を襲った。
妻の闘病のことは、有島が正確性を保とうとするためか、読んでいてつらいものだ。
これをもし子供たちが読んだのなら、一般読者とは比較にならないだろう。
筆者の書評と親子の愛
そんな中、妻が涙するシーンがある。
筆者は驚きのような感情を乗せて、妻の涙を初めて見たという。
妻のどんな表情も見てきた自負があったのかもしれない。
その驚きに若干の滑稽さと合わせて、妻への愛に自負心を持つ筆者の可愛らしささえ感じる。
そういえば、妻の父は陸軍大将である。
一時は夫の乱暴にも耐え、子供たちを守り、病に侵されても子供たちを慈しむことを忘れず、
夫にも涙を見せなかった気情さは父譲りか父母の仕付けによることかもしれない。
父である筆者と亡くなった母の子供たちへの愛が確かに伝わる。
そして、父の母への愛も、亡き母の人柄も感じられる。
そして、それを伝えたい筆者の思いも。
強く訴えてくるものがある。
それを感じずにはいられない、そんな短い小説であり、長い手紙でもある。
小さくて不幸な、それでいて、父母の祝福と愛に包まれた世界中の子供たちへの椿雷道。
以上です。
ちょっとね、読書感想文じゃないので、書き方が全然違うんで。
読書感想文はいつも添削している先生に聞く感じではないんですけど。
なので、評価みたいな話はいいんですけど、
これ、僕の書評として書いたものについてどう思います?
今まで雷道さんが書かれる文って、私はいつものこの雷道さんの感想文しかなかったので。
はいはい。
こっちの方が多分楽に書いてるなっていう感じはしますね。
そうですね、確かに。
苦労してないなっていう感じがまず受けたのと。
そうですね。
で、私はいつも雷道さんとこういう話を、感想文の話をしていて、
でも私自身もそうなんですけど、こういうどう書かれているかとか、
どうしてこういうふうにこの人が書いたのかっていうのを話し合う方が楽なんですよね。
あー、はいはいはいはい。
多分、雷道さんも私もそっちの方が楽。
あー、なるほど。はいはいはいはい。
なーっていうのは思いましたね。さっきの先週までの。
三梨法一の。
三梨法一もそうなんですけど、結局そういうどうしてこういう書き方したのかなっていう方に話が流れていくことが多いなって。
あー、そうですね。確かにそうですね。
すごく雷道さんが生き生き書いてらっしゃるなって思いました。
なるほど。
実はこれも書評の書き方みたいなのを読んで書いたので、
構成としては最初の部分が作家の紹介なんですよね。
小説家であるで始まって家庭環境みたいなことと、スラクアバハのことと代表作。
で、二つ目のパートが母校である札幌の学校の英語講師に就任しとかっていうところから書いて、
30代前半が割と順風満帆で、途中からだんだん崩れてきて、奥さんが亡くなって、
で、小さき物絵は苦しい時代の真ん中ら辺で書いた作品だよっていうのが、
作品が書かれた背景っていうような感じで指定されていた部分をこういうふうに書きましたっていう感じで、
こっから後が本来いわゆる感想文みたいな部分になって、
で、最後の締めのところで、書評の部分、パートっていうのかな、この後の部分が。
書評なのでどういうところが良いか悪いかみたいな話をするのがこの後の部分で、
最後の部分の数十、百文字ぐらいかな、
のところが妻である筆者と亡くなった母の子供たちへの愛が確かに伝わる云々っていうところが個人の感想。
筆者って私の感想。
っていう構成で書くんですよみたいなことが書いてあったので、そういうつもりで書きました。
前半の組み立てとかは確かに書きやすいんですよ、めちゃめちゃ。
だってこんなの言ってみれば調べて書けばいいだけなんで。
ただ僕ちょっと立場柄みたいなこともあって、著作権っていうことを考えることが多くて、
例えば辞書とか六方全書って著作権あるのかみたいな話があって、
これって絶対的な事実をピンポイントで抜き出してる部分とかだったら、
別に著作権はないんですよ、法律の条文とかね。
辞書の意味でもどの辞書を引いても書いてあるような表現とかは別にいいんですけど、
辞書全体としてこの言葉を載せるか載せないかっていうのは、
辞書を編む人のパーソナリティが出るわけじゃないですか。
そうすると辞書全体としては著作権はあるってことになるみたいなんですよ。
