昭和64年の概略
時間や社会にとらわれず、雑談をするとき、つかのま、おっさんたちは自分勝手になり、自由になる。
誰にも邪魔されず、気を使わず物を語るという行為、この行為こそが現代人に平等に与えられた最高の癒しと言えるのである。
場末のラジオ
シーズン2
はい、場末のラジオでございます。今回もこの3人でお送りいたします。
橋です。
佐藤さんです。
江尾雄さんです。みんなよろしくねっと。
はい、よろしくお願いします。
はい、この配信、年またぎで今回お送りするわけなんですが、今年最後の配信ですね。
ということで、今年またぎスペシャルということでですね。
今回は来年のみどし、ヘビ年なんですけども、この年もみどしでしたと。
我々は昭和生まれですけども、昭和最後の7日間、バックと昭和64年と。
64年だね。
ということでですね、今回はお送りしたいと思います。
36年前ということで、みどしなんですね。
昭和64年は1月7日まで。
7日まで。
7日に昭和天皇が奉行されて、
翌1月8日から改憲して平成ということになりました。
ということで、本当にたった7日間ということなんですけども。
個人の思い出
ウルード氏の2月29日生まれですみたいな人もいるじゃないですか。
当然ね、昭和64年生まれの人もいるわけですね。
そうだね。
有名なところだと内村康平選手とか。
えー、そうなの?
1月3日ぐらいだったかな。あと亀田大輝とかね。
あ、そうなの。忘れられなかった。
元プロボクサーの亀田大輝選手とかね。
いうような方々が、昭和64年生まれと。
学年によっては、そのあと1月8日からは平成元年生まれになるわけですね。
そうだよね。
早生まれになるので、当然昭和63年生まれの人も学年にいるわけですね。
そうか、そうだね。
同じ学年に昭和63年まで64年生まれ、平成元年生まれの人が同時の学年に在籍するっていう。
うわー、めんどくさー。
ややこしい学年ですね。
そんな平成元年になるわけですけども。
皆さんは、特に昭和64年1月7日、皆さんは何をされていましたか?っていう感じなんですけど。
それはもうあなた、冬休み明けですよね。
冬休みも明けてました?
明けてたと思う。友達に会った覚えがあるから。
放棄をしたよね、みたいな。隠れになったよね、みたいな。
高校生ですか。
そうそう。17歳。高校3年生。いろじろ、みたいなね。
いろじろはちょっと…。
冬はいろじろ。
夏は合宿。
佐藤さんは?
私まだ冬休み終わってなかったっすよ。
そうですよね、やっぱり。
北の方は。
冬休みが長くて、もうその日は忘れもしませんよ。こたつで寝てましたよ。
こたつで寝てて、薄ら寝ながらの記憶のところで、放魚の方が流れてきて、
パーッみたいな感じだったっていうのがすごい覚えてますね。
まだ7日ですから、七草ですから、
お正月気分はまだ完全に開け切ってないという状態ですよね。
何年生、橋井は。
僕は中学3年生なんですよ。
中学3年生か。
受験生ですね。
あら、大変。
冬季講習に通いまして、最終日だったんです、1月7日。
電車で宇都宮というところに通ってたんですけども、
冬休みだというふうに朝7時ぐらいの電車に乗って通ってたわけです。
なので朝早起きして、テレビがバタバタしてるぞと。
なんかちょっと天皇陛下の体調が思わしくないと。
気取る状態だっていうところで、家を出まして。
友達と待ち合わせして、ちょっとヤバそうだねみたいな話をしつつ、
ネットのない時代ですから、スマホも何もない時代ですから、
ニュースがそこから途絶えちゃうんですね。
その日は最終日だったんで、いつもは3時過ぎまで講習をやってたんですけど、
最終日だったんで午前中で終わりだったんですよ。
でも前々から友達と、最終日は宇都宮で遊んで帰るぜ、イエーイとか。
いう感じだったんですけど。
午前中で終わって、街角に戻ったらば、
建て方の電光掲示板で、「昭和天皇崩御」みたいなニュースが流れていて、
街中では豪雅を配っていて、いろいろな新聞を配っていてですね。
そんな感じで結構よく覚えている。
最終日は打ち上げしたの?
まあ一応宇都宮の街で遊んでは来ましたけども、
遊ぶって言ったって中学生は、その辺でウィンドウショッピングしてくるぐらいのものなんだよね。
昭和から平成への移行
そんな昭和最後の日でしたね。
お天気もそんなに良くなかったような気がするなあ。
それは覚えていないなあ。
先生に怒られたのだけは覚えていない。
なんで怒られたんですか。
友達とね、久しぶりに会って、天皇が隠れたんだって、
告白板に天皇が隠れましたみたいな感じで書いてたら、
そういうふざけたことはしない。
ふざけてるのかなあ、と。
はいすいません、みたいなことをやったような覚えがある。
で、高校生が何をやってるのか。
だからテレビはもう完全に特番になっちゃったじゃないですか。
そうですね。
結構午前中から元号はどうするんだとかね。
新しい元号はどうなるとか。
とにかく新しい体制になってから、象徴天皇になってから最初の改元ですからね。
確かにそうなんだよね。
だからいろいろなことがね、わたわたと。
決めないといけない。
でも昭和が変わるってのがあのときピンとこなかったんですけどね。
そうですよね。だってもうずっと昭和だったんだもんね。
それこそじいちゃんの代から昭和だっていう感じ。
まあじいちゃん明治生まれだけどでもほとんど昭和だよなみたいな。
昭和のくくりが長いもんね。
長いですよね。64年ですもんね。
一言で昭和生まれと言われてもって感じだよね。
戦前戦中戦後とね。
昭和一桁とかもあるしね。
そうですよね。同じ昭和生まれって言われても困りますよね、僕らもね。
戦後言うてもそこで40年ですからね。
そうなんだよね。
戦後のほうが長いわけですからね。
戦前よりね。
こっちは沖縄は昭和の時代もいろいろあったからね。
まあそうですよね。
それもあってちょっと違いがあるかもしれないな感じがするな。
日本に復帰したのが73年くらいですかね。
72年かな。
2年か。
だから本当僕が73年生まれですから。
お、そうなんだ。
ほんと僕が生まれたのとほとんど同じぐらいでしかないんですよ、日本の。
そうだよね。
日本での戦後の歴史がね。
それまではアメリカだったわけですからね。
そう、アメリカだったからね。
自分が生まれた時はまだアメリカだったんだよね。
ということですよね。
アメリカはまだ。
まだ道路で車がミニを走ってた時代ですよね。
そうそうそう、そうなんだよね。
通貨も違ってた時代だからね。
ドルだ。
ドルって普通のドルだったのか、米ドルだったんですか?
