1992年の株価とエンターテインメントの変化
時間や社会にとらわれず、雑談をするとき、つかのまおっさんたちは自分勝手になり、自由になる。
誰にも邪魔されず、気を遣わず物を語るという行為、この行為こそが現代人に平等に与えられた最高の癒しと言えるのである。
場末のラジオ シーズン2
はい、場末のラジオでございます。今回もこの3人でお送りいたします。ハッシーです。
はい、佐藤さんです。
瀬小僧さんです。みんなよろしくねー。
はい、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、なんかちょっとしばらく会いたいような気がするんですけども、今回は久しぶりにBack toですね。
そうだね。
Back to 1992です。
はい、1992年を振り返ってまいります。
はい。1992年、どういう年であったでしょうかと言うとですね。
明日ともにバブルが崩壊した年なのかな?
ああ、そうね。
バブル崩壊で不況深刻化みたいなね。
株価が1万いくら?5千円割ったと。
5千円割ったとこだったかな。
今現在、令和でバブル越えで高値なんて、こっちも全然景気がいい気もしないんですけども。
今4万円前後でね、越えたり越えなかったりみたいな感じでやってますけども、
バブルのときに3万円台で3万何千円って言ってたんですよね。
それが、なんと1万5千円台と。
それはびっくりするよね。
でも今のほうが難儀してるような気がするけどな。
だからそうなんですよね。
これからまたデフレになっていったりしたんでしょうけども、
そこからこの時代の基準、水準まで、賃金と物価が連動して上がってないんでしょうね、きっとね。
上がってないんだろうね。がっかりね。
そんなことがありまして、政治的なところでは、
政治の変動
決した派がオムチ派、ハタ派に分裂してっていうのが、
このあと細川政権に自民党が野党に反落するという前哨戦になるんですね。
懐かしい名前が出てきたよね。竹下とか。
慶政会っていう、旧田中派ですよね。
これが鉄板の勢力を持っていた竹下派が分裂して。
その割には参議院選で自民党が勝利してるんですよね。
よくわかんないよね。
あとは岩崎京子さんが14歳で、今まで生きてきた中で一番嬉しいと言った子がですね、
旧ユーゴスラビアのホーカルとかですね、いろいろあったわけです。
ユーゴスラビアという国がありましてですね。
そうだよね。
今はボスニアヘルツェゴミラとね。
コンディネント。
党はいろいろ大変だよね。今もそうだよね。
というところで見るとですね、
平成に入ってからなんとなく昭和のバブルを引きずったところが、ここでとどめを刺されたような感じで。
田中革英時代から鉄板を誇ってきた竹下派も分裂して、自民党が外野するきっかけになったりとかですね。
なんかやっぱり時代が少し変わってくるのかなという感じではありますよね。
当時自分は21歳だから。
あ、もう社会人だ。
たぶん社会人だよね。社会人が学生最後だろうね。
僕はまだ大学2年生だとね。
じゃあ4年生か。
まだまだぬるま湯に浸かってた時代ですね。
浸かってた時代ですね。
あんま社会情勢がバブルが何とかとか言われてもなぁみたいなぬるま湯だったんだねって感じをして今振り返っていく。
ギリギリだからの就職活動はギリギリ滑り込みみたいな感じですか。
これはね私の話は参考にならないからね。
お父さんに語ってもらってもいいですか。
え、なんでなんで。
これ言うとさ、きらくんは本当にお茶目ではないみたいになるんだけど。
喋っていいちょっとだけ。
大学卒業するっていうことがさ、就職において大きなカードだと全く思ってなかった。
だから自分の中では、やっと学生生活が終わって自分の好きな仕事ができると思った。
なるほど。
何がやりたかったかって言ったら、将来的に芸者にやってみたかったから。
芸者にやってるところに歴史持って行って、社員雇ってますかって言ったら、
うん、雇ってるよみたいな感じになってよかったんだけど。
大学を卒業する人がこんなところに来るのはお前が初めてだって言われて。
なるほど。
だからもうちょっとちゃんとしたところに行ったほうがいいと思うよってあるとき言っておけばよかったって、
店長に言われた。
3年後ぐらいに倒産しやがった。
みんな切り札はちゃんと大事に使おうねって思って。
参考にならないでしょ。
でも今でいうと、そういう生き方のほうがむしろ進められる感じかもしれないですよね。
今となってはね、確かにね。
今の社会においてはそういうほうが自分のやりたいことをやりなさいっていうのが結構いいような気がしますけども、
当時でもそうでしょうね。
どうだったのかな。
うちの両親は好きなようにやればいいんじゃないみたいな感じだったかな。
周りもそんなに就職活動で頑張ってますみたいなスタイルがあんまりいなかったんだよね。
環境の問題ですね。
環境の問題なのか。
でも言い換えれば、まだ頑張らなくてもなんとかなってた、まだギリギリの時代だったわけじゃないですか。
そういうことになるのかな。
そうかもしれない。
そのあたりからやっぱり不穏な空気が出てき始めてるわけですよ。
前はすぐ楽勝だったのか、あれなんかちょっと違うくね?みたいな雰囲気の声が聞こえだしたのがこの時期だと思うんですよね。
そうね。
先輩たちに聞いてたのと違うぞみたいなね。
そうそうそうそう。
なんだろうね。
この翌年ぐらいから、いやこれはもうやばくなってきたぞ。
やばいぞって言ってたのがどんどんどんどん毎年更新されてる。
そういう時期か。
私はまだ気楽なところのギリギリだったみたいな感じなんだけど。
ボソレヌーボーの歌い文句が毎年同じっていうのと同じですよ。
毎年100年に一度って言ってるような。
今年は最高の出来ですみたいな。
そうそうそうそう。
そうか。
そういう就職活動ってわけでもないか。
そういう感じでしたね。
だからまさに僕が大学に入って出る間に、
ガリバートンネルの小さくなるやつみたいな感じで。
出たらあれ?みたいな感じでしたよね。
うん。
トンネルはいいな。
という感じですよね。
あんまりね、後々。
あんまり景気がよろしくなくなってきたら次は逃げ隠れするんだよね。
ゲーセンもね。
そうね。世の中的にはリクルート事件ではない。
佐川急便の方でしたよね。
そうだね。佐川急便の金絵丸シーンのね。
いろいろ大騒ぎになったやつですよね。
こんなおじいちゃんになっても権力っていうのは怖いもんななーと思いながら見てた方がいいな。
そうですよね。
金絵丸さんも確か竹下派だったから、ちょっといろいろあったんでしょうね。
あとは中村八代さんが亡くなったりとか。
文化と社会の出来事
亡くなったといえば尾崎豊かです。
尾崎豊かね。
尾崎豊じゃないもん。
尾崎豊かは逆にこの辺から急に注目されたりしませんでした?
