盆踊りとの関わり
ヒデトンです。
盆踊りに関して、町づくりの観点から、もし聴けたらいいかなと思ってまして、
あんまり期待はしていないんですけど。
専門家の意見ではない意見を聞きたくて、
名前言わないはお任せするので、
僕のポッドキャストで出るので、それを任せるのと、盆踊りとの関わり合いを教えてもらいます。
吉田です。
霜業の東エリアで地域の活動をサポートするお仕事をしています。
盆踊りとの関わりというか、地域のお祭り行事のサポートに行くことが多々ありまして、
特に人手が足りていないところにおいて、
運営をする人手が足りていないところにおいて、
若い人たちと一緒にボランティアに行く。
遊びに行っているような感覚でボランティアに行くというのをお仕事としています。
吉田さんの下でアルバイトをしています。建売士です。
建売士です。私も静枝さんがお手伝いに行っているお祭りに一緒にお手伝いに行かせてもらったりしています。
盆踊りで言ったら、菊浜楽というところで太鼓を叩き手とかさせてもらっています。よろしくお願いします。
実際に建売士さんは特に太鼓を打ったりして、
それを手伝うというか、太鼓を打ったりして、どんな感じかな?
太鼓とか全然やったことがなくて、
初めて太鼓を叩き手に紹介してくださいと言われた時に、紹介するだけかと思っていたら、
行ってみたら叩き手の中に入れられていて、これは練習するしかないとなって練習を始めたんですけど、
すごいみんなありがとうみたいなのを言ってくれるし、叩き手って手伝いに行く中でもかなり特別な立ち位置なんじゃないかなと思っていまして、
みんなに知ってもらえるし、
祭りじゃない時にフラッと祭りに行った時も叩き手やってるんですよって言ったら、
ああ、あの子かみたいな、そういう思ってもらえる存在だなと思って、すごいやれてよかったと思っています。
そんな建売士さんを見て、いいなあと思って見てるよ。
太鼓の叩き手の役割
サポートしている立場として、ざっくりとした抽象的な問いですけど。
多分日本全国もしかしたら同じような課題感は共通するところが多いと思うんですけど、
地元の行事って、地元の人たちが自分たちの生活を暮らし豊かに彩るためにやってきてたものだと思うんですよ。
ただそれがこれからとともに運営が大変になってきて、
今回の話も一度途絶えてた盆踊りを復活させたいという話で、
太鼓もない、太鼓の叩き手もいない、どうしたらいいですかねという話から始まっています。
太鼓の叩き手は建売士さんだね。
自分も含めて、あと二人一緒に音楽をやっている甲羅を連れてきてくれて、
太鼓の叩き手をやってくれているんですけど、
私の方はどっちかというと、太鼓がないところをどうするかというのを一生懸命リサーチして、
太鼓を持っているNPOさんにつないでそこで借りるという段取りがついた。
そういう意味では地域の生活を豊かにする位置上には慣れたかなと思って見ているし、
さらにそこだけじゃなくて、
太鼓の叩き手として活動していく若い甲羅が地域の方に受け入れられていく姿を3年ぐらい通して見ているので、
それはすごいやりがいがある瞬間ですよね。
そういう外から来た人たちが地域の中に溶け込んでいく姿を見るというので、
地域行事の価値
それがやりがいでやっている感じはあります。
福浜のボワンドリー叩き手さんを連れて福浜をツアーをしたんですけど、
その時にアラレ屋さんとかに行ったんですけど、
なんか叩き手やってるんですよって言ったら、
あーっていろいろ話がそこから出てきて、
その人の家のこととかめっちゃ教えてもらったりとかして、
個人的な知り合いでもないのに叩き手っていうだけで地域の一員に入れてもらっている、
私もそうだし、私が連れてきた2人の叩き手さんとして、
その人の家のこととかめっちゃ教えてもらって、
その人の家のこととかめっちゃ教えてもらって、
入れてよかったなと思いました。
入り口にして受け入れられている感がちょっとある?
あります、あります。
普通に家に入って行ったら、
自分が知っている姿を見ると、
自分が知っている姿を見ると、
自分が知っている姿を見ると、
普通に家に入って行ったら、
自分が顔を見知りの人しか、
話が広がらないじゃないですか。
けど、物取りという存在があるから、
それを介していろんな人がそれに関わっているから、
自分もそれに関わっているんだよっていうことを言うと、
遊びに来ている住民の人とかが、
あーって言ってくれる。
それが嬉しいですね。
ちなみに子供の頃とかって、
行ったりしてたことは?
地元のとこには行ってました。
踊ってた?
