収録の始まりと作品紹介
はい、みなさんお疲れ様です。
お疲れ様です。
お久しぶりでございます。アユミヨリRADIO📻️。
私、リリーでございます。
乃木原です。
はい、ずいぶん久しぶりの収録になってしまいましたが、
今回はですね、ちょっと語りたい作品のことがあって収録をするようになりました。
嬉しい。
乃木原さん、タイトルを教えてください。
『チ。』です。
え?え?みたいな感じがしちゃいますけど、はい。
チ。地球の運動について、みなさんはご覧になられたりしたでしょうか。
去年の10月からアニメ化してたという感じで、
ブルーレイになるのが決まっていたりとか、
ちょっと前にサントラが出たりとかね、
いろいろ今、書き付いているような感じがちょっとありますけど。
なんかね、今ほら、日本科学未来館とコラボしてるでしょ。
ああ、うんうん。
あのポスターが、お台場?
違う、東京テレポートのところにバーって出てたんだっけな。
それを見て、こんなにすごい作品なんだなみたいな感じで、
そのときに興味を持ったのが一つと、
あと、教会の友達がチの漫画をですね、
袋に入れて誰かに貸そうとしてたのを見たんだよね。
目撃しちゃったんだね。
それで、お、なんか気になるなって前から思ってて、
それで、ついにゴールデンウィークにですね、見ちゃいました、ほんと。
連休だから、それをいいことに。
ちょうどね、アメーバで5日間無料でアニメ公開してるって言ってたんで、
それで見始めちゃいましたけど、いやーびっくりでしたね。
最初、漫画で無料の2巻ぐらいまで見てたんですけど、
その続きお金払わないとダメっていうことだったんで、
アニメに見返って、そこから見ました。
そして、あまりにとてもよく感動したので、
リリーさんにおすすめしたら、リリーさんも大受けしちゃいましたね。
そうなんですよ。私もね、同様な感じで、
作品のあらすじ
結構周りから勧められる声はね、聞いてたんですけど、
なんか、まあ、地動鉄の話でしょ、みたいなね、
随分と軽い気持ちで思っていたんですけどね。
まあ、やっぱりね、偏見はいけないですね。
ちゃんと自分でしっかり向き合って見てから感想とかね、印象というのは持たねばなりません。
いやー、ほんといい作品でした。
こんななんか収録をしたいと思うぐらいに、いい作品だったとはという感じで。
いやー、熱いですね。
この作品すごい胸熱な作品だなって思いますよね。
なんか、キャラクターで見せるとかっていう、
もちろんキャラクターでも見せられるんですけれども、
物語ですよね。
この使えないメッセージ、びんびん感じますぜっていう、
作品全体から感じる胸熱さがですね、
すごい、とても伝わってくる作品でしたし、
教会に通ってるからこそ、分かるその熱さっていうものもあって、
なんかね、こんな風に神様のデカさみたいな、
なんかそのすごさみたいなのを見せることができるってすげーなって、
普通に感動した作品です。
おー、はい。
そうね、もうちょっとここからドゥルドゥルドゥルドゥル語りたくなっちゃうような感じな、
はい、感じなんですけど、
そうですね、今日はちょっと二人で、
いろいろね、ストーリーが集まり、とても良かった、
伝わってくるものがすごいたくさんあったっていうことなので、
ちょっとそこを一旦キャラ別に整理しながらね、
いろいろお話ししていけたらいいなと思っています。
はい、で、簡単にね、
あらすじを皆さんにお伝えできたらと思うんですけど、
ちなみに今回の収録はそんな感じで、
ちょっと具体的にね語っていこうと思っていますので、
ネタバレを含むことになるかと思いますので、
ちょっとねネタバレ見ずに、
まずは作品を自分で味わいたいというか、
むしろそれをお勧めしたいところなんですけれど、
というよりはね、
作品をどう感じてどう解釈したかみたいなところをね、
一緒に共有し合いたいという方は、
ぜひこのままお付き合いいただけたらなというふうに思っています。
はい、ということであらすじですね、
公式サイトに上がってるやつをそのままちょっと一回読み上げようと思います。
舞台はですね、15世紀のヨーロッパの某国、どこかの国ですね、
飛び急で大学への進学を認められた神道ラファー君が、
最初出てきます。
彼は周囲の期待に応え、
当時最も重要とされていた神学、神様を学ぶ学問ですね、
これを専攻すると宣言しますが、
以前から熱心に打ち込んでいる天文学への情熱は捨てられずにいた、
というのがスタートの設定でした。
そんな彼はある日、フベルトという謎めいた学者と出会います。
異端思想に基づく禁忌に触れたということで拷問を受けて
投獄をされていたというフベルトですが、
彼が研究していたのは宇宙に関する衝撃的なある仮説でした、
というふうに公式サイトには載っています。
仮説っていうのがね、そうです。
つまりは地動説のことで、
当時の舞台というのは天動説が真理というふうに言われて
信じられている時代という感じになってきますね。
さっき宮原さんと言っていたような感じで、
メッセージ性がすごい深い作品なんですけど、
これはサクチャパン自身もそういうふうにおっしゃっています。
まず先にコンセプトがあって、
そのコンセプトを伝えるためにストーリーとキャラが作られていくということで、
私はこういう作品がとても大好きなんですけれど。
キャラクターとメッセージ
ということで、では早速キャラ別に順番に、
どういうところがストーリーとして、
またキャラクターとしてメッセージ性を強く感じましたかというのを
いろいろおしゃべりしていこうと思います。
最初のキャラどうしますか?
