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RKB毎日放送ポッドキャストラボ、自分に優しくするラジオ、パーソナリティーのソフィです。
この時間は、皆さんにホッとするひとときをお届けします。 しなやかな筋肉のような心を目指し、自分に優しくする練習を声で綴ります。
さあ今日も始まりました、自分に優しくするラジオです。 先日30年来の先輩と2人で急にジェスチャーゲームすることになりまして
飲みの席とかじゃないですよ。長尾で平日の真っ昼間、2人きりでホテルの一室で。
なんでそんな展開になったかというと、先輩がシリコンバレーっていう言葉が思い出せなくて、待って思い出したいヒントって言うから、私はすぐ立ち上がって考えたんですよ。
そしたら、え?ジェスチャーゲーム?もう始まってる?って言うから、山だってなって、その後一人でハルコーバレー始めたんですけど
女子高生並みに笑い転げて、おもらししそうになっちゃったんですけど、久々にやると面白いなって。
で、笑い転げながらふと思ったんですよね。 あ、私もうちゃんと見られたいってあんまり思ってないんだなって。
2人で意味不明な動きをしながら、誰の評価も気にせず笑ってる自分を見て、すごく自由でのびのびしてるなぁって思いました。
そんなわけで、この話も今日のテーマにつながっていきます。 シリーズ最終回、1回目2回目と自己愛についてやってきました。
自己愛シリーズ第1回目は、自己愛は内面の倫理なのか 癒しを超えて生きる技術へということでお話ししました。
そしてシリーズ2回目、自己愛がないのはあなたのせいじゃない? 構造から考える自己肯定感の正体ということで、社会的な枠組みから自己愛というものを見つめ直してみました。
そして今回シリーズ最終回となります。 3回目は、愛されなくても大丈夫という静かな強さ
揺らぎの中で自己愛を育てるというタイトルです。 これは愛されたいと強く願う時期を抜けたからこそ、今私が語れる話でもあります。
それでは今日も最後までお付き合いください。 前半は執着が抜けた後に残るものです。
かつて私は人の期待に応えようとしたり、誰かの満足を満たさなければならなかったり、 そんな努力をしなければならない時期がありました。
でも今はそういう感覚がもうあまりありません。 誰かの正解になる必要もないと思えるようになりました。
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自分の心の平和に責任を持つ。 そんな活動を2018年からしてきて、誰にも期待されなくても割と平気な自分に気づいたんです。
自分の中に深く根を下ろすような静けさが生まれていたんです。 精神分析家、
ビニコットは言いました。 本当に満たされた人間だけが愛されないことに耐えられると。
この言葉を昔の私は強さの証明のように受け取っていたんですけども、 今なら少し違う意味にも思えます。
それはもう誰にも証明しなくていいという、開放の意味です。 成熟した自己愛というのは、愛されなくても生きていられるというよりも、
他者の眼差しに依存しなくても呼吸できるという状態なのかもしれません。
何者かにならなくてもいるという感覚。 私はかつてライバー事務所に所属して
配信活動をしていたことがありました。 その時キャラクターを演じることを求められて、
なんか疲れちゃったんですよね。 例えば語尾にワンをつけて話さなきゃいけなかったり、
おはようワン、とかね。
ちょっと本当に語尾にワンをつけて話すのに疲れたって言って、別の媒体で配信したんですけど。
もう退職代行も無理ですよ、本当に。今流行りの。 で、ちゃんとその下に私がいたんですよね。
それをやめてから拍手もリアクションもない日々の中で、それでもこうして息をしてね、
ご飯を食べて寝て起きてまた生きているわけですよ。 この何でもない日々に
なんかいいなぁって価値を見つけられたんですよね。 それが静かな自己愛の根っこかもしれません。
なんか昨日ね、電車に乗ってて思ったんですけど、 電車に座っている知らない人々。
ちょっと惹かれちゃうかもしれないんですけど、なんか魂みたいな黄色いぼやっとした玉がね、
それがランプの光なんですよ。 なんかこう
ランプの電球、まる裸電球みたいなね。 そういうものを一人一人が心のところに持ってて、
そのライトがぼやーっと温かくね、灯ってるんですよ。 明かりが。それがなんか人々の本質である温かい心だと思うんですよ。
なんかこう、なんかこうってすぐ言っちゃうんですよね。
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あの、ピンチになるとすっとこう、何も考えずに手助けしようとするじゃないですか。
それが私、人々の本質だと思うんですよね。 みんなそうやって温かい心があるんだなぁなんて、知らない人々をね、電車に座っている人々を眺めて思っていて、
もちろん自分も例外じゃないわけですよ。 自分にもそれがあるんだと。見えない時はあるかもしれないけど、確かにあるんだっていうことを知っておくだけで、
なんかポカポカとね、温かい気持ちになるんですよね。
哲学者のレビナスは、他者の眼差しによって自我は立ち上がると言いました。 でも今の私はそこに一つ付け加えたいと思います。
眼差しがなくても自我はちゃんと立っていられると。 他者の目線がない時にこそ見えてくるものがある。
自分の声、自分のリズム、自分だけの呼吸。 人気者にならなくても、何者かにならなくても、自分だけのホッとする安らぎがある。
最後に問いをおいて終わりにします。 あなたが何者にもなろうとしない時、どんな自分がそこにいますか?
シリーズ3回でお届けしました自己愛について、何かの参考になれば幸いです。 ここまでやってきて、
今日なんかMグラムっていうのを受けたら、 なんと私、
自己愛が強すぎました。ナルシストかもしれません。
さてここでいただいたお便りをご紹介します。東京都にお住まいのてっちゃん。 てっちゃんいつもありがとう。
自己評価は誰の声?にお寄せいただきました。 演じてしまうし理由づけしちゃってんだろうなぁ。
助けてが言えない。 高年期もきついし。っていうことで笑ってますけども、
てっちさん、てっちゃんっていつも呼んでるんですけど、男性の方ですね。 私と同年代だと思います。
男性の高年期もあるんですよね。
なんとかクライシス、ミッド、中年の危機ってやつですよ。わかんない。そういうことかな。
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演じてしまいますよね。っていうのが、与えられた役割ってあるじゃないですか。
息子として、夫として、 父親として、
上司として、部下として、 取引先のね、
なんですか、 相手としてとかね、お客様としてとかね、いろいろ役割がありますよね。
だけどそれを全部取っ払っても、自分っていうものがあって、そこをどう捉えるか、みたいなことかもしれませんね。
助けてが言えないって、やっぱりなんか男性にもしかしたら多いのかもしれませんね。
そういった男性たちを癒すことで、女性も同時に癒されていく、みたいな。 全体がね、いい感じに回るといいですよね。
助けてって言っていいんだよ。 言ってごらん。
Say!
言い方ね、いつでも匿名でも構いません。 こちらに助けてとか、思いの丈綴ってください。お待ちしています。
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それでは、今日もお聞きくださりありがとうございました。 今日も素晴らしい日になりますよ。
This program was brought to you by ウーマンズ・ネクストステージ