1. BIBLIO JAM
  2. #44 映画『NAZA ナザ』兵士た..
#44 映画『NAZA ナザ』兵士たちは、なぜ虐殺を「事務作業」と呼べたのか? #10minReview
2026-11-01 11:52

#44 映画『NAZA ナザ』兵士たちは、なぜ虐殺を「事務作業」と呼べたのか? #10minReview

おたよりを送る

【本日紹介の映画】

『NAZA ナザ』

▼映画の詳細はこちら

https://transformer.co.jp/movie/naza/

監督:ユヴァル・アブラハーム/ラヘル・ショール

製作総指揮:ジョナサン・グレイザー

2026年/イギリス/80分/配給:トランスフォーマー 10月24日(土)

シアター・イメージフォーラムほか順次公開

©The Guardian 2026


【エピソード概要】

人を殺すことを、なぜ「事務作業」と呼べてしまうのか。今回は本から少し離れ、ドキュメンタリー映画『NAZA ナザ』を紹介します。映画の舞台であるテルアビブの夜にならい、都内のビルの屋上へ。途中からシルエットになってお届けします。

イスラエル軍の兵士や諜報員24人へのインタビューで浮かび上がる、民間人の犠牲を「NAZA」という単位で数える言葉、紙の上で人を点に変える図、担当が細かく分かれた軍の手続き。その一方で、約60キロ離れたテルアビブには、いつもの暮らしが続いています。

言葉と図と距離が、人を見えなくしていく。そして最後に、手続きの話とガザの人々の姿がつながったとき、何が変わるのか。映画への軍の反論にも触れながら、数字の向こうにあった一人ひとりの夜を考える10min Reviewです。


【チャプター】

() ドキュメンタリー映画『NAZA ナザ』

() 大きすぎる数字が、顔を消していく

() 兵士たちは、なぜ顔を隠したのか

() 死者を「単位」で数える軍の言葉

() 虐殺が「事務作業」になる仕組み

() 爆撃のすぐそばで続く、ふつうの夜

() 暗闇は、正直さを引き出す

() 最後の数分で、すべてがつながる

() 犠牲者の数だけ、夜があった

※以降は映画終盤の内容に触れます。


【出演】

プレゼンター:内藤 順

【BIBLIO JAMを応援する】

番組をお楽しみいただけましたら、ぜひフォローとレビュー(星評価)をお願いします。ご感想はお便りフォームもしくはX(旧Twitter)で #bibliojam をつけてポストしてください。番組内でご紹介させていただきます。

