面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト、第83回の本日は 『ザ・フォーミュラ 科学が解き明かした成功の普遍的法則』と
残酷すぎる人間法則の2冊から考える人間関係について語りたいと思います。 はい、よろしくお願いします。
はい、お願いします。 前回も確か2個ぐらい本を紹介したと思うんですけど、
今年はこういうのをテーマにしてみようかなと考えておりまして、 1冊の本ではなく2冊の本から共通点を見出しつつ、
欲張ってちょっと前の本ともつながってるよね、みたいなことを見出しつつ、 本は1冊だけで読むんじゃなくて、いろんな本を組み合わせて読むと
より面白くなるよねっていうことを今年のテーマとしていきたいと考えています。 なるほど、セットリーディング、あるいはリンキングリーディングとか、なんかそういう感じですね。
そうですね、やっぱりそのつながりを増やすっていうことを考えていく場合に、 結局1冊1冊ちゃんと読んでいった方が面白くなるというのと、
1冊に新しい1冊が加わると、最初はつながる可能性は1たす1の2通りというか1通りしかないんですけど、
2回目から次の今まで読んだ2冊とつながり、次は今まで読んだ3冊とつながりと、 無限に指数関数的な増加でいいはずなんだけど、
とりあえず組み合わせ数的ぐらいには増えていくわけですね。 そうですね、組み合わせ爆発が起きるというのか、っていうのの礎になればいいなぁと。
あとね、ブックカタリスト始めたばっかりの頃を考えると、 なんかね、そういうことがいまいち想像つかんかったんですよね、自分の中で。
あー、とりあえず初期の頃は1冊の本を結構頑張って読むっていう感じだったかな。
そうそう。で、ちょっと余裕が出てきて、この本とこの本でこういう共通点を見出して遊べるよねっていう感じのことがやっとわかってきたので、
そういう観点というので、新しい方向に広げていければいいかなと。 なるほど。
今回紹介する2冊なんですけど、 The Formula 科学が解き明かした成功の普遍的法則。
こっちはですね、言ったらもう名前的な感じで言う通り、いわゆるビジネス書的なものに分類していいんじゃないかなと思うんですけども。
The Formula 著者はアルバート・ラズロ・バラバシさんという、
ネットワークの複雑系ネットワークの分野での、たぶん今現在現役でありつつ、たぶん一番有名な人なのかなっていう、
あずまさんの定性可能性じゃない、1個前のやつ、観光客の哲学でもネットワーク理論の話が出てきたんですけど、
大きいグラフの話。あれを発明したという、シンプルに言えば、あれを発見した人と言えばいいのかな。
じゃあもうがっつり学者さんなわけだ。 がっつり学者で、しかもスーパーナノアル学者ですね。その業界で言えば、たぶん。
その人が一応、ポピュラー向けないし、ビジネスエッセンス向けに書いたということかな。
そうです。だから、そのネットワークの観点から、成功とは何なのかというのを研究して、中身自体はぶっちゃけありふれたっていうか、よくあるビジネスのフォーマットなんですけど、
ところどころ、そういうことを知っていて、その観点で読むと、この辺が複雑ネットワークとか、そういうところから来ていることなんだなっていうのがわかる感じ。
なるほど。で、文庫化もされてるんで、割と購入しやすいんじゃないかなと思いますね。
で、もう一個が残酷すぎる人間法則。これは、エリックパーカーさんという方、一個前に似たような本を出していて、それが割と売れていた印象で、残酷すぎる成功法則。
で、橘明さんが、どっちも監修というか、官員役みたいなやつをやっている。
で、残酷すぎる人間法則に関しては、橘さんはもう、結論は俺とは全然違うみたいなことを、出だしにいきなり持ってきてくれていて。
橘さんが考える、この人間法則を基にして、我々はどう生きていけばいいのかという意見と、エリックパーカーさん、著者が考える、この法則を基にして、我々はどうすべきことなのかというのが、割と意見が違う感じ。
で、いきなり、なんで、序文に書いてあることと、何て言うんだろう、違うっていうか。橘さんは基本的に身も蓋もない意見だと思うんですよね。
で、それに対して、著者はもうちょっと世の中に、何て言うんだろう、希望を見出そうとしている感じ。
そういう意味で、個人的には非常に好印象で、さらに言うと正直、橘さんを漢訳者として当てるべきではなかったんじゃないかと、俺は思ったりする。
【佐藤】ネーヴ・バリュー・カリー案件ってことなのかな、これは。
【岡田】そう、だから、結構煽ってる系っていうタイトルとかに見えるんですけど、もっとね、結構誠実な本だと思うんですよ。
【佐藤】現代わかります?英語のタイトル。
【岡田】プレイ・ウェル・ウィズ・アザーズ。プレイズ・ウェル・ウィズ・アザーズ。
【佐藤】全然違うね。
【佐藤】残酷すぎる人間法則って名前で売れてしまって、ある意味だから橘さんの監修によるタイトルなんですよね。
【岡田】なるほどね。
【佐藤】The surprising science behind why everything you know about relation is mostly wrong.
