1. ミッドライフは憂鬱で~お転機雨の降る世代
  2. 胃がん検診と、よく知らない母..
2025-11-10 44:32

胃がん検診と、よく知らない母親のこと

バリウムは苦手だけど、胃カメラよりはマシ。

胃カメラはもう二度とやりたくないよ!

無事に終わった安堵感で話してます。

母親のことをよく知りません。家族だから、家族のことをよくわかってるというのは間違いです。実の子だから、「私はよく知っている」は違います。私は実の母の事をよく知らなくて、それがコンプレックスでした。それがあるから、知ってて当然、わかってる当然と言ってしまう親や子の思い込みにスパイスを振りかけます。

サマリー

このエピソードでは、胃がん検診を受けた経験や、それに伴う身体的な苦痛や緊張感について語られています。また、母親と話すことができない不思議な関係性や親子のコミュニケーションについても考察されています。 母親との関係に対する複雑な感情や再会のエピソードも取り上げられています。特に、母親との旅行を通じて記憶や家族の繋がりに気づく様子が描かれ、家族の絆に対する理解が深まります。さらに、母親の函館での穏やかな生活や、家族経営の喫茶店での父親との出会いについても語られています。自己の振り返りを通じて、母親との関係性や初恋の影響について深く考察されています。

00:00
ハロハロこんにちは。 今日も聞いていただきありがとうございます。
胃がん検診の体験
今日は、私が胃がん検査を受けてきて、
食事の制限というか、
当日の朝は飲み食いできないんだけど、 普通に私お腹すくから結構辛いんだよね。
朝の早い時間に予約できればよかったんだけど、今回は昼に近い時間になってしまって、
11時からの枠だったんだよね。 だから結構お腹すいてた。
お水も飲めないし、夏じゃなくてよかったよね。
検査してもらって、今回はバリウムが苦手なんだけど、
ゲップが出そうだった。
やったことある人はわかると思うんだけど、 最初に発泡剤っていう、
膨張感がすごい発泡する薬をまず飲んで、
水を飲んで、一気にワーッてくる感覚があって、そこにバリウムを飲むんだよね。
バリウムってすっごいもったりしてて、結構飲むの大変なんだよね。
今回は3回目だからね、流れは知ってるから、何も考えずにやったわけ。
でも、おーっとかって思いながら、必死で飲んで、そのままゲップしないでね、我慢してねって検査室に入るんだけど、
右向いたりね、回ったりね、逆さ状態になったりするんだよね、あの機械行って。
で、やばいゲップ出そうとかって思って、ちょっとこれは今回ちょっと気持ち悪いぞみたいな、酔ってきちゃったみたいな感じになっちゃって、
本当に危なかったね。
で、なんとかこう、頭とにかく、何て言うのかな、何も考えずにちょっと呼吸してよーとか思って、でも息止めたりするんだけど、
ゲップ出そうとかって思いながら、どうにか終わって、
で、うーんみたいな感じで帰ってきました。
でね、本当はね、微妙な空いてる時間に撮ろうかなって思ったんだけど、この落ち着かない感じを残しておこうと思ってたんだけど、
やっぱそわそわしてるから、どうも前向きになれなくて、終わってほっとした感じで今話してます。
あのやっぱね、そわそわしてるとね、なんかやっぱ気になるしね、落ち着かないしできないね。
結構時間あるからなーって思って、チャンスじゃんって思って撮ろうとしたんだけど、
あのなんだかんだ家の掃除したり、あと買い物行ったんだよね、その間に空いてる時間に。
朝行って、バーって買って、で、倉庫をしてるうちにもう洗濯物とかやったら、もう時間だーと思って、こんな感じではちょっと話せないなーって思ったから、
全部終わってから、今こうやって話をしています。
落ち着いた状態でね、リラックスして話したいよね。
かといってね、何を話そうかなって特に決めてなくて、