▼お便りフォーム⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

https://forms.gle/Dr8stJebDr7xHS3J6

▼X(旧Twitter)  ⁠⁠⁠@biblio_jam⁠⁠⁠⁠⁠⁠


#映画 #ドキュメンタリー #映画レビュー #ガザ #NAZA #podcast #イスラエル

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

00:05
こんにちは、BIBLIO JAM始まりました。プレゼンターのナイト・ジュンです。
今日は、10minReview、一つの作品を約10分、一人で紹介していきます。
実は今、都内の、とあるビルの屋上にいます。
目の前には、オフィスの窓明かりが見えていたり、ごくごく日常の風景がある。
今日紹介するのはですね、本ではなく映画なんですね。
NAZA。これ、イスラエルとガザの戦争を描いた作品で、舞台はまさにテル・アビブという都会のビルの屋上なんですね。
夜の屋上で、イスラエル軍の兵士たちが、顔を隠したまま証言していきます。
今日はそれに倣って、なぜか僕もシルエットでお届けしていきたいと思います。
最近ニュースで、こんな数字をよく見かけますよね。
ガザでの犠牲者、7万3千人以上。
大きすぎて、正直ピンとこない数字です。
昨日までの数字と何が違うのかも、よくわかりません。
数字が大きくなるほど、そこにいた一人一人の顔は、かえって見えなくなっていきます。
ナザは、人がどうやって数字に置き換えられていくのかを内側から描いたドキュメンタリー映画です。
ある証言者は、遠くから行う攻撃を事務作業のようなものだと語ります。
人を殺すことを事務作業と呼べてしまう、その仕組みをこの映画は兵士たちの証言から組み立てていきます。
日本では10月24日に公開されました。
僕も早速見てきたんですが、これがなかなかのインパクトでした。
それで今回は本ではありませんが、特別に紹介させていただくことにしました。
監督はユバル・アブラハームとラヘル・ショール、2人ともイスラエル人で、前作のノーアザーランド、故郷は他にない、でアカデミー賞を受賞しています。
この作品も今年のベネチア国際映画祭で審査員特別賞を受けました。
ガザの映画というと、崩れた建物や粉塵、泣き叫ぶ人の映像を思い浮かべる人も多いかもしれません。
ところがこの映画のカメラはガザには入りません。
捉えられているのはそこから60キロ離れたテルアビブです。
そこで監督の2人がイスラエル軍の兵士や重砲員24人にインタビューをしていきます。
ガザの監視や遠くからの攻撃に関わった人たちです。
証言者の顔が影になっているのは、身元が分かれば報復を受ける恐れがあるからです。
声も加工されています。
質問はとてもシンプルです。
どんな命令を受けたのか、そして何をしたのか。
このインタビューを受けた理由というのも、人それぞれで罪悪感を抱えて話したという人もいれば、
長く続けてきた仕事への誇りから話した人もいたそうです。
それにしても、なぜイスラエル人の監督が自分の国の軍を問いただすような映画を撮ったのか。
これ、きっかけはですね、2023年10月7日のハマスによる襲撃です。
イスラエルの人々は深い恐怖と怒りの中に置かれました。
そこから始まったガザへの攻撃の中で、監督たちはある考え方が国の中で当たり前のようになっていくというのを目にします。
それはガザには無実の民間人は一人もいないという考え方です。
03:04
自分たちの名の下で何が行われているのか、それを確かめることがこの映画の出発点でした。
そしてなぜイスラエル人のチームだけで撮ったのか。
これパレスティナ人の仲間が同じ取材をすれば、逮捕されて殺されかねないと。
だからイスラエル人の特権を使って内側から確かめる。それが自分たちの責任だったと言うんです。
外から避難するのではなく、内側から自分の国の言葉で聞く。それがこの映画の立ち位置です。
まずタイトルの話をさせてください。
ナザというのはイスラエル軍の内部で使われている言葉です。
ヘブライ語で付随的被害、つまり巻き添えを意味する言葉の略語なんですね。
ハマスの戦闘員を一人狙って攻撃するとき、一緒に死ぬと予測される民間人の数。
それを軍の中ではナザと呼びます。
この攻撃で何人の人が死ぬのかとは言わないんですね。
ナザはいくつかという。
ある記者の解説によれば、証言の中ではこの見積もりが一度に100人を超えることもあったそうです。
人数を数えるのをやめて単位で数える。
たったそれだけの言い換えで何が変わるのか。
監督の二人はこう答えています。
他者を殺害するには相手の人間性から目をそらす必要がある。
相手を数字や画面上の点として捉えるのはその人から人間性を奪うためだ。
だからこそこの言葉をタイトルにした。
しかもナザという単位が軍の中で当たり前に使われるようになると、
巻き添えは起きてしまうかもしれないことではなくて、
最初から計算に入っているという前提になってきます。
問われるのは民間人が死ぬかどうかではなく、
その数がいくつになるかになってしまうんですね。
ナザは人を人として数えないためのツールなんです。
この映画の中で忘れられないシーンがあります。
証言者たちが紙にペンで図を描きながら説明するんです。
話しているのはAIだったり遠隔攻撃のこと。
なのに道具は紙とペンで、描かれるのは建物と点です。
監督によれば手で描いてもらったものには狙いがありました。
遠くから大量の殺害に関わった人が犠牲者をどう捉えているのか、
その加害者の視線が描いた図にそのまま出てくるからなんですね。
紙の上では人は点として表現されている。
最初にお話したジム作業のようなものだという証言が出てくるのも、
こういった説明の中なんです。