なぜあなたが知っている人間関係のものはだいたい間違っているのかという驚きの科学。
【佐藤】だいぶ雰囲気変わりますね、このタイトルと。
【岡田】そうですね。だから正直、結構ね、自分も著者共視がわないをしそうな本なんですけど。
【佐藤】せやな、わかるよ。
【岡田】っていうものではないと思います。そういう意味でも取り上げる価値はあるんじゃないかなと。
今回のテーマというのが、1冊が要するに成功なんですよね。成功するにはどうしたらいいのか。
【佐藤】1冊目のThe formulaが成功のこと。
【岡田】2冊目っていうのが、人間関係をうまくやっていくにはどうしたらいいのか。幸せのための人間関係とはどういうものか。
【佐藤】あとは幸福。
【岡田】そうですね。みたいなイメージの本で、どっちも結論として似たようなことを言っているというか。
他者とうまくやっていくことが、人が成功するためにも幸福であるためにも重要なことなんだっていうのが、大きな観点での共通の結論なんですよね。
【佐藤】なるほどね。
【佐藤】自分の生き方が、この10年、言ったらブックカタリストを始めるくらいまでの自分というのが、自分でも驚くほどスーパー個人主義だったんですよ。
そういう考えがだいぶ変わってきて、改めてこういうのを誠実に読んでみて、言ってみれば個人主義だとしても成功のためには人間関係が重要なんですよね。
というふうに、個人主義の人も考えを変えるきっかけになるかもしれないし、ビジネス市場主義の人という言い方はちょっと変な言い方になるんですが、
結局、人間関係が幸せをもたらしてくれるということを考えてみると、いろいろと他人に優しくなれる系の本というのかな、これもまた。
割と自分の最近の考えていることっていうのが、結局人に優しくしておくことは、情けは人のためにならずまんまっていうのかな。
結局巡り巡って自分のためになるんじゃないかなっていうのを考えるようになって、割と素で多少優しくなれるようになった気がしていて。
思うんですけど、多少優しくなったところでって変やけど、個人主義そのものはブレてないというか、大きく変わってないと思うんですよ。
つまり個人主義から集団主義になったわけじゃなくて、個人主義に2階建てができたか、地下1階ができたかどっちかわからないけど、2層になったというイメージを受けますね。
そうですね。どっちかっていうと、結局個人主義というのかな。
だからリター主義と一緒でね。個人が自分のためを追求すると他人もケアすることが視野に入ってくるみたいな感じか。
それって番人にいい意見だと感じていて、どこまで行っても最後は自分だとしても、他人を優先することが最後は自分という結論にたどり着けるのであれば、社会学っていうかそういう意味でも良いことな感じはするんですよね。
確かにね。
っていうので、そういうふうに。別に偽善でいいんじゃないかみたいに近い考え方かな。
しない善よりする偽善みたいな。
行為として何かが行われてるんであれば、それがその人のためよりも自分のためっていう目的、意図があったとしても、やらないよりはいい。
ちょっとここは議論の余地があるかもしれないけど、そういう考え方が取れるってことね。
そうですね。だから公立主義とかもいろんな問題が言われているんだけど、自分が割とスタンスとして公立主義的な感覚はやっぱあるのかなと思っていて、結局自分のためを思ってみんなが良くなるんだったらそんな良いことはないよねっていう。
そりゃそうだ。
っていう感じのことが両方から分かるというのが大きな話です。
はい。
で、このザ・フォーミュラーの方なんですけど、言ったらめちゃめちゃ詳しく数学的な根拠うんぬんみたいなことをきちんと書いてくれているわけではなく。
まあそうでしょうね。
よくあるビジネス書みたいにこういうのが大事だということが研究で分かったみたいな書き方なので、一個一個にきちんと根拠があるわけではないというか根拠をきちんと調べきれていないので、
そのあたりマジなんかよって疑問に思う人はちゃんと調べてください。
少なくとも著者の論文とかをチェックしたらよさそうって感じかな。
そうですね。多分分かるんじゃないかと思うんですけど、まあそれも個人レベルでなかなかやれるものではないので。
確かに。
まず一冊目ザ・フォーミュラーの方なんですけど、いきなり結論というか最初の方に言ったらこの本のメッセージって一つだけで、成功するために必要なものは社会にそれを認めてもらうことだ。
ああ確かにねその通りだ。
おー。まあ、だからその成果を成果として認めてくれる人が周囲にいたかどうかってことか。
そうですね。で、めっちゃ社会もそれを後押ししてるんですけど、レッドバロンってドイツの人なんですよ。
で、ドイツが国威発揚のために宣伝しまくってる、まず。
今日もレッドバロンが何機撃墜した。今回もまたレッドバロンが何機撃墜した。
さらに戦死がプラスに働いてるんですよね。
伝説のレッドバロンさんはこんなことがあって死んでしまいましたっていうことで、
メディアに利用されたという悪い言い方もできるんだけれども、本人自体も派手で目立つ言動を繰り返してそのメディアで話題になりまくっている。
