1. 自分にやさしくする™︎ラジオ
  2. Podcastのハードル|「書く」..
Podcastのハードル|「書く」と「話す」はどっち向き?#140
2026-07-14 14:34

Podcastのハードル|「書く」と「話す」はどっち向き?#140

spotify youtube
今回のテーマは、

「書くこと」と「話すこと」の発信の違い。

noteは気軽に書けるのに、Podcastになると急に収録ボタンが押せなくなる。

その理由を考えてみると、文章は自分の内側へ向かう行為なのに対し、声は誰かへ向かって放たれる行為なのではないかと考えました。

以前配信していた音声プラットフォームでは「声日記」を気軽に続けられていました。

しかしPodcastという場では、企業やプロの番組が目に入り、誰に求められたわけでもないのに。「整った番組にしなければ」「価値提供しなければ」というプレッシャーを自分自身で勝手に背負っていたことに気づきました。

Podcastの世界では約半数の番組が3エピソード以下で止まっているというデータもあります。

今回は、書く発信と話す発信の違い、そして自分で自分に課してしまう”完成度”というハードル、「続けること」と「完成度」の関係について一緒に考えてみませんか。

📮お便りの宛先

⁠https://forms.gle/hsUyfFr5bU4b8mMYA⁠

🔴X #やさラジ

⁠https://x.com/sophieauthentic?s=2⁠

🔴note

⁠https://note.com/jibunniyasashiku⁠

⁠🔴⁠ 『自分にやさしくするするカード©(GENTLELY CARD)』販売

⁠https://podlabfukoka.base.shop/items/126446150⁠



各種プラットフォームにてフォローボタンを押して次回配信をお待ちください!



【パーソナリティ】

ソフィ(MC・ラジオDJ・ナレーター)

協力:RKB毎日放送株式会社 Podcast Lab. Fukuoka

BGM・Jingle制作:SOPHIE

Music : Generated with AI (Pro Plan) 

Creative Direction & Concept: SOPHIE 

Production Supervision: SOPHIE 

This work was created using generative tools and prompt-based sound design.  

The prompts used in sound generation were crafted to reflect personal memory, silence, and tactile intimacy.

No license specified. Please contact the artist directly for any licensing or usage inquiries.  



※サムネはAIの忖度です。

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

このエピソードでは、ノートへの投稿は容易なのにポッドキャストの配信が滞る理由を探ります。執筆が内向きの自己表現であるのに対し、音声発信は外向きであり、プロや企業がひしめくポッドキャストの世界では「完成度」へのプレッシャーが自己課税につながることを考察。思考のアウトプットとしての執筆と、感情のアウトプットとしての音声発信の違いに焦点を当て、発信における「続けること」と「完成度」の関係性を紐解きます。

