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2020-10-21 11:23

【第31夜】集中力が続かない、長い文章が頭に入ってこないときに

眠りが浅くてすぐに覚醒してしまうように、集中力が浅くてすぐに別のことを考えてしまう……そんな症状に悩まされていませんか。臨床心理学者・大山泰宏先生の『日常性の心理療法』によると、現代社会は、人をどんどん断片的に、細切れの人格にしていっているようです。そうやって大きな変化に適合しているのかもしれません。今夜はとても抽象的なお話なので、聴きながらどうぞゆっくりおやすみになってください。

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みもれ 真夜中の読書会 おしゃべりな図書室へようこそ
こんばんは、KODANSHAウェブマガジンみもれ編集部のバタやんこと川端です。
おしゃべりな図書室では、水曜日の夜にホッとできて明日が楽しみになる、をテーマに、皆様からのお便りをもとに、おすすめの本や漫画、紙フレーズをご紹介します。
さて、第31夜を迎えました。今日はお便りではないんですが、
先日、学生時代の同級生とフェイスブックで久しぶりにやり取りをして、
リエは偉いよね、私下の名前はリエって言うんですけど、本をちゃんと読んでてって言われて、その子も本が昔から好きな友達だったんですけど、
最近は全然本を読めてなくて、長い文章を集中して読むことができなくなっちゃったよって言ってたんですね。
すごいわかるって思いました。私自身は偉いっていうか、仕事柄読まないといけないことも多いですし、
短い時間でバッと読んで中身を理解するみたいなのは、トレーニング、筋トレみたいなところもあるから、続けていると効率的な筋肉がついてくるみたいな感じではあるんですけど、
でも昔に比べて集中力の深さに欠けるなぁとは思っていて、長いか短いか、集中力は長いか短いかじゃなくて、浅いか深いかで言うと浅いっていうことなんですけど、
眠れてるけど眠りが浅いみたいな感じでしょうか。
昔はすごい集中して小説とか読んでるとサイレンの音も聞こえなかったり、
カフェとか外で読んでいても周りの人の話し声が耳に入ってこず、自分の中の静寂が音ずれてたんですけど、
今本を読んでても周りの人の話が聞こえてきたりとかして、
私あの人に返事返したかなとか、あれはLINEで聞いてたのか、Facebookメッセンジャーで聞いてたのか、メールだったかなとか、
インスタのコメントも返事返してないなとか、またいろんなことを考えてから本に戻ってみたいな。
眠れてるけど眠りが浅いに近いっていうのは、読めてるけど頭の深いところまで入っていってなくて、気を抜くと別のことに覚醒しちゃうっていうね。
なんでこんなに自分の意識が断片的になってしまったんだろうってずっと思ってまして、
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皆さんの中にも同じ悩みを感じていらっしゃる方がいるかなと思って今日こんな話をしましたが、
特にコロナ以降、家にずっといるのに自分の人格がじりじりバラバラしてるとか、
何しにこの部屋に来たんだっけみたいな、意識がとっちらかっている感じがしてまして、
それで今日ご紹介する本は大山康裕さんという方の日常性の心理療法という本にしました。
これを読んで、そのじりじりバラバラしてる感じがちょっと理由がわかったというか、楽になったところがあって、それを今夜をご紹介したいと思います。
大山さんは臨床心理学の教授で、この本は雑誌心の科学に2004年から2006年にかけて連載したものをベースに少し加湿して今年の9月に刊行されたものですね。
だから中身は15年ぐらい前に書かれたものですが、新刊になります。
この本の冒頭に、私たちは日常を生きている、それは確かなことである。
変わりはしない生活、同じことの繰り返し、時にはそこから抜け出して非日常的な体験をしたいと思うかもしれない。
しかし私たちの日常が安定したものかというと決してそうではない。
日常の中にいきなり非日常が飛び込んでくることがある。
当たり前だった時間の連続の中に当たり前でないことが突然に入ってくるとありまして。
これは2011年の3月11日に起こった東日本大震災のことを指していて、その前に起こった、9年前かに起こったニューヨークでの9.11のアメリカ同時多発テロ事件のことにも触れています。
