今日はメインテーマは情報発信ということで、
ちょっとご謙遜も入ったので、
今やられてる情報発信的なことのところはだいぶマイルドな感じで表現されたと思うんですけど、
やっぱりエフタさんも長らくツイッター、今はXですね、
情報発信と、あとはノートでも今書かれてるじゃないですか。
そうですね、ちょっと最近お休みしちゃってますけど。
あとあれでしたよね、YouTubeというか音声とかのコンテンツもやられた。
そうなんですよ、ちょっといろいろ試したいなと思いまして、
もうなんかXもあのありさまなんで、
僕の中では勝手に庭をイーロンマスクにやらされたみたいな感じなんですけど、
イーロンマスクのものになっちゃったんですけどね。
なのでちょっといろんなインターネットの世界ってどういうもんだっけ、
どういう風になっていくんだっけ、どうしたいんだっけみたいなのを考え直したいなみたいな感じで、
いろいろ触ってる感じですね。
メインだとノートと、あとボイシーによく配信してますかね、最近は。
結構今日の話にもつながってくると思うんですけど、
やっぱり国産のプラットフォームを使っていきたいなっていう思いはちょっとあります。
なるほど。
戦っていかないと、やっぱり。
ボイシーって僕使ってないんですけど、
なぜ結構みんなボイシーを使うのかなっていうところの、
そのボイシーの魅力みたいなものってなんかあるんですか。
国産の中ではブランドがありますよね、唯一。
音声プラットフォームとしてなんとなくボイシーで発信しているっていうことが、
へーってなるじゃないですか、若干。若干かどうかわかんないですけど、
なんかそこがいいところなんじゃないですかね。
ボイシーでやられてる方って、すごいボイシーでやってますっていうのを全面に出されることが多くて、
その他のプラットフォームって結構、
ポッドキャストだったりすると、特定のどこかのサービスを使ってやってる方は重要じゃないじゃないですか。
オープンなプラットフォームなので。
なので、ポッドキャストやってますみたいな感じなので、
ボイシーだけちょっと独立した感じというか。
なんか一応審査とかがあるっていうところとか、
そこが結構レアリティを出す工夫をされてらっしゃるんですかね。
なんか結構その著名人とかというかインフルエンサー的な人もボイシーを使ってたりとかっていうのがあって、
なんかええのかなみたいなのも、もしかしたら結構なユーザー数がボイシーにいるのかなみたいなのも、
なんか見てる限りだと、
ポッドキャスト、あまり盛り上がらないんですけど、
ボイシーはなんか盛り上がっててええな、あっちは。
ブロントノートみたいな関係性に近いかもしれないですね。
耳界隈をね、ちょっと盛り上げていきたいんですけどね。
ペンギンさんとはね、昔から音バンクさんとね、イベント一緒にやったりとかして、
実はね、ありますよね、音バンクさんとこに、オーディオブックのとこに。
ペンギン そう、いまだに2人の対談の音声が残ってますよね。
56年、もう56年じゃ済まないくらい前ですか。
ペンギン 2015年とかじゃないですか、もうちょっとさ、17年くらいかな。
いや、恐ろしいですね。
当時からオーディオブックオーディオブックってね、もうべっくさんおっしゃってましたもんね。
ペンギン そう、最近結構僕あれなんですよね、ポッドキャストを聞くようになって、
オーディオブックをなかなか聞く時間が取れなくなりつつあって。
その話聞きたいですね、べっくさんの耳事情みたいな。
ペンギン そうなんですよ、耳の時間の奪い合いが発生します。
えー、ポッドキャスト何聞いてるんですか?ユトタワ?
ペンギン ポッドキャスト、いやー、結構ミーハーですよ、有名どころだったら古典ラジオも聞いてるし、
ペンギン ユトタワ、どんぐりとかっていうのもあるし、
ペンギン まあやっぱりライブハック界隈だと、倉瀬さんのジャスキャスターとか、
ペンギン そういうライブハック界隈も一通り聞いてるみたいな感じです。
あーすごいんですね。
ペンギン そうなんですよ、ただちょっとボイッシーをやってないので、
ペンギン ボイッシーでやられてる方の音声を聞いてないので、
ペンギン ちょっとそこは、でもこれ以上ちょっと耳を奪うものをやってないなっていうのが悩ましい。
そうですね。
ペンギン あー確かに。
ペンギン あの、どういう時に耳使うんですか?ペンギンさんは。
ペンギン あのやっぱり通勤通学と、あと、最近結構なんですかね、あの、
ペンギン 一登録ゲームっていうのかな、えっと、
ペンギン 信長の野望出陣っていうゲームがあるんですけど、
ペンギン それをやってる時にこうウロウロ家の周りを歩いたりとか、
ペンギン あの散歩したりとかするので。
なるほど、なんかそういう、そういうゲームがあるんですね。
ペンギン あるんですよ。
歩く距離に応じてみたいな。
ペンギン 応じてとか、あのいろんな場所に行くと、こうちょっと領地が増えるみたいなのがあって、
ペンギン それをやってる時に聞くことが多いかなと思いますね。
散歩と相性いいですよね、やっぱり。
ペンギン そうそうなんですよ。
ペンギン ただそんなに1日に3時間も4時間も散歩しないじゃないですか。
そうですね。
ペンギン 出勤がなくなると、途端にやっぱり1時間、2時間ぐらいしか聞かなくなるんで。
いや、そうですよね。そこちょっと聞いてみたかったんですよね。
あのやっぱり通勤っていうところが必然的にこう耳でのインプットの時間になるじゃないですか。
強制的に。
ペンギン そうですよ、はい。
で、それがなくなった途端に、やっぱりこう強制じゃなくなるじゃないですか。
耳で聞くっていうことが。
ペンギン やっぱりある意味強制だからこそ入ってくるインプットってあったと思うんですよね。