ポッドキャスト配信の現状と個人的な疑問
こんにちは、そしてお目覚めの方はおはようございます。自分に優しくする™︎ラジオ、ソフィです。
今日はね、なんでノートというプラットフォームには投稿できるのに、Podcastは投稿できないのかということについて考えてみたいと思います。
この番組を聞いてくださっている方の中には、ご自身も配信をしてらっしゃる方もいらっしゃると思います。
2021年にApple Podcasts上の約200番組を分析した調査がありまして、その中で44%が3エピソード以下で止まってしまっているということでした。
翌年、2022年にはPodcast Index上の約400番組で再集計すると47%、約190番組が3エピソード以下で止まってしまっているということでした。
だから約半数ですよね。Podcastの約半数が3話以下で止まってしまっているという状況なんですね。
もちろんそれぞれの事情や背景があると思うんですが、自分なりにね、これなんでだろうと思って。
言うて私は3話では止まってないわけなんですけど、非常に波のある配信。
不定期もいいところで、結構間開いて、やめたのかなって思われても仕方がないような感覚で、また戻ってきたりね。
気まぐれ配信ですよ本当に。で今日のタイトル、ノートには投稿できるのにポッドキャストは投稿できないっていうね。
それについて考えてみたんですけど、最近私ノート結構定期的に投稿してまして、別になんかしなきゃとかじゃないんですよ。
あっと思って、ダダダダって書き始めて2万字とかね。そんな多くない時もあるけど、割と自分の考えをノートに投稿してるんですね。
そうするとポッドキャストは滞るんですよ。全然なんか配信したい気持ちにならなくて、
なんで同じ発信なのに、書くっていうことと喋るっていうことにね、こんなに違いがあるんだろうと思って、何が違いなのかなーってぼんやり考えてたんですね。
だからそれをちょっとお話ししようかなと思ってます。
過去の音声配信とポッドキャストのプレッシャー
私ポッドキャストやる前にスタンドFMという音声配信プラットフォームで、2020年から2025年まで5年間配信してたんですけど、
なんかその時はなんだろう、SNSの側面が強いプラットフォームだったんですよ。だからなんかダラダラで誰に話すでもない独り言みたいなのを収録してたんですね。
なんだけど、なんとなく何者でもない、私みたいな何者でもないCの人々っていうんですかね。
そういう人たちと交流が生まれてって、世間話してるみたいな、そういう感覚で気軽に投稿してたんですよ。
でもなんかポッドキャストになってからそれができなくなって、番組化しなきゃ、コンテンツ化しなきゃっていうね。
そういうプレッシャーが勝手に出てきて、っていうのもなんかポッドキャストってプロの方とかいらっしゃるし、
あと芸能人の方とかね、企業で取り組んでいるガチの人とかもいるし、なんだろうな予算がついたりとかね、プロフェッショナルがいるんだなって。
なんかそういう人たちと同じなんていうのかな、プラットフォームでいるっていうね。
なんかもう全然違うんだけど、自分と。でも毎週何曜日何時からみたいなね。それすら守れないし。
バイブスで決め事も作らないように緩い感じでは配信してるんですけど、それが自分に優しいことかなと思って。
毎回同じテーマで話さなきゃっていうのもプレッシャーになるから、本当スタンドFMと一緒で好きなことやろうみたいな。
そういう感じで配信してるんですね。
「書く」と「話す」発信の性質の違い
にも関わらず、なんかやっぱハードルじゃないけど、どうして配信しないんだろうと思ったんですよ。
すごい好きだし元気になるし。でなんか配信できないことを悪とか良くないとか、そういう評価はしてないんですよ。
別に自分の番組だから好きでやればいいと思うんですね。
だからここでも自分に優しくするラジオ流というか、評価はせずにただ違いを観察したいなと思ってて。
やっぱりポッドキャストになると番組っていうね、なんかコンテンツにしなきゃって思うんじゃないかなと思って。
そうすると自然と中身はオチワとかね、公正価値提供とかね、なんか有益じゃないといけないかなとかっていう風に急にそういうコンテンツ制作になるんですよ。
でも結構私が好きなのは寄り道であって、
友達と話してて、そういえばさーとかそれで言うとーみたいな雑談っていうか、なんか番組にしようとしてない感じがすごい楽しくあったんですよね。
今考えてみるとポッドキャストって録音開始と同時に完成品を出すっていう感じになっちゃって。
さっきも言ったように周りにプロや企業勢がいて、勝手に番組としての完成度とか定期更新、価値提供の審査がね脳内で始まっちゃうんですよ。
別に呼んでないのに審査員席が満席みたいな。
でね、書くことと話すことの性質の違いについて考えてみたんですけど、なんか今も敬語、レスマス調にするかタメ口で話すか結構迷ったりしてて。
なんか書くことって途中で止められるし、削れるし順番を入れ替えたりとか、後からね、やってる途中とかでも、なんか思考が迷子になっても結構可視化されてるから文字があるから、
編集作業が楽だし、とか考えなくてもいいし、でもなんか声ってめちゃくちゃ温度とか情報量が多いんですよね。