だから着地点のない会話、一人ごとになるんだけど、もうちょっと練習して、
慣らしていったら、あの着地点とかもあって、こううまくね、
できるのかなーなんて思ってるんだけど、まあとりあえずいろいろやってね、
やってこう覚えていくタイプなので私は、最初から計画的にさ、学んで、研究して、
構成とかをさ、考えて、みんなにより聞いてもらえるようにとかっていう、そういうね、下準備っていうのかな、
そういうのは私はやると苦しくなっちゃうんで、
なんていうの、リラックスして気持ちいい状態でできる方法ってなると、まあこういう感じになります。
で、なんかね、ここ2日ぐらいで思ってたことがあって、
季節の変わり目
あ、そういえば北海道雪降ったってなんかニュースやってて、ああいよいよ冬だなぁ、冬が来るなぁなんて感じてるんだけど、
今日ね、あの午後からすごい風が強くなってきて、
ああ季節が変わるなぁって感じています。あのやっぱこう、
小枯らし一号とかさ、春一番とかもそうだけど、やっぱ季節の変わり目ってすごいこうやっぱミックスされるっていうか、
大気もね、あの台風もそうだけど、こうわーってこうぶしゃぶしゃーってこう一回かき回して、
あのこう変わっていくっていうなんか感じが、なんかこう、
映っていくんだなーっていうのがね、感じられるよね。
あんまりね、私強風好きじゃないんだけど、あのアレルギーもあるから、
あの強風の日はもう本当鼻もねグジュグジュしちゃって目もかゆいし、
あのいろんなものに反応しているんだけど、
まあでも季節が変わるっていうサインだよね。
であのまあ北海道雪降って、なんか除雪車とか走ってる映像とか見てさ、
であのまあ私が住んでいるところは関東だから、あんまりあの関東って言っても千葉県なんで、
あの雪ほとんど降らないんだよね。たまに降るとだからすごいテンパっちゃうっていうかさ、
あたふたしちゃうんだけど、
母親との関係
あの私のね母親がね北海道の人なのね。
であの函館の人なんだけど、
あの私の母って、
すごいなんか謎が多くて、
なんかね、あんまりね自分のこと、個人的なことっていうのかな、
をあの話たからない人だったんだよね。
で今はもう生きてるんだけど、あの結構あの重い病気で、
国に指定難病とかされてるような病気なんだけど、
だんだんねやっぱり体がさ、自由が利かなくなっていくみたいなね感じで、
で、
まあ母親はさ、そのパーソナルなことをさ、とにかくあの話したくもないし、
聞かれるのもすごく嫌がるタイプなんだよね。
で私はさ、子供の時にさ、やっぱり興味でさ、
あのお母さんの子供の時ってさ、とかさ、お母さんの家族はさ、とかやっぱ聞くじゃないですか。
っていうかもう普通だよね。
普通のなんか会話がさ、なぜかうちの母親には通じなくって、
あのもうなんかそれ以上聞くんじゃないみたいなね。
あの、お母さんのことはいいのよみたいなね。
そんなの忘れたみたいな。知らないとか。
もうないからとか、なんかそういう感じで、
あの、なんだろ、いきなりそこにこう踏み込んじゃうと、
いきなりこう、ドアが閉まっちゃうみたいな。
そういう人で、
でそんなんだからさ、やっぱり子供はさ、親にさ、やっぱ気を遣うようになるんだよね。
で、やっぱほら嫌われたくないし、
あの、なんかね、嫌な、あ、怒るポイントなんだって思ったらさ、
あ、もう聞くのやめよう。聞いちゃいけないんだってなって、
もうほら聞かないが普通になったんだよね。
だから母親に、その母親の個人的なことを聞くのはNGですっていうのを学んで、
もう私は一切聞くことをしなくなったのね。
で、母親からもさ、言うことは特にないっていうかさ、
たまーにさ、出してくるんだよね、自分の個人情報を。
それがなんかさ、なんでいきなりなんかそれ出したんだろうって、それがちょっと謎だったりするんだけど、
