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2025-09-23 30:12

第2話 人車鉄道の歴史 いすみ鉄道の元祖はなんと人が列車を押していた!

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この番組は、房総半島に新しい文明をつくろうを合言葉に、
房総にまつわる様々な情報を発信するポッドキャスト番組です。
ナビゲーターは、房総文明ミュージアムよりヨッシーがお送りいたします。
今年の夏も本当に暑かったですね。
年々どんどん暑くなっているように感じますし、
データ的にもそんな状況にあるようです。
もちろん生物学的にもこの異常な暑さの進行を危惧しているんですが、
もう一方で僕がとても心配しているのが、
この暑さが不景気を作り出すもとになっているんじゃないかということです。
あまりにも暑すぎてですね、日中人が家から出ないようになってきてしまっています。
それを感じています。
僕の知り合いの飲食店だとか宿泊業などのサービス業の方々に聞いてみても、
ほとんどの人がですね、おしなべて今年は集客が悪かったと言っているように感じています。
もちろんかき氷屋さんだとか他のプールだとかは繁盛しているのかもしれないですけども、
全体的に見るとやはり集客が落ち込んでいるように感じてしまいますね。
このままの状況を放置していると、経済すらも立ち行かない夏が来てしまうのかななんて心配になっています。
本当に最近は夏が来るたびに深刻な気持ちになってしまう。
本当は僕は夏がすごく好きな時期なんですけども、やはりですね、この暑さが異常すぎるなというのが最近の実に感じることです。
このままではいけないというのを強く思っています。
さてさて話題を変えまして、今僕はですね、千葉県の泉市というところに住んでいるんですが、
泉市というと外房地域、九十九里浜の下の方なんですけども、
太平洋に面している千葉県の泉市に住んでおります。
この泉市と、泉市のお隣町の大滝町という町の間にはですね、
泉鉄道という名前の小さな小さなローカル鉄道が走っています。
本当に普段は一両で走っているような本当にかわいらしい小さな鉄道です。
今この泉鉄道さんはですね、昨年に発生した脱線事故をきっかけにですね、
列車をちゃんと走らせるための安全点検というか、総点検を実施されていて、
枕木ですとかそういったものを交換して改修工事を行っているところで、
残念ながら今鉄道自体はお休み中です。
その泉鉄道さんとスタレットはイテツブックスという共同事業を行っております。
コロナ争動の真っ盛りだった時にですね、何かできることはないかというので
03:03
立ち上げたプロジェクトだったんですけども、このプロジェクトはですね、
廃線の危機にある泉鉄道を皆様のところでご扶養になった本を寄贈していただく
ということにより応援していこうというプロジェクトになっておりまして、
すでにプロジェクトは今5年目、もうすぐ6年目になるところなんですけども、
寄贈本がですね8万冊を超えるようになってきました。
結構、この寄贈本をどこに置くかとか大変な問題がいろいろあるんですけども、
それだけの本がたくさん集まってくる。
これを一重にですね、泉鉄道を皆さんが心配して愛してくださっている
ということの証拠なのかなーなんて思っています。
さて、そのようなわけでですね、今泉鉄道さんと一緒に事業をやらせていただくようになっていまして、
まあそうしたらですね、僕の癖でもあるんですけども、
泉鉄道自体のことが気になり始めて、
あの泉鉄道の歴史だとか、今までの経緯だとか、そういったものを調べるようになってきました。
で、そういった調べていく中ですごいびっくりしたことがあったので、
今回それをもとに第2話を構成しております。
はい、ということで放送不明ラジオの第2話をお送りします。
