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みなさん、こんばんは。アユミヨリRADIOです。
はい、いつも喋ってます。リリーです。
森原です。お願いします。
はい、前回収録させてもらった番外編の
『チ。地球の運動についての感想をまた今日自由に語っていこうかなと思ってます。
前回はラファウ君の部分がメインでお話をね、させてもらって
1時間15分もお喋りをしてしまいました。
今回は時系列に沿ってまたお話をしていけたらなと思ってますので
どうぞお付き合いください。
はーい。
新しいキャラクターの導入
はい、感じで、前回はラファウ君が人生を終え、場面は移り変わり
その何年後とかでしたっけね?ちょっと忘れちゃったけど
10年じゃない?
10年か。彼が亡くなって10年後っていう設定で
新しいキャラが出てきましたね。
オクジーとグラスさん?
グラスさん。
グラスさんというのが出てきて
彼が、2人が最初、話を動かしていくような感じのスタートでしたね。
そうですね。
どうだろう、彼らが出てきて冒頭最初の方って何かビビッときたところはありました?
最初の方?
なんとなく私的には、彼らが最初出てきたシーンはそんなに何か思うところがあったかっていうと
割と後半の方と言ったらいいんですかね。
異端者の輸送して始めてるぐらいから割とビビビッときたところが多かったので
森原さん的にはどうでしたかね?
どの辺から色々語りたいなって部分出てきそうですか?
そうだね。
やっぱりこれ2週目した時によりいいなっていう感じがしてて。
あー、2週目した時。
1週目私アニメから入っちゃったから。
あー嘘。
アプリで無料で読める時にパパパパって読んだだけなんだよね。
あんまり言葉として入ってくるんで、めちゃめちゃ印象に残ったかっていうと
この2人の関係性と状況を理解するので流れちゃったところがあるかなって感じ?
2週目ってもう、この奥二さんがどういう未来を辿っていくのか?
バディーニさんとの話とか、また亡くなるまでの話を見た後に
これをもう一回最初から見ると
あーそうか、だから奥二はこんなにもこう
奥二の変化がありありと見えるわけなんですよね。
どれだけ生きている時に絶望してて、この地球で生きているところに希望がないのかっていうのが
彼のいろいろな言動ですごいありありと見せつけられるし
またこの社会の階級性とかね、結構前半に厳しい社会が見えてくると思うんですけど
そういうのを改めて、奥二を取り巻く社会ってこんなんだったなぁとかね
だからグラスさんは動く火星、円を描くように火星が巡っていくんだけれども
その完璧に回ろうとしている一つの完全さみたいなものに
どれほど希望を抱いていたのかっていうのがよりいい感じさせられました。
感情移入ができるようになったのは2週目かな、みたいな前半に関しては
っていう感じです。
異端者との出会い
確かにそれはでも理解できますね。
私も2週目のアニメで、なるほどってなるところが結構あったなっていう気がします。
うんうん。
異端者との出会いからね、異端者の出会いからリーさんが言ってたように
やっぱりだんだん確信に迫られるような描写が結構出てくるじゃないですか
その奥二さんとグラスさんが今まで心の中で悶々としてたようなことを
ズバーッと異端者の方が言うわけじゃないですか
そこは結構爽快感があるなって感じで
確実に2人が動揺しているシーンが描かれていきますよね。
この辺の異端者、異端者じゃないけど異端者の方のセリフは
まあまあ迫ってくるものがありますよね。
君自身が心の底では天国を信じきれてないからだとかね。
で、麗しの天国などないのかもしれないということに
奥二さんが辞めると頼んでるだろうって言って
だがその後ね、だがこの星は天国なんかよりも美しいということに
って言うんですよね。
そこで2人がハーッとした顔をするんですけれども
なんかね、すごい
我々信仰を持っているものとしては
なんというかこう不思議な感覚になるというか
まあもちろんこの2人よりは随分この世の中に
なんだろう、希望もあるし
美しいと思う神様の作られた自然とかね
見てもそうだし、人間のこの構造を見てもそうだし
動物の構造を見てもそうですし
いろいろ見てもやっぱ美しく作られてるなとは感じてるから
この2人ほどではないけれども
でも、なんて言うんでしょうね
天国なんかよりも美しいという表現っていうのは
なかなかこう
おお、そうきたかというような感じになりますね
でも2人の立場からすると
なんかもっと違う衝撃があるので
なんか
いい意味でこのコマはすごくこう私にも
おおって思わせるような
セリフでした
なるほど、彼らの認識している天国と
私たちが認識している天国はちょっと違うは違うけれども
だからこその彼らが
天国なんかよりも美しいっていうので
衝撃を受けてるっていうのが印象に残ったってことですかね
まあ2人の立場からするとこの言葉の衝撃がまた
違う風に入ってくるでしょうから
2人がね、その後動揺して結局
この異端者の側につくわけじゃないですか
それだけ2人がこの世の中に絶望しててだけれども
この世の中がむしろ美しいっていうその一言に
希望を見出したんだと思うので
この変化を見てるのがね
過去との向き合い
やっぱり読者側としては爽快感がありますね
ありましたよね
私もねその辺のやりとりすごいよくて
アニメ見ながら
やーだこれ名言じゃーんと思って
5秒聞いてメモしちゃう
一時停止しみたいな感じで
セリフを書き起こしちゃいたいぐらいな感じで
いくつかね私もね書き起こしたんですけど
天国の前後かな
ちょっとどっちか時系列忘れちゃったんですけど
君らはこの世の絶望から目をそらすために
あるかもわからぬ天国に逃げてるだけじゃないのかって
異端者がね言いながら
なんかグラスタンがそれ聞いて
そうやって不安をあおって
我々を絶望へと突き放したいのだろう
ことを言ったのに対してね
いや君らが絶望を突き放しているのだっていうのが
最初聞いた時
一緒のこと言ってないみたいな
同じことを繰り返してるだけじゃないと思ったんだけど
でもこれよくよく整理して
言葉の並びを聞いてみると
つまり異端者がオクジーさんたちをね
オクジーさんたちから見ると
異端者がオクジーさんをお前ら絶望しやがれって
こう突き落とそうとしているっていう風に
オクジーさんとグラスタンを感じたってことだと思うんですけど
その後異端者がね
いや君らが絶望を突き放しているのだ
っていう表現をしてるってことは
つまりそうではなくて
オクジーさんとグラスタンが無意識のうちに
絶望に自分から来るな来るなって
めっちゃ遠ざかってるって言ったらいいの?
その行動の主体者は
異端者ではなく
オクジーさんとグラスタンって言ったらいいのかな
能動的に動いてるのはって言ったらいいの?
ちょっと難しい表現になっちゃうかもしれないんだけど
なんかでもこれすごいね私
自分と重なるなって思ったところがあったんですよね
昔の
なんか
その後の話のくだりとも
重なってくるなって思うんですけど
過去の私って
この世界なんてみたいな
理不尽でこんな世界で生きて
将来に希望なんて何にもないじゃないか
みたいな感じで
結構その
絶望みたいなものを感じながら
へーみたいな
この世界のせいで
みたいな風に思ってたところが結構あったんですよね
自分自身が
だけどこの異端者の表現とすると
絶望を突き放してるっていう風にね
なんかこう表現をしてると思うんですけど
そのねあと異端者が何て言ってるかっていうと
ちょっと長いんですけど
2000年前アテナイの老人が
独愛をあおった産地から今の哲学が生まれた
1500年前一人の青年が張り付けにされた無念が
今の教会を形作った
つまりこれってあれだと思うんですよね
えっとなんだっけ
ソクラテス?アリストテレス?
