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2022-02-16 15:29

「五十過ぎたら順不同」体を心に近づけていく【第96夜】

今夜の勝手に貸出カードは、小林聡美さんのエッセイ『聡乃学習(さとのがくしゅう)』をご紹介します。タイトルにした「五十過ぎたら順不同」は、俳優で俳人の小沢昭一さんの言葉です。私も小林聡美さんと同じく、50歳を過ぎたら年功序列は気にしなくていいっていう意味かと思ったら、まったく違う深い示唆が込められていました。さて、五十を過ぎたら、いや五十手前から意識すべきこととは……。


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ミモレ 真夜中の読書会 おしゃべりな図書室へようこそ
こんばんは、KODANSHAウェブマガジン ミモレ編集部のバタやんこと川端です。おしゃべりな図書室では、水曜日の夜にホッとできて明日が楽しみになるおテーマに、皆様からのお便りをもとに、おすすめの本や漫画、紙フレーズをご紹介します。
【第96夜】をお届けします。今夜のお便りをご紹介します。ペンネームブドーパンさんからいただきました。バタやんさん、こんにちは。
こんにちは。このポッドキャストを最近知りました。聞き始めてから読書熱が再燃しています。
でも老眼も起きていて、目もしょぼしょぼするし、長い物語にはなかなか集中できずにいます。
気軽に読めて、元気が出るようなエッセイがあれば教えてください。といただきました。ありがとうございます。
今夜の勝手に貸し出しカードは、小林さとみさんのエッセイ集、里の学習にしました。
こちらの本は、2014年から連載をされていたエッセイをまとめた本なんですけど、小林さんは今年は56歳でいらっしゃるのかな。
この2014年に始めた頃は50代に差し掛かろうとしていて、50代という初めてのステージに向けて、今やりたいことをやっておかなくてはという気持ちで、
しかし気負わず健やかにいろんなことに挑戦していこうという気持ちで綴られたエッセイなんですね。
これが単行本で出ていて、今年の2月に文庫になって発売されていたので、文庫だとさらに読みやすいかなと思って今日ご紹介したいと思います。
小林さとみさんのエッセイは私もすごく好きで、以前に読まされ図書館という本にまつわる往復書館のような本もご紹介したんですけど、
あと私は最高についているとか、いくつかエッセイ本を出されていますが、
ゲラゲラ笑うとか声に出して笑うとかいうタイプではないんですけど、じわじわ聞いてくるっていうんですかね、後々思い出してにんまりしたり、
また読まされ図書館も何年語って読んだら新たな発見があったりとかして、そんな風に長く読める効き目の長いエッセイ本な気がしています。
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この里の学習というエッセイ本がどんな本かご紹介していきたいと思います。
この小林さとみさんの里の学習というエッセイ本をご紹介する前に、ちょっとだけ全然関係ない話をしてもいいですか。
少し前にね、撮影でアクセサリーをスタジオに運ばなきゃいけなくて、その撮影される方の私物のアクセサリーだったんで、箱とかに入ってなくて、
ネックレスとかピアスとか指輪とかがぐちゃぐちゃってなっちゃわないようにどうしたもんかなと思っていて、
それでアシスタントさんにポジ袋みたいなものに入れたらいいんじゃないかなって私が言ったんですよ。
その若いアシスタントさんがポジ袋が分からなかったみたいで、ポチ袋ですかって聞かれて、いやポジ袋だよって。
ポジ袋っていう言葉をね、多分聞いたことがなかったんだと思うんですよ。
それで根がポジのポジを入れる袋でさって言って、すごいキョトンとした顔をされて、そっかポジをそもそも知らないかっていうことになって、
ポジ袋っていうのはね、透明の名刺ぐらいの大きさの袋のことなんですけど、
私が編集部にいた本当新人ぐらいの頃はまだポジでフィルムで撮っているカメラマンさんもいて、
映画のフィルムみたいに長いロールになっているのを一コマ一コマカットして、それをポジ切りって言うんですけど、
ポジ切りをしてポジ袋って呼ばれる透明な袋に1枚1枚ピンセットとかでね、指紋がつかないように入れるっていう作業が、
アシスタントとか新人の子にはあったんですよ。
それを入れる透明のポジ袋っていう袋は、上が差分があって手前が短くて、後ろが長い、ちょっと段差がついているので、
指を濡らしたりしなくてもパカッてうまく開けられるようなよくできた袋で、
ポジを入れる以外にもネイルチップを入れたりアクセサリーを入れたり、意外とちょっと便利に使える袋だったんですよ。
そんなことを急に思い出してポジ袋って言ったら通じなかったっていう話なんですけど、
なんでこの話をしたかっていうと、この小林さんのエッセイの中で写真の話が出てくる章があって、
写真というものが神だった時代っていう言い方が出てきて、
そうか確かに写真というものが神だった時代を知らない子たちが、もしかしてもう出てくるのかもしれないっていうことを思いました。
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今ね、入校する時の写真も1回1回プリントをしないで、データのままでやり取りすることも増えてきたりなんかしてますし、
個人で撮る写真、お子さんの写真撮ったりとかも、紙焼きにするのって写真館とかで七五三みたいなのを撮ったりするときぐらいだったりするのかな。
どんどんそうやってスマホで撮ったデータの写真がメジャーになっていって、
写真が神だった頃っていうのが知らない人たちが出てくるんだなーって思ったりしました。
この写真の整理がね、紙の写真って溜まっちゃうとアルバムに整理するのが大変だっていう話がこのエッセイに出てくるんですけど、
写真が紙の状態で束になって溜まっちゃって、アルバムに整理するのが面倒くさいなっていう感覚を味わったことある世代の人と味わったことない世代に分かれていくかもしれないですよね。