そうなんですよね。
ペンギン そこの事情がどう変わったのかちょっと気になるかも。
やっぱり通勤電車が満員電車でも、今もまあだいぶ戻ってきたんですけど、やっぱり昔ほど、なんていうか地獄絵図じゃないですか、通勤電車が。
ペンギン そうすると、別に何なら本とか読めちゃうみたいな。
ペンギン あ、なるほど。
そう、iPadで本読めちゃうみたいなのもあったりして。
ペンギン ちょっと耳で聞いてると本読めなくなるんで、今度は目と耳で戦うみたいな通勤時間の奪い合いが発生してます。
ペンギン なんだかんだ例えば乗り換えの時とか駅から会社までとかで歩くので、そういう時には結構耳からの接種が多いかなと思います。
いやー、ベックさんといえば、どこまで話していいのかわからないですけど、お仕事の件についてはもう。
ペンギン 全然フルオープンですから私。
あ、そうですか。お仕事辞められて、ものすごく自由な時間が生まれたと。ものすごくっていうことじゃないかもしれないですけど、お子さんもいらっしゃいますし。
ペンギン 制限がめちゃくちゃある中で、その中でもすっごい工夫して時間使ってたと思うんですよ、ベックさんって。そこから自由な時間が生まれるじゃないですか。
ペンギン ちょっともて余したりしないのかなと思って。自由すぎて、例えば隙間時間をオーディオブックで埋めるとかじゃなくて、何でもできるみたいな。
ペンギン 自分なら本も読めるし、自分好きなことを書けるしみたいな時間が生まれたときに、ベックさんはその時間をどう使ってるんだろうっていうのはシンプルに気になる。
なるほど。ただ僕ちょっとあれなんですよね、フリーランスになったとはいえ、結構個人自由な人でサラリーマン的な仕事もしてるので。
ペンギン 忙しいっちゃ忙しい。
ペンギン そう、忙しくはないんですよ。前の仕事はもう地獄的な業務量だったので、確かにあの時はもう本当に。
よく正気を保ってたなって思いましたよ、話聞いて。
ペンギン もうあれですね、本当に自分でも不思議なんですよ。今本当に理解できないんですよ。なんであの時仕事しながらブログ書けてたかとか、ポッドキャッシュやれるか本当に意味わからんと思って。
話聞いて、そんな過酷な環境でブログ書いてたんだ、ベックさんとやって。ちょっとびっくりしました。
ペンギン なんかあの時に比べたら自分今ちょっとサボりすぎやな。
いやでもその時に比べたらもう何をしたってそうなっちゃいますよね。
ペンギン まあそうですね、やっぱり追い立てられてる時の方が限られた時間にガッと集中してやるみたいなのがあるかなっていうのが。
あとは現実逃避もちょっとしたかったっていうのがあって、切り替えないと仕事ばっかりやってるとどんどん頭がそっちモードになっちゃって気が休まらないので、ブログ書いたりポッドキャッシュやってると結構心が休まったっていう。
僕も公認会計士の勉強してる時が一番ツイッターはかどりましたもん。
ペンギン そうですよね、追い詰められると人間なんかあれですよね、出てきますよね。
メインで圧力を自分にかけてそこからプスッて抜けるというか、脇から抜ける空気みたいなのが一番エネルギーが溜まってるというか。
副産物的に情報発信ってやるのが一番ちょうどいいと思います僕は。
無理やり今日のテーマにつなげるとして。
でも大事なことですよね、なぜ情報発信をしてたのかっていうのを考えてみると追い立てられてるというか、
自分の置かれてる環境がこれは何かを残さねばならん的な創作意欲的なものにつながってた気がしますね。
すごい面白いですねそれ。追い詰められると人間って生き物って性欲増すって言うじゃないですか。
それに似たような自分の精神が追い詰められてることによって、やばい何かを残さなきゃっていう何かが生まれるんですかね人間って。
ペンギン それはやっぱあったんじゃないかなと思ってて、このままいったら死ぬかもしれんから死ぬ前に何かを残しておきたいみたいな。
それがもう本当に冗談に聞こえないんだよな。ペンギン さんの話聞いてからというか。
ペンギン 今にして思えばそういうのはあったなと思いますね。ずっとそいつ死んでもおかしくないなと思ってたんで。
別にあれですよ、自殺とかじゃなくてね。
過労でね。
ペンギン 過労でぽっくりいくんじゃないかみたいなのがあったんで。
ペンギン やっぱりそれで、自分の生きた証を残さねばなみたいなところもあって結構。
ペンギン メールマガジンをちょっと情報発信、簡単に整理をしておくと、僕ブログとメールマガジンとポッドキャストとYouTubeっていうその4本立てでやってるんですよ大体。
今NOWをやってるって何ですか?
ペンギン 今その4つを。
ペンギン 今はい、この4つの媒体がメインでやってる。
ペンギン 全然両立できてないですけどね。
ペンギン それで一番追い詰められたときにはかどったのがメールマガジンがはかどりましたね。
ペンギン その時々に心に移りゆくいろんなことをちょっと吐き出そうみたいな感じでやってたので。
ペンギン 刺激が多いとアウトプットって生まれるというか。
ペンギン その刺激に対する反応みたいな感じで今自分が考えてることを残しておこうみたいなのがやっぱりあるので。
ペンギン 追い詰められてるときとかってやっぱりそういう意味では刺激にはことかかない状態ですから。
確かに。
ペンギン やっぱりそういうのがあるのかなという気はしましたね。
当時からメールマガジン以外にもいろいろと自分の情報発信をしようというか思いを綴ろうって思ったら
ペンギン ホームページ、ブログとかツイッターもありましたし、いろいろあるわけじゃないですか。
ペンギン その中でなんでメールマガがはかどったと思います?