監督によれば軍の仕事って細かく分けられていて、
一人の将校が担うのは標的を決めてから攻撃するまでの流れのほんの一部分。
06:00
決定も段階ごとに別の人や部隊へ分かれていく。
自分の担当だけ見ていると、その先で人が死ぬことが業務の手順の中に隠れてしまう。
僕にはこのジム作業という言葉が、そんな事実を言い荒らしているようにも聞こえました。
ここで僕たちが持っている虐殺のイメージが大きく揺さぶられますよね。
虐殺というと憎しみに駆られた兵士だったり、狂った独裁者の姿みたいなのを思い浮かべますよね。
でも監督ははっきりと言います。
この映画の主題は、命令に背いた一部の兵士による散発的な戦争犯罪ではない。
フォーカスを当てるのは命令そのもの、政策、習慣になった行為、そしてそれを許す言葉と論理、
つまりシステムと歯車なんだと。
虐殺を動かしていたのは怒りだけではなかった。
計算と手続きだった。
この映画が証言から組み立てていくのはそういう姿です。
そしてカメラは時々屋上のインタビューを離れます。
映るのはテルアビブの街並みと窓の向こうの普通の暮らしです。
監督によれば、イスラエルでは毎晩8時になると、何百万人もがテレビをつけてニュースを見ます。
一種の国民的な儀式です。
60キロ先で人が殺されているのに、ここではごく普通の日常が続いている。
監督はこの街を外から切り離されたバブルと言います。
窓の向こうの穏やかな暮らしとナザーを数える人たちは同じ街の中にいるんです。
ここで3つの話が繋がります。
ナザーという言葉が人を単位に変える。
紙の上の図が人を点に変える。
そして60キロという距離と窓の明かりが人を見えない場所に置く。
爆弾が落ちる前に人はもう言葉と図と距離に3重に覆われているんですね。
僕にはそれがこの映画の一番怖いところでした。
だから監督はガザの惨状をそのまま見せることに頼りませんでした。
直接的な暴力の映像に慣れて感覚が麻痺してしまった人の心を揺さぶりたかったと語っています。
そしてなぜ夜の屋上で撮影したのか。
監督の答えはとても興味深いものでした。
暗闇は犯罪を隠すものだと思われがちです。
でも人は明るい場所では決して言わないようなことを暗闇の中では口にすることがある。
暗闇は人の正直さも引き出すということなんです。
見えなくするための仕組みの証言。
これをあえて一番見えにくい場所で聞く。
そうすることで消されていた人たちの存在が声の向こう側に返ってくると。
ただしこの映画は今も激しい論争の中にあります。
ネタニア首相は監督たちの国籍剥奪を口にして、
イスラエル軍の参謀総長は意図的な現実の歪曲だと非難しました。
軍は映画が示す方針の存在を否定しています。
この映画の作り方をそっくり真似た反論の映画までネットに出回りました。
さっきの記者はイスラエル人の友人からこんな言葉を聞いたそうです。
もう紛争にはうんざりだ。見ないことにしたと。
一方で監督はこう語っています。
起きたことをなかったことにしたくない。
09:02
なかったことにしている限り犯罪は続いていくからだと。
崩れた建物や泣き叫ぶ人の映像。
ガザの映画と聞いて多くの人が思い浮かべるような場面は、
実はこの映画の最後の方に出てきます。
終盤まで僕たちが見続けるのは、夜の屋上の影と紙の上のテント、テラアビブの窓明かりです。
ガザの人たちはナザという単位で数えられ、図の上の点にされたまま、ほとんど姿も見せません。
そして最後にガザの映像が映し出されるんですね。
廃墟の前で泣き叫ぶ人、必死で子供を探す父親。
こういう映像だけならニュースで何度も目にします。
これつらい映像ではありますけども、正直それだけで驚くようなことはないんですね。
軍の手続きの話もそれだけなら同じです。
標的を選んで巻き添いになる人数を見積もる。
淡々と聞いてるとどっかの職場の業務説明みたいにも聞こえるんですよ。
どちらも一つずつならそれほどのインパクトは感じない。
ところがこの映画では最後にこの二つが繋がるんですね。
それまでずっと聞いてきたナザはいくつかという見積もり、
その数字の一つ一つがこういう人たちだった。
その二つが繋がった瞬間、
さっきまで聞いていた手続きの話が全く別のものに聞こえてくるんですね。
80分かけて転移されてきた人たちが最後に顔を取り戻すと、
この組み立てがこの映画の一番すごいところだなと僕は感じました。
というわけで、今日は映画ナザをご紹介しました。
話は冒頭の数字に戻りますが、ガザデンの犠牲者7万3000人以上。
夜のニュースでこの数字を聞いても大抵はただの大きな数として流れてきます。
数字を聞いてもチャンネルを変えたらいつもの夜に戻る。
僕もずっとそうでした。
60キロ先で何が起きていてもテルアビブの夜がいつも通り続いていたように、
僕たちの夜もいつも通り続いていきます。
でもこの映画を見た後だと、同じ数字が少し違って聞こえてきます。
7万3000人以上というのは、7万3000通りの夜のことなんだと。
その一人一人にはどんな夜があったんだろうか。
そんなことを想像させてくれる映画です。
制作に加わったイギリスの新聞ガーディアンは、
今すぐ一人でも多くの人に届けるべきだと考え、
11月下旬に自社のウェブサイトで全世界に配信するそうです。
それでもスクリーンで見る価値があるという制作人の意向を汲んで、
日本では10月24日から異例の超緊急公開になりました。
イスラエル国内ではまだ公開されていません。
なざは、都内のシアターイメージフォーラムほか全国で公開中です。
できれば暗い劇場であの屋上の夜を体験してほしいと思います。
番組の感想もお待ちしております。
Spotifyの概要欄のお便りフォームまたはXで
ハッシュタグビビルジャムをつけてポストしてください。
天民2レビュー、今回は内藤潤がお送りしました。
それではまた次回。
11:52

コメント

スクロール