1. ゆうこ|読書ラジオ
  2. 【読書ラジオ】『あとかた』千..
2024-09-10 15:49

【読書ラジオ】『あとかた』千早茜さん回へのレター紹介

レターありがとうございます😊
自分が何を話したかをうっかり忘れていたので慌てて聴き直し、読み直し、話し直ししましたw

映像化するならいっそ、スクールゾーンにお願いしたい、、w

『あとかた』感想配信
https://stand.fm/episodes/660d425388eaa4f39c77a78f

#読書感想 #読書 #読書ラジオ
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/63650fb3b4418c968ddbd7ab

サマリー

千早茜さんの小説『あとかた』に関する感想とレターが紹介されています。本作は連作短編で、登場人物たちの孤独や快楽、自己矛盾が描かれています。また、小池麻里子さんによる文庫解説も取り上げられています。登場する女性たちは、痛みを伴う恋愛や生活を通じて自身の矛盾を表現しています。この作品を通じて、共感や没入感を得ることができ、自らの傷跡を受け入れる大切さを感じています。

千早茜の小説への感想
こんばんは、ゆうこです。このチャンネルでは、私の読書ログや日々の学びを音声配信しています。
今日は千早茜さんの【あとかた】という小説の感想に対してレターをいただきましたので、そのお礼の回にしたいと思います。
えっと、配信をされている方なので、お名前出しても大丈夫かな? 京子さん。
レターありがとうございます。 ゆうこさん、こんばんは。千早茜さんの【あとかた】を読了後、改めてまたゆうこさんの【あとかた】回を聞きました。
この本の感想は難しいですね。 ゆうこさんの配信を、ほーっと感心しながら聞かせていただきました。
よくあるトリックではありますが、でもそこは千早茜さん。 余韻の残る読者を飽きさせない次々と変わっていく視点で一気読みしてしまいました。
千早さんの本は映像化しないでいてほしいなぁ、なんて思うのは私だけでしょうか。 ということで、レターありがとうございます。
嬉しいですね。
私はですね、このレターをいただいて、 はて、【あとかた】ってどんな話だったっけな。
慌ててね、自分の感想配信を聞き直し、 で、【あとかた】の文庫本をね、読み返すというのをやりましたね。
で、あの、私の感想配信聞いてみたんですけど、 ちょっともう何言ってるか、マジわかんなかったですね。
で、あの、あんまりね、内容に触れずに、 どういう感想を得たかということだけをツラツラ話してたので、
あの、聞き直しても全くどんな話か思い出せないっていうね。 ということで、あの、今日はちょっとね、やり直しをしてみようかなと思います。
短編集の内容とテーマ
改めて、千早あかねさんの【あとかた】 ラス字を読んでみます。
実態がないような男との縁起めいた快楽。 結婚を控え変化を恐れる私に男が残したもの。
こちら、【ほむら】という短編ですね。 続いて、傷だらけの女友達が僕の家に住み着いた。
僕は他の男とは違う。 彼女とは絶対に体の関係は持たない。
こちらは【うろこ】という短編。 そして、死んだ男を近くに感じる。
彼はどれほどの孤独に蝕まれていたのだろう。 そして私は…
【ねいろ】という短編ですね。 暗い影の欠片が温かな光を放つ。
島清恋愛文学賞受賞の恋愛連作短編集。 ということで、
こちらの【あとかた】という小説はですね、 連作短編になってまして、【ほむら】、【てがた】、【ゆびわ】、【やけど】、【うろこ】、【ねいろ】という形でね。
それぞれの短編の、登場人物が次の短編で語りを引き継いでいくと。 そんな短編になってます。
で、割とね、生々しい快楽の描写とかも書いてある小説なので、
読んでいてね、自分の経験とも重なる部分もすごくあって、 なかなか感想を話すの難しいんですけど、
こういう感覚よくわかるとかね、 そんなことを思いながら読んだ本でしたね。