なんかちょいちょい出してくるんだよね。
でもなんかね、あんまりそこをついちゃいけないの。
話したことが、えーそうなんだって言って、
まあ聞くんだけど、そこでもう、なんていうの、そこで止めない?で?みたいなさ。
それでこうなの?ああなの?で、これはどうなの?みたいな感じで話を広げるのはダメで、
そうするとまたさ、怒り出すんだよね。
だからなんかもう本当謎すぎて、でも自分の中ではこの謎はわからないし、
知ろうとしても無理だから触れないでおこうっていうのが、まあ私がそこで学んで、もう聞かなくなったんだけど、
母親はさ、箱立てのね、人なんだけど、それもさ、直接母親から聞いたんじゃなくて、親戚から聞いて知ったんだよね。
だってあなたのお母さんはだって北海道の人でしょ?みたいな感じで、当たり前でしょ?みたいな感じで言われて、
で私知らないから、えーそうなんだ、北海道なの?みたいなね。
そういう箱立てでさ、って、そこで知って、聞いたのかな?なんか怖くて聞かなかったかもしれないんだけど、
お母さんって箱立てなの?とかさ、聞いてさ、なんか怖そうだからさ、聞かなかったかもしれないんだけど、
ちょっと覚えてないんだけど、まあとりあえず親戚がそう言うんだからそうなんだろうなぁと思って、
北海道の箱立てなんだ?っていうのを知ったのも結構大きくなってからで、
本当に母親の個人的なことは私は何も知らなくて、
子供の時はさ、なんか周りのお友達が、
夏休みはお母さんの実家の方のお家に行ったんだよ?とかさ、遊びに行ったんだ?とかさ、
そういうことを聞いたり、
あと普通に母親のことをさ、結構知ってるんだよね。
お母さんとお父さんが出会ったのは?とか、
お母さんは何人兄弟で?とか、
お母さんはこういう学校出てるんだよ?だからこういうのが上手なんだよ?とかさ、
結構知ってるんだよね。
そう、なのに私はさ、知らないから、
うん、それがね結構ね、
コンプレックスだったりするんだよね。
うん、なんか変だよね。不思議な感じしません?
なんか娘なのに、母親のことをこんなに知らないっていうのが、
なんか変だなって思うんだけど、そうだから、
うちは変ってずっと思ってて、
でね、あの、
そう、母親もさ、歳をとってくるから、
割とこう、
なんていうんだろう、
ちょっとオープンになってきたのかわからないけど、私も聞くこともなくさ、
聞かないけど、向こうが話してくることは普通にオープンで聞くっていうスタイルで、
で、なんかね、もうほら、いつか人はさ、終わるじゃないですか。
生まれたから必ず死ぬ運命っていうのもあって、
で、母親も、もうね、
年齢がさ、まあ高齢ってほどじゃないけど、まあ70代中盤?後半か、だし、体も不自由だし、
まあ普通の70代よりはやっぱりもっと年をとっている感じがするんだよね。
で、もうほら、治らない病気だし、体はどんどん動かなくなっていくってなると、
やっぱりこう、そういう終わりの準備とかを自分の中で今しているところだと思っていて、
で、結構ね、あの、何だろう、
友人とか連絡をとっているような感じで、
この間なんかね、あの、珍しくなんか、うちの実家に来客があって、
で、数日泊まるって言うから、どういう友達、どういう知り合いって聞いたら父親にね、
父親に聞いたら、お母さんのお姉さんだよって言われて、
で、お姉さんみたいな、兄弟何人かいるのは知っていたけど、え、うちに来てんの、え?みたいな、
全然なんか私は、40年以上、なんていうの、会ったこともないし、知らないし、
その、語られたこともないから、兄弟のことについてはね、
で、それが家にいるみたいな、びっくりして、で、会ってくればって言われたの、父親にね。
で、会っていいの?みたいな。
私はずっとさ、やっぱそこはさ、親に、母親に対してちょっと遠慮してるっていうか、
一歩下がってこう、遠くから眺めてるっていう、そういうスタンスでいたから、
