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2024-08-13 1:00:13

BC096 人間の色覚と色について

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面白かった本について語るPoadcast、ブックカタリスト。

今回は、人間の色覚と色について語りました。(『見たい! 聞きたい! 透明水彩! 画家と化学者が語る技法と画材』、『ひとの目、驚異の進化: 4つの凄い視覚能力があるわけ』をメイントピックにしつつ、わりとフリーで語った感じです)

お絵かきというものを始めてみて一番面白かったのは、今回のような「お絵かきをしなかったら絶対興味を持たなかったであろうこと」にも興味を持つことが出来たことです。(お絵かきをしなかったら「絵の具ってどういうものなんだろう」なんてことを考える人はまずいないですよね?)

世の中のありとあらゆることって「知ってる」と「やってる」にはとてつもなく大きな壁があって、これを乗り越えた数が多ければ多いほど、多くのことに興味関心を持てるようになるのではないか、と感じます。

で、この「知ってる」と「やってる」って、最初の一歩は本当にめちゃくちゃ小さな違いでしかないんですよね。

半歩踏み込んで、ちょっとだけ試してみる。これができるだけで、数週間、数ヶ月後には、技術だけでなく、世界の見え方にもめちゃくちゃ大きな差が生まれてくるのではないかと思います。

ごりゅごは最近世界の「色の見え方」がけっこう変わった感じがして、これまでより1段階、世界を見ることが楽しくなりました。

以下、要約です。

話題: 色覚と絵画の科学的・進化論的視点

* 色と絵画の科学的視点

* 水彩画に関する技法や画材について紹介

* 色相、彩度、明度など色の基本的な概念の説明

* 水彩絵具の化学的背景、特に顔料と染料の違いについて

* 絵具の色が変わる要因(粒子の大きさや混色)について

* 絵画における色の選択や新しい色彩の開発についての話題

* 人間の色覚と進化

* 人間の色覚が進化した背景として、食物の識別だけでなく、肌の色の変化を見分ける能力が重視された可能性

* 肌色の変化を見分けることが、コミュニケーションや社会的協調性において重要であったこと

* 四季覚異常が男性に多い理由とその進化論的説明

* 色覚の進化に伴う顔の毛の減少とその影響

* 進化論と社会的影響

* 肌色の違いが進化論的にあまり変わらないこと、しかし人間はそれを非常に敏感に感じ取ること

* 現代社会における肌色の違いが持つ社会的問題

* 人種間の肌色の違いの理解とその文化的影響について

* VRやテキストコミュニケーションにおける表情や肌色の非依存性とその可能性

今回出てきた本はこちらで紹介しています。

📖ブックカタリストで紹介した本 - ナレッジスタック - Obsidian Publish



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サマリー

ポッドキャスト「ブックカタリスト」の第96回では、お絵かきや人間の色覚、色について語られています。お絵かきでは、台本を読んでしまい、間違えてしまったりもします。人間は視覚から入ってくる情報を色として識別できます。染料インクと顔料インクの違いや絵の具の色見え方についても話されています。絵の色を構成する知識やセンサーのパラメーターは、人間の色覚に密接に関わっています。肌色や顔色の変化を識別する能力は、進化的にも重要であり、情報伝達や信頼性にも影響を与えています。色覚や肌の色に関する話題が考察されており、人間の肌の色の感じ方は微妙な色の違いにも敏感であること、肌色の変化がコミュニケーションに与える影響についても触れられています。