まず今のツイッターもやってはいたんですけど、あそこにあんまりそのまんまの感情を載せるととんでもなくネガティブなタイムラインができなかった。
ペンギン なるほど。しっくりこなかったって感じなんですね。
ペンギン ちょっとそれは良くないなと思って。いろんな人がマイナス方向に引きずられても困るなというのもあるので。
ペンギン そういう意味ではメールマガだとブログほどは肩引き払わずに気軽に書けて、それでいてツイッターほどは素のままでていかないというか、ある程度デコレーションして。
ペンギン マイナスなことなんだけどちゃんとどこかに希望があるみたいな。すごい意識してましたね。絶望のままに出さないということは。
その短くないある程度の分量必要だから、たぶんそのある程度の分量をまとめているうちに、ちょっとこれは言い過ぎかなみたいなのの、公正モードの自分が入ってくるというか。
ペンギン それでこう、ある程度商品として、その有料無料関わらず誰かが見るっていうものを作る過程で、なんか浄化されていくんですかね。
ペンギン そうですね。やっぱり何か書いているうちに、ちょっともともと頭が散らかっているのを少し整理するような意味合いでメールマガを書いてたので。
なるほど。じゃあ自分自身が過酷な中でメルマガを書くことによって、ある程度自分が整理されるみたいな感じもあったってことですかね。
ペンギン 客観してきるというか。それでだんだんだんだん、ただ当時のメルマガ読み返しても、おいやべえなこいつみたいな感じなんですけど。
ペンギン その時書いてる自分としてはそこまでなんていうんですかね、やばい感じというよりは、ある程度のデコレーションをして、
もうしんどいつらいでも頑張るみたいな、最後は切ってあげるみたいな。
確かにその時に発信したい内容、自分の中から掘り起こしたい何かっていうのが常にあるじゃないですか。
そのレイヤーによって深さがあると思うんですよね。もうちょっと情報っていう浅い部分の話とか、もうちょっと深いドロッとした部分とか、
本当にライフハックみたいなお役立ち情報ぐらいのレイヤーの時は、それを出したい時もあれば、もっと自分自身を整理するっていうことも含んで時間を使いたいみたいな時とか。
いろんなレイヤーでしゃべりたいことってあるじゃないですか。しゃべりたい、表現したい。それに応じた適切なプラットフォームってやっぱあると思っていて。
やっぱりXってこういうふうに使うべきとか、音声配信ってこういうことを発信すべきみたいなのって、一応結構いろんな人が語りますけど、その人によってこのプラットフォームがこの辺の自分のレイヤーを吐き出すのにちょうどいいみたいなのって、全然違うじゃないですか、人によって。
僕にとってはメルマガって多分ベックさんのようなポジションじゃないですよね。なんか話聞いてて、僕多分そのポジションに近いのがノートで、ノートがすごく自分の内面に触れつつ、でもちゃんと外面をいい感じにまとめたくなるプラットフォームなんですよね、僕の中で。
そういう、なんて言うんですかね、その時その時に応じて自分が出したい、表現したいものって結構プラットフォームによって引っ張られるみたいなのもあるから、なんか結構いろんなプラットフォームで出し続けるっていうのはいい気がするんですよ、情報発信として。
自分は今こういうことを発信したかったんだなっていうことに、後から気づくみたいなところがあると思うんですよね。僕結構反省点があって、Xがやっぱり僕の中で主戦場なんで、Xを頑張って使わなきゃっていう思いがずっとあったし、今も多少あるんですけど、
そこにとらわれすぎちゃうと、どうしても今自分が一番吐き出したい部分っていうところに、やっぱXだと触れられないっていうところがあるんですよね、どうしても。
そうなんですね。
そうなんですよ、やっぱりどうしてもフォロワーさんが増えてしまったことによって気を使いすぎている自分がいて、その時に音声配信をふっと始めた時に、文章では出てこない自分が出てきたなっていう感覚があったんですよね。
音声配信だと、こういうこと言うんだ自分みたいな新鮮さがあって、今自分が出したいのってこの辺だわっていうことが感覚的に思ったところがあって。
大して誰も聞いてくれてないんですけど、Xの中のスペースを使ってみたり、YouTubeを使ってみたり、ボイシーを使ってみたり、いろんな喋りのプラットフォームを使ってみて、一個一個の違いみたいなものを感じながら、
今のところボイシーの10分っていう制限とかが気持ちよく発信できるなっていう感じで、そこを使ってるっていう感じなんですけど。
たしかに喋りと書くときに出てくるものが違うというか、脳のモードが違う感はあって、
というのと修正が効くものと聞かせづらいものというところもあるので、私はポッドキャストとYouTubeの同時配信でやったりするので、
余計に音声切って貼ってっていう感じよりは、もっとガッツリ映像で残しちゃうので、編集するときに大幅に入れ替えのめんどくさいみたいなのがあったりするんで、
そういうのがあるので、やっぱり一発撮りのライブ感というか、こんな思いもよらないことを言うなみたいなのは音声系の方が多くて、
書くときはそういうのってちょっとスイコーとか編集が入って、どんどんデコレーションされちゃうというか、
編集できない内面に近いものが出るのが音声かなという気はしますね。
そうなんですよね。そこが面白いなって思って、僕も生配信みたいなの、生放送っていう形で喋るって本当に修正が効かないし編集が効かないじゃないですか。
だからこそ出てくる表現があるなと思って、すごいそれを自分にも期待して喋るっていうことをしばし繰り返してたんですけど、
僕どうしても沈黙怖い病と言いますか、配信中に黙っちゃいけない気がしていて、割とノンストップで喋り続けるんですよね。
それをやってた時に、こうやって二人で対談みたいな感じの時は、自分の頭の中を考える時間っていうのを余裕を持って取れるんですけど、
一人で喋ってると、喋り慣れてることしか喋らないな自分って感じ始めて、
