結局、ラーニングっていうのは実は忘却できることなんですね。注意しなくてもできるようになるってことで。
例えば、英語が喋れるようになるってのは、英語の文法を覚えてることじゃなくて、文法のことを思い出さなくても英語の文章が作れることを意味するんで。
ある領域まで行くと、覚えなくていい、覚えてない、注意を向けなくてもそれが使える状態に持っていくってことなんで。
そこに持っていく途中の段階で、短いフィードバックサイクルを高速で繰り返して、少しずつ長期のとこに1回ずつ送っていく感じですね。
で、使えるようになっていくと。
うん、まさにそういう感じで。
なんかもう本当にごもっとも、ごもっともですっていう話。
全部が、だからね、めっちゃすごくない?全部ごもっともなんですよ。本当に全部ごもっともで。
で、的を絞ったフィードバックが重要だっていう話もあるし、複数のことをだから意識してはダメなんですよね。
一個一個長期記憶。区区とかはやっぱり無意識でできてないと、足し算が無意識でできないと算数なんて当然次のステップにいけないので。
あれですね、学校で前回の世界は雑魚でできている、あれのその学校は当たり前のことを学ぶ。
最初に当たり前のことを無理やり覚えさせられて、次の大人の学びはその当たり前であることが実はそんなに当たり前じゃないってことに気が付けるっていう2段階の学びという話がしましたね。
そうそう、これも気づいたんですけど、要するに当たり前のことっていうのはもう長期記憶になって考えなくてもできるようになること。
なので、考えなくてもできる当たり前のことがどんどんできるようになることによって、次のステップに進めるようになる。
次のステップっていうと、一歩前に進むっていう感じと、階段を一個上がる感じがあると思うんですけど、これ階段を一個上がる感じが実はあって、
コルゴさんが読書を本格的に始めた頃、2回かな3回ぐらいやったかな。例えば、新書とかの入門書である程度知識があると、本が早く読めるようになったって話をされてたじゃないですか。
ああ、言いました。
あれと同じことなんですよね。個々のことがわからないと、文章一個一個の全体の意味をつかむのが遅くなる。遅くなるっていうかね、多分つかめないんですよね。
大きくこの章で何言ってるかっていうのが、個々のレベルを一個一個処理してると、そこばっかりに短期記憶がつかれて、この章全体で何言ってるかにも注意に向かないんですよね。
だから、スキルを覚えることって一歩前進することよりは、実は一回一個上の階段に登れることにもつながってるんですよね。
そうですね。そういう感覚はすごいあるかもな。やっぱり、止まらないといけないところで止まらずに進めるようになっていくので。
同じく当たり前なんですけど、その過程で苦労に対処していくということが新しいこと。
脳はそうすると成長していく。学習にはコンフォートゾーンがないっていう言い方をしていますね。
その名前がつくことで他の名前があるものと何が違うのか、何が似ているのかっていうものが見つけられる。
虹が国によって色数が違うとかまさにそれなんじゃないかと思うんですけど。
ああいう曖昧なものとかもやっぱり言語づけをしたり、類似点七色だっていう前提で見てしまうから、そういうふうにしか見えなくなってしまう。
そのあたりこれはランメタに書いてあった話じゃなく自説ではあるんですが、そういう意味で学ぶ上での名付けという行為もすごく重要なものではないのかなと思っています。
名付けはね、名付けの話するところが長くなるのでやめますけど、デジタルノートの基礎的な感じですね。
名前をつけるファイルというか項目に名前をつける。だからアマメ論文は必ずタイトルをつけることというのと、スクラップボックスは必ずタイトルをつけなければならないというのは多分同じことで、
その概念を自分で扱えるようにするためには必ず名付けを通らなければならないですね。
これはもうそれだけで別の会議にとってもいいぐらいの話です。
これは言ったら、スキルと知識を伸ばす、発展させるあたりのメタな視点でやっぱり一回物事を考えないといけないということともつながっていたり、
メタ思考という関係で面白いなと思ったのが、子供が何々ごっこっていう遊びをするじゃないですか。
あれはね、メタ認知を発展させるためにすごくいい方法らしくて、我々の世代だとしてドラゴンボールごっこをするとします。
ドラゴンボールごっこをして、俺は悟空の役をやるという行為というのは、
俺が悟空だったらどういう口調で話すだろうか、どういう振る舞いをするだろうか、
どういう声でどういう態度を取るだろうかっていうのは、その人に対して一つ上の視点から物事を考えるという行為になる。