踊ってました。
幼稚園生の時に、
絶対行かないといけなくて、
幼稚園として行くので、
行ってました。
小学校以降は特に?
遊びに行くことはありましたけど、
屋台とか、
踊り手として踊りに行くみたいな、
そこはなかったです。
どうですか?
私はないですね、記憶に。
地元ならでしたけど、
あんまぼん踊りがあった記憶はない。
ぼん踊りの記憶で言うと、
私の父は徳島だったんで、
泡踊りを夏休みになると見に行くみたいな、
そんな経験ぐらいしかないです。
実際見てみて、
どんな感じですか?
泡踊りと圧倒的に違う。
圧倒的に違う。
泡踊りって、地域観光の資源で、
工業的にイベント的にやられているところがあるんで、
あんまりパッと見は地元の祭り感はないんですけど、
泡踊りが行われているときに、
大々的に通るルート以外のところで、
即興的に泡踊りが始まるんです。
路地の裏とかで。
そういうのを見てるとすごくいいなって、
大人になったから特に思った。
地域のぼん踊りには、
一部まだそういうところがある気はしていて、
自分たちが手作りで作っていく感じとか、
観光資源化されてない感じ。
地元の人たちが本当に踊りに来るという感じが残っている。
それはすごい、ぼん踊りの魅力だなとは思います。
それでいうと、残っている感じがするというか、
そのもののような気がする。
観光資源化、ほとんどのぼん踊りはされていないので、
それが当たり前のような。
それが当たり前。
だけれども吉田さんはそういう面を見てきたから、
逆にそこに新鮮さを感じる。
かもしれない。
見るものであったり、
観光資源化されたものとして捉えていたところがあった。
だけど、今実際に関わっているところは別にそうではない。
うん。
ですね。
そうなと思いますね。
ぼん踊りって年中見れますよね。
イベント化してやっている。
そういうものってどんどんなくなっていっている感じは受けていて、
地域の人だけが知るような催しとか、
地域の人が集まってというのはコロナ禍で一旦中止になった。
地蔵盆とかもそうかもしれないけど、
中止したり、中には再開する力なくて辞めてしまったりというものもあると思うんですよ。
そういう流れの中でそういう場があり続けているのはすごいなと思うし、
リスペクトを感じるところはあります。
あと話が変わるかもですけど、
ぼん踊りも含めて地域行事、地域のお祭り、夏祭りとかにもいろいろ行ってもらうんですけど、
もちろんそこに住む人たちの暮らしとか、
人となりが見えるという意味においてはどこも共通していていいなと思うんですけど、
もう1個いいなと思うのは立林君みたいな外の人から関わりを持つきっかけとしてすごいいいなと思う。
普段生活している人のお家にお邪魔してこんにちはとかって見ず知らずの人が行けたりするわけじゃないと思う。
でもお祭りだとそれが入るきっかけになっている感じはちょっとしていて、
地元の人たちも助けを求めているというのもあるかもしれないけど、
お祭り自体がそもそも住んでいる人を中心にその場にいる人たちに開かれているというようなイメージがあって、
そういう意味では地域のお祭りには場に来る人、いる人が誰もが関われる余地のあるものになっているという意味ではすごい価値があるなと思います。
お祭りに行ったら名前は知らないけど知り合いみたいな人いっぱい行ってきません?