プラス、私今まで何言ったか、冒頭から自分が何言ったか全然覚えてないんですよ。台本ないからね、今回。
でも文字の場合は、ここレスマス調、急にディアル調とかタメ口とか可視化されたものを確認できるんだけど、
音声はあれやばい、同じこと言ってるとか、あとなんか急に口調変わったとか、間が長いなとか。
気にせるところが多すぎて、私が考えたいのは気持ち的なところもあるけどもちろん、そうじゃなくて書くという行為と話すという行為の違いだよ。
もうすごい散らかっちゃうんだけど、書くっていう行為は日記的な文化があるじゃないですか、もともと。
間違えたとかね、そういうのも残しちゃっていいかみたいな、編集めんどいしみたいな。
でもさ、書くっていうのは別に全然削除とかディリートとか、カット、コピー、ペーストみたいなすごい簡単だから、
なんだろうな手軽だし、考えを整理しやすいしっていう。
さらに自然と内向きの行為だから、自分と向き合うのに合ってるなと思って。
対してポッドキャストは声を発するから、なんとなく外向きの行為に感じてて、声日記っていう形式でね、私はさっき言ったスタンデイフェムでは配信してたんだけど、
なんかその良さって、完成しなささ。完成してないところがいいところだと思ってて。
それもある意味内向きなのかなってどっちかっていうと。ちょっとまとめてみよう。
内向きと外向きの発信行為の考察
ノートは内側から書く文化が先にあって、誰かに向かって発表するっていうよりも、まず自分の中にあるものを置く。
で、後から誰かが読むかもしれないな、ちょっとここは失礼だったな、ちょっとここは毒吐きすぎたなとか、修正して。
だから公開されても、行為の出発点は内向きなんですよね。外に投稿するとしても。
一方ポッドキャストは、録音ボタンを押した瞬間に声を外に放つ感じがあって、
文章は机に置けるけど、声は空間へ投げるじゃない?だから話した時点で、急に誰かに届けるものになってしまう気がするのね。
スタンドFMではその外向き感が薄かったんだと思って、周りも今日こんなことあってさぐらいの温度感で、
井戸端会議というか商店街のベンチみたいな、まとまってなくても誰も企画書を持ってこないし、
そういう点ではポッドキャスト界隈は企業プロ、映像制作チームまで見えてくるじゃない?
だから同じ声を出すでも急に、構成は?届けたい相手は?コンセプトは?音質は?更新頻度は?とか、ブランド設計みたいなね。
制作委員会が登場するわけですよ。
自分に対して誰にも望まれてないし、そんな義務とかないのに、自分で完成度を上げようとして圧迫されてるっていうね。
自作自演なの。
ポッドキャストができないっていうよりも、この媒体に対して自分で公的な発話としての完成品の意味を載せすぎているんだなって思ったんですよ。
でもなんかノートは下書きのままでも文化として成立する?本当なんか日記、ジャーナルとかに代表されるようにすごくパーソナルなものだと思ってて、
でもやっぱポッドキャストってブロードキャストっていうか、なんか放送になってしまうのよね。
っていうことを考えてみました。
自己課税と発信媒体の性質
ここまでいかがでしたでしょうか。
今回は、書くことと話すことの違いについてを起点に、ノートとポッドキャストの発信の違いとハードルについてお話ししました。
あなたにも心当たりありますか?
ちょっと待って、今思いついたんだけど。もう終わろうとしてるのに。
ね、わかった。ノートは思考を表現してる。思考を表してて、ポッドキャストは感情を表してるんじゃない?
いやすごいじっくりきた。
興奮してぶつけちゃった。
なんか、だからそれで言うと別に、ね、みんな聞いて!みたいな、そういう気持ちってなくないですか?いや、ある?
私の場合、接する人が少ないから、みんな聞いてはあるかもしれない。
でもさ、そうそうさ、こういうことを伝えたいみたいな、不特定多数、誰が聞いているかわからないところに、私はこんな気持ちなの!っていうさ、それを投稿しようとは思わないな、なかなか。
これは私の考えであって、別にポッドキャストでも思考を置いてたりするし、自分もそうしてたし、情報とかいろいろあると思うの。
情報の伝え方とか、思考の伝え方って書いたり喋ったり、手話だったり、ジェスチャーだったり、わからないけどいろいろあると思うんだけど、私は大きく分けると、そうだよ、だから思考のアウトプットと感情のアウトプットだと思ってて、
これも思考のように思えるかもしれないけど、何て言うんだろうな、考えと思いみたいな違いかな。何々と考えていますっていうのと、何々だと思いますって、やっぱりニュアンス違うじゃないですか。
なんかその差だなって思った、自分の中で。
メッセージ募集とエンディング
ということで、一人納得しておりますが、この番組ではあなたからのメッセージをお待ちしております。
Xの投稿で、ハッシュタグやさらじ、やさはひらがな、らじはカタカナで投稿していただくか、概要欄にあります。
なんだっけ、概要欄にあります。フォームよりお便りください。
ルーでもハブでもキャンでもない、Bの私たちを祝福しよう。ここまでのお相手はソフィーでした。
14:34

コメント

スクロール