第2話 神社鉄道の歴史
泉鉄道の元祖はなんと人が列車を押していた
はい、今回のあらすじになります。
千葉県の外房地域に位置する泉市と大滝町、
この間をつなぐローカル鉄道、泉鉄道というのがあります。
その泉鉄道開業の歴史、スタートの歴史ですね、をたどっていくと、
千葉県営大原大滝神社軌道線という鉄道が元祖として登場します。
神社軌道という聞き慣れない言葉、神社軌道の神社は人と車と書いて神社です。
神社軌道という聞き慣れない言葉を調べてみたら、
なんとびっくり、列車を人が押していた時代があったことを知るのでした。
それでは本編をお楽しみください。
この話のネタ本の紹介をさせていただきます。
本日はですね、人が軌車を押した頃、千葉県における神社鉄道の話という本ですね。
佐藤信行さん著、佐藤信行著論書房出版になっています。
この論書房さんはですね、千葉県の歴史だとか文化だとか、
もう本当にいろんな千葉県に関するトピックを専門にたくさんの本を出版された出版社さんで、
2019年に大変残念ながら廃業されました。
先ほどの人が軌車を押した頃なんていうドンピシャな本を出してくる出版社さん、
今ではますます少なくなってきているように感じますけども、
こういった本をたくさん出してきている出版社さんです。
僕はですね、この論書房さんの本を全巻読むことを野望としております。
06:04
神社鉄道の話に入る前にですね、まずはざっと鉄道の歴史を簡単におさらいしてみたいと思っています。
神社鉄道の前にですね、日本の鉄道の歴史を簡単に背景としてさらってみたいと思っています。
まずはですね、遡ること1853年ですね。
1853年といえば日本史とかやってた人は、あの年かって思い浮かぶかもしれないですけども、
そうです、黒船の来航の年ですね。
ペリー帝国が日本の裏側に来航した年として、日本の日本史にですね、刻まれている年になっています。
この1853年の次の年にもまたペリーさん日本に来てまして、
開国してくださいよって言ってまた来たわけですね。
この日本に再来日した際にペリーさんは大統領から日本へのプレゼントを持ってきたものがあります。
それが蒸気機関車です。
ただしこれは蒸気機関車の本物を4分の1にした模型サイズになっていました。
だいぶでかいと思うんですけども、4分の1にした模型サイズです。
これを部品としてアメリカから持ってきてですね、日本で組み立てて、
ちゃんとしかも走らせることができたという歴史が残っています、記述が残っています。
しかもその上には人が乗ることができてですね、
その上に乗った人たちがすごい喜んでたという描写が残っています。
大学時代に僕はペリー提督のことを調べたことがありまして、
この人もですね、すごい面白い人物で、歴史を調べてみるとすごい面白いんですけども、
このあたりのことはですね、この間コテンラジオさん、
ポッドキャストで、すごい有名なポッドキャストですけども、
ペリーの歴史というのをやっていましたので、
もし気になる方がいましたら、ぜひコテンラジオのペリー提督の回を聞いていただければと思っています。
ペリー提督が来て、なんやかんやで江戸幕府が倒されるわけです。
倒されて明治時代を迎えます。
運命開花の音がするって感じですね。
そして鉄道の歴史に戻ってくるわけですけども、
時は明治5年、1872年ですけども、
この年にですね、早々に新橋と横半を結ぶ蒸気機関車が日本で初めて開業することとなります。
ペリー提督から来てからたったの20年ぐらいで、
もう日本では蒸気機関車が走っているという、
鉄道好きの国民がここから誕生していくという歴史ですね。
ちなみに1872年に新橋と横浜ですけども、
1874年には大阪と神戸の間にも鉄道が走っています。
こういうふうに爆速でですね、技術を取り込んでいく日本人というのが同様くさ、
この頃、もっと昔からですけどもあったという感じですね。
09:01
すごいなと、本当にすごいなと思うわけです。