哲学者が亡くなったその部分の話と
イエスキリストが十字架にかかった部分のことを
言ってるんだと思うんですけど
つまりそういう感じで
人は悲劇を肥やしに時に新たな希望を生み出す
その場しのぎの慰めなんか現実を買いやしない
だから真から分けてた苦悩は
あるいは君の絶望は希望に転化し得るのだ
なのに君らは絶望に目を塞ぎ
誰かがくれた死後の保証付きの人生を生きている
そんな人間に希望など訪れない
って続くんですよねセリフが
なんかね改めて聞いてすごい刺さって
私このセリフが
一連の長銭が
つまりこの異端者が言いたいのは
なんか君たちはもうこの世界は絶望だ
みたいなことを言ってるけれど
それってあなたたちがちゃんと
その絶望に向き合ってないからですよね
ってことを言ってるって言ったらいいんですか
ちゃんと向き合った絶望って
哲学がそこから生まれたりとか
教会が生まれたりとか
そういうねより希望に変わるものが
ちゃんと生み出されていってる
だけどその絶望に
自分たちがちゃんと向き合ってないからね
そんな人間に希望など訪れない
ってセリフを言ってるわけなんですよね
なんか本当に昔の私がこんな風で
そう言ってなんかこの世界は
なんか理不尽だからとか
なんかそういうこといろいろ言ってたんだけど
じゃあその理不尽さって
どこから来るんだろうとかね
なんでそういう風に感じるんだろうとか
お社会の何がそうなって
私はこう思ってるのかなって
ちゃんと向き合ったかって言ったら
向き合ってなかったんですよね
ただなんか漠然と
この世界のせいだみたいな
私が不幸なのはみたいな
感じで周りのせいに
ただしてしまっていただけで
本当にねその真から分け出た苦悩とか
煮詰められた挫折とか
そういうものは希望に変わるけれど
だけどその絶望に目を塞いでいると
希望は訪れないよって言ってる
このセリフが
本当に過去の自分に言われているような
気持ちになって
本当にね向き合おうとしてなくて
周りのせいにばっかりして
なんか斜めに生きてたって言ったら
いいんですかね
すごい心が震えたし
あとやっぱり今私自身が生きて
今希望を前よりは感じてるんですけど
昔に比べるとね
それって本当私が
なんか人生いろいろうまくいかなすぎて
もうこの絶望どうしたらいいんだ
っていうところまで
落っこちまくって
落っこちまくれたおかげで
今これだけ希望を感じれてるっていうのは
もうさりそうだなって思うところが
あるんですよね
落ちるところまで落ちたからこそ
這い上がってこられたところは
あったなって思って
昔の自分として響くところもあるし
今の自分が希望を感じられてるのは確かに
絶望を突き放すことなく
ちゃんとこう受け入れて向き合ったからだな
っていうのはね
ちょっと思うところがあって
この一連の異端者のセリフっていうのは
ものすごいこう
わーって思ったところがありましたね
なるほど
依存症と希望の関係
リリィさんのいきさつとも重なる
セリフだったという感じですよね
でも実際そうですね
なるほど
目を塞いだかどうか
それぞれわからないけれども
そこまで絶望と向き合うってね
やっぱ辛いというか
しんどいでしょうからね
そこまでいったからこそ
得られる希望というものがあるんだろうな
っていうのはそうだなって思いますね
そうなんだよね
依存症でいう底つきというものなんだろうな
って思いながらね
私はこのセリフを聞いているんですけど
依存症の方々もねやっぱり
依存症になって
ダメだ
もう自分の生き方変えなくちゃ
っていうそのどん底まで落ちたからこそ
リカバーしようっていう思いが生まれてくる
そのどん底だった経験のことを
よく底つきっていう風に言うんですけど
やっぱりそこに
その底つきをちゃんと目を反らさずに
向き合った人やっぱ希望があるし
もうそのままもういいや
もういいやで
やっぱりこの世界は絶望だらけだ
って言ってなっていっちゃうとね
苦しくなるし
私たちが今歩み寄りっていうので
今回は番外編的に喋ってますけど
でもやっぱり自分の心と向き合うことで
もうちょっとこう
生きやすくなるんじゃないかな
っていうのとも
すごいつながってると思うんですよね
自分の心と向き合って
ある意味自分の心の中にある
絶望みたいなものと向き合って
それを言語化していくってことだと思うから
やっぱりそこを目を塞がずに
ちゃんと見ることで
絶望が希望に変わっていく
っていうものはあるんじゃないかな
っていうのがあって
そういう部分でも
自己肯定と絶望への挑戦
ちょっと心に響くところがありましたね
なるほど
言われてみれば深いセリフですわね
そうね
やっぱこの作品1週目では
ちょっと全部は回収できないですね
やっぱり何週かしていってこそ
気づく色々な部分がたくさんありますね
そうだね
深い作品ですよね
そういうのって
何回も見て気づくことがありますよね
そういう作品は
その後の一旦したのセリフも
ちょっと私
心に残ってるところがあって
さっきのね
私がちょっと心揺さぶられたっていうセリフを
淡々と異端者が言って
奥内さんがそれで
黙ってくれって
お願いしてるじゃないですか
みたいな感じで
ひとしきり怒って
ちょっと鎮下して
っていうところの後に
異端者が
今
人生の選択する
キロに立ってる
っていうような種々のことを言って
そのセリフの中にね
っていうセリフが
あったんですけど
これもやっぱり
さっきの部分と
ちょっとつながる
ところがあって
なんかこの表現もね
すごいこう
磨けがかかった
セリフだなってね
すごく思いましたね
快適と自己否定っていう
なんか相反するような言葉をね
並べながら
ある意味そうやって
この世界は
ひどいひどいって言って
恨みとかね
憎しみとか
そういうか
自己否定的なものに
ちょっと留まっているか
それを全部一旦捨てて
自己肯定に
かけて出るっていうね
その挑戦的な表現が
つまりはある意味
絶望にちゃんと向き合う
ってことなんじゃないかな
って思うんですけど
ちょうどね
このグラスさんも
ご家族をみんな
疫病でなくして
っていうような
背景があって
それで人生に希望を
感じられなくなっていたところで
火星の観測を始めて
これは
自分の家族が
自分へのメッセージだ
って言って
綺麗な愛を描いていく
火星の軌道を見て
すごいときめいていて
希望を感じていて
だけどそれが
そうならなくなった途端に
これが私の運命か
みたいな感じで
すごい落ち込まれたシーンが
あったと思うんですけど
すごいグラスさんは
めちゃくちゃ
自己否定に落ち込んでた
と思うんですよね
所詮私は
こういう人生だ
みたいな風に
たぶん
自己否定に
とどまっちゃってた
と思うんですけど
そういうの
全部一旦捨てて
自己肯定に
かけて出る
っていうね
このセリフは
グラスさんだからこそ
