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後編_まみまみさんの地元、四日市での盆踊りの思い出。
2026-09-16 12:54

後編_まみまみさんの地元、四日市での盆踊りの思い出。

三重県の四日市で育ったまみまみさん。小学生の頃から町内盆踊りに親しみ、山口百恵の歌謡曲や『ジンギスカン』『タッチ』などで踊っていた。子どもたちは振り付けを大胆に崩し、とにかく走り回る。中高生になる頃には、きらびやかな半被をそろえる文化も登場。盆踊りは若者たちの自己表現の場でもあった。今年、久しぶりに故郷で踊り、独特のステップに自分の原点を再発見した。

止まったら負け。ずっと動き続けていたい

現在の青年団の踊りにも、昭和から続く自由な盆踊りの精神が活きているのかも。

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後半は、ぜひちょっとまみまみさんの盆踊りの話というか、
今年、なんと4鉄に、東京から参加したっていうので、
しかも、実は四日市がホームというか、
あ、そうです。18まで四日市で育ってます。
その、18まで盆踊りは、四日市にされてたんですか?
あ、そうですね。あの、
まあ、町内盆踊りなんですけど、
あの、小学校、低学年ぐらいから、あの、近所の農協の駐車場でやってました。
なんか、四日市って、実際には、あの、盆踊りには参加したことないんですけど、
まあ、青年団だったり、結構崩したやつとか、
きらびやかなハッピー着てる動画を見たりするんですけど、
盆踊りっていうのは、昔から盛んだったんですか?
なんだろう、結構、そうですね、全然、あの、
普通に踊り始めたのは、あの、町内の盆踊りで、
矢倉くんみたいな太鼓が上にいて、近所の上手な子が叩いて、
で、公民館で日本舞踊を教えてる先生がリードを取って、
で、そこで習ってる小学生の子らが、ソロに浴衣で踊って、みたいな感じで、
そういう感じでの盆踊りでしたけど、はい。
でも、なんかね、もう全然、小学校3年、あの、結構むっちゃ踊ってました、子供たちも、はい。
へー。
そうですね、だから、もう、小学校の時に、あの、
イミテーションゴールドとか、夏開く青春とか、そういう歌謡曲で踊るのが始まって、
誰が歌ってるんですか、その2曲って。
山口も、山口桃江。
あー、2曲とも?
そう、2曲とも。
それで踊ったんですか?
そう、全然踊ってた。
たぶん、あの、不良のお兄ちゃんとか、ヤンキーのお兄ちゃんとか、そういうちょっとやんちゃな子らが、
あの、やっぱり、青年団じゃないけど、やり始めたのかなっていう感じがあるんですけど、
うん。だから、夏開く青春は、あの、ジェンカで踊って、
うん。
で、イミテーションゴールドは、あの、川町音頭、あの、亀立で踊ってるんです。
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で、そのうちにタッチとかジンギスカンとかが出て、
うん。
っていう感じで、でもそれまでは、あの、なんていうのか、
普通に、あの、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんと一緒に踊るような盆踊りでも、全然踊ってて、
うん。
で、その頃から、なんか盆踊りじゃないですけど、あの、
あの、踊りが好きで、あの、仕事終わってから車で流してて、で、盆踊りの音が聞こえると、ちょっと参加するっていうお兄さんがいてて、
うん。
うん。でも、その時代やから、あの子どこの子や、あの子どこの子やって感じで、
うん。
あの、聞いて、したら、まあそういう感じで、仕事終わってから盆踊り好きなんで、流してるんです、みたいな、流して参加してるんです、みたいな、お兄さんがいてて、
うん。
だから、おお、そうかと思って、子供だけじゃなくて、盆踊り大人でも好きなんやな、とか思って、
ああ、その当時は、
うん。
まあ、子供が踊るみたいな感じだったと。
そうね、まあ、子供だから、で、子供がいっぱい踊ってるから、そういう感じだし、大人で、大人でそんなね、あの、だいたいもう、自分の町内以外に参加するっていう意識がやっぱり子供ってないじゃないですか、