お絵かきと色覚
面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト、第96回の本日は、お絵かきと人間の色覚と色について語りたいと思います。
はい、よろしくお願いします。はい、よろしくお願いします。 お絵かきは2行目の台本を読んでしまって間違えました。
はい。 ちょっと長い前置きになるんですが、
2023年は、goryugoさんは新しくですね、ギターの練習を始めるという新しいことを始めておりまして、
はい。 で、2024年にも新しいことを始めようと思ったわけじゃないんだけど、なんかなんとなく始めることになったのが、
手帳、紙の手帳を使い始めたことをきっかけになぜか絵を描くことを始めてしまい、そこからその色とか色覚についてっていうのも、
ついでにっていうと言い方はあれなんですが、興味を持って始めるようになりまして、 ちゃんとね、サイエンスな観点で色についてとか色覚についてとかっていうのも
勉強してみると面白いんですよね。 ただ、色とか色覚とか絵の具とかの話って、やっぱり興味ない人には全然興味ないかもしれないなぁと思って、
確かに。 ちょうどですね、そういう話とブックタリストっぽい話がつながるネタが揃った。
で、そのシリーズとしてはですね、2冊まとめて紹介してみましょう、シリーズ。 で、1冊目が
見たい聞きたい透明水彩。画家と科学者が語る技法と画材。 これは正直ですね、お絵かきに興味ない人だったら、ほぼ間違いなく読まんだろうなっていう本なんですけど。
水彩画に関する技法のテクニックの話ってことだよね。 ですね、だけではなく、例えばまず最初にその本編でも軽く紹介するんですけど、
透明水彩というものの歴史だったりだとか、どんな素材で作られているものなのかとか、
メーカーが作った絵の具というものを化学的な観点で説明してみるとどんなものなのかとか、
色の見え方とか、波長の話とか屈折率の話とか、 そんなのを画家の方とホルベインっていう絵の具メーカーに所属している
化学者の方だったかなっていう2人が対談形式で色々と語っている本。
で、2冊目がですね、一見すると全然違う本。 人の目、脅威の進化。
4つのすごい視覚能力があるわけ。 こっちはですね、いわゆるそのポピュラーサイエンス系っていうのかな。
ちょっと本自体はインターシフトから2012年に出ている本なんですが、この後確か文庫化されたのが数年以内とか。
決してその古くなっていない内容。 こっちの本はですね、4つの観点から人間の目というのがすげー能力を持っているんだよっていう話が
あったんですけども、この中のこの1個目の1章、1つ目のタイトル感情を読むテレパシーの力。
あの何言ってんじゃっていう感じのタイトルなんですけども。 読んでみるとですね、ここがめちゃめちゃ面白かったんですよね。
で、その2つを絡めながら順番に話をできたらなぁと思っています。
楽しみですね、それは。 楽しめてもらえたら目的達成です。
色と明度
で、色とか色覚とか、そういうものから基本的なところからまず軽くちょっと話していこうという感じなんですけど。
色って何なのかって言うとやっぱすげー難しいと思うんですよね。赤とか黄色とか緑とかって言うけど、これって何なんとか。
さらに言うと、俺たち赤のことをみんな赤って呼んでいるけど、その赤が私が見ている赤があなたが見ている赤と同じような赤に見えているかどうかはわからない。
まああといわゆるクォーリアーっていうやつですね。クォーリアーが同質かどうかが保証、保証というか証明できないって感じだね。
っていうような哲学的な問題もあるんですけど、今回の話はですね、どっちかっていうと、進化論の観点で色って何なのかっていうようなのがその主な目的で、赤が赤色に見えること自体には生物学的には全然意味はないと、
この人の目脅威の進化の著者みたいなことは、著者は考えていて、なんでそんな能力を身につけたんだろうっていうのが今回の一番大きなテーマというのかなという感じです。
で、一般的にサイエンス業界の通説で色を身につける、色を見分けられるようになったのって、食べ物を見つけやすくするためなんじゃないかっていう説が一般的ならしいんですよ。
それは人類とかじゃなくて、生物の進化の過程において色を見分ける能力が得られたのはってこと?
そうですね。霊長類ぐらいな、人類ぐらいな言い方かな。森の中で赤くなっているリンゴとか木の実とかっていうのが、その色としてパッと目立つから、それを見つけやすくするために色が見分けられるようになったのではないか。
例えば、緑の色と赤の色がもし見分けがつかない場合、森に入った時においしい果実を見つけるのが結構苦労するけども、その光の波長を見分けられたら、食べ物を見つけやすくなると。
というのが、今までよく言われている通説というのかな。で、著者はこれちゃうんじゃねーって言ってるんですよ。その根拠というのが、霊長類の食べ物を調べてみると、種によって求める食べ物が違うし、ということは同時に見分けたい色というのも違ってくるんですよね。
ただ、バナナばっかり食べるのとリンゴばっかり食べる種であれば、片方は赤必要ないし、片方は黄色必要ないしってことになっちゃうってことだよね。
だから、それはなんか違うんじゃないっていうのが、著者の主張で。で、なんでなのかっていうのが種明かしというかネタバレというか、そこの話なんですけど。いきなり本編に入らず、ゆっくりと色の話をしていきましょうという感じです。
科学的な話なんですけれども、色ってなんで違って見えるのって結構難しいというか直感的に理解しがたいことなんですけど、光が当たって、ある特定の物体というのは基本的に特定の波長の光を吸収するんですよね。
で、吸収しきれなかったものが反射光として現れて、それが視覚に入ってくると人間は色として識別できる。
だから、吸収されなかった光の波長、残り物が僕たちの目に入っていると。
そうですね。で、もう1個難しいのが、人間は400nmから700nmの波長だけ可視光として識別することができるんですけど、連続的なパラメーターっていうのかな、400nmが30%ぐらい反射していて、
500nmは5%ぐらい反射していて、800nmは、あ、見えない、600nmは80%ぐらい反射してみたいな、一般的に色ってそういう縦横のXYの波長と反射率みたいなグラフで表現することができる。
で、そのグラフの形によって人間は例えばなんか、これは赤っぽい色だな、とか、なんかギラギラしたすごい綺麗な赤だな、とか、ちょっと濁った赤だよね、みたいなのとかっていうのが分かれてくる。