ので、みんなが誰もが知っていて撃墜を、すごい飛行機乗りといったらレッドバロンというイメージがあるんだけれども、
もう一人のルネフォンクさんは要するにたくさん倒してるんだけど、何にも話題になっていない。
悪く言えば自己アピールが下手だった。
その通りだと思うね、確かに。
さらに言うと、社会環境、フランスがそういうものを必要としていなかった。
ルネフォンクさんはフランスの人なんですけれども。
結局、いわゆる成功というか知名度みたいなものっていうのは、ほとんど社会的なものとそのネットワークによって決まってきてしまう。
なんでなのかっていうのが、続きの話みたいな感じなんですけど、
一番の問題というのは、大抵の場合、やっぱり数字で計算できないんですよね。
その人の能力の高さみたいな。
みたいなこと。
例えば、飛行機だったら、例えばで言うと撃墜数という数字は出せるし、スポーツなんかでも勝ち負けというところで結果は出せるんだけど、
でも、例えば日本でも史上最強の野球選手は誰だみたいなことってずっと話題になってると思うんですけど、結局それって100メートル層のように数字で答えが出るものではない。
だから、この本の書き方で言うとパフォーマンスというのは、パフォーマンスが成功を促すということは事実なんだけれども、
それが測定できないときにはネットワークが成功を促すことになる。
うーん、そうか。だから、測定できないっていうのは2つあって、そもそも測定できない場合と、測定する指標をその時代まだ持ってないの2通りがある。
とりあえず、測れないときに価値を見出す人たちが周りに必要ってことだよね。
そうね。それがないと結局、そういうものは価値を、価値というのは結局は社会が決めているという見方にできるっていうのかな。
価値とは見出されるものであるって僕がよく言う言葉ですけど、結局誰かがこれを価値だと思うから価値になるんであって、
その価値だと思う人の数が多ければ多いほど、それは確かに初級的に価値として確立されていくっていう構図があるわけよね、これは。
そうですね。っていうのが非常に大事なことというか、この本のほとんど全てはここで終わってしまうんですけれども。
本書的にはパフォーマンスは最低必要ということなのか、パフォーマンスすらなくてもいいぐらいのところなのか。
そこはね、最後の結論ところまでいくと大体出てくるんですけど、めっちゃ簡単に言うとパフォーマンスがめっちゃ重要で、でもそのパフォーマンスを認めてもらう努力を放棄してはいかんというニュアンスかな。
だから、看板でかければいいっていう話はなくて、もちろん腕前は必要だけど腕前を認めてもらうためにはちゃんと目立つ看板をしましょうっていう二段構えなわけですね。
さらに言うと、いつかは腕前を認めてもらえる可能性はある。ただし、それはその人が生きている間に認められるかどうかわからない。
で、所属がすごく大事だと結局そういう言い方になるんですけど、どこかで認めてもらえないと結局人の生涯とかやれることには限りがあるので、パフォーマンスはもちろん重要なんだけどだし、ずっとパフォーマンスを出していればいつか認めてもらえるということも事実なんだけれども、認めてもらえることができないと認めてもらえないという。
またいの法則って言って、得るものはさらに得るっていうことがあるわけだけど、最初にちょっとでも得られてないと得るループには入れへんってことだよね。
ここでちょうどネットワークの密につながるあの図みたいなのがまさに出てくると思うんですけど、要するに社会をネットワークで人間関係網の目でつながっている状態があるじゃないですか。そこに新しい人がポンって入ってきた場合に最初はどこともつながってないですよね。
ただ一度ハブになるような人につながることができると、ハブになるような人から波及的に一気にいろんな人に広がっていくことができる。そこで認められれば一気にそのチャンスは花開く。
なので結局、人は知り合いが多い人と知り合いになっていくことが一番得だっていうことが個人のレベルでもそういうことが言えてしまう。
優先的選択が人の成功意欲からも生まれてしまう。
そして優先的選択というのは結局知り合いが多い人ほど余計知り合いが増えていくという結論にもなっていて、やっぱ格差というのがネット、人が優先的選択をする限り人間関係には知り合いの数というのは必ずべき定則に従うようなそういう格差が生まれてしまう。
ということも言えるし、多分そういうところから色々見つけていったっぽいんですよね。他にもアートの話なんかも出てきて、アートなんて言い方をしたら失礼なんだけど、最もわからないものじゃないですか。
物理的な価値、金属の価値みたいな客観的なものはなくて、ある種認めた人がいたら価値になるのを典型例みたいなところですね。
例えばバスキアっていう有名な絵描きがいるんですけど、その人ってもともと二人組でニューヨークの壁に落書きをしていた人らしいんですよ。解散してバスキアは超有名になって、もう一人はおそらく多分ほとんどの人が知らないっていうレベルのことになってるんですけど、
