1. ミッドライフは憂鬱で~お転機雨の降る世代
  2. ミッドライフからは心地よさを..
2025-12-11 39:52

ミッドライフからは心地よさを選んでみる

人生の後半圏内へ突入のミドルエイジからは、Feelin’goodなライフを選んで生きたい。

 

今回も構成や筋立てをしないで降りてきた事を話しています。

 

過去の答え合わせを体感、自分の世界(ナラティブ)を再設計、自分らしく、本来の自分と再会して、この自分なら大丈夫!という安心感を得たい方は、

welcome.dai3sessyoku@gmail.com

 

宇宙に還元!

 

 

サマリー

ミッドライフにおける健康状態や心身のバランスについて語られ、特に甲状腺の持病との闘いや体調不良を通じて自分との関係を再考する重要性が強調されます。また、社会との調和やライフスタイルの見直しについての考察が展開されます。ミッドライフにおける心地よさを選ぶことの重要性についても触れられ、人生の再設定や自分に合った生き方を見つけることが焦点となり、ヒューマンデザインを通じて自己理解を深めるプロセスが紹介されます。このエピソードでは、ヒューマンデザインと旧世紀学を通じて、年齢を重ねることに伴う心地よさの選択と、東洋と西洋の思想の統合について話し合われています。

甲状腺の持病との闘い
Hello my friends and beautiful souls. 今日もありがとうございます。
12月11日、今日朝から採血行ってきて、午後から診察の予定で、通院の日なんですけど、
私は甲状腺の持病になるのかな、治るとかそういうのじゃないからっていう、そういうふうに言われて、
治病ってことにしてるんだけど、甲状腺ホルモンが過剰に出てしまって、代謝が加速して、すごく体に負担をかけてしまうっていうね。
すぐ力が入らなくなっちゃって、気力も奪われて、体重も、本当に力が入らなくなっちゃうから、何かしらを食べるんだけど、食べたいって思うんだよね。
食べるんだけど、その後に、また数時間、もう2時間ぐらいしたらまたお腹空いちゃって。
でもね、体重は減っていくっていう、そういう症状の一つとして、そういうのがあるんだけど、
本当にピークの時は、強制修了。私に強制修了がかかった日っていうふうに記憶していて、仕事してて、
その時、20年くらいいた会社を辞めて、その後にパートで、別のところで、やっぱりクッキングの仕事、もともとそっちの調理とかそっちの世界の人だったから、
クッキングをもう1回やってみたいなって思って、パートでやってたんだけど、
その時、調子がちょっと悪いな、お腹は疲れてるんだなとか、そんな感じで済ませていて、
その日も普通に行ったんだけど、これはダメだって思ったんだよね。
もうね、これはダメですみたいな、症状的には激しい頭痛と吐き気と、異様な虚脱感っていうのかな。
ヘナヘナヘナって感じで、これはちょっとパッパパッパ動くことはできないなって思って、
その日暇だったから、言ってみたら、大丈夫大丈夫、いいよいいよって、顔白いって言われて、帰った方がいいって言われて、
帰るのも結構ひと苦労で、吐き気とかがすごかったから、車運転して帰れないなって思って、しばらく動かないで休んで、
今だったら行けるって思ったら車まで行って、車でまたハーってなって、よし今のタイミングで帰ろうみたいな感じで帰ったんだけど、
近いから、そんなに遠くなかったから帰れたんだけど、そこからもうね、着替えとかもせずそのままリビングに倒れ込んで、
その時子供保育園行ってたから、下の子がね、上の子は学童行ってたんだけど、お迎えもね、ちょっと寝たらよくなるって思ったんだよね。
でもなんかいつもそんな感じだったから、でもその日はよくならなくて、
起きて、もうなんかやっぱダメだ、調子悪い、ダメ無理ってなって、ちょっと具合が悪くても、なんとか振り絞って動くっていうね、ことがね、今までそんな感じだったんだけど、
もうそれすらできないくらいのもうなんか、限界みたいなね、感じで。
