美と真相の心理学っていうのが一番最初の本なんですけども、
まず入手が難しい。
京都京大学術出版会というあの少ないやつですね。
そうですね。出版物数も少ないし、アマゾンで見たら中古で1万円くらいしたので、
ちょっとニュースできてないというと、3冊目の本として挙げられている日本のありふれた心理療法というのが、
これもね、新生書房というところから出てる本なんですけど、ちょっと僕書店で見かけたことがなく、
僕基本的に書店で見かけた本を買うという読書スタイルをしているので、
見かけてないから書いてないということなんですけども、
見かけたら買おうかなと思って、残りの方は全部持っておりまして、
画面を見てない方はわからないと思うんですけども、
ゴルゴさんこの著作リストを見て、ちょっと面白いことに気づかれません?
まずね、全部ラフターさんは読んで感想を述べている。
そうだね。
バタートークも含めて、必ず必ず触れている。
本そのものにね、いや本のリストそのものに面白いところがあるんですよ。
リストそのものに面白いところがある。
クイズっぽいことしてますけど、これね、見ていただいたらわかるんですけど、出版社全部違うんですよ。
えーと、めっちゃ細かいことを言うと、精神書房だけ2個ある。
これが、あ、そっか、これはね、文庫版で出てて、そうだね、確かに。
これ文集文庫から出てるんですけど、新庫版、文庫版が。
まあだからほぼ違う。
で、ほぼ違う上に、えーとね、
テイストも違う。
あの、同じような話を繰り返しているとか、シリーズ文というよりは、
まあその、編集者ごとさんごとでしょうね、おそらくテーマごとで、
切り口とか、内容そのものは変わらないようにしても、
メッセージの出し方とか、結構違ってくる。
あの、本1個1個が個別的に書かれているなという印象があって、
えーと、まあ大量の本を書かれている人って、
もうその段階でわかる。
まあじゃあここで括弧を省略としますけど、
そういうタイプじゃなくて、一冊ごとにちゃんと向き合って書かれているなという、
一冊ごとというか、その著者とか出版社と、
多分企画案を考えて作られているんだろうなということで、
なのでその、僕これ全部読んでますけど、やっぱり、
そう飽きないというか、それ一冊ごとに違う面白さがあるなというところは、
書き手として尊敬できるなと思う点ですね。
えっとなんか、なんて言うんだろう、その人なりの一貫性を保ちつつ、
切り口を変えることで、やっぱ違った面白みが持てている。
持てているというところ。
だから書き手と共に、その著者が持っている経験の厚さとか、
思考が太いからこそ、そういう切り分け方ができるんじゃないかなとも、
ちょっと逆説的に思いますね。
相当あれですね、困難な仕事に感じますよね、それは。
だからやっぱりずっといろんなことを考えたり、実践されたりして、
書ける素材とか切り口っていうのをたくさん持っておられるっていうところは、
もうこれぐらいの著作、2015年からの著作を見て、
今は2025年ぐらいなんですけど、10年間の著作でも、
こんだけバラエティあるものを出せるのはすごいなと思います。
平均してね、2冊近いベースでも書いている。
どれも違ったテイストで面白いというのが、おすすめポイントですね、
この著者のおすすめポイントです。
一応僕が手にしている本だけをちょっと紹介するんですけど、
まず上げる1冊目として、野野医者は笑うという本がありまして、
これ文集文庫で最近出たのですぐ手に入るんですけど、
これが本当にめちゃくちゃ面白いんですよね。
面白いって言った時に、エンターテイメントとか、
ジョイみたいな面白さとインタラスティングな面白さの両方がある。
知的に面白いし笑えるという2種類がある本でして、
著者は大学院まで出ている、国家資格も持たれている心理師の方なんですね。
いわゆるちゃんとした正式な心理師の方なんですけど、
沖縄にはその文脈で言うとちょっと怪しい心の治療者がいっぱいいると。
簡単に言うとスピリチュアル的なものを扱うような、
個人でやっている心のケア者っていう人たちがいるんですけど、
それをフィールドワークした時のお話がまとまっていると。
著者はもともと東京の方かなと思うんですけども、
沖縄に仕事、職があって沖縄に引っ越された時に、
そのような研究を自ら決めて、助成金を取り、
自分が実際にそのような人たちにカウンセリングしてもらうことで、
いろいろ考えていくと。
非常に重要なポイントですけど、
例えば西洋的な医学的発想で、
そのようないわゆる野生のカウンセラーたちを嘲笑うとかいうことではなく、
むしろ実際にそのような治療者が心を治しているというと、
カウンセリングを受ける人たちの生活の破綻を防いでいる事実を直視して、
じゃあ僕たち、正当な医療としてやっている僕たちと、
この人たちは何が違うんだろうなという、
かなり根本的なラディカルな問いに向かい合う。
この本でも一応ある程度こういうことなんじゃないだろうかとは書かれてるんですけど、
おそらくそういう体験そのものが著者のここから10年間の大きな原動力になってきた。
つまり私たちは正当な医療者で、
あの人たちは正当な医療者じゃないという真っ直ぐな区分線を引くんじゃなくて、
でも一家を養いのほどの給料。
何より時給仕事はきついですよね。
中でずっと検索したらすごい月給を払ってくれる仕事が見つかって、
しかもそういう仕事の中でちゃんとその臨床のカウンセリングの仕事がある程度、
実際その7割から8割ぐらいを占めている仕事という自分が探してた条件にピッタリ見つかって、
いざそこに行こうと思ったらそこが沖縄やったということですね。
ここで紹介されている、つまり脳癌者が笑う前の時。
前日談というか。
沖縄で働くことになった時の話を書かれておりまして、
副題がケアとセラピーについての覚書なんですけども、
つまりこれはケアとセラピーというのが違うものとして捉えられていると。
難しいですよねこれ。
セラピーという言葉は、ケアというのは最近よく聞くようになってかなり意識するんですけど、
セラピーはあんまり触れる機会がないな、自分でいうとその言葉に。
この本の文脈でいうと、いわゆるフロイト的なやつですね。
心理療法のような、カウンセリングの中で行われている心理療法的な部分が主にはセラピーとこの本では言われていて、
それ以外のもう一つがケアなんですけども、
著者が働いていた精神科のクリニックの中で、
いわゆるさっき言ったカウンセリング、向かい合って密室で喋り合うのと、
その隣にデイケアというのがあったらしく、
そこで精神病的な人たちが何とか日常生活を営むとか維持するために通う場所があるらしいですね。
そこで特に何もすることがなくて、みんなそこにいているだけ。
もちろん遊び道具、卓球台とかもあるらしいですけど、
治療的行為は別にされるわけではない。
集まっているだけ。
著者もそこにいるだけなんですね。
何かするわけじゃない。患者さんに対して何かするわけなくて、
医療従事者としてその部屋の中に一緒にいる。
あまりいるだけのこと、存在しているだけのことが変えられなくて、
一人のおばちゃんおばあさんとカウンセリングの真似事を、
真似事というかプロの仕事だから本物じゃないですけど、
30分くらいのカウンセリングを定期的に行って、
その人が持っている心の深い部分の傷とかについて会話をしていたら、
だんだんその人が来なくなって、
最終的に全く来なくなってしまったってエピソードが語られている。
失敗から学ぶ系なんですね。
結局そこで求められていたのはただいるだけの状態であったと。
著者はそこでカウンセリングをするときに何がなされるかというと、