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2024-11-24 10:02

DIOの哲学#21

30代男性B型は久々にジョジョを見返してDIOの世界にハマる

サマリー

人間は不安や恐怖を克服し、安心を得ることを目的としています。このエピソードでは、DIOの哲学を通じて不安を克服する方法や妖怪の役割について考察し、自己嫌悪を理解し克服するための思考方法を提案しています。

人間の目的とDIOの哲学
人間は誰でも不安や恐怖を克服して、安心を得るために生きる。
名声を手に入れたい、人を支配したい、金儲けをするのも安心するためだ。
結婚したい、友人を作ったりするのも安心するためだ。
人のために役立つとか、愛と平和のためだとか、すべて自分を安心させるためだ。
安心を求めることこそ人間の目的だ。
これ、徐々に出てくるDIOというキャラのセリフなんですけど、
これを見てね、もうDIOになりたいと、願わくばDIOになりたいなと、そう思いまして、
この哲学を生活の中で実際に役立つ形、より実用的な形に落とし込むことができれば、
このDIOのね、不安や恐怖を克服して安心を得ることが生きることっていう、
この思想で生活することができて、引いてはDIOになることができるんじゃないかなって思ったんですよ。
なんで今回このDIO哲学を起点に、恐怖や不安を克服する方法、
こういうのを実用的にしていきたいなって思ったんで、これを普通に調べてですね。
あの、普通に手段を尽くして調べたんで、
それを皆さんにお伝えして、みんなでDIOになっていきたいなと、そう思うんですけど、
僕たちが一番しんどいものって、理由のない漠然とした不安じゃないですか。
不安にもいろいろあると思うんですけど、せめて明確な対処があれば、そのことについて調べたり、
なんか対策を練ることができるんですけど、
なんだかあの全てのことをネガティブに捉えてしまう、
なんかそういう大きい枠組みとして不安な状態っていうのがやっぱきついなぁって思うんです。
だからこの状態に陥った時にどう克服すれば良いのか、
これを考えることでDIOの道がぐっとね近づくんじゃないかと思いまして、
これ調べたところ、妖怪の成り立ちって一部このね、不安の性質っていうのが関係しているようで、
妖怪がばっこしていたまだ街灯のないね頃の夜中、真っ暗闇で月も雲で隠れていて、
目を凝らしてもねぼんやりとした道の輪郭だけが見えるような、
そんな状況。
風が強く吹いて山がザワザワッと音を立てて蠢くみたいな、
こういう場所が溢れていった日本で湧き上がる漠然とした不安に名前をつけたのが妖怪であると。
そういう見方もあるようなんです。
確かに何の理由もなくて得体も知れない真っ暗闇よりは、
特定の妖怪がね、出現する夜道であった方がちょっと気持ちも安定しそうなものだなぁと思ってて、
この手法を現代版に変換できないかなぁって思ったんですけど、
どうやら子供が抱える不安にあだ名をつけて、
不安を客観視できるように容易にするっていう臨床心理学に基づいたセラピーがあるらしいんですよ。
例えば自分の影を過剰に恐れる子供がいたら、
その影にあだ名をつけてしまうのが有効らしいんです。
だからポルポっていう名前をね仮にその影につけて、
子供が恐怖しているときにポルポくんこんにちはって挨拶できるような関係に近づいていくと、
その不安から逃げ続けるというか目を背け続けるっていう状況から一歩進展して、
その恐怖に向き合うことができるようになるらしいんです。
自己嫌悪とその克服
もちろんケースバイケースだとは思うんですけども、
この方法面白いなぁって思って、
さらに記事ではね大人でもそういった押し寄せる不安の波みたいなものに名前をつけるっていう対処も紹介されてて、
先ほど言ったじわじわと湧き上がる大きな不安を時々家に押しかけてくるどうしようもない友達とみなす。
ここでは仮にチープトリックって名付けたいんですけど、
チープトリックはね金曜日にやった仕事ね抜けがあるかもねとかそういうこと言ってくるわけですよね。
過去の失敗をねみんな覚えていてみんなあなたに幻滅してるかもねねってこう言ってくるんですよチープトリックは。
こういう具合で捉えるとその不安を客観視できるようになる。