その解散した直後の話で言うと、大雑把に言う実力にほとんど差はないと見られていた。ただバスキアはよくある有名人と知り合いになるのが大好きなタイプの人で、もう一人の人は一匹オオカミで、一人でひたすら絵を描くことに専念していた人と、積極的に有名人に繋がろうとしたバスキアさんという人といて、結局有名になったのはバスキアさんという人だった。
なんかあれやな、一人でコツコツ学んでいる職人にはあまり成功しないみたいな話ですよね。
結局のところ、やっぱり人に知ってもらわないと意味がない。そのために一番簡単な話で言うと、いろんな人に会いに行くことで自分のものを売り込みに行くことというのが非常に重要なんだと。
だから変な話、さっき言ったハブ、選択的な非常に多くの人と繋がっている人に繋がることだけが戦略ではないよね。逆に言うと。
そうですね。言ったらなんですけど、いいとこに繋がりに行けばいいというのか。
例えば、俺が日本国首相と知り合いになっても、多分大してメリットはなくて。
それよりも、オブシディアンのなんとかさんと知り合った方がメリットは大きいっていうのは言えるかもしれない。
だから数の多さは確かにバリューになるけど、どんな人がどんなネットワークを作っているのかという質の観点も見逃してはあかんという感じがする。
どのネットワークに入ればいいかっていう感じなのかな。人間関係というネットワークだと何十億人いて、そこで一番繋がっている人を狙うべきかって言ったら、そうではなく。
その中の特定のクラスターを見つけ、そこのいい人を見つける。
特にさらに言うと、アートの話なんかで言うと、さっきのバスキアの話とかもあるし、物語によって値段がめちゃめちゃ変わってしまったりしているらしいんですよね。
レンブラントが作った黄金の兜の男っていう作品があったりするんですけど、みんなしてこれはすげーすげーかっこいいかっこいいって言ってたのに、後ほどなんかどうもこれは弟子が作ったっぽいっていうことがわかったら、
誰も見に来なくなってしまったとか。
ダビンチの弟子が書いたと思われていたその旧聖書っていう絵が、このどうやら本物、ダビンチのものだと誰かが言ったら1万ドルが4.5億ドルの価値に変わってしまった。
だとか、あとアートの価値というのが社会的な物語の中にかなり見出されているっぽい。結局知名度と物語がニアリーイコールだと思うんですけど。
モナリザが超有名なのって、1917年に行方不明になっちゃって、その頃にちょっと詳しくは書いてなかったんですけど、ピカソが5人逮捕されたとか、なんかそういうことがあったらしいんですよね。
そこで知名度がめちゃめちゃ上がって、なんかその盗まれたモナリザ見てみたい。ピカソが逮捕されたようなモナリザってどんなやつなんだろうっていうところから知名度がめちゃめちゃ上がった作品みたいで。
それまではね、今だと特別枠みたいなところにモナリザあるらしいんですけど、ブーブル美術館にその辺の絵と同格で扱われていたみたいなんですよね。
だからそこにチャレンジする人の精神を見て取るからやし、その精神性の無さがAIのある種の面白なさに繋がるわけやけど、いわゆる高知能型のAIっていうのが出てきて、そのAIが少しずつバージョンアップしながら難問を解くっていう姿を描かれたら、僕たちは多分AIにも感動すると思うけどね、きっと。
形なくても大丈夫ですかね、そこって。
そこはいけると思う。形ないっていうか、僕らは小説上の人物なんか姿形見たことないけど、感動するわけやから。結局あらゆることは僕らは擬人的に見てるだけやねん。擬人化で人間を見てるし、あらゆるものをコンピューターのAIだって擬人で捉えたら、そこにストーリーのオリジンみたいなのが発生すると、僕は思うけど。
コンピューターに人格を持たせてあげる、人格というか、多分一つのものになっていないとダメなんじゃないかなって思うんですけど。
そうそう、それも間違いない。
ネットワークでつながったシビラシステムではダメっていうか。
ダメだよね。あるいは逆に人格性を多数の人格によってかき消すみたいな感じやけど、今はみんなが同じAIにアクセスしてるって感じやけど、個別のIDに割り振られたこの人だけのAIってなって、時間とともにそのAIが変化していく経験をすると、僕らは多分そこにある程度の感情輸入をすると思うね。
そうですね、そのAIが壊れたら多分悲しみを感じるだろうな。
僕らの、なぜ物語がいいかっていうと、僕らの脳というか、情報処理がそもそもそれを求めるからでしょうね、きっとね。
そう、そのあたりの人がAI時代のネガティブな意見とかよく見るし、自分がきれいな答えを出せてるわけではないんですけど、やっぱり思ったよりも大丈夫じゃないかという思いは最近強くなってきていて。
AIでどの効能っていうのは、たとえばプログラマーの人が、下請けの人たちがバーッと切られるみたいなことは普通に起こり得ると思うけど、それ以外の領域ではそこまでラディカルに変わるのはもうちょっと時間がかかりそうな気がするね。
経済の構造は変わるかもしれないんですよね。そのお金をどういう職業がどれだけお金を生み出すかみたいな。