そこに何、仲間入りしちゃっていいの?みたいな感じだったんだよね。
で、うん、なんかどこどこで食事するって言うから、行ってさ、そのまま送り届けてよ、みたいな感じで言われて、
で、まあその、言われた通りに、お店に行ったら、なんか二人で食事してるわけですよ。
でね、あ、私はさ、あ、はじめましてっていう感じだったんだけど、向こうはさ、
あ、久しぶりだったの。でー、みたいな。
久しぶり、ど、どんどん、どんだけ久しぶり?って思って、
少なくとも私が意識できる範囲は、あったことがないっていうね。
でも、向こうは覚えてるっていうか、で、なんかお母さんはさ、私の母親はさ、
まあ座ってなんか食べれば、みたいな感じで、全然なんか普通にしてるわけ。
で、私だけすっごいテンパって、え、ど、どういうこと?みたいな、もう頭がもうぐっちゃぐちゃで、全然もう追いつかなくって、
え、どういう風にすればいいんだろう?みたいなね、混乱みたいな。
で、なんかあちらさんも、そのお姉さんも、結構な年齢なわけですよ。
でもさ、なんかすごい頭はっきりしてて、もう吐き吐き喋るし、
母親との再会
あ、なんか久しぶり、みたいな感じで言うから、なんか私の印象はあるみたい。
で、もうなんか、食事どころじゃなくて私、
なんか食べれば?って言われたんだけど、結局もう、いやもういいです、みたいな、喉通りませんってなって、
ま、二人が食事終わったから、ま、送り届けた?うちの実家にね。
で、なんか私はなんかすごくさ、だから混乱してたわけ。
で、あ、会ったことがあるんだなぁ、私のことは知ってるんだなぁ、私は知らないけど、みたいなね。
で、なんかね、結局連泊したから、なんか次の日もなんか、
私はさ、だから大丈夫?とかって連絡を入れて、
ま、別に何?大丈夫だよ、普通に楽しく過ごしてるよ、みたいな感じで言われて、
で、買い物に今つき添いっていうか、車出してあげて、
買い物のね、なんか、あの、まあ、積もり積もる話があるから、
あの何?いろいろね、買い込んで、お菓子とか、お酒とか、
なんかもういろんなものを広げて、ぼりぼりやってたわけですよ。
で、私はさ、全然さ、頭の中でさ、整理ができてなくって、
すごい混乱しているのに、なんで普通にしてるんだろう?って思って、
なんか説明がいるでしょ?みたいな状況だったのね。
でも母親は別に説明しないし、なんか、そこで私がさ、
え、ていうか、お母さん、なんかあんまりそういうの話したがらないから、
なんか全然知らなかったけど、なんか普通に、普通に来て、普通になんかこうやって過ごすんだね、とかなんか、
いろいろ言いたいことはあったんだけど、なんかそれを言うとさ、
はぁ、何をごちゃごちゃ言ってんの?みたいな感じで、
ね、逆に混乱を広めてしまうかな?みたいな、なんかそういうのもあって言えなくて、
ただただこう見てるって感じ。
何これ?みたいな感じで見てるって感じで、そう。
で、なんかあの別に、あのこれっていうさ、
あの面白いこととかない街に来て、
なんか普通に、なんか相撲とか見てさ、夕方、
相撲を見て、なんかおせんべい食べて、お酒飲んでってなんかくっちゃべって、終わって帰ってったんですよ。
で、あんなので良かったのかなぁ?ってせっかく来たのになぁ?なんて思ったけど、
なんかね、別にそれでいいんだってなんか言ってて、母親が。
でもすごい私はさ、聞きたいことっていうか言いたいこといっぱいあったんだけど、
え、何年ぶりの再会だったの?とかさ、
え、うちのこっちに何回か来たことあるの?とかさ、
何個歳違うの?とかさ、
え、どうやって連絡を取るようになったの?とか、取ってたの?ずっと?みたいな。
もういっぱい山ほど聞きたいこと、言いたいことがあったんだけど、
一切聞けなくて、そう。
だって、私が知らないところで、ずっと連絡は取っていたのかなぁ?
