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2026-03-10 1:10:43

BC134 アメリカの文化と歴史を過去から現代まで

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面白かった本について語るPodcast、ブックカタリスト。

今回は「アメリカ」について語りました。

今回は、2026年最初のBC131 短歌を学ぶで倉下さんが実践していた「複数冊の本を横断して語る」というスタイルに影響を受け「ごりゅごが好きor興味を持ったアメリカの文化」をテーマに3つのコンテンツを繋げて語りました。

今回のトピック

* 反知性主義(森本あんり著): トランプ支持層の背景にもある「知性と権威の癒着への反抗」。アメリカ建国以前から続く、不安を癒やす装置としての特殊な宗教観と「リバイバリズム(信仰復興)」の波が、いかにアメリカ人の行動原理になっているか。

* はじめてのアメリカ音楽史(J・M・バーダマン、里中哲彦著): 奴隷労働から生まれたワークソングや黒人教会の音楽が、ラジオと電化という技術変化を経て、いかに「フォーマット」として統一され、世界的なポップ・ロックへと進化したか。

* 2026年スーパーボウル: 最新のハーフタイムショー(Bad Bunny)に見る、アメリカ文化の変節点。全編スペイン語のパフォーマンス、演出の「スマホ・メディア前提」へのシフト、そしてプエルトリコという政治的背景を背負った強烈なメッセージ性。

1冊を深掘りするのとはまた違う、「無理やりに関連性を見つけ出し、一つの文脈として立ち上げる」楽しさを詰め込んだ回です。

今回紹介した書籍のリンクなどははこちらから→📖ブックカタリストで紹介した本 - ナレッジスタック - Obsidian Publish

参考資料・リンク

* 書籍:

* 反知性主義――アメリカの正体 (新潮選書)

* はじめてのアメリカ音楽史 (ちくま新書)

* 配信: コテンラジオ「リンカーン編」 (話の前提としてお勧めしたシリーズ)

* 動画: Bad Bunny | Super Bowl 60 Halftime Show

関連エピソード

* BC131 短歌を学ぶ

* BC132 音と脳 (「聞くこと」の歴史的な深さなどに触れた回)



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感想

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サマリー

今回のブックカタリストは、「アメリカの文化と歴史」をテーマに、3つの異なるコンテンツを横断して語るスタイルで展開されました。まず、森本あんり氏の著書『反知性主義』を取り上げ、アメリカ建国以前から続く宗教観や、知性と権威の癒着への反抗が現代のポピュリズムに繋がる背景を解説しました。次に、J・M・バーダマン氏らの『はじめてのアメリカ音楽史』からは、奴隷労働から生まれた音楽が技術革新を経てポップ・ロックへと進化した過程を辿りました。最後に、2026年のスーパーボウル・ハーフタイムショーを取り上げ、全編スペイン語でのパフォーマンスや、スマホ視聴を前提とした演出、プエルトリコという政治的背景を持つメッセージ性の強いショーが、アメリカ文化の変節点を示唆していると考察しました。これらのトピックを通して、無理に関連性を見出し、一つの文脈として語る面白さを追求した回となりました。