いやでもそこも、そこもなかなか変わらない。
簡単には変わらないと思います。
結局日本の色んな企業もさ、ITが入ってきたからって反抗やめてないわけ。
何世代かかかると思う。
ある程度だから、非効率的なことをしてるというよりは、僕らが受け入れる物語が変わるのに時間がかかるっていう感じがするね。
そうですね。この本でいうと物語の話というのはもう一個の方に出てくるんで、そこはそっちでもうちょっと詳しくできればなって思うんですけど。
だいたい曲論、結論はそんだけで。
さっき言った、結局大事なことは成功できるかどうかというのは、パフォーマンスと運の両方が必要なんですよね。
その運っていうのは、どのネットワークに所属するかっていう運なのか、ネットワークの中で何かが起こる確率の運なのか。
何もかもだと思います。
わかった。はい。了解。
我々ができることというのは、著者は高い生産性を保ち続けることだっていうふうに言っていて。
特に研究の業界って30までに成果出せんかったやつはダメだって、アイユーシュタインが言ってるだとか、実際に調べてみてもそうっぽいっていう結論が出てきたんですけど、
著者が調べたところによると、30までに偉大な発表論文が出せなかったらダメなんじゃなくって、ほとんどの人は30までにめっちゃいっぱい論文を書いている。
年を減るに従って書く論文の数が減っていってしまう。
なるほど。
で、あとは確率だと単純に。運なので。
だから成功が確率な時に試行回数が多いほどヒットする率も上がるよねということですね。
そうですね。だから年を取ると書く論文の数が減ってしまうことが問題で、高い質の論文を若い頃と同じように出し続ければ、論理的にはどの年齢でも偏ったりはしないはず、みたいなことが著者が探して考えたというか、たどり着いた結論。
結局、高い生産性を保って活動し続けること、発表し続けることというのが我々ができる最善の方法。そのためにネットワーク作りにもちろん精鋭を出さないといけないんですけど、結論としては意外とそっちの方を強く言っていたような印象があって。
人間関係ネットワークよりもプロダクティビティを高く保っておけば、結果的に人間関係を作ることにもつながるみたいな話なのかな。
じゃないかなという印象だし、たぶんこの人がどっちかというと人間関係よりプロダクティビティの方が好きなんだろうなという予想もあったりするんですけど。
まあでもそれは単純な話、何かしらのネットワークに仮に参加したとしても発言数がゼロやったら、そこも認めてもらえないよね、当然最初のうちは。
だから何かしら出す必要があるし、その出したものがヒットするかどうかは事前に予測できない以上、下手な鉄砲じゃないけどある程度数出せる力を持っておくのは有用というのは、少なくとも僕らのブログ経験から言ってもおそらくそうだろうなという実感はあります。
高いパフォーマンスを保つことと、高いパフォーマンスから生産性を維持することが我々ができる最も角度の高い方法というのかな。
まあ運そのものは作用できひんわけやから、打率を上げる打席に立つことですね。
かつ回数を増やすってことか。
だから打率でもなく打点でもなく打席数を増やせっていう感じか野球で言うなら。
打率はこの場合野球とかじゃなくて一発出るかないかがだいぶ違うわけやからな。たとえ0.001でもヒットが出たらそこから始まるわけやからね。
打点ですらないっていうことなのかな。個人的にはチャンスと感じられるいい場面に打席が回ってくるように努力をするという感じか。
だからいつでも準備できていることは必要そうですね。
そうですね。なのでそういう結論っていう意味で割とそういう意味でも健全でまっとうでいいというか。
パッと見の印象としてはやっぱり人間関係でそのコネを作れっていう言い方ではあるんですけど。
そう聞こえるよね。
あんまりそういう結論にしてしまうにはちょっともったいない感じだったかなとは思います。
さっきも言ったけどネットワークの質っていうこととネットワーク内でどう振る舞うかっていうことを二重に考えへんと
でかいネットワークに参加したから良いみたいなあるいは著名人のサロンに参加したから成功するみたいな
安易な結論につながってしまうのでもうちょっと深く考えておく必要はありますよね。
そこからは運なんですよね。だからそういう意味で。
だからいろんなネットワークに参加することは重要で運は重要。運を生み出すための堕石に立つことかっていう感じです。
こっちが要するに社会的成功のための人間関係。
もう一個が個人的幸福というか人間的幸福のための人間関係というのかな。
ものすごく簡単に結論を言うと大事なのは友達と結婚だと結婚という言い方でパートナーと言えばいいのかな。
例えばなんですけどこれも根拠とか数字とかまできっちり見てはるわけじゃないんですけど
友情というものは人間の幸福感の58%を占めるもので
半分以上
年収で言うと1300万円ぐらいの価値がある。
そう言われてもしっくりはこわいけども。
友人、年収換算で友人1人当たり1300万ってことではないわな。
そうですね。たぶん予想する計算方法なんですけど