うん。
うん。で、そういう感じで、ああ、踊り好きで、そんな回ってる人いるんや、とか思って、
うん。
で、またあの、出しゃばりの子供だったから、そのお兄さんね、ね、あたし日の国太鼓と尾満田林が好きな、他のどこでもそんな踊るの、とか聞いたら、
うん。
日の国太鼓は、あの、うん、いろんなとこで踊ってるけど、尾満田林はやってるとこも少ないね、とか言われて、
うん。
ああ、場所によって背取りが違うんだっていう。
あははは。
そういうことにして。
うん。
うん。でもまあ、うん、そんな感じで、でもあたしはもう、うん、町内のがメインで、ちょっとね、あの、
あの、人によっては他の町内とかに、友達の町内とかに踊りに行ったりとかしてる子もいましたけど、
うん。
大体そんな感じで、で、うん、そのうちに、まあでも、あの、すんごい崩、どんどん、あの、崩して踊ってましたね、当時から、はい。
それっていうのは、その周りのみんなもそんな感じだから。
そんな、そんな感じで、もう、あの、で、やっぱり子供だから、あの、その、かわち音頭とか、やっぱりかわち音頭で踊るイミテーションゴールドとか、
うん。
もう、走れるのが大好きなんですよ。
ああ。
だから、どんだけ走れるか、どんだけ速くいけるか、みたいな。
確かに。
そんなぼんどりしてましたね、やっぱり。
子供たち好きですよね、走るの。
そう、そう、そう、もう、そんな感じで。
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ただ走るだけみたいな。
そう、で、またね、あの、その、昭和の時代だからか知らないですけど、あの、きちんと踊るのがちょっと恥ずかしいとか、かっこ悪いとか、
うんうん。
思ってたから、もう、どんどん手の動きは崩していってっていう感じで、踊ってましたね、うん。
そんな感じで、ね、ジンギスカン踊るようになって、目指せマスクは踊るようになって、タッチとかも踊るようになって、
うん。
っていう感じで、で、私が高校生、中学生、高校ぐらいの時に、
うん。
青年団なんか知らんけど、ハッピー揃い出すようになって、
あははははは。
うん、そう、あの、ま、なんか、うん、そういう、たぶん、あれはなんなんかな、四日市祭りかなんかの時に、
諏訪神社かなんかで踊るときだと、あの、自分の地区以外の踊り子さんとかが見れるような場がたぶんあったと思うんで、そういうとこで見たと思うんですけど、
うん。
なんかハッピー揃いとる時代とかかっこいいな、みたいな感じで、
うん。
で、たぶんその当時って、あの、ほんとに、ま、あの不良文化の時代だし、
うん。
あの、あれなんだっけ、あの、アイドルのCATとかも全部ハッピー揃いつった時期やから、
へー。
うん、そういう感じで、あの、ハッピー揃い出したんかなって思ってるんですけど、あの、学乱とかも長乱とかが早くなって、
うん、反乱とかありますね。
そうそう、だから、ま、刺繍したりとかの竹中買ったりとか、
うん。
そういう感じなんで、ほんとに、あの、うん、みこしとか激しい祭りの文化はないけど、うん、あの、踊りで発散じゃないけど、みんなが踊ってるみたいな感じだったんかなと思いますし、
うん。
あの、遊び場がないんですよ、
うん。
あの、ディスコとかクラブとかもないし、
うんうん。
うん。
ライブハウスとかもないし、
うん。
なんか、そういう店ができてもすぐ潰れちゃうから、
うん。
みんな絡んで。
うん。だから、そう、ま、だから、あの、ね、この間久しぶりにお手ついて、あーとか思って、あの、やっぱステップ踏むから、
うん。
やっぱ、そういう、そういう時代のそういうディスコダンスじゃないけど、そういうのも混じってるのかなとか思いますし、あの、ボックスステップみたいな、
うん。
で、うちらが高校の時もあの、悲しくてジェラシーチェッカーズのなんかをやっぱりそういうボックスステップなんかも交えた振り付けで踊ったりもしてたんで、
うん。
うん。やっぱそういう感じの文化かなとは思いますけど、はい。
ね、なんか、よっかいちとか、
すごい独特のステップというか、
そうそうそうそう。