うーん、なるほど。
で、色って結構難しくて、フォトショップとか使うとよく出てきて、俺ずっと何じゃこりゃっていうのでいまいちよく分かってなかったんですけど、いわゆるそういう赤とか黄色とか青とかっていうのは色相と呼ばれるもの。色の相ですね。
ただ、色って単純に2次元で表現できるものではなくて、そこには彩度と明度という2つのパラメーターがあって、その彩度と明度というパラメーターの上に色相を重ねることで人間はその色というものを認識できている。
だから鮮やかさと明るさってことね、単純に言ったら。
そうですね。単純に言うとそれなんですけど、もうちょっとグラフ的なっていうか、さっきの話と重ねて言うと、面白くってですね。さっきグラフを他の方には後で画像で提供しようと思うんですけど、こういう感じっていうのかな。横幅の波長と縦の反射率っていうグラフがあるんですけど、
いわゆる明度というのは、この面積がどのぐらい大きいかというので明るさが変わってくる。
数学で言うならあれですね、横軸に積分していけばその合計が測ることができる。これがいわゆる明度というもので、言われてみると当たり前なんですけど、全体で反射しているのが多ければ多いほど眩しいと感じる、明るいと感じる。
なので、明度っていう言い方ができる。で、もう1個、彩度っていうのがへーって思ったものなんですけど、彩度というのはですね、単純に言うと1個だけの色がどんだけよく見えるかってことなんですよ。
RGBで言うとRだけが尖ってるとかBだけが尖ってるみたいなのがいいでしょ?
そうですね。で、もうちょっと正確に言うと、例えば400nmだけやたら尖っているとか600nmだけやたら尖っているとか、グラフの形にするとグラフというものが尖っていればいるほど彩度が高い色として人間は感じるようになっている。
だから他の波長の混じりっ気が少ないほど、元々のやつが鮮やかに感じられると。
で、絵の具業界でよく言われていることなんですけど、絵の具って基本的に水彩絵の具の話なんですけど、純粋な色っていうのが一番綺麗で澄んだ色で、混ぜれば混ぜるほど濁ってくる。彩度が落ちるって言われてるんですよ。
これもちゃんとさっきのグラフの話で説明をすることができて、単純に絵の具の2色を混ぜるということは、2種類のグラフを混ぜて平均をとったことになるんですよね。比率もあるけど。
ということは、ほとんどどんなグラフであろうがやっぱりとんがり度って下がってくるじゃないですか。なだらかになる。
色の反射と染料
なので色を混ぜれば混ぜるほど、彩度というものも下がってくるし、さらに言うと色が混ざり合えば合うほど黒くもなってくる。いろんなものが混ざってきて平均化されていくことで、
その色自体が一種類だけの波長を反射する尖った色から全体の色を反射する丸い色というのか、濁った暗い色というのか、色感が少ない色になるというのか。
黒っていうのはつまりあらゆる波長を反射しているってことなの?
えっとね、黒は逆ですね。全ての波長を全て吸収している。
何も変えてきていない。
そうですね。で、白というのは真逆で、全ての波長を全て反射すれば理論的にはその白になる。
ただ、そんなに上手いこといくような完璧なものというのは現実界には存在してなくて。
ちょっと前にね、デイリーポータルとかで話題になってたりしたんですけど、日本の中小企業がとんでもなく恐ろしいほど黒く光るマジックみたいなのを発明したっていうペン。
感覚が狂うんですよ。何にも光を反射しないから。
あの、ウェブの写真で見るとこれ嘘じゃんっていうふうに思える、としか思えないようなものとか。
逆に言うと、それだけ光を全く反射しないものっていうのが自然界にはいかに存在していないかっていうこともあったりするんですけど。
で、まああとこれも美術界の話なんですけど、そういう、なので色というものは、いわゆる2次元で簡単に表現できるものではなくて、
3次元の空間で色を表現してあげると一番わかりやすいというか理解がしやすいっていうのかな。
えっと、緑と赤、青と黄色というのが反対側にある円があるんですけど、そこをその2次元上空間に加えてさらに明るいと暗いっていう色を変えてあげると、
その色というものを立体空間上にうまいこと配置することができて、これ美術系の人とかやっぱそういう色とか混ぜる、混色をする場合とか、あと視覚的に目立つ目立たないの効果を知ったりする場合なんかにもよく使われるものなんで。
興味あったらマンセル標色系っていうのを調べていただくと、そういうものも現実界に売ってたりするらしいです。
で、あとちょっと絵の具の豆知識というか、水彩絵の具についても一緒に勉強したことがあるんですけれども、
多分ペンとか鉛筆とかも全部一緒か、紙に色がつくというのはどういう行為なのかって意外と難しいような気がするんですけれども。
色のついたものを上に乗せるという理解もできるけど、それ以上ではないね。
大雑把にインク系って、多分万年筆の世界の人とかでも知っていると思うんですけど、染料のインクと顔料のインクっていうものがあって、
いわゆる鉛筆とかもそうだし水彩絵の具もそうなんですけど、顔料というのは水の中に分子が溶けていないと言えばいいのかな。
分子が分子としてそこに存在していると。
つぶつぶがいる。
いわゆる染料というのは水の中に溶けていって、そのまま分子が紙の中に、水が紙の中に染み込んでいってそのまま色として残るみたいなイメージ。
そこが例えばで言うと、水に強いとか弱いとかっていう性質の違いなんかにもなってきたりするんですけど、
染料インクと顔料インクの違い
一般的に染料インクって水に濡れるとダメになってしまいがちで、顔料インクって水に濡れても水濡れに強かったりするんですよね。万年筆の話なんかでも。
それっていうのもなので、染料だと水の中に入っちゃってるので、水が混ざってしまうとそこが、それが消えてしまうというか一緒にどっか行っちゃうっていうのか。
で顔料というのは紙の上につぶつぶが乗っかっているんで、水で濡れても意外と消えにくい。
逆に言うと顔料は紙の上に粒子が乗っているだけだから、一応その紙は無事なままで顔料を削り落とすことはできるけど、染料は水に含まれているから、その上削るみたいなことはできへんってことなのかな。
そうなるかな。たぶんそうなりますね。
ただ紙の、ひょっとしたらというか、おそらくそこはちょっと未調査なんですけど、紙の隙間というのが結構小っちゃいんで顔料も中に入っていると思います。
紙の中にある程度沈むんじゃないかな、最初は。
