そうですね。期間で言ったらそれぐらいで、実際に書いて考える技術っていう、技術ついてたかどうかちょっとはっきりはしないんですけど、その書いて考えるっていうキーワード自体を思いついているので言うと、2023年頃にはもうニュースレターにそういう話を書いてるんです。
で、そこから、その時はまだ本にできるほど自分の中でもまとまってないし、体型だったなんかがあるみたいなと、ちょっと惜しいとこまでいってるんです。感覚で言ったら50%、60%ぐらいのとこまでいってるんですけど、まだその、いける、よしいけるみたいなとこまではちょっとたどり着いてないっていう感じで、で、その後もいろいろ同じようなことはずっと考えていて、
きっかけとしては、ゴリゴさんのナレッジスタックでニュースレターにお互いに月に1本ずつ寄稿し合おうみたいな、私がナレッジスタックに月に1本、で、反対にゴリゴさんが月に1本、iPadワーカーズのニュースレター用にこう全稿寄稿し合うみたいなプロジェクトがスタートして、で、その中で最初はなんかオブシディアンについてのことを書いてたんですけど、
だんだんそのオブシディアンのネタがついてくるんですね。3回、4回、5回ぐらいやったときに、そろそろなんか何書こうかな、次何書いたらいいかなっていうときに、じゃあ今までそのなんかもやもやっとこう考えてたことを書いていこうみたいな感じで、なんか手書きのノートに変えた話とか、こうどういうふうに読書メモ、
普段自分が手書きで本を読みながら書いてるメモをどういうフォーマットで書いてるのかみたいなのをちょっと紹介、月に1回ずつ上げていって、で、だんだんこれならその書いて考える技術みたいな、その一つのテーマでなんか連載していくスタイル。
たぶんあのらしたさんとかも結構そのニュースレターの中で、同じテーマの中でこう一つずつお話を進めていって、一つつながるみたいなそういうのがあったと思うんですけど、それに近い形でなんかできそうって思って書き始めた原稿を元に本にしたのがこの書いて考える技術です。
えっと、まず思ったのは、これができそうってその感触を得たのは、連載を書き始めてどのくらいのタイミングやったのかなというのがちょっと疑問に思いましたが。
その連載を書き始めて2ヶ月目か3ヶ月目ぐらいのタイミングから、オブシリアンの最初はオブシリアンの使い方みたいな感じで、オブシリアンをどういうふうに使ってるかっていうので、たぶん3回か4回ぐらいやったんですけど、その後にじゃあ次はどういうのにしようか。
このままオブシリアンの話を書いていって、私はこういう使い方をしてるみたいな話でもいいとは思ったんですけど、でも自分が得意なこととか、ナレジスタックの読者に関係ありそうなところで行くと、手書きでその読書メモを書くとか、書くことで頭の中を整理するとか考えを深めるみたいな、そういう内容が親和性高いよねっていう話でした。
それでちょっと書いてみようかっていうので、最初は私デジタルツールバリバリでずっとiPad肌身離さず持ってて、手書きって言ってもデジタルツール、iPadでの手書きも結構多かったんですよ。ただアナログで書く量もゼロにはなってなかった。少ない時期はあるんですけどゼロではなかった。
ただ、あるきっかけで手書きで書く、アナログで書く、紙とペンを使って書く量っていうのがめちゃくちゃ増えたタイミングがあったんです。
それが結局万年筆を自分で買って、万年筆で紙に書くのが楽しい、単純に書くことが楽しい、気持ちいいみたいな感覚の中で、デイリーノートみたいなね、毎日1日1枚のノートに書くのをデジタルから手書きに切り替えたタイミングっていうのがあって。
そういうのを手書きに戻ってきた理由みたいな感じで、ナレッジスタックにも1ヶ月、1本の中でその紹介をしました。