はじめに:複数コンテンツを横断する語りのスタイル
面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト。 まず今回いただいたコメントお便り等を紹介したいと思います。
お願いします。
はい、えーと、たかぴさん。
カウンセリングとは何かについてですよね。
まさかのこの本、今年の1月に誰かのおすすめにある読んで衝撃を受けたところだから、カウンセリングとの対決、死闘というか救出劇みたいな印象もあるんだよな。
救出劇っていうのは確かにそういう側面があって、カウンセラーの人が一緒にそこの窮地に陥ってる人の現場に行って、何とか一緒に帰ろうみたいな、そういう雰囲気は感じますね。
その雰囲気があるんだ。
ありますね。だから大変な仕事なんだろうなと思います。
そしてやっぱあれですね、ラシタさんが大好きなんだろうなっていうのが、感想のコメントでも伝わってくる感じがしますね。
そうですね、やっぱり人と人の心との心の振り合いみたいな、心の動きみたいなものに興味があるし、カウンセリングっていうのはまさにそれが露出する場というか、それが露出しない限り解決しないという場でもあるので、
だからそういうのが間近に見えて面白いっていうのと、ちょっと話がそれますけど、
この前アフタートークで、読んでて面白いライトノベルみたいな話をしてた時に、やっぱり人の歴史といっても人が出てくる物語が好きで、
それが戦争とかの集団になってしまったら、
軍増機になってしまったら、軍増撃になったら。
僕の興味が薄れてくるのは、やっぱり心の露出の解像度の高さが多分影響してるんだろうなというのをちょっと総合的に思いますね。
そういう意味で言うと、やっぱり自分はそういう感覚はそんなにないかもなっていうのは同時に思いますね。
その辺ちょっと同じ人が関わってるとかっていう興味を向けてても、どこに面白さを感じるのかっていう違いは多分あるんでしょうね。
はい、ということで今回134回です。
ラシュタさんが今年の最初に参加みたいなシリーズをやっていたのを見て、
俺もなんかいつもと違うパターンを真似しようと思って、
アメリカの文化、歴史から見るアメリカの文化みたいなものを、
2冊の本と100%ゴリゴの趣味であるNFL、アメリカンフットボールを絡めて、
時系列とあと網羅性と両方を目指してみようという回です。
なかなかビッグな話ですね。
でかい話をしてるんですけど、
自分がですね、やっぱこの5年、そろそろ5年になると思うんですけど、
ブックカタリスト、5年過ぎたのか。
無理やりでも繋がりを見つけ出せるようになった気がするんですよね。
なるほどね。
こういうふうに無理やり繋がりを見出してみたっていう事例みたいな感じになったらいいのかなと。
1冊の本を読むというよりは複数の本を読んだという感じかな。
そうですね。複数の本を何とか一つの軸として繋げて、
賢そうに見せる術というのがあるんじゃないのか。
なるほど。
っていうのをちょっと実践というか、そういう感じで伝えられたらなと。
なので一個一個をそんなにきちんと細かくは逆に言うと掘り下げられないので、
それぞれざっと見ていくみたいなイメージですかね。
はい。
第一のコンテンツ:反知性主義とアメリカの宗教観
大雑把に3コンテンツです。
1つは反知性主義という新朝鮮書、緑色と白の表紙のシリーズの森本安里さんという、
そっち系の社会学系と言えばいいんですかね。社会学じゃないのかなこれ。
の本と一見するととても関係がなさそうな、
ちくま新書の初めてのアメリカ音楽史。
はい。
そして最後が本とかは何もなくて、
2026年2月に行われたアメリカのスーパーボールのハーフタイムショーとCMの話という感じの3段階で考えてみようと思います。
なかなか話題が非常に広いですね。楽しみです。
一応ですね、まず最初に言っておくと、だいたいこれで始まったばっかりのアメリカ、ちょっと昔のアメリカ、今のアメリカっていう時系列になってるんですよ。
ジャンルは違えど一つのヒストリーになってるわけですね。
そういう意味でも、無理やり何とかその前の本の話を引き継いで次の話につなげていこうというイメージで考えています。
なるほど。
まず反知性主義。
自分はこの本を知ったのが古典ラジオ、おそらくこれ聞いてる方ならほぼみんなが知っているであろう古典ラジオの直近の林間の回だったかな。
アメリカの前提としてこの本がめちゃめちゃ参考になるという話を聞き、
自分もちょうどそのタイミングでポッドキャストを聞いて考えさせられたって感じなんですけど、
アメリカの歴史知らんのですよ。
ものすごい雑なことを言うとコロンブスが見つけて、だんだんみんながアメリカに住むようになって、
まずイギリスから独立して南北戦争があって今になったぐらいがそれまでの自分が知っていた解像度。
まあでも日本人の平均はそんなもんじゃないですか。
でも当たり前なんだけど、日本より期間が短いとはいえ今のアメリカ的な国家になった歴史というものが、
もっと多様な歴史があるし、さらに言うとそこに古典ラジオはセクトと何とかっていう区切り方をしていたんですけども、
自分はこの独自の宗教観というのが観点として非常に面白いなと思って、
そういう観点と反自制主義とは何なのかみたいな話をちょっと軽くっていう感じなんですけど、
これは古典ラジオでも話に出てきて自分が確かになって思ったんですけど、
なんでトランプさんとかが選挙で勝てるんやろう。
賢そうに見えないですよね。
賢そうには見えない。
それはブッシュ大統領のパパブッシュだったり、小ブッシュだったりそういうところもそうなんですけど、
平均的にそういう人たちがなぜ選挙に勝って国家のリーダーとして成り立つっていうか、
選挙に勝利できてしまうのか。そこに反自制主義っていう言葉が強く紐づいているみたいで。
だからポピュリズムとはちょっと違う観点があるということね。
さらに言うとおそらくこの翻訳が良くないと思います。自分としては。
反自制主義っていう言い方をすると、知性というものはダメであるっていう言い方じゃないですか。
反が知性にかかってるんであればそうだな。
知性主義の反の方がニュアンスとしてはおそらく近い。
うん、その感じはおける。
ただ直感的に聞いてしまうと、アメリカ人は知性を重んじない国家だみたいな。
ブッシュ主義主張を持った奴らだみたいに聞こえてしまうじゃないですか。
なるほど。
まずどうやらそこが違う。
反自制主義とは何なのかってめっちゃ簡単な自分が理解した結論で言うと、
知性を持った奴らが権力と紐づいて横暴なことをしようとするのにとにかく反抗しようとする。
インテリズムと官僚主義が合体することに対する脅威感みたいな感じ?
インテリの人たちが偉そうに、もうちょっと庶民ぽい言い方をすればインテリの奴らが偉そうなのが許せんっていう。
なるほど。
そういう世界観というか主義考え方みたいなのがおそらくアメリカに根強くあるみたいで。
それは直近の話じゃなくてということか。
それが歴史を通じて育まれていて、現代までアメリカ人の感覚として残っている。
なるほど。
っていうイメージで、この反知性主義を歴史みたいな観点で振り返っていくとですね。
まずアメリカってその他民族でたくさんの主義主張考え方が来た人とはいえ、
まず移住者の大半はキリスト教徒であった。