結局紙もちょっと削らなあかんことになるか。
なると思われます。
同じく万年筆の話で言うと、染料インクって水なので、万年筆って放っておくとペン先が乾いて放置してしまうと書けなくなるってあるじゃないですか。
染料は水なので、言ったらなんですけど水にずっとつけといたら何とか溶けてくれるんですよ。
逆に顔料というやつは粒々が固まってしまうので、基本的にそいつらはもう水に溶けないように作られているので。
溶けたコマもね。
ペン先で固まってしまうと、その万年筆さんさよならということになったりもしてしまう。
万年筆が詰まった時に水にペン先溶かすといいよっていうような染料型ってことか。
そうですね。もちろんこれは専門分野の話で言うと、もっといろんな細かい要素があったり、水に溶けにくい染料インクとかいろんなものがあるので、
簡単に言い切れるものではないんですけど、大雑把な印象としてそういうふうに理解しておくといいのかなと。
絵の具の色見え方
絵の具の色の見え方って、いわゆるさっき言った染料インクという粒々を紙の上に乗っけてやると、
そいつら、その粒々の反射率が違うので色が赤だったり黄色だったり緑だったりっていう色で見えるようになる。
ということは、絵の具だけで見ている時と紙の上に乗せた時では、紙の成分があるからやっぱり見え方がちょっと変わってくるってことになるよね、単純に考えると。
特に水彩の話とかでも勉強していると、いわゆるさっき言った沈むみたいな言い方をしていたりもするし、
水彩絵の具なんかは顕著なんですけど、塗り終わってから完全に色が乾くと一般的に薄くなります。
薄くなんや。濃くなるんじゃなくて。
淡く見える。しかも印象としてかなり濃く塗ったつもりでも薄く見えてくる。
それはあれかな。だからまずは紙に沈んでいくっていうので、上に乗っていた色が少なくなるっていうのが多分要素の一つ。
で、面白いのがですね、だいたい絵の具って、水彩絵の具って平均的に一個一個の粒々って一粒3nmぐらいらしいんですよ。
ただ、この3nmとはいっても全ての粒を3nmにすることは当然できないので、
いわゆる2.9ぐらいがあったり2.2ぐらいがあったりとかっていう、その正規分布的な色のばらつきというものは必ずあるんですけど、
なんかね、このばらつき具合が変わるとね、色もね結構違って見えたりするみたいで。
それは結局吸収して屈折する波長が少し変わるからってことやね。
そうですね。で、あの面白いのが絵の具って要するに水彩絵の具っていろんなメーカーがいろんな色を作っていて、
基本的にそのどの素材、どの顔料を使っているかっていうのも公開されてて、まあ割と簡単に調べられるんですよね。
ただ、同じ顔料を使っていても大きさのばらつきによって色が変わるということは、
やはり理論的にメーカーによって同じ色、同じ顔料として売っていても色が違うし特徴は多少違うし。
いやー、それ面白いね。いわゆるアナログ感があるよね。それデジタルでは起こらんことやもんね。
そうですね。デジタルだったら例えばなんですけど、RGBのいくついくついくつっていったら、全員が全員100%全く同じ色になるじゃないですか。
ただ、絵の具はその同じいわゆるカドミウムイエローペイルみたいな色があったりするんですけど、そういうものを買ってきてもメーカーによって違うし、塗る紙によって色が変わるし、
もちろんその水の溶き具合の濃さによって顔料がのった量によって色というのも全然違って見えるし。
あとアナログに面白いのが、なので、絵の具によって色によって値段が違うんですよね。
まあ、その原材料が違うからってことだよね。
原材料が違うから。特に日本画なんかでもそうなんですけど、日本画って確か青色がすげえ高くて、
土とか草とかって基本的に茶色とか緑とかっていうものは手に入りやすいんですけど、その紫とか青とかっていうものが作れる絵の具って手に入りにくくって。
確か日本画だと貝、なんとかっていう貝から取るとかだったかな。
で、そういう美術系の大学、日本画の人たちなんかで言うと、金持ちはその青色の絵を描くことができて。
なるほど。
貧乏人は土っぽい色しか描けないっていう。
ゴッホが絵の具買うのに苦労してたみたいな話言ってるじゃないですか。
やっぱね、高いんですよね、結構。
キャンバス1枚にしても、今の日本の平均で言うと、例えばなんですけど、油絵で使うようなキャンバスとかで5000円くらいしたりして、簡単に。
そこに絵の具乗っけると、原価で1万円とかするんですよね。
それは確かに高い人を選ぶというかね、デジタルコンピューターで何倍でも作れるということに比べれば、ちょっとやっぱりコストかかっちゃう感じはしますな。
10枚、20枚描いたらiPadが買えちゃうみたいな勢いですからね。
単純な話で言うと。
水彩画にしても、ちゃんといい紙とか買おうとすると、A4サイズで1枚100円で買えないとか。
もちろん練習で1回描いてみるのに100円ならいいんですけど、継続的にやろうとすると意外と金がかかる。
みたいなこともあったりして、そこがアナログの、逆に言うと面白さでもあるよなとはもちろん思うんですけど。
意外とそういうところがあったり。
色なんかも、まだまだ新しい色とかが発明されていたり開発されていたりもするみたいで。
よくわかんないけど、自分がコンピューターの世界しか知らなかったので、
絵の具とかって、ある程度確立されてしまっていて、新しいものとか新しいことっていうのがほとんどないと思ってたりしたんですけど、
全然そんなことはなくて。
最近なんかだと、例えばその絵の具だと黄色とかが意外と鮮やかな黄色って作るのが難しくて、
鮮やかな黄色を使おうとするとカドミウムという有害物質を使ってやらないと綺麗な黄色が出せなかったりしてて、
しかもその黄色って一番高いクラスの値段だったりするんですよね。
最近はそれをカドミウムを使わずに、できるだけそれと同じような色が出せるようになってきたりとか。
あと水彩の青なんかもかつてはなんかそのすげー高い、本当に水晶から削り出すだったかな、貝殻から削り出すとかそういうことをやらないといけなかったのが、
結構工業的に簡単に取れるし、それが結構安く簡単に作れたりもするようになってきている。
そんな感じで意外と自分が知らなかっただけという前提はあるんですけど、そういう分野でも結構まだまだ新しいものが発明されていたりして、
今だとね、その分離色っていうのが流行っていて、
あの塗ると、例えばなんですけど、塗ってみると最初は鮮やかなマリンブルーみたいな色なんですけど、
自然になんか黄色みたいなものが出てきて混ざるっていうのかな。