で、ちょっとこれはいけないと思って、夫に連絡して、ちょっと無理無理、無理無理っていうかさ、なんていうんだろう、やっぱそういう時は対応してもらわないと、
友働きっていうのはやっぱりね、双方の協力がないと成り立たないので、そういう時にも、そういう気持ちで身構えてて欲しいっていうのはあるんだけど、
夫側ね、基本的には私の方ね、創芸とかそういうのをやってたんだけど、やっぱちょっと体調悪い時とかもあるわけだから、
そういう時のためにいつでも連絡来て、対応できるような身構えた状態ではいて欲しいって思ってるんだけど、
うちの夫は営業で結構外に出てることが多くて、今から戻るのはちょっと戻れないとかね、間に合わないとかっていうのは考えられるんだけど、
とりあえず行けたら行って欲しいんだけど、みたいなね、送ったらタイミングが良かったみたいで大丈夫で行ってもらったっていう、そういうね、もう本当限界に来てたんだね、私は。
でね、そこからね、また長くなるんだけど、結局2日ぐらい起き上がれなくって、
まさか自分がね、そんな大きな病気だとは思ってないから、単なる風邪とか体調不良って思ってたから寝れば治るだろうって思ってたんだよね。
限界を超えた体調の影響
で、風邪薬とかも飲んで、これは風邪の引き始めだとかって思って、でも風邪薬飲んだら、なんかああいう時って体がさ、なんか拒絶っていうのかな、あのやっぱ戻しちゃうんだよね、風邪薬すら。
で、飲んで戻しちゃったから、また飲むってことはしないと思うんだけど、しないんだけど、その後なんかリンゴとか梨かな、梨を食べたんだけどやっぱり戻しちゃって、
これは何も入れるなっていうことなんだなって、なんかそういうことだと思うんだよね。でもその時はそんなことまでは考えられないから、なんか戻しちゃったからもういいみたいなね、そんな感じなんだけど、
水もね、なんか飲めるか飲めないかぐらいだったんだけど、もうああいう、あそこまで行くとさ、頭って考えられなくって、ひたすらもう休むモード、無、無なんだよね。
ちょっとね、良くなってくるとまた考え始めるから、そうなってきたらちょっと良くなったんだなっていうなんか目安にしてて、もう本当に何も考えられない時っていうのはもう疲れてるとか、もう体調が本当限界の時っていうのは何も考えられない。
今でこそ、あの時ほどのことはないんだけど、やっぱ疲れてると考えることがちょっと、何ていうの、なんかほら、いろいろ考えないといけないことが多いでしょ。
夕飯どうしようかなとかさ、明日、あさっての予定とか、えっと確かあれ、あの予定がとかなんかね、そういう気にすること、あのストックのあのリストっていうかさ、トイレットペーパーとかそういうね、洗剤とかの在庫を気にするとか、もう考えることがいっぱいありすぎて、でもそれすら考えられなくなっちゃうんだよね。
今はね、自分との付き合い方をだいぶその後見直して改善したから、ちょっと考えたくないなっていうのは疲れてるっていうのと結びつけて、今考えない、考えないで大丈夫、今ちょっと休もうみたいな風に結構うまくできるようになって、
なんかもう自分との付き合い方っていうのがだいぶ上手になってきたかなって思っていて、あのほんとね、意識で自分を動かしてるとやっぱあの体の方の状態、動く体の方がもう後に回されちゃって、
本当は疲れてるんだけど、本当は体調悪いんだけどとかって、なんかそれもなんて言うんだろう、もう意識で無理やり動かすっていうのがね、まあできなくはないから、それでやっちゃうんだけど、それで休めないとかね。
で、そのまま良くなれば、まあ前みたいに今までみたいにね、できるんだろうけど、その時の私はもう本当に限界を超えてたみたいで、もう早く良くなってまた仕事行かなきゃ迷惑かけちゃってるとかって思ってたんだけど、
もうね、それすら効かないぐらいの、もう体がね、オフ、電源切るだったんだよね。
社会との調和を求めて
まあ本当ね、あれがもう最終的な私の転換期っていうか、あれが本当にポイント、最大ポイントっていうのかな。