文庫解説は小池麻里子さんが書かれていて、もうこの解説が本当に素敵すぎて、 そしてちゃんと説明もされているので、今回はこの小池麻里子さんの文庫解説を
ちょっと拾いながら、どんなお話だったのかっていうところを 振り返っていきたいと思います。
この後方っていう6つの短編集はですね、小池麻里子さん曰く、 男女が抱える心の痛み、孤独感、絶望感、生きることの虚しさ、
それに対して、形あるものを求め、形が成立しなければ人と人との関係も成立しない、
と思い込んでしまいがちな現代人の姿が浮き彫りにされているというふうに書かれてますね。 その形とは、
あざだったり、手形だったり、 指にマジックで書いた指輪だったり、
えーと、その、
なんていうかね、 生きる上で人が嫌をなく残してしまう何かの後のようなものも、また形として表現されているというふうに、
あの、 小池さんは書かれています。
で、ここに出てくる登場人物っていうのは、そういった形に依存してしまいつつ、
なんですけれども、その形から逃れたがっている人たちでもあるわけなんですよね。 例えば、
一番最初に出てくるホムラという短編では、えーと、 婚約者がいて、婚約者から結婚という契約、
そういう形で縛る関係性を求められながら、それを受け入れているんだけれども、
そこからある意味、こう、逃れたがっている女性が主人公なんですね。 で、そういう、
契約という形に自分を留めることはできない。 この今の2人の関係を留めることはできない。
できないものを無理やりしようとするから、無理が生じているというふうに思っているんですけど、
完全に拒絶する勇気もないわけですね。 そんななんか、あの、実態がないような、
本当にこの人、実物する人なのかなっていうぐらいの、あの、素情知れぬ男との往生を楽しんでいく女性なんですよ。
その男との往生の中では、感じたことのない快楽を得るんですけれども、 その中でお互いの体に跡を残したり、歯型を残したり、
手の跡を残したりする、それをなんだか嬉しがったりもしている。 自分の体に相手の軌跡が残っていくことに対して、
そういうものは自分としては喜ぶ、縛られることも受け入れるんですけど、
結婚という枠にとらわれて契約で縛られることにはどうも拒否をしている自分がいる。 そんな、あの、
自己矛盾を抱えた女性なんですね。 で、なんか解決するっていうわけではないんですけれども、突然その実態のない男との往生が終わってしまう。
そして日常に戻っていくというお話。 で、そのホムラを引き継ぐ形で次の短編、手形が始まるんですけれども、
そこではそのホムラで出てくる実体の知れない男が何者だったのかというのがわかる仕掛けになっている。
で、その手形に出てくるのは会社のビルから飛び降り自殺をした男の部下の視点で書かれたりするんですけれども、
この男には妻と幼い子供がいるんですけれども、妻の気持ちがどこにあるのかちょっとよくわかってないっていうね。
で、その次の指輪では手形で出てきた男の妻の視点で綴られていくんですけど、
彼女はですね、友達のお店を手伝っていると夫に嘘をついて、幼い子供を自分の母親に預けて、
若い男のところに行って、その体だけの関係を楽しむ。
優しい相棒だとか愛の言葉も何もない、本当にお互いの渇きを癒す、
飢えをしのぐようなセックスにのめり込んでいくっていう女性なんですね。
ただ、男に会いに行く時、その妻はですね、結婚指輪を外すんですね。
そんな女に対して男が取った行動が、彼女の感情、金銭に触れてしまう。
そこで、自分はその体だけを求めてあの男のところに通っていたんだが、
自分でも気づいていなかった、自分の奥底にある感情、優しくされたかった自分、本当に欲しかったものは何だったのか、みたいなことに思いを馳せて、
愕然としていくような女性が描かれていて、こんな感じで連作短編が続いていくんですよね。
映像化の難しさ
で、確かにね、キョコさんがレターに書かれているように、こういう話を映像化するっていうのはね、
一見簡単なように見えて、本当にここの、ここに書かれている心の動き、微細な揺れみたいなものを表現するのってすごく難しいんじゃないかと思っていて、