棒踊りとあんま関係ない踊りになってる。
そうそうそうそう。
笑
笑
初めに四手ついて、
あの、踊ってみたらやっぱり体が覚えてるのもあったし、
で、あの、覚えてない振り付けとかでもやっぱり、あの、足の振り付けから真似するっていう、
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うん。
手とかはもう全然もうどうでもいいから、
うん。
まず足の動きを真似して覚えなきゃみたいな、そういう意識に戻りましたから、
うん。
笑
うん、やっぱそっちがメインなんかなってやっぱ思いましたね。
なんか、うん、こっちの関東の友達に、
あの、ね、そういうふうに、あの、足が、足の動きがどうのと言われてたけど、
ああ、確かにそうだなって、うん、思いました。
笑
うん、言われてみて、実際に、うん、久しぶりに踊ってみて、
うん、確かにそうだなって思って、はい。
自分が、
はい。
えー、四日市を離れる前までの踊りの、な、何かしらのその原点みたいのは同じ?
ああ、そう、そうですね、ああ、やっぱり、うん。
うん。
あの、今の、うん、今の、あの、青年団の子ら、あんなに私は激しくは踊れないけど、
うん。
でもやっぱり、あの、うん、止まったら負けみたいなところが、うん。
笑
動き続けるってこと?
そう、あの、やっぱり、あの、うん、止まったら、止まるのが嫌なんですよ。
笑
そうそうそう。
うん、ずっと、やっぱ、うん、走り続けてたし、ステップが踏み続けてたりなっていう感覚で、やっぱり、昔踊ってたし、
うん。
あの、今回、青年団の人とか見てもやっぱり動き続ける人が結構いたんで、
うん。
ああ、やっぱそうなんかなと思って、はい。
その、18になるまでは、
はい。
結構、ずっと参加してた感じなんですか、踊りに。
あ、もちろん、ずっと参加してましたね、はい。
うーん。
で、まあ、別に青年団じゃないんですけど、仲間うちでハッピー揃えたりとかしてたり。
うん。
あ、してたんですか。笑
してたんですか、まあ、あの、どっちかって言ったら、オタク系だったんですよ、私。
ほうほうほう。
で、まあ、あの、で、で、自分は全然童人誌とか作らないんですけど、
うん。
あの、童人誌作ったり、あの、童人誌即売会を、あの、主催する子たちが友達だったんですよ、私。
うん。
うん。で、だからもう、そこのイベントの施設だったり、イベントの企画とかで、
あの、アニソン棒取りじゃないですけど、あの、やっぱりおかえりだから最後は棒取りで締めようみたいな感じで、
へー。
アニソン棒取りの始めたいなのをやったりとかしてて、はい。
童人誌からやってたんですか、そういうのは。
やってました。
すご。
あの、あの、タッチ、タッチがあるじゃないですか。
はい、ありますね。
うん。あれ、もともとの振り付けが花傘太鼓なんですけど、
ほうほうほう。
うん。で、花傘太鼓ってヨンビヨスの曲に全部乗るんですよ。
ほうほう。
うん。ヨンビヨスの曲は全部花傘太鼓で踊れるし、ちょっと速い曲はあの、カバチオンと豆菓子で踊れるから、
うん。
なんかそれでね、踊ったり、好きなアニソンかけて踊っちゃえばええやみたいな感じでやってました。
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へー。
ああ、うん。うん、そんな昭和の時代ですけど、はい。
いや、やっぱ盛んだったんですね。その、当て振りでもなんでもいいから。
そう。
そう、そうですね。
やって。
うん。だから高校の時とかは、だからその仲間たちを家の町内ポンドに呼んで、
また町内婦人家のおばさんに、あの子らダメだ、あの子ダメだ、まみちゃんの友達だ、みたいな感じで言われたりしながら、
うん。
みんなで踊ってましたね。
二十歳、二十歳、うん、そうですね、うん。
あの、新学校でちょっと、あの、大阪に出たからも、そういうイベントの時とかもやって踊ってたんで、
二十歳ぐらいまでは踊ってました、踊ってましたね。はい。
うーん。それがまみまみさんの原点というか。
そんな感じです。はい。
はい。
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