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2024-01-16 21:17

#163 敢えて言おう、地震で建物が倒れて人が亡くなるのは、人災であると


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今日も一日、ありがとうございました。この放送は、NFTにハマった建築設計者が、NFTやWeb3、時々建築の話をする放送です。よろしくお願いします。
今日は、結構強烈なお話です。タイトルとしては、敢えて言おう、地震で建物が倒れて人が亡くなるのは、人災であると、というタイトルでお話ししたいと思います。
これは、タイトルから分かる通り、今年の1月1日に起きた野戸半島の地震を見て、私が感じたことと、本当に前々から思っていることを交えてお話ししたいと思います。
タイトルから想像できるかと思うのですが、結構ナイーブな話をするので、本来は非公開の放送にしようと思いました。
自分の思いというのを、今回は閉じるのではなくて、ちょっと開いていこうという思いで、普通の公開の放送にしています。
なので、めちゃめちゃ聞き苦しいような内容になるかもしれないのですが、ご容赦いただけたらなと思います。
タイトルにあるように、私個人は、地震で建物が倒れて人が亡くなるのは、本当に地震という天災ではなくて、人災だと私は断言できますと思っています。
ただ、人災だから防げるのかと言ったら、それはまた別の問題だと思っています。
人災だから防げるだろう、今回のノド半島地震も人災だから防げるだろうという意見ではありません。
人災だから防げるは間違いで、人災でも防げる人災と防げない人災があります。
これは間違い、ただ天災ではなく人災であるというのは、私としては間違いないかなというふうに思っています。
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それを今日お話ししたいなと思っています。
1月1日何が起きたかというと、ノド半島、石川県で大きな地震がありました。
マグニチュード7超えで気象庁の震度、震度界でも震度7マックスを観測したという地震になります。
おそらく震度7という震度という概念ができてから、5件か6件目ぐらいのほんの数例しかない震度ができたのは多分40年か30年前だと思うのですが、
その40年30年間で5、6回ぐらいしか起きていないような大きな大地震が起きました。
そこで今収録しているのが1月16日の火曜日なのですが、
今現時点での数値はあまり正確に抑えていないのですが、150人から200名程度の方が地震によって亡くなっています。
それの割と大きな部分を占めるのは、建物が倒れて生き埋めになって亡くなるという死亡原因が多いそうです。
私も正確な数値を抑えていないのでわからないのですが、建物が壊れて生き埋めになるというのが今回の地震で特徴的な人の亡くなり方の原因というのは、
あるそうです。
なので先ほどのタイトル、私の冒頭に言ったタイトルのように、地震で建物が倒れて人が亡くなるという現象が実際今回めちゃめちゃ多く起きてきたということになります。
このニュースを見て、私は今回の放送を自分の意見として、この2024年の1月時点での自分の意見としてこうやって残そうかなと思いました。
なぜ人災かどうか言えるのかというと、それはシンプルに、倒れるようにできたか、倒れる地震によって倒れる道を選べたか、倒れない道を選べたか、どっちを選べたかという選択肢があったという点で選択肢はあって、
その選択肢がありながら、倒れる道を選んだというのが、人災であるゆえの一つかなと私は思っています。
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なので今回、建物が倒れたんですけども、倒れなくできる選択肢があったはずなんですね。
これは強調して言いたいポイントかなと思います。
どういうことかというと、現状の建築基準法は大雑把に言うと、大体40年前ですかね、1981年に本当に大幅な改正がなされて、
それ以降の建物、1981年以降の法律によって建てられた建物というのは、一般的に言うと地震に強い建物と呼ばれています。
それより前は、地震に対するこういう強度の建物を作りましょうねという法律があるんですけども、
こういう強度でという強度がちょっと弱くて、ちょっと弱い強度で作りましょうねみたいな法律になっていたというのが1980年より前ということになります。
なのでその1981年を境目に強度が強い弱いというのが明確に分かれる時期がありました。
それ以降に起きた地震において、本当に壊れている建物というのは、本当にその大半が1981年より前に建てられた建物。