で、そういうことを普段調べたりとかすることもいつもやってるわけじゃないけどたまにあるので、
ここで千枝紀物絵の本人の作者の紹介とか、書かれた背景っていうのを書くときに、
当然妻を相当意識して書いてるんですよ。
有島家が有名人が多いよっていう話をまず出した上で、妻のお父さんも陸軍大将。
結婚した当時は陸軍少将なのかな。
次女が結婚したとき、有島が結婚したとき。
で、後に大将まで生きてる人で。
札間の出身なんでガチガチにそういう感じなんでしょうけど。
っていう人の子供ですよっていうのをこの辺に入れてたりとか、
で、その書いた背景ってところでも結婚の下りから始まって、結婚っていうか英語講師をしてその後結婚して子供が生まれてみたいなところから妻が。
で、家を北海道で建てた後に妻が病気になって、北海道だと寒すぎてきついからっていうので関東に移り住むんですよね。
せっかく移り住んだんだけれども2年後には亡くなってしまうっていうような流れになっているところとかを割と書いているのと、
その作家として縁熟期だった、有島が縁熟期だった時代っていうのはほぼほぼ縁熟期の前半が妻の糖尿時代で、
妻を失ってからの数年っていうのが縁熟期の後半にあたるみたいな感じになっているので、そこにも触れた上での内容についての説明というか紹介ってなっているのと、
どこで書いたんだっけな、途中で出てくる書評の本文みたいなところで出てくる、なぜそれを書こうとしたのか、発表しようとしたのか。
っていうのが、わかんないから、もうわかんないままでいいやと思ってずっと書いたんですよ。最後のところで、最後の自分の感想を書くところ、最後の数行ですね。
父である筆者と亡くなった母の子供たちへの愛がっていうのを書き始めて、そうかって思って、最後に小さく不幸なそれでいて、
父母の祝福と愛に包まれた世界中の子供たちへっていうのは、この世界中へのっていうのをタイトルとその最後の一文に後から付け足してるんですよ。
有島武雄の作品と私生活
だからこれは子供たちへの文章なんだけど、世界中に同じような境遇の人たちもいて、そういう人たちにも向けて書いてるよっていう意味を出しすぎないように書くっていう意味で、
タイトルと最後の一文にだけその世界中のっていうのを入れたっていう。書評らしくしようと思って、こういう小手下げの技も使いましたよっていう感じですかね。
そうなんです。これがなんかちょっとわかってなかったんですよね。なんでこれ、明らかに子供たちに向けて書いてるので、なんで出版するんだろうって思ってたのが、一応自分なりの答えを出したかなっていう感じですかね。
作家さんは、作品としてのこの小さき物絵についてはどんな感想とか思いがありますか。
これを私が初めて知った、作品をそのものを知ったのは、NHK…イーテレか。
イーテレの日本語で遊ぼうっていう番組の中で、最後の文だけ紹介してるんですね。
そうなんだ。
善とは遠い、そして暗いまでがないんですよ。確か、しかし恐れてはならぬから紹介が始まるんですね。
恐れない者の前に道は開ける。行け!いさんで小さき者よ。だけが紹介されていて、ちょっとわーって思ったんですね。
言葉の強さとか、この前向きな感じ。
へー、そんな文章をこの人書くんだなーって思っていて、その時は読む間もなかったので、子どもたちと一緒に番組を見ていて。
何年かしてから読んだんですけど、もう涙なしでは読めないんですね。
そうですね。僕その涙なしでは読めないところをすごい軽く飛ばしてるんですよ。
それは書評なんで。
そうそうそうそう。書評なんで、あんまりネタバレしちゃいけないという要素もあるんで。
妻の糖病期、期間ね。糖病期のことは有島が性格性を保とうとするためか読んでいてつらいものだ。
加えて、これをもし子どもたちが読んだのなら一般読者とは比較にならないだろうとだけ書いたんですよね。
あの涙するシーン。ここだけわざと抜き出して書いたんですけど。
ちょっとね、これ有島驚きすぎだろって思ったんですよ。妻が泣いてるの初めて見たっていうのが。
なんかこれまで見せたことがなかったみたいな、割とちょっと強めというか丁寧めに書いてるのが。
僕がサイコパスなのかしらけど、ちょっと面白かったんですよね。