年収300万の幸福度の人と友達がいっぱいいる年収1600万の幸福度の人が近いとか
そういうような計算の仕方なんじゃないかなっていう。
年収1300万増やすより友達がいっぱいいる方が幸福になれるし
幸福の半分は友達で決まると言える。
友達さえいればまあまあ幸福でいられる。
結構ハッピーにも聞こえるし
インターネット孤立主義の人にとっては結構残酷な話で聞こえるね。
もう一個同じような数字で調べたやつなんですけど
孤独というのは1日15本タバコを吸うのと同じぐらい
健康にネガティブな影響を与えてくる。
だいぶ体悪いね。
結婚での満足度っていうのも
性的な親密さより友情の方がパラメーターとして重要だということが
分かったというかそういう研究結果が出ている。
自分の経験から言ってもそれはうなずけるね。
なんでなのかっていうのがそうだなって思ったんですけど
友情っていうのは選択することであって義務ではないからだと。
友達って学校のクラスメイトは強制的にクラスメイトにさせられるんですけど
その人と友達であることはお互いが選ばないと成立しない。
相手が嫌になってしまえば立ち去ってしまうということで
両者が相手を必要としているから友情というものは成立、継続しているというのか。
そうか。だから変な話、友人じゃないんだね。
友情なんだなこの場合は。
つまりアドレス帳に友人の名前がたくさん書いてあるだけでは
この効果を得られないわけだね。
そうですね。言葉としてはそういうことになると思います。
なるほど。
それは確かに非常に納得できるというのかな。
家族はいてもいなくてもというか好きと嫌いに関わらず
なかなか関係を立つことは難しいんですよね。
だからどれだけ嫌いであろうが家族と一緒に過ごすのは半ば義務だと言える。
そうだね。
だけれども友達と遊びに行くことというのは確かに
いつでもこいつ嫌だなと思えばいつでも断ることができる。
それなのに継続しているというぐらいのものだから
お互いに価値があるものだと感じることができる。
そうか。だからメッセージが発せられなくても
お互いがお互いのことを友人と思っているから
そこにいるっていうことが感じられると。
そうですね。だからお互いが友人だと思っているから感じられる。
だからそれがあるということは人は幸福であると感じることができる。
単的に言うと相手から必要とされている感じがあるわけね。
そういう感じですね。
じゃあどうやって友情を作るのかというテクニック的な話で
あんまりテクニックとか掘り下げてもあれなので
簡単な話なんですけど
一つはたくさん時間をかけることだと。
うん。まあそうですね。
ごくごくシンプルなんですけど
結局ただ単純に一目あった瞬間に友情が生まれるなんてことは普通はなくて
そうだね。
とにかくコストをかける。時間をかける。
物理的空間を共有することにももちろん価値があるし
ただ一緒に過ごすだけでいいので
イメージとしては本に書いてあった数字で言うと
60時間ぐらい一緒に過ごすと軽い友情が生まれ
100時間を超えると本格的で
200時間を超えると親友と呼べるぐらいの距離感になってくる。
まあでも100時間だって
1日1時間会うのもなかなか
1時間会ったとしても100日やもんね。そりゃ相当やわな。
一般的に2週間おきぐらいに連絡をしておくというのが
友情を継続するためには重要なことだったりだとか
結婚でも言えるんですけど
儀式化することによって何かを一緒にやること
っていうのは結婚関係でも非常に重要なことらしくて
盛り上がる緊張感のあるじゃん
アドレナリンが出るようなことを一緒にやるっていうのは
全体感をものすごく強めてくれるものみたいで
宗教の功用と一緒だよね
ブック語る人がすごくて
2週間おきにちゃんとやっていて
めちゃめちゃ素敵な結論というか
人間関係が非常にすっきりするというのかな
そうやなでも難しいよね
特に僕は問題解決したがり派やから
ついついこう
問題解決しようとしてしまうのがあって
逆にそうじゃない方がいい場合も多分あるんやろうね
さらにネガティブな人というか
そういうのを悪く捉えがちな人って
役に立てなかったなって思っちゃうじゃないですか
それは非常にもったいないなと思って
この本が言ってることによると
何の役にも立たんくっていいんですよ
だからただ話を聞いてあげればそれで良くって
ただ一緒に時間をそういう話を聞いてあげれば
友情というものは深まっていくし
その人の心の支えにもなっていく
だから役に立つという言葉以外の述語が
今ここで必要ってことやねおそらくは
そばにいてくれるだからそれだけでいいっていう
だけ何か価値を生んでるってことやね
そばにいてくれているという安心感が価値を生んでいる
なるほどなるほど
っていうのが最後の話ともつながってくるところなんですけど
あともうちょこっと現代の結婚みたいな話
結婚っていうのは昔とものすごい変わってきているらしくて
すごい単純な話で平均寿命が伸びたので
結婚してから一緒にいる期間がクソ長くなったんですよ
単純にかつてはだから2,30年一緒にいれば
どっちかが死んだんですよねもう