もうちょっと言うと、それ以降のマイナーチェンジというのが1985年かな、兵庫県南部地震ですね。
一般的な言葉で言うと阪神淡路大震災、その時の地震によってもそれより後でまたちょっと法律のマイナーチェンジがあって、
そこでもう一段建物の強度が上がるような法律改正があるんですけども、
その1980年と1995年の2段階で建物の強度がアップするような法律改正があったと。
そこを境目にやっぱりそれ以降の地震において建物が壊れる確率が確実に減っているわけですね。
そうやって2段階もパワーアップして法律的に建物の強度というのがパワーアップしてきた中での今ですね。
そのパワーアップしてきた建物というのは、例えば東日本大震災とか、あとは熊本地震とか、
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それ以降建てられた建物というのはそういう大きな震度7ですとか、
そういった大きな地震においてもそんなに倒れるような損傷の報告というのはほとんど見られていません。
なので簡単に言うと今建てる建物というのは地震ではほぼ壊れないんですね。
想定されている地震ではほぼ壊れない。
もっと言うと今の技術力を持って、例えば古い建物とか当然ありますよね。
当然新しい建物だけじゃなくて先ほど言った1980年より前に建てられた建物というのはもう本当に数多くあります。
で今の技術を持ってその建物を見たときに、じゃあこの建物は古いから倒れちゃうだろうなとか、
古くても何か強い作りしてるから大丈夫だろうなっていうのはもうあの一目でというか調査すればすぐにわかります。
はいわかります。
なので今ある建物が地震によって倒れるか倒れないかっていうのはもう絶対わかるんですね。
なので倒れそうだなっていう建物はもう一瞬にしてわかります。
そんな中で例えば今回のノートハント地震においても倒れた建物があるわけなんですけども、
その建物について当然倒れる前からですね、倒れる前からその建物っていうのはおそらくもう地震が起きたら壊れるだろうなっていう風に
認識されていた可能性が高いわけですね。
でもうちょっと言うと、先ほど言ったように法律の面から見ても倒れるか倒れないか倒れやすいか倒れにくいかっていうのは
その建物が建てられた年代に依存するのが結構多いわけですね。
先ほど言ったように1980年、81年かなより前に建てられたら倒れやすい、後に建てられたら倒れにくいっていうのはもう本当に常識のようにわかるわけです。
なのでこの地域は1980年以上前に建てられた建物が多いからこの地域ちょっとチェックしとかなきゃなっていうのも
もう本当に詳しい調査をする前からそんなことはわかるわけなんですね。
でじゃあちょっとチェックしなきゃねって言ってそれが判明した時にじゃあちょっと詳しく一件一件調査しようか
調査しないで置いとこうかっていうのはこれ人の判断なわけですね。
おそらくはあんまり調査されずにちょっと置いておこうかって判断された地域において地震が起きた時に建物が建て壊れるっていう事例が多かったんじゃないかなという私は個人的には推測しています。
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っていう風になのでじゃあ理想的な話どうやったら防げるかっていうとここは1981年前に建てられた建物が多い地域だからちょっとここ重点的に調査してみようかと言って
それで一件一件調査してこの建物はなんか古いけど強度高そうだからOKとかこの建物は古いからちょっとダメそうだねっていうOKとNGの判定をしていくと
NGの判定が出た建物に対してはそれを補強する技術っていうのも日本は持ち合わせてますので
地震によって弱い建物をじゃあこういう感じでやればNGをOKに持っていきますよっていうのは技術を施せば100%OKにできるわけです。
それを当然施すか施さないかっていうのは当然人の判断になっていくわけです。
それを施せば当然強い建物になって地震が来ても大丈夫っていう風になるわけです。
なので理想的なこと言うとここは怪しい地域だからチェックしてみようっていうアンテナが働きそのチェックした結果NGの建物に対しては補強する補強工事をするっていうので地震が来ても被害がない被害が極力少ないことにできたはずです。
そういう選択が人間にはできたわけです。
それをしなかったから建物が倒れたと言えるっていうのは割と近い真実なのかなと思っています。
そういった点で私は地震で建物が倒れるっていうのは地震災であると言っています。
じゃあなんでそれしなかったっていうのはしなかったかっていうのは当然理由があるわけなんですけども。
なぜできなかったかっていうのは割と原因は明白で人がいないからお金がないからですね。
