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真夜中の読書会〜おしゃべりな図書室〜へようこそ。
こんばんは、KODANSHAのバタやんこと川端です。
真夜中の読書会〜おしゃべりな図書室では、
水曜日の夜にホッとできて明日が楽しみになる、をテーマに
おすすめの本や漫画、紙フレーズをご紹介します。
第131話を迎えました。今夜のお便りをご紹介します。
ペンネームともみさんからいただきました。
こんにちは。いつも番組楽しく聞いています。
バタやんさんは日記や音声、ブログなど書いてきたものを読み返したりしますか?
私は書くことは小さな頃から救急箱で
わーってなったらよく書いて思いを整理していました。
今は救急箱というより伴奏者という感じで、
書くことが自分でこんな風に思っていたのかと
未だにびっくり発見していて、今の自分がどんな感じなのか
教えてくれる最強の相棒です。
そして書いてきたものはほとんど読み返さずに
ゴミ箱へすすすと入っていきます。
過去の自分が何を思っていたのかは、心が記憶し
事実ベースの紙では残さず
今の自分が好きに格好を咀嚼して
意味を与えるのが好きなのかなと思ってみたり
過去なんて事実以外はいつだって変わるものだし
みたいな感覚です。
そんな自分の感覚に新しい風を
形や深さを変えてくれるような本と出会えたら
嬉しいなと思いリクエストです。
と頂きました。ありがとうございます。
過去に書いたものをですね、そうですね
書いたりアップした直後は何度も見返しますし
自分が書いたものとか
喋ったことで癒されるっていうことも多いですね。
でもかなり前のもの1年とか半年以上経ったものは
ほとんど読み返さないっていうのが正直なところです。
なんででしょうね。
トモミさんがおっしゃる通り
今とその時の自分は違うからかもしれないですね。
ムズが良くなってしまうっていうか
書くこと自体は好きで
喋るよりは本当は好きですね。
自分のことを書き弁敬、話ネズミと
いつも思ってるんですけど
書いた方が饒舌で
アドリブで喋るのは苦手です。
だから今こうして喋っていますけれども
いつも原稿を書いています。
書いて読んで、書いて読んでして
話し言葉として不自然だったら
ちょっと書き直して
もう一回喋ってみてみたいな感じなので
そういう意味ではこのポッドキャストは
どれもファーストテイクじゃないんですね。
さて書くことはトモミさんのおっしゃる通り
まさに救急箱であり
伴奏者っていう感じっていうのは
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すごくよくわかりますね。
そんなトモミさんに
今日の勝手に貸し出しカードは
斉藤彩さんの母という呪縛
娘という牢獄にしました。
これとっても衝撃作でして
話題になっているので
ご存知の方、気になっていらっしゃった方も
いるかもですが
なんでこの流れでこの本って
思われるかもしれないです。
母という呪縛、娘という牢獄という本は
娘の母親を殺してバラバラにして
捨てた娘の実話でして
共同通信の報道記者でもある斉藤さんが
獄中の娘、彼女と往復書館なんかを元にした
ノンフィクション本なんですね。
非常にショッキングな事件ですし
内容も重たくて
誰かにちょっとお勧めしづらい本ではあるんですけれども
なんでこの本を選んだかというと
その書くという行為の意味とか
癒し役割みたいなことだったり
逆に人格を否定されたり傷つけたりする恐れがある
書くもの、書いたものっていうものの意味について
すごく考えさせられる本だったなと思ったので
選びました。
殺人犯、犯人である娘のあかりさん
手記とかお手紙とか
あかりさん自身が書かれた文章が
この本の中にいっぱい出てくるんですね。
それがね、文章うまいんですよね。
字もきれいなんです。
獄中の犯人が過去のことを綴る手記のようなものっていうのは
小説でも出てきますし
ノンフィクションの対象になることも
多いと思うんですけど
この書くという行為が
その人にとってどういう意味があるのかだったり
書いたものを否定された時っていうのが
どのくらいの影響力があるのかみたいなことを
ちょっとこの本を読みながら考えてみたいと思います。
さて、このあかりさんの経緯がどういうものだったのかについて
この後お話ししていきたいと思います。
さて、まずこの母という呪縛、娘という牢獄が書いている事件が
どういうものであったのかを説明しますと