ここはラファーくんをいっちゃうべきか。
私的には結構ベルトさんとかも、
あとお父さん、ここで始まるお父さん。
ホトツキさんも入ってくるかなみたいなね。
そういう感覚もあったり。
でもどこまで語れるかなではあるんだけど。
宮原さんがそんなへんもちょっとヒットポイントあるなら、
そこからもひっくり返しちゃおうかなと思うんだけど、どうかしら。
とりあえず最初だし、さっき説明でラファーくんのも入ったから、
そこからがいいかな。
じゃあラファーくんからいきますか。
彼はね、振動と扱われている、何歳だっけ、12歳か。
12歳の男の子という設定ですけれども。
12歳で大学進学をするということでね、
とても頭がいい子供という感じですね。
そうね、あのシーンがみんな印象的なんじゃないですかね。
世界ちょれーって言ってるあのシーンが、
やっぱ印象的というかね、ちょいちょい現代的な言葉で、
ツンダとかね、いろいろ言ってるのが個人的にはちょっとツボな感じでしたけど。
昔の時代は使っているのに、現代風味の言葉で話してきてますね。
ちょっとこう、お?ってなりましたね。
面白さがあるけど、合理的なものは美しいという、
合理的に生きるが自分の心情って言ってましたけどね。
そうだね。
なんかこう、なんて言うんだろう、
よあたり上手って感じ。
いいやつかは分かんないけどって感じでしたけどね、印象としてはね。
りりぃさんはなんか近しいものを感じたんじゃないですか。
そういうこと言わないの。
そういうこと言わないの。
いやそう、近かったですよ。
彼のニッコニコの笑顔で振りまきながらね、
進学を学ぼうと思います、みたいな感じで語りながらのね。
僕は自分に能力があるだなんて思ってない。
ただ幸運だっただけです、とか言っちゃってね。
ちょっとなんか、昔の私と重なるところがありましたよね。
いい子ちゃんじゃん、なんか。
めちゃめちゃ世間体としては、めちゃめちゃリスペクトされるような振る舞いを心得ていて、
その言動でこれまで頑張って生きてきたみたいな。
そういう感じですよね。
そうね。
彼と私の違いは、彼はちゃんとそれを自覚してやってるんだけど、
私はあんまり自覚してなかったというところがちょっと大きな差かなとは思いますけど、
言葉はどうしてみんなそんなことを容易く信じるんだ、みたいなことも彼も言っていたりとかもしたし。
作詞ですよね、彼はね。
そうね。
そんなラファーさん、どこがよろしかったですか?
そうだね、やっぱりどうしても最後の方になってっちゃうかな。
最初の彼としてはね、結構自分勝手というかある意味でね。
それは彼を分かりつつちゃんとやってるから偉いなと思ったけど、
でも何回も偉いと思った。
自分のことはちゃんと欺いてないから、彼は。
私の場合は結構自分自身、もう私って本当にいい子だなって思ってたから、
でもいい子じゃなかったんだけどね。
その点はラファーくんはちゃんとね、この世はバカばっかだとかね、ちゃんと言えちゃう感じがあるから、
分かってたなっていうところはあったかなっていうふうには思うんですけど。
でも何だろう、面白いなって思ったのは、言葉選びがすごい良いですよね、彼ね。
フベルトに脅迫されて、いいから研究やれみたいな感じで言われた後に、
それはとても信頼できる言葉ですみたいなことを返してるんだけど、
絶対信頼できない言葉だよねみたいな感じがありつつも、
あそこでそういう言葉が出てくるあたりが頭の切れる子なんだなっていうのを感じたりはしつつ。
でも純粋にね、彼の老いたち聞くと、孤児で住んでスタートっていう老いたちがあったわけなんだけど、
それであれだけの社交性を身につけるっていうのは、かなり興味深いところはありますね。
もともとのIQがものすごい高かったのか、
人って人間関係とか社会の関係の中でこういう振る舞いをすると、
相手は孤児だなみたいなことを学んでいく印象だから、
彼は相当学習能力が高かったんだな、老いたちからするとすごいことだなって純粋に思いながら。
彼のことは最初見てましたかね。
そうだね、確かに老いたちは結構辛そうな老いたちではありますが。
上原さんは?
何が?ラファーさんですか?
ラファーの印象とか。
面白い子だなと思って、自分の正直な気持ちには抗えない子なんだなと思って。
僕は表向きは進学って言っておきながら、やっぱり天文が好きでこっそりやってるし、
フベルトさんって研究をして捕まって拷問受けたけど、嘘ついてまた出てきたフベルトさんとのラファーとの出会って、
そうやって私のために天文やれって言われて、やりますって言った後、
なんだあの狂人って言って、あのやつ通報してやるとかって言いながらも、
結局ある丘に行くと星が見えるから明日来いみたいなこと言われて、通報してやるとかって言いながらも、
すごい来てよかった。こんなに狂人がいるなんて。
この顔がね、顔がすごい良くて。
分かる。あそこね、良かったよね。
気が狂った顔して見えるんですけど。
すごい気が狂った顔してるんですけど、これ。
彼のすごい、やっぱり抗えない自分のスクールに対しては、
宇宙の美しさの探求
周りがなんて言おうと、やっぱりこれが好きっていうのが、すごい正直なやつだなって思って。
そうだね、確かにね。
すごい好印象でしたね。
確かに確かに。あそこだいぶフラグ立てた感じでしたよね。
何にも良いことないみたいなこと言って、次のシーンで来てよかったみたいな感じの、良い感じのギャップがありましたよね。
そのギャップがやっぱ魅力的だなと思って。
社会では上手くやってこやってこって思うけど、やっぱり表向きでは生きていけない、なんかこの人間らしさみたいなものを感じられますね。
ここのフベルトさんと一緒にね、フベルトさんと一緒に喋るシーンがね、星を見れる丘のところで、
フベルトさんとラファオさんがね、また喋るんですけど、宇宙がどういう形をしているか知ってるかっていう、このあたりのね、セリフがまたすごい好きなんですよ。
ラファオさんと、若干フベルトさんも入ってきちゃうんですけど、キャラクターとして。
つまりは、天動説ってどういう風な形で惑星が動いているのかっていう図を描くんですよね、地面に。
花びらみたいな形になるんですよ。
見るとわかるんですけど。
そうだね。
これ見たときに、これはこれで規則性がオフのかみたいな感じの、パッと見ね、花びらだからさ。
なるほどね。
なんか不思議な図形になるんだけども、でもよくよく見てみると、確かに複雑だよなっていうのを感じるわけですよね。
で、この後フベルトさんは、この真理は美しいかって言うんですよ。
美しいかっていう、なんかその言葉を、言葉選びがですね、なんか不思議で、
この真理は美しいか、この宇宙は美しいかって言って、
で、ラファーは美しいかなんて個人の感覚的反応ですよ、みたいなことを言うんですけど、
すごいその感覚わかるっていうか、美しいってなんか関係あんのかなみたいな、
思ったんだけど、フベルトさんは、君は美しいと思ったかってもう詰め寄ってくるんですよね。
それでラファー君が、結局こうね、ぐるぐるブルブルした花びらのブルブルしてるのを見て、
やっぱりあまり美しくはないっていう。
で、そしたらフベルトさんが、私は美しくない宇宙に行きたくないって言うんですよ。
