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今日も一日、ありがとうございました。この放送は、一級建築士のフミが、AIと情報処理を使って、理想の家づくりをするためのヒントをお届けする放送です。よろしくお願いします。
今日はちょっと特別な会で、3.11東日本大震災を振り返るというお話をしたいと思います。
なので、今日は家づくりとか、マンション、リノベみたいな、AIみたいな、そんなお話はなくない会なので、そういうの興味ない人はスキップしてもらえたらと思います。
私の過去の、何ですか、を振り返るようなお話になります。
ちょっと一日遅れてしまったんですけども、今日が3月の12日の木曜日になります。
今日のお話は、15年前、2011年の3月11日に起こった、皆さんもご存知だと思うんですけども、東日本大震災についての思いというか、振り返りみたいな、そんなお話をしようと思います。
どうしてこの話をしようかと思ったかというとですね、この時の私の体験が、今の私の本業ですね、建築の設計をしてるんですけども、それの何ですかね、非常にターニングポイントになった、そんな体験というか思いというか経験をこの東日本大震災を機にしたので、
その時のどういう思いだったかとか、どんなことを感じたのかっていうのを振り返るということをしたいなと思います。
この思いっていうのは、私の本当に根本というか根幹をなす考えですので、絶対に忘れてはいけないな、多分忘れることはないと思うんですけど、忘れることはないと思うんですけども、この一連の経験とかを忘れてはいけないなというふうに感じているので、
1年に1回、この3月11日が来る毎年、来る度にこの3.11のことを思い出して振り返って、こうやって音声に残しておこうっていうのも一つ趣旨としてありますね。
ですので、これを聞いている皆さんはちょっとそれにお付き合いいただくみたいな、そんな形になってしまうんですけども、興味あれば聞いていただければなと思います。
ということで、まず東日本大震災って何なのかっていうと、地震の名前としては東北地方太平洋沖地震という地震が、今2011年の3月11日に起こりました。
時間でいうと昼の2時ぐらいですね、14時ぐらいに起こりました。
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だから場所としては宮城県とか茨城県の太平洋沖ですね、東側の海が震源地になります。
そこで地震がボーンと起きて、マグニチュードという地震そのものの大きさを表す指標、数値があるんですけども、それが9.0ということで、
これは今まで観測史上、今も塗り替えられてない日本周辺での観測のマグニチュードとしては最大の地震が起きました。
当然宮城県、茨城県あたりが福島県かな、宮城県、福島県あたりが最も近い震源地ですので、そのあたりの被害が甚大な被害を受けましたし、
そこから遠く離れた東京とか千葉とか、そのあたりも非常に大きな被害を受けたという地震になります。
最も印象的なのが、皆さんの記憶にもあるとおり、地震そのものの揺れというのも当然大きかったんですけども、津波ですね、津波。
東日本大震災3.11といえば津波による被害がめちゃめちゃ多いような震災です。
ちょっと調べたんですけども、今現在、2025年現在で死者と行方不明者を合わせると2万2千人です。
めちゃめちゃたくさんの方が亡くなったり、行方不明になったりしているものになります。
それのかなりの部分が津波による死者、行方不明者だと私は認識しております。
こんな感じの震災が起きたんですけども、その頃私は東京にいまして、東京の大学に通っていて、
大学4年生かな、正確に言うと5年生なんですけど、の3月ですね。
なので、大学院にその後進む前の準備段階みたいな、そんな時期を過ごしていたことになります。
確か平日だったと思うんですけども、学校の授業とか研究とかはなくて、その日はなくて、家で過ごしていたというような状況の中で、
その昼の2時にその地震が起きました。東京の私がいたところで、おそらく深度5弱で揺れたと記憶しています。
その頃はうちはマンションの9階だったので、マンションの9階で深度5弱ってかなり揺れたんですよね。
もうめちゃめちゃ揺れて、何よりも揺れの大きさもそうなんですけども、揺れてる時間がめちゃめちゃ長かったですね。
体感で言うと3分とか5分ぐらい揺れてたと思います。実時間で言うと1分ぐらい、60秒ぐらい。
