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2026-02-10 17:16

距離のこと

距離はいつから、ただの長さになったのだろう。

歩くこと、疲れること、ひと息つくこと。

昔の人が身体で感じていた距離の話は、いつのまにか、僕たち自身の暮らしの話へとつながっていく。

定規では測れない感覚を、そっと拾い集めるような時間。

耳を澄ませて、少し遠回りをしてみたくなるそんなおはなし。

サマリー

このエピソードでは、距離の概念の変遷を探討しており、特に飛鳥時代から現代までの距離の測定方法や基準の変化が紹介されています。また、距離を長さだけでなく歩く労力として捉える感覚や、メートル法への移行についても論じられています。

距離の概念の変遷
こんばんは。ひとりごとの時間です。 今夜は、距離について話そうと思います。
今の僕たちは、距離と聞くとまず長さのことを思い浮かべますよね。 何メートル、何キロメートルといった具合に、
長さとして把握するのがごく自然になっています。 そもそも単位というのは、
あるものを一定の基準で把握するための仕組みだと思うんですけど、 今の僕たちにとって距離と結びついている基準って物理的な長さですよね。
一方で、かつては距離が長さとは少し違うものと結びついていた、 なんていう時代もあったと考えられるんです。
飛鳥時代の頃まで遡ることになるんですけど、 距離は歩数で表されていたと言われています。
およそ60歩を1丁。 いくつかの街をまとめて1里とする。そういった体系です。
どれだけ歩くかという歩数間隔や、歩幅間隔、 こういったもので距離を捉えていたんだと思います。
こうした考え方は、 距離を体の身体の間隔と結びつけていたという点で、
今の感覚よりもずいぶん実感に近かったんじゃないでしょうか。 ただ時代が進むにつれて、その基準に違和感を覚える場面も増えていったようです。
例えば、「明日の目的地は10里先だ。」と言われた時に、 その道が険しい山道なのか、街の中の平らな道なのかによって、
移動にかかる時間や負担が大きく変わってくるんです。 同じ10里でもその中身は同じとは言えない。
そうした感覚が少しずつズレとして共有されていったのかもしれません。
当時の人々にとって、距離を単なる長さとして扱うことは必ずしも使いやすいものではなかったようです。
実際に歩いてみると、数字通りには進まないじゃないかってことが多かったからです。 そこで当時の人たちは、距離を長さではなく、どれくらい大変なのかという労力で捉えるようになったと言われています。
現代の単位で例えるなら、 距離を消費カロリーで考えるような感覚に近いのかもしれません。
こうした距離を長さではなく労力として捉える感覚というのは、 実は今も僕たちの身近なところで見受けられたりするんですよね。
あの、例えば不動産屋さんの物件表記ですね。窓ガラスなんかに貼られているような。 駅から240メートルなんて書かれるよりも、
駅から徒歩3分と書かれる方をよく目にすると思います。 徒歩3分という表現は厳密な単位ではないと思うんですけど、
距離を長さではなく移動にかかる時間や手間として伝えてるんですよね。 読む側も、その方が暮らしの感覚に近いなんて感じられるんだと思います。
昔の人たちは、ここからここまで歩いたら一休みしたくなるよね。 そのくらいを一理と考えていたと言われています。
だから、平坦な道では一理は長くなり、険しい山道では短くなる。 それでも、どちらも同じくらいしんどいんだという点では納得できる距離として受け取られていたようです。
場所によっては、一理塚の感覚がバラバラだった背景にはそうした考え方もあったと言われています。
とはいえ、ここまで話してきたのはあくまで暮らしの中で使われてきた 一理の感覚についてなんですよね。
一里の基準と労力の感覚
ここでもう一つ、別の距離の考え方が出てきます。 小一理、第一理と呼ばれる長さを基準にした距離です。
これらは、歩く大変さというものではなく、純粋に長さを基準にした距離だとされています。
土地の検知だとか、公的書類など、 正確さが求められる場面で使われていたようなんですね。
やがて時代が流れ、戦国時代が終わります。 徳川家康はそれまで曖昧だった距離の扱いを整理しようとしたとも言われていて、
その結果として行われたのが、いわゆる慶長の一律化の整備でした。 家康はあの60歩を1丁とする古くからの基準そのものは維持しつつ、
一理の区切り方を見直そうとします。 それまで幅のあった一理の長さをおよそ36丁とする形で全国的に揃えたんです。
結果として一理はおよそ2000歩余りという長さを基準にした距離として定義される ことになったんですけど、
これに伴って労力を基準としていたために場所ごとに異なって設置されていた一律化は姿を消し、
一定の間隔ごとに新しい一律化が築かれていきました。 ちなみにあの少し余談になるんですけど、
昔の一歩と今の一歩って考え方が違っていたと言われているんです。 今のあの一歩は片足を前に出した状態、
この状態を言うと思うんですけど、 昔は右足左足と出してひとまとまりで一歩と考えられていました。
そのためあの当時の歩数を今の間隔で換算すると倍近くになったりする場合もあったようです。
こうして長さを基準にした一律化が整えられていく中で見た目にも区別をつける工夫がなされました。