いやでもそんなこと言ったって美しさで理屈をないがしろにしたら本末転倒ですよみたいなことを、
ラファー君が言ってるんですよ。
これもなんか、そうそうそうですね、みたいな感じで言ってたんですけれども。
でも、その後に結局フベルトさんが、もしじゃあ太陽も星も動かなかったら、みたいな話が出てくるんですね。
地動説の話をしてくるんですけれども。
で、結局地球が動くっていう話をするんですけど、
このフベルトさんの提案する、その宇宙の美しさっていうものがですね、
ここから、なんていうんですか、その美しさが地動説という仮の説ではあるけれども、
これによって美しさと理屈が落ち合うんだ、みたいな。
あの表現も良かったよね。
それを地動説とでも呼ぼうか、みたいな話になってくるんですけども。
いやー、なんかその、なんていうんですかね、美しさっていう目線から、
心理、宇宙、そして地動説っていうのが、このね、なんていうんですかね、説得力用みたいな感じなんですけども。
心理って、でも確かに言われてみれば、めちゃめちゃ心理ってシンプルなんですよね。
学んでても、思うんですけども、なんか複雑じゃない。
そうだね、確かに。
めちゃくちゃ、なんか当たり前みたいなことも言うわけじゃないですか。
で、当たり前なんだけれども、その当たり前が結局大事でもあり、結局心理でもあるわけなんですけども。
それが宇宙にも当てはまるんだなっていうことが、すごいありありとその天動説の複雑さと、地動説のシンプルな図形で表されてるんですよね。
なんかそれをしっかりなんかここで描いてるような気がして、それが純粋に、
すごい会話してるな、この人たちっていう感じで思いましたね。
そうだよね、地動説が美しいっていう認識感であまり私たちね、普段考えて見てることないから、
そう言って言われるとね、改めて地動説と天動説とそういった文の違いで見たりとかするとね、
感じるところはあるかもしれないね、美しさというか心理というところと、宇宙と地動説がつながるってとこはね。
結局神様が作るものってみんな美しいんだよね。
地動説の意義
自然を見て美しいって思うのはやっぱり、宇宙の神様の作ったものが美しいっていうことになるのかなと思うんですけど、
芽が出て、葉っぱが出て、だんだん幹が太くなって、大きな樹木になって、
なんかその成長の過程にしても、小さいところから大きくなる。
いつか大きくなったら枯れていなくなっちゃう。
それがすごい人間と同じようなものじゃないですか、そういう通じるものがありますよね。
そうやって共通性を持って神様は万物を作られている。
そういう自然の中にある節理って言うんですけれども、
そういう美しさもやっぱり宇宙の中にも込められているから、
神様の全知全能さなんて言ったりしますけれども、
それがこの作品を一貫して見せつけられる、
を感じますね。
彼らのやりとりのところからね。
そんな感じがしましたね。
でもその後フウェルトさんのこの地動説に対して、
ラファー君がいや間違ってると思うって言うんじゃないですか。
理由は3つあるって言って、1つは矛盾が多すぎるとかね。
2つ目は当てたとして誰が指示するんですか。
そして3つ目は、そんな直感に命を預けるのは愚かな。
って言ったりするんですけどね。
フウェルトさんは3つ目には反対だ。
私は命を張る場面でこそ直感を信じる。
信じて間違ったらどうするんですか。
構わない。不正解は無意味を意味しない。
これまた深い話だなと思って、
いやーなかなか私まだ落とし込めてないと思うんですけど、
フウェルトさんブログに書いてたりしてませんでした?
不正解は無意味を意味しないっていうのが。
えーとね、書いてない。
書いてなかった。
書いてなかったけど、でも深いセリフだなっていうのは感じはしましたよね。
不正解は無意味を意味しない。
難しい言葉だよね。
そうだね。
不正解は無意味じゃないぞってことが言いたいですね。
そのまんまのこと言ってるね。そのまんまのこと言ってますけどね。
でもそういうことなんだと思います。
いろいろ解釈は一人一人によって違うと思うんだけど、
これも私も編集者さんとか作者のフウェルトさんのインタビューとかそういうのを見てて、
そういうのも踏まえた上でやっぱり感じるのは、
特に現代社会はやっぱり大きな意見に迎合して受け入れることが何となく多いような印象って言ったらいいのかな。
作品にしろ何にしろ、まず見たら口コミどうかなとかね。
考察どうかなみたいな感じで、純粋に自分がどう思ったかとかね。
それでお互いに意見を言い合うっていうの。
フェアな立場でお互いに話すっていうよりは、
こっちの方が合ってる、こっちの方が正しいみたいなね。
正解であればそれがいいことみたいな風潮はあるよなっていうのは前から感じるところはあって、
やっぱりマイノリティにしろマジョリティにしろ、
こっちの方が正解だよねみたいな意見が正しいみたいな。
同じこと言ってるんだけどね、正解が正しいって言うと一緒な感じにはなっちゃうんだけど、
そういう雰囲気を何となく感じるなっていうのは思ったりもするところがあるから、
そういう意味でやっぱり議論しないと答えが出ないっていうの。
そういうセリフも確かどっかに地で出てきた気がするんだけど、
承認欲求と不安
公表しなければ議論も生まれないみたいな話がどっかにあった気がするんだけど。
それが私の大好きなセリフです。
そうかそうか。
そんな感じで不正解は無意味を意味しない。
だからそこで仮に間違っていたとしても問題定義をすることだったりとか、
意見として考えるっていうことは何か意味としてやっぱりあるんじゃないかっていうところなの。
でもなかなかやっぱり現代社会何となく正しいか正しくないかって言ったらいいの。
芸能人のいろいろなニュースとかもあったりするけど謝罪がちゃんとなってないとか、
そういう指摘もあったりとかするような現代だったりもするので、
なかなかそれを生活で実践して恐れずにやっていくっていうのは難しいだろうなとは思ったりはしますけどね。
うんうんうん、そうだよね。
なんか、話が逸れるからちょっとやめとこうと思うけれども、
エコーチェンバーっていう言葉。
この前ちょっとたまたま調べてエコーチェンバーっていう言葉をですね、知ったんですけれども、
自分と似た意見や価値観の人たちの情報ばかりが繰り返し届き、
それが反響するように強化されていく情報環境ということなんですって、
まあよくアルゴリズムとかって言って、自分の好みに合った情報ばかりがこう提示されますよね。
なんか、その話とつながってですね、結局その同意見、
何ていうの、承認欲求の話につながってくるんですけれども、
さっきの話につなげると、自分の属しているコミュニティの中での承認に縛られていくっていう話になっていくんですけれども、
ちょっとうまくしゃべれるかな。
なんかその、さっきのリリーさんのお話だと、つまり正解というものをみんな求めているじゃないですか、
つまり正解、自分の属しているコミュニティの中での正解っていうのは、
つまりその、同じような考え方を持った人たちから、
それはそうだね、それは正しいと思うとかね、
なんかそういうふうに評価されて、
それで、自分って正しいんだ、よかった、みたいな、自分の不安というのを、
そういう他人の評価で補強をしているっていう。