聞いたときに
心がね
揺さぶられて
奥地としては
えー
みたいな感じだったんだけど
グラスさんは
わりとに
潔く行動しちゃって
っていうのは
やっぱりこのセリフが
彼にとっては
自己否定する
しかなかったところが
それを捨てて
かけて出られるものがある
っていう
希望を見出す物語
なんか希望をね
感じたんだろうな
っていうのを
とってもね
思いましたし
昔の自分は
やっぱり快適な
自己否定に
すごいとどまっていたな
と思いますね
うーん
そうねー
もうずーっと
自己否定の中にいたら
それが快適になっちゃう
もんなんですよね
うーん
自分のせいにしなくて
いいわけですもんね
つまりね
うーん
やっぱね
自分のせいに
しなくていいわけ
ですもんね
つまりね
うーん
やっぱね
自分のせいに
しなくていいわけ
だったね
はい
ちょっと私は
この
異端者の下りのところは
ここが一番
胸圧でしたね
うーん
はい
胸圧ポイント
うーん
なるほどねー
ちょっと私もその
絶望を突き放してる
っていう
言葉のニュアンスがね
うーん
ちょっと私も
スッとは入ってこなくて
うーん
なんか
希望を突き放してる
っていう方が
あったような
気持ちがあったり
あったり
あったり
あったり
あったり
っていう方が
あってんのかな
だから勝手に
思ってたから
うーん
うーん
異端者の片言葉が
希望なんだけど
その希望を
そうじゃない
って言って
で
君らが
希望を突き放してる
っていう
ニュアンスなの
かなって
思ってたんだけど
なんか絶望を
突き放してる
って言うから
うーん
なんかこう
スッとすぐに
降り落ちなかったんですよね
うーん
確かに
なので
まあ
だから
リリーさんの話を
聞いて
なるほどね
そういうことかーって
ちょっと
はい
ちょっと
降り落ちたっていう
感じですかね
うーん
なるほど
なるほど
ちょっと独特のね
言い回しの部分はね
ある感じでしたからね
ここのセリフ
全体的に
しかもね
アニメね
改めて聞いてみたらね
この私の
すごい心に
響いたセリフ
めっちゃ驚
驚しい
すごい
すごい
めっちゃ驚
驚しい
BGMと一緒に
なんかね
あの
言ってんのよね
アニメで見ると
だからね
なんかすごい
いいことを
言ってんだけど
すごいなんかね
あの
悪魔のささやき
みたいなね
セリフを
言ってるシーンにね
なんかパッと見
聞こえちゃうんだよね
なんかすごいこう
うーん
お前も死んでしまえ
みたいな
ニュアンスのことを
喋ってるかのような
なんか
そういう雰囲気に
受け取っちゃう
温度感があって
もう分からんわ
と思いましたね
そうだね
なるほど
でもやっぱり
そういう
絶望の末に
希望が来るっていうので
まあ
私たちも生きてて
やっぱ
そういうこと多いな
と思うんですけど
まあ
いわゆる
雨が降った後に
虹が出るみたいなね
そういう感じ
うーん
まあ
やっぱり
そうやって
前をね
頑張って向こうとしている人に
いつもなんかこう
希望という
こう
機会がね
来るんだろうな
っていう感じは
してるんですよね
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うん
うーん
なんかこの
克さんとかね
奥児さんの状況も
まあ
奥児さんは
おおよそあけられてた
かもしれないんですけれども
うーん
うーん
サナガワ
こんなぐらさのね
その
思いをね
きっと神様が
受け取られたんだろうな
っていうような
なんかね
こう
漫画を通じて
感じさせられますね
アー
そんな
自分のシーンでそれを感じたんですか?
まあ物語上ね、こういう構成だからそうなるはそうなるんでしょうけど
だってグラスさんめちゃめちゃ火星を見てさ希望を感じてたのにさ
曲がった明後日の方にって言ってさ
空見て泣いてるじゃないですか
すごい切ないシーンで
それでもさ、また翌日になったらさ
間違ってたのかもと思ってねーみたいにはははって言って
ちょっとこう、なんだろうね
気持ちを頑張って切り替えてお仕事しに来たのかなみたいな
でも結局火星が曲がっちゃったからといって絶望して自分で
自死の道とか行ったわけでもなくさ
それでも生きようとしたわけじゃないですか
そうやってなんか思ったようにいかなくて
しんどくて悲しくて泣いたりとかして
なんか社会で生きてる意味とは希望とはって思って
それでも日々をね、こうなんとか探して生きていく人にはさ
やっぱこういう機会が来るんだなっていう
2ターンチャットの出会いがあったようにさ
来るんだなっていうのを
もちろんこれはお話だからね、そういう構成で作ってはいるけれども
でもやっぱ私たちも生きる過程でそういうことって
いろいろあると思うんですよね
自分の思う通りに行かなかったけどその時は
そういうことになって思わぬ形で上手くいったりとかさ
さっきもそういうテレビ番組であったんですけどね
人生の夢と不完全さ
人を通してね、自分が小さい頃だった夢
海外に行くことなんですけど
それをホームステイを受け入れることによって
成就するんですよ、その人
なるほど、逆な、逆の発想というか
だからさ、どこでどういう機会が来るか分かんないなって思いましたよね
確かに
50代、50代ぐらいかに受け入れして
その人がある国の出身でそこに住んでみないって言われて
旦那さんと一緒に引っ越すんですけど
そこから20年ぐらいずっとそこで住まわれながら
お店も開いたりとかしてやってるみたいなんだけど
本当に自分がイメージしてた外国、海外のイメージと同じ
ような場所だったって言ってて
すごいな、なんかそんな子供の時のある意味夢がさ
60代ぐらいになって成就するみたいなそんな感じじゃないですか
やっぱり人って何が起こるか分からないし
やっぱりいろいろね、人生いろいろあったと思いますよ
それでも何か諦めずに希望を持って頑張ってる人には
そういう機会が来るのかななんていうことを感じちゃったりしましたね
本当にその通りですね
まさかね、異端の輸送をしている最中にこんなことが起こるなんて
きっと彼も思ってなかったでしょうから
いろんなことがあっても確かに
一つの生きる知恵なのかもしれないですね
いつどこで人生の機会が来るかは分からないからね
本当そうね
グラスさんも、彼が結局機会をつかんで最終的には
人生に希望を見出して最後を迎えていくっていう
そういうシナリオの印象なんですけど
ちょっと横道を少し逸れると
これ真理を追い求めていく作品ですけど
それでグラスさんは火星の軌道を見ていて
その綺麗な円っていうのがやっぱり完全さっていうの
自分にはない完全さをそこに見出していた
自分は家族も亡くなってこんな人生でって思ってたけど
代わりに火星がこんなに美しくなっているからみたいな感じで思っていた
でも火星の逆走?逆行?