そういうグラニュレーションカラーみたいな絵の具がここ数年流行っていたりして、
そんなんとかはもうやっぱ自然現象で起こって、例えばそのね、なんかそういうので海とか塗るとやっぱなんかかっこいいんですよ、結構簡単に。
なんか簡単にエメラルドのキラキラ輝く絵の具が空が塗れるとか、
まあそういう感じで意外となんて言うんだろう、自分が知らなかった新しい世界というものは結構あるんだなぁということを思い知り、
で、そんな水彩絵の具なんですが、実はブックカタリスト本編では紹介していなかったかもしれないんですけど、
近代美学入門っていう本とか、ピクチャレスクっていう用語でも出てきたりしたんですけど、
あの結構ね、水彩絵の具っていわゆる当時のインスタ映え的な世界に大きな影響を与えていたみたいで、
水彩絵の具というものが生まれたきっかけというのは産業革命にあって、
産業革命期って、石鹸とかも簡単に作れるようになったんですよね。
石鹸を作るとイランモンがいっぱい出てくる。
で、そのイランモンに目をつけたイギリスのウィンザー&ニュートンという会社が、
これ使って絵の具できるんじゃね?って思いついて、絵の具というものを発明、製品化し、
やっぱりこういう絵の具が最初に何に使われたかっていうと、軍事目的で使われていて、
地図を描くことに使っていた軍隊の人たちが、
戦場とか、ここまでの道のりとか、攻める敵の場所とか、そういうものの地図を描いて、それを色付きで描けるっていうことが、
絵の具が最初に発展した大きなメリット。
水彩絵の具ですね。
それまでの地図はほとんど白黒やったってことかな。
まあ、そうか。
そうです。紙に線を引いていただけだったものが、グラフィカルに描けるようになった。
油絵の具を想像していただくとわかるんですけど、油絵の具って、クッソでっけえキャンバスをアトリエに置いて、
自分の身長を超えるような、
どんなでかい皿やねん、みたいなパレットの上に絵の具を乗っけて、ペタペタ塗って、っていうようなことをやっていて、
あれってね、乾くのにね、1週間、2週間では、乾ききらないとかだったかな。
油で溶かないといけない。
固くて塗るのも大変。
なので、軍隊が持っていくっていうのにあまりにも現実的じゃなかった。
っていうのが、水彩絵の具って、ゆったらなんですけど、カバン一つって言えばいいのかな。
ぐらいの距離感で絵の具を持ち歩けるようになって、軍隊がそれを使うようになり、
そこからさらに、一般人も、外に出てかっこいい風景を描きに行こう、みたいなことが流行るようになった。
今現在、我々がインスタにあげるための写真を撮りに行くのと、たぶんすごく似たような感覚で、
パリに行って、パリじゃないかな。当時はイタリアだったと思うんですけど、イタリアに行って、シャレオツのインスタ映えの絵を描いてくる、みたいなことが流行ったりして。
そういう感じで、絵の具の話一つにしても、意外とちゃんと歴史とか、当たり前なんですけど、そういうこととも結構密接に関係していて、
意外と現代的な話なんかにも繋がってくるようなものだったりするのかなと。 そうですね、なんとなく絵の具ってずっとずっと昔からあるような気がしますけど、そんなわけはないわな、当然ね。
油絵の具とかで言えば、少なくともダヴィンチの時代には、中世にはあったんですけど、水彩絵の具って工業化してからできた製品なんですよね。
自分も同じく、なんも知らんかったし興味がなかったから、なんとも思ってなかったんですけど、
学校でやるような絵の具というのは、厳密に言うと学校の絵の具は透明水彩ではないんですけど、 光の透過率が低い。
ちょっとね、それの仕組みまではわかんなかったんですけど、おそらくその直径がでかいので、上に塗ってしまうと下の色が見えなくなる。
透明水彩は、上に色を重ねても下の色がまだ見えるんですよね。
その辺を使って自然界の面白いテクニックとかっていうものができたりもするんですけども。
だからやっぱり、そういう水彩絵とか油絵とかを描く人は、絵の絵、つまりフォーマリズムに関する知識だけではなくて、その具材じゃないや。
絵の色の基本的な知識
具材でいいんか。絵の色を構成するある種物理的な知識、ケミカル的な知識もあった方がいいということなんよね。
まあ、大抵の画家がどこまでそれをきちんと学んだり考えたりしているかっていうと難しいところで。
ほとんどの人は、いわゆる色相感っていうやつ。反対向きの色がどうのこうのとか、さっき言ったマンセル標色系を見て、それを絵に描いて色を表現してみるみたいなことをやったりはするらしいんですけど。
その絵の具が3ナノミリメートルみたいな話は、おそらくほとんどの人には興味ないし、その本の中でも出てきたんですけど、画家仲間も体感的にこういうことは言っている。
科学者の観点で、それはこうこう、こういう理由ですみたいな、そうなんだ、みたいなやり取りはたくさん出てきたりしています。
再現その知識じゃないけど、経験値としてそのようなケミカル的性質は踏まえている人はいるってことだよね。
そうですね。だから透明水彩の、いわゆるそういう別のメーカーにすると色が違うみたいなことを、ちゃんと感覚的にわかっている人というのはおそらくいっぱいいるんだけれども、それが何で何までわかっている人はそんなに多分いない。
でもやっぱりそういうのがいた人は、なんか新しい作品を作れそうな気がするね。なんかイメージとして。
まあやっぱそういうのを面白がれる人が個人的にはやっぱり面白い絵を描いていそうな印象はある。
うん。まああたりがその色のいわゆる基本的な知識なんですけど、さっき言ったのは理論的な話というのかな。
何ナノメートルの波長がどうのこうのみたいなことを言っていたんですけど、人間はそれをどうやって色として認識しているのか。
はい、難しい問題ですねこれは。
難しい問題ですね。答えというか大雑把な仕組みなんですけど、3種類のセンサーがあって、その3種類のセンサーのパラメーターを合計したものを人間は色として見ている。
ここでいわゆる三原色みたいな言葉がちょうど繋がってくるんですけど、3種類のセンサーというものが特定の波長に強く反応するセンサーが3つある。
400に反応する、500に反応する、600に反応するみたいな感じ?
みたいなイメージ。で面白いのがですね、全然均等じゃないんですよ。
例えば400から700まで見えるんだとしたら、500、600、700っていうか450、550、650ぐらいにあったら一番良さそうじゃないですか。
均等割りしたくなるね。