それによって、よかった、これが正解なんだ、正解なんだ、って言って、
その中でね、自分自身がちょっと確証を得ていこうとするみたいなんですけれども、
そうやって、正解であってこそ不安じゃないわけだから、
そのコミュニティの中で承認を満たそうとするんですけれども、
でも別に、そのコミュニティの中で承認欲求を満たしたとしても、
根本的にそれが、何て言うんだろう、
さっきの言葉で言うと、意味があるのかと言ったら、何とも言えなくって、
根本的な不安みたいなものは、本当は解決していない。
ただ不安、法律したくないとかね、
自分が間違っていないかという、自信が持てないという不安を埋めたいだけみたいなものなんですけど、
つまり地の世界っていうのは、これ絶対正しいって思うその真理を言うと、
結局迫害されたり拷問受罪とかしちゃうわけじゃないですか。
ラファオさんはもう完全にそのコミュニティの中で、知的コミュニティの中で、
完全に承認欲求を満たしまくってた人で、
これで俺はやっていけるって思ってたと思うんですけれども、
結局そこの承認をもらうことよりも真理を求めたわけですよね。
それが正解だと思って彼らは突き進めているわけなんですけれども、
それによって世間の評価としては落ちるわけじゃないですか。
だからやっぱり不安にはなる。
感情と真理の探求
不安にはなるけれども、真理っていうのはもう、
誰が何と言おうと正しいっていうか、もうそうなってるからそうっていうものだからさ。
だから結局不安になってもうその真理によって立ち上がっていくっていう感じ。
だからそういう価値観の人たちの、
周りの違う言葉があっても、
その真理を受け入れてやっていくっていう、
本当の意味での強さがあって、
またすごい自由なんですよね、とってもね。
本当の意味でのね。
全然さっきの不正解が無意味を意味しないって繋がるかわかんないんですけれども、
やっぱり私たちは正解を求めてしまう。
けれども、その正解が本当に正解かわからないっていうか、
そういうことを考えさせられたなって、今聞きながら思った話です。
ごめんね、ちゃんとうまく説明ができなくて。
なるほど、そうだね。
ちょうどその恐れの話もしてましたもんね。
ラファオが実際ね、怖くないんですかって聞かれて、
怖いって言っても、恐れのない人生はその本質を書くっていうセリフを結局ベルトさんは言ってたわけだから、
本当、真理によってっていうのは本当そうですよね。
ちょっとそれるかもしれないけど、やっぱり私ね、彼らのね、
彼らのっていうか、つまりはフベルトさんがそう思っていた感覚が、
ラファオ君にまた繋がっていく感情だなって思うんですけど、
彼は学者なわけじゃないですか、すごく論理的に考える人たち。
それこそ合理的にとか、そういう思考を持っている彼らが、
ある意味反対の感情って言ったらいいんですか、感動とか美しさみたいな、
ある意味論理的ではない感情って言ったらいいんですかね。
そういうものに突き動かされて、でも真理を求めていく、すごく論理的なものと言ったらいいか、
その図がすごく美しいって言ったらいいんですかね。
また彼らも美しいになっちゃってややこくなる感じなんだけど、
知能説が美しくて、彼らも美しくてっていうところがあるんだけど、
彼らのすごく論理的なんだけれど、一方でとても感情的な二面性っていうのが
とても人間らしいなと思うところがあるし、
裏を返せば彼らを迫害している、宗教と言われる人たちがすごく対照的だなって言ったらいいんですかね。
物語の構成と感動
不思議な感じって言ったらいいんですかね。
どちらが論理的なんだろうみたいな気持ちになってくるって言ったらいいか。
上手い描き方を本当にしてるなって、
彼らはなんだ、本当にかっこいいなっていう気持ちがね。
特にラファー君はその後また色々感じて変化をしていって、
ある意味最終的に彼は合理的に生きるっていう信条よりも
美しくて信じたい知能説の方を選んでいくわけですから、
その真っ直ぐさと言ったらいいんですかね。
あいはいしてるんだけど、一方その筋が通った強い意志みたいなものはかっこいいなって思いましたよね。
そういうところにやっぱり人は感動するんじゃないですか。
これも今後のその後の奥地さんとかの話でもみんな繋がってくるところではあるんですけど、
感動ってことが多いですよね、この作品。
感動ってことには出てくる作品ないんですよね。
わざわざ感動ってことは出す。
常に論理と感動、つまり直感とかね感動とか、
それが毎回バランスとして出てくる作品の中で、
結局語り継がれていくのは、
結局論理的な言葉よりも感動的な言葉が伝わっていくんですよね。
なんかそれがすごくめちゃめちゃ描かれてる作品なんですけれども、
でも確かに私も今リリーさんから借りてる論文みたいな、
論文がありますけれども、
論文。
貸してるね、本があるんですよ。
愛着障害としてのアディクションっていうね、そういう本がありまして、
まあ分厚さは普通なんだけれども、中は割とびっしり描いてあるものなんですけれども、
もちろん読み進めたら、なるほど面白いなってスイッチが入っていくと入るんですけど、
やっぱり言葉が難しかったり専門用語が出てくるので、
やっぱちょいちょいこう、ん?みたいな感じで立ち止まって、
うーんみたいな、なんとなく字面で読んで、
なんとなくわかった気になるみたいな感じ。
あるよね。
それなのでなんかこう、心に何かがめちゃめちゃ残ったかっていうものが、
まあもちろんあるときはたくさんあるんですけれども、
ちょっと未完成難しいから、すごい感動するかっていうよりは、
まあ論理的にわかりやすいものかなっていう感覚なんですよね。
だからやっぱりちょっとこう、心には残りにくいかな、
知識的なのかなっていう感じにはなるんですけど、
この本と並行してこの知の漫画をですね、
私は購入して読んでいるんですけれどもね、
もう知はね、何回読んだのってぐらい同じ漫画をずっと読んでるみたいな時があって、
やっぱりそれだけ心が動くから、
なんか何回もそこを読みたくなっちゃうっていう感覚なんですよね。
スラムダンクも一時期ハマってですね、
最終巻の、最終巻からこう遡ってその最後の巻、3巻ぐらい、
あの3巻大好きで、毎回1回読み始めたら絶対最後まで行っちゃうみたいな感じなんですけど、
やっぱ感動するんですよね、なんかハァーってのめり込むようなあの感じ。
今語ってるこの感じも感動を語ってるからなんかすごい興奮するんですけれども、
こんな感じでやっぱ感動っていうものが、
やっぱ人々の心をどれほど突き動かすんだろうっていうことをね、
この作品を通じて、こう分かりやすく描かれているし、
人ってそういう生き物なんだな、みたいな風に思わされるところがありましたね。
そうだね、ラファーくんもね、
感動は寿命の長さより大切なものだと思うってね、ちゃんと言ってますからね。
地動説と美しさ
すごくそこがテーマになってくる作品ですよね。
かなりテーマになってますよね、これね。
上手いこと構成して作られたなって、本当に感心します。
いや本当にすごいなって、
23歳、24歳の時とかに描いたんだよね、これね。
麦わらさんはね、作家なのでね、
余計にきっとそういう部分でもこう、作品の構成とか流れとか、