それとも本当にもうほら、最後をね、ある程度最後を、
まあ、なんつうんだろう、見てるっていうかさ、
まあいよいよ最後も近いなっていうふうに覚悟を決めたから、最後に会っておこうって思って、
何かしら連絡つく何かがあって、連絡を取ったのか、
ね、どれ?って思って。
でもなんか今ちょっと思い出したのが、
なんかもう一人ね、お姉さんがいるんだけど、
どっちがなのかはわからないんだけど、
なんかどっちかとは、ものすごい何十年ぶりかに連絡を取ったんだ、みたいなことを言ってたんだよね。
で、意外と近くに住んでいた、みたいなね。
近くって言っても、同じ関東エリアっていうだけで、ものすごいなんか北海道にね、それこそ北海道にまだいますとかじゃなくて、
関東圏っていう中に意外とその近いところにいたってことが分かったんだよ。
すごい何十年ぶりかにそういうのが分かったんだよって言って、
なんかそれで行き来、
どっちの家にも行ったことがあるみたいなんだよね。
二人、あの、一人は、
今回うちに来てたお姉さんは、
えっと、青梅、東京の青梅市のなんか山の方で、
もう一人のお姉さんは奥多摩なんだよね。
奥多摩と青梅って結構割と近いから、そっちの兄弟は連絡を取り合って近いところにいたのかなって思うんだけど、
うちの母親は全然違う千葉県のエリアで、
どっちかっていうと、父方の親戚の近い側っていうかさ、
なんかそっち寄りで暮らしていたんだけど、
だからなんか本当、私はさ、兄弟っていうのはこういう繋がりっていうか、
結局どんなに長いこと会っていなくても、
どこかでやっぱりお互いを求めてるっていうかさ、
それが何かのきっかけで引き付け合ってもっと出会えるとかさ、
そういうことなのかなって思ったりしました。
函館への旅行
私が兄弟いないからさ、一人っ子なんだよね。
だからなおさらなんかそういうのが不思議。
やっぱ兄弟ってこういうことなんだなぁとか、
血を分け合ってるからこそ、
やっぱり縁があるっていうのかな。
でもね、会えるんだったらせっかく兄弟で生まれたんだから、
このままさ、会わないで終わっちゃうよりは、
やっぱり会っといてよかったねって私は思ったね。
私はほら一人っ子だから、兄弟会いたくても兄弟いないから。
いないからこそいるんだから、会ったら話したらって思う。
親が函館の人で、
一回だけ函館には行ったことがあるんだよね。
これもすごい不思議ないきさつで、
私は母親のこと全然知らなくて、聞くにも聞けない状況でずっと来たわけだけど、
そのまま成人して、
22歳ぐらいの時かな。
私はその時は社会に出て、一人暮らしをしていて、
でも全然社会に馴染めなくて、
すごい苦しい時だったんだよね。ずっと苦しくて、
こうやって毎日毎日やっていかないといけないんだって、
こうやってならしていかないといけないんだ、
何年もやらないといけないんだって、すごく苦しい時があって、
まだ出たてだったから、最初に就職したところも全然結局合わないっていうか、
私が合わせられなくて、
結構すぐ辞めちゃったんだよね。
その後はずっとアルバイトで、飲食店とか水商売とかもね、
お酒をホールレディさんみたいな接客する人がいて、
スナックでね、ホールレディさんがいて、
私はお酒をもうひたすら作るっていうだけの人。
指名とかなくって、指名はそういう専門の人がいて、
私はひたすらお酒を作って、はいどうぞ、はいどうぞ、お絞りはいどうぞとか、
いない間にちょっとこう、
いるみたいなことをやってたんだけど、
それでもなんか不安定で、
そういうこれからのことも全然わからないし、
とにかく不安定の中にいたのね。
母親がある時に、
北海道の函館に行くんだけど、一緒に行かないかって言ってきたの。
私はさ、ちょっと驚いたんだけど、当然だよね。
驚くでしょ。
全然知らないし、聞いちゃいけないの中にずっといたのがもうデフォルトだったから、
誘われたみたいな。
一緒に行かないかって言われたって思って驚いて、行っていいの?みたいな逆に。
でもなんかね、
ちょっと行ってみようって思って、
行ったんだよね。それが初めて。
本当母親と飛行機に乗って二人であんな遠いところに行くっていうのも初めてだったし、
正直普通に嬉しかったんだよね。
そういう時は母親もあんまり気象が激しくないっていうか、
落ち着いてるっていうか、穏やかで、
関係性は結構いい感じだったりするんだよね。
私もすごくリラックスして、
たぶんお母さんが怒らないなぁなんて思ってリラックスできて、
安心して一緒に行くみたいな感じだったんだけど。
向こう着いたら母親の友人、
友人いるんだって思って、学生の時の友人のお家に泊まらせてもらって、
母親のこと本当私は知らないんだけど、
その友人がね、
母親のことめちゃめちゃ好きっていうか、
私は彼女のこういうところが好きなんだとかって言う感じの人で、
本当に親しいんだなっていう感じだったんだよね。
2人は仲が良くて、いい関係なんだなっていうのがすごくわかる感じ。
それもねすごく驚きだったんだよね。
私と母親はいつもしょっちゅうバチバチで全然噛み合わなくて、
いつもずれてる。見てるところも全然違うからずれてる。
衝突ばっかりっていう感じだったんだけど、
本当そういう、え?って思うような、外面の評価の良さっていうか、
ちょこちょこ当時のこととかも聞いてて、
母親の友人が、
私はこういうところが好きなんだとかって、どういうところかちょっとわかんなかったんだけど、
なんかこういうところが好きなんだって、
そういうふうに思われる人で、良かったねって感じで。
私の知らないところを知ってるっていう感じがした。
学生同じ高校だったのかな?