名前聞いてるわけじゃないけど毎年一緒に矢倉立ててるなみたいな。
それで会ったらこんにちはみたいな挨拶するけど名前とかは知らないみたいな。
矢倉立くんちょっと面白かったの。
菊浜の盆踊りが変わるようになって、大学が東山の方の大学だったので、
京都駅の方に来るときにその地域を通って行くと、
祭りの時の子やなと言って声かけてもらえるんだと言って。
それすごい話やなと思って。
川の掃除とかもたまに行かせてもらったりしてたんですけど、
その時もあの子やなみたいな感じで言ってもらったりとか、
あと私が連れてきた二人のことも地域の人に話すときに
いつも一緒に叩いてる女の子なんですけどって言ったら、
ああ、あの子ねとか。
あとその友達の方に今から一緒に食べに行く場です。
その地域の人がいるんだけどっていうときに説明するときに
外見の特徴を言ったらだいたい伝わってくれる。
だからその名前も知らない知ってる人みたいなのがいっぱいできるっていうのが
すごい私はいいと思ってます。
学生さんの中でもほんまに家と大学の行き来だけみたいな学生さんもいると思うんですよ。
京都は大学の町でいろんな地域から京都の大学に通う子っていると思うんですけど、
その中で京都に自分の友達とか家族親戚以外の知り合いの大人がいる、
親戚のおっちゃんみたいな人たちがいっぱいいる人って
割と少ないかもしれない。
でもお祭りに行くとそういう人たちが増える。
で、その彼らの学生生活ももしかしたらそれでちょっと豊かになったりするんじゃないかなって感じることがあるんで、
やっぱそれが祭りの魅力かな。
地域の祭りの魅力
盆踊りも含めた地域の夏の祭りとか地域行事の魅力かなと思います。
めっちゃ真面目に話しそう。
確かに。地元の祭りが基本だけど、それを接点にして、
他の地域からの人も自然と合流しやすいというか、
普段はなかなか壁があって行けないところでも、
祭りっていう受け皿があることでそこで一緒になりやすいっていうのは確かに今話聞いていて思いますね。
盆踊りで言うと特徴的なのはあれかもしれない。
一緒に踊るとか、ボランティアの子であれば一緒にヤグラ立てるとか、
そういう体を動かすことを地元の人と一緒に分かち合うみたいなのは結構大きいのかもしれない。
確かに。
盆踊りって絶妙に難しいじゃないですか。
一回見ただけじゃよく分からないから、分からないからこそ後ろの人が
分かんないですねとか言ってくれたりとか、前の人にぶつかりそうになって
すいません、私全然まだ覚えてなくてみたいな言ったら、それで盛り上がれるっていう
分かんないよねっていうのが共通してるから、
それで思いは一緒なんで仲良くなれるっていうのも盆踊りの特徴かもしれないですね。
練習会とか行った時、それはよく思いました。
体を動かしてやるっていうのはいいかもしれない。
いいというか、接点として、
単にグループディスカッションをしている以上の繋がりが生まれやすい装置というか、かもしれないですね。
あと余白があります。
さっきのタテバイさんの分からなさとかもそうなんだけど、
完全にこれをやってあれをやってっていうのが構築されたものではなくて、
分からないから誰かに聞くとか、
ちょっとその合間に夜店のところに買い物行って、そこで売り子さんと喋るとか、
そういう余白があるのがいいですね。
難しすぎないし、簡単すぎない。
間違えてもいいし、っていう意味で余白だらけとも言える。
寝室とかだったら、あんまり間違えちゃいけなかった。
やるべきことが時間とともに決まっているみたいな話ではない。
そういう余白が多いのは特徴かもしれない。
休憩してもいいしね。
現代の踊りと文化の更新
踊らなくてもいいし。
どうなのかな。
HIDEGOFからすると松剣三馬とかかかるじゃないですか。
ジャンボリミッキー。
あんなのはどう捉えてるんですか。
もうあれが今の現代の踊りの一部なんで、そんなに何も感じない。
ただ京都で言うと合室音頭がメインで、
ジャンボリミッキーとか松剣三馬は踊る土壌がないんで、
ちょっと難しいかな。
だからそこで離脱されると悲しいなぐらい。
別に伝統的な踊り方だけやっているところは今ほとんどないし、
あるとしたら商業化されたものかな。
ジャンボリミッキーとかってかかったりするじゃないですか。
地元の方々はそれでも踊ってますけど、
子供たちが勝手に走り回るようになったりするじゃないですか。
あれはいいなと思ってるんで。
それが目的なんですね。
それを取り入れて回して入るというのは、
そういう人たちをアップデートしていってるんやなというのを感じます。
さすがに合室音頭だけだと親も知らない、子供も知らないってなると
関わりしろがあんまりないんですけど。
ジャンボリミッキーなり松原三本なりを取り入れていってるっていうのは
地域の方々の努力やなって思います。
いろんな地域でそういうものができたらいいかなっていう、
そこに種があればできるだけやってもらったほうが
豊かになり得るかなっていうので、
そういうふうにちょいちょいいろんなところに顔を出してやってるので、
ここでも種があるんだったら、
なければないで別にいいっていう、僕はドライなところもあるので。
別に無理してやる必要はないんで。
あんまりイベント化して箱だけ用意して、
みんなご自由にっていうよりかは
その人たちが本当にやりたいって思って
ちょっとずつ小さくてもいいからっていうほうが
僕は興味があるかなと。
イベント化してやるのは、そりゃそりゃで
思われがある人というか、お金があったり
保存会と踊りの継承
そこの地域活性化という名の何かをした人たち。
そういう人たちのツールとしても別に使ってもらうのはいいんだけど
それだけじゃないよね。あんまりそっちのほうが行き過ぎると
単なる普通の一般の人にとっても
イベントとしてしか見られない。
なっちゃうのは悲しいかなっていうふうに思うので。
確かに。
そういう形外化した、行事的に形外化したものって
たくさんあると思うんですけど
関わるんだったら、そうじゃないもののほうがいいですよね。
今、戻りはそういう流れもできつつあるんで。
変化を活かしてないからこそ
ジャンボリーミッキーとかが入ってくるわけじゃないですか。
住んでる人に合わせてどんどん変化しちゃうっていう。
昔も多分そういう流れはあったと思うんですけど
あんまり残ってないですよね。
合宿とかしかあんまり知らない。
他の地域で昔のそういう変化によって生まれた
残ってる曲とかないんですか?