逆行なんとかちょっと忘れちゃった
でも用語で言ってたけど
あれが起こるっていうの知らなかったじゃないですか
だけどその後の出てくるキャラクターが
ここからが本番だぞむしろみたいなね
後々に言ってくるシーンがあると思うんですけど
またさっきの話とは全然違った切り口にはなるんですが
やっぱりその知っているかどうかっていうことが
やっぱりすごく人生の中で感じるものとか
選ぶものとかがすごく変えるんだなっていうのは
改めて言っても感じた部分だったなって思うんですよね
彼はつまりあの火星を見て涙をしていたのは
火星は必ず丸く丸く軌道を描くはずだっていう
そういう知識の前提があったからだと思うんですけど
実際正しく知ってみたらむしろきれいな丸にはならずにある程度逆行するっていうのがね
むしろそれが当たり前だったんだけど
それを知らないとどうしてこうなるんだろうってやっぱ思っちゃうところがあるんだろうなって
結局でもそれでも彼はその後諦めずに生き続けていたから
結局機会があったからそれはとても良かったことだと思うんだけど
やっぱりそれがその未来の出来事は一旦横に置いておいて
きれいな絵を描かなかったということで
ショックを受けて涙をするっていうのはある意味
正しく知っていれば感じずに済んだというか
むしろやっぱりそのように動くんだなって受け入れられたことだったと思うんですけど
その火星を見てやっぱり火星も不完全だ
不完全な自分と一緒だって言って落ち込む必要ある意味なかったと言ったらいいんですかね
私的には良かったと思うんだけど
そういう意味でもやっぱり正しく物事をちゃんと知ると言ったらいいんですかね
知識と希望の重要性
特に今情報庫社会でいろんな情報が出回ってるからこそ
何か突き詰めてちゃんと正しく知るかどうかっていうのが
結局過度に落胆せずに済んだりとかね
前向きに考えられたりとかすることにつながるのかなっていうのも
彼の人生を見ながら感じたところもありましたね
これはなかなかね
ハッとさせられるシーンですよね
リリーさんが話したように
バデーニさんとのね
オクジーさんが出会った時の話ですよね
なぜ逆光からの記録がない
2年に一度ここからが重要な事象だぞってことですよね
心を痛める惑星の逆光を知らなかったのか
そもそも惑星って名前自体がマドウヒトだから
グラネーテスって言うんですね
マドウヒトから来てるんだぞ
移動はマドウに決まってるだろ
というかそれを知らないでこんな明滅な記録を取っていたのか
いや本当に
グラッサーに聞かせてあげたかったね
ぐさーって感じよね
知ってればね
あんな風に落ち込むこともなかったんだろうけれども
知らないことによって
なんかこう
天からしたらね神様からしたらさ
いや別にそこはそんな
落ち込むところじゃないんだけどなみたいな
神様は何でも知ってるでしょうからね
でも人って何も知らないでしょうからほとんど
全ての分野を知り尽くすことなんてもう皆無ですからね
だから生きている中で
こんなにやったのにどうしてみたいになっちゃう
これ私ですけどね
私がよくやってしまうパターンですけれども
どうしてこんなにやったのにこんなですか
みたいになっちゃうことね
しょっちゅうありますよ私は
なんですけど
それはこれから起こることに対して無知なので
わからないんじゃないですか
だから現実ばっかり見えちゃうんですよね
その現実がね自分の思ったようにいかなかったことによって
楽譚しちゃうっていう
そういう感じですよね
きっと皆さんもあると思いますよね
特に期待しているものほどね
思い通りにならなかった時のショックって大きいですよね
グラッサーは完全にこの軌道にね
めちゃめちゃ期待してたでしょうから
そうだよね
亡くなった家族からメッセージを読むぐらいだもんね
だからねそうやって
期待しているものにこそ本当に
知識をつけねばならぬなっていうような感じですけれども
生きていく中の未来に関してはね
どんなに知識を身につけたところでもわからんものはわからんでしょうから
なんともですけど
でも私たちはそうやって落ち込まなくてもいいところで落ち込んでいることは
結構たくさんあるんだろうなということは
そういう感じさせられましたね
あとこの前後のところで印象に残ったのは
ちょっとねこれは私セリフ書き出しがちゃんとできなかったんですけど
僕爺さんとグラッサーがその遺単車の輸送中に話を聞いて
結局その地動説ですよね天動説ではなくて地動説側に気持ちがこう揺らいで
それでバデリさんに会いに行くまでの間
その下りの前後のところのこの2人のやりとり
僕爺さんとグラッサーのやりとりも結構私よかったなと思うところがあって
一つはその奥爺さんの麦わらさんも言ってた感じで
変化と言ったらいいか彼のその後のことを考えていくと
彼最初こんなにお堂々だったんかいみたいな
そういう部分も印象には残ったは残ったんですけど
これから自分がどうしたらいいか分からないから
グラッサーに決めてくれって言ったりとか
だいぶ受け身ですよね生きることについて
そういう部分でもちょっとこんなに
彼は自分これからどうしたらいいか分からないというのも
人に委ねちゃうぐらいの人だったんだなって
ちょっと見ながら思ったところもあったんですけど
前回の収録で麦わらさんが言ってた
託す、委ねるっていうところもね
この作品のキーになると思って話をしてたと思うんですけど
私あんまりここの部分で託すとかって
なんかあったっけって思ってたんですけど見返してみたら
すごいこのグラッサーが託すっていうことについて
話している言葉だったりっていうのが
とっても託すだったと思ってね
そのテーマの部分、一つテーマだと思って言ってたところが
すでに出てきてたわと思って
作品を見ていたところがありましたね
自分が死んだ後に残るのは
自分がいない世界しか残らない
だからこそそこに何か託していくっていうことに
希望が見出せるじゃないか
自分がいなくなっちゃうから
託していくっていうことに自分が残らないからこそ
託すことに希望があるっていうところがね
すごく印象に残った部分でもありましたね
この第2週においてはやっぱり
グラッサーのそのシーンがね
今後に続いていく部分だなというのは
感じますよね
結局地動説の証明って
その時代、その
100年単位では収まらないっていうの
一人の人生だけで
全てを証明はできないわけだから
結局託すことによって
証明を続けていくしかない
それがまた
非常に奥深いテーマだなって思うんですよ
バディーニさんなんかも完全に
自分が全部証明してやるって言ってさ
もう俺がもう
全部こう
証明してやって
なんか受け入れられて
もらえるぐらい
頑張るみたいな感じのさ
すごい執念がありますよね
バディーニさんね
託すことの意義
その後は資料として残さないぐらいまで
行ってて
資料を燃やしたりとかね
その後したりするんですけれども
でも確かにその後奥深さんがね
どんどんそこに対していろいろ話していくんですけど
ちょっとこれ第2週を飛び抜けて
第2週ぐらいの話し合いになってくると思うんですけど
やっぱり残さなかったら
本当に何一つ記録に残らないっていう
たとえ家族がいるんだとしても
その人がね
家族の一人が自分のことをどの程度知ってるのかだって
わからないし
正直親の気持ちですらわからないじゃないですか
でも一つ気持ちを綴った日記なり何かがあれば
この時こういう気持ちだったんだとかさ
わかる?