なので学習において、何々ごっこっていう遊びはすごく倫理化になっているし、子供が好きなのもなので、ひょっとしたらちゃんとそういうことを分かった上でやっているのかもしれない。
そうか。板坂玄っていう人がいて、知的生産の技術系の本をちょいちょい書いてた人なんですけど、その人に考える技術、書く技術っていう新書があるんですね。
その方が子供に向けて2つの遊びというか訓練をよくしてる男子が紹介されてるんですけど、
その1個がまさにごっこ遊びというか、モノマネをさせるっていうことなんですね。
それは当然さっき言われたメタ認知を鍛えるっていうことがあると思うんですけど、もう1個が例え遊びっていうのがあって、あるものを別のものに例えて説明するように言うゲーム。
だからあれ、あのおっちゃんはゴリラみたいだねみたいなことを言うっていう訓練なんですけど、
まさにそこでこの本で語られてることと同じことがなされてるなと思って、面白いなと思ったんですけど。
書かれてることいっぱい出てくるんですよ。これ何回も言ってるけど。
で、そのアナロジー、比較、例え話っていうのもその関連付けのところから出てきていて、
その何々に例えるっていうのは、本質は比較をしていることで、
このものとこのものの共通点がこれだけあるから、これというものは何々に例えるということができるっていう意味で、
そのアナロジーを使って話すだとか教えてもらうということも、関連付けという意味でも非常に有効な行為である。
なるほど。例えってよく使うんですけど、それって○○なことですよね、それって○○みたいですよねっていう2つ、
つまり元々の話と例え先を2つ並べることで、その2つにある共通点があって、
その共通点こそがそのものの本質であるって至るんですよね。
これ2つ並べないと出てこないんですよね、その本質的なものにリーチするためには、横に並べるものがないとダメなんですよね。
だからある人、例えについて考えてるってことは常に本質について考えてるっていうことと、
多分ほとんど等しいのかなと今ちょっと話を聞いて思いましたけども。
そうですね。で、聞く側としてはですね、多分自分の長期記憶と関連させることができるので、短期記憶的な負荷が減るんだと思うんですよ。
それによって、やっぱり例えが上手な人の話というのは分かりやすいという言い方になるのかなと。
やっぱり短期記憶を少ないことを踏まえた話し方ができると、やはり分かりやすい話になる。
で、関連付けの話は他にもいろいろあったんですが、その辺りかな。
アナロジーとかはよく知っているものを、だから例えとして使わないといけないだとか、その辺りのこともやっぱり大事ですね。
あと、関連付けと関連してたかちょっと覚えてないけど、要約をするということの重要さもこの辺りのところで何回も出てきています。
ちょっと全然知らない人なんですけど、スティーブ・ロドナーっていう有名なイラストレーターがいるらしいんですけど、
その人はですね、まず自分の絵を1枚に要約するっていうことをやるらしくて、
それによってやっぱり人と違う絵が描けるっていうか、すごい絵が描けるということだと思うんですけど、
ちょっとスティーブ・ロドナーのことを知らなさすぎて上手な話ができないんですが、
そういうやり方をしている人もいるっていうぐらい、要約が大事だっていう。
自分の絵に関してやっぱり一つ上の目線から考えることができるからなのかなぐらいに思ってるんですけど。
今ちょっと次描いてる本のタイトルをつけてるんですけど、タイトルつけるときって要約がまず必要なんですよね。
本の内容について要約して、その要約を一言で表すものをタイトルにするんですけど、
そのためにはどうしたらいいかっていうと目次を眺めるんですよね、アウトラインを眺めるんですよね。
だから全体像を捉えることと要約作るっていうことはほぼ等しいですよね。
だから必然的に一つ上の階層に上ることになるっていう要約を考えようとすると、
一番底辺ではなくて一つ上か二つ上の階段に上らざるを得ないっていうのは確かにありますね。
やっぱり描くこと、要約すること、自分の言葉で描くことというのがやはり重要なんだなっていうところが、
どの章にもやっぱりそのあたりのことは出てきているんですよね。
ということは例えば例えがうまい人の話を聞いたとしたら、別の例えで例え返すのが多分一番いいなんですか、学習の対話の仕方ですね。
すごく良い覚えられることでしょうね。他にもこうだと例えられるんではないでしょうかみたいな。
そういうこと、そういうこと。
6つのステップ、前半の覚える系のこと、価値を見出す目標、価値と目標とスキル。