その前にもポイントポイントってあったんだけど、最大のポイントだね、転換期。ここでちょっともう一回再設定しないと、もうね、まあどうなってたかなんていうのは分かんないんだけど、ガシャガシャガシャってね、崩れていくみたいなね、なんかそういう風になっていたんじゃないかなって思って。
だからね、もう本当にもうごめんねっていう気持ちと、もう反省っていうか、自分に反省っていうか、もう本当に大事にしてなかった。
本当にごめんなさいっていう気持ちで、で、こう分離していた、なんかそういうなんていうんだろうな、自分のフィジカルな部分と精神面っていうのかな、精神、マインドっていうのかな、スピリチュアルな部分っていうのかな、そういうそこが分離してる感じだったから、
それをより近づけて、統合に向けて、本格的なそういうジャーニーがそこからグワッと進んでいって。
で、ヒューマンデザインを使って、そのね、統合のプロセスっていうのを始めて。
今はね、もうだいぶ理解が進んだので、結構そこは半分、半分くらいは理解できてると思ってるんだけど、
まあ、そのさ、社会との間にいてさ、の自分だから、その社会からこう、じゃあ駆け離れたところでは生きていけないのね。
それこそ山奥でひっそりと、なんかね、隠居みたいな感じで、自給自足して隠居生活みたいなのをやれる場合だったら別だけど、
基本的には子供は学校に行っていて、税金を納める自治体の市民の一人だから、
ちゃんとその社会とのこの自分と本来の自分っていうところの、うまーく調和というか、溶け込むというか、バランスを取るっていうのかな。
なんかいい感じで、別物なんだけどいい感じに混ざり合うような感じで生きていくっていうね。
その状態が、今の自分の、私のいる環境ではそのライフスタイルが一番ちょうどいいんじゃないかなって思ってて、
だからね、もう社会の方に合わせすぎても自分を見失っちゃうし、
その期間が長ければ長いほど、私みたいに、病院にかかってお医者さんに診断をされる病気っていうものになったりとか、
それこそ自分っていうもののバランスを崩してしまって、完全にね、何にも本当に気力も、体を起こして職場に行こうっていう気力すらなくなってしまうみたいな、そういう奪われちゃうような感じ。
そうなってしまう可能性っていうのを持って、今の自分ってどうなんだろうっていうのを見つめ直すっていうのは大切なんじゃないかなって思っています。
それをね、やっぱり、中年に差し掛かる頃から一回見直しをするっていうのがいいんじゃないかなって思っていて、棚下ろしっていうのかな。
自分のやっていることとか、持っているものとか、辿ってきた道とか、そういうのを一回棚下ろししてみるっていうのをね、中年っていうとすごく年を取った感じがしちゃうんだけど、
私はミートライフとかミドルエイジっていう風に言ってるんだけど、ミドルエイジに差し掛かる頃、何歳っていうのはないけどね、大体私は38,39歳くらいから40代いっぱい、51,52歳くらいのあたりなんじゃないかなって思ってるんだけど、
ミッドライフの再考
最近はね、60歳とかって言ってもすごい若いから、この間、皇后陛下が60何歳のお誕生日とかってやってたんだけど、全然シニアって感じしないですよね。
シニアって言っていいのかどうなんだろう。60代、あの皇后はまだ全然、後期中年みたいな感じ。
全然ミートライフ、ミドルエイジに入ってもいいんじゃないかなっていう、なんかすごい若々しい感じ。あと高市総理大臣も60代だったかな、彼女も確か。でも全然そういうシニアな感がないっていうかさ。
だからもう数字でミートライフとかって言うのはね、ちょっともう違うのかなって思ったりもするんだけど、自分の中で自分は中年です、だったら50代も60代前半とかでも全然いいと思ってて、
70代も元気だもんね。70代でシニアって感じなのかなって思ってるんだけど、私の中でね。
一回中年って中って書くから、本当に人生のだいたい真ん中くらいなんですよね。
今は寿命が長いからさ、40代も、80年で計算したら40代が真ん中くらいだからね、90、100とかってなったらやっぱり50ってずれてくのかなって思うんだけど、