それまであの目印として使われていた松の木をやめて、新しい一律化には榎の木の木を植えたと伝えられています。
労力を基準とした従来の束と区別する意図があったのだろうと思います。 それでもあの長い間人々の中に根付いてきた距離を労力として捉える感覚、
そういったものは簡単には拭えなかったようです。 そこで険しい道では一里の間隔を通常より短くするといった例外が設けられることになります。
基本はあくまで長さの基準を守りつつ、 道のきつさに応じて調整を加えることで実感とのズレを小さくしようとしたという見立てです。
厳格なルールを整えながらも、最後はそこを歩く人々のことを考えて定規を少し曲げた、それは家康なりの配慮だったのかもしれません。
メートル法の導入と基準の変化
向こう下の例外的な一律化にはちゃんと名前もついていました。 延塚と呼ばれています。
この延塚の存在によって距離の中に含まれていた労力の感覚、そういったものは過労時で残されていくことになります。
そうしてさらに時代は流れ、明治維新を迎えると距離の考え方は大きく変わっていくこととなります。
まず最初に見直されたのは、例外として残されてきた延塚の扱いでした。
それに加えて、距離の基準として使われてきた人の歩幅という不確かなものが見直され、
それに代わるものとして金属で作られた尺が用意されました。 距離は次第に人の体から離れ、ものとして測られるものになっていくんです。
そうしてこういった流れは、やがてフランスから伝わるメートル法へと飲み込まれていきます。
その一方で、距離とは別に寸法という考え方もまた長さの世界で使われ続けてきました。
建築、織物、裁縫、
タバタの測量、武器や家具、工芸品の設計に至るまで、寸法は暮らしの様々な場面を支えてくるんですけど、
距離というものが長い間歩幅という曖昧な基準を持っていたのに対して、
寸法の世界では、飛鳥時代の頃からすでに尺が使われていたと言われています。
これは寸法の歴史が大陸から伝わった尺度を元に始まっているためだそうです。
ただ、この尺という単位も、もともと大陸側では人間の体を基準にしたりして始まったそうなんです。
親指の幅だったり、指を広げた時の幅だったり、
身近な身体感覚がその出発点だったと考えられているんですね。
遥か昔から日本で使われてきた距離と寸法、この2つは異なる道を歩んできたんですけど、
長い時間をかけて尺の下にまとめられます。 さらにはメートル法へと引き継がれていって、
そうして今では全く同じ長さという体形の中で扱われることになります。
その始まりをたどると、基準になっていたのはもともと自分自身の親指でした。
ただ、指の大きさは人それぞれ違いますし、そこで人はより差の少ないものとして豆粒に目を向けたのだと言われています。
きびの粒をいくつか並べた長さを一寸とする。 そんな決め方がされたとも伝えられています。
指よりも豆の方が安定している、そう考えられたんだと思います。 それでも豆は自然のものです。
豊作の年もあれば当然不作の年だってありますし、 育つ土地や季節によっては大きさは変わってしまいます。
結局、豆もまた不確かな基準でしかなかったんですね。
より確かなものへ。 より誰にとっても同じになるものへ。
そうした流れの中で基準は金属の棒へと移り、 最終的には光の速さという宇宙の物理法則にまでたどり着きました。
この話は小学校で僕たちが習った速さと時間と距離の関係にもつながっていきます。
距離は速さに時間をかけたもの。 あのよく知られた端木の公式です。
かつては自分の歩幅という曖昧なものを基準にしていた距離が、 今では光の速さを用いて定義されています。
端木の歴史とは、 距離という式のイコールの先に何を置くべきか、
これを探し続けてきた長い時間の積み重ねだったのかもしれないですね。 それではのここで一曲、坂道。
肩を落として歩いた日も
スキップしながら下った日も
何度もして靴
笑いとの隙間のネジ
顔して揺れ続け
明日を自分と繋げ
そうそう、余談になるんですけど、 重さという単位にも非常によく似た歴史があるんですよ。
はるか昔、重さの基準は人握りや人つかみといった感覚的なものだったんですね。
やがてそれは豆粒の数に置き換えられたり、 さらにはゼニーへと移っていきます。
ゼニーは通貨であると同時に重さを測る基準でもあったんです。 カンやモンメといった単位はそこから生まれたものなんですけど、
この重さの単位もまたしても明治維新後、 キログラムへと統合されていきました。
では、このキログラムとは何だったんでしょう? それはフランスの金庫に保管されていた一つの粉銅でした。
国際キログラム原器と呼ばれるものです。 1キログラムがこの粉銅なのではなく、
1キログラムとはこの粉銅そのもののことだった。 そういう定め方でした。
とてもアナログに感じられるかもしれないんですけど、 あの実はこの粉銅、つい最近の2019年まで世界の基準であり続けてたんですよね。
そうしてあの現在ではその役目を終え、重さの基準はある一つの数値に委ねられることになりました。
フランク定数と呼ばれる物理定数です。 一つ紙や一握りから豆粒、金属の塊、そして宇宙の数式へ。
あの僕たちが世界を測る物差しっていうのは、こうして少しずつ少しずつ 不確かさから離れてきた。そんな風にも見えてきます。
今夜はあの距離について話しました。 それではまた次回。
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