でもその高校はなくなっていて、
校門の入り口の2本の柱とか、跡地みたいなのが残っていて、
こういう感じで残ってるんだねって。
校舎も学校ももうないけど、せっかくこういう形で残ってるんだから写真撮ろうって言って、
私が撮ったんだよね。2人が手を繋いで、わーってやってる写真をそこで撮ったんだよね。
でも入り口が残ってるっていうことは、結構いい商業学校だったのかね。
ちゃんと高校の名前の書いてあるプレートみたいなのも残っていたし、
レンガの2本の柱、校門の入り口の2本の柱みたいなそういうのが残っていて、
五稜郭がほんとすぐ近くだったから、母親はゴリゴリの運動部だったんで、
五稜郭をひたすらうさぎ飛びして練習してたとかって言ってたんだけど、
そういうちょいちょい出してくる情報も私には新鮮すぎて、「えー!」みたいな言ってきたみたいなね。
なんか私が聞いても絶対教えてくれないことをちょいちょい言ってくるよみたいなね。
そうやってちょこちょこ小出ししてくるのを拾い集めて知っていくっていうことしかできなかったんだよね。
函館は本当に素敵な港町で、夜も港のあそこ行って、倉庫のオルゴールとか買ったりして、
すごいもう結構寒かったけど、
あの教会?函館の教会のエリアっていうのかな、ああいうところも坂とかね、すごい素敵だよね。
トラピスト教会だっけな、なんかそういう建物を見て、
で、こっちの関東の寒さとは違う、キーンと刺さるような寒さをね、感じながら、「うわーこの中もう経験したことがない寒さだー!」とかって思いながら、
夜のね、ベイエリアも楽しんで、函館山っていうのかな、山の上から見下ろす定番の夜景を見て、
地元の人が集まるような居酒屋さんでお酒を飲んで、っていう二泊ぐらいしたんだよね。
私はもうほんとさ、すごいリラックスして過ごしていたから、
あの、もうぐっすり眠って、
なんかあの、ぽかぽか気持ちよくって、函館の外の寒さと、中の温かさが、
あの、すごいね、柔らかい温かさだったんだよね。
で、気持ちよくって、朝なんかもう朝市とかなんか行ってたんだけど、私はもうそこで行かないで、もう爆睡っていう。
そう、なんか久しぶりに、ほら不安定でずっといたから、
なんか、安心して爆睡したみたいな感じで、
朝市も行かずに、寝てました。
で、食事も、鮮度のね、すごく美味しい、あの、イカのお刺身とか、
家族のつながり
ね、いろんな、ホタテの焼いたのとか、いろんな良いものを食べて、
で、帰ったんだけどね、なんかこう、割と母親もらしくいられたんじゃないかなって思うんだよね。
で、本当は、やっぱりこっちの人間で、別になんか、離れたいとか、
ね、そこからも行きたい、どっか行きたいとかって、
まあ、出た時はね、上京した時はさ、やっぱもっと広い世界を見たいって思って出たのかもしれないけど、
やっぱね、その函館っていう自分のそのふるさとが、やっぱりそこが原点っていうかさ、
一回外に思い切って出てみたからこそ、しばらくその出た先で、いろいろね、またしばらく過ごしてから、
またこう、自分の原点っていうところに、
の良さっていうかさ、居心地がいいとか気持ちがいいとかさ、
ああ、いいな、懐かしいなっていう、なんかそういうのがね、
まあちょっとあったんじゃないかなとかって思うんだけど、結局わかんないから何とも言えないけど、
そう、まあ母親はさ、少なくともその函館滞在中はすごく穏やかだったし、楽しそうだったし、
だからそうなんじゃないかなって思ってるんだよね。
うん、まあ聞いてないけどね、なんか聞いたところでなんか、
あのだいたい帰ってくる感じがもう想像つくんで聞いてないんだけど、そうなんじゃないかなって思ってる?