そんな感じだった。
それまではちょっとアウトロを気取ってたやつが聞いてたみたいな感じだったんだけど、
急に一般的な市民権を得たみたいな感じ。
ね。そっきに知ったもん。
なりましたよね。
スポーツ新聞で出て、あ、有名な人だったよな、そういえば。
あとは長谷川町子さんが亡くなった。
そう。長谷川町子さん。
さざえさんの昔のコロナが読むと時代を感じるよなって。
第1巻なんてね、まんしゅう引き上げなんとかとか出てきちゃった。
戦後です。
まあこうなりますよね。
なりますよね。
みんなキノケの多い家族でしたもんね。
そう、キノケの多い家族。
結構ね。
ああいう時代だったんだよね。
昭和のあれもそうだし、テレビ番組で言うと料理天国っていう、吉村マリーがやってたスーパー戦隊の裏番組だったんですけど、こっちのほうでは。
親とチャンネル争いみたいなね。
俺はスーパー戦隊を見るんだ。いやいや料理天国だ。みたいなね。
これが終わって、
加藤ちゃんけんちゃんごきげんテレビの後にやってた加藤けんテレビバスターズも終わって、
ドリーフワークがここで終了と。
そしてクイズ100人に聞きましたも終了と。
視聴者参加型番組の衰退
ということで昭和を彩ったテレビ番組もバンバン終わっていったと。
この頃に100人に聞く人多いと、あるあるあるあるですよ。
でででででー。
でー。
ピンポピンポピンポピンポー。
ピンポピンポピンポーン。
まだあのときって視聴者参加型のクイズ番組全盛期だったっけ。
そう。だからここら辺からなくなってきたんですよ。
もう残りがね100万円クイズハンターぐらいしかなくなっちゃう。
あとアタック25ぐらいしかなくなっちゃって。
うちのサークルと同じ部屋だったクイズ研究会が困ってましたね。
なるほどね。
ウル番組大騒がい騒がい。
ウルトラクイズも終わっちゃう頃なんですね。
なるほどね。
面白かったけどね。素人さんってわけじゃないけど、家族で出てきてみたらね。
今見ると面白いんですけど、もうそろそろ飽きが来たかなっていうところだったのかもしれないですよね。
そうね。
好きだったんだよなー。ダイス振るやつ。
ダイス振るやつ。
土いま猿?
土いま猿?
スーパーダイス9とかなんか出る?
あったなー。
これ振ってからさ、出ろ出ろ出ろみたいなこと言って。
土いま猿でそれが出てくるか。
ピントでピントじゃないんだ。
それがもう定番だけど、確かにあったなー。
なんかあったでしょ。
サイコロ振ってる番組それとごきげんようぐらいしかなかったですよね。
これも懐かしい。
視聴者さんが一生懸命頑張ってきました、みたいな感じ。
交換がモテる。青年が出てきたりとかね。
面白かったんだけど。
ザ・チャンスっていうのは芸能人って言った?
ザ・チャンスって言ったら、
伊藤志郎がNow Get Chanceってやつ。
にんこややつ?
そうそうそう。
あ、覚えてないのー。
あれはどっちだったんだっけね。
ちょっとウロウボイだな。
ハイアンドローもあった。
ハイアンドローもあった。
最初キンキンでしたっけ。
そうそうそう。
途中から小林一家に変わったような気がする。
小林、小島一家か。
小島一家ね。
クイズダービーは最初一般の人も出てなかったっけ。
それは回答者というか、書ける方。
書ける方は基本的には素人。
素人だったよね。
時々特番みたいな感じで芸能人は来たよね。
特番でか。
いつもニコニコ、岸田恵子さん全部。
三択の女王ですからね。
原平さんは硬いと。
倍率ドン、さらに倍点2にしかならない。
篠原教授がやったのと同じ。
篠沢教授ね。
篠沢教授は大穴だった。
教授なのに大穴ってどういうことなんだ。
あれが不思議でしょうがない。
どうしたんだよ。
宇宙人原平。
原平さん漫画家だったんだよね。
毎日書いてるんだったっけ、新聞。
4コマ漫画家。
クイズ番組懐かしいなー。
やればいいよね、素人参加型でもう一回ね。
一周回っていいんじゃないの?
面白そうな気するよね。
今でもあれやってるか。小学生より賢いのみたいな。
やってますね。
あれも終わっちゃったんだよね。
終わったかもしれない、最近。
そうなんだ。
SNSに出たらダメです。
やらないとおっかないんじゃないの。
孤独ないから。
いろいろあるかもね。
プライヤーもそうなのかもしれない。
前半はこの辺にしまして、後半も92年について語っていきたいと思います。
今回はこの辺でありがとうございました。
ありがとうございました。
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