友情の重要性の探求
皆さんにお聞きしたいのですが、 友情とは何だと思いますか。
別に僕が病んでいるとかそういう話ではなくて、僕個人が何をもって友情としているのか、それを考えたことがないなぁって、ふと思いまして。
ということで今日はですね、一つ人類における最重要テーマの一つ、友情について解き明かして、
その終着点みたいなものがね、僕ちょっとわかっちゃったかもしれないんで、それについて話したいと思います。
友情とは何かが最重要テーマっていうと、もしかしたら大げさに聞こえるかもしれませんが、実際このテーマって身近なところだと
男性女性のね、異性間の友情は成立するのかみたいな話って、もうどこかしこそこかしこでずっと聞き続けるじゃないですか。
そういうところから、アリストテレスがニコマコス倫理学の中で、友愛とは何かっていうことについて語っていたり、
SNS時代でね、変化する友情の形みたいなのが論文でたくさん書かれていたりとか、いつの時代も常に僕たちの関心を集めてきた、とても大事なテーマっぽいんですよ。
しかも友情って、個人の幸福度とか寿命への影響が大きいらしくて、ある研究によると、幸福と最も相関する要因は良好な人間関係らしいんですよ。
お金とか地位も大事だとは思うんですが、結局はね、幸福って人間関係ってものが大きく関わってくるんだなっていう、そんな具合らしいんですよ。
ただこれって結構不思議で、幸福に直結するほど大事なはずなのに、大人になると友情ってだんだん希薄になってくるじゃないですか。
皆さんも少なからずそういうところあるんじゃないですかね。 僕は特にそうで、学生の頃感じてたような気安い友情。
放課後いつも友人の家行ってゲームしたりとか、デッキを持ち寄って遊戯王やったりとか、地元のお祭りにね、特段何かを買うとか何かやりたいみたいな目的もなく行ってみたりだとか、
なんか行動するときの同士として一緒にいて、 友情っていうよりは、なんかどっちかというと一体感に似た何かをずっと感じ続けていた気がするんです。
ところが大人になると、まず友情って予約制になっちゃうじゃないですか。 スケジュール調整とか、なんかその金銭間隔のずれとか、
あとはそれぞれの健康状態みたいなものに関わってくるし、 あと何よりもやる気体力、その行事イベントに行きたい気持ちがあるかどうかみたいなものを
押し量る必要があるわけじゃないですか。 それらのコストとリターンを無意識に計算してとか考えちゃって、
大人の友情って管理区分けされてしまうと言いますか、 人間関係というより、時としてコンテンツを消費するような形で扱われてしまうわけですね。
それに加えて転勤、引っ越し、大学進学、 こうした物理的な距離が広がって、放課後にばったり会える距離じゃなくなる。
コスト管理してない時代に育んだ友情も、会う機会が減っていくとね、 心理的な距離がだんだん広がって、徐々に失われていってしまう。
友情の形と「それって最高」
そういう変化する環境の中で、友情を再構築するのってめちゃくちゃ難しくないですか。 どうやっていけばいいんだろうって、目指すべき場所を見失いやすいと思うんです。
でも僕たちって、友情を完全に失うわけじゃないじゃないですか。 会えば嬉しいし、話せば盛り上がる、そんな人がね、一人や二人いたりしますよね。
だからそこに友情の到達点っていう共通認識がお互いにあれば、 迷いなく改めて友情を育むことができると思うんですよ。
なんか変な言い方になっちゃいましたけど、これが友情というものだとか、 ここに向かっていけばいいんだっていう指標、それがあれば二人で遊んでいる時もなんとなく友情を感じやすくなるんじゃないかなっていう、
まあそういう話で、でその指標、それが今回明らかになりまして、お話ししたいんですが、 友情の到達点は
それって最高っていう言葉です。 それって最高。皆さん聞いたことがありますでしょうか。
洋画の吹き替えで事件が解決した後の軽口に対して使われる言葉、それがそれって最高ですね。 よくあるシチュエーションとしては主人公が言うわけですよ。
いろいろあったけど疲れたね。ねえ家に帰ってホットココアでも飲まない? それもマシュマロ入りのやつ。
それに対してクラクを共にした相棒が答えます。 それって最高。
普通の会話ならせいぜいいねで済ませるところを、それって最高。 で答える。
これ以上に素晴らしい友情の形があるでしょうか。 しかし皆さんももしかしたらこう思ったかもしれません。
それって最高。 なんてフィクションの中でしか出てこないもので、それを友情の到達点っていうのはちょっとみたいなね。
しかし考えてみてほしいんですけど、 これを考え出した脚本家は、いかにこのシーンで観賞者に友情を伝えるかを考えてこのセリフを選んだわけですよね。
いいねでも素敵だねでもなく、それって最高、これなんですよ。 つまり映画や漫画、アニメに出てくる友情は僕たちの真相真理にある理想像とも言えると思うんです。
今回邦画ではなく吹き替えを選んだのもそれが理由で、 日本の物語だとどうしても自然かどうかを基準にセリフを考えてしまいますよね。
しかしアニメなどを含めた吹き替えっていう分野だと、その枠から外れた フィクション作品として一番友情を表すのは何かっていうのが純粋に考えられているんじゃないかなって
思いまして。 でもこういうふうにね色々話してきましたが、
やっぱ実例を見てみないとわかりませんよね。 だからそれって最高。
いかに友情を表すか、具体例を通じてねお話ししますと、 例えば久々に会う友人と居酒屋でお酒を飲んで盛り上がったとします。
そして飲み放題2時間が終わってすぐ帰るには惜しい。 そんな時に
近くに気になっている立ち飲み屋さんがあるんだけど寄っていかない? それって最高。
どうですか。 こんなに言われて嬉しいことありますか。
今日はもう遅いけどさ、このまま駅前のラーメン屋行かない? 深夜限定の塩バターコーンラーメンがあるんだけど。
それって最高。 明日天気いいらしいからコンビニでアイス買って河川敷でちっちゃい花火やんない?
それって最高。 もう少し歩けば駅着くけどちょっと雨がパラついてきたから
途中のカフェで雨宿りしない? それって
最高。 どうですか。いいですよね。こんな返答してくれる友人欲しくないですか。
そして僕はこの友情の形が認知されることで、さらにこの吹き替えのセリフっぽい返答が進化していくと予想しているんです。
友情を測る新たな指標
それって最高。 の他に、そのまさかだ。とか、よしいい子だ。が日常会話に組み込まれていくんです。
そうしたらなんだか馬鹿でウキウキした友情関係が築けるとは思えませんかね。
まあでもね、なぜか気分が落ち込んでいる週末の夜中に電話がかかってきて、良いニュースと悪いニュースがある。
と来るんですよ。悪いニュースは終電をなくして今からお前の家に泊まろうと思っている。そして良いニュースは
居酒屋で大量の手羽先をテイクアウトしたことだ。 そんなに言われたらね
それって最高って返すしかないじゃないですか。 皆さんもこれから新たな関係を構築する際には
それって最高にどれだけたどり着いているかで友情を図ってですね 足りてない分は埋めるし
到達してたら そこに充足感を覚えるといいますか
一つの指標として活用することで友情というものを真剣に考える機会にしていただければと
そんな風に思います。
今日なんか特になんか本当に意味わかんない
今日も変な話でしたけどご静聴ありがとうございました。たやほでした。