その後、手書き系のことでもうちょっと連載していこうみたいな考えになった時に、じゃあ次何が紹介できるかなってなった時の2回目、手書き系に変わってからの2回目が、確か読書メモフォーマット。
私がどんなふうに読書メモを取ってるかっていう手書きのフォーマットの紹介をしました。
で、3回目に、じゃあその手書き系で次どういうふうに攻めようかって考えた時に、そうだこれって書きながら考えてる。
で、その読書メモの中でも結構その言語化できてない、自分でまだうまく言語化できてないけど、いろんな技法を使ってるよなって思ったんですね。
で、じゃあそこに一個ずつなんかわかりやすい名前をつけたら、もうちょっとまとめやすいんじゃなかろうかって考えたのが、確かその2024年の10月とか11月頃かな。
で、一枚なんか手書きのメモを書いたんですね。書くことについて、手書きで今自分がやってることってどういうことなんだろう。
具体的にじゃあ例えば名前をつけるとしたら、どんな名前がつけれるんだろうみたいなことを考えながら書いた、一枚のぺらっとした手書きのメモがあってですね。
で、そのメモに書いた内容が今回のその書いて考える技術のコアっていう軸になる。
その一枚の手書きのメモが書けた時がいけるって思った瞬間ですね。
いわゆるそのコンセプトっていうようなものが見えてきた瞬間。
そうで、コンセプトプラス構造とどういうふうにまとめていくのかっていうのが見えたメモっていうのがあるので、それが書けた瞬間がいけるって思った瞬間ですね。
手書きスラッシュアナログノートに書くみたいなことのナレッジスタックの連載は大体何ヶ月ぐらい、何回ぐらいか一緒だと思いますけど、何ヶ月ぐらい続いたのかな。
書いて考える、その手書きのやつですか?
手書きのナレッジスタックは大体第何回分ぐらい溜まったんやろうかなと思って。
ナレッジスタックの記号自体は10ページ以上書いて考える話だけで10以上溜まってましたね。
1ヶ月1個としたら1年分ぐらいの。
そうです。大体それぐらいですね。
その内容が本書にも織り込められているとは思うんですけども、割合的にはどのぐらいなんでしょうかね。
割合は3分の1ですね。
今回、章立てというか1章2章3章みたいな分け方はしてないので、書いて考えるとはどういうことなのかっていう理論的な話を多分1個の塊、第1章みたいなところにいっぱい固めて書いていて、
2章のところが実際にどういうことを、どういうテクニックを使って書いて考えているのかっていうので、4つの技術っていうので、
割てる、つなぐ、強調する、囲むっていう名前を分かりやすくつけたものを4つ紹介しています。
その部分が主にナレジスタックの連載で書いていた部分ですね。
なるほど。配読させていただいたんですけども、そもそもこの1、2、3章ってつけてないのは何か理由があるんですかね。
章で入れると少なく感じるかなと思って。
この分け方で言うと、1、2、3で3章、3つしかできないんですよ、塊として。もうちょっと分けれるよと思ったら分けれるんですけど、
自分の中で1がその理論的な話で、2が実際の基本編みたいな。
3が実践編っていうので、もうちょっと具体的にこういう使い方ができるよとか、こういう書き方ができるよみたいな話のところだったんで、
大きく3つのパーツしかないから、章で番号をつけちゃうと、1章、2章、3章って3つになっちゃうから、少ないかなと思ってわざと1、2、3という番号はつけなかったですね。
ゴルゴさんも読まれたと思うんですけど、章立てありなしは何か違いますね。僕は若干現在視点が分かりにくいなと思いながら読んでたんですけど、そんな感じはありました?