覚えることと発展させて関連付けて、最後が再考する、もう一回考える、ゆっくり考える。
さっきにも出てきたんですが、やっぱり描くという行為にももう一度振り返って考えるという効果があって、
最初に言ってるんですけど、人はすぐに過信する、すぐに調子に乗るっていうことをまずよく知っておかないといけない。
これを防ぐためにすごく役に立つっていうのが、やっぱりもう一回考えるってこと。
Fast and Slowでシステム1、システム2っていう考えるやつと直感のやつっていう話とかでも出てきたんですけど、
もう一回よく考えなさいっていうことを言われても判断すらしないということを人は簡単にやってしまう。
すぐにシステム1が出てきちゃって、よく考えたって言われても考えない、それを防ぐ方法というものが大事だと。
例えばすごく有効な方法っていうのが、書くという行為。
多分、いわゆる賢くなるとか学ぶみたいな意味で言うと、もうこれだけ知っとけばいいと思うぐらいのことだと思います。
その油断しないために感情を落ち着ける、過信を防ぐ、熟慮させるという効果が最高にはあって、
最高ということをするためにはやはり一番簡単でわかりやすいのが書くということ。
そうですね。もうなんか本当に自分の本能、今概要を読んでるかのような感じですけど。
だから直感的思考か、システム1の力関係がだいたい1と2で2がめちゃくちゃ弱いんで、
2をパワーアップというかエンハンスというかサポートするのが書くという行為なんですよね。
それが非常に重要なんですけど、非常に重要なんですけどとしか言えない。
多分なんですけど、まず書くという行為によって強制的にシステム2を呼び出さざるを得ないというか、
直感では文字は書けないですよね。
直感では文章を書くっていう行為をするときにシステム2が必然的にコールされる感じかな。
とも言えるのかな。何にしてもやっぱりシステム2を呼び出さないといけない。
どんなに注意しても簡単にダメになってしまうので、
何が何でもシステム2を呼び出す仕組みというものをやはり考えないといけない。
振り返って評価するっていうことの重要さの話で、アメリカの審判が野球の話なんですけど、
カメラとモーショントラッキングが使えるようになって、
審判の自分の判定というものも、これフィードバックの話でもあるんですけど、
自分の判定が合ってたか正しかったっていうのをカメラとモーショントラッキングで、
自分がコールしてすぐ後に学習させるっていうことをやったらですね、
劇的に質が上がったと野球審判の。
フィードバックというものはすごく重要だし、
審判も間違ってるって言われても、まだ間違っていることを認められないぐらいに思っていないといけない。
とにかく人間は過信するものだ。
システム1があまりにも強すぎるんですよね。
システム1っていうのは全て工程なんですよね。
むしろ工程を生むための機関みたいなものであって、
システムには常に水をさすための装置なんで、それがだいたい弱いんですよね。
それが脳がエネルギーを使うからだと思うんですけど、システム2のほうが。
すぐ手抜きをしたがってしまうんですよね。
環境側というか、人間の作る仕組み側でシステム2を強力にバックアップしていない限り、
バランスが崩れたままっていうことですよね。
そうですね。だから、振り返ってもう一度考えるということがいかに重要であるのかと。
そういう話で言うと、これも本当なのかって思ったんですけど、
スマホがそこに存在しているだけで集中力は減るらしいですよ。
それは聞いたことありますよ。
メニューに入るとこにあるだけで集中力が落ちるっていう話は聞いたことがあります。
一切操作していなくて、一切画面に入っていないんだけど、
これも短期記憶なのか、なぜこれが最高するのところに書いてあったのかちょっと分からないんですけど、
そのこともやっぱりすごく重要だなっていうところで書くことと、
ここで出てきたのが最高するという話で、個人的に最も重要ではないかと思われる分散学習。
分散学習、なんか面白そう。
暗記です、要するに。回数を分けて繰り返し学んでいくということが最も大事だと。
1回に全部覚えるんじゃない。何回も繰り返して忘れる前提で、
その忘却曲線に沿って忘れそうなところでもう1回思い出させるということがとにかく大事だと。
で、あーはーって思ったのが、分散学習というものは余計な時間がかかるわけではないぞと。
それを覚えておくことがすごく大事なことなんじゃないのかなと思って。
6時間一気に勉強するよりも1時間5回の方が言ってみれば、やっぱちゃんとたくさん覚えられるんですよね。
5日間に分割するってことですね、1時間ずつ。