どんな顔も、ここにも書きましたけど、どんな表情も見てきたみたいな自負心があったからこそ。
だからどんな顔も見せるほどに仲もつまじかったんだと思うんですよ。
いろんなね、笑ったり怒ったりする顔を見てきたけど、涙を流すところを見たことがなかったっていうことに驚きというかショックがあったんだと思うんですよね。
それをショックで思うってことは、それだけの自負心があったってことなので。
なんかちょっと、まぬけさというか滑稽さみたいな感じを受けて。
僕はそれを可愛いという意味合いで捉えてはいるんですけど、別に悪意があっていじってるって意味じゃなくて。
本当に好きだったからこそそういうふうに全部見てきたぞっていう意識も生まれたんだろうと思うから、可愛いなっていう感じがしたんですけどね。
でも逆に言うと、それこそ涙なしではっていうような意味で言うと、ここまで気丈だった妻がついに涙を見せるっていうところでもあるから。
気丈だったりとか優しかったりする、子供たちに優しかったりする妻が涙を流すっていうのは、
本人が死んでしまうことへの思いもあるだろうけど、子供たちを残していくっていうのが当然強くあるわけで。
そういうアプローチで捉えると、本当に涙なしではって話になっちゃうので、僕はここはちょっとあえて面白みたいなところで捉えてるっていうところもあるんですけど。
そうですね。
あとちょっと書き方は割とさっぱりめに書いたんだけど、本文でもそんなに長く書いてないんだけど。
スランプでってはっきり書いてあったわけじゃないんだけど、子供たちとか妻に割と辛く当たったっていうところが書いてあって。
これ前提が子供たちへの手紙として書いていると思うので、そこをはっきりそういうふうに言うんだって。
まあそれ、子供たちは覚えてるだろうから隠したってしょうがないっていうのはあるんだろうけど。
美談だけど終わらせないっていう気持ちがあるんだなっていう印象もあったんですよね。
作品のキリスト教的影響
彼は一時期クリスチャンだったんですよね。
途中で抜けてるような感じのことも書いてあったと思うんですけど、ウィキペディアとかに。
でもやっぱり作品の傾向としては、そういう傾向が強いっていうのもあるらしくて。
キリスト教の影響が強いっていうこともある。カインの末裔とかもまさにそうですけど。
なのでそういう発想は多分いろんなところにあるんだと思うんですよ。
それこそ罰が、自分に罰が与えられたみたいな感じのことを書いてるわけじゃないですか。
僕はここは逆にちょっと行き通りみたいなのがあって、
それは神が用意して有島自身に罰を与えるんであれば、それはそれでいいんだけど、
悪くない奥さんが亡くならなきゃいけないとか、悪くない子供たちが悲しまなきゃいけないっていうのが、
有島がいう神はどういうバランス感覚でそういうことをしてるんだっていう感じがしちゃうんですよね。
なのでそれに関しては簡単に神だの罰だのっていうのも違うんじゃないっていう気はしたんですよ。
今wikipediaを見たら、有島多郷のwikipediaの主題にキリスト教人道主義って書いてあるんで、
そういうところがあったみたいですね。
そんな側面もあったり。
ちょっとこれwikipedia面白いんですよ。
ちょっと読むといいと思うんですけど、札幌の大学校に自分が学生として入った時に、
教授に二戸稲造がいたらしいんですよね。
札幌の大学校だから農業の学校じゃないですか、言うなれば。
で、二戸稲造から一番好きな学校は何かと問われ、文学と歴史って答えたそうなんですよ。
二戸稲造に失笑されてほしいです。
農学校なのにってことですか。
っていうことなんじゃないかと思うんですよ。そこが僕の解釈なんですけど。
実学ですもんね、農業とか工業とかでもそうですけど。
そういうところからすると歴史と文学って、虚学ってことはないですけど、
現実世界で生きていく上で必ず必要というニュアンスとはちょっと違ってくるので、
どちらかというと心を豊かにするみたいな意味合いの強い学問ではあると思うので。
ちなみにキリスト教については1901年。
内村勘蔵とか森本厚吉かな。
の影響もあり1901年にキリスト教に入信するってなってて、
その後海外留学としてるんですけど。
6年後帰国を、この頃信仰への疑問を持ちキリスト教から離れる。
