ヤマアラシのジレンマとの再会
こんばんは、ひとりごとの時間です。 今夜は、ヤマアラシのジレンマについて話そうと思います。
先日、実家に立ち寄った際に、自分の本棚をなんとなく眺めていたんですよ。 そしたら、学生の頃に買ったショーペンハウアーの本が目に留まったんですよ。
当時、図書館で見かけて、その後どうしても手元に置いておきたくなって、 近所の本屋さんで取り寄せてもらった一冊なんですけど、
当時の自分の気持ちまで一緒に棚にしまわれていたような、 そんな気がして、ちょっと嬉しい気がしました。
その本の終盤に、かの有名なヤマアラシのジレンマの話も載っていまして、 内容はと言いますと、
寒い日にヤマアラシたちが暖を取ろうとして身を寄せ合うんです。 でも、近づきすぎると針が刺さって痛い。
離れれば寒い。 近づけば痛い。
何度も何度も試しながら、ようやくお互いが傷つかずに済む距離というのを見つけるんですよ。
人も同じで、孤独が怖くて近づけば、性格や相性の棘で傷つけ合ってしまうことがあって。
だからこそ、傷つけ合わない距離を保つことで、 平穏を守るようになる。といったお話です。
近づきすぎることの危うさ
喧嘩するほど仲が良い、なんて言葉がありますが、
ぶつかり合えるというのは、それだけ心の距離が近いからこそなのかもしれないですよね。
お互いの距離が曖昧になればなるほど、相手のことを自分のことのように考えている。
そういうことでもあるんだと思うんですよ。 けど一方で、ふと考えることがあるんですね。
人はあの距離が縮まるほど、相手のことを自分のように思ってしまう。
あなたのためにとか、君のためにという言葉が、気づかないうちに相手を自分の思い通りに動かしたいという気持ちに変わってしまうことがあるのではないか、そんなふうに思うんですよ。
自分の手足が思い通りに動かないと苛立つように、
相手との線引きが見えなくなって自分の思いを押し付けてしまう。
近い関係だからこそ起きてしまう。
うまくいかない日常の姿なのかもしれません。
ちなみに、ショーペンハウアーの山嵐のジレンマの話には、こんな締めくくりが続きます。
本当に心が豊かな人は、他人に迷惑をかけたり、不快な思いをさせられたりすることを避けるために、そもそも集団から離れることを好むのであると。
挿入歌
それではここで一曲、たそがれどき。
大きく伸びた僕の影
オレンジ色に溶けてゆく
川沿いの道
自転車の
チリンとひとつベルの音
何もしないでいることが
なんだかとても嬉しい夕暮れ
沈むい光
今日も一日
お疲れ様
空が紫
混ざり出す頃
お腹が空いた
お家へ帰ろう
映画「35年目のラブレター」に見る温かい関係
さてあのところ変わって、去年見た映画の話になるんですけど、
ショーペンハウアーのあの山嵐の偶話とは、いわば大局にあるような、
棘を持たない山嵐のようなご夫婦の物語です。
35年目のラブレターという作品なんですけど、
実際の夫婦が歩みをもとに描かれた映画なんですよ。
この作品を通じて、僕は田本さんと京子さんという2人に出会いました。
それは誰かの人生を外から眺めるというのとは少し違って、
2人が積み重ねてきた年月のぬくもりだとか、その眼差しだとかに、
そっと触れさせてもらうようなそんな時間でした。
文字の読み書きをめぐる出来事、その長い歩みの中にあったのは、
お互いをかけがえのない人としてずっと敬い続ける飾らない思いやりでした。
誰かの人生を知るというよりも、
2人の間に流れてきた時間の在り方に触れる、
そんな感覚が残る映画だと思います。
お互いを思って距離をとる関係もあれば、
寄り添いながら形を整えていく、そんな関係もある。
お二人にはそんなもう一つの距離の形をそっと見せてもらった気がします。
まとめと別れ
今夜は山嵐のジレンマについて話しました。
それではまた次回。