ゴルゴさんはこの前ブーにしてましたよね。章じゃなくてブ立てにしてましたよね。確かゴルゴさんの本が。なるほど。
別に章ということはつかなくても、ナンバリングしてた方が読み手の現在地点の把握にはちょっと便利かなとはちょっと思って、それは脱線なんですけども。
配読してて、筆が乗っているというかドライブしているなという感じを受けたのは最初のコラム。どうしてデジタルノートからアナログノートに戻ったのかあたりからギアが乗ってきたなという感じがしてまして。
逆に言うと書くことの序盤性の部分が、どう言ったらいいかな。なくてもいいんじゃないかというのは言い過ぎですけど。説明しにくいけどちょっと読み出るときにもたつきを感じたなというのはあったんですけど、それと対比して基本編以降がすごい読みやすくて分かりやすかったんですけど。
一回書いてるからっていうところはあるのかなとちょっと思ったんですけど。
そうですね、コラムに関しては過去のアナリジスタックじゃないところで自分のiPadワーカーズとかいろんなところで書いてる原稿から持ってきてる部分が多くて。
おっしゃられてたデジタルからアナログに戻った理由みたいなのがさっき話してたきっかけになるポイントになった記事というかニュースレターの原稿を差し込んでるとか持ってきている。
そこから手書きに戻っていっぱい書くようになったよっていう話なので、熱量というか自分が一番楽しく書けてるのはああいうコラムの部分だったりはします。
そこが多分関係してるんやろうなぁとは思う。
だからそれ以降、最初のコラム以降の話っていうのがはなさんの自分の実体験とか実践と結びついて話だけど、やっぱり理論変異なんで最初の書くことの部分が。
どうしても全体的に話がちょっと抽象的になってるなという感じはちょっと受けたんですけど。
ぐるぐるさんはどうですか?振っても難しいかもしれんけど。
なるほど。わかりますわかります。
本番に初体験ですか?本に。
今までの本もコラムみたいな感じで単発に書くことはありますが、
今まで出した本、自分で出した本とか少量の本の中でも、基本的にHow toより、TipsとかHow toよりのコンテンツがほぼほぼ占めてる。
8割9割占めてるものが多かったんで、実際こういう思想的な話、理論とか思想的な話は、
あんまり書いてないというか、ほとんど書いてない、実際書いてないと思います。
なるほど。だからあんまりこなれた感じになってないのではないかという、ぐるぐるさんの推論。
寄両が足りてないかどうかは別としても、
例えば思考、考えるとか思考っていうのがこの本でどういう定義で使われているのかとか、
深く考えるとはどういうことなのかっていうことが、ちょっと深掘りされないままに先に先に言ってるなという感じがちょっと受けてしまったんで、
もちろん分かってる人には分かるでしょうけど、
思考を深めるって言われたときに、それって何なんだろうと僕は思ってしまうわけですね。
はい。
だから、ちょっとだから、なんていうかな、こう熟語が先に走ってしまって、
なんかこう、なんていうかな、体が動きが硬いみたいな印象、その対比したときに、
中盤以降の文章の動き方から見るとちょっとその序盤がなんか堅苦しい感じを受けたなというところがあったんですけど、
まあでも文章以降の話は非常に有益で、まあ有益でっていうか、
僕もどっちかっていうと春名さんタイプで、手書きをずっと続けてきた人間なんで、
ああそう、こうだなというところは思って読んだんですけど、やっぱり難しいというか、
書くっていう日本のこの言葉を使ったときにどういう印象を受けるのかというところで、
ゴリゴさんの場合はもちろんタイピング的な、もっと文章主体の書くをイメージされるというか、
経験としてもそっちの方が多いと思うんですけど、
線で引くとかっていうのは言語表現すれば書くなんですけど、
でも知的行為として見た場合、結構違いますよね、その文章を書くっていうのと図とかを使いながら書くっていうことは、
多分違うと思うんですけど、言葉として混じってしまって、