そんなわけで、それ以来日本の鉄道はどんどん普及していき、
鉄道大好きな老若男女、鉄ちゃんとして日本中に誕生していくというわけです。
ちなみに千葉県に初めて鉄道が敷かれたのは明治27年、1894年ですね。
総武鉄道が市川と桜間を結んだものになっています。
そのあたりの歴史も本当に面白いんですけど、それはちょっと今回テーマとして外れるので省略させます。
なんとなく今までのこの流れを聞いていくと、
一気に蒸気機関車が煙突から黙々と煙を出して、全国を駆け巡っていったというふうに聞こえるかもしれません。
しかし実際のところはですね、蒸気機関車が走るような区間というのはそもそも人々の往来が激しくて、
物流の大量輸送を必要とするような経済の大動脈に沿ったところだけでした。
なぜならば、蒸気機関車を走らせるような鉄道の施設というのは莫大な建設費用がかかったからです。
もしくはもう一つ要点があって、鉄道を走らせること自体に対して調整が必要だった。
例えば政府や行政との連携、そして沿線住民の説得などです。
ちょっと他の地域なんですけども、歴史を調べていくと鉄道自体に反対運動が起きるような地域。
例えば鉄道がもくもく煙を出してるんですけど、それが農作物の被害をもたらすみたいな、
そんな噂が広まってですね、反対運動が起きちゃうようなこともあったりしたそうです。
ただですね、しかし明治時代になって経済が活性化し、人々の往来、行き来が自由化されます。
このあたりちょっと余談ですけども、江戸時代っていうのはそもそも人々の移動の自由っていうのが厳しく制限されてた時代だっていうことをまず認識することが大事ですね。
例えば街道、東街道だとか中津線道だとかっていうそういう街道には関所っていうのが設けられていました。
関所っていうのは門ですね。
この門は通行手形っていうですね、そもそも通っていいよっていうパスを持っていないと出入りが自由にできなかったっていうことがあります。
また、例えば土佐藩だとか薩摩藩だとかっていうそういう藩っていうのが江戸時代にはありましたけども、
これはある意味独立した王国みたいなイメージで捉えるといいと思います。
なので藩と藩の行き来っていうのはそもそも許可がないとダメな時代だったんですね。
勝手に何々藩の人が別の藩のところに行ってしまうと、最悪の場合スパイという形、当時は患者とか言いましたけども、
そうして斬り殺されたりとかするような危険性があったっていう、そういう時代だったわけですね。
なので明治時代になって、ようやく人々がある程度自由に移動できるようになった。
これが移動の自由ですね。移動の自由が確保されたっていうのが、
12:00
一つ鉄道が広まる社会的背景だったっていうことを知っていくことが重要かなと思っています。
鉄道が広まるにはそもそも移動の自由がなければダメだったっていうことですね。
江戸時代になんで鉄道がなかったのって言ったら、そういうことも関係してきたわけです。
話は戻して鉄道のことです。
人間の差が、東京だとか大阪で鉄道が走り始めました。
蒸気機関車がボーッと大きな音を立てて煙をもくもく吐いて、
たくさんの人だとかたくさんの物資を運んでるっていうことを実際に見た人が出てきたわけです。
あるいは見てなくても、例えば新聞だとか、もしくはもう人から聞いただとか、あるいはもう噂程度ですよね。
そういった鉄道の話を聞いて、それを聞いた人たちはですね、
いやいいなと、そんなのは自分のところでもやりたいなって思うわけですね。
これが、例えば大きな資本家がいる地域、リッチな人たちがいる地域だとか、
あるいは政府が特別に価値を認めた地域っていうのは、
政府が価値を認めたっていうのは、例えば炭鉱があったりだとか軍港があったり、軍事需要ですね。
そういった必要性があった地域っていうのは、鉄道業をメインとする株式会社っていうのが作られて、
資本家ですよね。資本家が資本を出し合って株式会社を作って、