40代、その真ん中の世代になったら、もう一回人生の修正っていうか再設定っていうかそういうのをした方がいいと思うんですよね。
アップグレード?アップデートか。バージョンをね、一回ちょっとこう、わーっと変える、更新して、自分のバージョンね。
そこでさ、なんでこの仕事してんだろうってふと思ったときに、その理由とかを、なんでこれやってんの?とか、何のためにやってるの?とか、この仕事で成し遂げたいことはなんだろう?とかさ、
そういうのを考えたときに、そこで答えがバチッと出れば、じゃあそのあなたでまた行けばいいねってもう一回再確認ができるわけだから、またね、よし頑張ろうって思えて、
もっとエネルギー満ちた自分で取り組めたりもするだろうし、いいと思うんだけど、なんかもう全然意味が出てこなかったとか、ここで働いているその目的とか成し遂げたいことが全然出てこなかったとか、
なんかそれを気づいてしまったら、もしかしたら、ちょっと別のバージョンの道っていうのも可能性として考えられないかなっていうのは、出してみていいんじゃないかなって思う。
もうだってさ、振り返ってさ、あの時なんかもっとやりたいことやればよかったなとかって思ったって、その年に巻き戻せないのはね、みんな知ってると思うんだけど、もう一回やりたいって思ってもやれないわけですよ。
自己理解の重要性
でも気づいた時に修正はいつでもできるから、気づいた時に早めにね、再設定してその道を行くっていうのは、なんかすごく豊かな感じになる。
なんかね、私ね、自分の中でイメージしてるのが、今大きな国道をね、整ったインフラとしての大きな道をたくさん車が走ってるんだけど、その中の一つの自分がね、走っていて、車ね、
でも後ろも続いてるから、スピードを合わせて、変に遅く走って詰まってしまうし、早すぎても前の人を追い込んでしまうから、ちょうどいい感じでみんなうまく走ってる中で、
ちょっと横のサイドのところが森っていうか林っていうかさ、そういうのがあって、ちょっと路肩に止めてそっちの道に行ってみるとかね、あるいはみんなが走ってる道からちょっとインターチェンジっていうかさ、曲がってみるとかね、
なんかそういうイメージで人生の再設定とか転換期っていうのを私はイメージしてるんだけど、
会社員とか、働きながら保育園を迎えとかしてるあのあたりの時期っていうかさ、20代30代の時はまさに国道をみんなと一緒に走ってるっていう感じで、スピードを落としちゃいけないし、ブレーキ踏んじゃいけないし、
変に加速して相手を追い込んだって先行けないんだから、ただ自分がアクセル踏んで離して踏んで離してっていうのをやってるだけで、ある時にちょっと疲れてしまって、休みたい場合は止まるか曲がって違う道に行くかみたいな、
でも私は全然行く勇気がなかったんだけど、もう覚え切って降りたっていうその道をね、本当は自分で開拓していくっていうのをやってみたかったんだけど、
まだ収入の、定期的に入る収入っていうのがないと不安とかね、もうそれは欲しいっていうのがあって、やっぱり普通に補正された道の右にちょっと今までよりは細いけども、ちょっと道に右に曲がるような、なんかそういうそっちに行った、進んだんだけど、
病気して、強制停止かかった時に、もう一回自分を見つめ直した時に、自分に合ったペースとか、自分に合った働き方、生き方っていうのを探して、探すっていうかね、全然新しいことを発見したわけじゃなくて、
あ、やっぱり私はこういうのが合ってるんだなっていうのを、やっぱりっていう感じ、だから思い出した感じ。
新しい、全然違うものをこれだっていう風に新たに手に入れたんじゃなくて、思い出した感じ。
その時はね、もう本当に未開の地を行くような感じだよね。もうだって、それは自分の中ではさ、整った道じゃないわけ。
自分で作り上げていく、開拓していくっていう道だから、もう普通に森林とかの中を行くっていう感じ。車から降りて、自分の足でその道を進んでいくっていう感じ。
だからすごく勇気がいるし、怖いものがたくさんあるような気がするし、それでも行くのっていうところなんだよね。