先ほど言ったように調査すればOKNG怪しいなって思う地域に対して調査すればOKNGっていうのが分かるわけです。
NGなものに対しては補強工事をすればOKにできるんです。
ただ例えば調査する人がいないとかNGなものに対する補強工事をするお金がないとかそういった理由でそれらを断念せざるを得ない状況になっているっていうのが今の現状かなと思います。
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私はそれに対していやどうしてもそれをすべきでしょっていう意見は持っていません。
なのでその人災であるんですけども人災である選択をしてしまった人に対して別に批判をするつもりはありません。
ないんですけどもありません。
ここで大事なのが当然現地にいる人たちはお金がないからできなかったっていうふうにやり過ごしてそれでこういう結果になってしまったんですけども
それを天秤にかけてほしいなというふうに思うんですよね。
今でいうと例えばお金をかけて工事をすれば助かるお金をかけて工事をしなければ人が亡くなってしまうっていうそのお金と人の命っていうのを天秤にかけるわけですね。
天秤にかけられてその結果お金が取られたわけですね。
人の命がちょっと言い方が悪いですけど捨てられてお金が取られたわけです。
その結果今回のようなことになったわけです。
そういった一面もあります。
それはしょうがないことだと思うんですけどその結果自体は批判すべきものではないと思うんですけどもそれはしょうがないんですけどもそうであると認識すべきなんですよね。
そういう選択をしたからそうなったっていうふうに認識できるかっていうのは結構大きいかなと思います。
地震が起きたから建物倒れて人が亡くなっちゃったよねではなくてその時の選択でお金がないから補強工事をしないという選択をしたから人が亡くなったそういったふうに思うべきなんですよね。
それを認識しているかしていないかで人の思いとか人のその後の行動とかが確実に変わってくるのかなと思います。
その結果を踏まえてやっぱり人の命とお金を天秤にかけてどっちがやっぱりどっちが重いから今後もこっちを選択しようというふうになれると思うんですよね。
それどっちが重いか軽いかっていうのは今日の議論に入れないとしてもやっぱりそれを認識することで今後の行動とかいうふうに変わってくると思います。
当然今回の都半島で起きた地震っていうのはおそらく5年ぐらい以内には別の地域で同じような規模の地震が起きます。
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多分日本全体で地域を選ばず言えば5年ごとぐらいに大きな地震というのは起きてるんでおそらく5年以内にはまた別のどこかで同じくらいの規模の地震が起きます。
その時にどういう行動をとるかその時までにどういう選択肢をとるかっていうのは今回得られた教訓によって別の地域なので判断する人は別の人かもしれないんですけども
そういうことを心に留めておけばより正しいというか正しいか正しくないかを置いておいてより過去の悲劇を反映させた選択っていうのができるのかなと思っています。
ということでちょっと最後の方が熱くなって長く喋ってしまったんですけども今日の話はこれぐらいにしておきたいと思います。
話をまとめると私は今回のノトハントの地震を見て今回だけじゃなくて前から思ってたんですけどもやっぱり地震が起きて建物が倒れて人が亡くなるっていうそれを現象自体は人災だと思っています。
天災ではなく人災だと思っています。
それはなぜかというと人がそっちを選択したからそれが起きたっていうのがもう明白だからですね。
逆に言うと理由は何であれそっちじゃない方を選んでいたら人が助かった人が亡くならずに済んだっていう選択ができた。
現実的に現実問題としてできたかは置いておいてそっちを選択するっていう選択肢があったからですね。
それをそっちを選択する選択肢があったにもかかわらずその人が亡くなる方の選択をしたから私は人災だと思っています。
ただそっちを選択するっていうのは結構大変なことで先ほど言ったようにお金とか人っていう大変深刻な問題が絡んでくるのでそっちを選択しなかったから悪いじゃないかみたいなことは一筋縄では言えないことかなと思っています。
ただそっちを人が亡くなる方を自分たちは選択したっていう事実ということをそれぞれ認識すべきだと私は思っています。
それを糧に次近い将来来るであろう他の地域で来るであろう地震に向けて備えていければいいなと思った次第です。
21:05
ということで今日はこんなところでおしまいにしたいと思います。またねバイバイ。
21:17

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