見える人と恐怖の正体
見える人って言いますよね。幽霊が見える人。 僕はそういう才能は全く持っていなくて、全然見えないんで、
見える人の話を聞くと怖いなーって素直に思うだけなんですけど、 これよくよく考えてみると、僕は幽霊そのものに恐怖しているっていうより、
僕が見えないものが、見えている状態で存在しているっていう、 それを恐れているんじゃないのかなって思うんです。
見えるものって、ついつい理解したくなってしまって、 これどういう仕組みで見えているんだろうとか、
僕の見えない何かの正体は何なんだろうって、もやもやしますよね。 で、見える人からの断片的な情報だけが入ってきて、
理解できそうでできない、この分かりそうで分からないっていう、 チューブラリン状態が一番怖いんじゃないかなって思うんです。
燃え盛る火の玉を見て、人玉かもしれないってなると怖いですけど、 正体が大きなホタルだっていうのがわかれば怖くなくなりますよね。
感知していなかったものが、存在の兆候を見せて、 それが理解できないっていうのが怖いわけですよ。
だから幽霊に限らず、見えると怖いものって多分この世にたくさんあって、 ここを掘り下げることができれば、
よくある雑談のテーマである、無人島に何持っていくかとか、 宝くじ当たったらどうするかに次ぐ、
見えると怖いものって何があるかなって、 そんなテーマにたどり着ける気がするんですよ。
なので今日は積極的にね、見えると怖いものについて、 皆さんと考えていきたいと思うんですけども、
肉体的な見えるものの例
まず怖くない例から考えてみたくて、 あの漫画でモヤシモンって漫画あるんですけど、皆さんご存知でしょうか。
金が見える主人公の大学生活を描いた漫画なんですが、 これは全然怖くないですよね。
見えないものが見えているにもかかわらず、全然怖くない。 僕たちは金が見えないですけど、金の働きとか存在みたいなものを、
なんとなく理解していて、別にそれが見えたからといって、 あ、まあ見えるんだね、すごいねって終わらせられるわけですよ。
だからやっぱり怖いのは、中途半端に見えててかつ理解できないものだと思うんですよ。
それで考えると、見えると怖いものって2つに対別できると思っていて、 それが肉体的なものと概念的なものだと思うんです。
例えば肉体的なもので言うと、皮膚、見えない皮膚が見える人。 これ怖くないですかね。
僕らの皮膚の表層に、 本当は緑と紫のマーブル模様が走っていたとしたら、
この僕たちが肌色と呼んでいる綺麗な肌じゃなくて、 さらにその上に緑と紫のマーブル模様の皮膚がある。
そしてそれが見える人がいる。 普通は見えないけど、見える人には全部見えてしまう。
化粧をするのも乳液を塗って肌ケアするのも、 見える人からすればマーブル模様をかき混ぜているだけでしかなくて、
プリンをかき混ぜてカスタードとカラメルが混ざりきらないように、 マーブル模様が整うことはないわけです。
すべての努力を無意味化してしまう見えない皮膚っていう存在。 想像してほしいんですけど、皆さんの一番仲のいい友人が、
なんか最近さ、みんなには見えないと思うけど、 もう一つの皮膚が見えていてって、そう話し出して。
それだけならまだね、怖くないかもしれませんが、 このマーブル模様の位置をその人が
具体的に指摘し出したら怖いですよ。 いつも化粧してるけど、
それやればやるほどマーブル模様が細かくバラバラになっているんだよねって言われたり、
タヤマの首の色って普通は緑と紫の皮膚なのに、 今まで見たことのない色をしているよねって、
まあそういうふうに言われたりする。 この自分の全く知らない世界を語られる感じ。
これなんか怖さありませんか? その人が見ているね。
皮膚の模様が何を意味しているのか。 肌を触って混ざり合ったマーブル模様っていうのは一体どうなるのか。
他人の皮膚に触った時マーブル同士はどう反応しているのか。 そういうのが分かりそうで分からない。でも見える人がいる。
これが怖いと思うんですよ。
もう一つ肉体的なものとして例を挙げるとすれば、 知らない臓器が見える人。これも怖いですよね。
心臓や肺ならいいんですよ。 この辺はね、あのだいたい知っているものですから。
でもその人にだけ見えている謎の小さな臓器っていうのがあったら、 これ怖いですよね。
その臓器は個人差があって大きかったり小さかったり、 その場所もね人によってちょっとずれていたりする。
でもその臓器が何を担っているのかも全く分からない。 でも見える人には見えて、
その人が落とす情報が異常の兆候なのか、そういうことが全く分からない。 当然病院に駆け込んでみても