それで莫大な初期投資をしてですね、蒸気機関車を走らせるっていうようなことができたわけです。
っていうところを言いたいことなんですけども、
この蒸気機関車をメインとして走らせるっていうのはですね、
本当に莫大な初期投資が必要だということです。
この辺りは鉄道詳しい人たちの方がはるかに詳しいと思うんですけども、
ちょっと簡単に調べたことを言っていきますね。
鉄道を走らせるっていうのはレールですよね。金属でできて鉄でできてるわけですから、
レール作るだけでも相当な費用っていうのが必要になるんですけども、
一番重要な要素っていうのは、その蒸気機関車を走らせるっていうこと自体の、
この蒸気機関車の重さだったようなんですね。
蒸気機関っていうのは、もちろん蒸気機関車自体が鉄でできてますから、
それと荷物だとか人だとかを乗せて走らせると、
そもそもレール、これ軌道って言うんですけども、
レールを丈夫に作らなくちゃいけないっていうことだそうです。
当然ですよね。物理的に重さがかかってしまう。
この軌道っていう、ちょっと名前出しましたけども、軌道っていうのは、
車辺にQって書いて軌道なんですけども、この軌道っていう言葉はちょくちょく出てきます。
これは英語ではトラック、線路のことですね。
その軌道を丈夫に作らなくちゃいけない。
レールをただ単に丈夫に作るだけではダメで、このレールを支えるための枕木だとか、
あるいは採石ですよね。
そもそも鉄道が乗っかっている森土をしっかり固めて、
15:02
その上に採石だとか枕木を乗っけて、やっとレールが乗っけられる。
この工事の手間を考えるだけでも相当ですよね。
よくよく考えてみれば確かにそうだなと思うわけです。
鉄道を走らせるっていうのは並々なことじゃないんですよね。
なので、当然そんな莫大な投資を念出できない地域っていうのは日本にはたくさんあったわけです。
逆に言うと、念出できるような地域っていうのは、
すごい大きな資本家がいたり会社があったりだとか、
あるいは産業が成立してたり、軍需需要があったりだとか、
こういう地域に限定されてたということですよね。
株式会社ですから、初期投資ですね、インベストメントを。
投資っていうのは当然ながらリターンを当てにしてやるわけです。
リターン、つまりリターンっていうのは利益の回収ですね。
当時は何万円ですけど何億円という、今のわかりやすいような言い方で言いますけど、
何億円というような大金を突っ込んだものの利益を回収できないと、
その会社は倒産してしまいます。
当然、そうしたことを計画として織り込んで、
人間っていうのは投資活動、投資行動を行うので、
投資を回収できる見込みが立たないものっていうのは、
そもそも投資自体がなかなかできない、抑える。
ここに意識が働いちゃうって話ですね。
このあたり株式会社の成立と経済の動きっていうのを学んでいくと、
とても面白くて、鉄道っていうのは、
イギリスの産業革命もそうですけども、
実は株式会社っていうのと密接な関係にあったと言えることができます。
投資とリターンですよね。
これが投資とリターンで、ちゃんと投資が回収できるよっていうのを見込んで、
鉄道会社を築くっていうのが普通のことなんですけども、
ちなみにこの暴走には鉄道の早々期に、
この投資回収っていうのの見込みが立たなくても、
将来絶対にこの鉄道は必要になるはずって言ってですね、
人々の希望と志とお金を集めてですね、
ど根性で鉄道を通してしまった歴史が実はあったりするんですけども、
ちょっと今回はそれは話を脱線しすぎてしまうので、
割愛させてもらいます。
またぜひ総部鉄道の話はどこかでやろうと思ってるんですけども、
ちょっと今回は話を元に戻して、鉄道の歴史ですね。
要するに鉄道蒸気機関車とセットで考えると、
例えば当時で言うとベンツだとかレクサスを買うようなものだったと、
例えることができるかなと思います。
