ポッドキャストの目的
この番組は、主婦であり木工作家である鈴木健太が日々感じたこと、考えたこと、大切にしたいことをトツトツとおしゃべりするPodcastです。
トツトツという言葉を最近知りまして、すごくきれいな言葉だなと思って、番組の最初の説明に入れようかなと思って今回から入れてるんですけど、
意味としては、言葉が滑らかに出ない、口ごもりながら話す様という意味があって、
自分の話し方というか、しゃべり方がそんな感じで、自分にすごくしっくりくる言葉だなと思って、
響きとかもかわいいなと思って、使っていきたい言葉だなと思ってるんですけど、
Podcastを編集していて、自分のしゃべり方が変なところで言葉が切れてたりするんですよね、
単語の途中に隙間ができてたりしてて、そこを編集で上手くとかせずにそのまま使っては流してるんですけど、
この話し方になってしまうというか、この話し方の元にある自分の中のものとして、
言葉を外に出すこと、特に口に出すことに恐怖心というか、ためらいが僕の中にはあって、
言葉に僕は主流関係があると思ってるんですよね。
言葉が自分の中にあるときは、自分が主であり言葉が自由であるんですけど、
自分の外に出た途端に言葉が主になって、自分が自由になるという感覚があって、
頭の中に浮かんでくる言葉は自分で制御ができるというか、制御できるイメージがあって、
一回思い浮かんで、違うなと思えば消すことができるんですよね。
なかったことにできるというか、それは違うって頭の中ではできるので、
言葉が自由というか、自分が主体的というか、自分に主導権がある感じなんですけど、
一回外に出てしまった言葉は形ができるというか、形ができてそれに抗えないイメージというか、
言葉に自分が引っ張られていってしまう感覚がちょっとあって、
言葉を口にするのにちょっとだけためらいというかがあるので、言葉の途中で間ができてしまったりするっていると思うんですよね。
話すのにためらいがあるのは、書いててしまったものは消せないという感覚があって、
文章とか文字は書いても消せるんですよね。
思っているだけの時の言葉と、自分の声帯を震わせて口から出力して、
それを耳から音声として入力された言葉は、同じ言葉だったとしても、
何か僕の中で違う感覚があるんですよね。
なので、声に出す言葉を外に出すのにちょっとだけためらいがあります。
なので、独り言とかもほぼほぼ言わない感じですね。
それで思ったことをすぐに言葉にして話せないというか、
言葉未満の泡
そういうことにコンプレックスというか、思ったことをポンポン言える人に憧れるみたいなこともあったんですよね。
自分に持っていないものはよく見えることはあると思うんですけど、
そういうのがちょっとあったんですけど、
一つ思ったことをすぐに言葉にできなくてもいいんだっていうのをすごく腹落ちした言葉があって、
寂しい夜にはペンを持てっていう本の中で、言葉未満の泡っていうのが書かれてるんです。
概念というかイメージというか。
言葉未満の泡っていうのは、頭の中に浮かんでは消えていく泡みたいなもので、
言葉にならない思いを言葉未満の泡っていうふうに書かれてるんですけど、
このイメージが僕の中にはすごくしっくりきて、
自分の頭の中にも泡みたいに浮かんでは消えていく言葉というか思いというかが常にたくさん浮かんでは消えたりしてて、
言葉未満の泡を外に出すというか、言葉未満の泡が頭の中にある状態を思うっていう、
自分の中で思っているっていう感覚で、それを外に出すっていう行為を言うとかって言うと思うんですけど、
言葉にして言うとかっていう。
思うと言うの間には距離があって、その距離は人によって違っていて、
僕はその多分思うと言うとの距離が長いんだろうなと思って、
その例えというか、そのイメージが僕にはすごくしっくりきて、
救われたというか、すぐに言葉にできなくてもいいんだって思えた言葉がこの言葉未満の泡っていうと、
思うと言うには距離があるっていう考え方で、すごく救われましたね。
話すことの意義
それで、何で別に話すことが上手でもない、苦手だとも思っているのに、
ポッドキャストで話すということをしているのかっていうことなんですけど、
やっぱり一つは、とつとつとでも話すことで自分を知ってもらいたいみたいなところがあると思うんですね。
やっぱり文章とか文字とかだけでは伝わりきらないもの。
声の大きさであったりとか、スピード感とか、マーとか、声質とかもそうですよね。
使う言葉遣いもそうか、話すときに使う言葉遣いと文章として文字にする言葉遣いは多分違っていて、