けれどもそういうものがないとやっぱり
なんとなく子供の中の親って終わってしまう
何かを残しておけば
それをまた託す相手がいるっていうのが
またキーワードだと思うんですけれども
託せる相手
相手がいた時に
やっぱり希望があるんだなって思うんですよね
よくここに出てくる丸いペンダントね
渡していくシーンがあると思うんですけれども
みんな渡していく人たちの顔って
すごい満足そうなお顔だったり
何かやり遂げたようなお顔だったりするんですけれども
俺は託せる相手に託したから
それだけの
満足そうなものがあるのかなって思って
自分の中で
私はなんとなくこの遺憾者
奥二さんとグラスさんと一緒にいた遺憾者が
二人に会えて
本当に良かったんだろうなと思って
もし二人に会えなかったら
あの山の中腹に来る人宛てに託すっていう意味では
託せたとは思うんですけれども
やっぱり
やっぱり
託すっていう意味では託せたとは思うんですけれども
直接的に
伝えた上で
そのペンダントを託せたっていうのは
遺憾者にとっても
きっと喜ばしいことだったんだろうし
私たちも不特定多数の誰かに託すよりも
グラスさんの遺産
この人にはっていう人に託せた方が
やっぱり
思いを
届けやすいだろうなって思ったりすると
託すことも
とても大きなことだし
託せる相手がいるっていうのも
とても大きなことなんだろうなって
見ながら思いました
そうですね
あのね
男者も
そりゃ嬉しいですよね最後の最後で自分がもう
死ぬかもっていうタイミングのところで
ああして熱い思いを持っている人に
引き継げたら
そりゃ満足だっていう気持ちあるだろうなってね
そこはやっぱり理解できるというかね
あそこでもしああいう人たちがいなかったら
彼はいったいどうしたんだろう最後っていうのはね
個人的には気になるところはあるんだけど
でもある意味遺産者自身も
第1回目の収録でねお話しさせてもらいましたけど
きっとこの地動説の感動に
自信があったんだろうなっていうのはね
なんかちょっと思うなってところがありました
もちろんそれに全てかけてたわけじゃないだろうし
これをちゃんと誰かに伝えて
自分は亡くなれるだろうかっていうような
不安はゼロではなかったとは思うんですけど
なんとなくね彼が輸送されながら話していた
口ぶりを考えるとやっぱり
彼自身が知った地動説っていうものが
人の心を感動させて動かして
それを追い求めたくさせるものに
違いないっていうのははっきりきっと
思ってたからこそ自信を持って託せたところは
あったんだろうなってね
どうでもいいものを託していいかわかんないんだけど
よろしくみたいなやっぱ託すものを
託せないじゃないですか希望を持ってね
託せるっていうのはイコール
それだけの自信があるものと言ったらいいか
伝わるっていう託せるっていう
家族と希望の喪失
ものだっていう確信があったからこそ
あれだけきっと彼らは行動してきたんだろうな
って言うのも今しゃべりながら思いましたね
そうだね
これぞ間違いないって思ったもの
だからね
それだけ満足するよな
グラスさんの最後もそう思うと
納得できる感じと言ったらいいですかね
いいですかね
あんな突然に死が訪れたらなんか
動揺しちゃいそうだけれども
グラスさんの場合は
散々散々悩んで散々散々
追いかけてきたからこそ
あの場でね
あそこまで冷静になれたのかなとか思い
てた
一般的に考えるとだいぶ
潔いというか心の切り替え
受け入れのすごっていう感じはね
ちょっとねありましたけどね
なんとなくあの前後のね
彼の言動とかを考えると
グラスさんが家族をね
亡くしてっていう話をこうして
それに並列するような形で奥地が
今は怖くなっちゃったっていう話をして
グラスさんが好きなものを失う気持ちは
自分も家族を亡くしたから分かるっていう話を
するんですよね
奥地がそれに対して
自分のとは違いますよっていう話を
しつつでもご家族はね天国にいるから
また会えるじゃないですかって
話をしながら
その後にグラスさんがね
言っていた言葉が私印象的で
自分はその家族は亡くした
だけどね天国でまた会える
そういう意味では家族は亡くしていないのかもしれない
だけど自分はこの世界への希望を
亡くしたっていうような趣旨のことを確か
言ってたと思うんですよね
そっかって彼は家族を亡くしたんだけど
この世界への希望っていうものを
亡くしたっていう表現が
どうしても人って何かを
大事なものを亡くしちゃったりすると
亡くしちゃったものがショックっていう気持ちも
ある程度あると思うんですけど
確かにグラスさんが一番亡くしたものって
この世界の希望だったんだって思ったらすごい納得する気持ち
って言ったらいいんですかね
自分が何かを亡くした時に
それが亡くなったから残念って思うことはあったけど
それを亡くしたことによって
希望っていうものを亡くすっていう感覚って言ったらいいんですか
そこはあんまり目を向けたことがなかったから
すごい納得するのと同時に
グラスさんは希望を亡くしたと思ってたんだけど
それでこの世界を恨んだりもしたけど
だけどあの家族と出会えたのもこの世界だった
どちらの両面もあるのがこの世界っていうのに気づいて
ちょっとずつその希望っていうのが
おそらく変わっていったんだと思うんですよね
かつその後の
託すことに希望があるって思って
彼の場合も奥二さんに託せたっていうのが
その大きな希望だったと思うし
彼の中にわずかでも
奥二さんはやってくれるだろうみたいな
きっとそういう希望があったんだと思うんですよね
わずかながらに
それがないとあの場面で笑ってなくなれないですよね
なんか
でもすごいこの作品やっぱその
なんていうんだろう
人の変化とか逆説的なものがすごい多いなっていうのを
全体的に思ったところがあったんですけど
合理的なラファー君が合理的じゃないものを選ぶとか
グラスさんが
奥二が自分は選べないからどうしたらいいか決めてくださいって言われて
二人の方が安全だからついてきてっていう
くだりがあったと思うんですけど
その優柔不断な奥二君の前に最後
グラスさん亡くなる直前に君には二つの選択肢があるって言って
一つはこう二つはこうって
あえてあの選べなかった人に対して
二つのうちから選ばせるっていうアクションをしてる
っていうのがやっぱねすごくこう
特徴的というか人の変化をうまく
そして描いてるなって思うところが
いっぱいあったなって
この作品全体においてね
そう思うところもね
あったんですけど
だからこそおそらくグラスさんは
あの質問をね優柔不断な彼の前にあえて二つの選択肢を提示した
っていうことやっぱり彼の中の変化を感じて
そこに託していけるっていう
なんか希望があったんだろうなっていう
思ったところがありました
ちょっとだいぶ横道にそれながらいろいろ語っちゃった感じなんだけど
グラスさんが話したのは私が失ったのは
この世に希望を感じる心だって
言い方ですね
この世に希望を感じる心を失っちゃったから
相当ですよねこれね
なんかさっき言ったように
何か物をなくしてそれがなくなったことによる悲しみ
っていうのはあると思うんだけど
別にそれがなくなったからといって
この世に希望を感じる心までなくさないじゃないですか
全部に絶望し始めちゃったみたいな
そんな感じですけど
相当グラスさんはいろいろ
失ったものが結構でかかったんだと思うんですよね
愛しい家族を奪ったこの世を呪ってた
とも表現してるし
でもさっき言ってたように
出会えたのもこの世だし
家族と過ぎ去って
家族と過ごしたこの世を否定したくない
とも言っている
難しいことかもしれないがもう一度この世を肯定したいんだ
とまで言っている
かなり頑張ってる感じですよね
もう一回
この世に希望を感じる心を失っちゃったのに
もう一度この世を肯定したいとまで言っている
これはすごい
グラスさんの中での革命的なことですよね
そうですね
アップダウンが激しいと言うとちょっと雑な言い方ですけど
託すことの意味
かなり大きな変化ですよね
もう土に全身ほぼ埋まりかけて
顔だけ出てる状態で
もう一回全身出したいみたいな感じ
抜け出るぞ
抜け出るぞ
首だけで
全身をバタつかせてる感じがしますね
確かに
それほどまで落ちて
絶望してたからこそ
託すことへの希望ってもっと大きかったんじゃろうなと
思いますよね
さっき言ってたように反動がありますよね
絶望の後の希望っていうね
奥二さんに対して
こんなに託せるのはすごいなと思うんだけど
でもこの漫画で見ると
でかいコマとしてこの死の場面
死ぬ場面でコマがダーンと出てるのは
君の顔はまだ死を恐れてるからだっていう
君の顔はまだ死を恐れてるからだっていうんですよね
託す誰に俺ですかって
期待されても困るとか言うんじゃなかったらいいんですよ奥二さん
でもその後にその通りだ
だが君はやる
君はまだ天国へ行くべきじゃないなぜって言った後に
君の顔はまだ死を恐れてるからだって言うんですよね
君の顔死を恐れてるから託せるってすごいな
と思うんですけど
それだけ伸びしろがありまくってる
すごい健節的な表現
伸びしろがありまくってて
でもある意味グラスさんには
一つの何か答えは見えない
何か答えは見えてたんですよね、この時点でね。
なんか、その前日、夜にね、一人で悶々と考えているシーンがあるけど、
人は死ぬ。いつか出て行く。この世への思いを持つことに何の意味がある?