本を読んで、自分の経験と照らし合わせながら、想像の世界で、こういう感じなのかなっていうところに留めておく方がいいような気がする。
映像として形で見てしまうと、そのギャップにちょっとがっかりするような気もするなぁと思って、よくわかるなぁと思いました。
こういう形にすがりついてしまう一方で、その形から逃れたがっているその矛盾、
そういうところを千早金さんってすごく上手に描かれていて、そこに自分の
何というか矛盾を感じて、痛みを伴う、
そういうヒリヒリした感覚、そういう女性を描くのが本当に上手だなぁと毎回思っていて、
読んでいると千早さんの描く女性っていうのは本当にこう、痛みを伴う恋愛をしていて、恋愛じゃないかもしれない。体だけの関係もあるかもしれない。
自分の体を傷つけながら、心を傷つけながらも、
何かに抗っているような女性を描いているような気がして、 そっくりそのまま自分と同じだなぁっていう主人公こそいないんですけれども、
この部分は本当にわかるなぁとか、これは私が感じたことのある痛みだなぁみたいな、断片的でもね、
共感よりも、なんというか、一瞬だけでもこう憑依してしまうような感覚があって、
この小説の中に入り込んで没入してしまう、 千早さんの本というのはそんな読書体験だなぁと毎回思いますね。
だからもうあっという間に読み終わってしまって、
気がつくともう最後のページをめくり終わっているというような感覚ですよね。
というか、行為を伴うこと以外の実感っていうものがどうやったら得られるんだろうなぁっていうのを読んでて思いますよね。
それが快楽なのか痛みなのか、体に残る何かしらの跡なのか、
そんなものを通じてでしかその人とつながっていけない。
自分がここにいるという感覚をリアルに感じられない。
それは現代人特有の病気みたいなものなのか、昔の人はどうだったのか、
小池麻里子さんの解説を読んでいてそんなことも思いましたが、
どうですかね。ただ、
今こうやって話してみて思うことは、
千早さんの小説を読んで、
あーなんかこれわかるかもしれないなって思っている自分って悪くないなって思っているところがあって、
こういう小説を読んで全く何もよくわからない、響くものがないという人生ではなく、
ちょっとでもこう、自分と重なる部分を見つけられる、
そういう、要するに私もある程度は痛みを伴う人生を送ってきているんだなぁっていう、
なんかその自分の中に残る傷跡みたいなものを見て、
勲章のように思って、ちょっと愛おしくなるような、そんな感覚もありましたかね。
読書体験の共有
ということで、ぜひね、京子さんとは千早茜さんについて、
リアルに語り合いたいなって思ってるんですけどね。
前回二人で話した時は、千早茜さんの話になるかなとか言いながら、なんか子育ての話でね、めっちゃ盛り上がるという、
それはそれで面白かったんですけどね。
そろそろ第2弾を期待していいのかななんて、ちょっと思ってます。
それにしてもね、ほんとレーターいただいてありがとうございました。
自分の配信を聞き直して、また再読して、感想を話すというね、
なかなかさせてもらえない経験を今回させていただいて、
すごくね、なんか楽しかったです。
全然違うこと言ってるような気がしますけれども、まあ人間ってそんなものかなと思ったりもします。
はい、今回本当にね、レーターいただいてありがとうございました。
そしてまた京子さんのね、配信も私すごく楽しみにしてますので、
時間を見つけて、負担にならない程度に配信していただけたら嬉しいなと思います。
ということで今日は、千早かねさんの跡形という小説の感想回にいただいたレターについてご紹介させていただきました。
この配信が気に入っていただけたら、いいねやコメント、フォローお願いします。
励みになります。
今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ではでは。
15:49

コメント

スクロール