小林さんがこの写真について書いてる章で、大学生の女の子たちと一緒に卒業旅行に行った話が出てきて、
そこで写真の上手な若い子に撮ってもらった写真が素敵だったって話が出てくるんですけど、
なんで大学生の子たちと卒業旅行に行ってるかっていうことにあんまり詳しくは触れられてないんですが、小林さんって45歳にして学習院だったかな、大学に通われてるんですよね。
だから一緒に学友として卒業旅行に行ったらしくて、小林さとみさんと一緒に海外旅行に卒業旅行に行くなんて楽しそうで、この子たちもいいな、いい思い出になったろうなって羨ましく思いましたけど。
なんか別のインタビューかなんかで昔読んだんですけど、小林さんは若い頃から芸能活動をされてたので、あまりその勉強を熱心にしたり学校にちゃんと通ったりができてなくって、45歳になって大学に通い合格して通って、50歳の年に大学院にも進まれたんじゃなかったかな。
その辺もすごいですよね。私なんかみたいにすごくこの本の中では書いてあるんですけど、実はめちゃくちゃバイタリティがあってすごく行動を起こしている方だったっていうお話をちょっとご紹介しました。
このエッセイの中では大学とか大学院にどんだけ頑張って進んだかみたいな話は全然出てこないんですよ。
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あちこち痛いし腰も痛いし、ヨガをやったらなんか体を逆に痛めちゃったりして、おっとヨガはやめましたみたいな話ばっかり書いてあるんですけど、そのギャップもまた魅力だなって思いました。
今回の配信のタイトルにした50過ぎたら純不動っていう言葉は小林さんの言葉ではなくて俳句仲間でいらっしゃるのかな。小沢翔一さんっていう俳優でエッセイストでもある小沢さんの言葉なんだそうです。
その言葉を小林さんは聞いて都合よく勘違いして、50過ぎたら先輩も後輩もないから先輩を気にせず大いにやりたまえっていう意味だと思ってたんですけど、私もこの50過ぎたら純不動っていう見出しを見て、そういう年功上列は気にしなくていいよっていう話かと思ったら、そうじゃなくて本当の意味は
50を過ぎたら倒れる順番は年齢に関係ないから用心せよっていう、40まで生きたら女児でこれから何が起こっても不思議はないんだぞということなんだそうです。
ここに50代前半で亡くなられた人たちの名前が挙げられているんですけど、
スティーブン・マックイン、マイケル・ジャクソン、グレイス・ケリー、石原雄二郎さんにみそらひばりさん、あとは向田国子さんとか有吉沢子さんとかも50代前半で亡くなれてるんですね。
今の50代と比べると年齢ですけど、なんと老勢していることかと思いますね。
この短くぶわっと生きた人たちと、短いからすごいとか長いから薄いってことはないですけれども、
人の使命もそれぞれに違うから、長く生きてコツコツやるのもありだし、全開バリバリのまま生きていくのもありなんじゃないかというふうに書かれていますが本当に
どっちが先かっていうのがもう50代過ぎたら亡くなるよっていうのは、ちょっとグッときますね。
ただ気持ちは全然若いし、頭はあまり変わっていないけど、体の方がついていかない、思ったより動きが悪いっていうことがあって、
50代過ぎると運動をある程度した方がいいんじゃないか、みたいな話が書いてあるんですけど、
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ヨガをやって小林さんは体を逆に痛めたりしていらっしゃいましたが、色濃く生きて50代そこそこで召された偉人などと比べたらどこまで精進しなきゃいけないのかわからないけど、
ひとまず地道に筋トレなんかをしながら様子を見にやっていこうというふうに書かれています。
そんなこのエッセイの中から今日は紙フレーズをご紹介して終わりたいと思います。
いつかというこの世にまだ存在しないものに囚われすぎるのもどうかなと最近思い始めている。
それは流れてこないそうめんを待っているようなもの。
そもそも流しそうめんは好きじゃないし、ありきたりかもしれないけれど、できることを楽しむ、したいことをする。
まずはそんなところから足場を固めていこう。急に現実的というお話でした。
これは憧れと妄想と現実とという章に出てくるんですけど、流しそうめん私もそんなに好きじゃない。
梅雨がどんどん薄くなっちゃうから。
未だに懲りないいつかはあって、始めるのに遅すぎると、遅すぎることはない、などという名言に励まされて、ついまた油断してしまう。
じゃあ今からピアニストになれますか、バレリーナになれますか、パイロットになれますかって。
ほら、だからその辺はおじょう気はよく諦めることにしても、例えば山歩きはどうだろう、田舎暮らしは、実は私はまだそんないつかを捨てきれていない、というふうにこの章にはあるんですけど。
いやーまあそうなんですよね。始めるのに遅すぎることはないってよく言うけど、まあ遅すぎることもありますし、今からなるのは無理だろうってことも、
本当はね、いっぱいそういうことの方が多いわけで、
まあでもただ流れてこないそうめんを待っていてもしょうがないから、やれる、やれそうな範囲でやってみようっていうのは、すごいいいな、いい現実的だなって思いました。
そんな小林さんのエッセイ集、里の学習をご紹介させていただきました。
武道パンさんにも楽しく読んでいただけたら嬉しいです。今日も最後までお付き合いいただきありがとうございます。
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さて、そろそろお時間になってしまいました。真夜中の読書会おしゃべりな図書室は皆様からのお便りをもとに、いろいろなテーマでお話ししたり、本を紹介したりしております。
みもれのサイトからお便り募集していますので、ぜひご投稿ください。
また水曜日の夜にお会いしましょう。おやすみなさい。おやすみ。
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