みんな当たり前なんだけど、ハングリー精神あふれてアメリカに見知らぬ土地に旅立って、
俺これから一発当ててやるんだってやる気満々なのはそうなんだけど、知らん場所行ったら怖いわけですよ。
心配で不安なわけですよ。
おそらく我々の感覚で言うと、今から月に移り住むみたいな感覚に近いんじゃないのか?
ワクワク感もありつつも不安感もある。
だって月に行って生きていけるかどうかすら怖いじゃないですか。
確かに。そりゃそうだ。
そういう不安な時に一番心を慰めるというか、安心を獲得するための手段がやっぱり宗教だった。
なるほど。
アメリカって国家の基盤がまともに整ってもいないような段階から大学を作って、大学で牧師を育て、
そこで偉い牧師さんたちをたくさん育成して、その人たちを心の慰めとしてやっていこうとしていた。
国の歴史と大学の歴史を見てみると、始まった瞬間というか移民した直後ぐらいから、いわゆる有名大学とかできていたりして、
多分メインは進学科とかっていう、現代日本ではまず見ないような学科ではあると思うんですけど、
牧師さんというのが基本的に超インテリで、その人たちがコミュニティの中心的な存在でもあったし、
どこの町に行っても絶対教会があって、新しく作られる町、そこには必ずその人がいわゆる中心的な役割を持っていて、
そこで説教をしたりなんだったりっていうので、すごくなんかね、他の当たり前なんだけど、
例えばイギリスやらフランスやらドイツやらっていう、イタリアもそうかローマもっていうことなんですけど、
カトリック・プロテスタントという区別で言うと、プロテスタントではあるんだけれども、
ヨーロッパのキリスト教とはだんだん形が変わっていく。
これは著者が言ってた話なんですけど、どの宗教でも必ず起こっているぐらいの言い方をしていて、
ロシアのロシア聖教ってキリスト教由来だけど、もはや別宗教みたいなニュアンスがあったりするし、
イスラムもシアハスニハウンヌカンヌみたいなのもいっぱいあるし、一番わかりやすいのが日本なんですけど、
日本の仏教ってちょっと勉強すると、インドのものとはもう何一つ違うじゃないですか。何もかも違うぐらいまで違う。
アメリカもアメリカのプロテスタントというキリスト教みたいなイメージはあるんだけれども、
その何百年とその土地でやっぱ使われているというのかな。
使われていくことによってアメリカ独特のキリスト教観みたいなやつがめちゃくちゃ強くなっていく。
だから宗教というのがそこに社会に生きている人の心の問題とか悩みを解決するための装置だとしたら、
個々の地域とか文化によって宗教の形も必然的に変わってくるというようなことなのかな。
その中でもそのアメリカが特殊だったのがやっぱ
不安感が他の国家とは全然違ったんだろうなっていう。
国家そのものの土台が一番揺れているところだもんね。
完全に見知らぬ土地にその船で何日かもかけて移住して、まだ見知らぬ大冒険が待っていた。
アドレナリン的には最強なんだろうけど、その恐怖感だって当然あるし、
実際そのまともに警察機能みたいなのも存在していなかったりとかもしているみたいだし、
そういうところの不安を和らげてくれる存在としての宗教なんだけれども、
超賢い人たちを牧師にしたのはいいんだけど、
基本的に話がつまんないらしいんですよ。
なるほどね。
堅苦しくてくっそつまらなくて、何回かそれに反抗というか抗うかのように、
リバイバリズムっていう言葉で説明されているものなんですけど、
もっとわかりやすくて熱い感じの牧師様とか演説家みたいなやつが流行ることがやってくる。
それがある時代、いろんな時代に何回か何回かやってきて、
そういう人たちって言ってみれば、当然みんなそう思うと思うんですけど、
教会側からしたら、なんだあのバカは?みたいな感じなんですよね。
自分たちを支流としたら異端なわけね。
そういう異端な人たちがちょいちょい現れては、ある時期に大ブームが現れて、
本当の神様とかはそういうところにあるんだ、みたいな盛り上がりがあったりして、
そこで一度盛り上がってっていうのが3回ぐらい大きく起こっているんだったかな。
一番大きいので、戦前ぐらいにもそういうリバイバリズムみたいな熱狂的なやつが出てきたりしていて、
もはやね、娯楽みたいな様子もかなり強いみたいだし、
それは多分どの時代でもそうなんだけれども、
少し生活にゆとりが出てくる。
20世紀ぐらいって多分人類全体に少し生活にゆとりが出てくるような時代だと思うんですけど、
そういう時代になると、娯楽が何らかの形で流行ってきたりして、
例えば日本だとそこが版画みたいなやつだったり、歌舞伎みたいなものだったり、相撲みたいなものだったりとかがあったと思うんですけど、
おそらくそれに近い感覚でアメリカでは宗教の演説っていうのが半分娯楽化していくみたいなものもあったっぽい。
そういう娯楽というものがあって、
結局リバイバリズムと旧来のキリスト教的な堅苦しい牧師さんたちのやり方みたいなのが、
やっぱ常に対立をしている。
ちょっと油断すると教会の偉そうな奴らがすぐに権力に取り込んで力を持とうとするっていうことに対して、
それをどうにか防がないといけないという強い意識があるっぽい。
基本的にトランプさんとかブッシュさんとかその辺りのリーダーっていうのは、
そこをめっちゃ強く押しているっぽいんですよね。
賢いとかっていうよりはニュアンスとしては頼りになるとか、
あいつに任せておけば悪い奴らを倒してくれるみたいな完全懲悪と言えばいいのか。
そんなシンプルなものではないんだけれども、
全体の歴史として知性というものそのものを疑うというよりは、
おそらく知性に対する反抗みたいなのとか、
そういうところから反知性主義的な観念が生まれて、
そこがすごくアメリカの特殊な宗教観、世界観みたいなものにつながっているんじゃないかっていうのが、
大雑把な自分が呼んだ反知性主義の印象ですかね。
一時的な、熱狂的な、現代に得意な動きというよりは、
リバイバリズムの流行りとスタリーの大きな波の一つの現象だと位置づけられるということかな、現代の状況が。
そうですね、そしてそれが歴史を通じて根強くかなり残っていて、
あとは直接的な話ではなかったんですけど、
この本のエピローグが結構いい感じの話が、
結構きれいに上手にまとめてくれていたなっていう感じで、
特に今の時代に強力だったなと思うのは、知性と知能が違うと。
知性というのは人間だけが持つもので、知能というものはAIでも獲得できるもので、
この言い方をすると、やっぱり余計反知性主義っていう言葉が、
なんとなくちょっと違うようなニュアンスを帯びてしまうという言い方もできる気がするし、
著者は一般的に帯とかを見ると、
反知性主義というものが良くないものだみたいな言い方をしていたりも書いてあったような印象なんですけど、
著者が言うには、この権力の監視システムとして、
むしろ反知性主義的な考え方は、
おそらく日本にもある程度必要になってくるんじゃないのかみたいな言い方をしていた印象かな。
この権力の乱用に疑いを持てっていうのが一番大事な観点で、
ちょうど今、日本の総理大臣が代わって選挙があって、
悪い方の反知性主義的なブームみたいな方向にもなろうとしている中で、
早い段階で割と結構、
継承をならしてくれている本なのではないかなっていう印象はありますね。
なるほど。ちなみに同じ著者の『異端の時代』という本を読んだことがあるんですけど、