結構偏っていて、一つはおよそ562、もう一つがおよそ535、もう一つがおよそ440。
じゃあ600以上はないってこと?
600以上はなので大雑把にしか見ていないというか、分かっていないというか。
なるほど。
562に強く反応するものは、500には5ぐらい反応するけど、450には3ぐらい反応するとか。
その反応の上限と下限が400から700なんですよね。
逆に言うと700近辺はあんまりよく分かっていない。大雑把な解像度でしか捉えられないし。
逆に535と562って異様に近いじゃないですか。
この近辺の色というものは、仕組みで言えばものすごい細かい高い解像度で人間は見れる、色を識別できるっぽい。
本の話と繋がってくるんですけど、この偏り具合っていうのが実はすごく重要で。
これが人間が3種類の色が見えるように、センサーが3個ある理由というのが、これとものすごく密接に関わっているのではないか。
っていうのがこの著者の主張で。
結論というか一言で、著者が考えていることをまとめると、人間が3種類の近水状態、センサーを使って色を識別できるようになった理由っていうのが、
肌の色の変化を高い精度で見分けることができるようにするためなのではないか。
っていうのがその著者の意見で。
肌色と顔色の重要性
最初の方に出てきたので、肌色って人間は良くも悪くも色だっていう風にあんま思ってないんですよね。
赤とか黄色、何色があるって写真見せて、人が写ってる写真を見せると赤と青と緑とかって言うんだけど、そこに人間の顔写ってるのに肌色って言わないんですよね。
肌色って人間にとってあまりにも当たり前というか認識のベースになっている色であると同時に、その色がわずかに変化しただけでもめちゃめちゃよくわかるようにできている。
これがさっき言ってたテレパシーとか何言ってんじゃいって言っていた理由で。
肌色というのは、人間の肌の色って、これまたパラメーターが2つあって。
どれだけ血液が流れているか。血液の量が多いか少ないかっていうものと、血液の中にある酸素が多いか少ないか。
酸素飽和度の多いか少ないかという2つのパラメーターがあって、この2つがさっき言った色の違いと密接に関わっているらしいんですよ。
だから血液が多いときは赤っぽくなるというイメージできるね。
血液の量が多いと青っぽくなるのかな。青と黄色なんですよ。血液の量の違いというのは。
青白い肌とか黄色い肌みたいな。酸素の量が多いか少ないかが赤と緑で分かれる。
ヘモグロビンの量ってことね。
ヘモグロビンの量。これがちょうど人間のセンサーの得意なところとめちゃくちゃマッチしている色の違いで。
さっき言ったこの色っていうのが530いくつと560いくつっていうぐらいのすごいちょっとした変化なのに、
まず日本語で青白い顔をしているとか真っ赤になって怒るって言うけど、青白い顔っていわゆる俺たちが言う青じゃないんですよね。
真っ赤になって怒るって俺たちが言う赤ではないですよね。
ほんのり赤いかな。赤の方はまたちょっとほんのり赤いけど、青白いはほぼ白いってことだもんね、あれ。
しかもそれは人間は人間の顔色がちょっと変わっただけで、そういう言葉ができるぐらいやっぱり変化していることを認識できている。
これが進化的にめっちゃ重要だったんじゃないかっていうのが、この著者が言っている話。
なんで便利重要だったのかっていうと、大雑把に2つあって、1つは喋らなくても意図が伝わる。
怒ってるとか幸運してるとかがわかるってことだよね。
もう1つがそれと同時につながることなんですけど、嘘がつけない。
顔が赤くなるから。
100%嘘がつけないというわけではもちろんないんですけど、
例えば悪いことをしたやつを、おめえふざけんな、ちゃんと反省しているのかっていうときに、
その顔色を見て、ちゃんと反省している顔色であれば、こいつは本当にちゃんと反省しているんだなというのが、
少なくとも口で言うだけよりも一定程度信頼度高くわかることができる。
だとか、食べ物の喉に詰まらせた赤ちゃんとかが、喋れないですよね赤ちゃんって。
でも顔色が呼吸困難で青白くなっていると、
お母さんはパッとわかって、やべえこれっていうことに気づいて、
その詰まった食べ物とかっていうものをサッと取ってあげることができる、
みたいなこととも関係しているだろうと言われているし、
あとこれ豆知識っていうか、
サイド知識的なものなんですけど、
一般的にいわゆる赤と緑が識別できない、識覚以上って人類に一定程度いるんですけど、
その人たちってほとんど全てが男性らしいんですよ。
これもさっき言った進化論的な話で結構説明ができることで、
お母さんは喋れない赤ちゃんの顔色が判断できることがものすごく重要だった。
だから赤と緑の変化というものが見分けられない人というのは、
現代まであまり数が多くなっていない。
ただ男性はそこはあんまり重要ではなくて、
さらに言うと、これはよく言われるというか、
たまに漫画なんかでも出てくるような話なんですけど、
その赤と緑がわかんないってことは、
明るさと暗さのパラメーターに対する感度が、
多分脳の発達的により強く働くので、
やめがきく人とか多いらしいんですよ。
そういう意味で、むしろ例えば狩りをする場合において、
赤と緑が見分けられることよりも、
暗いところでものが見えた方が便利であるということもあったりもするので、
比率として男性には四季角以上の人が一定程度存在している。
もう一個それと同じくなんですけど、
顔色がわかる生物って一部の霊長類しかいないんですよね。
これも著者が言う、
なんでその色がわかるようになったのっていうものとつながる話になっていて、
両方同時だと思うんですけど、
自分の顔色を相手に見せられるようにするために、
一部の霊長類は顔の毛というものが減っていって、
その状態を相手に示すことができるようになり、
それによってますます人類は顔色が見えるように、
わかるような能力というものを発達させていき、
だんだんだんだん体の顔面の重毛の量というものが少なくなっていき、
汗の理論とかもあったりもするんですけど、
髭とかは人類今でも残ってたり、眉毛は残ってたりするんですけど、
髭って顔色の変化にはあまり影響しにくい部分にしか残っていないし、
眉毛はおそらく表情をより豊かに表現するために、
むしろあった方が便利なものなので、そこは肌を見せる必要がないのかな、
みたいなことだったりもするんですけども。
他の動物は僕たちが見てるほど色を見てない?
僕たちが例えばリンゴの赤をくっきり見えるのは、
顔色が伺える能力の副産物ってことなのかな?