しかも100年くらい前だったら戦争も普通にあった時代で
悪かったしそれは普通に死んだよね
そうですね4,000年前ぐらいの話までも出てきているんですけど
その20年一緒にいたら死んでたんですよ
でも今って単純に考えてお互い5,60年一緒にいる
確かに
結婚というものが非常に難しいというか
うまくいくとこの上なく幸福をもたらしてくれるものになるんだけれども
逆にうまくいかないととてつもなく人を不幸にしてしまうという
ものすごくオーロラッシングな存在になってきている
直感的なあり方がないと
もううまくいかないと刑務所以上のストレスになるみたいな
理由で書かれていましたね
そりゃそうやろうね
もう一個がかつては結婚というのが言ったら恋愛結婚なんてなかったっていうのか
そうでしょうね
お互いが生きるための助け合いであり社会保障であったんだけれども
現在はそういうものではなくなってしまった
表現として面白いなと思ったんですけど
ソウルメイトを見つけるんじゃなくて
ワークメイトを見つけるものだった
実際戦略結婚なんてものも無数に存在してるじゃないですか
18世紀ぐらいに人権という考え方が生まれて
19世紀ぐらいに愛を誓って結婚をするみたいになってくるようになったことで
結婚というものが期待値がものすごい高いものになってしまっている
そうですよね
逆に言うと愛を誓った結婚っていうのは多分1600年代にはなかったのかな
多分ないと思います
概念がやっぱ違ったんだろうなって
同じ村で仮に結婚して嫁を迎えたとかって
自分ごとじゃない表現な気がするんですよね
まあそうだね確かに
共同体の中のコマの移動に新しい人が加わったっていう
かつての結婚感だけでは幸福になることは非常に難しい
受け身ではダメだっていうことが一言で言えるまず大事なメッセージというか
相手が幸せにしてくれる幸福にしてくれるという考え方では絶対ダメだからねっていう
それは人生全般に言えそうだけど
いくつかテクニックみたいなのがあってこれも同じく
まずですね夫婦の課題というのは解決するんじゃなくって調整していくんだと
規制によって調整していく
なんか行政的な響きがするけど
2、嫌なことというものはちゃんと口に出して相手に言わないといけないし
すごく大事なんですけど言われたことは忘れてしまうんだけれども
その時に味わった感情というのはお互い忘れていない
問題を解決するということを100%できるわけではないということをまず知っておくこと
だからお互いに問題を解決するんじゃなくてこういうことは私は嫌なので
こういうことはしないようにしてくださいという結局ルールを決めるしかなくなってくる
問題を口にしないというのが最もダメなことで
基本的に喧嘩している夫婦の方が何十年という目で見るとうまいこと言っているらしいです
相手の地雷ポイントをちょっとずつわかってくるということだよねきっと
なのでお互い気になったこととか嫌なことっていうのは口にしていくことっていうのが最も重要で
いくつかやったらいかんことっていうのもあって
一つは人格を批判すること
お前はこういうやつだっていう言い方はダメで
私はこういうのが嫌だっていう言い方をしないといけない
自分の感じ方を主体にして話すと
一般的になんですけどこれは女性が多いらしいです
もう二つ目のやったらいかんことというのが拒絶すること
無視したりだんまりしたりして何も言わなくなるやつ
これは男性が多いですね
一般的には男性が多いと言われて
そういう時は話し合いに長めの休憩を取るということをするようにしましょう
三つ目というのが自己防衛と言われるもので
英語の表現で言うとyes butそうなんだけどっていうのはダメだと
最後が軽蔑するというやつ
物知る嘲笑侮辱みたいなそういうことをやってはいかん
人間関係全般に
もちろん当たり前のことというか
逆に言うと本来他の人であれば最低限が振るわれている礼儀というのが
この関係性では軽んじられることがあるということ
大いにあると思うんですよね
なるほど
自分的には愛というのは意識していないタイプの人も多いと思うし
1と2拒絶黙り込んでしまうとかもよくある感じがするし
あとデモとかっていう人とかやっぱ嫌いだなって思うし
今またデモ言ったけど
口癖になってる人は言うよね
これを簡単に直せるものではないとは思うんですけど
意識して変えていかないと結局自分がうまくやっていけなくなってしまう
最終的にギスギスしたら自分も死んだわけやもんね
とにかく言えることはすでに結婚している人であるのならば
最も力を入れていいことは結婚だと思う
友情58%って言っているんですけど
たぶん過ごしている時間の長さとかそういうことを考えると
結婚関係というのをうまく持っていくのが一番重要なんじゃないかなと
読んでいて自分は感じました
あとそれ別に排他的じゃないよね
もちろんもちろん
あり得るの普通に
それを友人関係として捉えたら
両方うまくいく気がするね
結婚は友情の方が結婚がうまくいくのに
関わっているという言われ方もされていたし
実際そうだと思うので
一番の友人としてパートナーがいれば