アナーキストの巨星であった大杉坂井が海外に隠蔽した際に云々という風に繋がっていくので。
キリスト教に入信だった時期もあり離れてもいるんだろうけど、その後は離れたりはしてるんだよね。
離れてるのが1907年で、奥さんが亡くなるのが1916年。
父親としての成長
亡くなってだいぶ経ってるんだけど、ちょっとキリスト教のニュアンスを感じるような部分っていうのがあるかなという風には思います。
小崎物江っていうタイトルからすると割とちょっとキリスト教っぽいって言えばっぽい。
そうですね、確かに。
そうですね、そんなところかな、なんかあとあるかな。
あとは手紙みたいだっていうことと、あと短いっていうところがあって、その短さに反してというか、
割と代表作の一つに数えられるっていうのはすごいなと思う。この作品自体がね。
有嶋がじゃなくて、有嶋という著名な作家の代表作の一つに数えられるっていうのは、この短さにしてはすごいなと思いますよね。
それだけの勢いのある分ですよね。熱量というか。
そうなんですよ。僕、正確にっていう言葉を割といっぱい使って書いてるんですよね。
私は、さっき言った妻や子に辛くあたったこととかも書いてるっていう意味である意味セキュララな部分とか、
長男が生まれるときの狼狽してるところとか。
狼狽してる過去の有嶋は感情の起伏がすげえ激しいんだけど、ちょっと難三だったからね、ちょっとダメかなと思ってへこんだりとかもするとかはそうなんだけど、
そのへこんでる自分を正確に捉えるために割と冷静に書いてるって思うんですよ。
これ書くときにすごく悩んだのが、冷静に書いてると思うんだけど、すごい熱量で書いてる側面もあるから、
冷静に書いてるって言っちゃうとその熱量が伝わらない、熱量があるっていう部分が伝えられない、僕が書く上で。
って思ったら結構そこは苦労したというか、なんて書こうかなって悩んだところではあったかな。
なんていうのかな、言葉で言うと筆地が強いっていうか、そういう感じはするんですよね。
思いの丈を伝え、美文を書こうとかそういう感じは全くしないんですよ。美文っていうか上手な文章なんですけどもちろんプロだから。
よく伝わってくるんですけど、やろうとしてることはそこじゃなくて、伝えたい、この熱量がそのまま伝わるようにしたいっていうところの方が強い。
綺麗な文章とか、上手いこと書き言葉になってるとかそういうことじゃなくて、この熱量伝わるかなこの書き方でっていうところに不信したんじゃないかなという気はしましたかね。
いいですか?あと何か言っておきたい、涙なしでは読めないこの作品の。
どうしてこれを発表したのかなっていうところは、私も確かにそれはそうなんだよねって思ったんですけど、
子供たちに伝えたいこの熱量が自分の懺悔でもあり、だからこそ母の愛を少しでも伝えたかった。
母の愛を受けられないことが不幸だって言っているからこそ、じゃあ少しでも自分が埋められることは何だろうって思った時に、母の愛とか、母はこんなふうにお前たちを愛していたんだよっていうのを残しておいてあげること。
これが母の愛をちょっとでも伝えられる自分からの愛でもあるっていうふうに思ったのかなというのは、私は最後のところで。
ああ、送る言葉的なところ。母の愛を伝えたいって思ってる自分の愛っていうのも両方あるんだよね。両方ちゃんと成功してる?それを書くことに成功してると思うので、よくわかりますよ、その感じは。
最初、自分の仕事ばっかりに飽きくれてとか、そのためにうまくいかないから、妻と子供にちょっと当たっちゃってっていうところが、すいません、世の男性に喧嘩を売るわけではないですよ。
父親の子育てに対する軽さが少し現れているようなって思い。私は母親なので、どうしても自分の体を痛めて産んで、自分の力できる父を飲ませて育って。
泣かれたらお母さんじゃないとダメとかって言って返され、全部母に押し付けるんじゃないよっていうのが若干の本音ではあるんですが。そういうところ、お父さんとして男の人としての何となくの愛が軽いわけではないんだけれど、子育てに関する軽さっていうのが最初のところに見えてくるんですよね。