いろいろ感じるとかありそうだね。
素人作家ではありますけれども、
やっぱりあらかたやっぱ構成をして作品って描くものだと思うし、
ストーリーがあるわけだから、
何かしらこれを伝えたい、そういうシーンがあって、
そこに向かってね、言っているのかなって思うんですけど、
厳密に構成されてるなっていうのが、
何回読んでも感じられるっていう部分ですね。
そうですよね。
ただこのね、見せ方が上手いんだ。
今度はラファオさんがさ、
結局地動説なんて、とかって最初言ったけれども、
自分でね、こう、足を滑らせて転ぶじゃないですか。
それでラファオさんが動いたことによって、
周りの環境がぐるーって回る。
それを通して地球の時点と光点を、
ラファオ君自身が体験するわけじゃないですか。
で、その後におうち帰ってさ、
いや、光点なんかしてるわけはどうなんだって。
仮に地球が動いてたとして、
とかってカシャカシャカシャって帰ってって、
そしたらなんかすごい綺麗なこう丸い、
いわゆる今の宇宙の、
素敵な姿をこうパーって描いてさ、
そしたらこんなに合理的に動いてしまったら、
この説を美しいと思ってしまうって言って、
こうガーンって横顔のこのラファオ君がね、
いやーこの感情の込め方よっていうぐらいの、
この駒のね、こう大胆な構図と、
ラファオ君のこの姿と、
そしてこの地動説のこの美しい図がバーンって出てくるんですけれども、
見せ方うまいなーって。
そうだねー。
基本的にラファオ君、感情がね、
あんまりこうすごい出るタイプかっていうとね、
そうでもないタイプでのそのね、
表情でこう見せられちゃったらっていうのが、
私はすごい感じたところもありましたね、
そこのシーンはね。
どれだけ彼がつまりは感動して動かされているかっていうのが、
なんかね、伝わってくる感じでしたよね。
この天動説のぐるぐる花びら図形と、
このシンプルな絵の図形がね、
またこの対照的で、
なんていうんですかね、
この美しさはなるほどこのシンプル加減みたいな感じ。
すごいこの対比がうまいなっていうか。
つまりは神様の作ったこの世界は美しいっていうことじゃないですか。
心が震える。
やっぱりそれはあれかな、
神様を信じているからこその震えがやっぱりあるのかな。
フベルトさんもね、
言ってますけど、
神が作ったこの世界はきっと何より美しいって言うんですね。
つまり天動説の概念って言ったらいいんですか。
地球は地べたに張り付いているみたいな。
毛皮らしくてもう底辺にいるような、
そういう存在だから、
地球は重力の影響でまた下に張り付いちゃってるんだぜみたいな、
そういう概念が生まれちゃってて、
人々はその概念に縛られちゃっているわけじゃないですか。
だからこの地球が美しいだなんて全く思わず、
むしろ早く天国に行って、
その美しいところに行きたいみたいな。
もうこのところで希望なんか見出せないって言って、
みんな絶望して生きちゃってるから。
でもそんな絶望してたと思っていたことは、
理論としてもその地動説っていうのが発揮されているわけじゃないですか。
でも実際神様は地球をめちゃめちゃ大事に作って、
めちゃめちゃ丁寧に作っているわけじゃないですか、
この生命体を。
そういう意味で、
地球は美しい。
地球は美しい。
地球は美しい。
めちゃめちゃ丁寧に作っているわけじゃないですか。
この生命体が宿る地球を作るために、
めちゃめちゃ時間をかけて想像なさったし、
環境を作るだけでなく、
人間を最後に作って、
すごい丁寧に作っているわけなんですけれども、
それは私たちが教会に行ってその聖書を学んだからこそわかる。
それを聞くだけでも私もやっぱり同じように、
この世界ってそういうふうに作られているんだとか、
同じだなと思ったんですよ、
この人たちと仲間たちが住んでいるこの場所と、
同じ感覚で私も昔生きていたし、
希望がないって思って生きてしまったけれども、
神様の真理、またその言葉って言うんですけどね、
聖書を学んだときに、
あ、違うんだ、この世界めちゃめちゃ大事にされて作られているんだなとか、
神様は人間を作るためにめちゃめちゃ思い込めているんだなとかね、
そういうことを知ったときに、
世界が変わって見える。
それがここで言う天道説っていう地べた張り付いて、
地球なんかも穢らしいみたいな、底辺だみたいなところから、
地道説っていう真理を知ったときにガラッと変わるじゃないですか。
ここはすごくめちゃめちゃ美しい場所なんだって、
人生における恐れの本質
題名を転換したときのこの感動ですよね。
これをしっかり描いているっていうのがめちゃめちゃ魅力的。
そういうのを持っている、
聖書は勉強したからこそ分かる、
なんていうんですかね、
よう描いたこれ、みたいな感じ。
ほんとそれだ、それですよ、みたいな感覚がありますね。
なるほど、自分がね、
神様についてとか、
聖書について学んだからこそ感じた感覚が、
まさにまんまっていう感じで出てきてるね、
そういう感じがあったってことですね。
共感します、それはとてもね、
ちょっとこれは後での部分になってくるけど、
この後出てくるキャラクターたちもね、
それが知るということだっていうセリフのシーンがありますけど、
そことも繋がるような部分ですよね。
ウエルトさんとね、またラファーくんが話を進めていきますけれども、
怖くないのかみたいな話をね、
さっき言ってたやつだね。
怖くない人生などその本質を描くっていうわけなんですけど、
これもまた非常に深いな、
不正解が無意味を意味しないみたいな感じで、
怖くない人生などその本質を描くっていうことは、
つまり、怖くない人生っていうのは本質じゃないってことを言ってるってことですよね。
なんかちょっとさっきのデジャヴ感がいなめないんですけど。
私はね、分かりやすい言葉にしないと、
スッと入ってこないんですよ、私。
なるほどね。
つまり、怖くてこそ人生ってことだよね、つまりね。
そうだよね、怖くてこそ人生。
そうそうそう。
えーって感じはしますよね。
怖くてこそ人生。
つまり、スリルを感じるわけじゃないですか、怖いって。
なるほどね。
怖いって言うと、なんかお化け見て怖いみたいな、
そういう感じになっちゃうけど。
でも確かに生きていく中で怖いってたくさんありますよね。
人間関係とかでもね、
体育の授業とかで上手くいくかわかんないみたいな、
身体能力を発揮しないといけない場面でちょっと、
試されてるみたいな時、怖いなって思ったりもするし、
勉強とか受験とかね、
落ちたらどうしようっていう、そういう怖さと戦ったりもするし。
でもさ、この怖さなんてさ、みんな本当は避けたいものじゃん。
怖くないほうがいいっていう感じだと思うんですけども。
でも怖くない人生なら本質を変えちゃうわけだもんね。
怖さはあるからこその人生っていうのが、
うわー、なんか不思議だなーみたいな感じになると思いますよね。
めっちゃ横道通りますが、みんな怖い話ってすげー聞きたがるじゃん。
あれ何なんだろうとか。
怖くないほうが安心して安定してね、安全で平和な感じするのに。
そういう怖さを求めてスリルを持って聞きに行く子たちの多さよっていうか、
私も聞きに行っちゃうんだけど。
多分それが人生ってことなんですかね。
そんな結論でいいの?