ある程度誰かが聞いてくれているという緊張感がある中で喋ってると、
どうしても喋りにくいことは喋らないように意識的に避けちゃってるな自分って思う瞬間が結構あってですね。
迂回してるなと。
でもこの迂回している話題こそが自分の中で表現したいことのような気がすると思っていて、
この迂回しないためにはどうしたらいいんだろうみたいな。
あとなんか一人で生配信で喋っててもボキャブラリーが増えていってない感じがして、
喋り慣れた表現とかを使ってしまうので、そこをもう少しせっかく毎日やるんだったら、
新しい表現とかも使えるようになりたいなって思って。
そのためには一旦喋る前に編集の時間が必要だなって思って。
ボイシーって後から編集するんじゃなくて、喋ってミスったらミスったところから取り直せるんですけど、
後から編集していらない部分を切るってことはできないんですよね。
だからある程度自分の中で喋りたいことを頭の中でイメージして、
あるいは台本とかでこういう表現を使ってとかっていうのを用意して、
読むように喋るみたいな感じだったらできるんですけど。
そのやり方をすることによって、
普段自分の中では言わないような表現とかもあらかじめ用意しておけるじゃないですか。
それで自分の中で喋ってみるっていうことを繰り返すことで、
表現の幅が毎日の配信によって広がっているような感じがして、
映像も音声も。音声は切ってBGMつけるだけなんでそんなになんですけど、
やっぱり映像はちょろっとテロップ的なものを入れたりするので、
フルテロップやるともうとんでもない時間かかります。
そうですよね。
たまにやりますね。この回はフルテロップやりたいなって思ったら、
10時間ぐらいかけて20分ぐらいの動画を編集したりするんで。
もう大変です。
僕らどっちかっていうと文章畑じゃないですか。
だから文章畑だから文章と音声で表現できるものって違うと思うんですよね。
文章の方が得意だと思うんですよ。
僕は自分のことそうだと思ってるんですけど、文章を書く時間を差し置いて
音声というものに時間を割くということに対する葛藤とかってないですか?
僕は結構あるんですけど。
ありますね。
どうやりつけてるのかなってすごい聞きたいなと思ってるんですけど。
やっぱりできればブログだったりとかっていうのはちゃんと書きたいなって思ってるんですよ。
その上でポッドキャストみたいな感じなんですね。どっちかっていうと優先順位は。
例えばですけど1週間があるとしたらブログブログブログポッドキャストYouTubeブログブログブログぐらいが
ちょっと1日多かったけどぐらいが理想みたいな感じです。
あとはメルマガちょっと有料メルマガもやってるので、それも含めブログを2日3日やって
ポッドキャストYouTube1日1日で1日は有料メルマガぐらいのペース感でやっていきたいなっていうのはやっぱりあって。
じゃあ1日ごとに変えていってる感じですか?
1日に複数の媒体に発信するのはやっぱり時間的に厳しいから
1週間あったら月曜はブログ火曜日はYouTubeみたいな感じで分けてる感じですか?
やりたい感じ。やれてないけどやりたい感じ。
それが理想としてはそういう感じにしていきたいが、実際現実としては今どんな感じなんですか?
現実はちょっと最近ダメなんですよ。8月9月10月ともう本当に月で10本ぐらいしか出せてないんですよねトータルで。
それはもうポッドキャストとかブログっていうものをすべて足して10本の
そうですね。ポッドキャストYouTubeを2本。
今ちょっと目標というか自分がやりたい量の3分の1ぐらいしか出てないんですけどこれをちょっと3倍にしていきたいなっていうのはあります。
昔というか仕事がやばかった時期にはできてたんですよね。
不思議ですよねそれ。なんでだろう。
でもなんでなんですか?でもやっぱり1個のコンテンツ作り上げるのにかかる時間が違いますか?前と今では。
そうですね。
メルマガを1個書き上げるよりもポッドキャスト1本仕上げる方が時間かかるんじゃないですか?
そうですね。後でポッドキャストYouTubeに時間はかかるんですよね。
有料メルマガもいちじるしく時間がかかるんですけど、多分10時間ぐらいかけて1本書いてることがあるんですよ。
でもやっぱそれぐらいかかっちゃいますよね。
本の原稿相当なやつを書こうと思って書いてるんですよ。
そうするといつも4センチとか6センチとか言っちゃうんですけど、それでやっぱり10時間ぐらいはかかってるかなっていう。
そうすると全然更新できない。
そうですよね。
ちなみに有料メルマガってどんなことを発信なさってるんですか?
今は本当はやりたいのは、もともと仕事を辞めるきっかけになった前の仕事でやばかった時期に、
いろいろメルマガで発信してたその時々の洗浄手記みたいなやつがあるんですけど、
それを下敷きにして、もっと本の一節に相当するぐらいのところまでクオリティを上げて、
人生をサバイブするためのライフハックみたいな切り口で本を書こうと思って書いてたんですけど、
今は月に1本ぐらいしか原稿が出せてないんで、本当は週に1本出したいっていうのがあるんですけど、
やりたい思いとは裏腹に時間が取れてない。嘘なんです。時間はあるんだけど、
新しい仕事を始めてなかなか精神的に落ち着かないというか、
だんだんこなれていって力の抜きどころかわかってくるみたいなのがないと、
別にそんなに長時間勤務してるわけじゃなくて朝6時スタートして、
普通は6時ぐらいに終わるんだけどたまに8時9時までやったりすることはあるかなぐらいなんですけど、
それだって別に今までだったら仕事終わってご飯食べてとか家事終わらせて、
10時ぐらいから12時ぐらいまで時間あるからそこでアウトプットしようみたいな感じだったんですけど、
その時間にちょっとヘロヘロになってしまって何もできなくなるみたいなのがこの3ヶ月ぐらいだったんですよ。
ちなみにヘロヘロになったときってペクさんは何をするんですか?