偶然ですね。
顔色を見分けようとした結果、センサーが3つあることになり、
たまたまその赤と同じ赤というものが、
リンゴの反射するスペクトラムと非常に似た構成をしていた。
僕たちが芸術を楽しめるのは、
人間が社会的協調性を必要とする動物だったからということになるね。
結果で言うとそうなるのかな?
例えば、白黒写真って美しさとかがあったりするので、
色覚が非常に強いパラメーターではあるとは思うけど、
必ずしもそれだけではないような気はする。
一般的に哺乳類のオークは、いわゆるセンサーが1個少なくて、
赤緑軸がないんですよね。
2個しかなくて、青黄色プラス明るいくらいの色しか見えない。
蜂とかトンボとかもそうだったかな。
そういう生物はもっと遥かにたくさんの水状体センサーがあって、
想像できないけど、俺たちとは全く違う色彩の世界に生きている。
そういう生物たちはどっちかというと、
子の生存に有利なものの見分け方をしているというのは想像できるね。
おそらくそうなんでしょうね。
例えば、今までの哺乳類には明暗プラスもう一軸あれば、
別にそれで特に不都合はなかった。
人類はもう1個あった方が良かった。
さっき言った肌の色の2変数を認識できた方が都合が良かったから、
それを見分けるセンサーというものが遺伝的に、進化的に残ってきた。
さらに言うと、男性はまだエラーがあるというか、
それがない人も一定程度存在していたりする。
でも進化論的に考えたら別にエラーじゃないよね。
エラーではないと言えるのかな。
そういう能力があった時に有利だったというだけのことであるから。
やっぱり識覚異常という言い方はあまりにも正常を規定している感じはするね。
そうですね。平均から外れているという言い方になるのかな。
異常というのは人間社会が色に頼ったインフォメーションの仕方をしているから、
人たちが不便をこむっているということを、
社会制度の側から見ているだけの話だからね、基本的には。
そうですね。なんだかんだやはり直感的に早く伝わる、
さっき言った素早く伝わる情報なので、
二軸の色の変化というものが、
デザインの観点でも便利に使われるんでしょうね、そこが。
そう、軸が他の人よりも一個少ないと、
結果的にそれは不便に感じやすくなってしまう。
うーん、やっぱりちょっと識覚異常って今カッコつけて呼ぶけど、
人間の肌の色の感じ方
人の顔色をうかがるのがやや太いな可能性があるってことなのかな。
おそらく、あいつ感情がわからない奴だ的な言われ方をしやすいんじゃないかな。
そういう予想が立つよね、ここまでの話からすると。
大体の場合そういう人が世の中を大きく変えていたりするんですけどね。
それは間違いなくそうです。
いろんな歴史を見ると、やっぱり他の人と違うセンサーとか、
その脳の仕組みを持っている人がやっぱり大きく歴史は変えているような気がする。
これ例え話として面白かった話なんですけど、
ちょっとした違いがすげーわかるっていうのを、
温度を例えにするとよくわかるっていう言い方をしていて、
人間って、おでこに手を当てて、
暑いっていうのがわかるんですよね。
36度、37度っていう温度から38度というほんの一度温度が上がっただけで、
暑いというものを認識できる、すごく違うように感じるセンサーっていうものがついている。
暑いって感じるんだけど、38度から40度になるのが、
暑いのがすごく暑いとはわからなくはないんだけど、
それが39度なのか40度なのかって手を当ててもわからないんですよね、大体の人は。
不思議なことに1度高いのはわかるのに、2度高いか3度高いかは区別ができない。
で、人間の肌の色の感じ方というのがこれと同じようなものだって言っていて、
実はさっき言ったパラメータ、どの周波数の色をどのぐらい反射しているかっていう違いって、
グラフにするとほとんど変わらないらしいんですよ。
さっき言った赤、真っ赤になって怒る時と青白くなっている時。
で、これが最後に一番超面白かったことなんですけど、
これがあらゆる人種の肌についても同じことが言えるらしくて、
黒人の肌ってめっちゃ黒く見えるじゃないですか。
白人の肌ってめっちゃ白く見えるじゃないですか。
あれね、グラフにしてもほとんど同じらしいんですよ。
だから例えば火星人とかが見たらほぼ見分けがつかないみたいな?
おそらく何にも見分けがつかない。
人間が肌の色が変わると肌の色に対してものすごく感度の高いセンサーを持っているので、
ほんのちょっと違うだけですげえ違うように見えてしまうんだけれども、
数値的に各人種というものの肌色の違いというものを調べてみると、
言ったらなんですけど、全部同じ色って言えばいいのかな。
異なる人種の肌の色
それ例えばですけど、僕らの目が今後対価的な進化をしていって、
肌の色の違いが見分けにくくなってきたら、人類みんな兄弟的なことになっていくのかな。
多分なんだけど、センサーが3種類のうち2種類のセンサーの感度が非常に近い周波数のセンサーを持っているからっていうので、
それがより高周波を見分けようとする進化論的な理由がなさそうな感じがする。
逆の観点で、ちょっと前に進化の話を見ていたので、
人間の肌色の変化というのが遺伝的な話でいうと、数百年で肌の色って全然変わるみたいなことを言っているのを見て、
へえすっげえなって思ったんですけど、これはこの話を聞けばものすごく納得できることで、
ちょっとしか変わってないんか。
ほとんど何も変わってないだけなんですよね。
逆に言うと、アフリカの人たちは暑いところに適応するために黒くなって、白いところに適応するために白くなっていて、
結構頑張って変わったと思ってるんだけど、実はスペクトラムで言うとあんま変わってもいないという言い方もできるし。
細かいところの違いを見分けたら変わってるけど、大雑把に考えたらほとんど一緒という捉え方ができる。
これが同じく、現代のグローバルな社会だと問題になる原因にもなっていたりして、
想像していただくと多分、俺たちみんなそうなんじゃないかなって思うんですけど、
黒人の人が怒ってるとか、白い顔とかってどう変わったのかって、
このアジア人からは判別しにくいのではないかという気がする。
イメージとしてはそうやね。テレビ越しでしか見たことがないからなんとも言えへんけど、
笑ったっていう口を開くとか、表情から伺える感情っていうのはあるけど、
いわゆる顔色というのはイメージができるよね。
これも我々は経験をしていないから分かんないだけで、