沖縄ドルみたいなのがあったわけじゃないですか。
いや、米ドルだったはずよ。
生まれて1歳ぐらいだけどわかんないよね。
軍票とかもあったんだって。
B円とかさ。
ドルの価値も高かったんだって。
言ってたよ、昔というか。
昭和64年の回顧
だってね、360円ですもんね。
当時の360円って言ったらね、すごいよね。
今の円やすどころじゃないですよ。
象徴的だよね、昭和が終わるっていうのはね、ある意味ね。
ですよね。
だから多分沖縄の人もちょっといろいろ複雑な感じだったんじゃないかなって気もしますけどね。
特に戦争を生き抜いてきた方たちにはね。
戦争も死ぬんだなと思ったのかな、きっとね。
確かに。うちのおばあちゃんも涙流してお辞儀してましたもんね。
だからそういうふうに切り替わっちゃったことで、一方でテレビ見るものがねえじゃねえかっていうことで。
レンタルビデオがすべて貸し出し中になるっていう現象が起きました。
そうでしたね。
定期的にさ、状況が出てたじゃん、テレビのテロップ。
あれ多分人によっては、このタイミングで出すの?みたいなのあった方がほしいんだよね。
いつも楽しみにしてる番組を。
朝の10時に出るんですよね。
だから仮面ライダーブラックが始まる時間帯に必ず出るんですよ。
そうなんだ。
オープニングでテンテン、テンテンって言いながらバーってバイクに乗ってきた仮面ライダーの上に、天皇陛下の御招待って言って。
シュールだな。
ちょっとシュールな感じなんだ。
1ヶ月ぐらいだったっけ?もっとだったっけ?
いや、もっとですよ。
何ヶ月かだったかな。
年末までギリギリじゃなくて、もうちょっと前だったと思う。
もうちょっと前でしたね。
10月とかぐらいとかじゃなかったかな。
もうね、完全に自粛ムードだったんですよ、昭和63年は。
そうなんだ。
東日本大震災の後と同じような感じで、いろんなイベントが中心だったんですよね。
やっぱ象徴は井上陽水でしょ。
本当そうですよ、セフィロのコマーシャルね。
皆さんお元気ですか?って言ってたら、
ウィーンって口開けてパッパッと出てくるだけでしまっちゃうってなんだよこれ。
ああいうのがよくわからなかったよな、個人的に。
あとあれでしょ、ウキウキウォッチングが消えた。
ああ、そっか。
そうなの?
あの時はウキウキウォッチングをやらずに、
テレフォーショッピングのセットの状態でオープニングが始まってたんですよね。
ああ、そうなんだ。
あの期間だったんだ。
そうか。
森田和義也はもか。
そう。
うーん、なるほどね。
自粛してたよね、いろいろね。
そうそうそう。
僕、ブラスバンド部の唯一の発表の場が中止になりましたからね。
3年の最後の最後の。
そのままなんかスーッとフェードアウトになって、引退みたいなのがなんか、
ここで引退しますみたいなのがなくて、スーッと消えていきました。
え、理由は何なんだろう?騒がしいから?
いやいやいや、お祭りだからですよ。音楽祭だから。
あ、祭だからか。
違うな、杉並木祭っていう祭りの中でやってたのか。
ああ、なるほど。祭りだからってことか。
そうなんですよ。
なんかコロナの頃の甲子園みたいな感じするね。
そうそうそうそう、ほんとそんな感じですね。
だから、ほんとそういうのを見るとね、かわいそうだなって思うんですよ、いつも。
子供たちはちょっとそういうのは勘弁してあげてほしいなって思うんですよね。
そうだね。
いなかったのかね、元気づけようぜみたいな感じでやる人いなかったのかね。
いや、当時は無理でしょうね。
無理だったのかね。
やっぱり今の天皇陛下の地位っていうか考え方もまたちょっと…。
だって昭和一桁世代の方がほとんどの時代でしょ、まだ。
そうね。
世の中を知っていたのかね。
今みたいに戦後生まれがほとんどじゃないですからね。
そうか、そういうのもあるね。
名前を出すのもはばかれるみたいなね、そういう時代の。
職種できないか。
見たら目がつぶれるとか言われた時代ですからね。
確かにね。
どんなパワーなんだよ。
アマテラスのか。
すごいよ。アマテラスは本当そうですよね。
子孫という。
はい、じゃあ前半はこんな感じでですね。
次回の予告
今年の配信はこれで最後になるわけですけども、
来年の一発目、また昭和64年の後半を話していきたいと思います。
ということで皆さん、良いお年をお迎えください。
良いお年を。
はい、来年もよろしくお願いします。
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