意味もなくYouTube見てますね。
なんか安心しましたちょっと。
本当に良くないなと思いながら疲れたなと思ってベッドでゴローンって寝ながらどうでもいいYouTubeを見るんですよ。
何だろう、疲れって僕すごい不思議というか、疲れって何なんだろうっていうのをね、僕は今すごく気になっていて、
なんかそういうことを語る哲学者じゃないんですけど、伊藤浅さんという方がいらっしゃって、僕結構その方の本が好きで読んでるんですけど、
その人が疲れっていうのは不思議だなっていうことをツイッターで呟いてて、おもろいなって思って追っかけてるんですけどね。
でも新しいこととか慣れないこととかをすると何かが疲れる疲労するじゃないですか。
そうすると疲れた人間っていうのはできることが限られてきますよね。
そうなんですよ。
別に体力的にしんどいことやってるわけではないし、
そうなんですよ。またちょっとそれとも事情が違うんですよね。
精神的にもなんだろうやっぱり、全職と比べれば何倍とかでは表せないわけですよ。
もともとがマイナス100みたいなところにいったところから。
それでもすごい不思議。
過酷な状況だったからこそ、出てたなんか変な馬力みたいなのがあるんですかね。
デックさんの話を聞いてるとそうとしか思えないというか。
時間は今の方があるわけじゃないですか。
そうなんですよ。圧倒的にありますよ。
時間もだし精神的な余力も絶対今の方があるんですよ。
だったら当時よりもいろんなことできそうなもんじゃないですか。
そうなんですよ。もっと余力というか余裕があって、あれもこれもとか。
例えば別に今の仕事も必ず8時間働かないといけないとかって縛りはないわけですよね。
ちゃんと成果さえ出せばいいって感じなんで。
もっとキュッて仕事の時間を短くしてアウトプットで作っていうこともできなかないわけですよ。
なんだけどできないんですよね。不思議なことに。
やっぱり疲れですよね。
この前お会いしたときにお話があったと思うんですけど、
疲れって精神的なものだよねみたいな。
実際には何かの条件が変わると精神的な疲れっていうものはなくなる可能性があるというか。
感じなくなる可能性なのか。
そのぐらいの疲れ。
切羽詰まったときって多少疲れてるがなんだろうとやらねばならんみたいな感じで向かったりするじゃないですか。
仕事がそういうモードだったから、仕事終わった後もそのモードのまま突っ走ってた可能性はあるんですよ。
今はだいぶ余裕があって心穏やかに毎日を過ごしているので、そんなに頑張らないと死ぬみたいな感じじゃないから。
やっぱりそういうことなのかなという気はしますし。
疲れを感じられなくなってたからできてた。
今は疲れを疲れとしてちゃんと認識できるようになったからできなくなっているところがあるのかなとかっていうのもあるし。
あとは慣れてくればもうちょっと疲れを感じなくなるのかもしれないなと。
脳内麻薬みたいなのが出てた可能性はありますよね確かに。
でも過酷すぎて麻薬が出てて、当然それは仕事が終わった後も出続けていて、その麻薬で動いてた。
でもそれは明らかに削っちゃいけないものを削っているわけじゃないですか。
人生の前借りをしてたと思います。
たぶんそれありきで、もともと持続可能なものでは、サステナビリティなものではなかったってことですもんね。
っていうことだと思うんですよ。
何かすごかったとか、あの時は今よりも自分が優れてたとかっていう話ではなくて、
単純に身を削ってというか、当時特にうつ病発症する前、3時間くらいしか寝てなかったんですよ毎日。
死ぬやつ。
それで、寝なくても大丈夫なんやなと思ってたんですよ。今思えばアホなんですけど。
寝なくても大丈夫みたいな感じで。
ショートスリーパーかもみたいな。
全然いけるよみたいな感じだったんですけど、本当におかしかったです。
朝の8時くらいから働き始めて、夜の1時くらいまでずっとパソコンに向かってて。
で、かつその後にポッドキャスト撮ったりしてたんですよね。
すごいですね。
意味わかんないですけど、3時くらいまでやってんすよ。
で、また寝て、次の日5時、6時、もうちょっと寝てたかな。だから3時に寝て6時とか7時に起きるみたいな感じで毎日行ってて。
で、気がついたら、あれ?みたいな涙が止まらないみたいな感じになって。
そうですね。それはなんかやっぱ違う何かを使ってましたね。
使っちゃいけないゲージまで使ってる感じが。
ありましたね。
やっぱり、特に給食したときに思ったんですけど、そうやって先に前借りしたものは後でやっぱり生産しないといけないんですよ。
去年の7月から今年の4月までの期間っていうのが、たぶん人生の中で一番ピークでヤバかった時期だったんですけど。
やっぱりその時も、寝なくて大丈夫までは行かなかったんですけど、でもやっぱり追い立てられる。
Zoeさんに昔言われたんですけど、ビックさん行き添えてるって言われたことがあるんですよ。
行き添えてたなと思うんですよね、あの期間。
で、やっぱりそれがあって、仕事結構長期間休んで結局辞めてっていうのがあったんで、
その1年弱無茶をした期間の分だけ、3、4ヶ月ぐらいちょっと仕事に復帰するのに時間かかっちゃったんで。
やっぱり、良くないんだなって。
ただ当時だからといってやらなかったか、やらずに済むのかとか、自分の気の持ちだけでどうにかできたかっていうとそれは全然違うんですけど、
でもやっぱりそうやって、アウトプットとは全然違う世界で、仕事の部分で無茶をしすぎて、
なおかつそのモードのままちょっとアウトプットも頑張っちゃってっていうのをやってて、
結局体を壊してるので、やっぱり毎日コツコツちょっとずつやるぐらいが本当はいいんだろうなっていうのは思います。
いやー、なるほどなー。
そうですね。
伝わります?
