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こんばんは、ゆうこです。このチャンネルでは、私の読書ログや日々の学びを音声配信しています。
今日は、神様のボート江国香織さんの本について話してみようと思います。
昔、ママは骨ごと解けるような恋をし、その結果私が生まれた。
私の宝物は3つ。ピアノ、あの人、そしてあなたよ、倉庫。
必ず戻ると言って消えたパパを待って、ママと私は引っ越しを繰り返す。私は、あの人のいない場所には馴染むわけにはいかないの。
神様のボートに乗ってしまったから。恋愛の静かな狂気に囚われた母陽子と、その傍らで成長していく娘倉庫の遥かな旅の物語。
ということで、この本は江国香織さんが平成14年に出された本ですね。
神様のボートということで、母陽子と娘倉庫の旅の物語です。
時代の設定はですね、1997年から2004年まで、7年間の母と娘の物語です。
1997年、高萩から物語が始まります。
この時娘の倉庫は10歳ですね。
2人はあの、いろんな、関東のいろんな地方を転々とするんですね。
なぜなら、母陽子がそういった旅をする生活を決めてしまったから。
なぜならば、陽子は音楽音大を卒業した時に、ほぼ同時期にその音大の教授である桃井先生と結婚するんですね。
2人の間には恋愛関係はないが、結婚する、まあ奇妙なそういう夫婦が始まったんですけれども、
その結婚生活の中で、母陽子はあの人に出会ってしまった。
あの人と陽子は、いわゆるダブル不倫の関係であった。
こんな話し方をすると、めちゃくちゃなんか下手な話になっちゃうんですけど、
えくにかおりさんの本なので、本だからなんだって感じですけど、
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えくにかおりワールドがあると、ご存知の方はわかってもらえるんじゃないかなと思いますが。
それで、発生したのが娘の倉庫です。
発生したっていう言葉を使っていることがもう、なんかえくにかおりさんだなぁって思いますけど。
で、母陽子は妊娠をしたので、桃井先生と別れることを決意した。
離婚することになったんですね。
桃井先生が出した条件は一つ。
僕のいる東京から出て行ってほしい。
陽子の短い髪の毛。
ショートヘアの女性と小さい子供を見たら、もしかしたら君なんじゃないかと思い出してしまうと辛いから。
ということで、その条件を、陽子は飲む形で娘の倉庫を連れて、
生後6ヶ月の倉庫を連れて、各地を転々とする生活を始めたわけです。
倉庫のパパであるあの人ですね。
あの人とママは約束をするんですね。
必ず君がどこにいても僕は見つけるからと。
必ず戻ってくるよと言って、消えたパパ、あの人を待って、
陽子はパパが来ることを信じて、
あの人がいない場所に私はなじむわけにはいかないと言って、
2年経たずに引っ越す、そういう旅の生活を続けるわけです。
ずっとあの人というかパパの思い出を娘の倉庫に話しながら、
自分でもあの人を思い続けながら仕事をして、倉庫を育てる陽子なんですけれども、
そういった陽子を、ある意味娘よりかは少し客観的な位置で見つめるのが倉庫ですね。
なぜ自分はこんな転々と引っ越さないといけないのか。
友達ができても2年たらずで引っ越してしまうので、手紙を送り合っていてもその友情は続かない。
中学校に進学してから、初めて陽子に卒業するまではここにいたいというリクエストを倉庫が出すんですね。
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それを陽子は受け入れる。そして倉庫は母と別れて高校に進学して寮に入るという決断をしていく。
そこから倉庫の独立ですよね。陽子から独立していくそのタイミングで、それぞれの人生の選択、住む場所、元いた人たちとの関係性を変えていくという、そういう物語です。
この本はですね、私は結構前から読みたいでも読めないと思いながらいた本でしたね。
なぜなら、私も娘を持つ母親なので、なんかこんな不良なお母さんの話を自分が読んで、娘を連れてね、自分の不倫でできた子供ですよね、言ってしまえばね。
それを肯定し続けながら生きていく人生に娘を巻き込んでしまうという、なんかこう、すごいこう、罪悪感を感じるだろうなぁと思って読めなかったんですけど、
まあ私も大人になったし、娘も結構大人になって高校生なので、なんかそろそろいいかなと思って満を持して読んだ本でした。
読んでみるとですね、恋愛の静かな狂気に囚われた母陽子、その傍らで成長していく娘倉子ってあるんですけれども、
まあやっぱり陽子さんっていうのは狂気の世界ですよね。
でもですね、最後その陽子さんと倉子っていうのは、それぞれ決断をしていく中ですごい冷静さが見えてくるんですよね。