そんな臓器ありませんよって言われて、 その臓器が見つかることはない。
これもね見えると怖いものだと思うんですよ。 これが肉体的な見えると怖いもので。
概念的な見えるものの例
こういうのって僕たちが中途半端に 病気の知識とかを知っているせいで
何も分からない幽霊っていう存在よりも 恐ろしく感じるんじゃないかなって思うんです。
それで言うとカテゴリーとしてもう一つ大別される概念的なもの。 例えば力が見える人って怖くないですか。
重力とか磁力とか、なんかよく知りませんけど弱い力だの、強い力だの、 科学でいろいろ説明される力っていうのが見える人。
まあそれ自体はいいんですけど、 この科学で説明されている力が見える人が
科学で説明されていない力まで見えているとき、 これ超怖いですよね。
まだ人類が知らない力っていうのは、目の前の生活の中で普通に作用しているのが見えている状態。
その人がね、あなたの頭にすごい力が作用してるけど大丈夫って突然言ってきたり、
何かわからないけど自分の自宅にとんでもなく大きな力が集まっているのが見えたり、
でもそれは幽霊的な印象じゃなくて、あくまで科学で説明できそうな状態っていうか、そういう雰囲気があるとき、
これめっちゃ怖いですよね。 概念で言うと孤独みたいな感情が見えるのも怖そうですよ。
孤独を感じている人には、なんだか乳白色の棒みたいなものが体に突き刺さっているように見えるとかね、言い出したとして。
それも形容するとしたらそうであって、実際にはそんな単純な棒とかとは言い表せられない、乳白色のような棒のような、でも少し粘り気のある、
そんなものが体に刺さっていると。 俺友達多いんだよねって思っている人でも、見える人から言わせれば
その乳白色の棒が3本ぐらい刺さっているよって、そういう風に告げられたり。 だからそれが本当に孤独なのか、孤独に似ているけどまだ名前が付けられていない感情なのかがよくわからない。
でも話を聞いていると、ネガティブな何かであることだけは間違いない。 だからめっちゃ元気な時に、
君今日棒刺さりすぎてて体が見えないよって、そう言われるとか。 一体何なんだろうっていう怖さ。説明がつかない怖さ。
そして最後に見えると怖いものの例としてあげたいのが、
死以外の結末までのカウントダウン。 チェーンソーマンっていう漫画で死以外の結末っていう話が出てくるんですけど、
そういう新たな概念。 これが見える人って一番ホラー要素あるなぁって思うんですよ。
怪我をすると死に近づく。これはまあ理解できるんですけど、 労働をするとアタノっていう謎の結末に近づくのが見える。
そういう人がいたらね、どうでしょうか。 あなたのタイムはあと3時間でアタノに到達しますよって言われたら、
死よりも不気味ですよね。 だってアタノが何なのかわからないわけですから、
そういう僕たちが認知していない概念に近づいているっていうのが見える人って、 幽霊が見える人よりよっぽど怖い気がするんですよ。
あの今日の話のね結論として、 実は幽霊って優しい存在なんじゃないかなって思うんです。
見えないものが見えた時の説明を一手に引き受けてくれていて、 全てが幽霊的存在の力であの説明できるわけですよ。
だから具体性を帯びずに程よく幽霊っていう干渉剤が働いてくれて、 僕たちの恐怖をね、どっか頭打ちにさせてくれるっていうか、
そういう不可思の恐怖への代用品なんだと思うんです。 僕らがこれが怖いって、これは恐ろしいって感じる、呼びやすいように、
あらかじめラベル付けしてくれている幽霊っていう存在。 そう考えるとね、今後幽霊に怖がっている時って、幽霊にむしろ感謝するタイミングなのかなって、
そういうふうにも思います。 暗がりで幽霊が怖い時は、もっと怖い見えるものを想像してみるっていうのもね一つの手かなと。
皮膚のマーブル模様とか、孤独の棒とか、 そうすれば幽霊なんてむしろ優しい存在になってきますよね。
はい、まあね、今日見えるものの話でしたけど、 こういう同じ具合で、五感ごとにね、それぞれね、本来聞こえないものが聞こえるとか、
触れないものが触れるって考えていくと、まだまだ怖さのバリエーションって増えそうで、 話しがいがあるテーマかなって思います。
結局のところ、怖さって、分かりそうで分からないことから生まれるんだなぁって、 今日あの、この台本作ってる時に思いました。
それをね、無理に分かろうとする僕らの習性が、怖さをね、 無限に増幅させてしまっているんだなって思います。
はい。 はい、今日もちょっと変な話でしたけども、ご静聴ありがとうございました。 タイマでした。
ピーガタラジオ