はい、わかります。当然やっぱりやることが決まってる方が、それをやらざるを得ないっていう意味において、当然何も考えないはまた。
難しいんですけどね、考えても考えまくってるんですよね。考えまくってるんですけど、でもなんかこう、なんか違う、情報発信のために頭を使うみたいな、そのクリエイティブさ。
わかりました。あれですよね、仕事って、ちょっともしかしたらずれちゃうかもしれないですけど、仕事が進むとか、例えば会社の仕事もそうなんですけど、プロジェクトとかを進めていくときに、
常にクリエイティブにゼロベースで考えようとかって言ったら進まないんですよ。ある程度縛りを与えてあげて、この範囲のオプションABCのどれにしますかみたいな形にして、もしかしたらDもEもFもあるかもしれないけど、ABCにするんですよ。
その中で、その都度都度でベストなものを選んでいくみたいな形で進めていかないと、仕事って進まないんですよね。
それは多分、クリエイティブな活動というか、1日の自分のデザインの中においても、例えば仕事で8時間埋まりますって言ったら、自由になる時間2時間しかありませんとかみたいなのが見えてくれば、この2時間にかけるぞみたいな感じにもなるのかなというのは一つあると思いますし、
あとはやっぱりそれが貴重であるという思いみたいなものですね。
だから本当にこの2時間しかないから、
そうか、それはあるな。
例えばダラダラYouTube見ちゃうっていうのも、疲れてるっていうのもあるかもしれないですけど、とはいえ時間があるから、やりゃいいやみたいな、他の時間があるときにやろうみたいな感じになっちゃって、
本来だったら今までだったらこの2時間にかけるみたいな感じだったところが、ちょっとその2時間ダラダラって過ごしちゃって、他の時間が実はあんまりなかったみたいな感じで活動ができてないみたいなのがあったりするので、
その切羽詰まっているときはもっとその2時間というものを大事に扱ってた気もするし、
だからこそあれですね、迷うことなくブログを書くとか、YouTubeの動画編集するとかということにその2時間を当てられてたんですよね。
生じ、ちょっとこう自由に時間が使えるようになってしまったがたぶんこの2時間じゃなくてもええやんみたいなことをダラダラってやってるうちに気がついたら仕事以外の時間ほとんどダラダラしてたみたいな感じになっちゃってる感はあるなという。
その2時間に仕事を入れるとまた違うんですか?
うーんと、その2時間に仕事を入れる…
今までだったらたぶんその2時間は仕事をしてたわけじゃないですか?
仕事1日のうち大体8時間くらい仕事があって、昔はだからそれが10時間とか12時間だったから、
それが本当にもう10時くらいまで仕事をして、
で、風呂入ってとかご飯、ご飯は食べた上で10時くらいで仕事を終えて、
で、風呂入ったりとかしてたらもうあと1時間くらいしかできないみたいなときとか、
あるいは大体1時くらいまで、11時から1時にそういう活動をしてたんですよ今まで。
今までから今年の4月くらいまでは。
で、今は早ければ6時くらいで仕事が終わるし、どんなに遅くっても9時には終わってるんですよね。
だから物理的に言うと3時間、4時間くらいなんかやることができる時間があるんですよ。
で、昔の方がそういう意味では先ほど言われてたようにその時間にも仕事してたじゃんみたいな。
だからもっと仕事のウィートが大きかったんで、ウィートってか物理的な長さが多かったんで、もっと短かったのでできる時間が。
やっぱり、難しいけどやっぱりその1日のうちにもうこれ1時間2時間しかやる時間がないっていう状況だったからこそ迷うことなくアウトプットができてたっていう感じかなやっぱり。
ぜひその謎は解き明かしてほしいです。僕も知りたいです。
不思議ですよね。時間っていうものの感覚が忙しいときほどいろんなことができるっていうのは本当そうだなって思うんですけど、本当そうだなって思うんですよ僕自身も。
ただ、ただ、それが生き方として正しいかどうかっていうところもまたちょっと考えさせられるというか。
なんかそれでいいんだ。すごく短くっていうのはありなんかって思いつつ、でもなんかそれはそれでちょっと違う気もするなっていう感じもするんですよね。
脳内麻薬をほとばしらせて短く生きるっていうのは美しいけど、それはなんかもうちょっと語弊があるかもしれないですけど、ちょっと抑えないなって感じるんですよね僕の中では。
なんかちょっとそういう生き方じゃない生き方をしている人が世の中にはいるなって思っていて、なんかその人たちはじゃあどうなんだろうみたいなことを考えたりとか。
ちょっとあれですよ、だから例が正しいかわからないですけど、テスト期間にガッと勉強して、長尻合わせる人と毎日コツコツ勉強して、成績いい人っていたじゃないですか、学生の頃。
まあまあ一夜漬けみたいな感じですよね。だからああいう短期でやってきた自分なんか気持ちいいみたいなところはやっぱりまああったんですよね、昔。
やっぱりそういうのもあって。
でもテスト期間中、長くないですか、べっくさんの場合。めちゃくちゃ忙しい時期が何年も続いてたわけですよね。テスト期間中がもう何年も。
そう、そうなんですよ。だからまあもたなかったわけですからね。十何年そういう働き方をやって、特に最後。
それはもうなんか持ったと言っても過言ではないのではないかみたいな気もしますけどね。
やっぱりあれでしたよね。
ショートスリーパーになりたくて本当に毎日4時間半とか頑張って3時間、3時間は眠いな4時間半にしようみたいなことを真面目に取り組んでた時期があって、今思ったらほんまアホやなと思いますけどね。
いやでも結構それが現実的にできてたってことですもんね。
やっちゃってましたよね。
30前ぐらいに、30歳前後という方がいいか、本を書きながら仕事をしてたんですけど、あの時本当に異常でしたもんね。
毎日10時、11時ぐらいまで仕事をして、そこから原稿を書き始めて、3時ぐらいまで原稿を書いて、で次の日普通に朝の7時ぐらいには起きて、8時に家を出てみたいな生活を。