分かりにくくなっているのかなと。ある意味本章ではそういう概念を細かく分けて捉えている本なのかなとちょっと読んでて思いました。
そうなんです。その点が私の中でもずっと引っかかっているところで、
私がずっとやって、昔はビジュアルシンキングみたいな言い方をしてたんですね。
書いて考えるっていう名称でやる前は、ずっとビジュアルシンキングとか、漢字で書くなら図解とかっていう図解思考とかっていう風な言い方をしてたんですけど、
ビジュアルとか図とかっていうキーワードが入ってくると、
一気に、多分皆さんのイメージだと思うんですけど、絵が描けることにどうしてもつながってしまうっていう感覚がすごい強くて、
実際自分の場合、私が絵も描ける人なんですよね。文字だけじゃなくて絵も描くし、
実際学校自体も高校と大学と7年間ぐらいはずっと美術系のとこ行ったし、デッサンもちゃんと塾に行って習ったしっていうので、
あなたは勝てるからいいけど、みたいな言い方を直接的には言われないですけど、
そういうニュアンスが含まれていることがすごい昔から多くてですね、
あなたは描けるからいいけど、私は描けないのでできません、みたいなそういうスタンスの人がすごい多いなと思っていて、
でもそうじゃないんだよって、ビジュアルシンキングって言い方がそれしかないからそう言っているけれども、
ビジュアルって言ってたった1本の線引くだけで見え方が変わる部分があるんだよ、
手を動かすだけでいいんだよっていうのをずっと言い方を変えたりとかアプローチを変えたりとかしながら、
いろんなコンテンツ、文章であったりとかいろんなもので表現をしてきた中で、
書いて考える、つまり書くっていうことは共通というか、線を1本引くのも文字をあって書くのも書くことには変わりはないしっていうので、
で、描くの方にしちゃうとどうしても絵のビジュアルっていうか、お絵かき系のイメージが含まれてしまうので、あえて書の方の書くで書いて考える技術だよっていうことを伝えたくて、
今回このタイトルもいろいろ考えたんですよね。わかりやすく伝えるのにどう表現すればいいんだろうっていろいろ考えて、いろんな案はあったんですけど、
結局最初に持ってきてたこの書いて考え、仮題だったんですけど、仮題のままもうそのままやっぱりこの考え方でいいと思うって言って自分の中では決めて、このネーミングにして出したっていうところがあるので、
もともとはその絵が描けるとか描けないとか関係なく文字って今の日本の教育の中だったら小学校とかで字を習って漢字を習ってで鉛筆を使って紙にこう書くということ自体は大体の皆さんができること自然にも当たり前のようにできることなので、
その中でもうちょっとその意識を変えるともっともっとその書くことが楽しくなるよとか書いて、書くことで自分の考えをまとめる、可視化するとかって言ったりするんですけど、頭の中のことを書き出してこうなんか進めていくことができるよみたいなことを伝えたくってこの本にまとめたっていう経緯はあります。
なるほど。で、文字は書けるとしてですよ。で、例えば線を引くとか丸を書くとかその関係を結ぶみたいなも手先の技術としては一般人が持っているものですよね。
ただ、ゴルゴさんはどうかは知りませんけど、僕もまあ似たようなメモの取り方をするんですよね。これ映るかなポケズにこういうようなものを書くんですけど、こういうのを書いたらいいんじゃないって人に言ったとしても書けないんですよね。
それはなぜかというと浮かんでないからですね。こういうのが頭の中にその関係が図的に浮かんでいる人は当然関係を図的に表現はできるんですけど、人によってはその頭の中に思い浮かぶのが文っていう人もいるわけですね。
で、頭の中に思い浮かぶのは文の人は書き表したら文字しかならないわけですよ。だから分ける技術もちろんこれは非常に有効ですけど、その手前にどう世界を見ているのかっていう観点があると思うんですよ。
で、当然イラストを普段書いてる人は当然構図的に見るのが得意なので書きやすいと思うんですけど、例えばゴルゴさんは今日からこういうメモ書いてって言われてもちょっと苦手意識覚えません?