空森っていう地域は、鉄道はですね、引いても、
ちょっと別の方法を考えるしかなかったっていうことですね。
要するにコストをどうやって下げるかって話です。
そこでコストを安くするために導入されたのが馬でした。
まだ人は出てこないです。馬です。馬。
馬が列車を引く馬車軌道、もしくは馬車鉄道でもいいですけども、
馬車軌道っていうのがありました。
18:00
ちなみにこの馬車軌道っていうのは鉄道の本家。
鉄道の本家は日本じゃなくてイギリスです。
スティーブンソンが蒸気機関車を発明したんですけども、
イギリスでも比較的早くから導入されていました。
イギリスではサリー鉄道っていう有名な鉄道があって、
これがお馬さんが引く、世界で初めての鉄道会社。
1800年代の初め、まだペリーが来るのずっと前ですね。
1800年代の初めにはサリー鉄道が開業しています。
蒸気機関車を買えないにしても何かいい方がないかなーって探してた人たちが、
この馬車鉄道を見て、
お、そうだ、これがあるんじゃないかっていう風になった。
っていう風になったんじゃないかなと思っています。
当然、馬が引くような貨車ですから、貨車、車両という言い換えでもいいんですけども、
蒸気機関車のように重い貨車を引くことはできない。
あるいは連結させて引くことはできないんですね。
当然小さくて軽い車両を作ってですね、それを引かせるようになるわけです。
で、お馬も蒸気機関車のように重くないですし、貨車も軽いわけですから、
レールもある程度細く、強度の弱いものでも良い。
比較してですね、蒸気機関車と比較して、そういう風なものでもいいわけです。
そうすると、そのレールを支える枕木ですとか、材石ですとか森戸も、
ある程度弱くても、あるいは少なくても済むというようなことになるわけですね。
こうして初期投資を蒸気機関車が走る鉄道よりも圧倒的に抑えることで、
とりあえずまずは鉄道としましょうという風な流れになっていったわけでした。
もちろん蒸気機関車は蒸気機関車で走ってるんですよ。
ただそれとパラで、もっと安い方法はないか。
さっきベンツとかレクサスに例えましたけど、
ベンツやレクサスは無理だから、軽自動車だとか軽トラを走らせるのがどうかってなったわけですね。
明治15年、1882年ですけども、日本で最初の馬車鉄道が東京で走ります。
東京馬車鉄道株式会社っていうのが設立され、
新橋と日本橋間を結んだという風な歴史が残っています。
馬車鉄道は比較的都市部で設立しやすいっていうような環境があったみたいで、
東京馬車鉄道を川切に札幌、函館、秋田、岡崎、名古屋、大阪などの地域で、
この馬車鉄道が走ってたっていうことだそうです。
なんかこの馬車鉄道って言うとですね、馬さんがポッカポッカと貨車運んでいくわけですから、
なんか風情があっていいなと思うわけですけども、
これまで実際に考えていくと、そのお馬さんたちが毎日食べる牛馬と言いますけども、
牛、牛とか馬とか食べる餌の量半端ないですから、この食べる餌どうしたのかな。
で、当然食べたものを出すわけですから、お馬さんたちの出す糞ですね。
これどうしたのかなっていうのが気になったりします。
東京の街の中でですね、馬糞の匂いが漂ってたっていう取材があったっていうことですよね。
21:03
ちなみに先ほど出した東京馬車鉄道、明治35年の最盛期には車両300台、
馬2000頭を東京で走らせてたという歴史が残っています。
まあこれをこれで創刊で、今にしてもどうエコだし、なんか風情があっていいのかななんて思ったりしますね。
まあただ速度は、山手線で例えば馬が走ってたりとかしたらですね、大変なことになってしまうんですね。
今の移動の大動脈を支えるっていうのはちょっとやっぱ無理だなと思うわけですけども。
そんな感じで、都市部を中心に馬車鉄道っていうのが走り始めて、
蒸気機関車も走っている、馬車鉄道も走っている、
それを見たり聞いたりする人がますますどんどん増えていくというわけですね。