岩波新書から出て、
その本でもやっぱりその異端って言われるものが、ある種の革新につながっていく、
革命的なものにつながっていくこともある。
全ての異端がそうではないんやけど、
進化みたいな感じで、ある種の異端が新しい潮流を生み出していくということは、
その本でも書かれていましたね。
そうですね。この方がおそらくただの歴史学者、社会学者じゃなくて、
基本的に非常に深い洞察を持った方で。
ちなみにこの人は牧師さんで、神学者ですね。
そうなんだ。
どっちかっていうと。
だから単純に自分の方向で詳しいという言い方ができるのか。
そういうことです。
普通に勘違いですね。
俺は勝手にちゃんとプロフィールとか読まずに、思いっきり間違えていました。
特にキリスト教の宗教にとても詳しいということですね。
あともう一個あったのが、反知性主義が存在するためには知識人がいないといけない。
これも強烈な皮肉という感じがあって。
これも思い出した話なんですけど、
日本の反知性主義の反というものは、半分の半であるっていう。
そういうふうに言っている方とかもいるみたいで、
知性に抗うためには前提となる知性が存在していないといけない。
そういう意味では反知性主義が存在するということは、健全な知性も存在しているという肯定的な見方もできる。
半分しか知性がなかったら、反知性主義も半分になって、
反反知性主義になって、振り幅が非常に狭いことになってしまうね、きっと。
特にやばいのが、知性というものがどう頑張っても権力と100%切り離せないので、
知性、賢い人が言っていることじゃないと当てにならないけど、賢い人という時点でも権威化している。
その矛盾というものは常に絶対存在して100%クリアになんてできないし、
そこをいかにバランスをとっていくか。
なので、反知性というか権力の監視システムとして、
例えば、かつてはマスメディアがそういう役割を担おうとしていたし、
今も何か考えていかないといかないのだろうなという。
頭のいい人が言ってるから、全ていいも全て間違ってるも間違ってるわけだからね。
そうですね、どっちも間違ってるじゃないな。
だからそこをちゃんとバランスしていく賢さ。
そんな世の中綺麗には分解できないんだよっていうところがまず一つ大事なところかなと。
なるほど。
第二のコンテンツ:アメリカ音楽史の変遷
一見するとあまり関係なさそうなアメリカの音楽なんですけど、
大雑把な歴史で言うとアメリカというか、
今流行っている音楽のフォーマットとしての大半はおそらくアメリカ音楽が由来になっているものだと自分は認識していて。
世界の音楽のってこと?
そうですね。ロックミュージック、ポップミュージックと言われているものはほとんど100%って言っていいと思うんだけど、
アメリカ音楽をベースにしていて、そしてアメリカ音楽の大半は黒人が関与していて、
その大半というものはアメリカ南部で生まれていると言われている。
ちなみにそこの音楽にはクラシックは入ってないってことだよね?
そうですね。クラシックミュージック以外っていう言い方ぐらいが分かりやすいかもしれない。
分かりました。
いわゆる今の流行りの音楽のルーツとしてアメリカ南部っていうものがありますよねっていうのが大前提で、
これは南北戦争とかその辺りの時期のちょうどコテンラジオのリンカーンの話とかを聞けばある程度想像できるかと思うんですけど、
アメリカが北と南に大雑把に分かれて奴隷OKな南部と奴隷制度を廃止しようっていう北部で分割していって、
そこから戦争があって奴隷解放があって、でも奴隷って解放されたけど実は全然生活楽にならんくって、
超大雑把に現代に至るみたいな歴史なんですけど、
その大元はほとんど全てが黒人が生み出していた。
もともと当たり前なんだけど黒人の人たちって別にキリスト教でもないんですよね。
アメリカに無理やり連れてこられて、
キリスト教なんてものとは縁がなかったんだけれども、
これもおそらく大雑把にまとめると、さっきのヨーロッパの白人たちがアメリカに来た時と同じで、
知らん土地に来て怖くて苦しくて辛くて、そこの救いとして神の教えみたいなものがあったりして、
そこで働いているというか、そこで奴隷労働をしている黒人たちにも、
いわゆるキリスト教というものが支配のフォーマットとしても結構都合が良かったみたいで、
そういうふうにアメリカに住むアフリカ人の人たちもキリスト教を知るようになって、
アメリカ的音楽の発祥っていうのが、プランテーションで辛いから歌っていた。
日本でもあるよね、農作業している時とか歌うみたいな、あのノリの労働者。
もっと苦しさは違うにしても、歌われ方の形としてはそういうのに似ているってこと?
そうですね、ワークソングって言われる、働いている時に悲しさというか、寂しさ苦しさを紛らわせるための歌だったり、
コール&レスポンス形式、セイヨーホーみたいなやつ。
ああいうフォーマットみたいなものが盛り上がったりだとか、
ストンプクラップっていう書き方をしてあるんですけど、手を叩いたり足を踏みながらしたりとかって、
ああいうフォーマットって、白人キリスト教会では行われていないんですよね。
向こうはもっと静かに祈りましょうなんだけれども、
黒人のキリスト教的なもので言うと、黒人教会と言い方でいいのかな?
そういうことをやっていたりだとか、
あと結構救いになったのが、モーセの出土エジプト記みたいなやつ。
約束の地へ逃れていくっていうのか、今のやばい場所から逃げ出すみたいなやつが、
黒人の自分たちの境遇にすごくマッチしていた。
そういう意味でも多分キリスト教的な考え方が救いにもなったような感じもあるし、
逆に言うと、それがフォーマット、抑圧させるのに都合が良かったみたいな見方もできるし、
その頃の歌ってた黒人たちが歌ってたっていうのが、
現代アメリカのいわゆる1,2,3,4,5,6ジャンルぐらいの大きな元になったっていうのかな?
ちなみにこの頃は集団で歌うということが歌うことのメインだったの?
基本的にはそうですね。
それも後からもうちょっとって思ってた話と繋がるんですけど、
多分ね、俺たちってCDとかテレビがあるから、さらに言うとスピーカーとマイクがあるから、
音楽に対する感覚がめちゃくちゃ違う。
そんな気がする。
みんなで歌う以外の手段がないし、
蓄音機が出る前は誰かが録音したものを聞くという手段がないので、
その楽器と歌い手とだったりなんだったりっていうものが存在しない限り、
生で音楽なんてできんかったんですよね。
そういう意味でかなり特殊なものでもあっただろうし、
電化されるまで音楽というものは結構ぐっちゃぐちゃだったというか、
そんなに整頓されていないというか、
そういうような感覚もあるみたいで、
大雑把にいわゆるアメリカで生まれた音楽、めっちゃ雑なことを言うと、
ゴスペルとブルースとジャズとカントリーぐらいが4つぐらいのアメリカ的な音楽フォーマットかなっていう感じなんですけど、
奴隷解放をされたんですけど、
結局ね、
アメリカ、かつてその黒人たちには、
君たちが独立したら一人それぞれどれだけの土地をやろうみたいな約束とかもしていたんだけれども、
その約束も実質ちゃんと守られたりしていなくて、
身分として奴隷という身分ではなくなったんだけれども、
結局金がなくてプランテーションで働くしかすることがなくて、