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本当に大きな揺れが60秒ぐらい続いたと思っています。体感で言うと本当に3分とか。
その頃は家具とかがガタガタガタって揺れて、私は何を落ち迷ったのか、一番倒れやすい本棚があるんですけども、
その倒れやすい本棚を両手で支えて踏ん張って、倒れないように踏ん張っていましたね。
本当は行けないんですよ。本当は地震のときは安全に倒れるものの近くには寄らずに、
その周りには倒れないもののところでじっとしているだとか、
あとはよくある机とか椅子の下に、上から落下物をガードできるようなものの下に隠れるというのが地震の鉄則なんですけども、
私は何を落ち迷ったか、倒れないように、倒れやすいものの近くにいて倒れないように踏ん張っていたみたいな、そんなこと。
それを踏ん張りながら、体幹3分ぐらい、必死に耐えていたという記憶が残っています。
地震が起きた当初はそんな感じですね。
そこから、当然地震が起きたら地震速報みたいなのがテレビで流れるので、それはもう前々から昔からそういうもんだなって知ってたので、
それを見るためにテレビをつけました。
テレビをつけた瞬間ですね。本当に瞬間だったと思うんですけども、マグニチュードいくつですか。
確か当時は9じゃなくて8でいくつみたいな、そんな感じで、震源が宮城県沖ですみたいな感じで、
宮城の現地の揺れの様子とか、揺れた直後の様子とか、
あとはその時ですね、そのリアルタイムでの宮城県の様子とか、そういったものが報道で早速、
多分本当に30分経たないぐらいで、報道のカメラがそっちに行って、
確かヘリコプターで上空をから撮ってるような映像が流れていました。
その映像を見て、私は本当に言葉を失ったんですよね。
どんな映像か想像をつきますでしょうか。
大きな地震が起きた時の、その現地の被害状況として、
例えば部屋の中ですと、ぐらぐら揺れて、本棚がバーンと倒れまくって、
部屋の中がぐちゃぐちゃになってる様子とか、あとはちょっと大きな建物で言うと、
天井が剥がれて、揺れで剥がれて落ちてきてる様子とか、あとは外だとしたら、
建物の外だとしたら、外についた看板とかが揺れて落ちちゃったりとか、
それはそれで本当に痛々しい被害なんですけども、そういうのであれば、
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当時学生だった私でも想像はついたんですよね。
ただ全くその想像とは違う光景が、その画面上、私が見ていたテレビの画面上に広がっていました。
それは津波で建物が流されてる様子ですね。
それをヘリコプターで上空から撮ったような映像が当時流れてきて、
私は一見本当に理解できなかったですね、あの映像の意味が。
それでよくよく見てみると津波があって、その津波によって家が流されているというような状況だと理解できたんですね。
それを見た時に本当にこう、何ですか、自然の力で、自然による災害でこうもなるのかと、建築っていうのはこうもなるのかと。
当然、当時私は学生ですけども、私が目指している建物設計者が一生懸命設計して、
当然地震に強いとか風で飛ばされないとかそういったものを作って、それできちんと設計してきちんと公務店とかゼネコンとかが作って建ちましたと。
当然それを建てたお客さんですね、施主、建築主と呼ばれる人は喜んで、うちの家だとかうちのビルだとかと言って誇りに思ってそれで使い始めたと。
そんな建物がああも無惨にこうも無惨に津波によって流されてしまうのかというふうに、何ですかね、本当に見てられなかったですね。
こうも簡単に建築物っていうのは自然によって壊されてしまうのかっていうのをまじまじとそこで感じたんですよね。
その経験で、その経験というか体験というか光景を見たことによって、私の建築に対する意識っていうのが変わりました。
変わりましたというか正確に言うと今振り返ってみると元に戻ったっていうのが正しいのかなというふうに思います。
ちょっとその説明を説明というかまた振り返りをすると、当時私は先ほど言ったように大学の5年生ですね。
5年目、そこはちょっと触れないでほしいんですけども、5年生だったんですけども、もともと建築の道に進もうと思ったのが高校生の時ですね。
その時、めちゃめちゃ私は数学とか物理とかめちゃめちゃ好きで数式とか大好きで、物理とか出てくる微分とか積分とかめっちゃ大好きで、そういうの大好き少年だったんですよね。
で、とある番組でテレビ番組で振り子ですね、振り子わかりますかね。
ブランブランっていう振り子。その振り子の原理を使って地震から建物を守る技術があると。