うん、そうね。はい。はい。はい。逆にゴルゴさんは文タイプですよね。おそらくはね。
ここがね、もちろんだからゴルゴさんもまた練習を続けているからどっかで5年、2、3年目でそういう技術が身につくってことは普通に考えられますけど、案外線を引くとかも難しい技術なんだなと僕は思うんですよね。
なので逆にただ本性で例を見て練習していくっていうことは重要だと思うんですけど、やっぱりある人が持っている知的身体的な技術とそれを書き留める技術っていうのはやっぱり結びついてるんだろうなと。
で、その夫婦のお二人が同じ書く技術でも違うことを述べているのが僕は面白いなと思ってますね。なんかある種補完的な感じすらしますけど。
そうなんです。その話で言うと、結局書いてあることって、アトミックシンキング、ゴリゴさんが書いてた本で言ってることとすごい根源というか、軸のところはまったく一緒のことを言ってるんです。
分けるっていうのも確かノート分けるもそうだし、事実と感想を分けるみたいなところとかもアトミックシンキングにもあったと思うんですけど、実際私もこの本の中で分けるためにこういう概念で分けることができるよっていう話をしてるので、
結局同じことを別のアングルから伝えてたりするのと、あと得意不得意っていうのは実際にあるのはめちゃくちゃ痛感してます。この私たち本当に対比っていうか対になってる感じで、考えるっていう話でも多分ゴリゴさんはテキストベースで本当にタイピングで文章で考える方の人です。
私は対して図とか線とかっていう空間っていうんですかね。で考える方です。で、あと見る情報を受け取る時もゴリゴさんどっちかというと耳が優位なんですね。音声とかテキスト文字を打つとかもあるんですけど、どっちかというと音声も結構優位系で、私は逆に
私は逆に音全然ダメで、色とか形なんですよ。だからその辺もお互い全然合わないよねっていうか違うよねっていう前提で普段から話をしたりとか内容の相談をしたりとかはしているので、らしたさんがおっしゃってるような、合う合わないそもそも絶対あると思います。
で、書くっていうことは万人にできることだっていう風には言ってるんですけど、必ずしもそれで書いて考える方が得意。その図的な空間的な形で書いて考える、まとめることが得意というかそっちの方が自分に合ってるっていう人もいれば文章で、だからもっとテキストで書いて考える。
これはこういう概念に近いんじゃないだろうか、みたいなことが、やっぱり頭の中で考えているときよりも、
実際に紙の上に書き出して書いていたときの方が、思いつきやすいみたいなところがすごくあって、
それがですね、面白いことに、デジタルツールで、同じようにペンで手書き系のツールを使って書いているときよりも、
アナログの紙と万年筆を使っているときの方が、筆が乗りやすいみたいな、書けることが増えるというか、書き足したりとか、図を書いたりとかっていうのがスムーズにできる感覚っていうのが、
やっぱり自分の中であって、で、その原因が何かっていうところで言うと、結局その書き心地とか、インクの色とか、
まあそういうのと、そのうまく表現はできない、これっていうことは言えないんですけど、でもそういうものが何か過去の自分の中の身体的なその動きとひも付いたりとか、
体を動かすことによってなんかギアが入るみたいなところが、デジタルツール上でやるよりもアナログでの方がやっぱり情報量が多い。
まあさっき言ってた、いろんなものを刺激を受けるで言うと、デジタルツール上でアナログっぽいものを表現したもの、手書きで書くよりも、紙とペンを使って、紙の端っこがやっぱりあって書ききれないなとか、
逆にもうスペースがすっごい空いてて、なんかここ埋めたいなみたいな、そういうものの方がこう自分の場合だと書けることが増える、書きやす、書き出しやすくなるみたいなところはあったりしますね。
iPadが勝ちます。私はタイピングが全くできないので、どちらかというと音声の方がまだマシなので、最近だとそのAIツールでボイスモードみたいな、しゃべりかけるモードあるんで、あれで対話をする方が進みやすいみたいなのはありますけど、
私個人の後藤春菜の場合はですね、タイピングがもう本当に苦手で、やりたくないぐらい嫌いなあれなんですよね。打ってますけど文字たくさん、普通の人よりも多分文字入力はたくさんしてる方だとは思うんですけど、基本的には文字入力すごい嫌いで、タッチタイピングとかもできないし、タイピングのスピードとかも多分今息子に負けるぐらい、