うん、まあなんかなんでね、函館出て上京したのかっていうの理由も謎なんだけど、なんかこれもさ、
聞いてないんだけど、これはまた親戚から聞いた話だと、あの、絵の勉強しに上京してきたって言われたんだけど、
絵を学びにこっちに来た時に入った喫茶店で、私の父親がそこで働いていたから、
そこで出会ったっていうのが、まあ親戚から聞いた慣れそめなんだけどさ、それも聞いてないの、直接は。
で、なんか父親はさ、家族経営で喫茶店をやっていたからさ、
まあそこでね、働いて、まあお客さんとして母親が来てれば、そういうことにもなるのかなーなんて思ったけど聞いてないんだよね。
ちょっと父親にだったら、もう今だったら聞けるかなって思うから聞いてみようかな。
父親もね、ちょっとね、やっぱかたぶつなんでね、あんまりね、なんかこう、聞けることと聞きにくいことっていうのがあって、
うん、なんかそれがさ、なんかこう、どこのラインが聞けって、どこが聞けないのかっていうのも、なんかこう、
自分の中ではなんとなくこう、わかるっていうか、
これは聞けるなーとかそういうのがね、なんとなくわかってるから、多分聞いてないんだよね。
ただなんかね、いろいろおしゃべりっていうか、いろいろ教えてくれる親戚がそうやって言ってた慣れそめを、まあ私の中では、まあそれそうなんだろうなって信じてる。
今日ね、ニュースでね、北海道に雪が降りましてっていうのを見たから、
あのちょっとこの、母親のこととね、その生まれ育ったところがね、北海道の函館っていうところだったから、それについて話したんだけど、
まあこれもね、あの、私がほら、今はさ、いいけどさ、ほんとなんかもっと30年後ぐらいとかさ、生きてればさ、覚えてるかどうかなんてわからないからさ、
こうやってあの、自分の声で語ったことを残せるっていうのは、まあ結構価値があることだと思うんだよね。
私が忘れてしまっても、こう残ってれば聞けるから、まあ今こうやって話した時点で私はもう忘れてもいいわけで、
でね、あの、このね、あの母親についてのこのなんていうの、考察みたいな、あの、ことは、
まあ私がさ、やっぱ40代に入って、いろいろこう、自分の人生とか、一回今すごく振り返ることが多くて、
あの、なんて言うんだろう、まあそれこそ、母親とさ、こううまくいかなかったっていう、そういうのもそうだし、
父親ともね、父親はそれは別であるのね、そういうのは何だったんだろうとか、
今の私にはどういう影響が、影響を及ぼしているのかなとか、どういう意味だったんだろう、どういうことなんだろうっていうのを、
あの結構考える時期っていうかさ、なんか自然とね、あの、もう一回引っ張り出してみるみたいなね。
でもこれが私30代とかだったら、絶対やりたくなかったし、絶対やらなかったことだと思うんだよね。
もう絶対見たくないし、振り返りたくないし、もう、もう何だったら、もうあったけど、もうなかったことにしていいんで、みたいなね。
ただもう私の前には出さないでください、みたいな、なんかそういう否定的な、あの風に、あの、思っていたから、
今ね、40代に入ったらなんか、そう、一個一個またね、引っ張り出してっていうか、もう一回私の目の前にこう出すっていう、出してみるっていうのを、あの結構丁寧にやっているところで、
うん、まあ割とこう本当内政のね、もっと深いレベルのことなのかなーって、思っているんですけど、
うん、まあちょっとね、今日はあのもうだいぶ長く話しちゃったんで、あの、本当ね、あのこういうダラダラ独り語りって、あの本当いくらでも終わりがなかなか難しくて、
あのね、誰かにレクチャーするような授業みたいなものじゃないから、なかなか終わりが難しいんだけど、ちょっとね、あの、まだね、その母親とその生まれ育った、あの北海道とか函館、まあ北海道って考えるかな、それについてはちょっとまだまだあるので、
自己の振り返り
今回はこれで一回終わりにします。
はい、ありがとうございました。
44:32

コメント

スクロール