だから安心とか安定とかっていうところを第一にするんだったら、そのもともと走ってたそのね、整った国道をね、またそこに戻って、その流れに合わせる。
最初はね、ビュンビュン走ってる中、どのタイミングで入ろうかなとかさ、ちょっと間が空いたところに加速してぶわーって突っ込んで、でも後ろから車来てるから邪魔しないように、なるべく前の車といい車間距離で乗ろうとするじゃないですか。
調和していく感じ。周りに馴染むような感じで、わーっとね。
でもその道は安心だし、安全だし、安定してるんですよね。みんなと一緒だし、みんないるから。
でも安定で、安定は安定なのかもしれないけど、果たして安心感っていうのはどうなんだろうなーとかって思ったりして、なんか自分にとってね、安心なのかっていう、そこにいることが。
やっぱりそれを何にも変な不安とか、ちょっと疑問みたいなのを何にも感じることもなく、うまーくぶわーって馴染める人と、あれこれいつまでこの中にいるんだろうとか、いつまでこのスピードで行くんだろう、加速するのかなとか、なんかちょっと見えなくなってくるっていうのかな。
なんかそういうちょっとしたこう、一瞬こう霞む、なんか変な違和感みたいなのを感じ取れる人は、もしかしたらちょっとそれた道に行った方がいい時もあるんじゃないかなーって思ってます。
でね、本当私ヒューマンデザインを学んで実践して、自分の生き方に取り入れてるんだけど、これは本当に長い長い理解のジャーニーで、人によってどうとでも読めるものだと思うんだけど、
自分の言語っていうのに落としてしっくりくる言葉っていうので理解していくと、すごいね、自分がこの生きてるうちにどういうことをやっていくのか、やり遂げる存在なのかっていうのが見えてくる。
なんかヒントがボンボンボンボン出てくるんだよね。
いろんなところで、なんていうんだろう、活かせるヒントがたくさんあって、もうね、一回じゃあ、一回なんかそういうちょっと見てやっても全然終わらないし、理解ができないし、
内面的な変化と成長
本当ちょっとずつ一つ一つをこう、自分に落とし込んでいくっていう、そういうプロセスなんだけど、だと思っていて、このね、なんだろう、見えないところを感じるものを理解するっていうワークなのかなって思ってて、
ちょっとうまく言えないんだけど、うまく言えないのもね、私は今練習してるんだけど、でも降りてきた言葉をそのまま振って出すっていうのが私の魅力を結構引き出してくれるっていうのもね、今それをやろうとしていて、やろうとしていてっていうか、
ヒューマンデザインのね、私の持ってるもので降りてきたものをそのまま出すっていうのがすごく一番魅力的、だから台本とか一生懸命作ってそれを言うんじゃなくって、降りてきたことを出すっていうのがすごくあなたらしさが出るよっていうのを、
そこにたどり着いた理解だったから、頭で理解したから、それを今体現してるところなんだけど、
見えてるものしか信じられないっていう人がたくさん多分いると思うんだけど、私も一時そういうふうに見えてるものだけ信じようって思ってた時期があったんだけど、本来はそれが全てではないっていうのを自分の中でなんとなく理解していて、
でも封印しちゃったんだよね。封印しちゃったし、でもほら、普通に表に出してる自分と本音の自分、なんかああいうふうに言ったけど本当はこう思ってるんだよねとかさ、
ここはみんなには出していないんだけど、実はこういうことをひそかに思ってるとか、温めている計画とか、自分はこういうふうになりたいんだっていう内側に持ってるものっていうのが、
それを全部さらけ出せる人もいると思うんだけど、何も隠さないで全部出す人もいると思うんだけど、私は結構そういう表に出してる自分と実際に持っている自分っていうのが違うっていうのを分かってたから、
それはね、見えているものが全てではないっていうのを、私はそっちを信じてるっていうか、そういうふうに思っていて、でも見えているものが全てでしょっていう人が多分社会に多いと思うんだよね。