そうです。繰り返して間を置いて。
で、これも分かってたし、なんとなくそう思っていたことでもあるので、
例えばその関連で言うとやっぱ自分の場合、一気に1冊の本を読むのではなく、
たくさんの本をちょっとずつ学ぶ、読んでいくようなことを意識していたりだとか、
その新しいことを勉強していく過程において、やっぱ1つのことを同じく一気にやるよりも、
興味がある分野が例えば5個あるんだとするならば、
5個をちょっとずつ進めて繰り返し繰り返しやっていた方が結果的に覚えられるのではないか。
で、自分の過去の話で言うとなんですけど、漫画を一気読みしたやつは大抵覚えてないんですよね。
なるほど。
で、これが例えばドラゴンボールはリアルタイムにですね、毎週毎週見てるからめっちゃ詳しく覚えてるんですよ。
これも言ってみれば分散学習と言える。
確かに。
それが多分効果があるのは、人間が1日と1日の間に寝るからなんですよね。
睡眠して、睡眠の間に記憶の処理が行われるから。
そこで記憶が整理されるんですよね。
1日に同じ情報が入ってると、要するにジップ圧縮みたいなことが起きて、情報が減ってしまうんですよね。
同じようなものは、これ似てるからってことですごい削り落ちるんですよね。
1日ごとに異なる体験としてやると、それがN個分ちゃんと記憶に残るから覚えやすくなるということだと思うんだよね。
だからこれ生物学的にもこれどうしようもないですよね。
寝ないと記憶が整理されない以上、1日に詰めても覚えられないっていうのは、努力で超えられるものではないので。
だからそうするのがナチュラルですよね。
言ってみれば、やっぱ独学というものがいいことは、時間をかけることにデメリットがほぼ限りなく何もないので、
いわゆる入学試験だとこの日までにできるようにならなければならないという目標を決めるという意味では大変良いことなんだけど、
分散学習がしづらい。
それでも例えばリアルな勉強の話で役に立つのが、やっぱり今日は数学をやりまくる、今日は英語をやりまくるより、英語と数学を毎日やったほうがいいんですよね。
確かに。
その学校の勉強というものが時間割があるというのも、ある意味理にかなっているなとは思って。
ずっと国語だけなら教科書1個でいいから楽じゃんっていう考え方もできるかもしれないけど。
学習の効果としては、やっぱり回数を分けて繰り返し何度もやるというか、間隔を空けて覚えていく、学んでいくということがやっぱりいかに大事なのか。
あとは、もっと項目ごとに半年前の内容を振り返るような小テストがもうちょっと好頻度で行われたら、たぶん望ましい形になるんでしょうね、きっと。
例えばで言うと、それが一番簡単にやってくれるのが暗記なんですよねってことになるんですよね。
SRSを使った学習アプリとかツール。
しかもあれは自分で作る、教材を自分で作ることも込みなんで、いろいろ自分なりの工夫が、メーター的な工夫がしやすいですよね。
学校の勉強ではなかなかできないようなことが、独学の場合はしやすいんで、だから取り組み気持ちにもやっぱりなりやすいでしょうね、それは。
ちょっと前に話したやつで、アルファ号の論文を読んだみたいな人も独学で読めてるんですよね。
暗記で基礎知識を長期記憶としてまず覚える。目標と目的は、価値は十分にあって、
手法として基本を覚えて、基本的な部分を短期記憶から長期記憶なものに切り替えた上で、もう一個レベルの高いことを理解しようとしていく。
一人で勉強する上でも、この辺りのものというのがいかに大事なのか。
勉強が一人で得意な人は、こういうのをだいたい感覚的に知ってるってことなんでしょうね。
感覚的には知ってると思うんですけど、やっぱりここまでちゃんと言語化してまとめてくれているのが偉大だなっていう。
勉強する前にこのことを勉強した方が効率が上がると思うっていう感じはしていて。
なるほどね、確かに。だから独学大全はもっと細かいテクニックに分散している形だけど、こっちは学びの話の体系的な論じられ方がされてるって感じですね。
そうですね。偶然にも同じタイミングで独学大全も読めたのは結構ラッキーだったなって思うし、
英語読習法もやっぱりこの中でうんうんって思ったやつが全部Learn Betterに書いてあった話だなって思ったりもしていて。
英語読習法面白いと思ったら、同じ著者が書かれてる今井穂積さんって方が書かれてる他の方も面白いんで、ぜひ読んでください。
そうですね。なんか結構書いてる感じですね、あの人も。
はい。学ぶとか人が知識をどう蓄えていくのかっていうのは、本当は子供の学習が専門の方なんですけど、一般的な話も結構されてて非常に面白いです。