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こんばんは、ゆうこです。このチャンネルでは、私の読書ログや日々の学びを音声配信しています。今日は、千早茜さんの『神様の暇つぶし』という本について話してみようと思います。
親を亡くし一人になった20歳の夏 父よりも年上の写真家の男と出会った
男の最後の写真集を前にあのひと時がよみがえる 妙に人懐っこいくせに時折見せるヒヤリとした目つき
臆病な私の心に踏み込んで揺さぶった 彼と出会う前の自分にはもう戻れない
唯一無二の関係を生々しく鮮烈に描いた恋愛小説 ということで千早茜さん曰く
自分の小説の中で唯一の恋愛小説であると 話されているのがこの神様の暇つぶしになります
主人公の藤子ですね20歳の大学生の夏 たった一人の家族である父親を
急な事故で亡くすんですね 母親は中学生の時に家を出ていて父と二人暮らしてあったと
そこに 父の友人である広瀬禅が急に訪れるわけです
その出会いから二人が
恋愛関係でいいのかな 肉体関係を持つという話になります
藤子はですね
一人親だったということもあり 広瀬禅と出会うまでは人の体温という温かみを知らずに生きてきたと
いろんなコンプレックスがあり父親に対するもの母親に対するもの 自分の女性
としての性に対するもの いろんなコンプレックスを抱えていたんですけれどもどこかその
広瀬禅との
関係はそれらのコンプレックスを乗り越えるための通過儀礼のようなものだったのではないかなと思います
自分の父親より年上の男性と肉体関係を持つということに対して
藤子から求めていったわけなんですけれども最初は こんな気持ち委託のおかしいんじゃないかというふうに思っていたんですが
うーんなんというか
確かにお互いの意思みたいなものはそこにあったように思えるんですけれどもどこか必然 というか
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あの 妄想するしかない状況に
までになって2人は 肉体関係を持つに至ります
そんな藤子なんですけれども広瀬禅のことを 世界のすべてであると
この人がもう神のようにだというふうに思います 一方の広瀬禅はですね
藤子が持つ若さ 若さゆえの
生きる力活力みたいなものをとっても眩しく思っていたと思うんですよね 印象的なのがですね2人があの
藤子の母親がいる山形に旅行に行く場面があって そこで父親が亡くなったことを
祖縁だった母に伝えるという旅行だったんですけれども その途中で羽黒山という山で藤子が桃をむしゃむしゃと食べるシーンがあるんですね
それを広瀬禅は見てなんて残酷で美しいんだと思う そして自分も食べられたいと思うんですね
と同時に藤子を撮りたいと思う 広瀬禅はカメラマン有名なカメラマンで女性のヌードを撮るカメラマンとして有名だったので
そういうところから藤子を被写体として見る 惹かれていくんですね
で藤子が広瀬禅のことを神だと思ったように 広瀬禅も藤子を抱きながら神だと思う
光と影を飲み込んで生きる女 美しい部分もあれば見にくい部分もある
それもすべて含めて神だと思う それで写真を撮る
でその藤子との肉体関係に溺れていくという話なんです ここまで
一気に話してみましたが 強烈な違和感がありますよね
20代の女性が父親以上年の離れた人と肉体関係を持つということに対して
私の視点から言うと 騙されたのかなとか可哀想だなって思うんですよね
で私のような視点の登場人物もいるわけです それが広瀬禅の愛人だったり
弟子または広瀬禅の妻がそういう私と同じ視点を持つ立場として出てくるんですけれども
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その藤子に対する同情
だけではなくですねどこか一人の女性として 男性から求められる
抱きたいと言われる 広瀬禅の場合有名なカメラマンなので撮りたいと言われる
ファムファタールというか
そういう対象として見られる女性に対する 嫉妬だとか
先方の眼差しみたいなものは確実にあるんじゃないかなと思いました で私にも
確かにこんな若い子たぶらかしてひどいおっさんだなぁと思う反面 どこかここまで求められるっていうのは
女性としては嬉しいことなんじゃないかなと思う そんな感情で結構読んでる側もですね
どの視点に立っていても結構感情ぐちゃぐちゃになる小説かなと思います 藤子の視点で見る若い女性だとすれば藤子視点で見ると思うので
そこから見るとこういう 父親ほど年はなれた人と
肉体関係だとか恋愛関係を持つということに対する 思いもあるでしょうし
男性がこの本を読むとはちょっとあんまり想像できないんですけど広瀬禅の視点もある 若い女性に
ご憧れるというような感情もあるのかもしれないなと思って読む側の読者の持つ 視点によって
本当にいろんな感情が引き起こされる恋愛小説だなと思いました 最後藤子はですね広瀬禅が
別れを経て
気づくんですね 広瀬禅と出会う前の 自分にはもう戻れない
体の奥底に また出会ったら
あの時のように溺れてしまうという確証が 体の底に確実に残っていることがわかる
そしてこの思いだったり 体の中に残る跡っていうのは
これこそが恋なんだということに気づくということで 冒頭話したように千早朱音さん的恋愛小説であるというのが最後の段階で
藤子が教えてくれるんですね 恋愛小説と言われればそうなのかもしれないですけど
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かなり繰り返しになりますけれども 感情ぐちゃぐちゃになる小説であることは間違いないですね
最後思ったのはですね その広瀬禅は
最後の写真集として藤子を被写体とした写真集を残すですね
それがかなり
世間的に反響を呼んでしまって藤子がちょっと ヌード写真集なので行きづらくなってしまう
藤子からすると 突然いなくなった後でこの写真集だけ残されても
どうしたらいいのか 捨てるならパッと捨ててくれればいいのに
なんでこんなものを残すんだというような またあの混乱に陥ったんじゃないかと思うんですよね
執着しないっていうことは愛情の一つなんじゃないかなと私は思っていて 本当に愛情が
あるのであれば何も残さずさっと消えたでしょうし そうじゃないからこそ写真集を残すというようなカメラマンとしての自我というか
差がみたいなものを貫いてしまった
藤子も広瀬禅に対して愛情のようなものを持っていたのであればもう少し違う 生き方もあったのかもしれないなぁと思う
だからこれは
恋の話なんだろうなというふうに思ったんですよね
愛情ではないのかなというふうに思いました 最近そんなことをちょっと考えたりすることがありまして
死ぬまで一緒にいるとか 死を見取るとか見取られたいっていうことって結構
痛く感情だと思うんですけれども結構それはそれで残酷なことだなぁと思ったりして そういう残酷なことを背負わせてしまうことは
もしかしたら愛情ではないのかもしれないなぁと思ったりしたことがありました そんなこともあって
この神様の暇つぶしですね 暇つぶし
これはひと夏の恋なのでね まさにその一時のことを暇つぶしと表現しているのかなぁなんて思いましたが
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人生を変える出会い関係ですよね やっぱりそういう
経験をしたことがある 男性からそういうふうにも強烈に求められる
経験をしたことがあるというのは
同情はめちゃくちゃするけどやっぱり恨ましいなぁと思ってしまいました
ぜひね私と同じぐらいの 30代40代の女性に読んでもらって感想をシェアして
したいなぁなんて思いました ということで今日は千早茜さんの神様の暇つぶしについて話してみました
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今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました ではでは