そうなると、さらに波及国家ですよね。
いろんな地域で自分の地域でも鉄道を走らせたいっていう人がますます多く出てくるわけです。
でもその人たちにとっては、お金を引くとですね、蒸気機関なんていうのは本当に夢のまた夢ですよね。
で、馬車鉄道も馬とかを維持するのにお金がかかると。
でも鉄道は欲しい。だけどお金がなあ、投資回収できるかわかんねえなっていう、そういう話ですよね。
でも鉄道は欲しいなあ、でもお金はないしなあってこう順々するわけです。
で、それで出てきた答えっていうのが、じゃあ馬がないなら人が押せばよくないっていうですね、
マリオアントランドみたいなことを言う人がいたかどうかわかりませんけども、
まあそんな答えになってったわけですね。
ここで出てくるのが人車鉄道。
そう、国々の策として鉄道をどうしても引きたいっていう人々が出した答え、
それが人が貨車を押す人車鉄道だったわけです。
この人車鉄道は明治28年、1895年ですね、
もうだいぶ明治時代になってからだいぶ後ですけども、
小田原と熱海を結ぶ図走人車鉄道っていうのが日本で初めてと言えるようです。
ちょっと他の地域でもいくつか同じような時代に走ってて、年代前後するんですけども、
この図走人車鉄道有名なのでちょっと取り上げておきますね。
熱海の温泉などの人たちがお金を出したって、どうもこれを引いたみたいなんですけども、
人が列車を押している人車鉄道、走り始めたと。
これを見たのかどうかはわかりませんけども、
いろんな地域で同じような人車鉄道が走り始めると。
ただ、この人車鉄道は広まりは限定的だったみたいですね。
まあいろんな理由があると思うんですけども。
ちょっとですね、この人車鉄道っていう言葉が出てきて、
これが泉鉄道につながっていくわけですけども、
ちょっと信じられますか?
人が押してた。
貨車自体は、ちょっと後でも話をするんですけども、
小さなもので人が8人ぐらい乗る。
あるいは物を乗せて運ぶっていうパターンもたくさんあったみたいなんですけども、
トロッコですよね、いわゆる。
人が多くて8人ぐらい乗って、
24:03
これを人が運ぶ。
人が2,3人で運んでたようですけども、
さっきの頭走線なんかもですね、
熱海っていうと坂がすごいところですよね。
坂がすごい、山道がすごいところをどうやって運んでたんかなと。
その当時の人たちの馬力たるいはすごいですよね。
ただ、この人車鉄道成立の背景として考えられるのは、
その当時の人たちにとっては、実は人が人を運ぶってことは当たり前だったっていうことなのかもしれないです。
例えば、カゴッピキっていう江戸時代を運んでた人たちもいましたし、
他にも明治時代人力車だとか、あるいは船の渡し盛りなんかもいましたから、
人が人を運ぶっていうのはごく自然なことと逆に捉えられたかもしれません。
とにかくコスト的にはそれが一番安かったっていう話ですよね。
それを裏付ける証拠として、先ほど紹介した、一番最初に紹介した、
人が汽車をした頃、千葉県における人車鉄道の歴史、人車鉄道の話っていう本に出てくるんですけども、
明治時代じゃなくて、これは大正7年のデータ。
もうだいぶ近世ですけども、大正7年のデータになるんですけども、
その当時に1マイルあたりの原設費の比較っていうのが出てきます。
1マイルっていうのは1.6キロですね。
それによると、この大正7年には電車ですね、電鉄、電気鉄道も誕生してましたので、
それも比較として出てきます。
それによると、1マイルあたり、電気鉄道は34万円。
この当時のレイトですね、34万円。
蒸気機関車3万円。
馬車鉄道と人車鉄道は9000円台で施設することができたというふうに思っています。
1マイルあたりですね、これが1マイルあたり1.6キロあたりです。
1.6キロが2マイルになったり3マイルになったらすれば、
2×2×3というふうにどんどんなっていくわけですから、