さらに場合によっては資本主義に組み込まれてしまったせいで、
奴隷の頃よりも生活苦しくなったり大変になったりするような黒人たちもかなりいっぱいいたっぽい。
想像できますねそれは。
その中で救いとして音楽というものが一つ現れてきて、
さっき言ったいわゆるゴスペルっていうジャンルのものとブルースっていうジャンルのものが、
後付けでそういうようなジャンルの音楽が生まれてきた。
ゴスペルって何なんていうと、みんなで教会で集まった時に歌う音楽。
大きなルールっていうか大きなフォーマットとしては、
やっぱ神様すげーっていうのをめっちゃ明るくハッピーに歌う音楽。
天使にラブソングという映画がありますけど、あれで歌ってるやつですね。
そこ抜けに陽気で壮大な感じがして、みんなで歌う感じがするし。
このジャンルとか今でも自分は全く知らないんですけど、
黒人教会みたいなところに行くと、
やっぱ礼拝と音楽っていうのは割とセットで存在しているっぽくて、
結構ミュージシャンとかでもレッドゼッペリーのベーシストとかも、
教会の指揮者とピアノっていうか鍵盤楽器やっていて、
そこからセッションミュージシャンになってバンドを始めてみたいな感じだったりもするし、
音楽と教会が非常に強く結びついていて、
何なら音楽ができたら教会で仕事あるわ食えるわっていう感じでもあるから、
日本の食えるとは感覚がだいぶ違う。
ゴスペルはイメージとしては教会にずっと置いておくものなので、
音楽の歴史の時に確か出てきたと思うんですけど、
動かさなくていい都合のいい楽器はピアノなんですよ。
オルガンとかだったりはするんだけど、
抗議のピアノ。
逆にそうじゃなくて、もう一個出てきた大きなジャンルっていうのが、
ギター1本持ってそこら中を旅して、
各地で歌っては金をもらうような仕事。
その場合はピアノみたいなものを運んだりはできないので、
楽器としてはギターが選ばれることが多くて、
テーマとしてはゴスペルと真逆で、
とにかく悲しいことしか歌わない。
最近の仕事がクソ辛いみたいな話だったり、
また彼女に逃げられたみたいな話だったり。
基本的にそういうことをやっていたんだけれども、
もう一個面白いのが、
その頃ってなので基本的にブルースにしてもゴスペルとかにしても、
音量稼げないということもあるし、
フォーマット的にみんなでやれないっていうこともあるしで、
基本的に演奏するのは一人だけなんですよね。大雑把なことを言えば。
ブルースとかにしても、
これは歴史で聴いたレベルでしかないんですけど、
今我々が知っているブルースとかよりも、
音楽的にとか演奏技術的にめちゃめちゃ複雑で高度なことをやっていて、
今だとブルースって12小節ブルースのフォーマットみたいなものが固まっていたりするんだけれども、
いわゆるさすらいのブルースマンみたいな人たちって、
全然そんなんじゃないらしくって。
勝手に曲の長さとか気分に応じて変えるし、
演奏も複雑だし、
さらに言えばブルースやってるからって言ってブルースしか歌わん訳じゃなくて、
客商売でみんなからおひねりをもらってっていうのが基本的な成り立ちなので、
俺はブルースマンだからブルースしかやらねえなんてこともなくって、
他のジャンルの音楽とかも当たり前にいろいろ演奏していて、
そこでいろんな影響を受けたりも結構している。
そもそもだってその頃はブルースって呼ばれてない訳やもんね。
要するに僕らが後付けで呼んだような。
そう、後からデビッド・T・ウォーカーとかマディ・ウォーターズあたりが、
多分大きな影響を与えた人たちなんですけど、
そういう人たちで、
いわゆるフォーマットが固まるのって近代に入ってからなんですよね。
後から、さらに言うと後付けでジャンルみたいなものは作られていった。
で、自分もすげえ面白いなと思うけど、
やっぱりその小初期のブルースと言われるものとか聞いてみると、
雑なこと言うとジャズと区別つかんのですよね。
あー、なるほどね。
ブルースってこんなジャズっぽい音楽なの?みたいなものとかも結構あるし、
で、そのジャズというものがどうやって始まったのか。
さっき言ったゴスペルとブルースは基本的に田舎の話なんですよ。
田舎の協会に集まってとか、
田舎の街々を順にさまようブルースマンみたいなイメージなんだけれども、
ジャズは種類が明確に違って、
そのニューヨーリンズという都市で始まったとされている。
で、そこにはいろんなクレオールの人たち、
婚欠の人たちですね。
ニューヨーリンズは歴史的にいわゆる白人市場主義みたいなものが薄い街で、
婚欠の人たちがいっぱいいて、
で、もう一つ非常に大きな影響が南北戦争で、
南北戦争が終わったことで、
軍隊で使われていたものがすごくたくさん余った。
で、例えばそれが歴史の戦争の観点でいうと、
大砲がめっちゃ売れ残ったから日本に売り付けてやろうぜって言って、
その母親戦争なんかで、
そのアメリカ式の南北戦争でいらんくなった大砲とかがいっぱい輸入されたりもしていたりするらしいんですが、
軍学隊で使う楽器もいっぱい余った。
簡厳楽器?
大雑把にあれかな、イメージトランペットとサックスみたいなイメージかな。
で、その余った楽器を主流にして、
みんなで、もっとこれも割と明るいとか、
行進とかマーチングみたいなイメージと強く結びついて、
割とお祭り騒ぎ、ダンスする音楽として、
ジャズみたいなものは始まっていったっぽい。
その後のビッグバンドに近いような流れはもう初めからあったわけか。
おそらく初めからそうだったんじゃないのかなと。
で、確かこの本に書いてあった話ではないんですけど、
そのニューオリンズとかだと、
葬式とかでも明るく送り出すっていうのが型として結構強くって、
そのお葬式の時にブラスバンドを呼んでめっちゃ明るい歌奏でながら、
死者を弔うみたいなこともやっていたりしているっぽいんですよね。
なので楽器で分けると、
ピアノのゴスペルとギターのブルースと、
ブラスバンドのジャズみたいな分け方もできるかもしれないし、
ジャンルと楽器が微妙にそこで区分の鍵になってるわけだね。
完全にもちろんそんなものはきっちり区別するものではないですけど、
代表的な楽器としてっていうので、
あとは神様すげえの明るいゴスペルと、
人生最悪だの暗いブルースと、
みんなで楽しく踊ろうぜのジャズみたいなイメージ。
なるほど。
で、こっからこの頃まではさっきも言ったように、
まだ電気で音を大きくするという方法がなかった。
はいはいはい、そうでしょうね。
なので届けられる人というものも、
当然せいぜい100人とか200人とかっていう、
ギターなんてそんなに届かないですけど、
っていうレベルで小さなものだったものが、
基本的にそれが商業として花開くのは、
どうやら北部での出来事で、
なんだったっけ、ブラックマンデー?
サイバーマンデーとかじゃなくて、
アメリカの超不景気になったやつ。
ブラックマンデーじゃない。
あってるね、あってるか。
あってると思うけど。
はいはい。
そういうのとかがあったりして、
南部で基本的に仕事がなくなってしまい、
いろんな音楽で食っていく人たちが、
仕事を求めて北部に行こうとした。
で、いわゆる例えば有名なところで言うと、
シカゴとかがその代表格なんですけど、
仕事がなくなったブルースマンだったり、
ジャズマンだったり、
ゴスペルは多分ちょっと違うと思うんですけど、