2018年の滋賀県の河川敷で
58歳の女性の遺体がバラバラ死体として見つかります。
調べたところ31歳の娘と2人暮らしだったということが分かり
その娘が殺人の疑いで逮捕されるわけなんです。
その娘は医学部合格を目指して9年も浪人していたということが分かりまして
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そのお母さんがどうしても医学部に行ってほしい合格するまでということで
浪人を強いていたことを判明するんですね。
バラバラ殺人ももちろん衝撃ですけれども
9年も浪人生活っていうのも異常事態ですよね。
その2人に何があったのかっていうのを追ったのがこの本なんです。
9年間の浪人生活はかなり辛い描写が続いてまして
ずっと母親に罵倒されているんですよね。
途中でどうにか逃げ出したくてこのあかりさんが
働き先を見つけてきて家出しようとしたりするんですけど
結局呼び戻されてむちゃくちゃ怒られます。
叱られるとかいうレベルじゃなくて肉体的に傷つけられたり
文字通り虐待も受けてたわけなんです。
そういう意味で読み進めるうちに読んでいるこちらとしては
かなり娘のあかりの方に同情的になっていく感じではあるんですけれども
この本の筆者である斉藤彩さんの筆力まとめる力といいますか
素晴らしいなって思うところは
あかりに同情的になりすぎないところなんですよね。
あかりさんを過剰にヒロイックに持ち上げないところが
そういう盛り上げ方もきっとできたでしょうが
そうしないところがこの本の魅力というか読み応えかなと思いました。
そうした淡々とした描写と事実の記録の中で
私がぐっと起きてしまったところは
あかりさんはこの9年間8年間の浪人を経て
医学部には残念ながら合格できないんだけど
看護学科には合格をするんですよ、ついに。しかも主席で合格してるんですね。
何年も医学部を目指して勉強してきたから
あかりさんはやっぱり優秀なんですよ、その中では。
看護師を目指す他の同級生、年下の女の子、高校生から
あかりさんってすごいねって言われるシーンがあって
そこちょっと涙が出ちゃう感じなんですけど
彼女は昭和生まれだけどみんなは平成生まれで
10歳くらい年が違いますから
ただキラキラとした可愛い女子高生の平成生まれのその子たちは
結構くったくなくあかりさんを褒めたり
距離を詰めてきてくれていて
学食みたいなところでご飯食べたりとか
学校生活をそれなりに楽しく送れているんですよ。
このまま心開いて年相応な人間性を取り戻し
優秀な看護師になれそうな兆しが見えるところがあるんです。
ブラックジャックに憧れてたっていうあかりさんは
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学校の中で学ぶ授業を経て
手術室看護師になりたいっていう夢を
持つようになるんですね。
このあたりが私もこの本の中で唯一希望を持って
読めた箇所っていう感じなんですけど
看護師の中でも感情労働を要求されるお仕事
つまり患者さんに優しく寄り添うみたいなことが求められる仕事と
そうでない仕事があるっていうのが私も初めて分かったんです。
あかりさんがなりたいって思った手術室の看護師は
患者さんは大抵麻酔をかけられた状態ですし
感情労働をあまり求められないと
手術室の看護師になりたいと思った理由を
あかりさんはこのように書いています。
看護師は医療従事者の中で最も患者さんの身近な人間性を
ケアをすれば印象に残る。
そう考えていた私にとって
手術室看護師というケアの提供のあり方は新鮮で
心惹かれたというふうにあって
自分自身は心身に寄り添う看護っていうのはあまり向いていないと
ただ正確に器具や機械をきびきびと使いこなして
患者さんに寄り添う看護師というのは
患者さんの負担がなかったという
働きぶりが印象に残らない方が成功しているという仕事が
自分には向いているんじゃないかということを思うわけです。
それは確かにと思って
応援したい気持ちになっています。
自分自身もそう思っています。
目標に向かって頑張り始めた赤梨さんと
お母さんの関係も結構良好に好転しかけたように見えるんですけど
またこれ決別の時がやってきてしまうんですよ。
それはお母さんが女三子になれっていうのをすごくこだわっていて
女三子になれというのは
女三子になれというのは
女三子になれというのをすごくこだわっていて
手術室看護師じゃなくて女三子になれと
なぜか医師にならないなら女三子でなければ認めないという風に