いやーすごいなー。
3、4年続けてましたね、そういう生活。
もうできないですし、それをやったから体を壊しちゃったんだと思うんで。
これはまた一つの悩みになってくるんですけど、一つのことにすごく長けてるというか、全エネルギーを一つのことに集中して、その分野で卓越した能力を持っている人になっている人を見るとすごく羨ましい。
あーわかります。
活動もちょっとね、仕事もそうだし、こういう情報発信活動もやってると、あれこれ力が分散してしまって。
僕の前の自分の専門分野とライフハックはほとんど学問ジャンルとしては何もかぶらないみたいなところがあって。
それは僕もすごい共感しますね。
わかります。
技術的なところでめっちゃ尖ってる人もいれば、ライフハック的な方向でもめっちゃ尖ってる人もいるわけじゃないですか。
そういうどっちつかずな真ん中ぐらいにいる自分みたいなのがあって、何やろこれみたいな。
それはでもすごいわかるな。
ちょっとこれ多分我々世代だったらいけると思うんですけど、赤間同士みたいな感じですよ。
あーわかる。
いろいろマルチに魔法使えるけど、序盤は情報がられるけど、終盤になるとマジで使い道なくなってくるやつですよね。
お前どうせケアルラしか使われへんやろみたいな感覚なんですよ。
ちょっとこうもう一声、どっちかに振り切るべきだったのかなみたいな悩みもありつつ、
でもやっぱりとはいえ、今まではサラリーマンブロガーみたいな感じで自分を尊称してたんですけど、
そういうものがちょっとアイデンティティ化してしまってるところもあって、
今更これからはブログ一本で行きますとか、これからは仕事だけに専念しますみたいなのもなんか違うしなみたいなのもありながら難しいですね。
憧れるんだけど、そっちに行くとアイデンティティ崩壊するみたいな。
なるほど。
まあでもなんかその赤間同士の例え的確だなと思った。
僕はまあ世代なんで、ファイナルファンタジー世代だから、もうその例えで妄想が今広がっちゃってたんですけど、
でもやっぱりほら、FF5の赤間同士は最終的に連続マンを覚えますから。
そうですね。
だから赤間同士をこいつマジ役に立たないと思いながら育てるっていうね、
アビリティポイントを999カウントさせれば最強のコマンドを覚えますからね。
でも最終的にはすっぴんになるんですけど。
結局だから全部のアビリティを学んでいくっていうことが将来的には待ってるのかもしれないですね。
難しいけど。
まあAIとかもね、なんか出てきて、僕なんかすごく世の中が変わってきてるなっていう感じはするじゃないですか。
なんか本当に僕、Pythonなんてものを自分が使う日が来るなんて思ってなかったんで、
なんかもう何が書いてあるか全くわかんないんですけど、
でもなんかチャットGPTがPythonっていうものをインストールしろって言うからして、
このコードを貼り付けろって言うから貼り付けてみたいなことをやってるうちに、
なんか自分のやりたいことが結構できるようになってきたんですよね、プログラミングを使って。
すごい世の中になったなと思って。
なんかそういうことを経験していると、
意外と何かに尖るっていうことに僕も結構こだわってたというか、憧れがあったんですけど、
結果として何かにこだわってるんですよ、絶対。我々何かしら。
うまく言語化もできないし、職業にもできないし、ジャンル化もできないんですけど、
こんなことに何十年もこだわってみたいなのってあるじゃないですか。
あります。
やっぱりこだわらざるを得ないからこだわってきたっていうのが、
言語化できる部分もあれば言語化しにくい部分とか、
あんまり人前で言えないようなこだわり?執着?トラウマ?分かんないですけど、あるじゃないですか。
そこがたまたま分かりやすい人、マネタイズしやすい人がいる中で、
僕はもう少しで誰かの役に立つようになるんじゃないかなっていう気がするところまで来てる感覚があるんですよね。
今まで何の役にも立たなかったし、足を引っ張ってきたし、
このトラウマじゃないですけど邪魔なこの癌みたいなものを何とか切除したいと思ったんですけど、
そういうもんじゃないんだなって気づき始めてきたというか、
むしろこいつをどうするのが役割なんかしょうがないけどみたいな感覚といいますか、
そういう感じに変わってきているというか、難しいんですけど。
それも分かります。これ聞きたかったことの一つでもあって、
要は自分が情報発信をしていると、自分がこういうことを言いたいのかなっていうのが言葉にうまくできないというか、
なんか発信してるんだけど、自分の心の中にドロッとしたこの部分をうまく言語化して、
それをどういうふうに対処していけばいいのかとか、
自分が経験してしんどかったこととか、
同じしんどさを味わわないようにするためにはこうすればいいよみたいなことを本来は言いたいはずなのに、
それ自体を言葉にできないもどかしさみたいなものがあって、
それは言語化力の問題なのか、言語化力かな。
でも一つやっぱりベックさんすごいなって思うのは、
喋りながら割と考えて、今自分の中にあるこれを言葉にしようみたいなのを、
今この場でやってらっしゃるじゃないですか。
僕これ生配信だとなかなか自分これできないんですよ。
このコミュニケーションなかなかしにくいというか、
聞いてる人がいて、ちょっとカッコつけちゃうんですよね。
カッコつけちゃう。
聞いてくれてる人に役に立つ話をしなきゃみたいなことを考えすぎて、
言語化できている部分だけを喋っちゃうんですよね。
それの方が流暢に喋れるし、
事故らないじゃないですか。
セーフティーがすごい働きすぎてる感じがするんですけど、
けっこうベックさんってなんかすごい、
今なんか久々に喋ってすごいなって思ったのが、
探り探り喋るのすごいなって思ったというか、
この形式だからっていうのが一番大きいのと、
あとはやっぱり、これがさっきの質問のまさに確信かなと思うんですけど、
クラスターさんとかがやられてる打ち合わせキャストとか、