死後に残るのは自分抜きの世界だけだ。そこに希望なんて、いや、もしかしてそれが。
そこで終わりか、っていうようなところで止まるんですけれども。
もしかしてそれっていうのが、自分抜きの世界、まあ死んだ後にね、その希望っていうのが、
この奥二さんに繋がるっていうのがね、なかなかちょっとこう、正直その心理描写が分かるような分かんないようなみたいな部分はちょっと若干ありますよね。
なんか、グラスさん自身がこの地動説をまだ確信できたものでもなかったし、
なんかその、その後の奥二さんとデニーさんの最後はさ、もう結構確信めいてたじゃないですか。
もう地動説も完成してたし。
そうだね、観測もしたりしてね。
もうおよそこれが真理って見えてる中だからの、あの最後はなんか理解できるんだけれども、
グラスさんにおいてあの火星の衝撃があった後の、この遺旦者との出会いと、
まあそして、まあまあ何かがありそうだみたいなぐらいじゃないですか。
まあ天国を遠ざけて命を懸けてまでこの世を称賛したっていうところに、なんかこう疑問をね、グラスさんは感じてたわけなんですよけど。
でもまだこう悶々としてますもんね、割とね。
そうなんだよね。
もう死後に残るのは自分抜きの世界だけだ。そこに希望なんて、いやもしかしてそれが、って言ってるから。
もうそ、そこの、この段階の至高で、この奥二さんに託すまでに至るってのが、ちょっとすげえなっていう感じはありますよね。
確かにね、そうだね。
なるほど、そうか。
まあそうやって考えるとグラスさんは、
まあね、あの状況が状況になっちゃったから一番最後ね、亡くなっちゃう時が。
だからまあ、もう託すっていうところにしか希望が見出せなかったのかもしれないんだけど。
確かに普通に考えたらね、なんかちょっとわかんないけど、地動説みたいなやつに触れて、
人生の希望を見出す
なんかちょっとこれで人生肯定できちゃうかもみたいな、希望を取り戻しちゃうかもみたいなふうに思って。
はいもうあなた死にますみたいな状況になったら、なんかえーもうちょっといい感じに人生乗ってきたから頑張りたいって多分思うのが自然だと思うけど。
確かにそこで彼はそうではなくて、託せることの希望をより見出したっていうのはね。
確かにすごいなぁ、どうしてそうなったんだろうっていう感じは、ちょっと思いますね。
確かにね。
割と沢山し始めちゃった感じがしますね。
沢山しちゃったね、なんかあのランナーズ範囲にめっちゃ入っちゃったみたいな感じがする。
人生のランナーズ範囲にすごい入っちゃって、
きっと奥二さんがそれに入ってないから君はまだね、天国には行けないというか伸び代いっぱいで未練たらたらだから、
なんか成し遂げないと君はまだ死ねないよみたいな、そういうコーニーアンスで言ったんでしょうけど。
そうだね。でも、
奥二さんに2つの提案をしているところは、
2つ目が、1つ目全部無視してこの世界に希望を期待することだって言ってて、
つまりこれ言えるってことは、
奥二さんはこの世界に期待するっていう選択をしたんだと思うんですね。
そうだね。
したからこそこんなこと言えるんじゃないかなって思うね。
それはあれだろうね。
だからこの世界に期待したいほどのものを、あの一夜の中で感じたんでしょうね、きっとね。
だから、まあこれに対して未練がないとは言えないと思うんだけれども、
でも託すっていうところに既に希望をね、もうそこに感じちゃってるんだろうから、もうこの時点で。
だから、ある意味彼が悟ったことがもう、もう翌日に実現しちゃったみたいな感じで。
そうだね。
なるほど。まあ確かにね、彼の場合は家族も亡くしてたしね。
なんかそういう部分でちょっとこう感じるものがあったのかな。
自分自身が家族が亡くなって、ある意味まあ託された側と言ったらわかんないけど、
残された側になってみて感じたものがあったからこそ、
もう自分死ぬかもしれんなっていう状況を感じた時に、
それを繋いでいける価値というか、残されたものがどう感じていって、
残されていく人たちに何を残していきたいか、みたいなものが、
よりプラスさんの中であったんですかね。
気分を残していきたいっていうのがね。
まあいっぱい考えてきたのかなと。これは想像の世界ですけれども。
人生を肯定するためにいろいろ考えた末のこれっていうのが、
このシーンに繋がったのかなと思います。
知識と社会の制約
やはりこうやって語ると奥深さが見えるな、キャラのね。
そうだね。
その後のバディーヌさんに続いていきますけれども、
このバディーヌさんのこの恐怖もまた非常にもどかしい恐怖だなって感じしますよね。
奥二さんたちとは反対ではあるんでしょうけど、
もう完全に下級市民の二人組だったけども、
この人はある意味知的なものにおいてはもう頂点に居てるぐらい知能数を持っていらっしゃって。
このクラボフスキさんの計算式を速攻答えるっていうのが、
5468×9315ですって言ったら、すぐに答えをババーって言って、
お前の頭デンタクーみたいになってる。
ほんとだね。 デンタクーだね。
こんだけの知能数を持っているのに、
この子医教においてはさ、ここまでのことを超えた勉強は許されないわけでしょ。
規律通りに行動しろとか言われちゃうし。
そうやって制限をされるような社会だったんだなぁと思った。
これは実際にそうかはちょっと私も調べてないんでわからないんですけれども、
こういう社会でお腹のこの知識人だったら本当にもどかしいだろうなぁと思いつつ、
なんかやっぱりその歪んだ思想の中でね、こう生きていかないといけないこの雰囲気がすごく残念だなっていうのを感じさせられるシーンだし、
まあでもバディーニさんのこの人格も非常に見えやすい、この過去のシーン。
なんかそうやって拷問を受けるんだけれども、
そんな柔な姿勢じゃ時代に埋もれてはる利口ではいざという時掴み取れない。
私がずっと待っている、私を特別にする瞬間、私を偉大にする瞬間、私が歴史を動かす瞬間ですよ。
なんかもう私を私を。
すげーこれ人生で言うかなそのセリフっていうような。
麦わらさんは確かに言わないかもね。
私を偉大にする瞬間っていうのはね、なんかすごいこと言ってるな。
どんだけこの人の自己肯定感マックスなんじゃろうかっていう感じ。
早く私を認めなさいって言ってるような感じ。
確かにね。
まあいい意味でその後のセリフで、その傲慢な態度のままでは特別なのなどにはなれんって言われちゃって。
でもこの一言があったから奥爺さんの訪ねてきた時に思い返して、
ちゃんとその真理につながる道をたどれたわけなんですけど。
でもこれも教訓だなと思いますね。
人ってそうやって傲慢になっちゃうと、
他者からの援護とか援助とか、他者を通じて神様が答えを与えようとしているのにそれを突っ跳ねてしまって、
せっかくの機会が得られなくなっちゃうとかね、そういうこともあるだろうし。
傲慢さゆえに人を見下したりとかして、
変に孤立しちゃったり、つまりわでに孤立してるけどね。
寺坊ふすきさんぐらいですね、ちゃんと相手してくれて。
傲慢さと謙虚さ
友達少なめタイプさんね。
ずいぶん孤立してるけど、やっぱり傲慢で周りは自分よりも低い人間たちみたいな感じに評価してると、やっぱり人は離れるよなみたいな。
そうか確かに。
いつもわからない、くらぼふすきさんね。
明日になったらすぐ忘れてるこれ、くらぼふすきさん。
彼とまた対照的に描かれてるよなとも思いますよね。
くらぼふすきさん。
そうか、やっぱりじゃあ、わでにさんがこう、
いろいろ、俺が俺がじゃなくて私が私かみたいな感じになっていたところで、
だけど、お父さんにその資料の見せてくれみたいな話をしてくれたのは、
やっぱりその一言を傲慢にならずにちゃんと受け止めて生き方に反映させたからってことですもんね。
結局それでこの二人が児童説のためにずいぶんと大きな動きをね、この後していくわけになるわけですから。
なるほど、ちょっとあれ思い出すね、聖書に出てくるペテロの話をちょっと思い出す気持ちですね、とても。
ペテロの話は言わないんですか?