だったりがその仕事を求めて各地から、
例えばシカゴを代表とする都市にみんな集まってきて、
そこでその音楽、
演奏して飯を食っていこうぜみたいなところで、
有名なそういうミュージシャンたちが集まってきたのと同時に、
技術の発達で、
マイクを使って音をでかくするということができるようになったりとか、
ラジオが登場したことで、
遠くにいる人の音楽を聞くことができるようになった。
なるほど。
で、これめちゃめちゃフォーマットが統一されていったらしい。
なるほどね。それはなんかわかるわ。
かつてはブルースって言っても、
この街のこの辺の人たちはこういうことをやっとって、
こっちの人たちはこういうことをやっとって、
で時々その旅先で会った人たちが情報交換とかをしていたんだけれども、
そのマスの力で強力に、
同じものが伝わるようになったことと、
その電気の力で音がでかくなったことで、
みんなでやるようになったんですよ。
ほうほうほう。
そのかつてブルースはギタリスト1人がやってたんだけど、
雑に言うとベースとドラムも一緒にやるようになった。
で、みんなで一緒にやるってことはある程度ルールが決まってないと、
みんなで一緒にやれない。
確かに。
っていう意味で、
それはマディウォーターズが最初に初めて広めたとかって言われているんだったかな。
その電気を使ったでかい音で音楽をやろう。
っていうのが、シカゴとかを発祥にして広まっていって、
そこから、ここからは雑なんですけど、
ロックンロールみたいなものにつながっていったっぽい。
面白いね。
電化が加わったことによって、
単純に音が大きくなるだけじゃなくて、
音そのものの波形を歪ませたりできるようになったわけで、
音楽的に質的転換が起きてるよね、きっと。
そうですね、やっぱりこの1920世紀に入ってから、
あまりにも短期間でめちゃめちゃ大きな変化がありすぎて、
歴史を追うには、
俺たちは後から1920年と30年とか、
50年と60年の違いなんて同じに感じてしまうけど、
もうめちゃくちゃ全然違う。
ロックンロールみたいなやつは、さっき言ったブルースから、
もうちょっと派手にやろうぜみたいなものだったりもするし、
あと、R&Bとかソウルとかって言われるやつ。
ヒップホップにつながっていく系のものなんですけど、
それは割とゴスペルをベースにしつつ、
そこにヤンキー要素を加えるみたいな。
面白いな。
ものらしくって、レイ・チャールズとかが代表格なんですけど、
ゴスペルは神様素晴らしいの歌なんですよ。
そこに隣の子が可愛いからどうのこうのみたいなのは、
やったらあかんことだったんですよね。
そういう、あらゆる音楽が多分そうだと思うんだけど、
基本的にロックというか、
現代音楽の多くが、
やったらあかんことへの反抗みたいなのが基本的にベースにある。
つまり異端なわけね。
そうですね。そういう言い方もできる。
そこからロックンロールになってとか、
現代がとかヒップホップがとか、
ヒップホップまで含めて大きく、
アメリカ音楽として言えるんじゃないのかなっていう要素があるんですけど、
自分はヒップホップそんなによく知らんので、
そのぐらいでいいのかなっていう感じはするんですが、
R&Bソウルぐらいの頃になって、
あとロックンロールになってくると、
いきなり白人が入る。
いきなりじゃないのかな?
そこまでは黒人しかやっていない音楽だったと言えるし、
それも知らないかったことなんですけど、
やっぱり結構区別されていたっぽいんですよね。
それより前は、
黒人は黒人の音楽を聴き、
白人は白人の音楽を聴く。
その白人はカントリー・ウエスターの音楽を聴いているのが普通で、
そこで、
例えばブルースみたいなものを聴いていると、
あいつなんかヤンキーなんじゃねえのかっていう、
そういうようなイメージとかも持たれていたような、
今そういう感覚が100%ですよね、多分。
いや、全くないと思うね。
全くないので、想像はしがたいものになってしまってるんですけど、
俺たちね、小学校の頃ね、
ゲームセンターに行くとヤンキーがおるから行くなみたいに言われていたんですよね。
はい、言われてましたね。
なんかね、そういう感覚にちょっと近いものがあるんじゃないのかなと想像しました。
まあ、選挙区してあっちの人はあっちの人、こっちの人はこっちの人と。
で、ちょうど、
例えばエルビス・プレスリーとかは、
その辺で何がすごかったって、
堂々と黒人へのリスペクトを、
そういう人前で隠さずに言えたこと。
なるほど。
まあ、それ自体がまず結構ロックンロールだと思うんですけど。
確かに。
それまでは、たとえバディガイを聞いていたとしても、
それを言ってはあかんというか、
言わないものだったのが、
ちゃんとリスペクトしていて、
そこから黒人交流が進んでいったみたいなものもあったりするし、
R&Bとかソウルなんかだと、
黒人音楽をいかに白人にも聴ける素敵な音楽ですよって、
見せようとパッケージングしたのが、
そういうような音楽という言い方もできるし。
なるほど。
まあ、そこから一気に、
やっぱり娯楽としても変化していくというのかな。
急速にラジオが出て、レコードが出て、
みんなが同じ音楽を聴けるようになって、
超巨大ビジネスになって、
多分マイケル・ジャクソンぐらいが、
一つのピークみたいなところで、
商業化のポップソングの。
この前、マイケルのライブの動画を見たんやけど、
やっぱりその白人、黒人が一緒のライブ会場にいて、
一緒に盛り上がってるのを見てさ、
すごいなと思いましたね、あの時。
そうですね。
あとマイケル・ジャクソンは、
めっちゃ知ってるわけじゃないけど、
やっぱ圧倒的に偉大ですね。
と思います。
もったいなかったと思う。
このアメリカ音楽史の話で、
非常に分かりやすく、
共感できた音楽の定義なんですけど、
ロックというものは、
やっぱ反体制的な要素を含んでいる音楽が、
ロックと呼ばれるもので、
ポップミュージックっていうと、
その真逆で、
広く人々の共感を呼ぶ音楽。
そういう風にすると、
現代でもこれはロックかロックじゃないかっていう、
基準としては割と使えるかもしれないなっていうのは、
読んで思ったところかな。
そうですね。僕らが日常的にあれロックやな、
という時のニュアンスはこれですね。
でもラシュタさんはそうかもしれんけど、
世の中別にエレキギターが鳴っていたらロックだと思う。
そうか。なるほどね。
どっちかというと、
今のロックはもうジャンルじゃなくて、
生き方なんだろうなっていう感覚はあるかな。
この辺が大雑把に2冊目の話、
アメリカ音楽史。
第三のコンテンツ:スーパーボウルに見る現代アメリカ文化
最後がNFLの話なんですけど、
どう繋げるか。
音楽はその頃、
黒人とか近代になって、
急速に発展した娯楽として音楽というものがあったんですけど、
同じくフットボール観戦っていうのも、
工業都市で労働者の娯楽として、
究極に広まっていったっぽい。
今でもその名残ってめちゃくちゃ強くって、
だいぶ変わったけど、
まずアメフトの試合って日曜日なんですよね。
アメリカ人たちが教会に行って帰ってきたらアメフトを見る。
平日は試合していへんの?
例外的に今はやっている。
基本的には日曜日の試合?
ちょっと前までは全部日曜日で、
最近は例えば月曜日だけ全国放送される16試合のうち1試合があってとか、
