鬼の文化と地域の違い
こんばんは、ひとりごとの時間です。 今夜は、鬼について話そうと思います。
さて、今日は節分でしたね。 節分といえば、あの、皆さん何が思い浮かびますか?
僕、あの、まずは豆まき、それから恵方、 あと節分そばだとか、ひいらぎいわし、
福茶なんてのもありますよね。 それらが頭に浮かぶんですけど、
何はともあれ、この豆まきの掛け声なんですよ。 鬼は外、福は内っていうあれです。
あの、ただ一概に鬼はどこでもワルモノってわけでもないんですよね。 例えば、青森や埼玉には、
鬼を祀っている神社なんかもありますし、 鬼を拠り所にしてきた、なんて地域もあります。
昔話の桃太郎や、温羅の伝説で有名な 備中・備前だったり、
鬼の里として世界遺産にも登録されている 下北山村の前鬼と後鬼の言い伝えだったり、
こうした鬼を祀る神社や、鬼が拠り所とされてきた地域なんかでは、 鬼への深い敬意から、鬼は外と言わなかったり、
鬼は内と言ったり、 あるいは豆まき自体をしなかったりする風習が、
今も人々の暮らしの中に息づいていたりするんだそうです。 鬼を邪気としてではなく、自分たちの祖先や、
かけがえのない恩人として受け継いでいく場所、 こうした土地では節分の鬼は外という言葉を避けることが、
ご先祖様や守護者様への何よりの礼儀と考えられているんですよね。 さて、そこでふと思い浮かんだんです。
鬼北町とその鬼
僕のあの暮らしているこの町から少し離れたところに、 鬼北町という名前の町があるんですけど、
ここの鬼も見た目は怖面なんですけど、 どちらかというと悪い鬼ではなく、みんなに親しまれている存在なんですよ。
漢字でオニキタって書いて鬼北。 鬼の棲む町なんてキャッチコピーもついていて、
町のシンボルとして道の駅には巨大な鬼のオブジェなんてのもあったりするんです。 鬼北町のすぐ南側には、
鬼ヶ城山系という険しくも美しい山々が連なっているんですけど、 この山を鬼の城と敬った昔の人たちが、
その山の北側に広がる自分たちの里を親しみと敬意を込めて、 鬼北と呼ぶようになったんだそうです。
つまり、ここの鬼北の鬼とは、 この町を背後からがっしりと守ってくれている、あの山そのもののことなんですよね。
かつてはこの山系には山伏たちが修行する場がありまして、 そこで祀られていたのが鬼ヶ城権現です。
山の凄まじいエネルギーが神様の姿を借りて現れたものという考え方らしいんですけど、 この鬼ヶ城山系は、
この地域の人々にとって単なる山ではなく、信仰の対象でもあり、 天候を左右し豊かな水をもたらす圧倒的な存在だったんですよね。
山頂付近は霧が発生しやすく、雲が湧き上がる様子は鬼が火を焚いている、 あるいは鬼が息を吐いている、なんて表現されることもあったそうです。
その人知を超えた自然の動きに、昔の人は鬼という言葉を選んだ。 山は信仰の対象であり、山岳修行の場でもあった。
そこでは鬼は恐ろしい怪物ではなく、山の神や 権現の化身、あるいは修行者を守護する存在として捉えられていたんです。
それが鬼北という地名に込められた鬼という文字の姿なんだと思います。 なので、
青森のあの鬼神社や埼玉の鬼鎮神社、 奈良の下北山村のような鬼そのものが敬愛の対象というのは少し形が違うんですよね。
ただ、現在は町おこしの一環として、 オニオンという鬼をモチーフとしたキャラクターもいたり、
オニオンの物語があったりして、鬼の棲む街として親しまれています。 さてここで一曲、
冬の背中
脱ぎ捨てるみたいに 昨夜の寒さが
溶けて 消えていく
次の休みは何をしよう
ぼんやりカレンダー眺めていたら
冷たい風が
そっと笑って、僕の隣をすり抜けていった
溶けていった
ひとつ
さよなら 冬の背中
またどこかで会えたらいいな
ひとつ
ため息 白く揺らして
春の匂いをさがしにいこう さよなら さよなら
さて、あの鬼を敬っている地域として紹介した 美中美善。
言わずと知れた昔話で有名な桃太郎に鬼が出てきます。 ただ僕たちの知っている桃太郎の鬼というのは、悪さをして桃太郎たちに退治されるような鬼です。
なので、あの鬼を敬っているというのが腑に落ちない感じがしたのですが、
実は この地域の人たちが鬼に敬意を払っているのにはある理由があるんです。
それは私たちがよく知っている桃太郎に退治された鬼の話ではなく、桃太郎のモデルにもなったと言われるもう一つの古い伝説。
温羅と呼ばれる鬼の存在が深く関わっているんです。 遠い昔、海の向こうから優れた技術を持ってやってきた人々がいました。
彼らはこの土地にそれまでなかった鉄造りの技術や濃厚の知識を伝え、 里を豊かにしていったんです。
でも、あのその勢いがあまりにも強かったために、当時の大和王権から恐ろしい鬼として目をつけられてしまいました。
外からやってきた新しい風を、里の人は恵と呼び、遠く離れた支配者は驚異として鬼と呼んだ。
桃太郎の物語の裏側には、そんな歴史の複雑な表情が隠れているのかもしれないんですよね。
だからこそ、その恩恵を直接受けた里の人たちは、 温羅を鬼だとはどうしても思えなかった。
むしろ、あの自分たちの暮らしの土台を作ってくれた かけがえのない存在として心に刻んでいたんです。
そんな千年以上も前のありがとうという真っ直ぐな気持ちが、 今でも鬼は外とは言わない。
この土地ならではの温かな風習となって大切に守り継がれているんですね。
鬼の多様な象徴
他にも、名前や見た目は鬼のようだけれど、 その中身はまたちょっと違うといった存在もいるんです。
例えば秋田のナマハゲ。 あの恐ろしい姿から、つい節分の鬼と同じように思われがちですが、
実はナマハゲは山からやってくる神様の使いなんです。 悪い心を戒めたり、厄を払ったりするために村々を回る存在。
だから、あの追い払われる側の節分の鬼とは、 いわば真逆の立場なんですよね。
また東京には稲荷鬼王という神社があります。
鬼の王。 なんだか少し恐ろしい響きに聞こえますが、
実はこの名前も私たちが思い浮かべる、 あの角の生えた鬼のことではないんです。
ここでいう鬼王とは、鬼のような凄まじい力を持った 三柱の神様のこと。
人の力を超えた圧倒的な力を象徴する鬼王権現。 そんな畏敬の念が込められた名前なんですね。
こうして見てみると、鬼という言葉一つとっても、 場所によって全然違うんですよね。
山の神様だったり、歴史の恩人だったり、 ご先祖様だったり。
節分の豆まき、形式通りに鬼は外と声を出すのも、 もちろん行事として大切ですが、
その前にあの、うちの近くの鬼さんはどんな顔をしているんだろう、 なんて想像してみる。
そんなの見えない存在へのちょっとした想像力が、 この季節を少しだけ豊かにしてくれるのかもしれません。
今夜は、あの、鬼の話をしました。 それではまた次回。