スピードなので遅いんですよね。出力先として文字として出した方がいろんなものに使えるとか、結局ニュースレターでやるにしろ書籍にするにしろ動画でやるにしても、結局は文字を打たないといけないので文字を打っているという感覚が強いので、
私の中ではテキストタイピング入力での入力っていうのが一番下にはきます。
この書いて考える、私の言う書いて考える技術で一番重要なところって、いかに減らして書けるかなんですよね。
少なく書くことがやっぱり難しい。最初は多分難しくて、自分の考えを書くときでも、その何かをアウトプットされているものをインプットするときに書くことでも、どこが重要になってくるのかっていう、その少なく選び取ることっていうのが結構重要で、
なんか自分自身もそういう読書メモとかを昔からずっと書いてますけど、やっぱり昔のやつを見比べてみると、今のやつと昔のやつと見比べてみると、昔のやつってやっぱ下手というか、なんとなくやっぱぼんやりしてるというか、たくさんいろんなことが書いてあって、結局何が大事なのかっていうのがちょっと分かりにくいメモになってたりするんですよ。
最近のやつは割とピシッと見たらわかるみたいな、自分自身でわかるっていう意味でもあるんですけど、多分他の人が見てもある程度は伝わるだろうなぐらいのレベルにはなんか書けるようになっていて、それはやっぱり本の中でも書いてるんですけど、
一回で手に入るものではなく、結局どれだけこう書いて、書いて書いて書いて書いて書いて書いて書くかみたいな、もう書くことでしかやっぱりその技術は得られないし、見てこういうふうに真似して書こうって真似をして書いたときは書けるんだけど、じゃあいざ自分のケースに持っていったときに、あれどうやって書けばいいのかなっていうのはなるかなと。
思うのはすごく思います。だから何を書くのかを選び取るっていうのは結局、経験によって得られるスキルのところが結構部分としては大きいので、どれだけ理論的に武装してたとしても、今までのそのやった経験にはかなわないので、そこに関して本当に日頃から書けるものを見つけて書くことが大事かなと。
思うので、一番書きやすいものとして、そういうなんか日記的な記録、日々こういうことをしたとか、こんなことを感じたみたいなことだったり、あとはその本を読む人だったら読書メモ的なものだったら、日常的に読書してるなら書くこと自体はあると思うので、おすすめはしてます。
特に読書メモの場合、本というもうすでにその構造化された結構もうまとまっている、アウトプットされたそのものがあるので、そこから例えば重要なところを引っ張ってくるっていうのも、目次から引っ張ってくればまあまあ間違いがないとか、まとめとかね、最近のやつだとそういうのもちゃんと書いてあったりとかするので、始めにとか終わりにとかまとめのところをしっかり読めば、
割とその重要なキーワードとかポイントっていうのは拾いやすくなるので、ゼロから考えるよりかは割と考えやすいのかな、引っ張ってきやすいのかなっていうので、読書メモからスタートする、読書メモの書き方っていうのも一ついいのかなっていうので、紹介をしてたりはしますね。
そうですね、悪くはないと思いますが、あまり意味はないと思ってます、個人的には。
気分的にはいい感じにできた感は得られると思います。短時間でそれっぽいものが得られるので、非常にそこは優れているとは思うんですが、
例えば、生成愛が出したものをベースに書いてみるってしたら、多分書けないと思うんですよね、自分では。でも結局そこができないと、根本的なところで意味ないなと思っていて、
自分の考えていることを形にして見えるようにして、さらに自分で考えを深めていくっていう、さっきの考えを深めていくとは何なのかみたいな、そこに入っていくんですけど、
結局それって人の力、生成愛とかを使って補助に使ってもいいと思うんですけど、結局やっていくのって自分自身なので、自分で考える、自分でそのことについて考える時間を持たないとあんまり意味ないかなと思ってます。
で、その時間っていうのが単純にそれにかけた時間ももちろんそうなんですけど、何て言うんだろうな、思考に負荷をかけるというか、うーんってこう悩んでた時間が長ければ長いほど、いつゴールにつくかわからないんですけど、掘れるパワーはどんどん溜まっていくみたいなイメージで、
で結局そこを生成愛に任せてしまうとパワーたまらないんですよね。だから、物はすごい強いんだけど持久力がないというか、なんかまあ掘り進められそうな感じはするんだけど、実際掘ったらなんかもう疲れたみたいな感じで全然掘れないみたいなところがあって、