木曜日だけ1試合あって土曜日だけって今は5、6試合ぐらいが日曜日以外なんですけど、
それ以外の32チームの対戦で大雑把に16試合というものは、
少なくとも10試合ぐらいはその日曜日に一気に開催される。
さらにこれはNFLだけじゃなくて大学でのフットボールっていうのもその文化にめちゃめちゃ強く関わっていて、
大学のアメフトの試合とかっていうのも何万ぐらいの観客が入ったりして、
一番売れている選手とかって多分いわゆるプロとレベルの給料とか稼ぎがあったりする。
その試合とかっていうのも基本的に毎週末行われている日曜日に行われていたりして、
南部だともう宗教の一部みたいな扱いだったりもするみたいなんですよね。
その日曜日に教会行ってゴスペル、礼拝をして、その後スタジアムに行ってスタジアムでフットボールを見て、
お家に帰って次の日から働きましょうみたいな感覚が強かったりとか、
工業ができた頃の娯楽で都市ともすごい強くひも付いていて、
今でもチームの大半がかつての工業都市に本拠地を置いているところが多くて、
自動車の街デトロイトだったり、シカゴだったり、
ピッツバーグとかもそうか、ニューヨークとかそのあたりはあったりするんですけど、
田舎のちょこっとの都市とかなりの都市、かなり工業をベースにした名前だったり、
ピッツバーグ、スティーラーズですからね、まんまその高鉄の都市のものだったりもするし、
グリーンベイパッカーズとかってパッキングする人たちの集まりなんですよね。
っていう感じで、やっぱ労働者とその労働者が見る娯楽としてフットボールっていう言い方をしているんですが、
フットボールというものがめちゃめちゃ強く根付いていて、
その中でも有名なのが、シーズンの最後の最後に優勝者を決めるスーパーボールと呼ばれる頂上決戦。
リーグ戦の一番最後みたいなところってことね。
そうですね。リーグで1年に17試合戦った後、トーナメントみたいなのが最後に開催されて、
そのトーナメントの最後の最後の甲子園決勝がスーパーボール。
そのスーパーボールっていうのがどういうものかっていうのが、
自分もイメージしづらいものは多いにあったりするんですけど、
一番ニュアンスが近いのは、たぶん紅白歌合戦。
なるほど。
結構文化的な話をすると、さっき言ったようにアメリカってみんな出自がバラバラで好きなものとかがバラバラで、
国家が一つになれることってめちゃめちゃ少ないらしいんですよね。
その中で超例外的にスーパーボールと言われるものは、
もちろん現代で全員なんて間違っても言わないけれども、
みんなが楽しめる年に一度のお祭り行事で、
俺も紅白歌合戦見なくなったけど、
でもイメージなんですけど、俺たちと同世代の人まだかなりの人が見てますよね。
うちなんか正月僕以外全員見てるけど。
そうなんだ、やっぱそうなるんや。
おそらくそのイメージのものというものがスーパーボールというもので、
なので歴代の視聴率ナンバーテンみたいなやつを見ても、
アメリカで大半の視聴率上位というもの、
10試合中10はちゃうんかな、
でもそのぐらいスーパーボールが全部上位を占めている。
っていう国民的な超大イベントなんですよね。
で、アップルがスーパーボールのCMで、
春と呼ばれる1984世界のコンピューターに立ち向かって、
ぶっ壊してやるみたいなCMで一気に有名になったみたいな感じで、
みんなが見ている、ある意味商業主義とか大量生産とか、
マスメディア、マスを対象にしたものの極みみたいなところもあったりして、
スーパーボールのCM1本だけのためにわざわざ専用のCM作って、
何百万ドルっていうレベル、もっとだったかな今、
の予算を投じてCMを入れたりしてきて、
それを見ているだけでも結構世相みたいなものが分かったりする。
お金があるとか勢いがあるものしか、そこには広告を出せないでしょうからね。
例えば、ペプシとかはずっと昔からCM出してたりして、
今年もコカ・コーラのクマがペプシに乗り換えたみたいなCMを作ってたりしてたんですけど、
2023年なんかはCMの大半が暗号通貨だった。
っていうのが今年に入って、今年はもう明確に誰が見てもっていうレベルで、
先生AICMだらけになっていたりして、
その辺のこともそういうふうに意外とCM自体が娯楽になっていたりも、
自分的には結構強かったりして、
ここはこういうCMやってきたかっていうので、
アンソロピックのCMがチャットGPTをバカにしていてよかったぞみたいなのとかが、
今年のハイライトみたいな感じなのかな。
そこは置いておいて、最後に一番自分的にでかい話だったなっていうのが、
さっき言ったスーパーボールの話なんですけど、
これも伝統的なやつで、スーパーボールはハーフタイムショーと呼ばれる、
前半と後半の間の時間に有名なミュージシャンが超高速でセットを組み上げて、
音楽を歌って、また後半を始めるっていう。
一つの試合の前半と後半の間ってことだよね。
分かった。
俺たちの世代ならギリギリ分かるのが、8時だよ全員集合。
めちゃめちゃすごいらしいです。
25分のために、空き時間が確か40分くらいだったかな。
その間に5分でセット作って、20分か25分パフォーマンスして5分で撤収する。
すごいね。
2、3年前からAppleがスポンサーになって、
Apple Music Presentsみたいな言い方に変わったんですけど、
それ以前まで確かいわゆるスポンサーとかはなくて、
アーティストが持ち出しでやってたりしたらしい。
すげーな。
持ち出しでやるぐらいすざまじい宣伝効果がある。
そうでしょね。
今年のハーフタイムショーに出た人っていうのが、
Bad Bunnyっていう、俺もあんまよく知らんけど、
多分一番有名な曲を聴けば聴いたことあるってなるんじゃないのかなと思います。
後で調べておきます。
今回何がすごかったかって、自分的に2つすごかったことがあって、
1つは見せ方が何もかも今までと変わった。
今までってハーフタイムショーという名前の通り、
ショーなんですよ。
しかもそれはマイケル・ジャクソン時代のショーっていうのかな。
でっかいステージがあって、みんなに向かってわーって豪華な音楽を語るみたいな。
みんなで盛り上がろうぜ、イエーイみたいな感じ。
今年はもう露骨にそれを捨ててきた印象を受けて。
想像なんだけど、スマホで見ることを前提にしている。
曲論を言えばスタジアムの人ほっといてるんじゃないのかなぐらい。
なるほど。
まず始まるとテレビで見ていた時なんですけど、
最初に映るの実写じゃないんですよね。
CGっていうか映像が挟み込まれていて、
コスタリカの小麦畑みたいなところの映像が映った後に
バッド・バニーが出てきて、小麦畑のセットに移動するんだけど、
小麦畑セットもデカい小麦に囲まれていて、
カメラは映してくれます。バッド・バニーの顔を。
でもステージとかに乗っかっているわけではないから、
多分スタジアムから見ている人は何が起こっているかわからん。
歌の合間合間というか、動きながら歩き回りながら踊りながらなので、
合間合間でちょっと高いところに登ったりはするんですけど、
基本的に全ての演出がテレビというか、
メディアで再生されることを前提として曲が作られていて、
さらにそこに作った映像っていうかな、
そういうものをめっちゃ強く組み合わせていて、