最も簡単という言い方はあれなんだけど
まあそうやな
対象が一つに絞られるわけやからね
あとお互いに
時間を避けるとお互いが思える関係というのか
だからこそお互いに調整がしやすいし
過ごす時間は当然長いので
その友情が深まるわけですからね
4つのRっていうので
さっきの良い方で上がったような
共同的な体験にはちょっとなりにくい
一緒に何かするが一番いいみたいなんですよね
新しいことに一緒に挑戦するが何なら一番良くって
映画だと挑戦は普通しないですよね
そうやね
アドレナリンが愛情を深めることにも繋がるらしくて
アドレナリンが出るような行為というのが良いと言われる
一般的には外に出ることなんだろうなって
屋内ではなく屋外の活動なんだろうなっていう感じはしたかな
もう一つが2つ目が双方の人生観の尊重から始まるリマインドと呼ばれるもの
これもいまいち英語でどうもあんまりしっくり来なかったんですけど
双方の人生観を尊重することと
さっき言ったように何が大事なのかとか
価値観というものをきちんと擦り合わせをしていくこと
あと重要だなってあんまり考えたことがなかったのは
自分たちだけの特別な儀式みたいなものがあると
その仲良し度っていうのは高まっていくよっていう
例えばありがちなのが結婚記念日は毎年どこどこに行くみたいなやつとかかな
そういう特別観と価値観を擦り合わせることの2つというのがその2
もう1個が相手の理想を見て支持して励ます
やる気にさせるお互いに込めて伸ばすみたいなのが大事だよねっていうのと
相手の共有の物語を何度も書き換えていくリライト
転生可能性ですよねっていう感じがした
過去の体験をやっぱり理想的な物語を知った上で
ちゃんと自分たちにとってお互いに良い物語として共有をしていきましょうと
そもそも結婚をしたときは人生がお互いの冒険だと思っていたのに
子供が生まれてから我々は霊災企業の経営みたいな感じになってないだろうか
っていうのをもう一度見直してみましょう
これも物語につながってくるというのか
物語を2人で共有するっていうことがきっと大事なんだろうな
1人の物語ではダメで
2人の視点でそれぞれの人生の物語を描き直すっていうのが重要だという感じですね
最後ちょっと長くなったんですがまとめなんですけど結局
個人主義というのが良くないっていう言い方をしているわけじゃないですけど
個人主義によってこういうことが結構不幸に感じるようになってしまったというか
孤独とロンリーとソリチュードというものは違う意味であるっていう言い方をしていたりだとか
結局孤独という概念というのは西洋で19世紀になってようやく現れた概念で
それまで孤独なんていう感情というものはなかった
まあそうやろうね
共同体の中の一員でしかありえなかったわけやもんね
主観的感情であって意味のあるつながりを感じられないときに使われるのがその孤独というもので
かつては一人でいるっていうことだけが孤独という概念だった
言葉として意味がそこにネガティブな意味はなかったっていう
単に周りに人がいいひんっていう状態を表すのがやっぱり
結局それによって独力で生きないといけないっていう風に
人々が感じるようになってしまったところから
いわゆる鬱病とかそういうのに伴うような社会問題というのも
そこから出てきたんじゃないかみたいな感じのことを言っていて
最後にプラセボの話が出てくるんですよ
これは薬ですよって言ってお医者さんが薬を打ってあげると
効いていないのに効いてしまう
薬効がないのに効果が出てしまう
これが結局孤独の話とつながっているっていう感じのことを言っていて
プラセボがなんでいいのかっていうことを考えたときに
プラセボ効果というのは要するに相手が自分のことを
気にかけてくれていると感じさせることができる
結局プラセボって要するに免疫力が上がるみたいな言い方ができるんですけど
人間ってもともとは共同体で他人数で一緒になって生きていた
基本的に一人になった場合
誰も助けてくれる人がいないという場合
戦闘モードというか逃走モードというか
一人で生きていかないといけないモードになってしまう
単純に言うと異常事態なわけね
緊急事態になってしまうんですよね
だから緊急事態になってしまうので
そのために戦わないといけないというのかな
ストレス状態に置かれる
それをプラセボっていうものによって
相手はお前のことを気にしてくれているよって思えば
緊張状態が解かれる
結果的になのでプラセボというものが
科学的にちゃんと効果があるものになってくる
これはすごいなというか
確かにその通りだよなと思って
これですねケアってことよね
プラセボ自体にケアの効果がある
プラセボにケアの効果は
サイエンスの観点であると言える
これはすごいな
気にかけてもらっているということが
安心感を生み幸福を生み
友情にも返ってくるんですけど
友達は自分のことを友達と感じてくれている
これは相手が自分のことを気にかけてくれているということで
一人じゃないと感じることができるので
幸福だと感じることができる
だからプラセボの実験っていろいろあるわけですけど