え、なんかどの部分でペテロがっていうのはなんか、
麦わらさんと一緒かなってちょっと思いながら喋ってたんだけど。
私はペテロよりもヨシア王の話の方が。
あーそう、ヨシア王か。
ペテロは漁師さんでね、最終的には初代ローマ教皇、今話に熱い初代ローマ教皇になった人なんですけど、
彼はね、お魚取りさんだったんだけど、
お魚取りに行ったけど全然お魚取れなくて、
でもうお魚取れなくて嫌になっちゃって、
はーっと思ってね網片付けてたらそこになんか青年がやってきてね、
なんか船を出してくれませんかとか言ってくわけですよ。
やきんやけってしんどいんだよねー、夜通しさ、魚取ってさ取れなくてさ、激スランプみたいな感じのペテロさんがさ、
そこで船出してあげるわけですよね、で船出してあげて、
でなんかその青年がね、それで船の上からいろいろ話をして、
なんかそばで聞きながら、
ちょっとなんかこの人自分にも答えくれる人かもしれんとか思って、
それでね、魚取れんけどどうしたらいいですかねって話したら、
ね、なんだっけ、船に網を、海に、海に網をたりなさいだけ。
ちょっと正式なセリフが出てこない。
でも網をちょっと投げてみーって言われて、
それでね、いやでも夜通しやったんすよってね、言いながら、
でもそこで高慢になりきることなく、
でもお言葉ですから網を下ろしてみましょうって言って、
まあ網を下ろしたら万坂魚が取れちゃったっていう。
なんかね、結構謙虚さみたいなの私ね、ペテロから感じるんですよね。
だって自分漁師やってきてるからどこの馬とも知らんさ、
お兄さんにさ、網下ろしてみーって言われてさ、素直にさ、従うって、
いやー私も専門職者だからやっぱり素人の人にね、
こうやってやったらいいよとか言われたら、
お前に何がわかるねんってやっぱさ、思っちゃうと思う。
しかも上手く仕事がやれてない時にね、
やっぱでもそれをちゃんと謙虚になって受け止めてやってみた。
結局それでペテロさんはただのお魚釣りさんだったところが、
ローマ教皇にまでなっちゃったわけだから、
ある意味バデニさんと大口さんもそんな感じでね、
随分と人生が変わった人たちだったよなって謙虚さを身につけてというか、
傲慢さを手放してなった人だなーってちょっと今思った。
うーん、確かに。
その道をバデニさんは歩んだということですね。
そう、謙虚とか好きだからね、私。
自分は謙虚じゃなかったからなんだけど。
謙虚とか傲慢手放すとかね、すごいいいなーって思っちゃう。
うん、頑張ってください。
はい、頑張ります。
麦わらさんはなんでヨシアを思い出したの?
いや、ヨシアをちょっとここでするのは難しいよ。
いろんな解釈がいろいろあるわけだから。
なるほど。
そうでございますか。
でも繋がるところがあったってことなんだね。
結局、聖書上では神様的には猫を落として愛の手というか炎上を出してたけど、
結局その人の場合は傲慢とは書いてないけれども、
結果的には神様に尋ねず自分の判断で突っ跳ねちゃったわけですよね。
確かに。
その後死んじゃうわけなんですけど、猫と戦っちゃってね。
これは逆のパターンですよ、ペテロさんと悪いのは。
自分の考えが正しいと思ってやっちゃったり、周りの人にそそらなかされたかもわからないですけど、
どちらにせよ自分が思うものを思ってやっちゃったから。
猫は結局ヨシア王と戦うつもりはなかったのに、結局ヨシア王から戦いしかけちゃってるからね。
だからそれによって自分が死んじゃうわけですよ。
でも怖いですよね。
自分が敵だと思っている相手が助けてくれる相手になるってわかんないじゃないですか。
自分が嫌っている人とか、皆さん人生に一人はいたかもしれないんですけど。
そういう人を通じて自分が願っていることが助けてもらえるっていう可能性があるわけで、
だから敵王も愛しなさいっていう言葉は深いんですけどね、あの一言もね。
つながってくるんですよね。
バディーニさんからしたらオクジーさんなんかもう下級市民で無能というか頭がよろしくない人だと思ってさ、
出会った時にもうその情報は私にとって人生を変えるものかみたいななんかそんなこと言うじゃないですか。
すごいですよね。
私の人生を大きく変えるっていう。
人と会話する時にそんなこと言ったことないけどって感じだけど、そういうパンチもあるね。
そうですよね。
なんかちょうどそこの前でさ、バディーニさんこうやって手を出してさ、待てって言って、
血の臭いだなみたいな、お前傭兵でそれ以上近づくな、私は聖職者だみたいなね、
言ってるから余計にだよ、なんかね。
格差バチバチって感じ。
そうそうそう。
キャラクターの成長と認識
もうそんな態度だったらさ、どんなに神様がこのバディーニさんにヒントを与えようとしてもさ、
バディーニさんのそのいわゆる性格ゆえにさ、こう、
ヒントが来てもみんな自分でこうやって押しのけちゃってさ、
ぽいぽいぽいぽいね。
ぽいぽいしちゃってさ、
そしたらいつまで経っても真理にたどり着かなかったでしょうけど。
そうだね。
そういうことがないようにね、やっぱ私たちもある意味では、
自分の心というものをね、こう作っていかないと、
本当に良い機会が来ても、なかなか実践できないというか。
いや、怖いですよ。怖いです。
私も絶対自信があるとは正直言えないんで。
みんなそうだと思いますよ。
なのでね、こういう不要なプライドや傲慢さは捨てて、
嫌だなって思ったとしても、
それでも良くしよう、良くなったらいいなって付き合い続けて、
仕事なんかはね、嫌な人でも仕事は一緒にやらないといけないじゃないですか。
意外とそういう人が助けてくれることもあるわけなので、
そういう受け入れる寛大な心をね、続けて作らないとなと思わされる部分。
でもあります。
そうですね。
なるほど、奥地さんとグラスさんがあった遺憾者の絶望に目を向けてこそ、
希望が訪れるじゃないけどね。
こんな人なんてっていうものこそちゃんと向き合ったりとかね、
そういう言葉こそ向き合ってみたときに、
肌と肺になることとか、道が開かれるとか、
助けてもらえるじゃんとか、そういうようなニュアンスもなんだかあるなって、
ちょっと飛躍して思っちゃいました。
あると思いますね。
はい、そんな感じでまたまた1時間ちょっとおしゃべりしてまいりましたけれども。
でもこれ、後半がすごくいいんだけどね。
でもちょっと私も今語れるかあれですけど、
こんな後、奥地さんとバデニさんがね、あの箱のところにいて、
宇宙が変わるぞって言って、
そして地球は動いてあると書いてあるというところで。
1個私バデニさんの癖で面白いなと思うのは、毎回吐くじゃないですか、この人。
吐くね。
オロロロロロして。
今吐き出したのはくだらん常識と積み上げた思い込みだと。
私もそこ好き。
なんかやってることめちゃくちゃなんだけどね、言ってることはなるほどって感じでね。
なんかさ、誰よりもこんなかっこ悪い集大さらしたくない人であろう人がさ、
もう全然人前でゲロゲロしてさ。
ギャップですよね。
笑えるよね、なんかちょっと集大をさらして申し訳ないの一言もなくさ、
その今思い込みを、くだらん思い込みを吐き出したみたいな。
ちゃんとセリフ決まっちゃってますけどみたいな。
あえて集大さらしたから、そういうことでちょっと。
なるほど、超ジリアスしてるってこと、プラマイゼロってこと。
もうわかんないですけどね。
いいキャラクターですよね。
すごいいいよね、でもこの後に宇宙を再現してさ、
オクジーさんがバーって走って、
役割を、オクジーさんが地球の役割で、