Appleの最近の発表会とかもめっちゃ凝ってるじゃないですか。
あれを生でやったって感じ。
とはいえ屋根みたいなところから思いっきり後ろに飛び降りて、
人に支えてもらうみたいなことをリアルにやっていたりとか、
その電信柱みたいなところに安全ベルトみたいなものなしで
登って歌ったりとかしていて、相当すげえなって思うんだけど、
生を無視してショービジネスの方向を圧倒的に変えてきたっていうのが、
一つの時代の転換点だなっていうふうに思ったところと、
それ以上に何よりも大きな変化だったなって思ったのが、
バットバニーってコスタリカ出身の人なんですけど、
一言も英語喋らんかったんですよ。
マジですごいなそれは。
で、トランプ大統領とかはクッソつまらんかった何言っとるかわからんみたいなことを
コメントで残していなくて。
ロックヤバイ。
さっき言った紅白歌合戦で、英語の歌で英語しか喋らんかったを想像していただくと、
すごいことだなってイメージすると思うんですけど、
そのおじいちゃんおばあちゃんまで含めて、
みんなが見てるテレビ番組で、みんなが楽しめるコンテンツではなくて、
世界で今一番人気の曲を書けるという判断に出ていて、
さらにそこにメッセージとかの政治的な行動とかもめちゃめちゃ強くて、
コスタリカの歴史って俺何も知らん。間違えコスタリカじゃなくてプエルトリコ。
プエルトリコの歴史とかそういうものを何も知らなかったんですけど、
プエルトリコって何やねんっていうか、国家じゃないんですよね。
そうなの?国家と認められてないってこと?
アメリカの植民地と言っていいと思う。言い方として。
独立自治を認められている区ってことかな?
ではなく、アメリカの国民の税金は払うけど選挙権はないみたいな、そういうポジションにいる。
さらにコスタリカはスペイン語かな?
コロンブスが上陸した時に最初にたどり着いた島が、
またコスタリカって言っちゃった。
プエルトリコっぽいんですけど、その時の名残でみんなスペイン語を使っていて、
その賞でも一切英語喋らずに、全部スペイン語の歌しか歌わんくって、
最後にアメリカを象徴するアメリカのスーパーボールで、
中南米というかアメリカ大陸全ての国旗を掲げながら、
みんなして退場していくっていうことをやっていて、
この政治的な主張をあの大統領のいる世界で、
NFLが認めてそれでも自分たちはこっちに行くんだっていう判断をしたことは、
めっちゃかっこいいなと思うし、
少なくとも自分は恥ずかしながらプエルトリコという国のことを知らなかった。
アメリカがそういう問題を掲げておきながら、知らんぷりをしているっていう言い方でもあるのかな。
そういうことを強いメッセージを持った人っていうのを選ばれていて、
その人が実際に今世界で一番売れていると言われているミュージシャンであったりすることを、
古典的な、言ったらなんですけど、
マイケル・ジャクソンみたいな人を選んどいたら鉄板なんですよ。
ではなく、全編スペイン語のさらにメッチャメチャメッセージ性の強いものを選んでそれを放映して、
少なくとも自分が見ている範囲では割と好意的に捉えられている。
トランプ以外は。
っていうところが、アメリカがこれから次の時代に世界に進んでいく、
象徴的なイベントだったんじゃないのかなっていうイメージもあって。
さらに、ちなみに開催された場所がサンフランシスコのリーヴァイススタジアム。
アメリカの商業主義というか、今のテック企業が集中しているサンフランシスコであり、
かつてゴールドラッシュでアメリカが流行りまくった、湧きまくった土地でもあり、
巨大ビジネスが支配するという本拠地で、そういうレジスタンスな行動をしていて、
そこもだいぶ象徴的で、これから世界が、時代が大きく変わっていき得ることなんじゃないのかなっていう、
ハーフタイムショーだったという話です。
だから、アメリカのトランプを代表した時にアメリカにがっかりする心もありつつも、
内立を見たらそんな単純なものではなくて、やっぱりある反動に対しての揺り戻しっていうのが常に起きている国なんだなという感じは受けますね。
そうですね。そしてバッドバニーを選んだっていうのは強力な事情作用というまでは言い方が違うかもしれないけど、
基本的にアメフトチームって共和党派なんですよね。派閥としては。
はい、そうでしょうね。
っていう中で、これ民主党の極みみたいな方向じゃないですか。
はい。
っていうところもそうだし、実際にやっぱりわかりやすく、めちゃめちゃすごかったらしくて影響って。
なるほど。
iTunesの全世界でのトップ10のうち6曲がバッドバニーの曲になって、トップ100のうち何十曲がバッドバニーになってみたいな。
全部スペイン語の曲ってことだよな。
全部スペイン語。
それはすごいわ。
だからもう音楽に言語なんて関係ねえし、かっこいいという概念がやっぱ違う。
そしてアメリカの保守はこんな歌つまらんって言うと思うけど、
フォークソングを流せ、ロックを流せっていう。
はい。
なんだけど、いわゆる今時のオシャレな曲です。
その雑な解像度で見れば。
ヒップホップ、ラテンのリズムをベースにしたヒップホップっていうようなイメージかな。
なるほど。
そういう意味で言うと、音楽の系譜としては、さっき言った初めての音楽史から一応ちゃんと全部繋がっているものでもあって、
そういう人たちがまだ弾圧されずにちゃんと主張できている。
今のところはね、まだ。
アメリカっていう言い方で、俺たちは、俺もなんだけど、アメリカ合衆国を見るんだけど、
バッドバニーはアメリカ大陸全土を見ろと言っていたのではないか。
そして見えないふりをするなと。
っていう意味で非常に印象に残って、
今年は初めてスーパーボールのそのハーフタイムショーが面白いと思ったし、素晴らしいと思った感じでした。
やっぱりメッセージを発する場っていうのはいろいろあるんだなというのはちょっと思いましたね。
これ確かにYouTubeで今でも見れると思うので、スーパーボール60、ハーフタイムカタカナでも多分見つかると思います。
はい、わかりました。
もしその興味を持っていただければ、この聞いていただける方もちょっと見てみると。
最後のシーンはやっぱりすごいなと思いました。
はい、という感じで、今回のご意見、ご感想などはお便りフォームだとか、
Twitterやブルースカイのハッシュタグでブックカタリストをつけてお寄せください。
感想をお便りいただけると励みになっています。
バッドバニーのこととかは間違っていることがいっぱいあるかもしれないです。
バッドバニーには詳しくないので、もし詳しい方がいらっしゃれば優しくご指摘いただければと思います。
あとブックカタリストはサポータープランというのもやっていて、それが我々のリアルな生きる糧になっていますので、
もし興味を持っていただける方はサポータープランもご検討ください。
毎月1回読書会を開催するのと、この後アフタートークと言われる短い本の紹介とか、
いろんないわゆる雑談ラジオと言えばいいのかな。
もうちょっと肩の力を得たぶっちゃけた話がいつも出てきているものです。
よかったらそちらもご検討いただければと思います。
それでは今回もお聞きいただきありがとうございました。
ありがとうございます。
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