だからその中でさ、それが全てではないですよねっていうのをさ、一生懸命説得するっていうかさ、相手に分かってもらおうと一生懸命になって言うっていうのもさ、私はもうそれをやめたんだよね。
やめたっていうか、もともとやってないんだけど、分かってもらえないことを一生懸命理解してもらおうっていうのをすごいやってたの、ずっと。
でも、もうそれもしなくなったね。あ、そっか、分からないんじゃしょうがないかみたいなね。何でももうしょうがないかとかね。
なんかそういうふうに思えるようになって、もうクリッとね、切り替えちゃうっていうかさ、はい、OKみたいな。
ヒューマンデザインと旧世紀学の統合
でも前は本当にね、一生懸命納得してもらって、いやもう絶対この人分かってないみたいな、いやそうじゃないそうじゃないとか、あなた絶対全然分かってない、そうじゃないんだよとか勘違いしてるみたいなね。
私が言いたいことはそうじゃないんだよみたいな感じですごい言ってたんだけど、それもね、なんかやっぱり年を重ね、経験重ね、学びを重ねていくとね、もういいやって、どうでもいいやって、そこはちょっと接点が持てなかったっていうだけよみたいなね、
そういうふうに思えるようになったっていうのはね、結構ね、それは今年大きかった変化なのかな、すごく加速した感じがある。
まあヒューマンデザインに頼っちゃうと、私はなんかそれもヒューマンデザインで全てを理解しようとするのも、それに頼りすぎるのはね、うーんとかって思うタイプだから、
もう一個ね、旧世紀学っていうこれもまた見えないものではあるんだけれども、節理っていう自然の節理っていうところで、それもねそこからの視点も取り入れて、その間で理解っていうのをライフワークにしていくって決めて、
まあ一つライフワークの一つなんだけど、でもほぼほぼヒューマンデザインがすごくものすごい私にとってパンチが効いたシステムだったから、ヒューマンデザインでほぼほぼ済んでしまうっていうかさ、やっぱりそこがすごく深いから、旧世紀学は確認作業みたいな、
まあやっぱり東洋のね、人間として、日本人として、やっぱり思想は東洋寄りなのかなって思ってるんだよね。そっちの方が私と合うっていうかさ、
ヒューマンデザインはさ、東洋と西洋のなんかそういう融合みたいな感じなんだけど、その要素をいろいろ取り入れたものなんだけど、なんかあの、旧世紀学でね、それは東洋のっていう風に、
あの一応定義はそうなんだけど、そもそも人間っていうのは移動して、地球のあらゆるところを移動していたんだから、そもそもは東洋とか西洋とかはないはずっていうのを、
その旧世紀学のね、学んだときにそれ知って、あ、そうだよなって改めて思って、東洋の先制術、西洋の先制術とかってあるけど、そもそもはそうだよな、東洋も西洋もなかったんだよな、後付けだよなって、いつからいつかの後付けだよなとかって思って、
なんかだから、その定義はだから、本来はないっていうのが正解っていうので、なんかすごいね、やたらしっくりきちゃって、それが、だからね、なんて言うんだろう、なんかいろんな国の争いとかさ、なんかいがみ合うとかね、憎しみ合うとか対立とかなんかそういうのをね、なくしたいですね。
もうなんか、そんなことをする必要ないし、なんか本当に何のためにそれをやってるんだろうとかって、ふと思ってしまうのは、なんかそのね、そういうのにまだ巻き込まれてる実感がないから、なんかそんなことを言えんのかなとかって、
なんか人から、ある人から見たら、なんかのね、流暢なことを言ってるとかさ、それは平和ボケしてるからだよ、そう言えんのかってなるのかもしれないけどさ、
なんか本当になんか、地球は地球のものだしさ、宇宙のものだしさ、人間のものでは一切ないのに、なんであんな領土の、なんかね、主張っていうのかな、をしてるのかなとかってね、ふとね、本当にふと思うんだよね。
ちょっと話が違う方にそれちゃったので、なんかね、この辺、共感してくれる人がいたら、ぜひぜひ、ということでありがとうございます。じゃあ、午後は病院に行ってくるよ。
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