いやでもね、怖いもの見たさっていう言葉があるから、
私も今聞きながらね。
確かに、そこのセリフはそんな深く考えられない。
未知への探求
人間が怖いっていう感情がわくわくって、
わからないことに怖いが出るっていうのをよく聞くなって思うんですけど、
ある意味わからないがなくなったら怖いがなくなるのかなって思ったんですよね。
つまりそれって思考停止みたいなものだから、
自分の思考がなくなったら怖いがなくなるのかなって思ったんですよね。
なんで生きてるんだろうとか、
どうしてこれはなんだろう、自分は知らないなとか、
そういう意味ではある意味謙虚さみたいなところもあるかもしれない。
もう自分は全てがわかっているみたいな。
そういう感覚で生きるっていうのは果たしてそれは人生と言えるんだろうかみたいな、
そういうニュアンス感もちょっとあったのかなって今ね、聞きながら。
ある意味自分の思考がなくなって、
そういうニュヤンスカンもちょっとあったのかなというのをね、聞きながら。
ある意味だから知動説天動説どっちが本当だろう、わからないっていうのはちょっと怖いなって不安定な感じはあるはあるんですけど、
やっぱりそこでそれが一体何なんだろう、何が正しいんだろうって考えて追求していくことだったりとか、
わからないからこそ怖いっていうものを突き詰めていくっていうのが、
それは自動説しかりだけど自分たちの人生に置いて持っていたらいいんですかね。
なんで自分こういう気持ちになっちゃうんだろうなぁとかね。
なんであの人ああいう風になっちゃってるんだろうとかね。
いろいろな物事に対して恐れがあるからこそ知ろうとするっていうのは確かにあるかもしれないっていうので、
改めてちょっと喋りながらね、そういう意味での恐れのない人生の本質を書くっていう意味なのかなって、
ちょっと今喋りながら思いましたね。
すごいね、いやもう本当そう思いました。
いやー本当にこれ作品全体通じてこれ言ってるようなもんですよね。
うーん。
分からない、分からないものっていう、
なんかそれに対して探求するかもしくは避けてしまうかっていう。
うーん。
野爆さんなんてね、もう分からないから、
もう訪問して、排除しちゃうみたいな。
うんうんうん。
お前もうちょっと疑問持って探求しろよって思っちゃうよね。
最後はそれによってあだが来ちゃうわけなんですけども。
なんかその末路みたいなものが描かれてくるのって思ったし、
一番最後の最終回なのかね。
まさにクエッションマークがテーマが入ってるのか。
うーん。
それだけこの作品を通して、
分からないものっていうハテナっていうものを、
すごい強調して描いてらっしゃる。
それは確かに未知なものだし、やっぱり怖いものでもある。
そこに向かって地道にコツコツ研究していく姿勢のスリルがあるわけだけれども、
スリルがあるけどでもそれがやっぱり人生としての本質的な部分になるのかなと思うと、
本当に私たちを取り巻く様々なハテナと、
疑問だけでなく、
なんか怖いなって、なんか未知だなって思う色々な環境で、
やっぱりそこにヒントがあるっていうんですかね。
そこに向き合っていくことがとても大切なんだろうなっていうか、シンプルに。
本当そうだと思います。
さっき野爆さんがどんどん誤謗をしていってしまってっていう話をしてましたけど、
確かに彼にとってはきっと地道説って怖いものだったでしょうからね。
それこそ、得体の知れないもので、
でもきっと本来そこはそれって何だろうって思って知っていく。
怖いんだけどね。
怖いんだけど知っていったらそこには真理があったわけじゃないですか。
でもやっぱりその怖いっていうのを何となく自分の感覚で、
あれはもう間違ってるものだとかね、おかしなものだってやっぱり切り捨てちゃって、
自分なりに関わっていっちゃうと、やっぱりちょっとおかしくなってくるんだなっていうのは思いましたし、
それこそ私たちも今、親身とコメントで社会問題の作品作ってますけど、
社会問題怖いことばっかですよね。
なんでこんなこと起こるんだみたいなこといっぱい起こるし、
それこそなんていうのを一言、親の育て方が悪いとか、
この人自身に問題があってとかっていろいろ言うことも可能だったりはすると思うんですけど、
でもちゃんとその怖いの先に何があるかって、
やっぱり向き合っていったら解かれていくものがすごい多いよなってね。
特に私は偏見が結構強い依存症っていう分野で仕事してるのもあって、
紐解いていけばね、依存症の方たちってすごい真面目で優しくてとかね、
そうなんだって分かってみたらやっぱり怖さっていうのはなくなっていくよなって思うから、
怖さがない人生っていうのは確かにちょっと怖いですね、逆にね。
それはすごく恐ろしい生き方なのかもしれないですね。
大事なものを見落として生きてしまっていることなのかもしれない。
そうだね、つまり無感覚になって生きるっていうことなんでしょうから。
そうだね、そんな深いセリフだと思わなかったぜ。
そうだね、本当にね、私もなんかこうやって噛み砕いていかないと分からないことがあるセリフがね、一個一個が深いので。
信じることの重要性
確かにね、そうか。そう思うとね、彼らが、つまりは怖い感じがあるわけじゃないですか、自動説、信じるのって。
でもそれが本物かもしれない、怖いんだけどそこで考えてちゃんと向き合って、
結果これが自分は正しいっていう風に結論を出したときに、
ある意味死ぬっていうことへの恐れとか怖さっていうものがなくなっちゃうぐらい、
怖さの上にちゃんと向き合って、それが何なのかっていうのを突き詰めたら、
他の怖いものも怖くなくなるんだろうって、他の小さな怖いことって言ったらいいのかな。
すごい段階だよね。
いやー、すごいよね。私もそれは分かって。
分かってますよね。
このラファー君たちの地点ではさ、自動説が合ってるかもしれないの、世界の中ではね。
やっと奥爺さんのところのデパーニさんっていうめちゃめちゃ頭がいい神秘さんがいらっしゃるんですけど、
そこでやっと自動説は完成したっていうから、それだけ確証が出るのは先なんですけど、
ラファー君とフリルトさんのときにはさ、そこまで完璧に確証しきれていないにもかかわらず、
もう恐れず、果敢に研究して、拷問とか、もしくは死を選んでいく。
すごい信仰だなって思って、やっぱりそこに信仰が来るなっていう。
そうだね。信じるっていうものがね、その自動説をね。
これがまた最終回のネラハークに繋がってくる話かもしれないんですけど、
確かにある種の信仰なんだよね、これがね。