そんな風に実際に被害に遭った、その現場にいたわけじゃなくても衝撃的な映像が何度も何度も流れることで、
心と体は一体と言われてきたのに一体じゃなくなってしまう、心と体が分離するということが起こってしまうという指摘をこのショーでしているんですけど、
つまり体はリラックスした温かなリビングに座っているのに、テレビで衝撃映像が流れ続けるから、心はリラックスしてないっていう、
心はちょっと緊張したような状態があの頃ね、続いてたりしてましたよね。
それを体と心が分離していると表現されていました。
また今回のコロナは日常が一変する出来事だったわけですけれども、
多残の家事ではなくて、だけど自分の体は今コロナにかかってないし、
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元気なのに病気みたいな気持ちでいなきゃいけないっていう心と体の分離が起きてたのかなと思いました。
そのインターネットとか映像付きの通話動画とか、
SNSなどの影響で現代はどんどん人格が断片化していて、一貫性を保つのが難しくなってきていると大山先生は指摘されているんですね。
面白い指摘だなと思ったのは、状況に応じて自分を非連続で断片的なものとしている方が、
むしろ違和感なく今の日常には適応的に生きているかの感もあると書いてらっしゃるんです。
断片的で繋がってない自分でいた方が違和感がないっていうのが面白いなと思いました。確かにそうかなと。
集中力が続かないとか、途中でSNS見て、
SNSはSNSごとに、あるいは同じツイッターの中でもアカウントごとに別人格だったりして、
ツイッターのアカウントを推し用と、自分の名前でやってるやつと分けてますとかっていう人もきっと多いと思いますけど、
非連続で断片的な自分ですよね、それって。
それが良いとか悪いとかじゃなくて、
その方が今の現代の日常に違和感がないのではって先生に言われると、そうかもって思いました。
じゃあいいのかと思って、今日はこの本から紙フレーズをご紹介したいと思います。
私たちが今こそ取り戻さなければならないのは、この驚くしなやかさであろう、
私の意味づけることができない何かが、そしてそれは私にとっては混沌であり、不気味なものが回帰してくることに開かれること、
それは私たちにとっては傷つきでもある。しかしそれこそが私に変化をもたらし、私を初めて目覚めることができる、新しく生き始めることができる。
これはこの驚くっていう日本語を説明している箇所なんですけど、
当たり前の日常が崩れ去ってしまった時に、私たちは制御可能な日常に世界を回復させようと躍起になって、
根本的に変わっていける可能性を先延ばしにしたり、見ないことにしたり、隠ぺい隠したりしてしまうと。
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驚くっていう日本語は古語では目が覚める、気づく、わかるっていう意味でもあって、
だから簡単にわかったつもりになって適応しちゃうんじゃなくて、
ちゃんと変化に気づいて驚いて、傷ついて、そしてちゃんと変わっていこうっていう話なのかなと思いました。
なので断片的になってしまっている今の自分を自覚しながら、無理にいつも通りに戻してやり過ごそうとしたり、
やり過ごせている、集中しているふりをしたりしなくても良くて、ゆっくり大きく変わればいいのかなと思いました。
また何かにすごく集中できる時が来るかもしれないし、そういう人格が、断片的な人格の中の一人が強く出てくるかもしれないなと思ったのでした。
今日はちょっと抽象的な話になってしまいましたが、
別に長い文章はなかなか読めなくて、読書が得意じゃないですっていうリクエストもいただいてたので、
そんな方におすすめの5本はまた次の機会にご紹介したいなと思っています。
今日は最後までお付き合いいただきありがとうございました。
さて、そろそろお時間になってしまいました。
真夜中の読書会おしゃべりなと出出はこんな感じで、皆さんからのお便りをもとにしながら、いろいろなテーマでお話ししたり、本を紹介したりしています。
ミモレのサイトからお便り募集しているので、ぜひご投稿ください。
また来週水曜日の夜にお会いしましょう。
おやすみなさい。おやすみ。
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