アデミさんが火星の役割になってバーってやって、
逆行したその瞬間をさ、うまく再現とかしてさ、
それで、その後に地球と調和して、
あの展開で、数高で、総減な、偉大で、広大で、
そして地球と調和しているっていうね、
今まであの展開は自分を見下ろしている、
大人しい地球で生きてるって思い込んでたけれども、
あの美しい展開と地球が調和しているってね、
認識が一回目変わるわけだよね、オクジーさんがね。
最初は、まさか、展開はこの地球と一緒で汚れているって思ったけど、
アデミさんが、もしくはこの地球があの展開のように高貴かだって。
それで、天と地が一つなんて、
オクジーさんがまた上を見上げたらね、
素敵な綺麗な星空がパーって、
もうコマ、コマというか2ページ分でね、
こうやって再現しているわけなんですけど、
これは一度目の衝撃ですよね、オクジーさん。
大きいでしょうね。大変大きな衝撃ですよね、あれはね。
このオクジーさんの、この人の話のいいところって、
認識を転換した後、見えるものがガラッと変わるっていうのが、
分かりやすく表現されているんですよね。
すごい上手いなって毎回思っちゃうんですけど。
だって、認識によってね、あれほど美しいとは思うんですけど、
認識によってね、あれほど美しいと見えていた星空もさ、
もう見たくないものになっちゃってたわけですけど、
変化の美しさを地球が同じく高貴で美しいって分かった時に、
地球から見えるその景色も美しく見えるって、
認識一つですよ、認識一つ。
それがやっぱり人間だなと思うんですよね。
脳みそじゃないですか、人間はやっぱり。
脳みそが核心じゃないですか。
脳みそさえ認識が一つ変わればさ、
見える世界までガラリと変われる存在なんだよね。
視覚と音楽の美しさ
私たちの考えってもうめちゃくちゃ大事ですよね。
この世は汚いってそれこそ多くの人は思っていると思いますよ。
この世は綺麗だな、美しいなと思っている人、
この世でもどんだけいるんだろうと思っちゃうけれどもね。
みんな汚いもの好きじゃないですか。
えげつないものとかずるいものとか、みんな結構好きで見てると思うんですけど、
それによってね、また認識がどんどん歪んでいっちゃうと、
やっぱり社会に対してもさ、いろいろ愚痴りたくなったり不満がいっぱい見えてきたりとかしてさ、
連動してどんどんどんどんこう、
はぁー、みたいな、この社会は、みたいな、なっちゃうと思うんですけど、
それでも認識が大事だと思うんですよ。
そういう意味でね、
この世の中のね、いいところを見ようとすればさ、
でもこれもあるし、あれもあるし、なんてたくさんあるし、
それこそ神様がくださったこういう自然とかね、自然の美しさとかも、
やっぱりそこを見れば、やっぱりすごい、なんでこんなに神秘的なんだろうなって思う、
そういう意味でね、
そういう意味でね、やっぱりそこを見れば、やっぱりすごい、なんでこんなに神秘的なんだろうなって思う、
ね、認識が一つでもあればさ、
ずいぶん変わって見えると思うんですよね。
だから本当にその、小さいだろうけれども大きいその認識っていう一つのさ、考え方、
その大きさをオクジーさんはかなり教えてくれるなと思いますね。
そうね、考え方一つでこうも変わるっていうのは、確かにありありと彼の生き様から感じられますよね。
ちなみに私のオクジーに対する認識も相当、この第2週からこの第…
5週?4週間?ずいぶん変わりましたから。
そうね、確かにね、だいぶ違う人になってますからね、もう当初とね。
いや、めちゃめちゃ素敵というかかっこいいなって思いましたよね。
最初のこのなんだろう、見た目もさ、すごいかっこいいビジュアルじゃないじゃないですか。
デーニーさんの方がね、やっぱりかっこいいビジュアルしてますけれども、
正直オクジーさんってなんかもっさりしてて。
モブキャラって感じだもんね。
なんかもう陰キャだわって感じじゃないですか。
生きててすいません、生きててすいませんって。
あの辺もすっごい面白いよね。天国最高、天国最高、天国最高。
ちょっと危ない香りがしてるもんね、なんかね。
はぁはぁしてね、はぁはぁしてね。
あそこにさグラスさんが冷静にさ、なるほどとか言って、つまり君はとか言って返してるの、すげえ笑えたんだけど。
こんなにあまりにも抑えないオクジーさんがね、
真理を悟ってどんどん空を見上げて、いろいろ活発に動き始めるほどの方向で素敵に見えちゃって。
ほんと私の中でね、印象に残るキャラとしては、いや1位か2位ですよね。
誰かと張り合っている?
あー難しいね。いやピアスト博はだいぶ私大きいんだよ。ピアスト博というか。
野爆さんも来てるんじゃないの、あなた。
そうですね、野爆さんも来てますね。野爆さんもデカいんですが、いやでもね、野爆…
野爆はヤオクジーよりは下だと思う。
まあまあまあそうだね。
ピアスト博と、ごめんねピアスト博の教授。
わかる、でもわかる、そうだよね、わかる。ピアスト博の教授というのはピアスト博の恩師みたいなね、お師匠さんみたいな人のことだよね。
そうそうそうそう。
この2人のエピソードは私はもうやっぱり割りデカいチーンとくるので、
次回もほんとに語りたいぐらいなんですけど。
そうですよ、だいぶ喋ってたからね。
ちょっと名残惜しいですけれども、今日はラファー君の後のところの下りですね。
ヤオクジー君、フラフさん、あとイターン社が出てきて、バディさんとの出会いからのいろいろというところでお話をさせてもらいました。
今現在の情報ですけれども、私はアメバTVで、アベマTVか、で無料配信して、
なんとかねこのゴールデンウィーク全国で見切ったと思って、危険大に見切ったと思っていたらなんだかまた無料公開している期間がちょっと一定期間ありそうなので。
ぜひ聞かれて、また見たいと思う方はぜひアベマTVで見ていただけたらなと思っています。
ぜひ見てください。アニメだとね、あの素晴らしいビジュアルが。
星空もね、とっても綺麗だしね。
そうだね。オープニングテーマ私も大好きですけど、音楽もね、ついて。
分厚みが出てますので。
あのオープニングすごい良いし、あのPVもね、なかなか面白いのでぜひ見てください。
いいね、工夫がすごいんですよね。25話ってね、オープニングテーマずっと一緒なんだけど、映像はだいぶ伏線張りというかね、いろいろしてるなっていう感じがありますね。
オープニングもいいんだけれども、その曲のPVがあるんですよ。その曲用のPV。
それってオフィシャルの方?オフィシャルっていうか、サカダクションのやつ?
そうそうそう、あの卵持って、石のような卵持っていくやつ。
あれもね、好き。私も上手く表現してますよね。
そうそうそう、すごい分かりやすく表現してて、ぜひ合わせて見ていただければと思います。
収録の締め
はい、ということでまた次回収録するかなという感じですけれども、今日も皆さん来てくださってありがとうございました。
ありがとうございました。
続けてまた語っていこうと思いますので、また遊びに来られてくださったら嬉しいです。
今度こそ音量調整をしていけるように今しています。
そして前回はバデニさんをデバーニさんと言ったり、
ちょっといろいろとすいませんでしたっていうようなことばっかりだったので、
ちょっと今回うまく収録できたらいいなという感じでした。
はい、編集頑張ろうと思います。
はい、ということで、今夜は弓よりラジオ、リリーと麦わらでお送りしました。
最後まで見てくださってありがとうございました。
またでは次の収録でお会いしましょう。
さようなら。