分からない分からないけれども、これがきっと合ってるって信じて信じて研究していくわけだから、人生投資してね。
そこで私の大好きなお話、ピャストハークの話と絡んでくるから、また後日話したいところなんですけど。
そうやって信じて信じて信仰で研究をすることによって、絶対的な真理のところまでね、研究して信仰が当たってればね、もう万々歳なわけじゃないですか。
ピャストハークさんたちのように、どちらかというと天造説寄りのものを、そちらの修正だったかな、そっちの研究に。
やってたやってたやってやって、やったのに最後になってもう完成しないって、あのね、話さみたいなものがある世界だからね。
だからあそこで、そうか、なんかちょっと今いろいろ繋がるところがありましたけど。
初めちゃいましたね。
いやー、オクジーさんとバッテンジーさんの後半らへんのセーフで、何を言ってんだろうこの人たちはっていう。
まだ100%納得しきれないところがあったんですけど、そこも研究においてその信仰を入れるべきかみたいな、そういう話があったんですけど。
あったねあったね。
今度にしようとは思うんだけれども。
また語りたいねそこはね。
やっぱり結構信仰っていうのも絡んでくる話。
信じること?
ラファー君の選択
信じることってめちゃめちゃ難しい、めちゃめちゃ難しいけれども、やっぱりアファー君たちはある程度の確信を得たんでしょうね。
それがある感動の力ではあるのかもしれない。
いやー、そうだと思いますよ。ほんとそうだと思う。
ラファー君はね、最後の最後まで感動も受けつつ、でもやっぱり合理的に最後行き切ったな、彼はっていう感じはすごい、彼のラストを思うとすごい私は感じるところもありました。
ちょっとこれは横道それより話かもしれないけど。
ラファー君は最初のラファー君?
最初のラファー君、最初のラファー君ですね。
彼は拷問を受ける道は選ばなかったじゃないですか。
ちょっと私は意外だったんですよね、そこがね。
そうなんだって思ったんだけど、さすが合理的に生きるが慎重だと言っていたラファー君の選んだ最後だったなとは思うんですよね。
つまり彼は拷問を受けたって考えを変えるつもりはさらさらなかったわけだから、その確信があったから自分の人生を自分で思えるっていう選択肢を取ったんだと思うんですよね。
その出来事自体を言い悪いはちょっと別として、でもきっと彼の中にはたとえ自分は拷問を受けたとしても吐かないっていう。
指導説の資料のありかは絶対に吐かないって。
吐いてたまるかっていうすごい強い思いがあったんでしょうから、それだけの感動があったからこそ。
人生を自分が改心するっていう道はないんだから、火破りになって死ぬのと、そうでなく死ぬのならどっちが合理的だって考えた。
彼はあのような選択をしたんだと思うんだけど。
そこまでを見て自死を選ぶっていうのはなかなかすごい決断的な。
人生として成功したかって聞かれて、成功してるわけないでしょ、だったっけね。
そんなようなことを野沢さんに一言返してましたけど。
彼の中で美しいと思った感動と理論を最後まで信じていたからこそ死まで選べたみたいな感じなのかな。
そうだね。
そこは賛否両論ではありますよね。最後は繋がってくるんだろうね。
確かに確かに。なるほどね。それはあるかも、確かに。
浦川くんの探求
ちょっと極端なところがね。
作者の方だったか、編集者のインタビューだったかは忘れちゃったけれども。
あ、違うかな。ごめんなさい。ちょっと誰が言ってるか忘れちゃったんだけれども。
結局、行き過ぎた探求、止めすぎた死ぬのちですけど。
止めすぎたゆえに結局最後の浦川くんは殺しちゃうわけじゃないですか。
お父さんをね。
それはものすごい行き過ぎちゃってるわけ。
人の死とかなんとかっていうよりもその真理を追い求めるがゆえに、
その真理を自分に資料として提供しないっていうからイコール殺すっていうのは、
なんか歪んでますよね、やっぱり。
だからもう一回浦川くんを出したんじゃないかっていうような、
その死ぬっていう地にのいい面、表の12歳の浦川くんのような、
真理を探求するその熱い、いい部分じゃないですか、その真理を。
後半の浦川くんはもうどちらかというとそれによって、
人の命まで奪っちゃうぐらいの歪んだ、行き過ぎた信仰みたいな感じになっちゃってて。
そこの対比がね、描くために最後に浦川くんを改めてあの姿として出して見せたんじゃないかみたいな考察ですけどね、それはね。
キャラクターの人間性
なるほど、そういう見合いもあったんかなって。
最初の今の部分をね、2人で改めて話しながら、
やっぱちょっと浦川くんってちょっと異常なほどのある意味信仰者だなっていう感じは。
やっぱちょっと後半である意味その側面をね、そっちの側面を見せたのかなっていう感じ。
あると思います。作者さんが確かにインタビューでそれ言ってたかも。
あの全くイコールではないですけど、でも地で描きたかったのは地制と暴力の関係っていうのはおっしゃってたから、まさにそれですよね。
知ることとまたそのことによって起こる暴力性っていうのはきっとあったんじゃないかなってところがあるのでね。
だから知るの地と血液の地に出てくるわけでもね。
非常にすごいテーマですね。
でも一人目のラファーくんの意思はどうやって受け継がれていったんだろうとか、純粋にそういうのが気になるんですけどね。
ウェルトさんもね、研究はもうここまでになったからって言って、最後彼と別れて、最後ネックレスを託すってなりますけど、
あのラファーくんの言動のどのあたりに彼にもう委ねられるっていう確証を得たんだろうとか、
その辺は私まだいろいろちょっと深み切れてないなっていうところはあるんですけど。
まあちょっと展開としてはやや早かったんで、いろいろ展開が早いじゃないですか。
ウェルトさんが彼を、ラファーくんを信頼するまでの過程ってそんな長くない。
だいぶ早い段階で委ねるから。
委ねるっていうのもテーマですよね、これね。
これはこれでまた話せちゃうからしたいんですけども。
そうだね。
でもやっぱりこの子はその真理に感動する素質があるって思ったんじゃないですかね、きっとね。
まあそうだね、彼がラファーくんが地動説の絵を描いて美しいと思うじゃないかって言った後の観測で、
ここ数日観測の精度が上がってる何かあったかっていうセリフをね、ウェルトさんは言ってたから、
まあそういうところからもしかするとね、彼は地動説に傾いているっていう確証があったのかもしれないんですけど。
そうだね。
はい。
あと?