えーと結局、今回の、その、書いて考える技術っていう、このコンテンツをつくるにおいてもたぶんその期間で言うと5年前ぐらいからずっと構想あって、こういうことをうまく伝えたい、ままとめたいみたいな、でも自分自身でも何をやったらいいのかというのももちろん見えてないし、
自分が書いていることに名前もついてないから、何が良いのか、その普段からなんかメモをすっごい取っているんだけど、このメモを取ることにどんな意味があるのかとか、そのメモを取るときのコツみたいなのってどういうことがあるんだろう、普段自分が無意識化にやっていることってどんなことなんだろうっていうのを、すごいやっぱりその期間、ずっとじゃないですけど、5年前くらいからずっと考えるようになって、
で、ぽつぽつニュースレッダーに書いてみようって思ったときは、その原稿を書いている時間はずっとそのことについてやっぱり考えていたり、振り返っていたり、自分がどういうことをしているのかっていうのをメタ的な視点でもうちょっと上から見るみたいな感じで、どんなことを自分自身はやっているんだろうかっていうのを考えていた。
で、その時間がやっぱり積もり積もって、今回その本にもまだまだ未完成な部分はあると思うんですけど、それでも自分の中でこれだったら自分以外の人にも伝わるんじゃないかっていうところまで持ってこれたんで、本っていう形にできたのかなっていうのは思ってます。
なんでしょうね、その空間、線かな、文字、文章、文章、そうですね、線だと思います。文章と対比でっていう感じでも、線って本当に単純な線なんですけど、その線を引くことで区切られるっていうか、分けるっていうことにもなりますし、
そうです、つなぐことにもなるので、やっぱり線を書く技術ですかね、それで言うと。
どっちからも攻めれるってやつね。
単純にね、こう喧嘩するんですよ。
今までね、いろいろやったことあるんですよね、一緒に書くみたいな、その共同作業で、2人で一つの電子書籍、じゃあTDPの本を作ろうみたいにやってた時もあったんですけど、めっちゃ喧嘩するんですよ。
そうですね、もう一人だから。
そうなんですよ、この書くって日本語めちゃくちゃ広すぎて、それもあってタイトルはだからすごい悩んでたんですよ、ずっと悩んでたんですけど、でもそれ以外にこれっていうのがやっぱりその時点では思いつかなくって、書いて考える技術の中につなぐとか囲むとかっていう、
名前をつけると形が見えてくるっていうのはもともと昔からずっとあったので、その名前をつけてわかりやすくパッケージングしてあげたら伝わりやすいのかなと思って、
今回はいろんな、今まで自分がやってたことに、これはこういう名前がつけそうだなっていう名前をつけていってまとめていった本になるのかなっていう、実践の部分、基本編から2部から3部にかけてはそういう形でやってますね。
なるほど、書紙情報入れてない。
今ニュースレッターの読者限定で販売しているっていう定義なので、正式なリリースでも出版、限定価格、9月1日かな、正式販売みたいな、今先行販売中みたいなイメージで。
そうですね、ちょっと趣旨情報的な発売日とかももうちょっとページの方に足しておきます。
後藤春菜。
このTTW自体は英語圏では割と有名なキーワードらしくて、ハッシュタグとかもあるんですよ、既存で。
日本ではまだ浸透してないっていう感じなんで、もともとあるんだったらそっちの方が便利なことが多いかなと思ってTTWっていう風につけてるんですけど、
これだけだと何のことか絶対分かんないんで、書いて考える技術って、何々の技術みたいな感じでずっと考えてたものがあって、
今4つ囲む技術とか繋ぐ技術とかって名前つけてるんですけど、それのバリエーションでもっといろいろ出せるよなっていうアイディアだけはたくさん今まだ中に持ってるので、
それで増やしやすいっていうか、全部テンプレではめれる何々の技術ってつければ、1個の塊として見やすくまとめやすくなるので、
っていう意味でもこの書いて考える技術っていうテクニック的な名前でつけてるんですけど、
でもテクニックだけじゃないんだよな、本の内容としてはテクニックだけじゃないんだよなっていう思いで、こういう形にはなってますね。
英語にしてそのテクニックっていうのは入ってないっていう。
そうなんですよ。
なのでちょっとネーミングというかね、より細かく私らしい、私の考える、書いて考える技術に適切な名前をつけるのを考えるのをこれからちょっとやっていこうかなと思いますね。
そうですね。案があれば、ペンで書いて考える。ペンで考える。ペンで考えるか。あ、線か。線で考える。