これが掛け算で変わってくるわけです。
ちなみにこの今出した金額っていうのはあくまで軌道、つまり線路の施設代金ですので、
この上に蒸気機関車だとか馬だとか車両が乗ってくるわけですね。
安く済ませようと思ったらこの時代だったわけです。
そうしたわけで人車鉄道っていうのが誕生し、
実際に日本のいろんな地域で走っていたという歴史があったわけです。
人車鉄道すごいなあっていうんですね。
ここから飯住鉄道の元となった先ほどの千葉県営大原大滝人車軌道っていうのの話をしたいなと思ってるんですけども、
ちょっと長くなったのでこの話はまた続きにしたいと思っています。
ここからはお知らせやイベントのご案内をさせていただきます。
まず伊鉄ブックスのご紹介です。
伊鉄ブックスは配線の危機にある飯住鉄道をご扶養になった本を寄贈していただくことで、
27:04
応援しようというプロジェクトになっております。
皆様からの寄贈本を使って収益を上げ、
飯住鉄道の売上アップに貢献したり、
地域の企業化支援や地域イベントの活性化に使わせてもらっています。
今も寄贈本を大募集中です。
詳しくは概要欄のリンクからか、伊鉄ブックスで検索ください。
伊鉄ブックスのイベントの告知です。
まずは、10月4日土曜日、伊鉄ブックスが主催するイベント
大原ブックパークがJR大原駅、
伊住鉄道大原駅から歩いて1分の伊住イベントスペースナルセで開催されます。
絵本や自動書、文庫や単行本、雑誌まで様々なジャンルの本をお持ちします。
季節も秋になって読書にうてつけになってきましたし、
本を愛する人はぜひお越しいただければと思います。
続いて10月12日日曜日、伊住市の隣の大滝町のお城祭りにブース出展させていただきます。
大滝城は徳橋天皇の本田忠勝が開いた城です。
それにあがって本田忠勝に扮した武者を筆頭に、
本当に鎧、甲冑を着た人たちが町を練り歩く武者挙立が有名なお祭りになっています。
もしよければぜひお越しください。
続いておすすめの地域イベントです。
10月18日土曜日、19日日曜日の2日間、千葉県九十九里町の菅原工芸ガラス工房さんの敷地内にて、
思いを込めた手仕事と職、作り手と使い手が出会えるクラフトマーケット
クラシズク2025が開催されます。
スタレットも裏方でこのイベントサポートさせていただいているんですけども、
全国から本当に素晴らしいクラフトのアーティストの方々が、
クリエイターの方々がいらっしゃるので、
クラフト好きな人はもちろんのことですね。
日本中で今こういう形でいろんなことをやっている人たちがいるんだっていうのを知っていただくのも楽しいかなと思いますので、
ぜひ興味がある方はいらしてください。
菅原工芸ガラスさんのガラスのファクトリーツアーだとか、
そういったものもありますので、もしよければそちらの方もおすすめです。
続いて10月19日、北斗舎の特別展、流火事というイベントがJR大原駅、
泉鉄大原駅のすぐ目の前の北斗舎さんで開催されます。
1日限定の沖縄祭り、先ほど流火事といったのは、
琉球の火星と書いて流火事です。
沖縄のいろんなものが集まるイベントですね。
三振ライブがあったりだとか、沖縄の民間のワークショップがあったりだとか、
もちろん沖縄の美味しい食べ物だとか、面白い民芸品だとか、
そういったものが買ったりすることができます。
沖縄好きな人はぜひ遊びに行ってみてください。
エンディングです。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございます。
放送文明ラジオでは皆様からのメッセージをお待ちしております。
感想やご意見、取り扱ってほしいテーマや耳寄り情報など何でも結構です。
30:03
ご覧の方もよりお送りください。
それではまた次回。ありがとうございました。
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