あと、ぽとつきさんがさ、もともとそっちのキャラクターをしてた人じゃない?
ウェルトさんはぽとつきさんの教え子だったんだよね。
そうそうそう。
やっぱりそういうつながりからしても、
あー、なるほどね。
感じてるものがあったのかもしれない。
あー、そうだね、それもあるよね。
いやー、その辺も見そうで、ぽとつきさんもすごい良い人だったなって思うんですよね。
ぽとつきさんが良い人、良い人、まあ良い人か、何とも言えんけどね。
うーん、私はすごい人間らしい人だったなってね。
なんか尊敬するとかっていうよりは、すごい人間らしい描き方をされてる人だなっていう感じがすごいしたなってね。
生々しい感じ、泥臭い感じがすごいする人だったなって、やっぱね、思いますね。
そうかー、ぽとつきさんね。
うーん。
まあまあまあ。
麦わらさん的にはまあな感じでした。
まあ他のキャラがね、他のキャラに比べたらっていうのは十分あるんだけど。
うーん、でもやっぱ自分自身がやっぱり次2度目のEターンになったら死ぬわけじゃん。
だから結局まあ初犯だから死なないっていう、
まあ結局ラファオくんを討ったような感じにはなってる気がするので、
まあ人間らしいっていう意味では人間らしいんだけれど、
ずらかと被りますね、若干。
なるほどね、確かにね。
他のおじさんも結局苦手な形がね。
うんうんうん。
まあ人間らしいって言えばまあ人間らしいけどね、ぽつきさん。
まあなんともっていう感じでした。
ね、好きキャラになるにはっていう感じはあるけど、
でもなんかよくある気がするんですよね、ああいうことって。
こういう風にやっていこうって思ってたんだけど、
結局それがいろいろ辛い経験に変わってしまって、
だからもうそちらにはいかないって決めて生きるって言ったらいいんですかね。
いやなんかよくあるよなって。
自分自身もやっぱりそういう経験あるって言ったらいいの。
これと言って思い出せるものがパッとは出てこないんだけど、
こうしてみようかなと思ったけど、なんかうまくいかないからもうやめようみたいな感じだったりとか、
ある意味すごい対照的だったなってやっぱ思いますね。
ベルトとかラファーの生き方に対してすごい反対がね、
もともと地動説とかきっと研究してたんでしょうけど、
それで痛い目に遭っちゃったからって言って、むしろ恐れることをやめちゃったって言ったらいいんですかね、それこそ。
恐れる人生をやめちゃった。
別の怖さがある意味ある人生かなとは思うけど、
すごい人間らしいよなって思いましたね、とってもね。
まあ気持ちはなんかわかるからさ、
でもじゃあどうだって言われたらね、そういう状況になったらやっぱり逃げたくなるだろうし、もうやめたい。
いやー絶対そうなっちゃうと。
そこでラファー君という天秤にラファー君の命があったところで、
自分の命かラファー君の命かみたいなところがあったじゃないですか、
まあ初犯だから見逃すっていうことは信じて。
そうだね。
それが起きだってきっとね。
まあだとしてもってところが引っかかる部分ではね、あるかなと思うけど。
街に出てくるキャラクターはね、
もちろんラファー君みたいな、そこでそうやる?みたいな子ももちろんいるんだけど、
やっぱりそうしてでもやっぱり人間らしいキャラがすごい多かったなって思いますね。
あまりにもぶっ飛んでるかっていうと、そうではないというか。
そんな感じでもうだいぶしゃべりましたけど、
まだこれはアニメ25話でいううちの3から4話にしかまだ至っていない。
ちょっと最後の方しゃべりましたけどね。
どれだけ語れるんだろうかっていう感じですが、
この感じでいくと、シーンを順番になぞりながらキャラで振り返っていったら、
どんどん深掘りがまた深まっていったいどんだけしゃべったら終わるんだろうかっていう、
ちょっとそういう感じもしますけど。
そういう感じになりそうですね。
でも良かった。名言の意味合いもなんかしゃべってて色々わかったところもあったし、
より深められたところはあった感じがしますね。
ずいぶん深まったし、この作品がやはりうまく構成されて作られているかと思う。
本当に感じられていますね。
ではそんな感じで、もう第一回ですね。
第一回1についての感想についてはここまでになります。
という感じで、また次回以降この続きからまた追って、色々感じたことを深めて話していけたらいいなと思ってますが、
何かありますか?麦わらさん最後大丈夫?
こんなに話せることがいっぱい出てくるとはって感じですけど、
皆さん聞きながらどう感じたかはちょっとわからないですし、
私たちもなんか喋りながら積み立てていくこととか発見することがあるから、
ちょっとお聞き苦しいところが多かったかもしれないんですけど、
でもまた2回目、3回目楽しんでいただけたら嬉しいなと思います。
はい、という感じであゆみよりラジオ今日はここまでになります。
皆さん最後まで聞いてくださってありがとうございました。
ありがとうございました。
また次の配信でお会いしましょう。
さよなら。お疲れ様でした。