すごく固くなんですよね。
これがまたやる気が出てきた赤梨さんの気持ちをへし折ってしまい
この後の不幸な展開、殺意の決意へと
繋がっていってしまうんですけど
どう繋がっていくかぜひこの本を
苦しいですが読んでいただければと思います。
二人の関係はずっと重く苦しいんですけど
私が一番精神的にきついなって思ったのは
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罵倒されたり虐待されたりっていう直接的なところではなくて
赤梨さんはお母さんに強制されて強要されて
おばあちゃん宛に嘘のお手紙を書かされたりとかするんですよ。
大学に無事に合格したよとか
自分はこういう志望を持ってたんだけど
それが叶わないので変えましたとかいうのを書かされたりするんですよ。
あと何か失敗するたびに始末書というか反省文みたいなのが書かされたりするんですけど
とにかくいろいろ文章として書き残すことを強要されるんですね。
それらがちょっと変な話上手いんですよ。
強制的に書かされたものだけど文章が上手いんですね。
悲しいことにこの文章力が何か活かせなかったのかなっていう悲しみや
この文章力を誰かがすごく認めて褒めてくれればよかったのにっていう
誰かっていうのはそのねお母さんが一番だと思うんですけど
ブラックジャックが好きだったあかりさんは小説も好きで
自分で小説を書いたりしてたこともあったようで
だけどそれもお母さんにペンネームなんかつけてバカなんじゃないのとか言われて
すごく否定されてしまうんです。
そうやって心にもないこと嘘の文章を書くことを強要されたり
自分が書いたものを否定されたりしているうちに
少しずつあかりさんは心を殺されていったのかなというふうに感じました。
自分か母親かどっちかが死ぬしか終わりはなかったって言ったあかりさんが
今景気を経てこれからも罪を償いながらも
何か違う新しい人生を歩まれるといいなということをすごく思いましたね。
今日はそんな母という呪縛、娘という牢獄というノンフィクション本から
神フレーズを紹介して終わりたいと思います。
ゲーム作業であかりは班長と呼ばれる指導員役の受験者から
仕事ぶりが丁寧で仕上がりが綺麗だと褒められることもある。
しかしあかりは初め褒められても素直に受け入れられなかった。
褒められることに慣れていなかったのだ。
これまでの人生で母には一度も褒められたことがなかった。
褒められると嬉しいと思う一方、なぜだろうとつい邪髄してしまうというふうにあります。
だんだんこの中で慣れてくるというか、
人から褒められることはそれほど警戒しなくてもいいのだと感じ始めているというふうに
あかりさんは書いていらっしゃるんですけどね。
ここまで読んできて改めて思うのは
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お母さんは何でそんなに追い込まれていたんだろうという
あかりさんを医学部に絶対入れなきゃダメだとか
医師じゃないなら助産師じゃなきゃダメなんだとか
思わせていたのは何なんだろうというのは
この本では明らかにはならないんですけど
褒められたことがなかったのがお母さんの方なのかなって思ったりしました。
終始父親の影が薄いんですけれども
よくやってるよっていうか
あかりちゃんは立派に育てて偉かったねって
言ってくれる人がいなかったのかなっていう
いたら違っていたのでしょうかというふうに考えちゃいましたね。
読めば読めほどすごくブルーになる本なので
読むには覚悟と気力がいりますから
タイミングは測ってお読みになってくださいとお伝えしておきますが
書くという行為がプラスにもマイナスにも働くことがあるということについて
すごく考えさせられる本でした。
トモミさんリクエストありがとうございました。
さて来週はもうゴールデンウィークですね。
ゴールデンウィーク前はいつも
旅先あるいは家でゆっくり読むのにおすすめのミステリーとか
ちょっと軽い短編の入った文庫なんかをまとめて紹介してたんですけど
今回はちょっと重ための本のご紹介になっちゃいました。
来週はまたゴールデンウィークにおすすめの本なんかも
ご紹介できればと思っています。
さて今夜もお時間になってしまいました。
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それではまた来週水曜日の夜にお会いしましょう。
おやすみなさい。おやすみ。