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これTMDっていう、TMD、アルファベット3文字ですね。
TMDっていう技術なんですけども、この振り子の原理を使って地震から守ってるんだみたいな、そんな感じのテレビ番組がありました。
当時高校生だった私は振り子って言ったら物理の定番中の定番ですね、教科書にも出てくるような感じで、
当然振り子の動きっていうのは微分積分で動きを模擬できる、追える、数式で追えるわけなんですけども、
そのあたりをちょっと私はすげーなとか思ってた、その振り子ですね。
その振り子がまさか地震を守る、地震から建物を守ることに使われているなんて思ってもみなかったので、
それを見て衝撃を受けて、この私が大好きな数学とか物理が地震から建物とか人を守ることに使われているんだ。
そこにちょっと、ちょっとというかかなり衝撃を受けて、そのときに私はこの建築の道に進もう。
なおかつ建築の中でも、地震から人を守るとか、地震に強い建物を建てるみたいな、そういった分野の設計に進もうというふうに思ったんですよね。
それで進もうと思って、建築学科の大学に入って、それで大学で学ぶこと5年ですね。
その5年で、そこで東日本大震災が起きたわけなんですけども、その5年間で、
何ですかね、やっぱり根本が数式好きなので、数式で当然強い建物っていうのが解けちゃうわけですよね。
強い建物を建てる、強度が強い建物を作るための数式っていうのがあって、その数式から求められる値がこれ以上だったら強いですよみたいな、そういったものがあるんですよね。
なので、そういった強い建物を設計するっていうのは、本当に究極なんですかね、突き詰めていくと数式を解いて、それで求めるみたいな、そういった側面が強いんですけども、
私もまだ学生で実際の建物を設計したことがない身分からすると、もう数式でしょみたいな、そんな感じで5年間過ごしていたわけなんですけども、
そこで改めて先ほど言ったような東日本大震災が起きて、そこで見た光景っていうのが、そうやって先人たちが設計して建ててきた建物が、
もう無残に自然の力によって壊されていくわけですよね。それを見たんですよね。
それを見た瞬間に、何か数式とかじゃないなと、本当に建物に向き合って、これが本当に強くなるにはどうしたらいいのかっていうのをそこと向き合って考えることが大事なんだなっていうふうに改めて思ったんですよね。
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これは先ほど高校生の少年が抱いたように、数式が建物の地震を守ることに使われているという、数式にフォーカスするんじゃなくて、やっぱり地震から建物を守るっていう、そこにときめいた高校生時代の私ですね。
そこにちょっと戻って、もう数式を追うんではなくて、本当に建物を守る建物、強い建物を作る、そこにフォーカスしようっていうふうに決意したっていうのが、そこの体験として東日本大震災で改めて再認識した考えが戻った、高校の時に戻ったみたいな、そういった経験をしたんですね。
そんな話がちょっと今日したかったんですけども、ですので、ちょっと話が長くなってきたので、この辺りで締めようと思うんですけども、東日本大震災があって、それは本当に、私が冒頭でも申し上げたように、死者と行方不明者が合計で2万2千人も出るような甚大な被害が出た震災だったんです。
それを私は学生時代に目撃して直面して、自分自身も震度5弱ですけども、怖い思いをして、それで画面越しにも強烈な光景が映っていて、それを見た私っていうのが、やっぱり建物を地震から守る、もっと言うと災害から守る、自然から守るっていうのに、
本当に目覚めたような体験っていうのが、この東日本大震災での私の経験ということになります。
そんな感じで思い出しながらしゃべったので、ちょっと思理滅裂な感じはあったかもしれないんですけども、そんな思いをしましたという、今日は私の過去を振り返るようなお話をさせていただきました。
ということで、ここまで聞いていただいた方は本当にありがとうございます。私の過去を聞いてくださってありがとうございます。
次回からは本当に家作りの話をしたいと思っています。前回は予算の話をしたので、次回は何にしようかなという感じなんですけども、まだ決めてないですけども、
本当に家作りの最初の最初ぐらいに直面するような基礎的な、そんなことをお話しできたらなというふうに思っています。
ということで、次回を楽しみにしてもらえたらと思います。それではまたね。バイバイ。