合宿音の自体がそういう工夫で生まれた
その地域で踊られた昔ながらの踊り
踊りじゃ面白くないよねっていうので
ノリがいい。
今も踊り続けられている。
合宿音がまさにそれだった。
昔ながらの踊りは淘汰されていたり
保存会とか。
それはもうどんどんループ。
その合宿音が古くなっていく。
そういうものになりつつあるのかもしれない。
保存会とかっていうのは
そういう意味ではちょっと難しい立ち位置ですよね。
何を保存していこうとしているかっていうのが
ちょっと私には覚えなくなることがある。
ちょっと話が別になるけど
伝統産業とかの領域も
同じように担い手不足とか
現代のニーズに合わないということで
担い手不足がすごい騒がれている。
あれって保存
これを伝統工芸として認定しましょうと
それを保存、継承していかないといけません。
みたいなのがどこかで定められたときに
そのやり方しかできなくなるというか
それが行き過ぎてしまうと
保護は受けられるけども
関わりしろがむちゃくちゃ狭くなって
結局誰も関われなくなって
それは盆踊りももしかしたら
そういう道だってあったかもしれないけど
ただ盆踊りはそうじゃなくて
まだ関わりしろが開かれている
踊り方も楽しみ方も
まだ多様だという意味においては
伝統工芸の世界と
一線を隠しているかもしれないなと
いい残され方をされているように
パッと見は見える
伊手堂みたいに盆踊り業界に
どっぷり使っていない意味としては
盆踊りに限って言うと
昔ながらの踊りで
保存会という形式を取らないと
そもそも消滅していた可能性がかなり高いので
それは保存会はあって
盆踊りに限って言うとあって良かったな
なかったら多分消滅している可能性がかなり高い
伝統工芸だったり
商店街とかも含めると
それって成り沸いてない
成り沸いていなくて
年に1回やったりするだけのものなので
消滅可能性はかなり高いかな
確かに
必要とされている度合いが全然違うね
成り沸いだったら生きていくために
必要としている人が
切実に必要としている人がいる
保存会がなかったら
成り沸いていないかもしれないことだけど
それは踊り方が残らないだけで
私の地元の方は全然ゴーストとかやっていなくて
やってるけど
メインはその踊りじゃなくて
独自の別の音源の踊りがあって
盆踊りって回って踊るみたいな
ところしか見ていないだけかもしれないけど
その形式だけは
生きている気が
やっぱり保存会がないと
ダメだったものなんですか
保存会がないと
どんどん変化していくから
でも地域のものとして
残していきたいという思いがある
京都市でいうと
そういう保存会があって
ある程度の市から
助成金だったりが降りて
内輪だったり
浴衣だったり
活動資金をある程度
もらえると
それがあるから
残していける
っていうのは
あるね
踊れれば何でもいいっていうのは
もちろんあるんだけど
昔ながらのこのエリアの踊りを愛して
残したい
ただ思いだけだと
どうにもならないんで
保存会っていう形式をとって
いると
そんな感じかな
昔から
人が集まって
火を囲んで踊るみたいなのって
それこそ太古の昔
文明があるかないかぐらいのところから
多分やってることだと思うんです
その形自体は残っている
今でも
踊りたいという欲求自体は
今の形に残っていて
保存会というものが
あることで
踊りたい欲求を
ちゃんと
叶えてあげられる場が
持ち続けられている
っていうのが
大事なことなのかもしれない
だから
踊りたい欲求を
ちゃんと
踊りたい欲求を
ちゃんと
叶えてあげられる
っていうのが
大事なことなのかもしれない
例えば
伝統工芸の領域
ままも
そうかもしれないけど
じゃあ
古しぬりの茶碗を
使い続けたい欲求が
あるかっていうことと
踊り続けたい欲求が
あるかって言われると
器のほうも
もちろんそういう欲求が
ある人はいると思うけど
もしかしたら
古しぬりじゃなくても
いいかもしれない
買いに行かなきゃ
盆踊りの根源的な意義
遅くない
根源的なところで言うと
熱いお湯状の液体を
入れるものがあれば
それでいい
根源的なところでは
ないのかもしれない
同じように
伝統工芸の領域によると
保存する動きがある
と思うんですけど
根源だからこそ
保存しているものとは