やっぱりこういう形に近いかなっていうのもあって、
きれいに本とかにまとまってる内容とか、
きれいにYouTubeとかでフォーマット化されているようなものからは外れちゃうんだけど、
自分がなんかこう、
そのポッドキャストを聞いているときに自分の思考が刺激されるのは、
そういうきれいにフォーマットされたものよりは、
言葉のキャッチボールの中から新しいものが生み出されていくことに、
何か喜びを感じている人たちの会話みたいなのが、
僕としてはインスピレーションをもらえるっていうのもあって、
自分もそうしたいなっていう感じですかね。
いやすごいですね。
なんかそれはでもやっぱできる人とできない人がいるかもなって思いました。
なんかすごく。
なんかそういう感じかなと思ってたんですけど、
そういう感じでもないんですよ。
なんか、ベクさんと今日話してて、
俺そういう感じじゃないのかと思っちゃいました。
なんだろうな、ベクさんの方がなんか深い。
ちゃんと向き合っている感じがします。
もうちょっと色々考えて、
これってそういうことなんじゃない?っていう話し方を確かにするんですけど、
なんか知的好奇心ベースなんですよね。
その驚きとか面白っていうのは、
もう少し踏み込んでもいいかなって思いつつ、
なんか僕の中ではまだそこに至る方法があんまり見つかってないというか、
どっちかっていうと一人で語ったりとか、
一人で誰が聞くでもないところで、
一人で喋ってる時の方が深掘りできるっていう感覚があって。
なるほど。
誰かが聞いてるっていうところで、
なかなかそこまでいけないなっていう。
外面気にしちゃうんでしょうね。
だからベクさんすごいなって今ちょっと思いながら聞いてました。
なんか割と深いところまで行くなみたいな感じ。
そうっすね。
もちろんフォーマットというか、
媒体によるんですよね。
だからイベントやる時とかにそういうスタイル。
イベントでそんなところまでダイブしてたらちょっとね。
確かにね。
イベントだと資料をちゃんと作って持っていくんですよ。
喋ること決めて持っていくんですよ。
ささきさんとかって結構そういうところ、
資料を割と簡単にして、
その場でわーって喋り張るじゃないですか。
アルバムも多分言葉があるからだと思うんですけど、
あれがちょっと怖くてできないというか。
僕もイベントであれはすごいなと思います。
確かに。
なんで、
やっぱりしっかり作り込んで出す媒体というかメディアと、
こんな感じでとりあえず会話の中から新しい何かが
生み出たらいいなって期待で始める媒体っていうのがあるっていう感じですかね。
そうですね。
僕もその使い分けをしていきたいなって思ってたんですけど、
なんかやっぱりちょっと違う。
僕がやってみたかったのは多分ベックさんが今やってるようなことなんですけど、
なかなかでもそこまで、
なんていうんですかね、
ベックさんみたいにはできないかもな俺はって今ちょっと思いながら。
もっとプレゼンテーションというかプレゼンテーターですよね。
だからエフタさんの方が。
私はもうどっちかっていうと、
その場の即興劇というか。
でも多分探り探りな感じが響く人って多分すごくいると思うんですよ。
話を聞いてて、
自分だったらどうだろうなーみたいなのを、
沈黙とか言葉選びの最中に自分も考えるみたいな時間が多分必要だと思うんですよね。
考えるときって。
ベックさんの話のテンポって多分そういうのがあるなっていう感じが聞いてて思うというか、
ベックさんと話をしながらベックさんが言葉を探しているのを、
僕は聞きながら自分の中でもやっぱり何か探したりしてるわけですよ。
そういう時間があるから、
一緒にこう、
なんていうんですかね、深まっていく感じがあるんですけど。
それを結構、そのペースは確かに僕一人で喋ってるときに、
一人で風呂に入りながら、
一人でずっと、
一人ラジオみたいに語るっていうことを最近ずっとやってるんですけど、
その話しましたよね。
その時そういう語り口になるなっていう感じがしますね。
でもケースバイケースで、
これがフォトキャストだったらこんな感じ。
考えるかなっていう感じはしますね。
今度二人で飯でも食いに行ってみましょうよ。
どんな話になるのか。
今まではちょっとあんまり忙しい、
ベックさんはすごい忙しい人っていうイメージがあって、
そういうの呼びづらかったんですけど、
お声かけづらかったんですが。
ぜひぜひお声かけください。
実はね、
今日あまりにも話がいい感じにつながっていったんで、
これ多分前後編に切られへんなと思いながら、
ここまで話をしてて、
ここまでで一旦前編の情報発信について語るというよりは、
もう一段根源的なというか、
精神的な方の話に近かったなという気はしつつ、
なんか面白いですね。
人間の不思議というか、
メンタルモデルというか、
なぜ時間がないときの方ができるのかみたいな話って、
情報発信とはまた違うけど、
でも突き詰めれば情報発信がやっぱり、
できるときとできないときは何が違うのかっていう話でもあるので、
ちょっと予想だにしない方向にいったんで、
それはそれで非常に楽しかったなと思いますというのと、
ちょっとエフタさんからもう一個あれですよね、
テーマでこんな話がしたいっていうのをいただいてて。
そうですね。
でもなんかこれを話を聞いてたら、
メルマガでやってらっしゃるんだなっていうことが今日わかったというか、
会社辞めたいけどいろいろ事情があって、
辞められない人向けの話っていうのが、
多分、
ベックさんに聞くのが一番ホットなんじゃないかな、今って思ったんですよね。
やっぱり、いいですか、軽くどういうことなのか。
もしこのテーマ行くんやったら後編にしていいですか。
もちろん。
一旦ここで切っとかないと、
多分1時間半の長編のポトキャッスルになっちゃうんで。
分かりました。じゃあどうしよう。
ここで一旦前編終わりにして、
ここから後編っていう感じでいこうかなというので。
分かりました。
ご視聴ありがとうございました。