経験を積んでその人の肌色の変化というものを経験的に学んでいけば分かるようにはなるらしいんですけれども、
基本的にはおそらく進化の話で言うと、
同じ肌の色したやつの肌色を見分けるために進化としてデザインされていて、
そのちょっと色が違う人の肌色の変化というものが近くしづらくなってしまっている。
しかし後天的に鍛えられるというのであれば、
例えば文化交流が進んで、周りに肌の色が違うように見える人たちがたくさんいる環境で、
仮に育った子供がいるとしたら、その子は普通に見分けられるようになるということだろうね、きっと。
そうですね。おそらく我々でも一定程度そういう環境に長い間身を置いて、
それを当たり前に経験していれば多くの人は問題はないとは思うんですけれども、
やっぱりその文化の違いだけではない国際交流の難しさというのかな。
確かに。
他の人たち、あいつは何考えているか分からないみたいな言葉というのが、
実はその肌色の変化が分からないから分からない。
話し合えば解決するというのは日本人は結構好きだけど、
話し合いの前提となっているノンバーバルなコミュニケーションの一つについて表情を読むというのもあって、
それは結構訓練しないとなかなか身につかないものだということは理解していく必要があるんですよね。
そう、難しいよね。
やっぱりこのね、人類皆兄弟が文字通り皆兄弟だったんだなっていうのが、
その表を見て結構感動して、
ああそっか、こんなにみんな肌の色一緒なんだっていう。
そう、なんか擬似的にそういう肌の色が一緒に見える眼鏡とかをして生活したら、
肌の色とコミュニケーション
なんか人間感が変わってくるかもしれないね。
でしょうね。結局そこが違って見えてしまうということが、
まあ良いことなのか悪いことなのか、何とも簡単に言えるものではないんですけど。
うん、そうやね。
だからある種、僕たちと違う人たちがいるということで、
僕たち自身の共同体意識が強まるというのもあるし、
顔色を読めることはコミュニケーションにおいても重要やけど、
でも顔色を頼らないでできるコミュニケーションがもしスムーズに進んであれば、
そもそも顔色なんか見分けなくてもいいし、
肌の色が一緒になったらいいっていうのはちょっとバベルの塔的な感じもするから、
どうかなという気はしますけどね。
例えばで言うと、やっぱZoomが話しにくいはずっと音声のラグだけだと思っていたんですけど、
多分もう一個顔色もあるんだろうなっていうのも思ったんですよね。
なるほど。
顔色とか表情の微細な変化。
多分人間の0.1秒にも満たないようなわずかな表情の変化とか、
一瞬だけ顔が赤くなるみたいなそういう色の変化とかを、
現在のデジタル技術と通信技術を使っただけでは、
そこまでリアルタイムに相手の情報を得ることができない。
そこがやっぱ俺たちがZoomだとわからんよねっていう理由になるんじゃないのかなと。
まあそうよな。
一方で例えばインターネット老人家の人たちは昔からテキストオンリーでやりとりって、
それで感情が通い合うコミュニケーションはしてないかもしれないけど、
情報交換自体はそれだけでできてるわけじゃないですか。
そのテキストが扱えれば表情を読む必要がないというコミュニケーションの新しい回路を開いたわけですけど、
現代でも例えばVRの世界で入ってキャラになって喋るっていうのは、
いわゆる人間の表情っていうのは出てこないわけじゃないですか。顔が赤くなるとか。
それでも一定のコミュニティっていうのは成立してるわけで、
だから違う回路を発達させるっていうことも一つ道かなという気はしますけどね。
そうですね。そこにコツというかポイントというか、
同じではないんだって分かっておくことというのがまず一つ。
例えばテキスト情報の話でいうと、やっぱり絵文字を混ぜるとか。
VRチャット系でいうとアクションが大きいじゃないですか。
手を振るとかジャンプするとか、ニコニコ笑うとか。
逆に言うとあれですね。さっき言った顔色の話でいうと、
嘘がつけないに代替するものはないんですけど。
でも逆に自分が出したいという感情を表して相手が受け取れるっていう
分かりやすい非常に陰影のついた表現ができるよね。
高度で文化的という言い方が正しいかわからないけど、
直感よりももう少し理性的なコミュニケーションはしやすいのかもしれない。
生物本能的なものの上の2階を建てない限り、
僕らがその肌の色に敏感なものを消せないわけですから、
その2階部分が人類としてはそこを築いていくしかないかなという気がしますけど。
あとはあれでしょうね。同時にそこに人類が仲良くなるきっかけもあるような気がするし。
肌の色とか身長とかそういう見た目で、
潜入感を持たずにコミュニケーションが取れる。
それが一番ですね。
でもどっかで仲良くなって長い時間接するようになれば、
表情を見分けるスキルというか技能とかについてくるわけで、
そこからは結構リアルであっても大丈夫みたいなことが起こるだろうから、
いろんな回路、複数あったほうが良いんだろうね。
まあそうでしょうね。
声とか年齢とかってある程度わかっちゃいますからね。性別とかほとんどの場合。
いかに言語化できていない情報を人間がきちんと見分けられるのか。
目とか耳とかがどれだけすごいのか。
逆に言うとVRっていうのはそういう生物学的条件を付随するコミュニケーションからの解放ということで、
人によってはやっぱり。
進化の新しい一つの形だ気がする。
それは面白いよね。
漫画なんかでよくあるずっと無表情な人とかっていうの。
こいつ気持ち悪いとか言われるんだけど、
それはやっぱりいかにそういうことが前提になっているかなんですよね。
それはもう生物の個性としてそういう個性をある程度持ってしまっているんだから、
社会的には身につけておいたほうが便利かもしれないけれども、
そこを認められるのは逆にVRの世界だなっていう感じはしますよね。
その辺でその生物的なものと非生物的なものを2つ使うのがやっぱり人間なのでね。
両方やっていきたいところね。
そうですね。ある適度にどっちもうまいこと使えると、
やっぱり社会的にはうまくいきやすいかなという。
そんな感じがしますね。
ということで、
ブックカタリスト、番組を支援していただけるサポーターも募集しておりますので、
詳しくはポッドキャスト概要欄などをご覧いただければ幸いです。
それでは今回もお聞きいただきありがとうございました。
ありがとうございます。
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