なんか幸せか不幸せかとかは、人の価値観なので測れない部分はあるなと思いますけど、なんかすごいこう、ズブズブのめり込んでドロドロしていくというよりかは、
割とサラサラっとした世界観があったので、私はなんか受け止められるなぁと思いましたね。
あの、陽子っていうのはですね、そのパパとの約束を引きずりながら、娘倉子との依存関係もありながら、
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そしていつもその、結婚していた桃井先生の言葉に囚われながら、いろんなその、自分以外のもの、人に、ある種こう、しがらみでガンチガラメになったような状態で、旅をして生きている人だなぁと思いました。
第三者から見れば、すごい自由奔放に生きているような生き方に見えますけれども、すごい囚われの人生なんだろうなぁと思ったんですよね。
で、ある意味それは、陽子にとっては、しがらみというよりかは、拠り所だったんだろうなと。
だから、それってなんか、もしかしたら幸せだったのかもしれないなぁと思いましたね。
で、一方倉子ですね。まあそんな母親に巻き込まれていくわけなんですけれども、
まあそれ、倉子も不幸せかって言ったら、そうではないような気がしますね。
そんな母陽子を、とっても冷静に客観的に隣で見ながら、その母が変わっていく様子だったり、
自分が成長して、母に対する思いや生き方に対する考え方が確立していくっていうことを、すごい強く実践していくんですよね。
そこにこの小説の救いがあるなぁと思いましたね。
最後やっぱり、母を捨てるわけではなく、自分も母も、新しいフェーズに人生の舵を切っていくために決断していくような倉子が見えたなぁと思いました。
陽子にとっては、そうやって成長していく娘が、片腕を切り落とされたように感じてしまう、そこで自分の人生を旗と見つめて、どうするかって考えたと思うんですよね。
そういう、同じボートに乗っていた母と娘だったんだけれども、それぞれのボートに乗って、自分でオルを持つっていう、そういうようなメタファーが感じられるなぁと思いました。
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神様のボートって言ってるので、少しその宗教感というか、神という存在を感じるとするならば、
母陽子っていうのは、自分ではない誰かの意思によって自分の人生を決めて動いてきたような、その倉子が生まれてからの15、6年だったと思うんですよね。
それは、ズブズブに恋愛をしたあの人の言葉だったのかもしれないし、結婚生活を共にした桃井先生の言葉だったのかもしれないし、娘の存在だったかもしれない。
そういう自分ではない絶対的な存在の言葉だったり、存在自体そのものを無条件に信じて過ごすっていうことは、繰り返しになりますけれど、それ自体、よりどころにはなると思うし、迷いもないわけですから、
それはそれで幸せな人生なんだろうなぁと思いました。自分で選んでいるというよりかは、何かの力によって選ばされているような人生だったのかなと思います。
私は母親をしてもう17年ぐらいになるわけですけれど、やっぱり子供を産んで母になるっていう体験っていうのは、結婚自体そのものがそうなのかもしれないなと思うことがあるんですけれども、自分が自分でない感じになっていきますね。
それを自己概念の成長だとか、いうふうに考えないわけでもないんですけれども、やっぱりどこか、自分の軸ではない何かで生きている気がする。
それは絶対的に信じられるものではないかもしれない。ちょっとグラグラっとしてしまうことがやっぱりあるので、自分だとか他人でもいいんですけど、絶対的な何かを信じて生きていくだとか、
自分は自分であると強く信じて生きていけるっていうことにとても憧れますね。
そこまでしないと子供って育てられないのかななんて、本当にこれまでの十何年間を振り返ってそう思います。
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完全に不幸だったかっていうとそうじゃないような気がするので、何とも言えないんですけど、やっぱり母になるとか子供を育てるっていうことは、とてつもないことなんだろうなって思いますね。
なので本当に今このタイミングで神様の冒頭を読むっていうのは、割とニュートラルにこの内容を受け止められる自分だったというのが一番大きい理由で、それを確認できたようなそんな読書体験だったなと思います。
ということで少々長くなってしまいましたが、今日は神様の冒頭、えぐにかおりさんの本について話してみました。
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今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ではでは。