だけど、奥様が亡くなったことで、この奥様の愛も有島武雄の中に生まれてきて、子供たちへの愛がどんどんどんどん深まってきて、2人分愛さなきゃっていう気持ちが出てきて、この小説なんだろうなっていうのが、
有島武雄自身の成長って言ったらすごい上から目線ですけど、心が愛で満たされていって、それを子供たちに渡さなければっていう気持ちがね、父親としての成長がいいなって。
なるほど。
ちょっと語彙がひどいですけども、今。
作家の家庭への思い
いやいや。わかりますよ。一般論として、いわゆるステレオタイプな父親像っていうのもわかるし、作家さんのご主人のことは僕は知らないので、どうかはなんとも言えないですけど、言ってみれば今の僕から作家さんぐらいの世代の男の人っていうのは、そういう傾向にあることが多いだろうっていうのも想像がつくんですよ。
僕がこんな中途半端な言い方をしてるのは、僕自身が父親ではないからなんだけど、一方で、割と最近ではどこまでできてるかはわからないけど、だんだん若い男性のお父さんたちが、だんだん家事だったり子育てだったりっていうのは、足りてるかっていうと足りてないって、それは女性の方々、お母さん方は言うだろうけど、
多分それでも僕らぐらい、40代50代ぐらいのお父さんよりは全然やってるだろうと思うし、一方で、僕これね、有島が子育てをしないじゃなくて子供や妻にきつく当たる、つらく当たるっていうのは、どちらかというと作家らしいなって感じがしたんですよね。
なんか、なんていうのかな、切な主義的というか、多いじゃないですか、こういうぐらいの時代の明治から戦前ぐらいまでの作家って、自暴自棄になったりとか自殺したりとか暴れたりとか多いんで、作家としてそういう感じするなみたいな印象はありました。
で、なんかね、妻への気持ちっていう意味で言うと、相当好きだったんだろうなって、いろんな意味があるの、母親として素敵な母親だとか妻として素敵な妻だとかもあると思うんだけど、人間としてとかもあると思うんだけど、
おそらく恋人的な意味でも相当その時点でも好きだったんじゃないかなという気はするんですよね。だからこそ伝えなきゃみたいなのもあったと思うし。
ちなみに有島太郎のうちに愛人みたいな人できますけど、結婚はしないんですよね。その辺はクリスチャン的な思想もあるのかもしれないし、言っても妻への思いもあるからこそのことだとは思うし、そういうふうにも書かれてはいるんですけどね、一応。
そういうところもあるので。さっき茶化し気味に言った、妻の涙を初めて見たみたいなところは、本当にそこは好きだからこそだと思ってるので、僕は。妻のことをね。
人としてとかもあるけど、どっちかといえば恋愛感情に近い意味で好きなんだろうと思ってるから、だから伝えたいっていうのにもなったのかなっていうのは僕なりの解釈です。そんなところですかね。ちょっと長くなってますんで。そろそろ終わりにします。多分編集でさくやさんが頑張ると思うので。
いえいえ、そんなに切れませんよ、いつも。
はい、じゃあ4週目が終わりましたので。ちょっと待ってね。大丈夫だよね?
はい。
大丈夫ですね。今週11月は4週までしかないので大丈夫ですね。
はい。
じゃあガチャ回します。
はーい。
よいしょ、出ました。
笑ってる。
忙しいな。
モノの名の庭です。
わお。後から忙しくなる。
そうですね、もうここまで来るとそっちの方が心配ですよね。
はい。
もうなんかあれですよ、だんだんどうせ番組は決まってるので、何が出るかいつ出るかわかんないけど。
いえいえ。
もうちょっと準備とかしておいた方がいいかもしれないですよ、後半の忙しさを考えると。
やばいやばい。
僕もモノの名の庭は多少の準備はあるけど結構、ゼロからじゃないけど1からぐらいの準備になると思うので、頑張ってみようかなと思います。
はい。
はい、ということで今回のシリーズでは、小泉役物耳なし法一の読書感想文、朗読と読書感想文、そして有島武雄の小さきモノへの朗読と書評をお送りいたしました。
はい。
ようやく少しやきめいてきたかなと思っていたら急な小枯らしのニュースを聞いた下月でした。
私の大好きな秋は一体どこに行ってしまったのでしょう。
しかしもう今年も残すところあと一月となりました。
今年も良き一年であったと思えるよう最後まで気を引き締めていきましょう。
それではごきげんよう。