伝わる印象とかも違っていて、やっぱり声で話すのが一番人となりが伝わりやすいのかなと思ったりしています。
で、もう一つ話すことに対する、言葉にすることに対する恐怖心というか、
自分のものを外に出すことに対する恐怖心というと、
もう一個素敵だなというか、いいなと思う考え方がありまして、
全ては話し方次第という本の中に、話すということは聞いてくれる相手に自分を託すことという言葉があって、
自分を託すという考え方がすごい自分にはできてなかったな、今まで。
というのがこの言葉を読んだときに思った印象で、
自分を相手に託せてないというか、他人を信用、信頼できてないから話すということに対する恐怖心というか、
ためらいがあるのかなと。
声に出した言葉に引っ張られる恐怖心もあるんですけど、
自分をさらけ出すというか、相手を信頼、信用して自分を託すということが多分、
そこに対する恐怖心もあるんだなと思っていて、
そう、ポッドキャストで話すことで自分を託す練習にもなるかなと思ったりしてます。
ポッドキャストであることが僕にとってはちょうどいい気がしていて、
ライブとかで何かを話すときは多分無理だと思うんですね。
やっぱり思うというの距離が長いので、僕はスピード感のある話というか、
話のスピード感は遅いので、ライブには多分向いてないんですよ。
ライブで何かを話すということについては多分向いてないと思っていて、
沈黙というか、頭で考えている時間が長いので沈黙も多くなるんですよね。
でもポッドキャストは沈黙を消せるというか、編集で短くできて沈黙が気にならなくできるので、
でもある程度沈黙は沈黙で残すようにはしているんですけど、僕の話し方が消えてしまうので。
でも編集ができるという、長すぎる沈黙をなくされるというのは、
ポッドキャストがちょうどいいかなと思っているところではありますね。
ポッドキャストで目指しているところというか、やっていきたいこととしては、
普段は自分の頭の中で一人でやっていること、声を出さずにやっていることを、
あえて声を出してやってみてはいるんですよね、ポッドキャストでは。
普段自分の頭の中でああでもない、こうでもないという言葉未満の泡の状態のものを、
あえて外に出してみるという行為を今しているんですけど、
文章を書くというのは多分その言葉未満の泡、
微律な泡のように消えてしまうものをちゃんと形を持たせて、
きれいに整えてから出すのが書くことだと思っていて、
その形を整える前のもの、きれいじゃなくてもいいから、
言葉未満の泡をそのまま出してみようかなと思っているのが、
このポッドキャストでやろうと思っていることなのかなと思ったりしていて、
一応台本というか、こういうことを話そうかなと思うものは、
箇条書きというか、みたいにして書いてはいるんですけど、
話しながら思い浮かんだこともそのまま話しているので、
そういう意味では言葉未満の泡を形は微律かもしれないけど、
そのまま出してみようというのがこのポッドキャストで、
やろうとしていることというか、やってみようとしていることですね。
自分が話すことが誰かのためになるとはちょっと思っていないんですよね。
ただただ僕が考えていることをつらつらでトツトツと話しているだけなので、
でも結果として、こんな考え方があるんだとか、
こういう考え方が面白いなみたいなことを誰か一人でも思ってもらって、
何か変化につながったら嬉しいなとは思ってはいるので、
誰かのためにと言えば、自分のためにやっているはいるんですけど、
結果として誰かの小さな変化につながったら嬉しいなとは思っています。
でもなんだろうな、ちょっとは知識というか、
誰かのためになるものみたいなのもやってもいいかなとは思うんですけどね。
僕自身がスーツアクセサリーを作っているので、
フリンクスだったりネクタイピンについて何か一話撮るとかでもいいかなと思うんですけど、
自分の勉強にもなれるんでね、調べたりすると。
やるかどうかわかんないですけど、そんなこともできたらいいかなとはちょっと思っております。
だいたい話したかったことはこれくらいかな。
一応お便りフォームみたいなものは設けてあるので、
感想であったり、こんなこと話してほしいみたいなことだったり、
聞きましたよーだけでもいいので、何か聞いてもらえてるっていうリアクションがあると僕も嬉しいので、
よければお便りフォームのリンクは概要欄にあるのでそこをクリックしていただいて、
何かリアクションがあればリアクションしていただけると嬉しいです。
最後までお聞きいただきありがとうございました。