ただここで鬱陶しいぞとか何をするんだってあからさまに厄介者扱いするのは良くなくて、
あくまでも客観視するための補助戦なんでよっチープトリックみたいな感じでね軽く挨拶できるような気持ちで対処すると不安を克服する近道になるみたいなんですよ。
これで全ての不安は克服できるので一件落着第3部完って感じなんですけど、
ただ自己嫌悪に陥った時ってこういうユーモアみたいなものを自分が持つこと自体、
罪の意識が生まれてさらに落ち込んでしまうじゃないですか。
だからといってね自己嫌悪の対策として歌われている理想や目標を持ってて完璧主義であるからこそ自己嫌悪するんだよとか、
ネガティブなことを一つ思い浮かんだらポジティブなことを3つ書きましょうとか、
成長のチャンスとして自己嫌悪を機会に勉強してみようとかね。
そういうのってもう本当にプロのカウンセラーが付きっきりになってないとちょっと自分の力だけは無理ってなっちゃうと思うんですよね。
だからこの自己嫌悪がなぜ起こるのかだけを事前に今冷静な時に知っておけば、
気分が沈んだ時もちょっと客観視しやすくなって不安の克服に役立つんじゃないかなと。
これも1位にね、自己嫌悪はこういうものですってそんな風に単純なものとして素人の僕が当然断じることはできないんですが、
調べた中で少し腑に落ちたというか納得感のあるものがあって、
それをエクストリーム解釈したところ、自己嫌悪っていうのはスタンドパワーだなって思うんですよね。
ジョジョを知らない方はこのスタンドパワーっていうのが精神力から発せられる超常的なパワーだと思っていただければいいんですけど、
筑波大学の心理学類教授である佐藤裕子さんによるとですね、
自己嫌悪している間は他人からの嫌悪に晒されないで済むと。
自分が加害者側に回って自分を嫌悪することで最も心にダメージが加わる他人からの嫌悪を回避できるとのことなんです。
他人から全然能力ないなとか頼りにならないなとかバカにされているとかそういうことを考え続けると心が壊れてしまうんで、
心の防衛策として自分自身が嫌悪する側に回っているとそういう論を展開していたんですよね。
だとすればもし体がこういう防御目的で自己嫌悪しているんだとすれば、
自己嫌悪というのは意外とポジティブな自分の中に眠る底力、つまりスタンドパワーだと捉えることもできるのかな。
他人の嫌悪をただただ長期間受けていては結局キャパシティがオーバーして自分の前に立ちはだかる人生の障壁みたいなものに対して思考が停止しちゃって、
戦闘放棄というか、結局何も考えないまま次に進んでしまう。
だからこそ自己嫌悪というスタンドが長期的に抵抗するために自分にとっての調整時間のようなものを設けてくれて、
内省の時間と気持ちの回復というのを経て、また改めて他人からの嫌悪の原因について考えるというプロセスを組んでくれているんじゃないか。
そういう誠実な心のシステムが自己嫌悪なんじゃないかなって思ったんですよね。
だからもう終わりだって自分の存在否定に走っているときも、それを考えているスタンドエネルギーだけは全ての物事に真摯である勝者と言いますか、直面している問題と向き合おうとする心の現れとも言えますから、
自己嫌悪でパニックになったときは逆にこの自己嫌悪を最後は頼りにすればどん底から抜け出せるんじゃないのかなってそう思うんですよね。
何か大事な場面でね、初歩的なミスをしたときとか落ち込むと思うんですけど、
その自己嫌悪に陥っている自分の自己嫌悪の心っていうスタンドだけは他人から侵害されない唯一の場所なんで、
ちょっと心が落ち着いたらね、あとはプロの臨床心理師さんに相談するなりして、なりゆきに任せるっていう。
これがリオの言う不安や恐怖を克服するための考え方なんじゃないのかなってそう思いましたね。
っていうね、リオになろうといろいろ普通に調べていたら、ちょっと内容が内容なんで少し真面目な話になってしまいましたけども、
あの30代男性B型ラジオではこのように様々な角度から皆さんの悩み、相談ごとに取り組んでまいります。
すべてはこのラジオを聞くことで、安らかな心と永続なる平穏は訪れます。
信じる者は救われます。信じなければ救われません。
本日もご静聴ありがとうございました。田山でした。
10:02

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