また別の形があるんじゃないですか
確かに
ハワイでも
お戻り行ったららしいですよ
日系の人が行って
ブラジルでもあるし
しかもなんか結構
パーティーな感じで
いいやんか
だから根源だからじゃないですか
そういう意味で
そういう意味で言うと
ここでやろうとしていることも
形式とか
保存じゃなくて
その欲求を満たしたい
根源的な欲求を
満たしたい
っていうところで
やっていると思うので
別に形式は何でもいい
そうですけど
そういう根源的な欲求を
満たせる
モードで復活させたら
いいんじゃない
太鼓やめて火にしますか
好きそうだけどな
キャンプファイヤーみたいなやつで
やったらすげー盛り上がりそう
真ん中で焼けるみたいな
地域社会のつながり
矢倉じゃなくて
実は輪の真ん中にあるのが
キャンプファイヤーが
いいかもしれない
太鼓やったらさ
本当
原始の
プリミティブな
みんな脱ぎ出すみたい
うちらじゃなくて
みんな棒とか持って
衣装とかも変わってくる
変わってきますね
衣装なんかいらないみたい
そのままでいと
でもそういうもんだよな
本来というか根源的には
そういう意味では
何が必要なんでしょうね
盲乗りというか
そういう根源的な
踊りの場には
何があったら足りるんだろうね
音楽、リズムと
音楽ってあれば
なんでもいいんじゃない
リズムで
なんか
それは根源的なものだと思うし
体を動かして
リズムと温かい日があれば
日もいいかもしれない
温かい
あとやっぱり夜開催になるもんね
確かに
どうなんだろうね
夜っていうのはマストなんだろうな
昔の人も夜になると踊るんだろうな
でも昼間は
狩りに行って
みんな集まってきて
昼間は労働してるから
労働
じゃあ夜っていうのは確実だ
いくら晴れの人は家
日中はなんかやってる
もしくは準備だな
確かに確かに
あと人によってはお酒とかも
なんか食べってやってそうじゃないですか
食べ物
みんな夜ご飯の時に
火を囲んで
してたんじゃないかとか
いいですね
本能的な欲望を
より刺激的
そっちの方向に行っちゃうかも
あとだからそこにあるのが
社会
連帯感
どこまでいても人間の
社会的な生き物だと考える
繋がり
一人じゃない
みんなで
集団なら
ある程度
そこになんか
参加した人たちが
よくも悪くも共同体的な
団体になると考えると
みんなが集まるということが
すごい大事
いい話やな
確かに
こんな話になると思うから
本面的なところが
この人初心者すぎますね
初心者の話
でもそれこそ
なぜ盆踊りするか
言ってたけど
やっぱそれじゃん
本能的には
そういうものを求める
ちょっと忘れがちだけど
じゃあ何踊ろうとか
イヤグラ立てようとか
それは真ん中じゃなくて
外周のものであって
本源的には
それがあるっていうのは
僕も初めて
この話をしてて
気づいたっていう
本源的なところから
突き詰めていったら
どういう形になるんだって
本当に
どうせなんか無くなってるところに
もう一回それを復活させようと思う
その根源的なところから
突き詰めてみたい気がする
その現代版が
フェスとかじゃないですか
屋外フェスとか
それは多様なあり方があって
ゲームの人もいるかもしれない
ゲームはちょっと分かんないけど
フェスもそういう意味では
そこに商業化の流れも入って
経済
経済分析
を求められる中で
宣戦してきてるんだろうなと思います
何万人も集めて
お金集めて
お金集めて
有名アーティストを呼んで
それはその一つのあり方というか
ボンドリは
住んでる町の公園であったり
ローカルの人たちが集まって
老若男女
そこまで多国化された人たち
ではない人たちが
集まってるはず
敷居の低いフェスというか
今ですね
いい話だった
ここでもそれを復活できるように
本源できるような
問題よく
睡眠は無理じゃないですか
住まいってでも
やっぱ温かくなった
睡眠できない人もいるんだよ
確かに
昔の人だってちょっと腹減っても
早く寝た人は食べそう
三大欲求って何だっけ
食欲と性欲と睡眠欲だから
三大欲求って何のことだろうな
思ってたのと違うかも
違うかも
違うんじゃないかなと思ったけど
あれ?住まいって何だっけ
それは飲食中だよ
昼物か
全然限定
やっぱ無しで
そんなオチがついた感じで
ありがとうございます
ありがとうございました